内閣改造で加藤勝信氏が「一億総活躍担当大臣」に就任しました。
この「一億総活躍担当大臣」という名称が少々物議をかもしています。
当然でしょう。「一億総活躍」というのはあくまでスローガンで、それを役職名につけるというのはこれまでの常識にはありません。
最近の安倍内閣はどんどん言葉が軽くなっています。
安保法案のことを「平和安全法案」と名付けたのはその最たるものです。
「新三本の矢」には、2020年度にGDPを600兆円にするという目標が掲げられていて、エコノミストや経済界から不可能だという声が上がっています。
また、「介護離職ゼロ」という目標もあります。介護離職というのは、家族の介護のために仕事を辞めることで、年間10万人程度にのぼるそうです。しかし、どんなによい介護施設や訪問介護システムができたところで、他人の手ではなく自分の手で介護したいという人はいるはずです。GDP600兆円はなんかの間違いで達成できてしまうかもしれませんが、「介護離職ゼロ」の達成は絶対に不可能です。
「一億総活躍」も絶対に達成不可能な目標です。あくまでスローガンです。
しかし、このスローガンは病人やハンディキャップのある人を無視しているので、差別的です。
それから、「活躍」に価値を置くというのは、日本人の伝統的な価値観に反します。
表に出て活躍する人がよくて、活躍しない人はよくないという価値観は、アメリカ的なものでしょう。
「縁の下の力持ち」という言葉がありますが、ここに日本人の価値観が表れていると思います。
もっとも、私が子どものころ、この言葉を聞いたときはあまりいい気がしませんでした。「誰からも評価されなくても働け」と言われている気がしたからです。
しかし、社会に出て仕事をしてみると、誰からも知られずに他人のミスをカバーするといったことの重要性がよくわかります。
しかし、最近「縁の下の力持ち」という言葉はさっぱり聞きません。死語になったのでしょうか。
マンション住まいなどで縁の下というものにイメージのわかない人が増えたこともあるのかもしれません。
「縁の下の力持ち」の類義語を調べてみましたが、同じ意味の言葉はなさそうです。「裏方」という言葉はありますが、裏方の働きは知る人は知っています。「縁の下の力持ち」は誰からも知られないところで重要な働きをすることです。
「一億総活躍」という言葉は、「進め一億火の玉だ」や「一億総玉砕」という昔の日本の言葉を下敷きにしています。その上にアメリカ的な、新自由主義的な価値観が乗っているので、木に竹を接いだようなおかしさがあります。
もっとも安倍首相ら日本の右翼は、軍国主義的な価値観を持ちつつアメリカへの従属を深めているので、これも同じパターンです。

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