村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: セックスとジェンダー

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動物は基本的に利己的ですが、社会性動物は利他的な行動もします。
利己的行動と利他的行動の見分けはむずかしく、とくに人間の場合は、「世のため人のため」とか「あなたのためだから」などと言いながら利己的行動をするので、見分けはいっそうむずかしくなります。
人間は利己的行動を利他的行動に見せかけているうちに、利他心が空洞化し、愛情や思いやりや寛容が次第に失われてきました。
その結果、世界には戦争を頂点とする争いが増え、ネットにはヘイトスピーチや誹謗中傷があふれ、家庭には暴力や強権的支配が蔓延しています。
「愛情過少社会」こそが人類の直面する最大の問題です。


この問題を解決するには、利己的行動と利他的行動をきちんと識別することです。ごまかしがなくなれば、本来の利他心や愛情が回復するはずです。

ただ、ここで障害になるのが家族関係です。
家族は愛情で結ばれているものだという思い込みがあるからです。
そのため家族関係の暴力は「愛のムチ」と呼ばれて正当化されてきました。
最近はさすがに「愛のムチ」という言葉は死語になりましたが、暴力がなくなったわけではありませんし、暴言は当たり前に存在します。
暴言を暴言として認識しなければなりません。

暴言といってもいっぱいありますが、会社で働いている男が「会社でいやなことがあっても家族のためにがまんして働いている」と言うケースを取り上げてみます。
「家族のために働いている」と言う男はいっぱいいて、暴言とは認識されていませんが、果たしてそうでしょうか。


朝日新聞に『(仮面夫婦:4)我慢してきたのに、突き放され 在宅勤務でほころび 妻「気持ち冷めたが、離婚しない」』という記事があったので(有料記事)、そこから要所を引用します。

「気持ちが冷めてしまった。でも、離婚する気はないから」

近畿地方の会社員の男性(61)はある日突然、50代の妻に告げられた。
共通の趣味を通じて出会った妻と結婚したのは約30年前。大手メーカーで働く男性は転勤が多く、大都市を転々とした。2人の息子が転校を嫌がるようになった後は、長らく単身赴任が続いた。

妻との関係にほころびが生じ始めたのは、新型コロナウイルス禍がきっかけだった。
2020年春。会社の方針で在宅勤務に切り替わったため、単身赴任先から近畿地方の自宅に戻った。久しぶりに一緒に暮らせることになり、妻は温かく迎えてくれた。
でも、肝心の在宅勤務になじめなかった。パソコンを使うのが苦手で、社内ネットワークの接続方法が分からず、四苦八苦した。やるべき仕事ができず、だんだんとストレスがたまっていった。
心療内科で適応障害と診断され、仕事を半年間休んだ。心身のバランスが崩れると、気が短くなり、怒りっぽくなる。この頃、男性は家の中で、ずっと不機嫌だった。妻には「私たち家族に当たり散らしている」と言われた。
(中略)
息子たちが家を出ると、妻は洗濯物の出し方など細かいルールを指図し始めた。寝室も一緒だったのに、妻は子ども部屋で一人で寝るようになった。妻との距離が離れていくような気がした。
関係を改善したい一心で、洗濯物を干したり、洗い終わった食器を拭くようにしたりした。それでも、何も変わらなかった。
「65歳で定年になったら、あなたが料理して」と妻に言われ、「こっちの意見も聞かず、どうして勝手に決めるんだ」と言い返して、そのまま口論になった。
(中略)
これまでの会社人生は、理不尽なことも多かった。人員が足りないという理由で突然、部署が異動になったり、上司にひどいことを言われたり。
息子たちの教育費を考えると「会社を辞めたい」とは言えなかった。家族のために歯を食いしばって我慢してきたつもりだ。
それなのに、そのがんばりを家族は全く理解していない。「何のために、自分は我慢してきたのだろう」。そんな疑問が拭えない。
(後略)

適応障害の診断を受けるぐらいなので、仕事ではつらい思いをしたのでしょう。
家族から同情され、慰められてもいいはずです。
しかし、そうなっていません。
そうならない理由は明白です。
この男性は適応障害と診断されたころ、気が短くなり、怒りっぽくなり、ずっと不機嫌だったのです。
妻からは「私たち家族に当たり散らしている」と言われました。
弱っている人間、落ち込んでいる人間には同情しますが、怒っている人間、自分に当たってくる人間に同情はしません。

男性は「妻は洗濯物の出し方など細かいルールを指図し始めた」と言いますが、これは「洗濯物の出し方などを教えてくれた」と認識すれば問題はありません。
「指図」という言葉を使うところに男性の不快感が表れています。

「関係を改善したい一心で、洗濯物を干したり、洗い終わった食器を拭くようにしたりした」と言いますが、家事をするのは、それが必要なことだからするのです。関係改善のためにするのでは、恩を着せていることになり、そういう気持ちが態度にも表れているのでしょう。

『「65歳で定年になったら、あなたが料理して」と妻に言われ、「こっちの意見も聞かず、どうして勝手に決めるんだ」と言い返して、そのまま口論になった』ということですが、意見はいつでも言えるのですから、要は料理をしたくないのでしょう。
「指図」とか「こっちの意見も聞かず」という言葉だけを見ると、妻の態度が不当なようですが、妻は普通のことをしているだけです。


そして、すべてのもとにあるのが男性の「家族のために歯を食いしばって我慢してきた」という認識です。
家族のためにがまんしたのに、家族は感謝してくれない。その不満が怒りとなって家族に向けられ、家族からはさらに冷たい態度が返ってくるのです。
二人の息子からも「いつも不機嫌で嫌だ」と言われ、就活中でもまったく相談されなかったということです。

会社勤めをしていれば理不尽な目にあうこともあるでしょう。そういうことも含めて給料をもらっているのです。
そのときのがんばりは、上司に認められなくても同僚や部下はわかってくれているはずです。
しかし、家族にはまったくわかりませんから、家族に感謝を求めてもむだです。
会社から給料をもらって、さらに家族に感謝を要求するのは余計です。
一人暮らしの独身者も家族持ちも同じように働いていることを考えればわかります。

妻が仕事しているか否かは記事に書いてありませんが、専業主婦のような感じです。
「夫は仕事、妻は家事」という性別役割分業で双方が納得しているなら、悪いとはいえません(家事育児だけをする妻に満足する男はどうかと思いますが)。
しかし、金を稼いでいるほうが上の立場になり、「権力は腐敗する」の言葉通りに夫が次第に横暴になるというのはありがちなことです。
横暴な夫の決め台詞は「食わしてやっている」で、これが暴言であることは明らかです。
「家族のために働いている」は暴言とはいえませんが、この認識によって家族に感謝を要求し、感謝が得られないと横暴になるので、実質的には暴言と同じです。


「自分のため」を「家族のため」とごまかすようなことはいたるところにあります。
たとえばアメリカは世界中に基地を設けて米軍を駐留させ、覇権国家となっています。覇権国家であることによってアメリカは利益を得ているわけです。日本はアメリカと繊維、農産物、自動車、半導体などで貿易摩擦を経験してきましたが、ことごとくアメリカに譲歩しました。アメリカが覇権国家だからです。
ところが、トランプ大統領は前から「アメリカは同盟国を守っているのに同盟国はアメリカになんの貢献もしない。われわれは食いものにされてきた」と主張し、9月14日にはSNSにイラン戦争について「われわれに何の助けも与えなかった世界の国々は、この詐欺のような戦争がすべて終わった時、米国に補償しなければならず、そうすることになる」と投稿しました。

家庭でも世界でも同じです。
利己的行動を利他的行動だと偽ることで、家族関係も国家関係も破壊されます。
利己的行動と利他的行動をきちんと認識することが家庭円満と世界平和の実現につながります。

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7月半ばの各社の世論調査で高市内閣の支持率が急落しました。
国旗損壊罪、武器輸出解禁、皇室典範改正など、国民生活に関係ないことばかりやっていて、中でも皇室典範改正案が男尊女卑丸出しだったことが大きかったのかと思います。

そうしたところに高市首相は7月20日、Xに長文を投稿し、自分がいかに働いているかをアピールしました。
これで人気回復をはかろうとしたのでしょうか。
しかし、さんざんな評判で、完全に逆効果になりました。

高市首相がアピールしたのは、自分が土日もいかに仕事をしているかということです。
7月に入って最初の土日は、『骨太方針』『日本成長戦略』『地域未来戦略』に関する分厚い資料を早朝から深夜まで読み続け、2週目は与党審査で加筆修正された部分を熟読検討し、先週末までは国会答弁に備えた資料読みやペン入れなど書類の山と格闘していたということです。
そして、「総理就任以来、0時間〜3時間睡眠が常態化」と“寝てない”アピールをしました。

人の上に立つ人間は部下に仕事を任せることがたいせつで、その点で高市首相の働き方には疑問がありますが、それよりも問題なのは睡眠時間が足りないことです。
睡眠不足の脳で重要なことを決断されたのでは国民は不安です。
“寝てない”アピールは完全に失敗でした。

それから高市首相は、自分がいかに家事をやっているかをアピールしました。
その部分を引用します。
平日は、公邸に戻ってから、風呂掃除、入浴、夕食、夕食後の洗い物、洗濯、簡単な掃除まででプライベートな時間は精一杯で、後の深夜時間帯は明け方まで官邸から持ち帰りの資料読みや国会答弁資料読みに追われます。

今日のお休みは本当に有難く、久々に5時間も睡眠を取れた上(総理就任以来、0時間〜3時間睡眠が常態化)、昼からは、手付かずだった大量の洗濯後のハンカチやインナーのアイロンかけと、お裁縫(スカートの裾のほつれのまつり縫いやジャケットの緩んだボタンの補強)を一気に処理。

私は特にアイロンかけが下手で時間がかかるので、つい先延ばしにしていた結果、スーツに合わせるインナーが殆ど無い状況に。
これで会期末までのハンカチとインナーを確保でき、明日から又、頑張れます!

20日は「海の日」で、3連休の最終日でした。
平日も毎日ひと通りの家事をやっていて、やりきれなかった部分を3連休の最終日にやれたということをいっていて、主婦業もぎりぎりのところでがんばっているというアピールです。

しかし、ほとんどの国民は、なぜ首相が主婦業をやっているのかと疑問に思うでしょう。
掃除、洗濯、裁縫などは人を雇ってやってもらえばいいのです。
そうすればもっと睡眠時間を確保できます。

蓮舫議員も「総理大臣として、何を伝えたいのか。何のアピールなのか。総理の忙しさ、その重責はもちろん理解していますが、あえて家事にも触れる理由がわからない」とXに投稿しました。


高市首相のひとつの勘違いは、「睡眠時間を削って働いている」とアピールすれば国民に受けると思ったところです。
首相の仕事は、長時間労働すればいいというものではなく、お粗末な勘違いです。

もうひとつの勘違いは、「主婦業もやっている」とアピールすれば国民に受けると思ったところです。
首相の仕事をしながらも、つくろいもののような家庭的なこともしていると示せば、“女の鑑”とほめたたえられると思ったのかもしれません。
しかし、保守的な価値観の人でも、首相がつくろいものや掃除や洗濯をする必要はないと思うでしょう。ましてや睡眠時間を削ってまですることではありません。


高市首相は今回の投稿では触れませんでしたが、夫の介護もしています。
夫の山本拓氏は昨年2月に脳梗塞を発症し、右半身不随になりました。
最初は国会議員である高市氏が家庭で介護していましたが、首相に就任したとなると、さすがに首相業と介護の両立はむりでしょうから、私は夫は施設に入ることになるだろうと思いました。
ところが、首相就任後も介護を続けていることがわかり、私は驚いて「高市首相の信じられない介護生活」という記事を書きました。
その後も高市首相の家庭生活について3本の記事を書いています。

『高市首相はいつまで「介護する嫁」を続けるのか』
「高市夫婦はなぜ公的サービスを拒むのか」

家庭生活、家族関係は国家の根幹です。
首相の家庭生活はとりわけ重要なので、しつこく追究しました。

たとえば高市首相はほとんど会食をしないので、党幹部らとコミュニケーションがとれていないといわれます。
高市首相はもともと会食とか飲み会が嫌いなようですが、それだけではなく、夫がお腹を空かせて高市首相の帰りを待っているという事情もあって会食をしないのです。

家庭生活の実態は、高市首相本人から断片的に発信されますが、マスコミはほとんど取り上げないので、多くの国民は高市首相が家事全般をこなしながら夫の介護もしていることを知らないでしょう。
高市首相が夫の介護をするのは、夫自身が高市首相に介護してもらうことを望んでいるという事情があります。
高市首相がどうしても夫の気持ちに応えたいというなら、外からとやかく言うことではないかもしれません(私自身は首相が介護するべきでないと思いますが)。
しかし、掃除、洗濯、食後の食器洗いなどを高市首相がやる必要はありません(食事は宅配冷凍食品を利用しているようです)。


高市首相は昨年末に夫とともに首相公邸に引っ越しました。
公邸には会議や会食のできる部屋がいくつもあり、料理人も掃除する人もいます。
高市首相が掃除しているのは寝室、居間、台所、浴室などのプライベートな領域だけでしょう。
しかし、その掃除も公邸スタッフがやればいいのです。
食事の支度も食器洗いも料理人がやればいいのです。
そうすれば高市首相は家事から解放されます。
なぜそういう体制にしないのでしょうか。


高市首相は日本で初めての女性首相で、これまでの首相はすべて男性でした。
公邸に首相一家が引っ越すと、首相の妻が専業主婦として家事をしたので、公邸スタッフは手出しする必要はなかったのでしょう。
しかし、高市首相の場合、夫は専業主夫が務まるどころか、介護が必要な身です。
となれば、高市首相に仕事に集中してもらうには、家事と夫の介護を周囲がサポートすることが必須です。
ところが、公邸スタッフも高市事務所の秘書たちも自民党幹部もそうしたことをまったくしていません。

高市首相がそんなことはしなくていいと言ったのかもしれませんが、周りはそんな言葉に応える必要はありません。
高市首相も掃除や洗濯が好きでやっているわけではないので、周りに掃除や洗濯をしてくれるという人がいれば受け入れるでしょう。
公邸スタッフが執事やメイドをやればいいのです。

国民も高市首相が家事と夫の介護をしていることに無頓着です。
無頓着なのに、高市首相の睡眠不足は批判します。
もちろん高市首相には、仕事を一人で抱え込んだり、家事や夫の介護を人に頼まなかったり、睡眠不足を自慢したりと、批判されるべきところはいっぱいあります。
しかし、批判されるべきは高市首相だけではありません。


考えてみれば、国民も女性首相を受け入れる準備ができていませんでした。
そのため、国民は高市首相がどの程度家事をしているのかといった基本的なことも知りません。
蓮舫議員も、「家事にも触れる理由がわからない」と批判しましたが、高市首相の家事労働の実態を知ろうとする気はないようです。

高市首相の選択的夫婦別姓反対や男尊女卑の皇室典範改正などの政策も、高市首相の家族関係と無関係ではありません。
高市首相の「ワークライフバランス」について国民的な議論が必要です。

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男性俳優は美人女優とキスができてうらやましい――なんていう話をしたことのある男性は多いでしょう。
ベッドシーンの撮影になると、いつもよりたくさんの人がスタジオに集まるという話もよく聞きます。
映画やドラマには恋愛や性的な要素の入ることが多く、そのため一般の人は、演技の世界ではキスやボディタッチは当たり前のこととされていると思うかもしれません。
しかし、ストーリー上の必然性がないのに、相手のいやがるキスやボディタッチをすれば、それはセクハラです。一般の世界と同じです。

フジテレビのドラマ「夫婦別姓刑事」において、佐藤二朗氏が共演した橋本愛氏に対してハラスメント行為をしたと週刊文春が報道しましたが、佐藤氏の所属事務所は「専門家からも佐藤の言動がハラスメントにあたるものでないと、確認を得ています」とコメントし、佐藤氏も反論しました。
そのため、悪いのは佐藤氏か橋本氏かという議論が起き、さらにはフジテレビが悪いという三つ巴の議論になっています。
ここで問題を整理し、正しい結論を得たいと思います。

フジテレビは7月7日、約5300文字からなる声明を発表しました。フジテレビは弁護士も入れて橋本氏側と佐藤氏側の両方から聞き取りをしているので、事実関係はこの声明に基づいて書くことにします。


橋本氏は「夫婦別姓刑事」に出演するに当たり、過去の出来事のトラウマから男性との接触が苦手なので配慮してほしいとフジテレビに要望し、フジテレビは了解の上でキャスティングしました。フジテレビはこのことを佐藤氏に伝えるべきかと佐藤氏のマネージャーと話し合いましたが、佐藤氏のマネージャーからは佐藤氏の演技に悪い影響があるかもしれないので知らせないほうがいいとの意向が示され、フジテレビはそれを受け入れ、橋本氏側の事務所も了解しました。
ですから、橋本氏に身体接触について制限のあることは佐藤氏だけが知らないことになりました。
ここに最初のボタンの掛け違いがありました。

撮影中、車内において佐藤氏が橋本氏の顔に触れることがありました。これについては橋本氏側もセクハラ行為とはせず、問題視もしていませんが、これを機に橋本氏側事務所社長から佐藤氏本人にも配慮事項を伝えてほしいとの要請がありました。
これを受けてフジテレビのプロデューサーは佐藤氏本人に対して橋本氏側の要望を伝えました。

その後、橋本氏への身体接触はどの程度まで許容範囲なのか確認したいと佐藤氏から申し出があったので、プロデューサーは橋本氏の所属事務所社長も交えた形で協議することを提案しましたが、その協議の場が整う前に佐藤氏は橋本氏の楽屋を訪れました。その楽屋には佐藤氏と橋本氏のほかに橋本氏の現場マネージャーも同席していましたが、そのとき佐藤氏から橋本氏に対して「演技に制限があるのであれば事前に言うべきである」旨の発言がありました。

演技に制限のあることは最初からフジテレビに伝えられ、佐藤氏のマネージャーも知っていましたが、そうした事情を佐藤氏はこの時点でも理解していなかったわけです。
佐藤氏と佐藤氏のマネージャーの間のコミュニケーションに問題のあることは明らかです。

フジテレビは最初からすべてを佐藤氏に伝えるべきだったでしょう。その点でフジテレビが批判されるのはわかります。
ただ、佐藤氏のマネージャーは伝えるべきではないと判断しました。佐藤氏のことをもっとも熟知しているマネージャーの判断は無視できません。
なぜ佐藤氏のマネージャーは佐藤氏に伝えるべきでないと判断したのでしょうか。
おそらく佐藤氏に伝えると、面倒なことになるとの予感があったのでしょう。
果たせるかなその予感は的中しました。


佐藤氏による楽屋訪問があったあと、佐藤氏、橋本氏、橋本氏の所属事務所社長・現場マネージャー、プロデューサーによる話し合いの場が設けられ、事前の承諾が必要な身体的接触の範囲について確認し合い、合意に至りました。
その約2週間後の4月8日、佐藤氏は再び一人で橋本氏の楽屋を訪れ、そこには番組スタッフ一名もいました。佐藤氏は完成したドラマ映像を見て感動したと言いましたが、その一方で、相手役に対し身体的接触に関する一定の制約を設けるのであれば俳優の仕事を続けるべきではないし、夫婦役の出演の依頼があっても受けるべきではないと述べました。橋本氏はその発言の内容や口調の強さに激しく動揺し、しばらくの間、涙が止まらない状態になったということです。

週刊文春とフジテレビはこれをハラスメントと認定しました。
発言内容が橋本氏のキャリアと人格を否定するもので、佐藤氏は橋本氏より格上の俳優で、身体的力も上ですから、パワハラということになります。

ただ、「身体的接触に制約があるなら俳優を続けるべきではない」とか「夫婦役の仕事は受けるべきではない」というのは演技に関することです。
佐藤氏のようなキャリアのある俳優、とりわけコミカルな演技もでき、映画監督をして脚本も書くなど幅広く活躍している俳優が演技に関して強く主張すると、説得力があります。
それに、佐藤氏はアドリブが得意な俳優で、演技に制限があればアドリブ能力が十分に発揮できないという事情もあります。
そうしたことから佐藤氏擁護、橋本氏批判の声が多いのではないかと思います。

しかし、俳優としてそれなりの実績のある橋本氏に対して「俳優の仕事を続けるべきでない」というのは、キャリアと人格の否定であるのは明らかです。
「夫婦役の仕事は受けるべきではない」というのも余計な口出しです。夫婦といってもいろいろあり、小津安二郎監督の映画に出てくる夫婦なら身体的接触はほとんどありませんし、仮面夫婦の場合もあります。


では、なぜ佐藤氏は「俳優を続けるべきではない」というような強いことを言ったのでしょうか。
佐藤氏はXにおいて「ステレオタイプの『か弱い若い女性』と『典型的な昭和のパワハラオヤジ』を完全に創作してる」と週刊文春を批判しました。
しかし、そのあと「最大級の『注意』や『警戒』が必要と痛感していた僕が、そんな態度を取れる訳がない」と続けています。
つまり自分は「昭和のパワハラオヤジ」のようなことをしかねないという自覚があったのです。
佐藤氏のマネージャーもそれがわかっていたので、橋本氏側の要望を伝えたくなかったのでしょう。


男性が女性に身体的接触をするのは性的な意味もあります。
清純派の女優とかアイドルに対して身体的接触はやめてくれという要望なら、佐藤氏は受け入れたでしょう。それは芸能界の力学に従うことだからです。
しかし、橋本氏のトラウマに対して配慮するというのは橋本氏個人に対しての配慮です。
男尊女卑の「昭和パワハラオヤジ」が若い女性に配慮するのは下心のあるときだけです。

佐藤氏は橋本氏への配慮を求められてブチ切れたのです。
佐藤氏が言ったのは、「セクハラされるのがいやなら女優をやめろ」ということです。
こんな暴言が許されていいはずありません。

ただ、演技の世界のことなので「夫婦役では必要」とか「アドリブの妨げ」とか説明されると、そんなものかなと思う人もいるようです。
しかし、俳優の意見はほかの俳優に押しつけるものではありません。どうしてもほかの俳優に意見を言いたいなら、三谷幸喜氏が言ったように必ず演出家かプロデューサーを介して行うべきです。

佐藤氏は橋本氏に「俳優をやめろ」という暴言を吐き、橋本氏を傷つけましたが、それを橋本氏やフジテレビやマスコミのせいにしました。
それがこの混乱の原因です。


なお、佐藤氏の所属事務所フロム・ファーストプロダクションは、本木雅弘氏、山下真司氏、清水美砂氏らを擁する、少なくとも中堅以上の芸能事務所で、しかもバーニング系列です。
橋本氏の所属事務所は3人のタレントがいるだけの弱小芸能事務所です。
この力の差が芸能マスコミの論調に影響を与えていることにも注意する必要があります。
たとえば佐藤氏が自分のマネージャーとコミュニケーションがとれていないことなどはまったく指摘されていません。

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河野洋平氏が亡くなりました。
自民党の中にあってハト派、リベラルを貫いた人でした。
日本が世界から評価される国になったことには河野氏の業績が少なからず貢献しています。

河野氏の業績のひとつが、従軍慰安婦問題について官房長官として「河野談話」を出したことです。
保守派は慰安婦について「ただの売春婦だった」「高給を取っていた」「親に売られた」「軍の関与はなかった」「強制連行はなかった」などと言って、謝罪を拒否していました。
そうした主張のもとにあるのは性差別、人種(朝鮮人)差別、職業(売春婦)差別という差別の三段重ねです。
こうした醜悪な主張は、韓国の反発を招くのはもちろん、世界に知られたら日本が恥をかくだけです。
そうしたときに宮澤喜一内閣の河野官房長官は、軍の関与を認め、「おわびと反省」を表明した談話を出したわけです。
現在、高市首相が韓国の李在明大統領ときわめて親密な関係でいられるのは、河野氏のおかげといっても過言ではありません。

もっとも、「河野談話」のあとも慰安婦問題は続きました。
慰安婦問題の主な論点は、「軍の関与」と「強制連行」の有無です。

慰安婦問題は、慰安婦にされた朝鮮人女性の人権問題であり、朝鮮を植民地支配していた日本の責任になりますが、保守派は慰安婦の募集や慰安所の運営は民間業者のやったことなので、日本政府が謝罪することではないと主張しました。
民間業者も日本政府の支配下にあるのですが、保守派がもっぱら守りたいのは「軍国日本の名誉」なので、「軍の関与」がないということを重視したわけです(「戦後日本の名誉」はどうでもいいようです)。
しかし、政府は当時の公文書などを調査し、「軍の関与」があったことを明らかにし、「河野談話」に盛り込みました。
ただ、「強制連行」についてはあいまいなところがありました。

朝日新聞は、当時の官憲が一般民家に押し入り、娘を拉致して慰安婦にしたという記事を書きましたが、これは証言者の虚言によるものだったとして、のちに記事を取り消しました。
保守派は朝日新聞の“天下の誤報”だとして、「強制連行はなかった」という主張にはずみをつけ、「慰安婦はただの売春婦なので政府の謝罪は必要ない」という主張に結びつけました。


ここには「強制」という言葉の問題があります。

2017年の刑法改正により「強姦罪」を引き継ぐ形で「強制性交等罪」が創設されました。
さらに2023年の刑法改正により「強制性交等罪」は「不同意性交等罪」へと名称を変え、内容も変わりました。
「強制性交等罪」の条文には「暴行又は脅迫を用いて」という文言がありましたが、現実には男性は体格も腕力もまさっているので女性は殺されるか傷つけられるという恐怖を覚えて抵抗せず、男性は「暴行又は脅迫」を用いるまでもなく性交の目的を達成することがよくあります。
このようなケースが裁判になると、「暴行も脅迫もなかった」「女性は抵抗しなかった」ということで男性が無罪になってしまうことが多かったのです。
しかし、「不同意性交等罪」においては、「暴行又は脅迫」がなくても、「被害者の同意」がなければ罪に問えることになりました。また、身体的な力だけでなく、社会的な権力を使っての性的な行為の強要も罪に問えることになりました。

このような変更は社会の価値観の変化を反映したものですが、世の中には古い価値観のままの人間もいます。
たとえば松本人志氏と中居正広氏がそうでしょう。
二人ともひじょうに大きな社会的な力を持っているので、「暴行又は脅迫」を使わずに女性に性的行為を強要することができ、それを女性の同意があると思っていたのでしょう。
ですから、松本氏は女性から告発されたとき、不当な告発だと感じ、戦う姿勢を示しました。
しかし、記者会見をして質疑応答をすると自分が不利になるということも感じたのでしょう。松本氏は最後まで沈黙していました。

中居氏は松本氏のことを見ていたので、自分が女性から告発されたとき、すぐに示談に動いて、9000万円超という破格の示談金を支払ったとされます。
しかし、結局情報がもれて、中居氏は芸能界引退に追い込まれました。

松本氏と中居氏については、関係者や応援団がいろいろ言っていましたが、本人はほとんど発信しませんでした。
刑事事件になれば本人が証人席に立つでしょうが、松本氏の週刊文春が報じた事件は時効が成立していましたし、中居氏の事件は示談が成立していたので、警察も手を出さなかったのでしょう。
そうしたところに、お笑いトリオ・ジャングルポケットの斉藤慎二被告が番組スタッフの20代女性にロケバス車内で性的暴行を働いたという事件が報じられました。
この事件は起訴され、現在裁判が進行中なので、斉藤被告本人の主張も明らかになっています。


弁護側の被告人質問に対して、斉藤被告は被害者のAさんについてロケバス内で一緒になった際の会話で「自分のことについてかなり詳しく知っていて、『トリオの中で斉藤さんが一番好きです』と言われ、自分に好意を持ってくれてるんだなあと思った。会話をわざと盛り上げようとしている感じではなかった」と答えた。

 ロケの一軒目と二軒目の間のバスの中で、斉藤被告はAさんとキスをしたが、Aさんが「うれしいです。幸せです。きょう一日頑張れます」と話したといい、同被告は「やっぱり喜んでくれてると思った」と語った。

「口腔(こうくう)性交」に至ったのは最後の店でのロケが終わった後で、斉藤被告は誰もいないバスの中で、「30度を超える暑さの中でのロケだったので私服に着替えようとしていた」といい、そこに「Aさんがバスに乗ってきた。Aさんはバスに残る必要がないのになぜ戻ってきたんだろう。もっと自分と一緒にいたいんじゃないか、と思った」と説明。「気持ちが高ぶって、Aさんとそれ以上のことをしたいと思った」という。

 斉藤被告は「バスの中の映像でも音声でもあれば、自分が無理やりしていたわけじゃないことがわかるはずで、それが残っていないと分かった時は絶望しました」と語った。
https://www.chunichi.co.jp/article/1260564
斉藤被告が「(バスの中の映像や音声が)残っていないと分かった時は絶望しました」と語ったのは、「暴行又は脅迫」がないと立証できれば無罪になると思っていたからでしょう。
しかし、それは昔は一般的だったかもしれませんが、間違った考えです。


被害女性は証人尋問において「初対面で、斉藤被告が妻子持ちであるのも知っていたので、仕事中のロケバスでキスをしてくるのは異常じゃないかと思って怖くなった」「本当に気持ち悪くて屈辱的だった」と語りました。

女性の母親は、事件当日について「娘から『ジャンポケ斉藤めっちゃ気持ち悪いんだけど。チューしようとしてきた』という内容のLINEが来た」と証言しました。
そして、娘から帰宅後に具体的な行為を聞かされた際「とにかくまずうがいをしてと言った。娘の体が汚れてしまってすごく嫌だった」と心境を語りました。


「強制連行はなかったので日本政府は慰安婦問題で謝罪すべきでない」という主張は、斉藤被告の主張と実質的に同じですし、おそらくは松本氏や中居氏の主張とも同じでしょう。
もちろん間違った考えです。強制連行のあるなしは重要ではありません。
ところが、この主張がどんどん広がり、「河野談話」が無視されかねない事態になりました。
そのため日韓関係の悪化を懸念したオバマ政権が介入して、安倍首相は「おわびと反省」を含む「日韓合意」を発表しました。
保守派は安倍首相が「おわびと反省」を表明したので、それ以上主張することはできず、慰安婦問題は終了しました。
今は「慰安婦」問題ではなく「慰安婦像」問題がときどきくすぶるだけです。


日本はあわや世界から松本・中居・斉藤氏的な価値観の支配する国と見なされるところでした。
そうならなかったのは「河野談話」のおかげなので(オバマ政権による“ガイアツ”もありましたが)、高市首相は河野洋平氏に感謝しなければなりません。

なお、高市首相はかつて「中学生に従軍慰安婦問題を教えるのは不適切」「従軍慰安婦という言葉は当時はなかった」「強制連行があったと断定するのは不適切」などと、保守派として定番の主張をしていました。
こうした過去発言が蒸し返されないことにも感謝しなければなりません。

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高市内閣の支持率は、FNN世論調査(5月17日までの2日間)で68%、5月の共同通信世論調査で61.3%と、まだかなり高い水準を維持しています。
アンチ高市の人はこの高支持率をうまく説明できません。
高市首相は強烈な保守思想の持ち主なので、そこにとらわれてしまって、高市首相の全体像が見えないからです。

高市早苗首相がトランプ大統領に飛びついてハグし、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」と言ったとき、そこに「男に媚びる女」を見た人は多いでしょう。
自民党という男社会で出世するには、安倍首相や麻生副総裁など力のある男に媚びざるをえなかったのでしょうが、そうした姿を外交の場で見せるのは“国辱”ものです。

そういうふうに思っていたら、北原みのり氏の「AERA」のエッセイに「高市さんは『媚び方が下手である』」「むしろこの人は媚びに慣れていない側の女なのではないか」と書かれていて、ああ、そういう見方があるのかと考え直しました。

高市首相は誰彼なしに男に媚びているわけではありません。トランプ大統領への媚び方が印象的だったので、「男に媚びる女」と思い込んでしまった面があります。
あのときの過剰で、不自然な媚び方は、むしろ普段媚びていないからかもしれません。

北原氏は「媚びが上手で、媚びを使ってのし上がってきた女というものは、媚びていることを誰にも気がつかせないものだ」と言います。
その代表例は小池百合子都知事だそうです。


高市首相は飲み会が苦手で、首相就任後もほとんど飲み会を通してのコミュニケーションをしていないとされます。
高市首相は酒は強いほうだそうです。もし高市首相が「媚びる女」だとすれば、飲み会は出世のために大いに利用していたはずです。

「文春オンライン」の『「コンパニオン扱いされ」「男と会うんやろ」…高市早苗首相の“会食苦手”の理由を夫・拓氏が明かした』という記事において、高市首相の夫である山本拓氏はこのように語っています。
「世間からみれば古いけども、永田町は超男性社会で会食文化やった。俺が初当選した頃は、政治家の飲み会といえば、料亭でコンパニオンさんや芸妓さんがついてという。そこで本音を探り合うのが政治家の仕事とされた。俺は酒を全く飲めないから、そういう文化に染まれなかったけどさ。高市も時にはそういうところに参加して、そつなくこなしてはいただろうけど、内心はとっても嫌だったんだね。男性同士の会話が下ネタになって、コンパニオンさんのような扱いをされるというか……。
その時間があったら、家で原稿仕事をやったほうがいい。でも、途中で帰って勉強しようとしても、誰も信じない。『男と会うんやろ』とか言われることになる。そういう若い時の経験で“飲み会嫌い”になっていた面もあるんやろ」

女性をコンパニオン扱いする自民党の飲み会文化が嫌いになるのは、女性なら当たり前のことです。
高市首相の飲み会嫌い、飯会嫌いなところは、国民からも好感を持たれているようです。

しかし、高市首相がそうした自民党の飲み会文化を批判するのは聞いたことがありません。「私たちは飲み会でいやな思いをしたが、後輩の女性議員にそういう思いはさせたくない」などと言ってもいいはずです。
そのため、高市首相が自民党の飲み会文化をどう思っているのかよくわかりません。


高市首相は山本拓氏と結婚したとき、山本姓にして、通称で「高市」姓を使いました。
そして、山本氏と離婚し、また同じ山本氏と再婚するのですが、そのときはジャンケンをして高市姓にしたということです(山本氏が通称で「山本」姓使用)。
高市首相は通称使用のめんどうなことをわかっているのに、かたくなに選択的夫婦別姓に反対し、通称使用の拡大でごまかそうとしています。
このことについては高市首相は完全に「女の敵」です。

なお、山本氏は脳梗塞の後遺症で右半身不随になり、高市首相に介護されています。山本氏の希望でヘルパーなどは使っていないそうです。
ここはまったく信じられないところです。
日本の首相が夫の言いなりになって介護をしているのです。そのために首相の仕事にも影響が出ているはずです。

高市首相は女性天皇にも反対です。
完全に古くさい男尊女卑思想です。
改憲やスパイ防止法や防衛費増額などにも力を入れているので、典型的な保守派です。

しかし、保守派らしくないところもあります。
それはなにかというと、ロック・ミュージックが好きなところです。
どんな音楽が好きかは、その人の政治傾向と密接に結びついています(たとえばアメリカの保守派が好きなのはカントリー・ミュージックです)。

高市首相は、大学時代は軽音楽部に所属し、ヘビ―メタルバンドでドラムを担当していました。
今でもストレスがたまったときはドラムをたたくそうですし、1月に韓国の李在明大統領が来日したときはドラムの腕前を披露しました。
高市首相が好きなのはヘビーメタルやハードロックで、もっともロックらしいロックです。
4月にはイギリスのバンド「ディープ・パープル」と面会し、「私の憧れのバンド」と語りました。


ロックは「反抗する若者」の音楽です。
エルビス・プレスリーは若者の圧倒的な支持を得ましたが、おとなからは圧倒的に非難されました。
ビートルズは上の世代から「あんなものは音楽じゃない。ただの騒音だ」と言われ、若者がエレキギターを弾くと「不良だ」と言われました。
ロックは反体制、反権威であって、反戦運動や公民権運動とも結びついてきました。

そういうロック魂は高市首相の政治姿勢にも表れています。
高市首相は総選挙のときは「挑戦しない国に未来はない」をキャッチフレーズにし、選挙後の最初の国会では「国論を二分するような大胆な政策にも挑戦していく」と演説しました。
高市首相の中では、護憲派が古い権力や権威で、それに挑戦する自分は改革者なのでしょう。

自民党はもちろん古い権力や権威です。
国民の中には、高市首相の「挑戦する姿勢」を見て、自民党を変えてくれるという期待を持った人もいるでしょう。
しかし、ベクトルが違います。高市首相は古い自民党の立場から国を変えようとしているのです。
この勘違いした国民が内閣支持率を押し上げているのではないかと思われます。


もっとも、この勘違いは責められません。
「ロック好き」と「保守思想」というのは相容れないものだからです。
「ロック好きの保守政治家」というのは、「白いカラス」みたいなものです。
「白いカラス」は存在しませんから、白鳥か鷺かと思った人がいます。
そういう人は、高市首相はなにか改革をしてくれると期待します。
「白いカラス」を見て、色よりも姿形に着目してカラスだと思った人もいます。
そういう人は、白鳥か鷺かと思って高市首相を支持する人の気持ちがわかりません。


高市首相はどうして「ロック好きの保守政治家」という珍しいものになったのでしょうか。
高市首相の両親は保守思想の持ち主で、教育勅語全文を暗記していたそうです。高市首相も小学校に入る前から教育勅語を繰り返し教えられました。
奈良県生まれの高市首相は東京の大学に行きたくて、慶応大学、早稲田大学に合格しましたが、「女の子だから一人暮らしはさせられない」という親の意向で神戸大学に進学します。
その後、高市首相は松下政経塾に入り、さらに渡米して民主党下院議員の事務所でインターンやコングレッショナル・フェローを務めたということです。そして、テレビ界でキャスターになります。
このあたりは保守的な親に反抗するロックンローラーらしい生き方と思えます。

反体制的で左翼的だった若者が年をとるとともに保守化するというのはありがちなことで、高市首相も両親の保守思想に回帰したようです。
ただ、ロック好きなところは変わらないので、ロックと保守思想が入り組んだキマイラのような存在になりました。
「自民党の中の女性議員」という立場がそうさせたのかもしれません。

高市首相は3月に行われたワシントンでの日米首脳会談のあとの夕食会で、楽団がX Japanの『Rusty Nail』を演奏したとき、一人で踊る姿が写真に撮られました。
「ディープ・パープル」と面会したときは、レジェンド・ドラマーであるイアン・ペイス氏に自分のサイン入りのスティックをプレゼントしました。
どうやら高市首相はロック・スター気取りであるようです。

高市首相のロック魂は日本をどこに導くのでしょうか。

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テレビで高市首相の姿を見ると、いつも笑顔です。
首相官邸に歩いて入るときのような、なんでもない場面でも笑顔で、それも過剰な笑顔です。
高市首相は首相になったころから過剰な笑顔を見せるようになりました。
首相になれば愛想笑いなど必要なく、重々しい表情をしていたほうがふさわしいと思うのですが。
高市首相はなぜこんなに笑顔になるのでしょうか。

人が意識的に笑顔になるのは、自分に敵意がないことを示して、相手から好意を得たいと思うからです。
女性が男性よりも笑顔が多いのは、立場が弱いからです。
そうすると、高市首相の笑顔が過剰なのは、内面の弱さを意味しているのでしょうか。

高市首相は「台湾有事は存立危機事態」発言が中国から非難されても、かたくなに撤回しません。
経済安全保障相だった2023年、放送法の政治的公平に関する文書を「怪文書の類」と言い、総務省の行政文書であることが明らかになると、今度は「捏造」と言い、最後まで撤回しませんでした。
こういう態度を見ると、高市首相は強そうです。

トランプ大統領は関税をかけると言明しても、反発が強かったり、株価が下がったりすると、関税を撤回するということを何度もしてい.るので、こういう態度をTACO(タコ)といいます。TACOとは「Trump Always Chickens Out」の略です。
しかし、だからといってトランプ大統領が弱いとはいえないでしょう。むしろ強いから平気で撤回できるのだともいえます。
高市首相がかたくなに発言を撤回しないのは、弱さを隠すためだともいえるでしょう。


高市首相はタカ派で、言葉も力強いので、強い人間のように見えますが、私が疑問を持ったのは、半身不随で車椅子生活の夫(山本拓氏)を首相になってからも介護していると知ったからです(これは「高市首相の信じられない介護生活」という記事で書きました)。
いくらなんでも首相の激務をしながら夫の介護はむりです。いや、できたとしても、するべきではありません。
なぜ介護を続けているかというと、夫から要求されているからでしょう。この夫は「こだわり」のある人で、高市首相は「絶対に介護保険を使わないとか、訳のわからないことを言っているものですから、公的な支援が受けられない」と語っています。

高市首相は年末に赤坂議員宿舎から首相公邸に引っ越した10日ほどあとにXにこのような投稿をしています。
私達の公邸への転居に関する報道を目にした夫は、落ち込んでいる様子でした。
それは、大手報道機関も含めて、「転居を前に公邸はバリアフリー対応の改修も実施された」という誤った報道を目にしたからです。
「僕のせいで、多額の公金が使われたのか」と。

仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸に引っ越しませんでした。

念のため、公邸の管理をしている官邸事務所に確認いたしました。

そうしましたところ、やはり、石破総理がお住まいになられていた時期から私の転居までの間に行われた作業は、室内清掃など、居住者が替わることに伴う通常の修繕であり、バリアフリー工事は一切含まれていないということでした。

夫にも伝えて、明るくリハビリに励んで全快して欲しいなと願っています。早く調理師資格を持つ夫の得意料理も食べたいし・・・。
午後8:32 · 2026年1月9日
かりに公費でバリアフリーの工事がされたとしても、なぜそんなに落ち込むのか理解できません。
自民党は「自助・共助・公助」というのが基本理念ですが、夫は「公助」に強い拒否感があるのでしょう。
ということは、介護なども全部「自助」つまり家族でやるべきだと考えて、それで夫は高市首相に介護を求めているのでしょう。
しかし、夫に介護を求められても、高市首相が「首相をしながら介護はむりだから、施設に入ってちょうだい」と言えばいいだけのことです。

なぜ高市首相は夫の介護要求を断らないのでしょうか。
それは保守思想のゆえと思われます。


保守思想というのは、「男尊女卑」「夫唱婦随」「良妻賢母」という言葉に表されるように、男女平等ではなく、男性を上、女性を下に見るものです。
杉田水脈元衆院議員はかつて衆院本会議場で「男女平等は反道徳の妄想です」と言ったことがありますが、自民党は今回の総選挙で杉田元議員を公認しました。

そういう思想の高市首相は、家庭内のことについては夫に従わざるをえません。
もっとも、夫も「公的な支援」を拒否しながら、首相という公人中の公人に自分の介護をさせようというのですから、論理が破綻しています。
普通は周りの人間が夫をいさめるものですが、周りの人間もみな保守思想の持ち主なので、「家族の介護は嫁がするもの」でこり固まっているのでしょう。

「保守派の女性首相」というのは、その存在自体が矛盾しています。
たとえば高市首相は女性天皇に反対していますが(正確には女系天皇に反対しているそうです)、女性首相が女性天皇を否定するという矛盾したことになっています。

そんな「男尊女卑」思想の高市首相が男の中でここまで出世してこられたのは、自分より大きな存在の男を後ろ盾にしてきたからです。ずっと安倍氏を後ろ盾にし、安倍氏の死後は麻生太郎氏に乗り換えました。

しかし、高市首相は基本的に女性である自分を卑下しているので、その自信のなさが過剰な笑顔になって現れるのでしょう。


高市首相の外交力はどうでしょうか。
高市首相は昨年10月にマレーシアで行われたASEAN首脳会議に出席し、笑顔で首脳たちとふれ合う姿が報じられて、コミュニケーション能力が高いと評価されました。
これは「日本家の嫁」として近所づき合いをうまくやったということです。

アメリカは日本にとって“本家”のようなものなので、高市首相はやはり「日本家の嫁」としてうまくふるまいました。
トランプ大統領のようなマッチョな男に従うのは高市首相の得意とするところなので、米空母の艦上でトランプ大統領の横で水を得た魚のように飛び跳ねました。

習近平主席もやはりマッチョな男ですが、ここは高市首相は対等の立場で交渉しなければなりません。それは高市首相が苦手とするところです。
高市首相が「台湾有事は存立危機事態」という失言をしてしまったのはしかたがないとして、そのあとが問題です。
高市首相は早い段階で「撤回しない」と言ったきりなにもしませんが、中国は訪日観光自粛、水産物輸入規制、レアアース輸出規制と続けてカードを切ってきました。
高市首相は「個別の案件について申し上げたのは軽率だったので、もう言いません」と自分の間違いを認めているのですから、水面下で「発言を撤回すればレアアース輸出規制を撤回してくれるか」といった交渉もできますし、表立って習近平主席との首脳会談を申し込むという手もあるでしょう。
日中関係は重要なので、なにか手を打たなければなりません。
ところが、高市首相はフリーズしたままです。
習近平のような、マッチョというか、男らしい男と対等の交渉をすることができないのです。

高市首相は「日本家の嫁」としての笑顔のふるまいが日本国民には人気ですが、笑顔だけでは外交はできません。

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保守派は性別役割分業を重視します。高市首相も同じです。
しかし、高市首相は首相になった今、ワークライフバランスの前に性別役割分業という言葉を捨てるべきでしょう。

高市首相の夫である山本拓氏は昨年2月に脳梗塞を発症し、右半身不随になり、今も車椅子生活のようです。

『高市早苗が漏らした夫の介護の苦労「帰ってきたら、食べこぼしがいっぱいあって…」』という記事から引用します。
そんな山本氏の介護について高市氏は講演で赤裸々に語ったのだ。

「帰ってきたら、食べこぼしがいっぱいあって、それを掃除してから入浴介助。これが一番身体にこたえます。私よりはるかに身長の高い家族を背中に担ぎながら、風呂場に行って頭から身体のすみずみまで洗って…」

調理師免許を持ち、料理担当だった山本氏に代わり、3食作りながら介護する日々。さらに山本氏には「こだわり」があるようで…。

「絶対に介護保険を使わないとか、訳のわからないことを言っているものですから、公的な支援が受けられない」(高市氏)

これは昨年6月の記事で、首相になる前のことです。
夫婦がどんな生活をしようと、外からとやかく言うことではありません。
しかし、首相になった今、首相の働き方について国民として意見したくなるのは当然です。


高市首相は首相に就任してすぐに「ワークライフバランスという言葉を捨てます」と言いました。
私はこの言葉は、夫を施設に入れるか介護を誰かに全面的に任せるという意味だと思いました。首相の仕事と介護は両立しないと思ったからです。

高市首相は年末に総理公邸に引っ越しました。そのときの様子について1月4日にXに長文の投稿をしました。そこから3か所を引用します。

昨年12月29日(月)の総理公邸への引っ越し後は、段ボール箱の谷間で生活しながら、外出時に必要な物(バッグやアクセサリー)が入った箱を探し出す日々でしたが、今日1月4日(日)の明け方に、ついに段ボールの開封と片付けを終了しました。

27日(土)と28日(日)に衆議院赤坂宿舎で段ボール箱の組み立てとパッキングを始めて以来、重い箱の運搬と積み上げなど、ひたすら力仕事続きでしたから、手足は切り傷とアザだらけや…。

(中略)

1月1日(木)午前は、皇居に上がり、新年祝賀の儀で、天皇皇后両陛下と皇族の皆様に、内閣を代表して新年御挨拶を申し上げるという幸せで光栄な時を過ごしました。
午後は、ようやく荷解きに着手しましたが、途中でダンナさんの食事の仕度や食器洗いなどもあり、荷解きは台所や風呂場やトイレの用品など生存に必要な数箱で断念。

(中略)

3日(土)は、米軍によるベネズエラ領内への攻撃とマドゥーロ大統領拘束事案が発生し、100名を超える邦人の安否確認や保護の指示を出しました。その後、今朝4日まで徹夜で荷解きと収納と洗濯に励みました。朝から北朝鮮の対応もありましたが、午前10時過ぎにはベネズエラ在住の邦人の方々の安全確認の報告も受け、ホッとしました。今もダンナさんが空腹に耐えている様子なので、これから遅めの朝昼兼ねた食事の仕度をします。

引っ越しの荷造りと荷ほどきを高市首相がやっています。
引っ越し業者が荷造りと荷ほどきを全部やってくれるサービスがあります。もしかしてセキュリティ面からそれが利用できないということがあるのでしょうか。もしそうなら、秘書や役人がやればいいのです。首相が自分で荷造りと荷ほどきをやるというのは信じられません。

それだけではなく、高市首相は洗濯も食事の支度もしています。
もっとも、これは年末年始のことです。普段は夫は施設に入っているかもしれないと思いましたが、そうではありませんでした。

「<1分で解説>高市首相はワーキングケアラー? 夫の介護が課題」という記事にはこう書かれています。
Q 高市氏の家族にはどんなことがあったの?

A 夫の山本拓元衆院議員は昨年2月に脳梗塞(こうそく)を発症し、車椅子が必要な生活になりました。高市氏が介護を担っています。

Q 高市氏はどんなふうに介護しているの?

A 高市氏は、朝は夫の介護をし、夜は国会答弁の準備や政策の勉強をしています。どの程度の介護かは明らかではありませんが、家事も普通にこなしているそうです。

Q 「ワーキングケアラー」ってなんだっけ。

A ワーキングケアラーとは、仕事をしながら家族の介護もしている人のことです。高市氏のような立場の人には、状況に応じた支援策が必要だと専門家は指摘しています。

専門家の指摘を待つまでもなく、首相の仕事をしながら夫の介護をして、家事もしているというのはあってはいけないことです。
高市首相が「働いて働いて働いて働いて、働いてまいります」と言ったのは、介護も家事もするという意味だったようです。

夫を施設に入れないのは、「こだわり」のある夫がそれを望まないからでしょう。
しかし、ここは高市首相は“鉄の女”になって、「わがままを言わないで」と言って押し切るべきです。

家事はもっぱら妻がやっているという家庭はいっぱいありますが、今では「男だから、女だから」ではなくて、「おれが稼いでいるんだから、お前が家事をするのは当然だ」という論理でしょう。
つまり性別分業でなくて仕事と収入による分業だという理屈です。
ところが、高市家ではいまだに性別役割分業なので、妻が首相になっても変わらないわけです。
古典的な保守派というしかありません。


問題は、周りの人間はどうしているのかです。
山本拓氏には前妻との子どもが3人います。長男の山本建氏は福井県議で、次期衆院選に立候補する意向を固めたというニュースがありました。
山本健氏はほかの子どもといっしょになって、父親に「早苗さんに迷惑をかけてはいけないから施設に入るべきだ」と説得するか、自分たちで父親の介護をするべきです。高市首相に介護を任せているのは信じられません。

官房長官や自民党幹事長など政界関係者も、首相がワーキングケアラーであることを放置しています。
「家事・介護は(首相であっても)妻がやるべき」という古典的保守派ばかりなのでしょうか。

「Hanada」や「WiLL」に寄稿しているような保守派論客も、この問題についてとくに言及していないようです。
首相に家事や介護をさせて平気なのが日本の保守派です。

高市首相は夜の飲み会にまったく出ていないと報道されています。飲み会が嫌いだというだけでなく、早く帰って夫の介護をしなければならないということもあるのでしょう。

最近高市首相がやせてきているという報道もあります。

妻が首相になっても妻に介護を求める夫(たぶんそうでしょう)。
それを断れない妻。
首相がワーキングケアラーであることを容認している周りの人。
首相がワーキングケアラーであることをまったく気にせず首相を支持している国民。
この国は根本のところから正さなければなりません。


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高市早苗氏の公式Xより

高市早苗首相は10月27日から29日にかけて来日したトランプ大統領を「おもてなし」し、日米首脳会談をこなし、トランプ氏との親密さをアピールしました。
トランプ氏をもてなす高市首相の姿に日本の問題が集約されています。

日本はアメリカに対して防衛費増額の前倒しを表明し、80兆円の対米投資の具体策を示しました。
一方、日本がアメリカから得たものはなにもありません。
日米共同声明の発表もありませんでしたし、両首脳の共同記者会見もありません。
それでも少なからぬ日本人は、高市首相がトランプ氏との親密さを演出したことで“高市外交”は成功したと喜んでいます。
昔、中曾根康弘首相がレーガン大統領と“ロン・ヤス関係”を築いたということで日本人は大喜びしましたが、そのころとあまり変わっていません。

高市首相はトランプ氏とともに横須賀の米軍基地を訪問し、空母「ジョージ・ワシントン」においてスピーチをしました。
そのときトランプ氏の隣で飛びはねてはしゃぐ様子が賛否を呼びました。

スクリーンショット (2)

高市首相はなぜ米軍基地へ行ったのでしょうか。トランプ氏が日本に来たのですから、トランプ氏とともに自衛隊基地に行くのが筋です。
空母に乘るにしても、日本にも「いずも」と「かが」という実質空母があるのですから、それに乘ればいいのです。
日本はこのところ急速に防衛力を増強したのですから、その成果をトランプ氏と世界に見せるいいチャンスでした。
日本の首相がアメリカ軍の空母に乘ってはいけないとはいいませんが、本来の姿ではありません。

改めて思ったのですが、日本人は保守派も含めて、自衛隊を「戦力」とは思っていないのではないでしょうか。
防衛費はGDP比1%だったのがもうすぐ2%になります。そうとう戦力は強化されているはずですが、そういうことはほとんど話題になりません。みんな関心がないようです。
戦争についてはアメリカにおんぶにだっこというのが日本人の意識です。


ともかく、高市首相のトランプ氏に対する態度は賛否を呼んでいます。
駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバ氏の説が『駐日ジョージア大使、高市首相めぐる「外交ではなく接待」の声にキッパリ「外交官の仕事は…」』という記事で紹介されていました。
作家の吉村萬壱氏が「高市氏のは外交ではなく接待だ」と高市首相を批判したのに対して、レジャバ氏は「私たち外交官の仕事は『接待』です」「机上でどんなに見栄えの良いオファーでも、限られた滞在時間において、来客の心を掴みそびれれば、全ては水の泡です」と述べて、高市首相を擁護しました。

この説は高市首相と欧州外交官を同列に見ています。高市首相を見下し、欧州外交官の優越感を示しています。
ところが、この説に賛同する日本人が多いというのに驚きます。


トランプ氏は自身のSNSに高市首相と腕組みして迎賓館内の階段を降りる写真を投稿しました。

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トランプ氏の公式トゥルース·ソーシャルより

これがモノクロ写真であるのは、トランプ氏の投稿がそうなっているからです。
おそらくひと昔前の紳士淑女に見立てたものでしょう。
いずれにしてもトランプ氏の腕にすがるとは、独立国の首相の態度ではありません。

ところが、この高市首相の態度を擁護する人もいます。
テレビのコメンテーターでおなじみの中林美恵子早大教授の意見が『早大教授、高市早苗首相への評価めぐり「欧米メディアはネガティブなことは書いていない」と私見』という記事に紹介されていました。
中林教授はトランプ氏が投稿した写真について問われると、「日本人が見るあの(2人の)距離感と、欧米人が見る距離感は、全然違うと思う」と指摘。「しかも日本で初めての女性のトップということで、欧米メディアはけしてネガティブなことは書いていない。ポジティブ、ポジティブに、とにかく女性にはしっかりサポートしないといけない、というのがあちらの文化。そういう意味では、(欧米でも)いいリポートが当面は出ている」と解説し、高市首相の話題は、欧米でも好意的に報じられているとの見方を示したということです。

「女性にはしっかりサポートしないといけない」といいますが、国家のリーダー同士なのですから、そんなサポートは不要です。
それに、トランプ氏が高市首相をサポートしているのではなく、高市首相がトランプ氏にすがっているのです。
もしサポートが必要というなら、高市首相が79歳のトランプ氏をサポートするべきです。

中林教授の意見は、男性と女性、欧米人と日本人についての中林教授の偏見です。国家のリーダー同士についての正しい意見ではありません。


ひろゆき氏がXに投稿した意見は『ひろゆき氏、高市氏外交への一部批判の声うけ持論「学校で歴史の時間にやったはずなんだけどね」』という記事に紹介されました。
ひろゆき氏は「外交は、外交文化のマナーと様式を踏襲する事で、話してわかる文明国なのかを西洋が判断してきた歴史があります」と書き出し、「『日本人から見て違和感』だとしても、外交では『外国人から見て違和感』を減らすのが目的なのです」と述べ、「というのを、鹿鳴館を作った理由として学校で歴史の時間にやったはずなんだけどね」と続けました。

ひろゆき氏は鹿鳴館時代の価値観のままです。フランス在住という事情もあるのでしょうか。
確かに明治以降、日本は欧米を手本にしてきました。脱亜入欧論の福沢諭吉から進歩的知識人の丸山真男まで一貫しています。
とくに保守、右翼の欧米依存は深刻です。三島由紀夫あたりまでは右翼も欧米に対抗する意志がありましたが、今の保守、右翼は平均的日本人よりもさらに欧米依存です。
日本がG7で唯一非欧米の国であるのは、欧米に決して意見しない国と見なされたからですし、実際そうでした。中国やインドは日本以上の経済大国になってもG7には招かれません。
駐日ジョージア大使はもちろん、中林教授やひろゆき氏も欧米目線で日本を見ています。

しかし、最近はグローバルサウスの台頭で欧米中心の価値観が崩れようとしています。
日本は有利な立場にあるはずなのに、それを生かせていないのは残念です。


高市首相はトランプ氏に対して女性としてふるまいました。
まるでオペラ「蝶々夫人」の海軍士官ピンカートンに対する芸者の蝶々さんです。
これは欧米男性と日本人女性の関係のステレオタイプとして、世界的に理解しやすいものです。
しかし、日本の首相としてはあってはならないことです。

高市首相を支持したのは、鹿鳴館や「蝶々夫人」の時代の価値観、つまり性差別意識と欧米崇拝意識を持っている人たちです。
そういう人が日本の進歩を妨げています。

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高市早苗自民党総裁が日本初の女性首相になりそうです(これを書いているのは10月20日)。
共同通信が自民党総裁選直後(10月4~6日)に行なった世論調査では、高市氏に「期待する」という回答が68%にのぼり、女性首相の誕生についても「望ましい」と「どちらかといえば望ましい」を合わせると86.5%ありました。
「女性首相」は国民に歓迎されているようです。

しかし、上野千鶴子氏がXに「初の女性首相が誕生するかもしれない、と聞いてもうれしくない。来年は世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数で日本のランキングが上がるだろう。だからといって女性に優しい政治になるわけではない」と投稿するなど、フェミニストはこぞって高市氏の「女性首相」に否定的です。
「女性首相」の意義とはなんでしょうか。


高市氏はイギリスのサッチャー首相を尊敬しているそうです。
私はサッチャー氏が首相になった当時のことを覚えていますが、政治の世界が女性を受け入れるようになったとか、女性の地位が向上したとかはまったく思いませんでした。
というのは、サッチャー氏についての私の印象は「男以上に男らしい女」というものだったからです。つまり外側は女でも、中身はマッチョでタカ派です。
ギリシャ喜劇に『女の平和』というのがあるように、女性が政治をすれば平和になるというイメージがありますが、彼女についてはまったく当てはまりません。
実際、フォークランド紛争のときは強硬に軍事力で対処し、アルゼンチンを屈服させました。
彼女はまた、新自由主義的な弱者切り捨ての非情な政策を断行しました。
彼女がイギリス首相になることで、政治の世界はますます男の世界になったように思えました。
サッチャー首相のために、女性が政治の世界で成功するにはあそこまで男のようにならないといけないのかと思われて、むしろ女性の政治参加を遅らせたのではないかと私は思っています。


高市氏はタカ派的な言動はサッチャー首相に似ているようですが、実際はサッチャー首相とは真逆です。サッチャー首相は「男らしさ」を武器に政界で成功しましたが、高市氏は「女らしさ」を武器に政界で成り上がりました。

高市氏はテレビの女性キャスターで名前を売り、政界に進出しました。女性キャスターはルックスがよくて、「女らしい」女性と決まっています。
男だらけの政界において、魅力的な女性であることは大きな武器です。
ちなみに小池百合子東京都知事もテレビのキャスターから政界に転じた人ですし、蓮舫氏も同じです。
現在、自民党には女性のタレント議員として生稲晃子氏、森下千里氏、今井絵理子氏、三原じゅん子氏などがいます。自民党の偉い人は女性タレントが好きなのでしょう。

しかし、高市氏もいつまでも「女らしさ」を武器にすることはできません。
そこで、「保守派の女」として生きることにしたようです。
保守、右翼、タカ派というのはほとんどが男性なので、女性は希少価値があり、重宝されます。
たとえば櫻井よしこ氏は女性であることによって保守派の中で大きな存在感があります。
高市氏は昔はそんなに保守色はありませんでしたが、どんどん保守色を強めてきました。
そして、そのことが奏功して、たとえば選択的夫婦別姓問題について討論するというとき、決まって高市氏が出てきて、持論の通称使用拡大を述べながら夫婦同姓制度の維持を訴えます。
今は95%の夫婦が夫の姓を使用しており、夫婦同姓制度は男が一方的に得をする制度です。男性がこの制度を擁護したら「男だから言うんだろう」と思われるだけですが、女性である高市氏が擁護するとそういう反論は成立しません。
高市氏は孤軍奮闘して選択的夫婦別姓反対を訴えてきました。
もし高市氏がいなければ、世論は選択的夫婦別姓のほうに大きく傾いていたでしょう。

女性天皇についても高市氏は反対論を述べてきました。
女性天皇はだめと言いながら自分は女性首相になるのですから、おかしなものです。

高市氏は「保守派の女」として自民党内で存在感を持ち、政治家として成功したといえます。
しかし、実力でのし上がったというより、誰か男に引き上げてもらった形です。具体的にはずっと安倍首相に引き上げてもらっていました。
高市氏は総裁選に出るたびに推薦人20人を集めるのに苦労して、安倍氏の力を借りたりしていました。今回の総裁選でも立候補表明が最後になったのは、やはり推薦人集めに時間がかかったからだといわれます。
日本はジェンダーギャップ指数世界118位の国です。その中で政治の世界はとくに男性優位で、自民党はさらに男性優位です。
そこで女性が上に行くには、男性に引き上げてもらうのが現実的なやり方だったでしょう。


サッチャー首相は「男らしさ」を武器にし、高市氏は「女らしさ」を武器にしたということで、やり方は正反対です。
しかし、どちらのやり方も、男性優位の政治の世界は変えませんでした。
土俵はそのままにして、その上で戦っていたのです。
サッチャー首相以降、イギリス政界で女性が活躍するようになったかというと、そんなことはありません。

高市氏はまだ首相としての実績はありませんが、政界はもちろん一般社会もジェンダー平等に近づくということはなさそうです。
むしろマイナス効果があるかもしれません。
選択的夫婦別姓は高市氏が首相である限り実現しないでしょう。
「ワークライフバランスという言葉は捨てる」という発言も大いに問題です。
この発言は自分自身に関することだから問題発言ではないと擁護する声もありますが、自分自身のことなら黙っていればいいのです。「ワークライフバランスなどつまらない」という思いが言葉になって出たのでしょう。
「全員に馬車馬のように働いていただきます」とも発言しました。
この「全員」は全自民党議員ないし全閣僚という意味ですが、馬車馬のように働いたら、家に帰ってから家事などできません。つまり「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業を前提とした発言です。

高市氏は性別役割分業や家父長制といった保守イデオロギーの持ち主です。
「女性首相」に「男性首相」にない価値があるとすれば、それはジェンダー平等に貢献するということでしょう。
高市氏にそういう役割はまったく期待できません。

なお、野田聖子議員はかなりジェンダー平等に理解のある人のようですから、もし野田議員が首相になっていたら、まったく違っているでしょう。
つまり女性なら誰でもいいのではなく、誰が首相になるかが問題です。

しかし、野田議員のような人は、自民党内でまったく評価されません。
選挙制度を改革して、新しい人がどんどん政界に入ってくるようにしないと、日本は変われません。

9784309410814

『結婚帝国』は上野千鶴子氏と信田さよ子氏の対談本です。
2004年に『結婚帝国:女の岐れ道』というタイトルで出版され、2011年に追加対談を足して『結婚帝国』として文庫化されました。

上野千鶴子氏といえば言わずと知れた日本のフェミニズム界の第一人者です。
信田さよ子氏はアダルトチルドレン・ブームを主導したカウンセラーであり、親子関係の問題に関する第一人者です。
男女関係が権力的な支配関係になっていることをフェミニズムは告発してきましたが、親子関係の問題は取り残されてきました。
権威ある心理学者も親子関係の問題を親の側から見がちでした。もっぱら現場のカウンセラーが親子関係が権力的な支配関係になっていることを子どもの側から告発してきたのです。
この二人の対談によって、男女関係というヨコ糸と親子関係というタテ糸が交わることになります。どんな織物ができるでしょうか。

なお、私は親子関係の問題を文明史的観点でとらえてきました。
どんな高度な文明社会でも赤ん坊はすべてリセットされて原始時代と同じ状態で生まれてきます。親を初めとするおとなは、その赤ん坊を文明社会に適応させなければなりません。家の中を汚さないよう、高価なものを壊さないよう、道路に飛び出さないようにしつけ、読み書き、数学、歴史など多くのことを教えますが、それらは子どもの意志を無視して強制的に行われ、暴力も伴います。ここに権力的な支配関係があり、これは男女関係の問題よりも(歴史的にも個人史的にも)先行して存在しているというのが私の考えです。


最初のうち対談はあまりかみ合っていない感じがします。
たとえば信田氏が「上野さんは笑うと思うけど、わたしは自分が男の性的欲望の対象になるということを自覚したことはありません」と言うと、上野氏は「カマトトか鈍感か、どちらなんですか?」「男の鼻面引きずり回す女だっているじゃありませんか。やったことはないんですか?」ときびしく問い返し、上野氏自身は「誘惑者としての娘」という位置を3歳のときに父から学んで、若いころは男を試し続けたと語ります。
それから、信田氏が「わたしはルイ・ヴィトンが好きなの」と言うと、上野氏は「わたしは、一点もルイ・ヴィトンやグッチを持たないのが誇りです」と言います。
このときの現場はどんな空気だったのでしょうか。こういう摩擦を恐れない姿勢が今の上野氏をつくったのでしょう。

やがて話がかみ合ってきます。それは男女関係の問題と親子関係の問題がもともとシンクロしているからです。
上野氏は「妻を殴るときは自分が痛いんだ」とか「君を殴るとき、僕の心が泣いているんだ」と言う夫の例を持ち出します。
こうした言葉は、親や教師が子どもを殴るときの常套句です。
ということは、DV男というのは、子どものときに親や教師から殴られた経験が深く刻印されているのではないかと思われます。

暴力にもいろいろな形があります。
信田氏は、「僕はこう思うよ」「でも、私はこう思うわ」などと二人で延々3時間も話し合って、その果てに殴るという夫の例を挙げます。この夫は「話し合いをもって善とする」という家族で育った人なので、夜を徹してでも話し合うのですが、いつも最後には手を出すのです。

上野氏は夫から殴られているにもかかわらず逃げ出さない妻に疑問を呈します。もちろん経済的事情や子どものためなどで別れられないということもありますが、逃げられるのに逃げない妻がいることは上野氏にとって理解できないようです。
信田氏は、別れない妻は「孤独」を理由にするといいます。しかし、実際は妻という座から転がり落ちる恐怖ではないかと信田氏は推測します。夫と別れると自分が社会からこぼれ落ちてしまう。社会的地位があろうと、何億という貯金があろうと、結婚制度から降りたとたんに一人の中年女性になってしまう。それをちょっと考えただけで怖いので、「だって、私が捨てたらあの人はどうなるの」などと理由をつけて別れるのを回避するというのです。

信田氏は「家族は強制収容所である」といいます。子どもは強制的に収容されて、逃げられないからです。
それは妻にとっても同じことで、自分で選んだつもりで入っても、そこは強制収容所だったということになります。

こういうことは隠されてきました。暴力は「愛のムチ」と呼ばれました。
それが「アダルトチルドレン」という言葉が出てきて、人々の認識が変わりつつあります。
「PTSD」という言葉も画期的でした。これはアメリカの精神医学界でも認められたものです。診断マニュアルでは病因を不問にするのが建て前だったのに、PTSDは過去のトラウマ体験が病因であるとするものです。そのため法律や裁判の分野で活用されてきました。

私はこれを読んだとき、最近芸能界などで性加害やセクハラが問題になると、かなりはっきりと被害者寄りの判断が下されるようになったのは、こういう事情だったのかと思いました。
つけ加えると、アメリカでは事情が違います。子ども時代に父親から性的虐待を受けたと娘が父親を裁判に訴えても、記憶は捏造されるというへんな理論があるために娘が敗訴してしまうのです(このことは『アメリカは90年代の「記憶戦争」で道を誤った』という記事に書きました)。


信田氏が「わたしはね、『自立』っていう言葉を、すべて消したほうがいいんじゃないかと思うんです」と言うと、上野氏も大いに同感します。
「自立」はネオリベラリズムの「自己決定・自己責任」に翻訳され、努力と才能で人生の勝ち組になるべきだという考えにつながります。そうすると、摂食障害の女の子たちが「わたしが勉強できないのは、わたしの努力が足りないから」「こんなだめなわたし、でもそれを許してるのもわたし」「ああ、こんなマイナス思考のわたし」という出口のないアリ地獄に落ちることになるといいます。

「自立」を否定するならどうすればいいかというと、信田氏は「依存でもいい」と言います。
上野氏はここは同意しません。自分の限界を知って、「自分にないが、必要なものをよそから調達するスキル」が必要だと言います。これが「自立」に代わるものであるようです。


本書のテーマは「女性と結婚」ということになるでしょう。私は親子関係に焦点を当てたので、本書の全体像は紹介できていません。
そこで、多少修正する意味で、追加対談の中で上野氏が語った結婚についてのデータを紹介しておきます。
(財)家計経済研究所が25歳から35歳までの年齢層の女性を1993年から10年間にわたって追跡調査したところ、シングルだった女性の10年後は、正規雇用者のほうが非正規雇用者よりも結婚確率も出産確率も高かったのです。つまり「妻の側」の安定した経済条件が結婚と出産を高めるのです。そうすると、女性に正規雇用を提供することが少子化対策に有効だということになります。
参政党の神谷宗幣代表は「若い女性に働け働けとやりすぎた」ことが少子化の原因であるようなことを言いましたが、正しくは「非正規で働け働けとやりすぎた」ことが少子化の原因だったのです。

上野氏は結婚確率を高めよと主張しているわけではありません。上野氏はこのところ「おひとりさま」の生き方を追究しているように、結婚にも男にも期待していないようです。
信田氏は既婚者ですが、上野氏ほどではないにしても、同じような立場です。


私は男ですから、そんな考えにくみするわけにいきません。男といってもいろんな男がいます。

最初にいったように、文明社会では子どもに強制的で暴力を伴う教育としつけが行われていますが、そのやり方は一律ではありません。ひどく暴力が行使される場合もあれば、愛情深く育てられる場合もあります。
DV男になるかならないかは、そこである程度決まります。

今の世の中は、とくに男の子に対しては暴力的な子育てが認められています。
「巨人の星」の星飛雄馬が父一徹から受けたようなスパルタ教育は極端だとしても、似たことは広く行われています。私は市民プールやスポーツジムのプールで父親が泣きべそをかいている子どもをむりやり泳がしているのを何度も見てきました。もし星飛雄馬が結婚していたらDV男になっていたでしょう。
しかし、DV男というのは、軍隊に入れば“鬼軍曹”になり、ブラック企業に入れば成績のいい管理職になるので、社会から有用な存在と見なされています。

DV男から逃げない女性も同じことです。親から暴力をふるわれていれば、恋人や配偶者から暴力をふるわれても受け入れてしまいます。
つまり暴力的な子育てがDV男とDV男から逃げない女をつくるのです。


「自立」と「依存」についても、親子関係からとらえるとわかりやすくなります。
赤ん坊は完全に母親に依存しています。成長するとともに少しずつ自立していきますが、不適切な養育があると自立がうまくいきません。親がわざと子どもの自立を妨げ、自分に依存させるということもあります。人間には情緒的な人間関係が必要なので、夫婦関係が形骸化し、友人関係もほとんどないという親は、子どもをいつまでも手元に置いておきたくなるのです。

したがって、成人しても十分に自立していないという人がほとんどです。そういう人に「自立しろ」と言ってもむだなことです。自分の成育歴を振り返り、親子関係を見直し、現在の人間関係の中で親から与えられなかった愛情を補填することで自立ができます。
もっとも、人間は出発点で依存していたのですから、依存するのが本来の姿で、自立は表面的な姿だともいえます。適切な依存関係を持つことが幸せのひとつの条件だと思います。


私は子どもが強制的・暴力的に教育・しつけをされている状況を「子ども差別」と呼んでいます。
この世の中の根底には「子ども差別」と「性差別」というふたつの問題があるわけです。
家父長制も「子ども差別」と「性差別」というふたつの差別で成り立っていると見なすと、わかりやすくなります。

性差別を解消しても自分に利益はないと思う男性が多いので、フェミニズムはあまり男性に支持されません。
しかし、子ども差別は男性自身の問題でもあるので、子ども差別解消の運動は男性を巻き込むことが可能です。
子ども差別をなくし、まともな親子関係で育った男が増えてくれば、上野氏も少しは結婚を肯定的にとらえるようになるのではないでしょうか。

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