「マリア・ブラウンの結婚」(1979年、西ドイツ製作)という映画は、戦後の混乱期をたくましく生きた一人の女性を描いた作品ですが、最後に主人公が死に、そこにラジオのニュースが西ドイツの再軍備決定を告げる中でエンドロールが流れます。主人公の人生の終わりと、西ドイツの“戦後の終わり”が重なるこのラストシーンが秀逸です。
この映画を観る限り、西ドイツの人にとっても再軍備決定は時代の大きな変化として受け止められていたようです。
西ドイツの再軍備は1955年のことです。当時の様子を「ドイツニュースダイジェスト」という雑誌のサイトから引用します。
55年11月12日、デオドール・ブランク国防相は志願兵101人に連邦軍への辞令を手渡した。連邦議会ではアデナウアー首相が、「無策によって、祖国と西欧がボルシェビキの支配下に置かれることがあってはならない」と力説。56年7月7日には、16時間に及んだ討議の末、兵役義務法が連邦議会を通過し、18歳から45歳までの全男子国民が12カ月の兵役義務を負うことになった。この法を免れるのは西ベルリン居住者だけ。東ドイツに囲まれた西ベルリンの住民は、すでに敵と対峙する“最前線”にいるとみなされたからだ。
各地で再軍備反対の声が上がったことは言うまでもない。敗戦からわずか10年。市民のデモ行進に「Ohne mich / Ohne uns(私はごめんだ!)」のプラカードが揺れた。
日本ではこのような明確な形の「再軍備」というのはありません。1950年、警察予備隊が創設され、1952年に保安隊に改編され、1954年に自衛隊となりました。
警察予備隊は戦車(当時の呼称は「特車」)まで備えていましたから、警察予備隊創設が実質的再軍備だとすると、西ドイツより5年も早いことになります(自衛隊発足が再軍備だとしても西ドイツより1年早い)。
警察予備隊創設はまだ占領下のことです。朝鮮戦争のために日本駐留の米軍が朝鮮に出動し、手薄になった分を補うためにマッカーサー元帥が吉田茂首相に要請しました。吉田茂首相はかりにその要請を拒否したかったとしても、拒否する権限はありません。
その意味では、日本国憲法が押しつけであったのと同じに再軍備も押しつけです。
それを押しつけと感じるかどうかは、各人の価値観によって違います。農地解放や財閥解体を押しつけと感じる人はまずいません。
憲法を押しつけと感じる人は再軍備を歓迎しますし、憲法を歓迎する人は再軍備のほうを押しつけと感じます。
中立的な観点から、占領下の日本は憲法と再軍備の両方を押しつけられたというのが正確な表現でしょう。
憲法は戦力の保持を禁止していますから、いわば違憲状態を押しつけられたわけです(アメリカは冷戦のために占領政策を途中で変えた)。
サンフランシスコ講和条約が発効して日本が主権を回復してからは、日本はみずからその違憲状態を解消できるはずですが、実際は半占領状態ですから、そういうわけにはいきません。そのため違憲状態が今日まで続いてしまったのです。
この違憲状態をごまかすためにいろいろな言葉が工夫されました。戦車を特車と言い換えたことはすでに触れましたが、歩兵のことを普通科、砲兵のことを特科と言ったりするので、知らないとなんのことかわかりません。
支援戦闘機という言葉もありました。次期支援戦闘機にどの機種を選ぶかということが連日のように新聞を賑わせていたことがありましたが、そのとき私は支援戦闘機の意味がわかりませんでした。
あとでわかったのですが、支援戦闘機というのは戦闘爆撃機のことです。「爆撃」という言葉は攻撃的でよくないので、地上支援もできる戦闘機ということで「支援戦闘機」という言葉を勝手に造語したのです。
「戦力なき軍隊」という言葉もありましたが、あらゆるやり方で違憲状態をごまかしてきたのです。
本当なら最高裁が自衛隊違憲判決を出してケリをつけるべきだったのですが、最高裁は結局、違憲判決を出すことを回避しました(長沼ナイキ訴訟)。
もちろん最高裁は合憲判決を出すわけにもいきません。憲法9条を読めば、どう考えても自衛隊は違憲だからです。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
たとえば中学生が初めてこの条文を読むと、「自衛隊は戦力じゃないの?」という素朴な疑問がわくに決まっています。
もっとも、この条文を読んでも自衛隊は合憲だと主張する人がいっぱいいるわけです。
たとえば自民党の石破茂幹事長は、民主党政権のときの田中直紀防衛大臣に対して、自衛隊合憲の根拠について質問し、まともに答えられなかった田中大臣に恥をかかせましたが、そのとき石破幹事長が自衛隊合憲論の根拠としたのが「芦田修正」です。
憲法草案を審議する衆院の委員会の芦田均委員長が「前項の目的を達するため」という文言を挿入したということで、これを「芦田修正」といいます。
しかし、「前項の目的を達するため」という文言が入っているから戦力が持てるなどという解釈などあるわけがありません。
この解釈は簡単です。宗教上の目的のために戦力を保持しない国があるかもしれないし、軍事費を惜しむ目的のために戦力を保持しない国があるかもしれないが、わが国は戦争を放棄するという目的のために戦力を保持しないのだと、戦力を保持しない目的を限定しているのです。
ですから、この文言によって日本は(単に軍事費をケチる国などではなく)平和主義ゆえに軍備を持たない国であることを明確にしたことになります(芦田均氏の意図はわかりませんし、なければよりすっきりしますが)。
とにかく「芦田修正」があるから自衛隊は合憲だなどというのはトンデモ説のたぐいです。
石破幹事長は今でも「芦田修正」があるから自衛隊は合憲だと思っているのでしょうか。もしそうなら、九条を改正する理由はなんでしょうか。
これまで違憲状態をごまかし続けてきたのをなんとかするのはいいことです。
ただ、ごまかしの上塗りをするのではよけい悪くなってしまいます。
これまでのごまかしの歴史を、最高裁の判断も含めてすべて明らかにして、そこから改憲論を始めるべきです。

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