安田浩一著「ネット私刑」を読みました。
安田浩一氏といえば「ネットと愛国」で在特会の実態を取材したジャーナリストです。
ネット私刑(リンチ) (扶桑社新書) 2015/7/2 安田浩一 (著)
内容(「BOOK」データベースより)
正義を大義名分にネットで個人情報を暴露・拡散する悪行=ネットリンチ。さらす人、さらされた人それぞれの実態に、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した気鋭のジャーナリストが迫る!川崎の中学生殺害事件の現場を直撃取材!
ヘイトスピーチなどネットで起こっていることは、リアルの世界にも影響を与えて、ますます重要になっています。
たとえば、自民党の大西英男議員が党の勉強会で「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」と発言しましたが、これはネットの中では昔から言われていて、実行もされてきたことです。
また、安倍首相は衆院予算委員会において、民主党議員に対して「日教組!」とヤジを飛ばし、さらに答弁で「日教組は補助金をもらっている」と述べましたが、これなどもまさにネットで見たことを真に受けたものでしょう。
本書には、上村遼太君が殺された川崎中1殺害事件、大津いじめ自殺事件、「ドローン少年」として逮捕された15歳の少年のこと、著者の知り合いである在日コリアンの女性が男子高校生から嫌韓のヘイトスピーチを受けた出来事、フジテレビへのデモの現場、フリーライターの李信恵氏や参議院議員の有田芳生氏へのヘイトスピーチなどが扱われ、ネット上で殺人犯扱いされたお笑い芸人のスマイリーキクチ氏へのインタビューも載っています。
大津いじめ自殺事件では、まったく無関係の人間が加害者側の親族として誤認され、プライバシーをあばかれ、勤務先に多数の抗議電話がかかってくるなど、たいへんな目にあいました。また、教育長がリアルで男子大学生に襲われるということもありました。このようなリンチを行う人間はどんな人間で、どのような論理で行っているのかということが具体的に書かれています。なんでもかんでも在日や反日や日教組のせいにする彼らの論理は、ネットでは当たり前になっていますが、こうして具体的に書かれると、そのおかしさが際立ちます。
たとえば「在日特権」のひとつとして大手マスコミには「在日枠」なる採用枠があって、そのために偏向報道が行われているなどということを真面目に信じているようなのです。
著者はネット上でヘイトスピーチやリンチをする人間にリアルで取材しているので、そこが本書の値打ちでしょう。
私がとくに興味深かったのは、大津いじめ自殺事件で無関係の人間を「加害者の祖父」としてネット上で攻撃し、刑事告訴されて罰金30万円の略式命令を受け、さらに損害賠償裁判も起こされているという30代無職の男性のことです。
著者は彼を取材しに行ったときのことをこのように書いています。
私は今回の取材で彼の自宅を訪ねた。
兵庫県内の山間部に位置する小さな町だった。彼はそこで両親とともに暮らしている。
彼の知人によれば、子どものころから人づきあいを苦手とするタイプだったという。地元の高校を卒業してからは仕事を幾度も替えた。どれも長続きしなかった。そこまではよくある話だ。今どき珍しくはない。
彼が熱中したのはネットだった。そしてハマった。朝から晩まで、寝る時間を惜しんでネットに夢中になった。「ネットの世界こそがすべてではなかったのか」と、その知人は話す。
自宅のドアを叩くと、顔を見せたのは父親だった。
父親は私が取材者だと知ると激怒し、そして落ち込んだ表情を見せた。
「親の気持ちがわかりますか?」
ため息とともに苦しげな声を漏らした。
「うちの子をあなたに会わせるわけにはいかない。わかってほしい」
顔に刻まれた深い皺が、父親の苦悩を表していた。なんとしてでもわが子を守りたいという愛情が伝わってくる。
「あの子なりの正義感だったとは思う。親として止めることができず、残念でならないんです」
パソコンの画面を見つめるだけの毎日。叱っても、励ましても、わが子は自室から動かなかった。
明け方になっても明かりの消えない部屋を、父親は情けない思いで見ていた。
父親はネットのことをよく知らない。自分とは違って、外に刺激も交流も求めないわが子を弱い人間だと思った。だから「強くなれ」と何度も叱咤した。今から振り返れば、それがプレッシャーになったのではないかとも感じている。
わが子が大津の事件に必要以上の興味と関心を抱いたことには、「心当たりがないわけではない」と漏らした。
「息子は子ども時代、私には何も言わなかったけれども、おそらくいじめられっ子だった。私も薄々とそのことは感じていた。今にして思えば父親として力になってやることができなかったのが悔しい。うちの子はそのときの傷を抱えたまま大人になったに違いない。いじめ事件に異常な反応を示したのも、そうした彼の経験が背景にあるのではないか」
そう話すと父親は、さらに深いため息をつき、下を向いた。
彼は彼の世界で闘っていたのだろう。理不尽ないじめに、そしてそれを許容している社会を相手に。
彼は自殺した少年の姿を自分と重ねていたに違いない。だから許せなかった。許してはいけなかった。情報の正誤など考えている余裕はなかった。
正義の名のもとに、彼は理不尽な社会悪を倒さねばならなかったのだ。
30万円の罰金刑を受け、警察からも相当に絞られた。そうしたこともあり、わが子も深く反省をしているという。
だが、私が訪ねた日も、彼は自室でネットの世界に籠もっていた。
「私の闘いはまだ続いているんですよ」
苦悩で震える父親の声は、一筋縄ではいかない未来を暗示しているようでもあった。
私は前から、ネットリンチをする人間はたいてい学校でいじめを体験しているに違いないと思っていましたが、彼はその典型的な例です。
ちなみに著者の安田氏も子どものころ転校を繰り返していじめられ、いじめられないために自分もいじめるという経験をしたそうです。
学校がどんどん息苦しくなり、その影響が社会全体に及んでいる気がします。
それから、この父親は息子がいじめられていることを薄々知りながら、なにもしませんでした。いや、息子を叱咤したことがいじめみたいなものです。そのため息子は引きこもり状態になってしまったのではないでしょうか。
ちなみに大津いじめ自殺事件において、私は自殺した少年は家庭で父親から虐待を受けていて、学校でのいじめよりむしろそれが自殺の主な原因ではないかと推測し、そういう観点からこのブロクでいくつも記事を書きました(「大津市イジメ事件」というカテゴリーにまとめてあります)。
酒鬼薔薇事件の元少年Aも母親からひどい虐待を受けていました。
この国は、学校と家庭の両方で生きづらくなっており、それがネットリンチやヘイトスピーチやさまざまな犯罪となって現れているのではないかと思います。
「ネット私刑」を読んで、改めてそのことを感じました。
コメント