村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: セックスとジェンダー

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高市早苗氏の公式Xより

高市早苗首相は10月27日から29日にかけて来日したトランプ大統領を「おもてなし」し、日米首脳会談をこなし、トランプ氏との親密さをアピールしました。
トランプ氏をもてなす高市首相の姿に日本の問題が集約されています。

日本はアメリカに対して防衛費増額の前倒しを表明し、80兆円の対米投資の具体策を示しました。
一方、日本がアメリカから得たものはなにもありません。
日米共同声明の発表もありませんでしたし、両首脳の共同記者会見もありません。
それでも少なからぬ日本人は、高市首相がトランプ氏との親密さを演出したことで“高市外交”は成功したと喜んでいます。
昔、中曾根康弘首相がレーガン大統領と“ロン・ヤス関係”を築いたということで日本人は大喜びしましたが、そのころとあまり変わっていません。

高市首相はトランプ氏とともに横須賀の米軍基地を訪問し、空母「ジョージ・ワシントン」においてスピーチをしました。
そのときトランプ氏の隣で飛びはねてはしゃぐ様子が賛否を呼びました。

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高市首相はなぜ米軍基地へ行ったのでしょうか。トランプ氏が日本に来たのですから、トランプ氏とともに自衛隊基地に行くのが筋です。
空母に乘るにしても、日本にも「いずも」と「かが」という実質空母があるのですから、それに乘ればいいのです。
日本はこのところ急速に防衛力を増強したのですから、その成果をトランプ氏と世界に見せるいいチャンスでした。
日本の首相がアメリカ軍の空母に乘ってはいけないとはいいませんが、本来の姿ではありません。

改めて思ったのですが、日本人は保守派も含めて、自衛隊を「戦力」とは思っていないのではないでしょうか。
防衛費はGDP比1%だったのがもうすぐ2%になります。そうとう戦力は強化されているはずですが、そういうことはほとんど話題になりません。みんな関心がないようです。
戦争についてはアメリカにおんぶにだっこというのが日本人の意識です。


ともかく、高市首相のトランプ氏に対する態度は賛否を呼んでいます。
駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバ氏の説が『駐日ジョージア大使、高市首相めぐる「外交ではなく接待」の声にキッパリ「外交官の仕事は…」』という記事で紹介されていました。
作家の吉村萬壱氏が「高市氏のは外交ではなく接待だ」と高市首相を批判したのに対して、レジャバ氏は「私たち外交官の仕事は『接待』です」「机上でどんなに見栄えの良いオファーでも、限られた滞在時間において、来客の心を掴みそびれれば、全ては水の泡です」と述べて、高市首相を擁護しました。

この説は高市首相と欧州外交官を同列に見ています。高市首相を見下し、欧州外交官の優越感を示しています。
ところが、この説に賛同する日本人が多いというのに驚きます。


トランプ氏は自身のSNSに高市首相と腕組みして迎賓館内の階段を降りる写真を投稿しました。

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トランプ氏の公式トゥルース·ソーシャルより

これがモノクロ写真であるのは、トランプ氏の投稿がそうなっているからです。
おそらくひと昔前の紳士淑女に見立てたものでしょう。
いずれにしてもトランプ氏の腕にすがるとは、独立国の首相の態度ではありません。

ところが、この高市首相の態度を擁護する人もいます。
テレビのコメンテーターでおなじみの中林美恵子早大教授の意見が『早大教授、高市早苗首相への評価めぐり「欧米メディアはネガティブなことは書いていない」と私見』という記事に紹介されていました。
中林教授はトランプ氏が投稿した写真について問われると、「日本人が見るあの(2人の)距離感と、欧米人が見る距離感は、全然違うと思う」と指摘。「しかも日本で初めての女性のトップということで、欧米メディアはけしてネガティブなことは書いていない。ポジティブ、ポジティブに、とにかく女性にはしっかりサポートしないといけない、というのがあちらの文化。そういう意味では、(欧米でも)いいリポートが当面は出ている」と解説し、高市首相の話題は、欧米でも好意的に報じられているとの見方を示したということです。

「女性にはしっかりサポートしないといけない」といいますが、国家のリーダー同士なのですから、そんなサポートは不要です。
それに、トランプ氏が高市首相をサポートしているのではなく、高市首相がトランプ氏にすがっているのです。
もしサポートが必要というなら、高市首相が79歳のトランプ氏をサポートするべきです。

中林教授の意見は、男性と女性、欧米人と日本人についての中林教授の偏見です。国家のリーダー同士についての正しい意見ではありません。


ひろゆき氏がXに投稿した意見は『ひろゆき氏、高市氏外交への一部批判の声うけ持論「学校で歴史の時間にやったはずなんだけどね」』という記事に紹介されました。
ひろゆき氏は「外交は、外交文化のマナーと様式を踏襲する事で、話してわかる文明国なのかを西洋が判断してきた歴史があります」と書き出し、「『日本人から見て違和感』だとしても、外交では『外国人から見て違和感』を減らすのが目的なのです」と述べ、「というのを、鹿鳴館を作った理由として学校で歴史の時間にやったはずなんだけどね」と続けました。

ひろゆき氏は鹿鳴館時代の価値観のままです。フランス在住という事情もあるのでしょうか。
確かに明治以降、日本は欧米を手本にしてきました。脱亜入欧論の福沢諭吉から進歩的知識人の丸山真男まで一貫しています。
とくに保守、右翼の欧米依存は深刻です。三島由紀夫あたりまでは右翼も欧米に対抗する意志がありましたが、今の保守、右翼は平均的日本人よりもさらに欧米依存です。
日本がG7で唯一非欧米の国であるのは、欧米に決して意見しない国と見なされたからですし、実際そうでした。中国やインドは日本以上の経済大国になってもG7には招かれません。
駐日ジョージア大使はもちろん、中林教授やひろゆき氏も欧米目線で日本を見ています。

しかし、最近はグローバルサウスの台頭で欧米中心の価値観が崩れようとしています。
日本は有利な立場にあるはずなのに、それを生かせていないのは残念です。


高市首相はトランプ氏に対して女性としてふるまいました。
まるでオペラ「蝶々夫人」の海軍士官ピンカートンに対する芸者の蝶々さんです。
これは欧米男性と日本人女性の関係のステレオタイプとして、世界的に理解しやすいものです。
しかし、日本の首相としてはあってはならないことです。

高市首相を支持したのは、鹿鳴館や「蝶々夫人」の時代の価値観、つまり性差別意識と欧米崇拝意識を持っている人たちです。
そういう人が日本の進歩を妨げています。

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高市早苗自民党総裁が日本初の女性首相になりそうです(これを書いているのは10月20日)。
共同通信が自民党総裁選直後(10月4~6日)に行なった世論調査では、高市氏に「期待する」という回答が68%にのぼり、女性首相の誕生についても「望ましい」と「どちらかといえば望ましい」を合わせると86.5%ありました。
「女性首相」は国民に歓迎されているようです。

しかし、上野千鶴子氏がXに「初の女性首相が誕生するかもしれない、と聞いてもうれしくない。来年は世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数で日本のランキングが上がるだろう。だからといって女性に優しい政治になるわけではない」と投稿するなど、フェミニストはこぞって高市氏の「女性首相」に否定的です。
「女性首相」の意義とはなんでしょうか。


高市氏はイギリスのサッチャー首相を尊敬しているそうです。
私はサッチャー氏が首相になった当時のことを覚えていますが、政治の世界が女性を受け入れるようになったとか、女性の地位が向上したとかはまったく思いませんでした。
というのは、サッチャー氏についての私の印象は「男以上に男らしい女」というものだったからです。つまり外側は女でも、中身はマッチョでタカ派です。
ギリシャ喜劇に『女の平和』というのがあるように、女性が政治をすれば平和になるというイメージがありますが、彼女についてはまったく当てはまりません。
実際、フォークランド紛争のときは強硬に軍事力で対処し、アルゼンチンを屈服させました。
彼女はまた、新自由主義的な弱者切り捨ての非情な政策を断行しました。
彼女がイギリス首相になることで、政治の世界はますます男の世界になったように思えました。
サッチャー首相のために、女性が政治の世界で成功するにはあそこまで男のようにならないといけないのかと思われて、むしろ女性の政治参加を遅らせたのではないかと私は思っています。


高市氏はタカ派的な言動はサッチャー首相に似ているようですが、実際はサッチャー首相とは真逆です。サッチャー首相は「男らしさ」を武器に政界で成功しましたが、高市氏は「女らしさ」を武器に政界で成り上がりました。

高市氏はテレビの女性キャスターで名前を売り、政界に進出しました。女性キャスターはルックスがよくて、「女らしい」女性と決まっています。
男だらけの政界において、魅力的な女性であることは大きな武器です。
ちなみに小池百合子東京都知事もテレビのキャスターから政界に転じた人ですし、蓮舫氏も同じです。
現在、自民党には女性のタレント議員として生稲晃子氏、森下千里氏、今井絵理子氏、三原じゅん子氏などがいます。自民党の偉い人は女性タレントが好きなのでしょう。

しかし、高市氏もいつまでも「女らしさ」を武器にすることはできません。
そこで、「保守派の女」として生きることにしたようです。
保守、右翼、タカ派というのはほとんどが男性なので、女性は希少価値があり、重宝されます。
たとえば櫻井よしこ氏は女性であることによって保守派の中で大きな存在感があります。
高市氏は昔はそんなに保守色はありませんでしたが、どんどん保守色を強めてきました。
そして、そのことが奏功して、たとえば選択的夫婦別姓問題について討論するというとき、決まって高市氏が出てきて、持論の通称使用拡大を述べながら夫婦同姓制度の維持を訴えます。
今は95%の夫婦が夫の姓を使用しており、夫婦同姓制度は男が一方的に得をする制度です。男性がこの制度を擁護したら「男だから言うんだろう」と思われるだけですが、女性である高市氏が擁護するとそういう反論は成立しません。
高市氏は孤軍奮闘して選択的夫婦別姓反対を訴えてきました。
もし高市氏がいなければ、世論は選択的夫婦別姓のほうに大きく傾いていたでしょう。

女性天皇についても高市氏は反対論を述べてきました。
女性天皇はだめと言いながら自分は女性首相になるのですから、おかしなものです。

高市氏は「保守派の女」として自民党内で存在感を持ち、政治家として成功したといえます。
しかし、実力でのし上がったというより、誰か男に引き上げてもらった形です。具体的にはずっと安倍首相に引き上げてもらっていました。
高市氏は総裁選に出るたびに推薦人20人を集めるのに苦労して、安倍氏の力を借りたりしていました。今回の総裁選でも立候補表明が最後になったのは、やはり推薦人集めに時間がかかったからだといわれます。
日本はジェンダーギャップ指数世界118位の国です。その中で政治の世界はとくに男性優位で、自民党はさらに男性優位です。
そこで女性が上に行くには、男性に引き上げてもらうのが現実的なやり方だったでしょう。


サッチャー首相は「男らしさ」を武器にし、高市氏は「女らしさ」を武器にしたということで、やり方は正反対です。
しかし、どちらのやり方も、男性優位の政治の世界は変えませんでした。
土俵はそのままにして、その上で戦っていたのです。
サッチャー首相以降、イギリス政界で女性が活躍するようになったかというと、そんなことはありません。

高市氏はまだ首相としての実績はありませんが、政界はもちろん一般社会もジェンダー平等に近づくということはなさそうです。
むしろマイナス効果があるかもしれません。
選択的夫婦別姓は高市氏が首相である限り実現しないでしょう。
「ワークライフバランスという言葉は捨てる」という発言も大いに問題です。
この発言は自分自身に関することだから問題発言ではないと擁護する声もありますが、自分自身のことなら黙っていればいいのです。「ワークライフバランスなどつまらない」という思いが言葉になって出たのでしょう。
「全員に馬車馬のように働いていただきます」とも発言しました。
この「全員」は全自民党議員ないし全閣僚という意味ですが、馬車馬のように働いたら、家に帰ってから家事などできません。つまり「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業を前提とした発言です。

高市氏は性別役割分業や家父長制といった保守イデオロギーの持ち主です。
「女性首相」に「男性首相」にない価値があるとすれば、それはジェンダー平等に貢献するということでしょう。
高市氏にそういう役割はまったく期待できません。

なお、野田聖子議員はかなりジェンダー平等に理解のある人のようですから、もし野田議員が首相になっていたら、まったく違っているでしょう。
つまり女性なら誰でもいいのではなく、誰が首相になるかが問題です。

しかし、野田議員のような人は、自民党内でまったく評価されません。
選挙制度を改革して、新しい人がどんどん政界に入ってくるようにしないと、日本は変われません。

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『結婚帝国』は上野千鶴子氏と信田さよ子氏の対談本です。
2004年に『結婚帝国:女の岐れ道』というタイトルで出版され、2011年に追加対談を足して『結婚帝国』として文庫化されました。

上野千鶴子氏といえば言わずと知れた日本のフェミニズム界の第一人者です。
信田さよ子氏はアダルトチルドレン・ブームを主導したカウンセラーであり、親子関係の問題に関する第一人者です。
男女関係が権力的な支配関係になっていることをフェミニズムは告発してきましたが、親子関係の問題は取り残されてきました。
権威ある心理学者も親子関係の問題を親の側から見がちでした。もっぱら現場のカウンセラーが親子関係が権力的な支配関係になっていることを子どもの側から告発してきたのです。
この二人の対談によって、男女関係というヨコ糸と親子関係というタテ糸が交わることになります。どんな織物ができるでしょうか。

なお、私は親子関係の問題を文明史的観点でとらえてきました。
どんな高度な文明社会でも赤ん坊はすべてリセットされて原始時代と同じ状態で生まれてきます。親を初めとするおとなは、その赤ん坊を文明社会に適応させなければなりません。家の中を汚さないよう、高価なものを壊さないよう、道路に飛び出さないようにしつけ、読み書き、数学、歴史など多くのことを教えますが、それらは子どもの意志を無視して強制的に行われ、暴力も伴います。ここに権力的な支配関係があり、これは男女関係の問題よりも(歴史的にも個人史的にも)先行して存在しているというのが私の考えです。


最初のうち対談はあまりかみ合っていない感じがします。
たとえば信田氏が「上野さんは笑うと思うけど、わたしは自分が男の性的欲望の対象になるということを自覚したことはありません」と言うと、上野氏は「カマトトか鈍感か、どちらなんですか?」「男の鼻面引きずり回す女だっているじゃありませんか。やったことはないんですか?」ときびしく問い返し、上野氏自身は「誘惑者としての娘」という位置を3歳のときに父から学んで、若いころは男を試し続けたと語ります。
それから、信田氏が「わたしはルイ・ヴィトンが好きなの」と言うと、上野氏は「わたしは、一点もルイ・ヴィトンやグッチを持たないのが誇りです」と言います。
このときの現場はどんな空気だったのでしょうか。こういう摩擦を恐れない姿勢が今の上野氏をつくったのでしょう。

やがて話がかみ合ってきます。それは男女関係の問題と親子関係の問題がもともとシンクロしているからです。
上野氏は「妻を殴るときは自分が痛いんだ」とか「君を殴るとき、僕の心が泣いているんだ」と言う夫の例を持ち出します。
こうした言葉は、親や教師が子どもを殴るときの常套句です。
ということは、DV男というのは、子どものときに親や教師から殴られた経験が深く刻印されているのではないかと思われます。

暴力にもいろいろな形があります。
信田氏は、「僕はこう思うよ」「でも、私はこう思うわ」などと二人で延々3時間も話し合って、その果てに殴るという夫の例を挙げます。この夫は「話し合いをもって善とする」という家族で育った人なので、夜を徹してでも話し合うのですが、いつも最後には手を出すのです。

上野氏は夫から殴られているにもかかわらず逃げ出さない妻に疑問を呈します。もちろん経済的事情や子どものためなどで別れられないということもありますが、逃げられるのに逃げない妻がいることは上野氏にとって理解できないようです。
信田氏は、別れない妻は「孤独」を理由にするといいます。しかし、実際は妻という座から転がり落ちる恐怖ではないかと信田氏は推測します。夫と別れると自分が社会からこぼれ落ちてしまう。社会的地位があろうと、何億という貯金があろうと、結婚制度から降りたとたんに一人の中年女性になってしまう。それをちょっと考えただけで怖いので、「だって、私が捨てたらあの人はどうなるの」などと理由をつけて別れるのを回避するというのです。

信田氏は「家族は強制収容所である」といいます。子どもは強制的に収容されて、逃げられないからです。
それは妻にとっても同じことで、自分で選んだつもりで入っても、そこは強制収容所だったということになります。

こういうことは隠されてきました。暴力は「愛のムチ」と呼ばれました。
それが「アダルトチルドレン」という言葉が出てきて、人々の認識が変わりつつあります。
「PTSD」という言葉も画期的でした。これはアメリカの精神医学界でも認められたものです。診断マニュアルでは病因を不問にするのが建て前だったのに、PTSDは過去のトラウマ体験が病因であるとするものです。そのため法律や裁判の分野で活用されてきました。

私はこれを読んだとき、最近芸能界などで性加害やセクハラが問題になると、かなりはっきりと被害者寄りの判断が下されるようになったのは、こういう事情だったのかと思いました。
つけ加えると、アメリカでは事情が違います。子ども時代に父親から性的虐待を受けたと娘が父親を裁判に訴えても、記憶は捏造されるというへんな理論があるために娘が敗訴してしまうのです(このことは『アメリカは90年代の「記憶戦争」で道を誤った』という記事に書きました)。


信田氏が「わたしはね、『自立』っていう言葉を、すべて消したほうがいいんじゃないかと思うんです」と言うと、上野氏も大いに同感します。
「自立」はネオリベラリズムの「自己決定・自己責任」に翻訳され、努力と才能で人生の勝ち組になるべきだという考えにつながります。そうすると、摂食障害の女の子たちが「わたしが勉強できないのは、わたしの努力が足りないから」「こんなだめなわたし、でもそれを許してるのもわたし」「ああ、こんなマイナス思考のわたし」という出口のないアリ地獄に落ちることになるといいます。

「自立」を否定するならどうすればいいかというと、信田氏は「依存でもいい」と言います。
上野氏はここは同意しません。自分の限界を知って、「自分にないが、必要なものをよそから調達するスキル」が必要だと言います。これが「自立」に代わるものであるようです。


本書のテーマは「女性と結婚」ということになるでしょう。私は親子関係に焦点を当てたので、本書の全体像は紹介できていません。
そこで、多少修正する意味で、追加対談の中で上野氏が語った結婚についてのデータを紹介しておきます。
(財)家計経済研究所が25歳から35歳までの年齢層の女性を1993年から10年間にわたって追跡調査したところ、シングルだった女性の10年後は、正規雇用者のほうが非正規雇用者よりも結婚確率も出産確率も高かったのです。つまり「妻の側」の安定した経済条件が結婚と出産を高めるのです。そうすると、女性に正規雇用を提供することが少子化対策に有効だということになります。
参政党の神谷宗幣代表は「若い女性に働け働けとやりすぎた」ことが少子化の原因であるようなことを言いましたが、正しくは「非正規で働け働けとやりすぎた」ことが少子化の原因だったのです。

上野氏は結婚確率を高めよと主張しているわけではありません。上野氏はこのところ「おひとりさま」の生き方を追究しているように、結婚にも男にも期待していないようです。
信田氏は既婚者ですが、上野氏ほどではないにしても、同じような立場です。


私は男ですから、そんな考えにくみするわけにいきません。男といってもいろんな男がいます。

最初にいったように、文明社会では子どもに強制的で暴力を伴う教育としつけが行われていますが、そのやり方は一律ではありません。ひどく暴力が行使される場合もあれば、愛情深く育てられる場合もあります。
DV男になるかならないかは、そこである程度決まります。

今の世の中は、とくに男の子に対しては暴力的な子育てが認められています。
「巨人の星」の星飛雄馬が父一徹から受けたようなスパルタ教育は極端だとしても、似たことは広く行われています。私は市民プールやスポーツジムのプールで父親が泣きべそをかいている子どもをむりやり泳がしているのを何度も見てきました。もし星飛雄馬が結婚していたらDV男になっていたでしょう。
しかし、DV男というのは、軍隊に入れば“鬼軍曹”になり、ブラック企業に入れば成績のいい管理職になるので、社会から有用な存在と見なされています。

DV男から逃げない女性も同じことです。親から暴力をふるわれていれば、恋人や配偶者から暴力をふるわれても受け入れてしまいます。
つまり暴力的な子育てがDV男とDV男から逃げない女をつくるのです。


「自立」と「依存」についても、親子関係からとらえるとわかりやすくなります。
赤ん坊は完全に母親に依存しています。成長するとともに少しずつ自立していきますが、不適切な養育があると自立がうまくいきません。親がわざと子どもの自立を妨げ、自分に依存させるということもあります。人間には情緒的な人間関係が必要なので、夫婦関係が形骸化し、友人関係もほとんどないという親は、子どもをいつまでも手元に置いておきたくなるのです。

したがって、成人しても十分に自立していないという人がほとんどです。そういう人に「自立しろ」と言ってもむだなことです。自分の成育歴を振り返り、親子関係を見直し、現在の人間関係の中で親から与えられなかった愛情を補填することで自立ができます。
もっとも、人間は出発点で依存していたのですから、依存するのが本来の姿で、自立は表面的な姿だともいえます。適切な依存関係を持つことが幸せのひとつの条件だと思います。


私は子どもが強制的・暴力的に教育・しつけをされている状況を「子ども差別」と呼んでいます。
この世の中の根底には「子ども差別」と「性差別」というふたつの問題があるわけです。
家父長制も「子ども差別」と「性差別」というふたつの差別で成り立っていると見なすと、わかりやすくなります。

性差別を解消しても自分に利益はないと思う男性が多いので、フェミニズムはあまり男性に支持されません。
しかし、子ども差別は男性自身の問題でもあるので、子ども差別解消の運動は男性を巻き込むことが可能です。
子ども差別をなくし、まともな親子関係で育った男が増えてくれば、上野氏も少しは結婚を肯定的にとらえるようになるのではないでしょうか。

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専業主婦がいて、パートタイムで働く妻もいるので、夫婦の家事分担のあり方はさまざまです。
しかし、夫婦が同じように働いていれば、家事分担は平等であるのが当然です。
もし夫婦が同じように働いているのに、夫の家事分担が少なければ、それは夫がわがままを通しているということです。

「全国家庭動向調査」によると2022年の調査では、夫と妻の家事分担割合は妻80.6%、夫19.4%です。
もっとも、これは専業主婦も含めた数字です。
妻が正規労働の場合(たぶん夫も正規労働)、50.6%の夫婦で妻が家事の80%以上を担当していました。
ほぼ平等に家事を分担していると見られる夫婦の割合は約20%でした。
約20%というのは、けっこう多い数字のような気もしますが、本来なら100%であるはずです。


どうして男は家事をしないのでしょうか。
私自身のことを振り返りながら、男が家事をしない理由を考えてみました。

私は20代半ばで結婚を考えるようになりました。
ただ、私は小さな出版社に勤めていて、きわめて薄給でした。
結婚するとなれば、相手に共働きしてくれるように頼まなければなりません。そうすると、自分も家事を半分ぐらいやらざるをえないと思いました。

私は当時、一人暮らしをしていましたから、掃除と洗濯はできました。しかし、食事はもっぱら外食で、料理はほとんどできません。
結婚したからといって急に料理ができるようになるとは思えません。
家事の分担はどうしようかと漠然と考えていましたが、もしそういう状態で結婚していたら、私もあまり家事をやらない夫になっていたかもしれません。
結婚してから少しずつ料理を覚えていけばいい理屈ですが、最初に妻に料理をしてもらえば、その状態に甘えてしまったかもしれません。

幸い(?)結婚相手は現れず、そのうち勤めていた会社が倒産しそうになったために私は会社を辞めました。
再就職も考えましたが、その前から作家になろうと思って小説を書いていたので、この際、就職せずに作家修行に専念することにしました。薄給でも少しは貯金がありました。

そうすると節約するために自炊をするのは当然です。まず自炊の本を買い、次にNHKの「きょうの料理」の定番料理の本を買いました。当時はインターネットもないので、本で料理を学ぶしかありません。
あるときスーパーでサバ丸ごと一匹を売っていて、ほかにサバの二枚おろしか三枚おろしもバックして売っていました。サバ丸ごと一匹のほうが断然安く、たぶんどちらも同じサバです。
私にはお金はなくても時間はいっぱいあります。私は魚をおろしたことはありませんでしたが、パックされたサバの半身を完成予想図として目に焼き付けて、サバ一匹を買って、そこから半身を切り出しました。
そのうちテレビの料理番組を見て、正しい魚のおろし方を学びました。
東京は新鮮なアジやイワシを安く売っているので、自分でさばけば安く刺身が食べられます。
そうしたことをしているうちにある程度料理ができるようになったので、結婚しても料理を分担することができました。

料理は奥が深いですが、生活のための料理に奥深さは必要ありません。ただ、バランスよく栄養をとるために幅広い料理ができる必要があります。野菜の切り方、野菜のゆで方から始まって、一通り習得するのはけっこうたいへんです。
たいていの男は料理をやったことがないので、当然料理ができません。
結婚してから妻から教わるというやり方もありますが、結婚した最初は人間関係を築いていく時期です。そのときに「教える・教えられる」という一方的な関係が入るのはどうなのでしょうか。

男女ともに、結婚するときには一通りの家事をこなせるようになっているのが好ましいといえます。
それを考えると、ずっと実家暮らしの男性というのは、料理はもちろん掃除も洗濯もやったことがない可能性が大です。
そういう男性と結婚した女性は、夫が家事無能力者であることを知って愕然とするに違いありません。


結婚前から家事のできない男性が圧倒的に多く、それが結婚後、家事分担が平等にならない大きな理由です。
したがって、若い男性は結婚前に料理などを学ぶ“花婿修行”をするべきだという考え方を世に広める必要があります。
これは未婚化対策にもつながります。


しかし、それだけではうまくいかないでしょう。
そもそも多くの男は家事のノウハウを知らないだけでなく、家事をやる気がありません。やるにしても「しかたなくやる」といった感じです。
多くの夫は「なんか手伝おうか」などと「手伝う」という言葉を使います。つまり当事者意識がないのです。
夫がもっともよくやる家事は「ゴミ出し」だということです。
ゴミ出しというのは、出勤するときにゴミ袋を持って家を出て、ゴミ置き場にそれを置くという作業です。クレーンゲームのアームがやっている作業と同じです。

男が家事にやる気がないのは、家事を下に見ているからです。
なぜ家事を下に見ているかというと、女性を下に見ているからです。
「男女平等」という理念があっても、男の意識はまだまだ「男尊女卑」です。
女は卑しいものであり、卑しい女がする家事もまた卑しいということになります。

これはインドのカースト制を考えるとよくわかるかもしれません。カースト制では身分と職業が結びついていて、卑しいカーストのする職業も卑しいことになり、ほかのカーストの者はその職業(仕事)には手を出しません。
男尊女卑の意識を持っている男も、「家事は女の仕事」と思っているので、家事には手を出しません。もちろん「分担する」という意識はなく、せいぜい「手伝う」程度です。


妻が熱を出して寝込んでいると、夫が「俺の飯は?」と言ったという話があります。
妻を看病するでもなく、妻の食事の心配をするでもなく、自分の食事のことしか考えない夫には言葉を失います。
弁護士ドットコムニュースの離婚事例としても載っているので、こういう夫がいることは事実なのでしょう。

これは「家事をやらない」とか「家事のノウハウがない」ということではなく、「人間としての思いやりがない」ということです。
この夫はひとつ間違えばDVをするでしょう。
DVをしなくても、離婚に至らなくても、夫婦関係は破綻しているも同然です。


思いやりの欠如した夫は珍しくありません。

私の両親は年取って二人で暮らしていましたが、父親は家事をまったくやりませんでした。
それではいずれ困ることになるぞと忠告していましたが、まったく聞き入れません。
案の定、母親が入院して、父親一人で生活していくことになりました。私は遠方に住んでいたので、どうなることかと心配していましたが、なんとか一人でやっていました。
「家事をやらない男」というのは、あくまでほかに家事をやる人間がいるから成立しているわけです。

母親が退院してきて、ゆっくりお風呂に入りたいと、父親にお風呂を入れてくれるように頼みました。そして、風呂がわいたというので、母親が服を脱いでいざ入ろうとすると、冷たい水だったそうです。母親はそれがずいぶんとショックだったようで、私に嘆きました。
私が父親にどういうことかと聞いたら、風呂の表面が熱かったので沸いたと思ったと答えました。
その風呂は、水を張ってガスで沸かす方式です。表面が熱くなっても下は水です。父親もそんなことがわからないはずがありません。なぜ沸いていない風呂を沸いていると言ったのか、わけがわかりませんでした。
あとになって考えたのですが、それまで一方的に世話される立場だった父親は、逆の立場になったことが不満で、無意識のいやがらせをしたのでしょう。母親は初めて世話される立場になって喜んでいたので、いっそう傷ついたのです。
前からそういう心理的な暗闘をしている夫婦でした。


 夫が妻にやさしさを示さないのは、「男尊女卑」や「性差別」によって、女性を男性より下の存在と見ているからです。
もちろんすべての男がそうだということはありません。
人間は基本的に自分の両親のあり方を見て男女関係や夫婦関係のあり方を学ぶので、その影響が大きいでしょう。

それから、親子関係のあり方も影響します。
妻が寝込んでいるのに「俺の飯は?」と言った夫は、もしかすると子どものころ病気になっても母親からろくに看病してもらえなかったのかもしれません。いつも「男の子でしょ」と言われてやさしくされたことがなければ、人にやさしくできないのは当然です。
私の父親も、生まれてすぐ母親を亡くして親戚の家に引き取られて、不幸な子ども時代だったようです。


不公平な家事分担は、男がわがままを通しているからです(まれに女がわがままな場合もあります)。
家事を相手に押しつけている分、楽ができますが、思いやりのある夫婦関係はなくなります。
思いやりのある夫婦関係のほうが幸せなはずです。

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ジャニー喜多川氏による性加害を告発した被害者の人たちは、「なぜそのときに声を上げなかったのか」「警察に被害届を出せ」「売名行為だ」「金目当てだ」などと誹謗中傷にさらされました。
最近では元フジテレビアナウンサーの渡邊渚氏がPTSDを公表したところ、「PTSDなのにパリ五輪観戦に行けるのか」「PTSDを利用している」「自己顕示欲の塊だ」などと、やはり誹謗中傷にさらされました(渡邊氏のPTSDの原因が性加害であるとは公表されていませんが、誰もが知っていることではあります)。

性加害の被害者が声を上げると、決まって批判する人が大勢現れます。昔はそうして被害者の声は封じられました(ジャニー喜多川氏を告発する声も数年前まで封じられていました)。最近少しずつ声を上げられるようになってきたというところです。
しかし、最近のアメリカでは、トランプ氏の当選もあってバックラッシュ(反動)の動きが強まっています。日本もそれに影響されて、昔に戻ってしまわないとも限りません。

ここで性加害が心理学によって「発見」されてからの歴史を振り返ってみたいと思います。発見されてからも一本道ではなく、少なくとも二度のバックラッシュがありました。
なお、性加害でいちばん深刻なのは、実の親による子どもへの性的虐待です。性加害発見の歴史は子どもへの性的虐待の発見の歴史であり、さらには幼児虐待発見の歴史でもあります。ですから、性的なことでなくても、自分の親は毒親だったという悩みをかかえている人などにも参考になるはずです。


性加害、性的虐待を最初に発見したのはジグムント・フロイトです。
フロイトは1856年、オーストリアに毛織物商人の息子として生まれました。フロイトの伝記を読んでも、彼が親から虐待されたという記述はありませんが、当時の子育ての常識からして虐待されていないはずがありません。少なくとも彼が権威主義的な父親との葛藤を抱えていたことは、彼の生き方や学説から十分にうかがえます。
フロイトはウィーン大学を卒業するとパリに留学して、神経学者ジャン=マルタン・シャルコーに師事してヒステリーの研究に取り組みました。
当時、ヒステリーの女性は詐病者であるとされ、治療は催眠術師や民間治療者にゆだねられていましたが、シャルコーはヒステリーの症状を注意深く観察し、記述し、分類しました。シャルコーの科学的な研究は医学界のみならず広く有名になり、彼のヒステリー研究の発表会には上流階級の名士が多数集まったといいます。
シャルコーのヒステリー研究がそれほど注目された背景には、1859年に出版された『種の起源』の影響がありました。進化論の影響で人間を科学的に研究しなければならないという機運が高まっていたのです。

シャルコーのもとには各国の俊秀が集っていて、その中にフロイトとともにピエール・ジャネがいました。この二人は、ヒステリーの原因を解明するにはヒステリー患者を観察しても分類してもだめで、患者たちと語り合わなければならないと考え、患者との話し合いに力を入れました。
フランスのジャネとウィーンのフロイトは、それぞれ独立に同じような結論に到達しました。耐えがたい外傷的な出来事が一種の変性意識を生み、この変性意識がヒステリー症状を生んでいるというものです。外傷的記憶とそれに伴う強烈な感情とをとり戻させ、それを言語化させればヒステリー症状は軽快するという治療法が、現代の精神療法の基礎となりました。

フロイトは1895年、ヨーゼフ・ブロイアーとの共著で『ヒステリー研究』を出版し、研究成果を発表しました。しかし、共著では十分に自説を展開できなかったので、翌年フロイトは単著で『ヒステリー病因論』を出版し、自分の扱った18の症例すべてにおいて子ども時代に性的暴行の体験があったと記しました。
18の症例というのは、男性6名、女性12名で、フロイトはそれを三つのグループに分けました。第一のグループは、見知らぬおとなの男性から、多くは女の子に対して加えられる一回きりの、あるいは何回かにわたる性加害です。第二のグループは、子どもたちの世話をするおとなたち――たとえば子守り女、乳母、住み込みの女家庭教師、先生、近しい親戚の人など――が、子どもたちと性的交渉を持ち、ときには数年にわたって続けるものです。第三のグループは、子どもだけの関係、多くは兄妹の間の性的関係です。これはしばしば思春期を過ぎるころまで継続されます。

第二のグループで「近しい親戚の人」とあるのは、実際は実の父親でした。フロイトはそれではあまりにも衝撃的なので、「父親」を「叔父」などに置き換えたのです。
しかし、そんなことをしても普通の家庭の子どもたちが性的な被害にあっているというのは十分に衝撃的で、当時の人々にはとうてい受け入れられるものではありませんでした。

フロイトは世の中の強い反発に直面して、すぐに自説を捨て去りました。
『ヒステリー病因論』を出版した翌年に、患者の語ったことはすべて患者の幻想だったとしたのです。そして、患者はなぜそういう幻想を持つに至ったのかという理論を考え出しました。それがエディプス・コンプレックスを中心とするフロイト心理学です。
性加害を認めれば心理療法はきわめて単純ですが、性加害を否定したばかりにフロイト心理学はきわめて複雑になりました。

フロイト心理学では、幼い男の子には性的欲求があり、母親に対する近親相姦願望を持つとされます。そうすると男の子と父親は母親を巡るライバル関係となり、父親は男の子を脅し、男の子は去勢されるのではないかという不安を持ちます。この複雑な心理がエディプス・コンプレックスです。
まったく奇妙な理論ですが、要するに男の子に母子相姦願望という大きな罪があるので、父親が男の子に暴力的なしつけをすることが正当化されます。つまりこれは親による幼児虐待を正当化する理論なのです。

普通の家庭(精神科医の治療を受けるのはある程度上流の家庭でした)で幼児の性的虐待が行われているというおぞましい事実は誰もが認めたくありません。フロイトがその主張を貫いていたとすれば、心理学者としては社会的に葬り去られていたでしょう。フロイトが自説を引っ込めたのは、自分自身のためでもありました。
フロイトのライバルだったジャネは、幼児期の心的外傷がヒステリーの原因であるという説を生涯捨てませんでした。その結果、彼は、『心的外傷と回復』(ジュディス・L.ハーマン著)の文章を借りると、「自分の業績が忘却され自分の発見が無視されるのを生きながらにして見る羽目となった」ということです。
師のシャルコーも、あれだけ評価されたヒステリー研究が次第に冷たい視線にさらされるようになり、ヒステリーと催眠の世界から手を引いてしまいました。最晩年にはこの研究領域を開拓したこと悔やんでいたといいます。
一時はもてはやされたヒステリーの科学的研究が、潮が引くように無視されるようになったのは、ダーウィン革命の熱気が時とともに冷めてしまったからではないかと思われます。


幼児虐待は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトの四つに分けられます。
当時のオーストリアでは、親がムチを使って子どもをきびしくしつけること、つまり身体的虐待は当たり前のことでした。
フロイトは性的虐待を隠蔽するとともに、身体的虐待、心理的虐待の正当化をはかったのです。
これによってフロイト心理学は一般社会に受け入れられ、フロイトは次第に偉大な心理学者として認められていきました。
しかし、フロイトの“転向”によって心理療法は少なくとも50年の遅れを余儀なくされました。


フロイト心理学の精神分析では、患者はなかなか治りません。
患者が親に虐待された記憶を回復し、分析医に苦痛を訴えても、分析医はその記憶は幻想だと思わせようとするからです。
しかし、臨床の現場では個々の分析医や心理療法家が真実を見いだしていきました。
精神分析医だったアーサー・ヤノフは、あるとき若い患者が心の奥底からの異様な叫び声を発したことに衝撃を受け、そのことから幼いときに親から傷つけられた体験が神経症の原因になっていることを突き止め、「原初療法」を創始しました。ジョン・レノンとオノ・ヨーコも原初療法のカウンセリングを受けたことで知られています。
心理学者で精神分析家のアリス・ミラーも、幼児虐待が神経症の原因になっていることに気づき、西洋社会に広がっている、子どもをきびしくしつける教育法を「闇教育」として告発しました。ミラーの著書の題名である「魂の殺人」という言葉は、性的虐待を指す言葉として使われています。

現在、カウンセリングと称するものの多くは、カール・ロジャーズ創始の「来談者中心療法」を採用しています。来談者中心療法というのは、カウンセラーは来談者の話をよく聞き、受容し、共感するというものです。カウンセラーは来談者の話を評価したり解釈したりすることはせず、生き方を指示することもしません。そんなことで治るのかと疑問に思う人もいるでしょうが、人間はもともと自分で自分を治す力を持っているので、悩みを人に理解してもらい、共感してもらうだけで治るという理論です。
そうして来談者の話を聞いていれば、当然親から虐待されたという話も出てきます(その話を受容できるかどうかでカウンセラーの力量が試されます)。

最近では「毒親」や「アダルトチルドレン」や「愛着障害」という言葉が普通に語られるようになり、親子関係にゆがみのあることが広く認識されてきました。
ジャニー喜多川氏の性加害が告発されたのもその流れです。ジャニー喜多川氏が若いタレントに性加害をしたのは、親が子どもに性的虐待をしたのとほとんど同じです。


アメリカでは1980年代から、性的虐待の記憶を取り戻した人たちが加害者――多くは父親――を告発し、裁判に持ち込む事例が相次ぎました。性的虐待は多くは家庭内のことであり、かつ昔のことであるので、ほとんどの場合、明白な証拠はありません。困難な裁判にならざるをえないので、日本なら訴えるのをためらうところですが、そこは訴訟大国のアメリカです。フェミニスト団体やセラピストが被害者の訴訟を支援するという動きもありました。

こうした動きに危機感を抱いたのが保守派です。
保守派は、夫が妻を支配し、親が子を支配するという家父長制の家族を理想としています。
普通の家庭の中に性的虐待があるということが明らかになると、理想の家族像が崩壊してしまいます。

保守派は性的虐待の訴訟を起こした人たちへの反撃を始めました。その主役を演じたのが心理学者のエリザベス・ロフタスです。
ロフタスは記憶に関する専門家で、目撃証言の確かさや不確かさについて法廷で数百回も証言してきたといいます。性的虐待を告発する裁判が増えるとともに、ロフタスのもとに、幼児期の性的虐待の記憶の確かさについて、とりわけカウンセリングによって回復されたという幼児期の性的虐待の記憶の確かさについての問い合わせが急増しました。ロフタスは性的虐待の専門家ではないので、どう対応するか困惑し、そこで注目したのがアメリカ心理学会の年次大会で行われたエモリー大学の精神医学の教授であるジョージ・ガナウェイの「悪魔儀式による虐待の記憶に関する、もうひとつの仮説」という講演です。ロフタスはガナウェイに影響され、カウンセラーが偽の記憶を患者に植えつけた可能性があると考えました。ちなみにガナウェイはフロイト派の心理学者です。

ロフタスは被験者に偽の記憶を植えつける心理実験をしました。
18歳から53歳までの24人の被験者それぞれに、四つの出来事が書かれた冊子が渡されます。三つの出来事は、被験者の家族や親戚から聞いた、被験者が5歳のころに実際にあった出来事です。あとのひとつは、ショッピングセンターか広い施設などで迷子になり、泣いていると老婦人に助けられ、最終的に家族と再会できたという架空の出来事です。被験者はこの四つの出来事について思い出したことを書くように言われます。その後、二度面接を行い、被験者がどの程度思い出したかを確かめました。
その結果、25%、四人に一人に架空の出来事の記憶を植えつけることができたとしました。

ショッピングセンターで迷子になったことと、父親にレイプされたことではあまりにも違いますが、ともかく四人に一人とはいえ偽の記憶を植えつけることが可能だと立証されたことは、裁判においては武器になりました。保守派はこの武器を手にして逆襲に転じました。「偽りの記憶症候群」という言葉がつくられ、「偽りの記憶症候群基金(FMS基金)」なる団体が組織され、寄付が集められて、被告の法廷闘争を理論面と資金面から支援しました。そして、金目当てや家族制度の解体をねらう左翼思想のカウンセラーが被暗示性の高い神経症の患者に対して催眠や薬物を使って巧妙に偽の記憶を植えつけたと主張したのです。
マスメディアは最初のうちは、性的虐待の加害者に批判的な報道をしていましたが、「偽りの記憶」の可能性が出てからは一転して「子ども時代の性的虐待に関する根拠のない告発により多くの家族が引き裂かれている」「カウンセラーがヒステリーを作りだしている」というように、カウンセラーを悪者と見なす報道をするようになりました。
つまりバックラッシュが起こったのです。裁判は性的虐待で訴えられた側が次々と勝訴し、さらに今度は逆に、訴えられた者が訴えた者とカウンセラーに対して損害賠償請求の訴えを起こして、その結果、高額の損害賠償を認める判決が相次ぎました。保守派の仕掛けた裁判闘争は保守派の勝利に終わったのです。その後、性的虐待被害を裁判に訴えるということはほとんどなくなりました。

ここは大きな分水嶺だったと思います。
家族のもっともみにくい部分が守られたのです。
ここから保守派の反撃が始まって、リベラルが後退し、トランプ大統領の誕生にまで至ったのではないかと私は見ています。


幼児期に虐待されたことの記憶はしばしば抑圧され、意識から排除されます。しかし、そのことの影響はさまざまな形で現れます。
アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存などの依存症はトラウマが原因であることがわかっています。
アメリカでは肥満が社会問題になっていますが、肥満は糖質依存症と見なすこともできます。

アメリカでは犯罪と麻薬汚染が深刻ですが、その根本原因は病んだ家族にあります。
ところが、保守派は家族が原因であることを認めず、犯罪は移民のせい、麻薬は外国のせいにしています。
そのためアメリカの病理はどんどん進行していきます。


幼児虐待は誰でも目をそむけたいものですが、とりわけ性的虐待からは目をそむけたくなります。
性的虐待の被害者の声をどれだけ受け止められるかでその社会の健全度がわかります。
アメリカは他山の石としなければなりません。



今回の記事は別ブログ「道徳観のコペルニクス的転回」『第3章の4「心理学」(フロイトの発見と隠蔽)』を要約したものが中心になっています。詳しく知りたい人はそちらを読んでください。

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中居正広氏が女性トラブルで解決金9000万円を支払ったことが明らかとなり、ほぼ芸能界から追放された状態となりました。
松本人志氏と似ています。

中居氏と松本氏は、最近では「まつもtoなかい」という番組で共演していましたが、最初の本格的な共演は、2000年の日本テレビ系「伝説の教師」という松本氏原案の学園ドラマでした。
これは松本氏と中居氏のダブル主演で、セリフの多くがアドリブであるというのが売りでしたから、そのころから二人は気心が通じ合っていたのでしょう。

週刊文春によると、中居氏は松本氏主催のホテルのスイートルームでの飲み会にも参加していたということです。
2015年9月、東京・六本木にあるグランドハイアット東京のゲストルーム「グランドエグゼクティブスイートキング」。取材班は、その日、お笑いコンビ「スピードワゴン」の小沢一敬やダウンタウンの松本人志と女性4人を交えた「部屋飲み」が行われたことを確認している。

 1泊約30万円の最高級のスイートルームには、松本、小沢の他、放送作家、そして中居の姿があった。

「週刊文春」取材班が、中居に対し飲み会について尋ねると、代理人を通じて次のように認めるのだった。

「その時期、その場所で女性と会食したことはあります」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7409512d7963602bbba7b55e79e8ef4fc18dead7

松本氏と中居氏は“上納友だち”だったようです。少なくとも中居氏は松本氏の行動を見て、やり方を学んだはずです。
そして、自分も同じように女性を“上納”させたのでしょう。
松本氏は後輩芸人を使って上納させましたが、中居氏はテレビ局の人間を使って女子アナを上納させたわけです。
芸能界のツートップが同じことをしていたのです。


スキャンダルへの対処法は、松本氏と中居氏では一見すると対照的です。
松本氏は最初に「事実無根なので闘いまーす」と言い、5億5000万円の損害賠償を求める裁判を起こすという強気の態度に出ました。
その後、和解して謝罪したようなふりをしましたが、「事実無根」という基本線は維持しているようです。

一方、中居氏は9000万円という巨額の解決金(示談金)を支払いました。
この時点では水面下のことでしたが、解決金を払ったという報道が出ると、中居氏は「お詫び」と題する声明文を出して、「トラブルがあったことは事実です」「今回のトラブルはすべて私の至らなさによるものであります」として、自分の非を認めました。

しかし、根本的なところで中居氏は松本氏と同様に反省していないのではないかと思われます。

中居氏の声明文に「なお、示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」というくだりがあって、ここに批判が集中しました。
これは正しくは「示談が成立したことにより、今後の芸能活動について相手さまから異議が表明されることはありません」とするところです。つい自分の願望をまぎれこませてしまったのです。

私がそれよりも気になったのは、「このトラブルにおいて、一部報道にあるような手を上げる等の暴力は一切ございません」という部分です。
松本氏が訴えを取り下げることを表明したときの文章に「強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました」とあるのと似ています。
何年も前のホテルの一室内の出来事に「物的証拠」がないのは当たり前のことで、それをわざわざ書いたところに松本氏の自己正当性を訴えたい気持ちが現れています。
中居氏の「手を上げる等の暴力は一切ございません」もそれと同じです。

男はほとんどの場合女よりも力が強いので、男は女を威圧するだけで、暴力をふるわなくても暴力をふるったのと同じ効果を得ることができます。
中居氏の場合、テレビ局に対して圧倒的な力があるので、女性がテレビ局の社員であれば、なおさら暴力をふるう必要はありません。
ですから、「暴力は一切ございません」というのはほとんど無意味で、自己正当性を訴えたいだけの言葉です。


松本氏はテレビ界への復帰が絶望的になり、「ダウンタウンチャンネル(仮称)」なるものを始めるようです。
なぜテレビ界への復帰が絶望的かというと、松本氏は性加害を否定していますが、世の中の人はそれに納得していないからです。
松本氏の性加害については週刊文春やその他のメディアが詳しく報道していますが、松本氏からは「事実無根なので闘いまーす」と「とうとう出たね」ぐらいしか発信していません。
松本氏は記者会見などて自分の言葉で語って世の中を納得させなければなりませんが、相手方との合意に基づく守秘義務があるということで、それはしません。
なぜ松本氏がそんな守秘義務を受け入れたかというと、性加害があったので、しゃべるとボロが出るからでしょう。
松本氏に性加害はなかったと思っているのは、松本氏の言うことを盲目的に信じる松本信者だけです。



では、中居氏はどうかというと、トラブルがあったことは認めて、「今回のトラブルはすべて私の至らなさによるものであります」とコメントしていますが、それだけです。
「先方との解決に伴う守秘義務がある」としているので、今後も反省の弁を述べることはなさそうです。
松本氏と同じやり方です。
しかし、こちらのほうが問題は深刻です。
というのは、こちらは刑事事件になるべき問題だからです(松本氏の件は時効の壁があって刑事事件にするのは困難でした)。

被害者についてはかなりわかってきています。
フジテレビアナウンサーの渡邊渚氏は、2023年7月ごろ体調を崩して入院したと報道され、その後PTSDを発症していたとか、フジテレビを退社したとかいう報道がありました。どれも小さな扱いのニュースでしたが、憧れて入社したはずのフジテレビをPTSDで退社するというのは尋常なことではないので(渡邊氏は2020年の入社)、どんなことがあったのだろうかと気になりました。
そうしたところ、中居氏がトラブルで9000万円を払った相手が渡邊氏ではないかという報道があり、疑問が氷解しました。
もっとも、被害女性が渡邊氏だと確定したわけではありませんが、まず確実だと思えます。

週刊文春の記事では被害女性を「X子」と表記しています(「A氏」というのは「フジテレビの編成幹部」)。
X子さんの知人が打ち明ける。

「あの日、X子は中居さん、A氏を含めた大人数で食事をしようと誘われていました。多忙な日々に疲弊していた彼女は乗り気ではなかったのですが、『Aさんに言われたからには断れないよね』と、参加することにしたのです」

 なぜなら、X子さんにとってA氏は仕事上の決定権を握る、いわば上位の立場にあった。そして、悪夢のような出来事が起こる。

「飲み会の直前になって彼女と中居さんを除く全員が、なんとドタキャン。結局、密室で2人きりにさせられ、意に沿わない性的行為を受けた。『A氏に仕組まれた』と感じた彼女は、翌日、女性を含む3名のフジ幹部に“被害”を訴えているのです」(同前)

 その頃、芸能関係者が利用するフジテレビ内の更衣室では、異様な光景が目撃されている。

「彼女が鍵のかかった個室に入った後、室内からすすり泣く声が漏れていた。人前では気丈に振る舞っていましたが、彼女のメンタルの不調は、誰が見ても明らかでした」(フジ関係者)
https://bunshun.jp/articles/76186?page=2

これはどう考えても「不同意性交等罪」であると考えられます。今は親告罪ではないので、警察が捜査に入ってもおかしくありません。
とすると、9000万円という巨額の解決金が支払われたのもわかります。
慰謝料などではなく、被害者を口止めして事件をもみ消すためのお金だったのです。

フジテレビは、フジテレビ社員が中居氏と女性を引き合わせたとする報道について「内容については事実でないことが含まれており、記事中にある食事会に関しても、当該社員は会の設定を含め一切関与しておりません。 会の存在自体も認識しておらず、当日、突然欠席した事実もございません」と否定しています。
中居氏も「お詫び」と題する声明文で「このトラブルについては、当事者以外の者の関与といった事実はございません」と否定しています。
そうすると、中居氏と被害女性(渡邊氏)が互いに連絡を取り合って会食したということになり、まったく話が変わってきます。
これはやはりフジテレビと中居氏が口裏を合わせているとしか思えません。
今後の報道によってはフジテレビは大ピンチになります。


中居氏も松本氏も被害女性との間で話をつければ芸能界に復帰できると思ったのかもしれませんが、そうはいきません。世の中の多数の人が納得する必要があります。
中居氏も松本氏も主にバラエティ番組で活躍する人間です。
バラエティ番組では、恋愛話が大きなウエイトを占めますし、「飲み会」だの「ホテル」だのという言葉も出てきます。そんなときに気まずい雰囲気になったのでは、バラエティ番組が成立しません。
そういう意味で松本氏は徹底的に謝罪して反省の態度を示すべきでした。

中居氏はどうすればいいのか、よくわかりません。
ありのままを話して反省の態度を示すと、罪に問われる可能性がありますし、フジテレビも巻き込んでしまいます。
芸能界引退しかないのかなと思います。


なお、渡邊渚氏は近くフォトエッセイを出版するということで、かなり元気になられたようです。
犯罪行為があったなら告発するべきだと考える人もいるかもしれませんが、中居氏を有罪にしたところでなにもいいことはないので、渡邊氏の判断は批判されるべきではありません。

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このところ「男性差別だ」という非難の声が上がって炎上するケースが相次いでいます。
目立つものを並べてみました。

・7月下旬、衣料品チェーン・しまむらグループの子ども服に「パパはいつも寝てる」「パパはいつも帰り遅い」「パパは全然面倒みてくれない」という文字が書かれていたことに「男性差別だ」という声が上がって、結局その商品は発売中止になりました。

・8月初め、女性フリーアナウンサーがXに「夏場の男性の匂いや不摂生してる方特有の体臭が苦手すぎる」などと投稿すると非難が殺到。すぐに釈明・謝罪しましたが、「男性差別だ」などの非難がやまず、所属事務所から契約解消されてしまいました。

・8月下旬、自民党総裁選のポスターに対してTBS系「News23」でトラウデン直美氏が「おじさんの詰め合わせ」などとコメントすると、やはり「男性差別だ」という声が上がりました。

・9月初め、焼き肉チェーンの牛角が始めた「食べ放題 女性半額」キャンペーンに対して「男性差別だ」という声が上がり、多くのメディアが取り上げて議論になりました。


フェミニズムサイドから「女性差別だ」という声が上がって炎上する事案がよくあるので、それに対する意趣返しで、男たちががんばって炎上させている感じです。
しかし、所詮は「女性専用車両があって男性専用車両がないのは男性差別だ」と主張するのと同じレベルの議論です。


たとえば、しまむらの子ども服ですが、「パパはいつも寝てる」「パパはいつも帰り遅い」「パパは全然面倒みてくれない」という言葉は、仕事ばかりで育児に参加しない父親を描写しているだけで、批判しているわけではありません。
ワンオペで育児をがんばっている母親には共感されるでしょうし、育児をやっている父親にとっては、自分には関係ない言葉です。
しかし、育児に参加していないことをやましく思っている父親にとっては、自分を批判する言葉に思えるでしょう。
ですから、しまむらを非難しているのは、育児をろくにやっていない父親か、そういう父親に共感する男であろうと推測できます。
しまむらにとっては非難をはね返すことは容易でした。


女性フリーアナウンサーは個人的な意見をXで発信しただけなのに「男性差別だ」と非難されました。
すでに削除されましたが、Xに投稿された文章は「ご事情あるなら本当にごめんなさいなんだけど、夏場の男性の匂いや不摂生している方特有の体臭が苦手すぎる。常に清潔な状態でいたいので1日数回シャワー、汗拭きシート、制汗剤においては一年中使うのだけど、多くの男性がそれくらいであってほしい…」というものでした。
あくまで「あってほしい」という個人の願望を述べているだけで、命令したり強要したりしているわけではありません。
「1日数回シャワー」というところに引っかかるかもしれませんが、なんの権力もない個人が言っているだけですから、無視すればいいことです。

お笑いコンビ「空気階段」の鈴木もぐら氏はラジオ番組でこの件に触れ、「俺が子どものころの“おじさん”って、男性差別だとか騒ぐような人じゃなかった」と指摘した上で、「クサい」と言われたとしても「クサいですか。すいません」程度で返せばいい、それができなくなっているのはおじさんが弱くなっているからだと語りました。
この「おじさんが弱くなっている」説はかなり共感を呼びました。


自民党総裁選のポスターを「おじさんの詰め合わせ」とたとえたことが「男性差別だ」と非難されたのはバカバカしいとしか言いようがありません。
このポスターを「おじさんの詰め合わせ」とたとえたのは言い得て妙です。
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女性政治家が集団で写っている写真を持ってきて、「これを『おばさんの詰め合わせ』と言ったら大騒ぎになるだろう」と言う人もいました。
しかし、女性政治家の写真は単なる集合写真で、「詰め合わせ」ではありません。自民党のポスターは実際に「詰め合わせ」です。
問題は「おじさん」「おばさん」でもなければ「詰め合わせ」でもありません。歴代自民党総裁が「全員おじさん」であることです。「女性差別」のみごとな視覚化です。

実際のところは、「おじさんの詰め合わせ」という言葉が炎上したのは、それを言ったのがトラウデン直美氏という若い美人だったからです。
古い男の考えでは、テレビに出てくる若い美人はいつもニコニコしていて当たり障りのないことを言っていればいいというものです。それがきびしく男性政治家を批判したので古い男が逆上したのです(石丸伸二氏に対した山崎怜奈氏も同じようなものです)。


牛角は9月上旬に期間限定で食べ放題コースが女性のみ半額となるキャンペーンを始めたところ、「男性差別だ」という声が殺到しました。
約4000円のコースが半額になれば約2000円の得ですから、金額が大きいということもあります。
それに、昔はレディース・デイみたいな女性限定のサービスがけっこうありましたが、最近はあまり見かけません。女性(男性)限定サービスというのは好まれないのかもしれません。

しかし、少なくとも食べ放題に限っては、女性限定サービスは合理的なものです。
厚生労働省のホームページには、1日に必要なエネルギーは「活動量の少ない成人女性の場合は、1400~2000kcal、男性は2200±200kcal程度が目安です」と書かれています。
つまり平均して男性は女性より多く食べるのです。
「食べ放題 女性料金」で検索すると、食べ放題の料金が女性のほうが安く設定されている飲食店がいっぱいあることがわかりますし、バイキングやビュッフェ方式では女性料金や子ども料金が安くなっているのは普通に見られます。
牛角によると、食べ放題で女性は男性より4皿少ないというデータがあるそうです。

ということは、牛角では通常は食べ放題男女同一料金ですが、これは明らかに女性が損です
したがって、期間限定女性半額キャンペーンは、日ごろ損をしている女性への還元と見なすことができます。
ところが、女性半額キャンペーンが告知されると、多くの男が「男性差別だ」と声を上げました。
日ごろ男が得をしていることに気づかないか、見て見ぬふりをした身勝手な主張です。

要するに「男性差別だ」と主張する人は、目の前のことだけ見て、背後に広がる社会を見ていません。
女性専用車両を「男性差別だ」と言う人は、痴漢被害者がほとんど女性であることを見ていませんし、食べ放題女性半額を「男性差別だ」と言う人は、日ごろ男性のほうが女性より多く食べているということを見ていません。


ひろゆき氏も「女性半額は男性差別」という立場ですが、「アメリカで白人と黒人で、黒人の方が焼き肉を多く食べます、だから白人優遇です、って言ったら、普通に人種差別じゃないですか」というわけのわからないたとえを持ち出すので、男性のほうが女性より多く食べるということを理解せずに議論をしているようです。
ひろゆき氏は対談相手が「男性差別だと民事訴訟を起こしても『受忍の範囲』として退けられるだろう」と言ったことをとらえて、「受忍の範囲なら差別してもいいのか」「小さな差別が少しづづ積み重なることで、差別は大きくなります」「『どんな差別も許容しない』という方針で差別を一つづつ無くした時に、最後に差別はなくなります」という論法で、小さな男性差別も許してはいけないと主張します。

ひろゆき氏は女性差別と男性差別を同列に扱っているようです。
しかし、女性差別と男性差別は根本的に違います。

今の世の中は女性差別社会です。
女性差別はいたるところにあるのですが、いちいち取り上げるわけにはいかないので、特別に目立ったものだけがやり玉に上がって炎上することになります。
炎上は差別語やポスターの絵などがきっかけなので、言葉狩りと見られがちですが、言葉はもちろん意識とつながっています。
しかし、差別意識を守りたい人は、言葉と意識を切り離して、「言葉狩りだ」「ポリコレにはうんざりだ」といった反応をするわけです。

女性差別社会にも、男性が差別される状況が生じることがあります。
しかし、そうした男性差別は局地的、一時的現象ですから、めったにあることではありません。
「男性差別だ」と騒がれるのは、ここで取り上げたケースのように、ほとんどがこじつけです。
しかし、「男性差別だ」と騒いで企業や個人を攻撃し、なんらかの対応を引き出すという成功体験がいくつかあるために、このところ「男性差別だ」と騒ぎ立てるケースが増えているのかもしれません。

「女性差別社会における男性差別」はめったにあることではなく、ほとんどがこじつけだということを理解すれば、うまく対応できるはずです。

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松本人志氏は文藝春秋と週刊文春編集長を訴えた裁判を前にして、みずからの心境を文書にして発表しましたが、これがなんとも情けないものでした。
このところ松本氏を擁護する声が盛り上がっていましたが、擁護派の人たちもこの文章を読んでがっかりしたのではないでしょうか。
短い文章なので、全文を引用します。

人を笑わせることを志してきました。

たくさんの人が自分の事で笑えなくなり、

何ひとつ罪の無い後輩達が巻き込まれ、自分の主張はかき消され受け入れられない不条理に、ただただ困惑し、悔しく悲しいです。

世間に真実が伝わり、一日も早く、お笑いがしたいです。

 ダウンタウン松本人志
「自分の主張はかき消され」といいますが、松本氏が主張したのは「事実無根なので闘いまーす」ぐらいです。
「何ひとつ罪のない後輩達」のことを思うなら、自分が沈黙せずにどんどん発言するべきです。
「一日も早く、お笑いがしたいです」といいますが、そもそも芸能活動休止を決めたのは自分です。法律の専門家はみな、芸能活動をしながら裁判をすることは十分可能だと言っていました。

この文章でただひとつ評価するところがあるとすれば、「家族」を持ち出さなかったところです。「家族がつらい思いをしている」ということで同情を誘うのがありがちな手法です。

文章の全体が「泣き言」か「繰り言」です。
裁判が始まる直前の文章ですから、本来なら裁判闘争に向けての決意表明をするところです。

この文章を「負け犬の遠吠え」とたとえようと思いましたが、「負け犬の遠吠え」は表面的に強がっているときの表現です。
松本氏の文章には強がっているところがまったくなく、悲観一色です。

松本氏はおそらく裁判で訴えるべきことがないのでしょう。
訴えるべきことがあるなら、最初から記者会見などをしているはずです。
裁判を始めたのも、記者会見をしない口実にするためでしょう。
お笑いをしたいなら裁判などするべきではありませんでした。

それに加えて、Xで「とうとう出たね。。。」と「事実無根なので闘いまーす。それも含めワイドナショー出まーす」と発信したところ、世の中から圧倒的に否定されてしまいました。
そのため松本氏は自分が世の中からずれていることを認識し、発信する自信を失ったのでしょう。

松本氏は裁判に備えて弁護士と何度も打ち合わせをしたでしょう。
それによってどの程度勝ち目があるかもわかったはずです。
その結果がこの文章です。


松本氏がこれほど弱気になっているということを世間はまだ理解していないかもしれません。
松本氏は圧倒的な力を持っている人というイメージだからです。
実際、お笑い界に第一人者として君臨し、吉本興業の力もあって、テレビ界にも圧倒的な存在感を示してきました。
体を鍛えてマッチョでもあり、写真ではいつも人をにらみつけるような顔をしています。
長者番付(高額納税者名簿)が発表されていたころ、松本氏と浜田氏はつねに芸能界の一位、二位を争っていましたから、松本氏はお笑い界だけではなく芸能界でもトップの存在です。
安倍首相も松本氏の番組であるワイドナショーを選んで出演していましたから、松本氏は最高権力者にも近いところにいました。

松本氏はあまりにも力を持ったのが間違いのもとでした。
自分の力を過信したため、女性から性加害を告発されたとき、簡単にはね返せると思って、「事実無根なので闘いまーす」と言ってしまったのです。
吉本興業も「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです」と松本氏と同一歩調をとって、松本氏の勘違いを助長しました。

現状を見ると、松本氏の応援団は声を上げていますが、松本氏本人が闘志を失っている状況です。
被害女性が声を上げる#MeToo運動の力は偉大です。
アメリカでは大物映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインも#MeToo運動で告発されたことがきっかけで失脚しました。
日本で芸能界トップの松本氏が失脚しても不思議ではありません。


ところが、ここにきて急に週刊文春に対する批判が強まりました。
最初のきっかけは、松本氏の性加害告発の最初の記事が載った週刊文春45万部が完売したとして竹田聖編集長がコメントを発表したことです。
ここから週刊文春はもうけ主義だという批判が強まり、週刊誌は嘘を書いて訴訟で負けてももうかるのだといったことが言われました。
たとえば堀江貴文氏は自身のYouTubeチャンネルで「週刊文春はいろんな偉そうなことを言ってますけど、金のためにしかやってません。正義感とか1ミリもないと思います。記事になって自殺した人がいてもしょうがねえって言ってるんですよ。それぐらいのほんとうにクズみたいな組織なんで」と語りました。

それから、文芸春秋の新谷学総局長がYouTubeのある企画で「これを刑事事件として立件するのははっきり言って不可能だと思うんですよ」と述べ、その理由を「彼女の証言だけで、客観的なそれを裏付ける証拠もないわけですよね。それで被害届を出して警察で事件にできるかと言うと、不可能」と語りました。
そうすると、刑事事件にならないものを週刊文春が裁くなら、それは「私刑」ではないかという批判が上がりました。
幻冬舎編集者の箕輪厚介氏は週刊文春のインタビューで「SNSでは毎日のように“ネット生贄ショー”が繰り広げられています。今、文春はこのゲームの旗振り役と化している。文春が『この人だ!』と指差せば、世間は生贄を社会的に抹殺すべく暴走してしまう」と語りました。
古市憲寿氏はワイドナショーで「世の中の受け止め方が今すごい真面目になりすぎてる。週刊誌がなんかもう警察兼、検察兼、裁判所みたいな」と語りました。


メディアの現状を見ると、新聞、テレビが当たりさわりのない報道しかしない中で、週刊文春だけが気を吐いています。
こんな週刊文春批判によって週刊文春の力がそがれてしまったらたいへんです。日本はほんとうにだめな国になってしまいます。
なぜ週刊文春批判が高まったのでしょうか。


松本氏は「男らしさ」を一身に背負ったような人です。その松本氏が#MeToo運動とその背後のフェミニズムに負けるというのは多くの男にとって耐えがたいことです。
かといって、声を上げた被害女性を批判するとセカンドレイプと言われます。
そこで、代わりに週刊文春を批判しているのでしょう。

したがって、ここで週刊文春を批判するのはセカンドレイプも同然の行為です。
しかも、週刊文春は巨悪を撃ってきた唯一ともいえるメディアですから、週刊文春批判は亡国の道です。


松本氏が追い詰められているのは、週刊文春のせいではなく、#MeToo運動のせいであり、声を上げた被害女性のせいです。
松本氏が一日も早くお笑いをしたいなら、一日も早くみずからの罪に向き合い、被害女性に謝罪することです。

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松本人志氏の性加害問題は、週刊文春の続報や過去の発言の掘り起こしによって松本氏が窮地に追い込まれています。
最初に被害女性に謝罪しておけばこんなことにはなりませんでした。

もし松本氏の行為が犯罪だったら謝罪だけではすみませんが、今のところ報道された限りでは、松本氏が抵抗する女性を押さえつけてむりやり性交したとか、ケガさせたとかいうケースはありません。
女性が抵抗を続けると、怒って「出ていけ!」と言って部屋を追い出すか、「本番」以外の行為をさせて妥協しています。
今の時代はこれも犯罪ですが、10年ほども前のことですから、検察は「本番」行為がなければ起訴しても有罪にならないと判断したでしょう。
ですから、松本氏も自分の行為は非難されるものではないと思っていた可能性があります。

しかし、法律的に罪にならないとしても、女性の心を傷つけたのですから、謝るのは当然のことです。
「自分としては傷つけるようなことをしたつもりはなかったが、相手が傷ついたと言うなら、そうなのだろう。自分が間違っていた。申し訳なかった」と言えばいいわけです。

松本氏は謝罪しなかったために、「事実無根です」などと逆方向に暴走しました。
そのおかげでいろいろな問題が見えてきたということがあります。
たとえば、松本氏の女遊びの実態と後輩芸人との関係、吉本興業の問題対応能力のお粗末さがあらわになりました。
そして、なによりも性加害の実態が広く知られるようになりました。


松本氏はなぜ謝罪しなかったのでしょうか。

謝罪というと普通は、親が子どもに「謝りなさい」と言って謝らせるか、会社で失敗した部下が上司に謝るということが思い浮かぶでしょう。
たいていは下の人間が上の人間に謝るものです。「謝らされる」といったほうがいいかもしれません。
上司が部下に謝ることもありますが、それは上司が心の広い人間である場合だけです。パワハラ上司が部下に謝るということはありません。ガミガミ怒ってばかりいる親が子どもに謝ることもまずないでしょう。
つまり上の立場の人間が下の立場の人間に謝るのは心理的抵抗があるものです。


松本氏は女性を性の対象としてしか見ていなくて、女性が傷つくことに無頓着であるようです。
男性のこうした態度をミソジニーといいます。
ミソジニーは「女性嫌悪」とも「女性蔑視」とも訳されますが、嫌悪と蔑視では意味がかなり違います。
私としては「女性蔑視」とするのがいいと思います。
ミソジニーの男は女性を自分より下の人間と見ているのです。
そのためミソジニーの男は「謝れない男」でもあります。

松本氏は芸人の後輩に女性の調達をさせていることから、後輩も見下しているようです。また、体罰肯定論をずっと主張していたので、子どもも見下しています。
松本氏は女子ども後輩を見下しているわけです。


もっとも、松本氏は昔からそうだったわけではありません。
ダウンタウンは1980年代後半から頭角を現し、まったく斬新な漫才で人気を博しました。20代半ばの彼らは若者のヒーローでした。
当時の若者は、今も松本氏に特別の思い入れがあるようで、『松本人志”逆告発”ムーブが増大…「14歳の春に」「私も。まだ中1の春でした」 ネット賛否』という記事に、若いころにファンだった人がその思いをXに投稿しているということが書かれています。
 連発する週刊誌の告発の文体を意識するような「ある告発」が24日、X上に投稿され、注目を集めた。「私も匿名だけど告発します」の書き出しで「『松本人志さんから13歳の夏に...』生きる力を貰いました」と続く。「ダウンタウン」と松本を肯定的にとらえた”エール”だった。

 それらに準ずるように「松本人志さんから14歳の春に、、、友人をつくる術を教えてもらいました」と感謝したり、「私もです。まだ中1の春でした」と書き出した「笑いはキレイなものばかりではない。哀愁や悲しさでも笑えると、教えてもらいました」といったものも…。日を追うことにこうした同様の文体で訴える投稿は数を増し、一種のムーブメントとなりつつある。
私がこれを読んだときに思い出したのは、神戸児童連続殺傷事件の犯人であった酒鬼薔薇聖斗こと少年Aが『絶歌』という著書の中で松本氏について書いた文章です。松本氏のことを深いレベルでとらえているのに感心して、かつてこのブログで引用したことがあります。それをここで再録しておきます。
ダウンタウンは関西の子供たちにとってヒーローだった。「ダウンタウンのごっつええ感じ」が放送された翌日には、みんなで彼らのコントのキャラを真似して盛り上がった。
他の同級生たちがどう見ていたのかは知らないが、僕がダウンタウンに強く惹きつけられたのは、松本人志の破壊的で厭世的な「笑い」の根底にある、人間誰しも抱える根源的な「生の哀しみ」を、子供ながらにうっすら感じ取っていたからではないかと思う。にっちもさっちもいかない状況に追い詰められた人間が「もう笑うしかない」と開き直るように、顔を真っ赤にして、半ばヤケっぱちのようにギャグを連射する松本人志の姿は、どこか無理があって痛々しかった。彼のコントを見て爆笑したあとに、なぜかいつも途方もない虚しさを感じた。
若者は親、教師、権威、権力に抑圧されているので、必ず葛藤を抱えています。松本氏は若者の葛藤を誰よりも体現していたので、若者のヒーローになったのでしょう。

「笑い」の芸能は、権威や権力も笑いの対象にするので、必然的に反権威、反権力の面があります。
ツービートが出てきたときなど、典型的な反権威、反権力の笑いでした。ビートたけし氏は今もそのころと基本的に変わっていません。
浜田雅功氏もずっと“悪ガキ”のままです。

しかし、松本氏は反権威、反権力からどんどん権威、権力の側にシフトしていきました。
今ではほとんどのお笑いコンテストで審査員を務めるなどして、お笑い界の最高の権威になっています。
また、安倍首相と会食し、安倍首相を自分の番組に呼ぶなどして、国家権力に接近しました。
このようなお笑い芸人は過去にいなかったでしょう。

なお、吉本興業も安倍政権と菅政権に接近し、大阪の維新の会とも連携して、国や大阪の仕事を受けるようになっています。


松本氏は自分が権威、権力になったので、ますます「謝れない男」になりました。
とりわけ安倍首相に接近して、“アベ友”になったのは最悪です。
安倍首相を中心とした保守派は最悪のミソジニーだからです。

慰安婦問題では、名乗り出た元慰安婦の女性を保守派は嘘つき呼ばわりしていました。相手が韓国人なので日本国内ではあまり問題にされませんでしたが、国際社会から見たらひどい話です。結局、安倍首相はオバマ政権の圧力で慰安婦問題に関して「おわびと反省」を口にせざるをえませんでした。

伊藤詩織さんをレイプした山口敬之氏もアベ友でした。保守派はこぞって被害者として名乗り出た伊藤さんを誹謗中傷しました。山口氏は伊藤さんがレイプされたあとに出したメールを公開して、レイプがなかった証拠だと主張しましたが、松本氏が被害女性のLINEを引用して「とうとう出たね。。。」とポストしたのが、それとまったく同じ手口です。

松本氏は安倍首相に接近したためにミソジニーを強めて、よりいっそう「謝れない男」になったに違いありません。


私自身は、ダウンタウンが出てきたころはほとんどテレビを見ない生活をしていたので、当時のことはよく知りません。印象に残っているのは、2000年から始まった「松本紳助」です。松本氏と島田紳助氏が向かい合ってしゃべるだけの番組ですが、これが驚くほどおもしろいものでした(最初の1、2年だけですが)。「すべらない話」も最初のうちはおもしろく、芸人が実際にあったことをおもしろく語るという“エピソードトーク”を始めたのも松本氏ですから、お笑いの能力は傑出していたと思います。

しかし、松本氏が権力の側に傾斜するとともに(マッチョになったのもそのころ?)、世の中の常識を揺さぶるような笑いはなくなり、強い者が弱い者を笑う笑いに変化しました。
“悪ガキ”のままの浜田氏が横にいるので救われていますが、松本氏一人のときは権力者くささが鼻についてまったく笑えません。若い人に支持された昔の松本氏とはまったく違います。

お笑い芸人なら、スキャンダルが出てきたときは、認めることは認めて、笑いに変えなければなりません。実際、「まつもtoなかい」で松本氏は「文春が来た時の一言目はもう決めてるんだけどね。『とうとうバレたか~』って言って逃げたろうかなって思ってる」と言っていました。
ところが、実際はまったく笑いのない方向に逃げたのですから、お笑い芸人として終わっています。
認めることのできないようなことをしていたのなら、やはり終わっています。

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松本人志氏の性加害に関する文春砲の第二弾は、「三人の女性が新証言」「恐怖のスイートルームは大阪、福岡でも」という見出しで、C子さん、D子さん、E子さんの3人がそれぞれに体験したことを語りました。
3人とも松本氏の後輩芸人に誘われ、飲み会に行ったりしたあと、最終的に高級ホテルの一室に誘われました。すると、そこに松本氏がいます。
C子さんは自分が松本氏とセックスをします。
D子さんは松本氏と二人きりになるのを拒み、D子さんの友人が部屋に残りました。
E子さんも松本氏と二人になるのを拒み、結局友人が松本氏に“献上”され、エッチをしたとあとで友人から聞きました。

3人の女性が松本氏とセックスをしたと見られますが、どれも「合意」の上のことですから、文春砲第二弾は拍子抜けです。

ですから、今のところ松本氏にとって問題なのは、文春砲第一弾のA子さんとB子さんのケースだけです。これは性行為の「強要」があったとされるので、深刻です。
とはいえ、刑事事件にはなりそうにないので、松本氏がすぐに反省の態度を示して謝罪すれば、大きな問題にはならなかったでしょう。
ところが、松本氏は「事実無根」と言ったために、A子さんは怒って「今後、裁判になったとしたら証言台で自分の身に起きたことをきちんと説明したいと考えています」と今回の文春の記事の中で言っています。
今後の裁判というのは、性行為の「強要」があったか、それとも「合意」があったかということが争点になると思われるので、A子さんが毅然とした態度で証言すると松本氏は苦しくなります。


ただ、謝罪会見というのはむずかしいものです。
これまで企業や個人が数々の謝罪会見を行ってきましたが、謝罪のしかたによってはかえって炎上します。
松本氏の場合、性格的に「真摯に謝罪する」ということができません。これまでそんな場面を一度も見たことがありませんし、真摯になるべき場面でも必ず笑いを入れてごまかしてきました。

しかも、この場合は女性に対して謝罪するわけです。
松本氏は女性を見下してきた人ですから(とくに性的な場面で)、「女性に対して真摯に謝罪する」というのは、松本氏においては不可能の上に不可能を積み重ねた行為です。

本来なら吉本興業が松本氏に謝罪会見をさせるところですが、吉本興業と謝罪会見というと、闇営業問題で宮迫博之氏と田村亮氏が真摯な会見をしたことが思い出されます。
そして、吉本の岡本明彦社長はなんと5時間半にも及ぶグダグダの会見をして、世の中をあきれさせました。
ただ、そのときに岡本社長は宮迫氏と田村氏の処分を撤回すると発表しましたが、宮迫氏はいまだにテレビに出られず、田村氏もほとんど“干された”状態になっています。
真摯な謝罪会見をした宮迫氏と田村氏が日陰に追いやられ、グダグダの会見をした岡本社長は今も芸能界の支配的立場にあります。

吉本興業がテレビ局に対して圧倒的な力を持っているのは旧ジャニーズ事務所と同じです。
これを機会に吉本興業のあり方も正常化してほしいものです。


今後行われる裁判で松本氏が勝訴しても、松本氏が今まで通り活躍できるようになるかというと、そうはいかないでしょう。
文春のふたつの記事は新たな問題をあぶり出しました。

文春の記事によると、松本氏はしょっちゅう女性との飲み会をして、その中から一人の女性を選んでセックスをしていることになります。
既婚者の身でそういうことをしているのを不愉快に思う人が多いでしょう。
そして、毎回違う女性を選んでいるのも不愉快に思う人が多いでしょう。
浮気や不倫は多少なりとも恋愛の要素がありますが、松本氏の場合は女性を性の対象としてしか見ていません。

それから、飲み会に女性を集めるのを後輩芸人にやらせ、セックスの対象に選んだ女性を口説くのも後輩芸人にやらせています。
文春が「SEX上納システム」と書いたのはそういうことです。
女性を集め、口説くといういちばんむずかしいところを後輩にやらせ、自分はおいしいところだけいただくというやり方です。
まるで大奥で女性を選んだ将軍です。


「SEX上納システム」は後輩芸人の働きによって成り立っています。
今回の記事には、福岡ではパンクブーブーの黒瀬純氏とその後輩芸人、大阪ではクロスバー直撃の渡邊センス氏とたむらけんじ氏がその役割をしていたと書かれています。前回の記事では小沢一敬氏でした。
ほかにもいっぱいいそうです。というのは、「人志松本のすべらない話」に出演した博多大吉氏も、女性を集めて松本氏を接待したという話をしているのです。
YouTubeからその話を要約して紹介します。

「ぼくら福岡で先輩芸人がこられたときにおいしいお店に連れていったり、女性をセッティングしたりというのを15年ぐらいやってたんです。十何年前、松本さんが初めて福岡にこられたとき、今田さんらと5人ぐらいでくると。で、わかってるかと、ちゃんと女の子を用意するようにと。正直言って、人気のない先輩だと女の子はあんまり集まらないんですけど、松本さんなら余裕で集まると思ってたんです。しかし、女の子に声をかけると、松本軍団が全国を飲み歩いているというのがへんな感じで伝わっていて、みんな飲み会は行きたくないと。なぜならなにされるかわからないと。いただける笑いよりも、のちに与えられる暴力のほうが上回るだろうと。前日か前々日に、飲み会に行ってもいいよという女の子は一人だったんです」

このあと、多方面に声をかけまくったら50人の女の子が集まって、飲み会の費用が33万6000円になり、松本氏の顔が青くなったというオチになります。
この話には「SEX上納」は出てきませんが、「いただける笑いよりも、のちに与えられる暴力のほうが上回る」という言葉は重いものがあります。

たむらけんじ氏は飲み会のあったことは認めていますし、LINEが流出したことで小沢氏の飲み会があったことも確かです。「SEX上納」の部分については女性の証言だけですが、松本氏の過去の行状などからもあったことは間違いないでしょう。

後輩芸人は、松本氏のために女性を集め、松本氏とセックスするかどうかまで確かめているわけで、こんなことはしたくないに決まっています。
松本氏が権力を持っているから、後輩はしかたなくしているのです。後輩にすればパワハラです。
いずれ後輩からパワハラを告発する声が上がっても不思議ではありません。


私は性加害の問題が発覚する以前から、松本氏の人間性を嫌っていました。

松本氏は体罰賛成論者で、テレビで何度も体罰賛成論を述べていました。
橋下徹氏も昔は体罰賛成論を盛んに主張していましたが、時代の流れを読んで、あるときから体罰否定論に転換しました。
しかし、松本氏は2017年にトランペット奏者の日野皓正氏が男子中学生にビンタするという事件があったときも体罰賛成論を言っていたので、おそらくテレビで最後まで体罰賛成論を言った人間です。

また、松本氏は赤ん坊や母親にもきびしいことを言ってきました。
かつてツイッターに「新幹線で子供がうるさい。。。子供に罪はなし。親のおろおろ感なしに罪あり。。。」と投稿したことがあります。つまり泣いた赤ん坊の親を責めたのです。
また、やはり新幹線の車中で、母親が1歳未満の赤ん坊に話しかけているのがよほど気にさわったらしく、「2時間半もずーっとしゃべってんねん、まだしゃべれん子に」と言い、それで赤ん坊が言葉を覚えると指摘されると、「家でやったらええやん。新幹線はそういう場所じゃないやん」と主張を曲げませんでした。

子どもや赤ん坊や母親にきびしいということは、要するに弱い者にきびしいということです。
松本氏の笑いは弱者をバカにしていて、学校でのいじめにつながっているという批判が前からありましたが、もっともなことです。

女性をとっかえひっかえして性欲のはけ口にし、後輩芸人を女性調達係として使い倒すというのは、人として許されません。
松本氏がそんな人間だとわかったら、裁判がどうなろうと、もう笑えないのではないでしょうか。

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