前回の「走る子どもを怒る」というエントリーで、店内を走り回る子どもを怒鳴りつけた店員についてのニュースを取り上げましたが、またもや似たニュースがありました。どうやら子どもを迫害する傾向はどんどん強まっているようです。
  
電車内のベビーカー利用に賛否両論 啓発ポスター引き金
  列車でのベビーカー利用に理解を求める鉄道会社や東京都のポスターに、批判が寄せられている。車内で通路をふさぐなどと苦情があり、鉄道会社はマナー向上の呼びかけに力を入れている。
 「ベビーカーでの電車の乗り降りには注意が必要です。周りの方のお心づかいをお願いします」「車内ではストッパーをかけて」
 首都圏の鉄道24社と都は3月、利用者に呼びかけるポスター約5700枚をJR東日本や私鉄、地下鉄の駅に張り出した。少子化対策の一つで、担当者は「赤ちゃんを育てやすい環境をつくる」と話す。
 だが、利用者から「ベビーカーが通路をふさぐ」として、ポスターに対する疑問の声が都に寄せられた。都営地下鉄には「車内でベビーカーに足をぶつけられた」「ドアの脇を占領され、手すりを使えなかった」との声が相次いだ。
 JR東日本にも「ポスターがあるからベビーカー利用者が厚かましくなる」「ベビーカーを畳もうというポスターも作って」と意見が寄せられたという。ネットでは意見が1千件以上飛び交っている。
 ただ、ベビーカー利用者には事情がある。今月、JR新宿駅近くでベビーカーを押していた杉並区の主婦(38)は「子どもを病院に連れて行く時、電車に乗らざるを得ない。荷物と子どもを抱えてベビーカーを畳むのは無理」と話す。出産前は、通勤時にベビーカーを迷惑と思っていたが、考えが変わったという。
 JR東日本は列車内のベビーカー利用を認めてきた。かつて駅や車内でベビーカーを畳むよう呼びかけた私鉄9社や都営地下鉄は99年、母親の要望を受け、「周囲に迷惑をかけない」ことを条件に利用を認めるようになった。
 ポスター掲示を続ける小田急電鉄は、乗務員が車内を回る際、ベビーカー利用者に「通路をふさがないでください」と声かけをしている。「母親の育児ノイローゼを防ぐためにも外出は効果的」という都は、母親向けに「車内でもベビーカーから手を離さないで。暴走車になっちゃうよ」とマナー向上を呼びかけるチラシ約5万枚を保育所などで配っている。(藤森かもめ)
朝日新聞デジタル 20128261817
 
鉄道会社のポスターの狙いはあくまでベビーカー利用に対して一般客の理解を求めることであったわけですが、一般客は逆に、「ベビーカーが通路をふさぐ」など、ベビーカーの利用を非難する反応を示したというわけです。
 
ベビーカーというと、ノルウェーに行ったときのことを思い出します。
ノルウェーでは街のいたるところでベビーカーを見かけました。それも2人用、3人用も多く、4人用のべビーカーもあるのには驚きました。
ノルウェーは先進国にしてはかなり出生率の高い国です。1980年代までは低かったのですが、男女共同参画を進め、子育て支援策を充実させることで出生率が向上しました。
ただ、これは単に政策だけの問題とは思えません。子どもが普通にたいせつにされている感じがするのです。たとえば、ノルウェーにはスカンジナビア航空の飛行機で行ったのですが、客室乗務員が客に飲み物をサービスするとき、8、9歳の女の子がニコニコしながら横にいて、客にジュースを渡したりしているのです。女の子が手伝いをしたがったので、客室乗務員が好きにさせているということでしょう。これが日本なら、子どもに手伝いさせるとはけしからんといってクレームがつくに違いありません。
もちろんスカンジナビア航空でも、規則ではこういうことをさせてはいけないことになっているはずです。しかし、子どもがやりたがったら、おとなはそれを尊重するということが普通に行われているのでしょう。そして、その女の子は楽しい時間をすごし、人生経験を積むこともできたわけです。
ノルウェーには、電車の中のべビーカーに文句を言うような人はいないと思われます。
 
日本がノルウェーと違うのは、とくに都会の交通機関は混み合うことが多い点です。
おんぶやだっこという方法があるではないかという人もいるかもしれません。
しかし、ベビーカーを使いたい事情もあるでしょう(おんぶやだっこは重い)
 
どんな社会であっても、子育て中の親は周りのみんなでささえるものだと思います。そうでないとその社会は持続していきません。
そう考えると、電車内のベビーカーを非難する日本の社会のあり方はかなり異常です(外国ではしばしばベビーカー用のスペースが設けられた電車やバスを見かけます)
 
これもやはり「子ども差別」のひとつの表れというべきでしょう。
厳密には子どもではなく子ども連れの親が差別されているわけですが、根底にあるのは子どもをたいせつにしないことですから、「子ども差別」と言ってもいいでしょう。
 
これが「子ども差別」であることは、車椅子が電車に乗ってくることと比較するとよくわかるはずです。迷惑という点ではベビーカーも車椅子も変わらないでしょう(むしろ車椅子のほうがかさばります)。しかし、車椅子が電車に乗ってくるのは迷惑だと主張する人はまずいません。
 
とは言ったものの、最近は車椅子も迷惑だという声が多くなっているかもしれないと心配になり、検索してみましたが、そんなことはありませんでした。「Yahoo!知恵袋」で「ラッシュ時に車椅子で電車に乗る人ってどう思います?『遠慮』というのも考えていただきたい」という意見に対しては、圧倒的に否定的でした。
 
ベビーカーで電車にも乗りにくい社会では少子化が進むのも当然です。
 
このような子どもを迫害する傾向は最近急速に強まっている気がします。
その原因はなにかと考えたら、法務省の方針がかかわっているのではないかという気がしています。
日本は官僚主導の国で、マスコミもそれに追随していますから、法務省の方針は国民意識までも変えてしまいます。
 
2001年、少年法が厳罰化の方向へ改正されました。これはもちろん法務省の方針ですし、これに先立って、「少年犯罪が凶悪化している」という報道が盛んに行われました(統計的にはそうではなかったのですが)
そして、数日前の8月24日の朝日新聞朝刊の一面に「少年の有期刑引き上げ」と題する記事が掲載されました。
従来の少年法では、18歳未満の少年に対しては有期刑は最長15年とするなど、成年よりも量刑を軽くする規定がありましたが、法務省はそれをよりきびしくする方針を固めたということです。その理由としては、裁判員裁判を経験した市民から「少年事件で思ったような量刑が選択できない」といった不満が出ていたことが挙げられています。
 
少年法の厳罰化であれ死刑制度の存続であれ、つねに国民感情を持ち出すのが法務省のやり方です(財務省や厚生労働省も国民感情に合わせてほしいものですね)。そして、その国民感情を形成するために、明らかにマスコミは偏った報道をします。たとえば、少年法改正の前ごろから、殺人事件については必ず被害者遺族の感情が強調されるようになりました(加害者サイドのことはほとんど報道されないので、アンバランスです)
 
法務省が刑法改正に国民感情を持ち出すのは、それ以外に理由がないからです。つまりなぜ犯罪が起こるのか、どうすれば犯罪を防げるのか、犯罪者はどうすれば更生するのかといったことが法務省にはまったくわかっていません。
 
それは誰にもわからないのではないかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。ノルウェーの法務省はなぜ犯罪が起こるかわかっているのです。
これは「厳罰主義の果て」というエントリーで書いたことですが、ノルウェーの法務官僚は犯罪の原因として「幼年期の愛情不足。成長時の教育の不足。そして現在の貧困」を挙げたそうです。
「厳罰主義の果て」
 
ノルウェーの法務省と比べると、日本の法務省は明らかにバカです。このことをほとんど誰も指摘しないのは不思議です(もちろん日本の法務省だけでなく日本の法学界もバカなのですが)
 
ともかく、日本の法務省は明らかに少年をきびしい目で見ています。昔の日本人なら、「こんな若い者を罰するのは忍びない」とか「まだ若いんだから立ち直るだろう」といった感情があったものですが、今の法務官僚にはないようです。そして、それが日本全体に広がってきています。
これはつまり、おとなの劣化です。
決して子どもや若者の問題ではありません。
 
おとなが子どもや若者を迫害する社会に未来はありません。