「日本時間」という言葉がありました。日本標準時のことではありません。それとは別の意味の「日本時間」という言葉があったのです。
「ブータン、これでいいのだ」(御手洗瑞子著)という本を読んでいたら、ブータン人はきわめて時間にルーズだということが書かれていました。
時間にルーズなのはブータン人だけでなく、途上国ならどこも同じでしょう。
そして、昔の日本人も同じだったのです。
私は京都の生まれですが、子どものころ、母親が待ち合わせの相手がなかなか来ないと「『京都時間』やなあ」と言っていました。バスが遅れたときなどにも言っていたような気がします。もちろん母親だけでなく父親やほかの人も言っていました。
京都人は時間にルーズだということを「京都時間」という言葉で表現していたのです。
しかし、考えてみると、京都人がほかの土地の人よりも時間にルーズだったということはなさそうです。おそらく京都だけでなく、全国各地に同じ「○○時間」という表現はあったはずです。
そう思って検索してみると、やはりありました。
「博多時間」でグーグル検索をすると、上位四つのサイトが「博多人は時間にルーズだ」という意味のことを書いたものです。
「仙台時間」で検索すると、いちばん上のサイトがそうでした。
「名古屋時間」で検索すると、いちばん上と5番目のサイトがそうです(ただ、流行が東京や大阪よりも遅れて入ってくるという意味の「名古屋時間」という言葉もありました)。
「島根時間」「静岡時間」もありました。「青森時間」はありませんでしたが、「津軽時間」はありました。
やはりほとんどの日本人が、自分たちは時間にルーズであるということを自覚して「○○時間」と言っていたのです。
ということは、当然「日本時間」という言葉もありました。私は親などが言っているのを聞いたことがあります。
つまり日本人は時間にルーズだということは共通認識だったのです。
より正確に言うと、時間には正確であるべきだという認識はあるのですが、現実の行動はそうなっていないということを自嘲気味に「○○時間」や「日本時間」と言っていたわけです。
当時、1950年代、日本人が唯一時間に正確だとして誇りにしていたのは国鉄でした。外国の鉄道はそれほど正確ではなかったようで、日本人は外国人に対して国鉄のダイヤの正確さだけは自慢していました。というか、日本の伝統文化は別にすれば、それぐらいしか自慢するものがなかったのです。まだ「メード・イン・ジャパン」が粗悪品の代名詞であった時代です。
今回、「日本時間」を検索しましたが、日本人は時間にルーズだという意味だとするサイトは発見できませんでした。標準時とまぎらわしいので、「京都時間」や「博多時間」と違って早くに絶滅してしまったのでしょう。
ところで、「ブータン、これでいいのだ」という本によると、ブータン人は会議に遅刻してきてもぜんぜん悪びれず、堂々としているそうです。そして、遅刻を怒る人もいないそうです。そういうことを怒る人は徳の低い人と見なされる傾向すらあるといいます。
もっとも、ブータンの中ではそれでいいのですが、外国と交流するときに当然摩擦が生じます。年内に空港ができる予定だったのに、まだ基礎工事の段階で、すでにツアーを企画していた外国の旅行会社からクレームが入るなどは日常茶飯事だということです(著者の御手洗瑞子さんはブータン政府の観光担当スタッフとして働いていた人です)。
今の日本人はきわめて時間に正確です。ということは、年中遅刻してはいけないと気をつかい、遅刻しそうになるとあせり、遅刻すると恐縮してペコペコと謝ります。時間に正確なおかげでビジネスはうまく回り、日本は豊かな国になりましたが、時間に正確であるための気苦労もたいへんです。
つまり物質的豊かさと精神的貧しさを引き換えにしているわけです。
最近、日本人はそういうことに気づいてきました。ブータンについての関心が高まっているのも、そういうことが背景にあるのではないかと思われます。
ところで、麻生太郎元首相の著書「とてつもない日本」の「はじめに」に日本人についてのエピソードが紹介されています。インドの地下鉄公団総裁がこのように語ったということです。
――自分は技術屋のトップだが、最初の現場説明の際、集合時間の八時少し前に行ったところ、日本から派遣された技術者はすでに全員作業服を着て並んでいた。我々インドの技術者は全員揃うのにそれから十分以上かかった。日本の技術者は誰一人文句も言わず、きちんと立っていた。自分が全員揃ったと報告すると、「八時集合ということは八時から作業ができるようにするのが当たり前だ」といわれた。
悔しいので翌日七時四十五分に行ったら、日本人はもう全員揃っていた。以後このプロジェクトが終わるまで、日本人が常に言っていたのが「納期」という言葉だった。決められた工程通り終えられるよう、一日も遅れてはならないと徹底的に説明された。
いつのまにか我々も「ノーキ」という言葉を使うようになった。これだけ大きなプロジェクトが予定より二か月半も早く完成した。もちろん、そんなことはインドで初めてのことだ。翌日からは、今度は運行担当の人がやってきた。彼らが手にしていたのはストップウォッチ。これで地下鉄を時間通りに運行するよう言われた。秒単位まで意識して運行するために、徹底して毎日訓練を受けた。その結果、現在インドの公共交通機関の中で、地下鉄だけが数分の誤差で運行されている。インドでは数時間遅れも日常茶飯事であり、数分の誤差で正確に動いているのは唯一この地下鉄だけである。これは凄いことだ。
我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない。むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ。労働に関する自分たちの価値観が根底から覆された。日本の文化そのものが最大のプレゼントだった。今インドではこの地下鉄を「ベスト・アンバサダー(最高の大使)」と呼んでいる――。
麻生氏は時間に正確なことは「日本の文化」だと認識して誇りに思っているようです。しかし、すでに述べたように、もともとの日本の文化は時間にルーズなものだったのです。
日本人がインド人よりも時間に正確なのは、単に先に近代化したということにすぎません。そんなことを日本文化の誇るべきことと思っているとすれば、思想が薄っぺらすぎます。
この手の思想の薄っぺらさは右翼全般に見られます。明治時代に欧米から輸入した文化を日本固有の文化だと勘違いしているのです。
話は変わりますが、橋下徹氏の日本維新の会と石原慎太郎氏の太陽の党が合併しました。原発、TPPなど重要な政策で一致しないのに合併するのは野合だとマスコミやほかの党は批判しますが、それでも合併するのはより本質的なところで一致しているからです。
たとえば2人の共同記者会見の場において、石原氏は橋下氏の衆院選出馬について、「次は殴ってでもやらせようと思っている」と語りました。
「スパルタ教育」の著者で戸塚ヨットスクールの支援者である石原氏と、体罰肯定論をテレビで公言してきた橋下氏は、「殴ってでも」という言葉で通じ合うことができるのです。
また、日本維新の会と太陽の党の合意文書の冒頭にはこう書かれています。
「強くてしたたかな日本をつくる」
タカ派の思いが集約された言葉です。
つまり橋下氏と石原氏はタカ派という点で強く結びついており、原発、TPPなどは大した問題ではないのです。
しかし、「強くてしたたかな日本」において日本人は幸せになれるでしょうか。
そもそも「強くてしたたかな日本」は日本本来の姿でしょうか。明治時代に輸入した欧米の価値観ではないでしょうか。
東日本大震災のとき、被災地の人々は悲惨な状況の中で互いに助け合い、その姿は世界の人々を感動させました。これこそが日本人の本来の姿であり、誇るべきものだと私は思います。
「強くてしたたかな日本」はいわば外に対しての強さであり、被災地の人々が示したのは芯の強さです。
どちらを選択するのかというのは、今回の総選挙の隠れた争点だと思います。
ところで、「日本時間」「京都時間」「博多時間」「津軽時間」などの言葉には、「自分たちは時間にルーズだがそれでいいじゃないか」というひそかな誇りがあったと思います。それがあるので、日本人はブータン人に親近感を持つことができるのだと思います。
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