村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: 虐待サバイバー

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失われた30年などといわれ停滞の続く日本ですが、目立ったよい変化もありました。
それはジャニー喜多川氏、松本人志氏、中居正広氏などによる性加害の被害者が声を上げられるようになったことです。
これまで権力者の前に泣き寝入りしてきた被害者が声を上げ、権力者がその座を追われるようになりました。
こうしたことの積み重ねは社会のあり方を変えていくに違いありません。

この動きの背景には、時代の変化もあります。
ジャニー喜多川氏の性加害に対する告発は1980年代から雑誌や単行本で行われていましたし、1999年には「週刊文春」が記事にし、ジャニーズ事務所は名誉棄損で文芸春秋を訴えましたが、記事は「その重要な部分について真実」とする判決が確定しました。にもかかわらずほかのマスコミや世の中はほとんど無視していました。被害者が警察に被害届を出そうとしても受理してもらえなかったそうです。そうなると、被害を訴え出たほうが逆に非難されることになります。

状況が変わったのは2023年3月、イギリスのBBCが喜多川氏の性加害についてのドキュメンタリーを放送し、同年4月にカウアン・オカモト氏が実名・顔出しで記者会見を行ったことです。ここから性加害告発の流れができました。
そして、松本人志氏、中居正広氏に対する告発へと続きます。

しかし、これも容易なことではありません。事実関係について争いが起こるだけでなく、告発した被害者への誹謗中傷がすさまじいからです。
世の中には性加害をする人間の側に立つ人間がたくさんいます。
そういう人たちは、加害者に味方するには被害者を攻撃して黙らせるのがいちばんいい方法だとわかっています。
これまではそのやり方が奏功していましたが、今では被害者を攻撃する声よりも被害者を守る声のほうが大きくなり、状況が変わりました。

これは当然、世の中の価値観が変わったからです。
そして、裁判所も世の中の価値観に合わせるだろうと想像できます。松本氏が文芸春秋への訴訟を取り下げたのもそういう判断からでしょう。

価値観が変わる前の告発は、ジャニー喜多川氏への告発がそうだったように、逆に反撃されて、声を上げた被害者がひどい目にあいかねません。
実はアメリカでそういうことがありました。


前回の「いちばん認識しにくいがいちばん大切なこと」という記事で、子どもは親から虐待されたことをなかなか認識できないということを書きました。
中でも認識しにくいのが性的虐待、つまり娘が実の父親にレイプされるというケースです。
本人も認識しにくいですが、周りの人間も認めたくないので、かりに娘が周りの人間に訴えても聞いてもらえません。逆に否定されます。
心理療法においても、権威あるフロイト心理学は幼児虐待を認めないので、性的虐待の被害者は放置されてきました。

しかし、1980年代から一部のカウンセラーが催眠や薬品を使って記憶を回復させる「記憶回復療法」を行うようになり、それによって父親からレイプされたという記憶を回復させる患者が多く出てきました。
そして、こうした性的虐待の被害者が家族(多くは父親)を告発し、裁判に訴えるケースが頻発しました。

ジャニー喜多川氏は、親代わりの立場で未成年者に対して性加害を行ったわけですが、近親相姦ではありません。
アメリカの場合は、多くは父親と娘という近親相姦です。
しかも、子ども時代の性的虐待をおとなになってから訴えるのですから、物的証拠はほとんどなく、当事者と周囲の人間の証言しか判断材料がありません。困難な裁判になりますが、カウンセラーやフェミニスト団体が支援体制をつくり、公訴時効を延長するなどの法改正も行われました。

法廷において親と子が対決するという状況に家族制度の危機を感じたのが保守派です。
保守派は反撃を開始し、その先頭に立ったのが心理学者のエリザベス・ロフタスです。ロフタスはおとなの被験者に対して「5歳ごろにショッピングセンターで迷子になったが、親切な老婦人に助けられ、両親と再会することができた」という偽の記憶を植えつける心理実験を行い、約4人に1人の割合で偽の記憶を植えつけることに成功しました。
「ショッピングセンターで迷子になった」というのは「父親にレイプされた」というのとはあまりにも違いすぎますし(トラウマになるような心理実験は許可されません)、植えつけに成功したのは4人に1人でしかありませんが、ロフタスや保守派はこの実験をもとに、セラピストが患者に幼児期に父親にレイプされたという偽の記憶を植えつけたと主張しました。
そして、「偽りの記憶症候群」という言葉がつくられ、「偽りの記憶症候群基金(FMS基金)」なる団体が組織され、寄付が集められて、被告の法廷闘争を理論面と資金面から支援しました。
これは保守派対リベラルの戦いとなり、「記憶戦争(Memory War)」などと呼ばれました。

マスコミは最初、親を告発した子どもを正義、告発された親を悪人として報道していました。
しかし、保守派は極左のセラピストや過激なフェミニストが患者を洗脳して家族を破壊しようとしていると主張しました。
そして、マスコミはセラピストを悪人とするほうに乗りました。
そうして裁判は次々と親側が勝訴していきました。
さらに、親側はセラピストを不正医療行為をしたとして訴え、セラピストは100万ドル、240万ドル、267万ドルといった巨額の賠償金または和解金を支払わされる破目になりました。
「記憶戦争」は親側、保守派の全面勝利で終わったのです。

このことについて私は「『性加害隠蔽』の心理学史」という記事の中で書きました。
ウィキペディアの「過誤記憶」もわかりやすいまとめになっています。


ところで、性的虐待の被害を訴えた人には、悪魔主義の儀式に参加させられたという人が少なからずいました。たとえばウィスコンシン州で看護助手をしていたクールという女性は「悪魔儀式に加わり、赤ん坊を貪り、性的暴行を受け、動物と性交し、8歳の友人が殺されるのをむりやり見させられた」と主張しました。
こんな荒唐無稽な話は嘘に決まっているということで、被害者の訴えは信用性をなくしました。
しかし、「ディープ・ステート」という陰謀論の核心は「世界は小児性愛者の集団によって支配されており、悪魔の儀式として性的虐待や人食い、人身売買を行っている」というものです。
こちらの話を信じる人が多いのはどういうことでしょうか。
実際のところは、悪魔主義の儀式は水面下でかなり行われていて、セラピストの治療はその暗部をあぶり出したのではないでしょうか。
悪魔主義を描いた小説や映画が多数存在するのもゆえないことではないでしょう。
なお、悪魔主義の儀式に小児性愛の儀式はつきものであるようです。



裁判の結果がどうなろうと、子どもに対する性的虐待は確実に存在します。
Copilotに「アメリカにおける子どもへの性的虐待の件数は?」と聞いた答えを示しておきます。
アメリカでは、2021年に約59,328人の子どもが性的虐待の被害を受けたと報告されています。これは、虐待全体の約10.1%を占める数字です。ただし、性的虐待は報告されないケースも多く、実際の被害件数はさらに多い可能性があります。
また、18歳以下の子どもの4人に1人の女の子、6人に1人の男の子が性的虐待を受けているという統計もあります。さらに、児童性的虐待の被害報告の中央値は9歳とされており、特に幼い子どもが被害に遭うケースが多いことが分かっています。
この問題は非常に深刻であり、アメリカでは防犯対策や性教育の強化が求められています。もし詳しく知りたい場合は、こちらの情報を参考にしてください。
さらに「親が自分の子どもを性的虐待した件数は?」と質問すると、「アメリカでは、児童性的虐待の加害者の約30〜40%が家族であると報告されています。特に、加害者の多くは親や親族であるケースが多く、児童虐待全体の中でも深刻な問題とされています」ということです。


おそらく裁判のほとんどは親が有罪になるべきだったでしょう。
訴えるのが早すぎたのです。
日本でジャニー喜多川氏への早すぎる告発がすべて無視されたのと同じことになりました。
いや、アメリカでは裁判が行われたために、不都合な判例が積み上がってしまいました。
今や子どもが親を告発するということはほとんど不可能でしょう。


保守派は家庭という強固な足場を得て、人権運動に対する反撃に出ました。
その典型的な動きが、「母親の権利」を掲げる保守系団体の運動です。人種差別反対や多様性推進を主張するのは子どもへの洗脳だとして、そうした本を学校図書館から排除するように要求し、こうした「禁書」の動きは全米に広がっています。また、保守派のデサンティス知事のいるフロリダ州では「教育における親の権利法」という州法が成立し、これによりLGBTなどの「性的指向や性自認に関する教室での指導」が禁止されました。
アメリカは親が子どもを支配する国になり、子どもの権利がまったく認められなくなりました。

子どもの権利だけでなくマイノリティの権利も認められません。
今のアメリカでは人種差別反対をいうと白人差別だとして攻撃されます。
このような流れの中でトランプ政権が誕生しました。


アメリカがあきれるほどの人権後進国になった転換点は「記憶戦争」にあります。
日本はアメリカのようにならずによかったですが、アメリカが人権後進国になったのは喜べません。



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5月7日、東京メトロの東大前駅で、男性客に刃物で切りつけて殺人未遂容疑で現行犯逮捕された戸田佳孝容疑者(43歳)は、犯行動機を「小学生の時にテストの点が悪くて親から叱られた」「教育熱心な親のせいで不登校になり苦労した」「東大を目指す教育熱心な世間の親たちに、あまりに度が過ぎると子がぐれてれて、私のように罪を犯すと示したかった」などと供述しました。
このところ「教育虐待」が話題になることが多く、容疑者は「教育虐待」の被害者であることをアピールすれば世間に受け入れられると思ったのかもしれません。

「教育虐待」という言葉は2010年代からありますが、世に広く知られるようになったきっかけは2022年に出版された齊藤彩著『母という呪縛 娘という牢獄』というノンフィクションではないかと思います。母親に医学部に入るように強要され9年も浪人した娘が母親を殺害した事件を描いた本で、10万部を越えるベストセラーになりました。
世の中には親から「よい学校」へ行けとむりやり勉強させられたり、やりたくもない習い事を強制されたりした人が多く、そういう人の共感を呼んだのでしょう。

「教育虐待」の典型的な事件としては鳥栖市両親殺害事件があります。
2023年3月、佐賀県鳥栖市で当時19歳の男子大学生が両親を殺害しました。男子大学生は小学校時代から父親に勉強を強要され、殴られたり蹴られたりし、一時間以上正座をさせられて説教され、「失敗作」や「人間として下の下」などとののしられました。佐賀県トップの公立高校に進み、九州大学に入りましたが、それでも父親の虐待はやまず、大学の成績が悪化したことを父親に責められたときナイフで父親を刺し、止めようとした母親も刺殺しました。佐賀地裁は教育虐待を認定しましたが、判決は懲役24年でした。

「東大」と「教育虐待」というキーワードから思い出されるのは、2022年 1月15日に大学入学共通テストの試験会場である東京都文京区の東京大学のキャンパス前で、17歳の男子高校生が3人を刃物で切りつけて負傷させた事件です。この高校生は名古屋市の名門私立高校に在籍し、東大医学部を目指していましたが、思うように成績が上がらず犯行に及んだものと思われます。ただし、本人は動機についてはなにも語りませんでした。ウィキペディアを見ると、「人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考えるようになった」などと言ったようです。
「教育虐待」という認識はなかったのでしょう。若いのでしかたありません。

5月9日、愛知県田原市で70代の夫婦が殺害され、孫である16歳の男子高校生が逮捕されました。今のところ男子高校生は「人を殺したくなった」と供述していると伝わるだけです。
5月11日、千葉市若葉区の路上で高橋八生さん(84)が背中を刃物で刺されて死亡した事件で、近くに住む15歳の男子中学3年生が逮捕されました。男子中学生は「複雑な家庭環境から逃げ出したかった。少年院に行きたかった」と供述しています。
どちらの容疑者も背後に幼児虐待があったと想像されますが、本人はそれについては語りません。

ここに大きな問題があります。
人間は親から虐待されても自分は虐待されているという認識が持てないのです。
ベストセラーのタイトルを借りれば、ここに人類最大の「バカの壁」があります。



親から虐待されている子どもが周囲の人に虐待を訴え出るということはまずありません。医者から「このアザはどうしたの?」と聞かれても、子どもは正直に答えないものです。
哺乳類の子どもは親から世話されないと生きていけないので、本能でそのようになっているのでしょう。
では、何歳ぐらいになると虐待を認識できるようになるかというと、何歳ともいえません。なんらかのきっかけが必要です。

幼児虐待を最初に発見したのはフロイトです。ヒステリー研究のために患者の話を真剣に聞いているうちに、どの患者も幼児期に虐待経験のあることがわかって、幼児虐待の経験がのちのヒステリーの原因になるという説を唱えました。
もっとも、フロイトは一年後にこの説を捨ててしまいます。そのため心理学界も混乱して、今にいたるまで幼児虐待に適切な対応ができているとはいえません(このことは『「性加害隠蔽」の心理学史』という記事に書きました)。

心理学界も混乱するぐらいですから、個人が自分自身の体験を認識できなくても当然です。しかし、認識するかしないかは、それによって人生が変わるぐらいの重大問題です。

虐待された人がその認識を持てないと、その影響はさまざまな形で現れます。
親子関係というのは本来愛情で結ばれているものですが、そこに暴力や強制が入り込むわけです。そうすると自分の子どもに対しても同じことをしてしまいがちですし、恋人や配偶者に対してDVの加害者になったり被害者になったりします。また、親の介護をしなければならないときに、親に対する子ども時代の恨みが思い出されて、親に怒りをぶつけたり、暴力をふるったりということもありますし、そもそも親の介護をしたくないという気持ちにもなります。
また、虐待の経験はトラウマになり、PTSD発症の原因にもなりますし、アルコール依存、ギャンブル依存などの依存症の原因にもなります。
ですから、虐待された人はその事実を認識して、トラウマの解消をはかることがたいせつです。

虐待を認識するといっても、なにもカウンセラーにかかる必要はありません。「毒親」という言葉を知っただけで自分の親は毒親だったと気づいた人がたくさんいます。「教育虐待」という言葉も同じような効果があったのでしょう。
自分で過去を回想し、抑圧していた苦痛や怒りや恨みの感情を心の中から引き出せばいいのです。

ただ、ここにはひとつの困難があります。「親から虐待された」ということを認識すると、「自分は親から愛される価値のない人間なのか」という思いが出てくるのです。
この自己否定の思いは耐えがたいものがあり、そのために虐待の事実を否定する人もいますし、「親父は俺を愛しているから殴ってくれたんだ」というように事実をゆがめる人もいます。

そこで「自分の親は子どもを愛せないろくでもない親だった」というふうに考えるという手もあります。しかし、そうすると、「自分はろくでもない親の子どもだ」ということになり、やはり自己否定につながってしまいます。

これについてはうまい解決策があります。
「虐待の世代連鎖」といって、子どもを虐待する親は自分も子どものころ親から虐待されていたことが多いものです。ですから、親に聞くなどして親の子ども時代のことを調べて、親も虐待されていたとわかれば、親が自分を虐待したのは自分のせいではなく親の過去のせいだということになり、自己否定は払拭できます。

それから、私が「虐待の社会連鎖」と名づけていることもあります。
たとえば、会社で部長から理不尽な怒られ方をした課長が自分の部下に当たる。その部下は家に帰ると妻に当たる。妻は子どもに当たるというようなことです。
あるいは母親が自分の暮らしは貧しいのに、ママ友はリッチな生活をしていて、子どもは成績優秀だと自慢され、劣等感を感じて、家に帰って子どもに当たるということもあります。
競争社会の中で弱者はどうしても敗北感や劣等感を覚えるので、社会の最弱者である自分の子どもを虐待することで自己回復をはかることになりがちです。こうしたことが「虐待の社会連鎖」です。

「虐待の世代連鎖」と「虐待の社会連鎖」を頭に入れておくと、親が自分を虐待したのは自分に原因があるのではなく、親の背後にある過去や社会に原因があるのだとわかり、自己肯定感が得られるはずです。


それから、「ほかのみんなは幸せなのに、自分だけ虐待されて不幸だ」と思って、いっそうみじめな気持ちになる人がいます。
しかし、実際は幼児虐待は広く存在します。表面からは見えないだけです。

幼児虐待が社会的な事件になると、逮捕された親は決まって「しつけのためにやった」と言います。
つまり「しつけを名目にした虐待」です。
「教育虐待」は「教育を名目にした虐待」ですから、同じようなものです。

「しつけ」のために子どもを叱ることは社会で公認され、推奨されています。
公共の場で子どもが騒いだりすると、親が子どもを叱って静かにさせるべきだと言われます。
どこの家庭でも子どもを叱ってしつけているはずです。

叱るときに体罰を使えば身体的虐待ですが、体罰なしで言葉だけで叱るのはどうかというと、心理的虐待です。きつく叱られた子どもは傷つき、脳の萎縮・変形を招く恐れがあります。

今の社会では誰もが叱られて育っているので、誰もが被虐待経験があることになります。
もちろん虐待の程度によってまったく違ってきますが、軽い虐待でも、それを認識しないと、なんとなく生きづらいという感情を引きずるかもしれません。また、結婚したくないとか、子どもがしほくないとか、子どもがかわいくないといった感情の原因にもなります。
ですから、親から虐待されたという苦しみを感じている人は、虐待の認識があるだけましともいえます。


幼児虐待というのは「文明の病」です。
赤ん坊は原始時代となんら変わらない状態で生まれてくるので、高度な文明社会に適応させるには短期間に多くのことを教えなければなりません。その過程で虐待が発生したのです。
今ようやく、虐待にならない形で子どものしつけや教育を行うべきだという考えが生まれてきたところです。
幼児虐待をこのように文明史の中に位置づけると、いっそう受け止めやすくなるでしょう。


これまで幼児虐待が認識されてこなかったのは、おとな本位の価値観が世の中を支配していたからです。
おとな本位の価値観から転換する方法については「道徳観のコペルニクス的転回」をお読みください。


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トランプ大統領は周りをイエスマンで固め、独裁者への道をひた走っています。
プーチン大統領、習近平主席もどんどん独裁色を強めています。
国家のリーダーは独裁色を強めるほど国民に人気となります。
なぜ国家の指導者は独裁者になり、国民は独裁者を支持するのでしょうか。

独裁者の中の独裁者、アドルフ・ヒトラーはどうして独裁者になり、当時のドイツ国民はどうしてヒトラーを熱狂的に支持したのでしょうか。
ドイツでは何冊もヒトラーの伝記が出ていますが、ヒトラーの子ども時代については、どれもヒトラーは普通の家庭で育ったというふうに書かれているようです。
そんなはずがありません。

猟奇殺人のような凶悪犯罪をした人間は、決まって異常な家庭で育ち、親から虐待を受けています。ところが、メディアはそうしたことはほとんど報じません(最近ようやく週刊誌が報じるようになってきました)。それと同じことがヒトラーの伝記にもあります。

心理学界で最初に幼児虐待を発見したのはフロイトです。
フロイトは1896年に『ヒステリー病因論』を出版し、自分の扱った18の症例すべてにおいて子ども時代に性的暴行の体験があったと記しました。
つまり幼児虐待の中でももっとも認識しにくい性的虐待の存在を認めたのです。
ところが、フロイトは1年後に、性的暴行の体験はすべて患者の幻想だったとして、『ヒステリー病因論』の内容を全面否定しました。フロイト心理学は、幼児虐待をいったん認めたあとで否定するというふたつの土台の上に築かれたのです(これについては「『性加害隠蔽』の心理学史」で述べました)。

アリス・ミラーはフロイト派の精神分析家でしたが、フロイト心理学の欠陥に気づき、批判者に転じました。
ミラーは『魂の殺人』において、ヒトラーの子ども時代について書かれた多くの文章を比較し分析しました。一部ウィキペディアで補足しながらミラーの説を紹介したいと思います。


1837年、オーストリアのシュトローネ村で未婚の娘マリア・アンナ・シックルグルーバーは男児を出産し、その子はアロイスと名づけられました。このアロイスがアドルフ・ヒトラーの父親です。
村役場の出生簿にはアロイスの父親の欄は空白のままです。
マリアはアロイス出産後5年たって粉ひき職人ヨーハン・ゲオルク・ヒートラーと結婚し、同年にアロイスを夫の弟の農夫ヨーハン・ネポムク・ヒュットラーに譲り渡しました(兄弟で名字が異なるのは読み方の違いだという)。
この兄弟のどちらかがアロイスの父親ではないかと見られています。
しかし、第三の説もあります。マリアはフランケンベルガーというユダヤ人の家に奉公していたことがあり、そのときにアロイスを身ごもったという話があるのです。
ヒトラーは1930年に異母兄からゆすりめいた手紙を受け取り、そこにヒトラー家の来歴について「かなりはっきりした事情」のあることがほのめかしてあったということで、ヒトラーは弁護士のハンス・フランクに調べさせたことがあります。しかし、はっきりした証拠はなかったようです。
その後、この説についてはさまざまに調べられましたが、今ではほとんど否定されています。
しかし、ヒトラーは自分の祖父がユダヤ人かもしれないという疑惑を持っていたに違いありません。


ヒトラーの父アロイスは小学校を出ると靴職人になりましたが、その境遇に満足せず、独学で勉強して19歳で税務署の採用試験に合格して公務員になり、そして、順調に昇進を重ね、最終的に彼の学歴でなれる最高位の上級税関事務官になりました。好んで官憲の代表となり、公式の会合などにもよく姿を現し、正式な官名で呼びかけられることを好みました。
彼は昇進のたびに肖像写真を撮らせ、どの写真も尊大で気むずかしそうな顔をした男が写っています。
彼は3度結婚し、8人の子どもをもうけましたが、多くは早死にしました。

ある伝記によると、アロイスは喧嘩好きで怒りっぽく、長男とよく争いました。長男は「情容赦もなく河馬皮の鞭で殴られた」と証言しています。長男が玩具の船をつくるのに夢中になって3日間学校をサボったときなど、それをつくるように勧めたのは父親であったにもかかわらず、父親は息子に鞭を食らわせ、息子が意識を失って倒れるまで殴り続けたといいます。アドルフも兄ほどではなかったにせよ、鞭でしつけられました。犬もこの一家の主人の手で打たれ続けて、「とうとう体をくねらせて床を汚してしまった」ことがあるそうです。長男の証言によれば、父親の暴力は妻クララにまで及んでいました。

アドルフの妹パウラは、父親の暴力にさらされたのは長男よりもアドルフだと証言しています。
その証言は次の通りです。
「アドルフ兄は誰よりも父に叱られることが多く、毎日相当ぶたれていました。兄はなんというかちょっと汚らしいいたずら小僧といったところで、父親がいくら躍起になって性悪根性を鞭で叩き出し、国家公務員の職に就くようにさせようとしても、全部無駄でした」

これらの証言から、ヒトラー家は父親の暴力が吹き荒れる家庭で、中でもアドルフは被害にあっていたと思われます。
しかし、伝記作家などはこうした証言を疑い、しばしば嘘と決めつけます。

アドルフの姉アンゲラは「アドルフ、考えてごらんなさい、お父さんがあんたをぶとうとした時お母さんと私がお父さんの制服の上着にしがみついて止めたじゃないの」と言ったという記録があります。父親が暴力的であったことを示す証拠です。
しかし、ある伝記作家は、その当時父親は制服を着ていなかったのでこれはつくり話だと決めつけました。
しかし、これは当時父親が制服を着ていなかったというのが正しいとしても、アンゲラが上着について思い違いをしていただけでしょう。上着が違うから全部が嘘だとするのはむりがあります。

また、「総統」は女秘書たちに、父親は自分の背をピンと伸ばさせておいてそこに30発鞭を食らわせたと語ったことがあります。
これについても伝記作家は、彼は女秘書たちにバカ話をするのが好きで、彼の話したことであとで正しくないことが証明されたことも多いので、この話の信憑性は薄いと判断しました。
このような判断の繰り返しで、父親の暴力は当時の常識の範囲内のもので、ヒトラー家は普通の家庭であったという印象に導かれます。


親が子どもを虐待することはあまりにも悲惨なので、虐待の存在そのものを認めたくないという心理が誰においても働きます。そのためにフロイトの『ヒステリー病因論』は世の中の圧倒的な反発を招き、フロイトはその説を捨ててしまいました。
同じ力学は今も働いています。幼児虐待の通報があって児相や警察がその家庭を訪問しても、親の言い分を真に受けて子どもの保護をせず、その後子どもが殺されて、児相や警察の対応が非難されるということがよくありますが、児相や警察の人間も虐待を認めたくない心理があるのです。


ヒトラーの父親の虐待は暴力だけではありません。
ヒトラーは家出をしようとしたことがありましたが、父親に気づかれ、彼は天井に近い部屋に閉じ込められました。夜になって天窓から逃げ出そうとしましたが、隙間が狭かったので着物を全部脱ぎました。ちょうどそこに父親が階段を上がってくる足音がしたので、彼はテーブルかけで裸の体を隠しました。父親は今回は鞭に手を伸ばさず、大声で妻を呼んで「このローマ人みたいな格好をした子を見てごらん」と言って大笑いしました。このあざけりはヒトラーにとって体罰よりもこたえました。のちに友人に「この出来事を忘れるのにかなり時間がかかった」と打ち明けています。

父親はまた、用があって子どもを呼ぶとき、二本の指で指笛を鳴らしました。

私は子どもを笛で呼ぶということから、映画「サウンド・オブ・ミュージック」を思い出しました。
冒頭で修道女見習いのマリア(ジュリー・アンドリュース)が家庭教師としてトラップ家を訪れると、トラップ大佐が笛を吹いて子どもたちを集め、子どもを軍隊式に整列させて行進させます。この家庭内の軍国教育をマリアが人間教育に変えていく過程と、オーストリア国内でナチスが勃興していく過程とがクロスして物語が進行していきます。

当時、ヨーロッパでは子どもに鞭を使うことが多く、とくにオーストリアやドイツではごく幼いうちから親への服従を教え込むべきだという教育法が蔓延していたとミラーは指摘します。そのためのちにヒステリー症状(今でいうPTSD)を発症する人が多く、それがフロイト心理学の出発点になりました。


ヒトラーが優れた(?)独裁者になれたのは、それなりの資質があったからですが、それに加えて父親に虐待された経験があったからでしょう。
ヒトラーは父親を憎み恐れていましたが、やがて自分を父親と同一化し、権威主義的で暴力的な父親のようにふるまうようになります。国民の目からはそれが優れた国家指導者の姿に見えたのです。
子どもから見た父親と、国民から見た国家指導者は、スライドさせれば重なります。

ほとんどの国民もまた暴力的で権威主義的な父親に育てられてきたので、ヒトラーに父親の姿を見ました。
ヒトラーは怒りや憎しみを込めた激しい演説をしましたが、その一方で笑顔で子どもに話しかけたりなでたりする姿も見せました。
厳父と慈父の両面を見せることで、ヒトラーは国民の圧倒的な支持を得たのです。

ヒトラーは父親から学んだ残忍さで政敵を容赦なく攻撃して権力を掌握しました。
またミラーは、ヒトラーは父親への憎しみをとくにユダヤ人に向けたのではないかと推測しています。


その人がどんな人間かを知るには、幼児期までさかのぼって知ることが重要です。
最近はそのことが少しずつ理解されてきて、たとえばトランプ大統領を描いた映画「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」は、20代のトランプ氏が悪名高い弁護士ロイ・コーンの教えを受けて成功の階段を上っていくという物語です。
しかし、20代では遅すぎます。
重要なのは幼児期です。
不動産業者だった父親とトランプ少年との関係にこそトランプ大統領の人間性を知るカギがあります。

政治は政策論議がたいせつだといわれますが、人間論議のほうがもっとたいせつです。


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ジャニー喜多川氏による性加害を告発した被害者の人たちは、「なぜそのときに声を上げなかったのか」「警察に被害届を出せ」「売名行為だ」「金目当てだ」などと誹謗中傷にさらされました。
最近では元フジテレビアナウンサーの渡邊渚氏がPTSDを公表したところ、「PTSDなのにパリ五輪観戦に行けるのか」「PTSDを利用している」「自己顕示欲の塊だ」などと、やはり誹謗中傷にさらされました(渡邊氏のPTSDの原因が性加害であるとは公表されていませんが、誰もが知っていることではあります)。

性加害の被害者が声を上げると、決まって批判する人が大勢現れます。昔はそうして被害者の声は封じられました(ジャニー喜多川氏を告発する声も数年前まで封じられていました)。最近少しずつ声を上げられるようになってきたというところです。
しかし、最近のアメリカでは、トランプ氏の当選もあってバックラッシュ(反動)の動きが強まっています。日本もそれに影響されて、昔に戻ってしまわないとも限りません。

ここで性加害が心理学によって「発見」されてからの歴史を振り返ってみたいと思います。発見されてからも一本道ではなく、少なくとも二度のバックラッシュがありました。
なお、性加害でいちばん深刻なのは、実の親による子どもへの性的虐待です。性加害発見の歴史は子どもへの性的虐待の発見の歴史であり、さらには幼児虐待発見の歴史でもあります。ですから、性的なことでなくても、自分の親は毒親だったという悩みをかかえている人などにも参考になるはずです。


性加害、性的虐待を最初に発見したのはジグムント・フロイトです。
フロイトは1856年、オーストリアに毛織物商人の息子として生まれました。フロイトの伝記を読んでも、彼が親から虐待されたという記述はありませんが、当時の子育ての常識からして虐待されていないはずがありません。少なくとも彼が権威主義的な父親との葛藤を抱えていたことは、彼の生き方や学説から十分にうかがえます。
フロイトはウィーン大学を卒業するとパリに留学して、神経学者ジャン=マルタン・シャルコーに師事してヒステリーの研究に取り組みました。
当時、ヒステリーの女性は詐病者であるとされ、治療は催眠術師や民間治療者にゆだねられていましたが、シャルコーはヒステリーの症状を注意深く観察し、記述し、分類しました。シャルコーの科学的な研究は医学界のみならず広く有名になり、彼のヒステリー研究の発表会には上流階級の名士が多数集まったといいます。
シャルコーのヒステリー研究がそれほど注目された背景には、1859年に出版された『種の起源』の影響がありました。進化論の影響で人間を科学的に研究しなければならないという機運が高まっていたのです。

シャルコーのもとには各国の俊秀が集っていて、その中にフロイトとともにピエール・ジャネがいました。この二人は、ヒステリーの原因を解明するにはヒステリー患者を観察しても分類してもだめで、患者たちと語り合わなければならないと考え、患者との話し合いに力を入れました。
フランスのジャネとウィーンのフロイトは、それぞれ独立に同じような結論に到達しました。耐えがたい外傷的な出来事が一種の変性意識を生み、この変性意識がヒステリー症状を生んでいるというものです。外傷的記憶とそれに伴う強烈な感情とをとり戻させ、それを言語化させればヒステリー症状は軽快するという治療法が、現代の精神療法の基礎となりました。

フロイトは1895年、ヨーゼフ・ブロイアーとの共著で『ヒステリー研究』を出版し、研究成果を発表しました。しかし、共著では十分に自説を展開できなかったので、翌年フロイトは単著で『ヒステリー病因論』を出版し、自分の扱った18の症例すべてにおいて子ども時代に性的暴行の体験があったと記しました。
18の症例というのは、男性6名、女性12名で、フロイトはそれを三つのグループに分けました。第一のグループは、見知らぬおとなの男性から、多くは女の子に対して加えられる一回きりの、あるいは何回かにわたる性加害です。第二のグループは、子どもたちの世話をするおとなたち――たとえば子守り女、乳母、住み込みの女家庭教師、先生、近しい親戚の人など――が、子どもたちと性的交渉を持ち、ときには数年にわたって続けるものです。第三のグループは、子どもだけの関係、多くは兄妹の間の性的関係です。これはしばしば思春期を過ぎるころまで継続されます。

第二のグループで「近しい親戚の人」とあるのは、実際は実の父親でした。フロイトはそれではあまりにも衝撃的なので、「父親」を「叔父」などに置き換えたのです。
しかし、そんなことをしても普通の家庭の子どもたちが性的な被害にあっているというのは十分に衝撃的で、当時の人々にはとうてい受け入れられるものではありませんでした。

フロイトは世の中の強い反発に直面して、すぐに自説を捨て去りました。
『ヒステリー病因論』を出版した翌年に、患者の語ったことはすべて患者の幻想だったとしたのです。そして、患者はなぜそういう幻想を持つに至ったのかという理論を考え出しました。それがエディプス・コンプレックスを中心とするフロイト心理学です。
性加害を認めれば心理療法はきわめて単純ですが、性加害を否定したばかりにフロイト心理学はきわめて複雑になりました。

フロイト心理学では、幼い男の子には性的欲求があり、母親に対する近親相姦願望を持つとされます。そうすると男の子と父親は母親を巡るライバル関係となり、父親は男の子を脅し、男の子は去勢されるのではないかという不安を持ちます。この複雑な心理がエディプス・コンプレックスです。
まったく奇妙な理論ですが、要するに男の子に母子相姦願望という大きな罪があるので、父親が男の子に暴力的なしつけをすることが正当化されます。つまりこれは親による幼児虐待を正当化する理論なのです。

普通の家庭(精神科医の治療を受けるのはある程度上流の家庭でした)で幼児の性的虐待が行われているというおぞましい事実は誰もが認めたくありません。フロイトがその主張を貫いていたとすれば、心理学者としては社会的に葬り去られていたでしょう。フロイトが自説を引っ込めたのは、自分自身のためでもありました。
フロイトのライバルだったジャネは、幼児期の心的外傷がヒステリーの原因であるという説を生涯捨てませんでした。その結果、彼は、『心的外傷と回復』(ジュディス・L.ハーマン著)の文章を借りると、「自分の業績が忘却され自分の発見が無視されるのを生きながらにして見る羽目となった」ということです。
師のシャルコーも、あれだけ評価されたヒステリー研究が次第に冷たい視線にさらされるようになり、ヒステリーと催眠の世界から手を引いてしまいました。最晩年にはこの研究領域を開拓したこと悔やんでいたといいます。
一時はもてはやされたヒステリーの科学的研究が、潮が引くように無視されるようになったのは、ダーウィン革命の熱気が時とともに冷めてしまったからではないかと思われます。


幼児虐待は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトの四つに分けられます。
当時のオーストリアでは、親がムチを使って子どもをきびしくしつけること、つまり身体的虐待は当たり前のことでした。
フロイトは性的虐待を隠蔽するとともに、身体的虐待、心理的虐待の正当化をはかったのです。
これによってフロイト心理学は一般社会に受け入れられ、フロイトは次第に偉大な心理学者として認められていきました。
しかし、フロイトの“転向”によって心理療法は少なくとも50年の遅れを余儀なくされました。


フロイト心理学の精神分析では、患者はなかなか治りません。
患者が親に虐待された記憶を回復し、分析医に苦痛を訴えても、分析医はその記憶は幻想だと思わせようとするからです。
しかし、臨床の現場では個々の分析医や心理療法家が真実を見いだしていきました。
精神分析医だったアーサー・ヤノフは、あるとき若い患者が心の奥底からの異様な叫び声を発したことに衝撃を受け、そのことから幼いときに親から傷つけられた体験が神経症の原因になっていることを突き止め、「原初療法」を創始しました。ジョン・レノンとオノ・ヨーコも原初療法のカウンセリングを受けたことで知られています。
心理学者で精神分析家のアリス・ミラーも、幼児虐待が神経症の原因になっていることに気づき、西洋社会に広がっている、子どもをきびしくしつける教育法を「闇教育」として告発しました。ミラーの著書の題名である「魂の殺人」という言葉は、性的虐待を指す言葉として使われています。

現在、カウンセリングと称するものの多くは、カール・ロジャーズ創始の「来談者中心療法」を採用しています。来談者中心療法というのは、カウンセラーは来談者の話をよく聞き、受容し、共感するというものです。カウンセラーは来談者の話を評価したり解釈したりすることはせず、生き方を指示することもしません。そんなことで治るのかと疑問に思う人もいるでしょうが、人間はもともと自分で自分を治す力を持っているので、悩みを人に理解してもらい、共感してもらうだけで治るという理論です。
そうして来談者の話を聞いていれば、当然親から虐待されたという話も出てきます(その話を受容できるかどうかでカウンセラーの力量が試されます)。

最近では「毒親」や「アダルトチルドレン」や「愛着障害」という言葉が普通に語られるようになり、親子関係にゆがみのあることが広く認識されてきました。
ジャニー喜多川氏の性加害が告発されたのもその流れです。ジャニー喜多川氏が若いタレントに性加害をしたのは、親が子どもに性的虐待をしたのとほとんど同じです。


アメリカでは1980年代から、性的虐待の記憶を取り戻した人たちが加害者――多くは父親――を告発し、裁判に持ち込む事例が相次ぎました。性的虐待は多くは家庭内のことであり、かつ昔のことであるので、ほとんどの場合、明白な証拠はありません。困難な裁判にならざるをえないので、日本なら訴えるのをためらうところですが、そこは訴訟大国のアメリカです。フェミニスト団体やセラピストが被害者の訴訟を支援するという動きもありました。

こうした動きに危機感を抱いたのが保守派です。
保守派は、夫が妻を支配し、親が子を支配するという家父長制の家族を理想としています。
普通の家庭の中に性的虐待があるということが明らかになると、理想の家族像が崩壊してしまいます。

保守派は性的虐待の訴訟を起こした人たちへの反撃を始めました。その主役を演じたのが心理学者のエリザベス・ロフタスです。
ロフタスは記憶に関する専門家で、目撃証言の確かさや不確かさについて法廷で数百回も証言してきたといいます。性的虐待を告発する裁判が増えるとともに、ロフタスのもとに、幼児期の性的虐待の記憶の確かさについて、とりわけカウンセリングによって回復されたという幼児期の性的虐待の記憶の確かさについての問い合わせが急増しました。ロフタスは性的虐待の専門家ではないので、どう対応するか困惑し、そこで注目したのがアメリカ心理学会の年次大会で行われたエモリー大学の精神医学の教授であるジョージ・ガナウェイの「悪魔儀式による虐待の記憶に関する、もうひとつの仮説」という講演です。ロフタスはガナウェイに影響され、カウンセラーが偽の記憶を患者に植えつけた可能性があると考えました。ちなみにガナウェイはフロイト派の心理学者です。

ロフタスは被験者に偽の記憶を植えつける心理実験をしました。
18歳から53歳までの24人の被験者それぞれに、四つの出来事が書かれた冊子が渡されます。三つの出来事は、被験者の家族や親戚から聞いた、被験者が5歳のころに実際にあった出来事です。あとのひとつは、ショッピングセンターか広い施設などで迷子になり、泣いていると老婦人に助けられ、最終的に家族と再会できたという架空の出来事です。被験者はこの四つの出来事について思い出したことを書くように言われます。その後、二度面接を行い、被験者がどの程度思い出したかを確かめました。
その結果、25%、四人に一人に架空の出来事の記憶を植えつけることができたとしました。

ショッピングセンターで迷子になったことと、父親にレイプされたことではあまりにも違いますが、ともかく四人に一人とはいえ偽の記憶を植えつけることが可能だと立証されたことは、裁判においては武器になりました。保守派はこの武器を手にして逆襲に転じました。「偽りの記憶症候群」という言葉がつくられ、「偽りの記憶症候群基金(FMS基金)」なる団体が組織され、寄付が集められて、被告の法廷闘争を理論面と資金面から支援しました。そして、金目当てや家族制度の解体をねらう左翼思想のカウンセラーが被暗示性の高い神経症の患者に対して催眠や薬物を使って巧妙に偽の記憶を植えつけたと主張したのです。
マスメディアは最初のうちは、性的虐待の加害者に批判的な報道をしていましたが、「偽りの記憶」の可能性が出てからは一転して「子ども時代の性的虐待に関する根拠のない告発により多くの家族が引き裂かれている」「カウンセラーがヒステリーを作りだしている」というように、カウンセラーを悪者と見なす報道をするようになりました。
つまりバックラッシュが起こったのです。裁判は性的虐待で訴えられた側が次々と勝訴し、さらに今度は逆に、訴えられた者が訴えた者とカウンセラーに対して損害賠償請求の訴えを起こして、その結果、高額の損害賠償を認める判決が相次ぎました。保守派の仕掛けた裁判闘争は保守派の勝利に終わったのです。その後、性的虐待被害を裁判に訴えるということはほとんどなくなりました。

ここは大きな分水嶺だったと思います。
家族のもっともみにくい部分が守られたのです。
ここから保守派の反撃が始まって、リベラルが後退し、トランプ大統領の誕生にまで至ったのではないかと私は見ています。


幼児期に虐待されたことの記憶はしばしば抑圧され、意識から排除されます。しかし、そのことの影響はさまざまな形で現れます。
アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存などの依存症はトラウマが原因であることがわかっています。
アメリカでは肥満が社会問題になっていますが、肥満は糖質依存症と見なすこともできます。

アメリカでは犯罪と麻薬汚染が深刻ですが、その根本原因は病んだ家族にあります。
ところが、保守派は家族が原因であることを認めず、犯罪は移民のせい、麻薬は外国のせいにしています。
そのためアメリカの病理はどんどん進行していきます。


幼児虐待は誰でも目をそむけたいものですが、とりわけ性的虐待からは目をそむけたくなります。
性的虐待の被害者の声をどれだけ受け止められるかでその社会の健全度がわかります。
アメリカは他山の石としなければなりません。



今回の記事は別ブログ「道徳観のコペルニクス的転回」『第3章の4「心理学」(フロイトの発見と隠蔽)』を要約したものが中心になっています。詳しく知りたい人はそちらを読んでください。

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マンガ家の西原理恵子氏の長女である鴨志田ひよ氏が昨年7月にXに「アパートから飛び降りして骨盤折りました。もう既に入院生活苦しいですが、歩けるようになるまで頑張ります」と投稿したことから、西原理恵子氏は毒親ではないかということがネットの一部で話題になりました。

ひよ氏は女優として舞台「ロメオとジュリエット」に出演するなどし、エッセイも書いているようです。ネットの情報によると23歳です。

西原氏は「毎日かあさん」というマンガで子育ての日常を描いて、そこに「ぴよ美」として登場するのがひよ氏です。「毎日かあさん」は毎日新聞に連載された人気漫画で、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、手塚治虫文化賞を受賞しています。
しかし、ひよ氏はマンガで自分のことが描かれるのは許可なしに個人情報がさらされることだとして抗議していました。
ほかにもブログで母親から虐待されたことについていろいろと書いていました。
しかし、毒親問題についての取材依頼は断っていたようです。

そうしたところ、「SmartFLASH」に【『毎日かあさん』西原理恵子氏の“毒親”素顔を作家・生島マリカ氏が証言「お前はブス」「家を出ていけ」娘を“飛び降り”させた暴言虐待の9年間】という記事が掲載されました。
作家の生島マリカ氏はひよ氏が14歳のころに西原氏から「娘が反抗期で誰の言うことも聞かないから、面倒を見てほしい」と頼まれて関わるようになり、そのときに知った西原氏の毒親ぶりを語ったのです。

もっとも、それに対して西原氏はX上で「事実を歪曲したものです」「今回の記事も娘への対面取材のないまま掲載しています」「みなさまはどうぞ静かにお見守りくださいますようお願い申し上げます」といった声明を発表しました。
ひよ氏もXで「もう関わりたくないのでそっとしておいて下さい」「飛び降りた理由家族とかそういうんじゃない」と表明し、虐待に関するブログとXの記述を削除しました。

なお、西原氏と事実上の夫婦関係にある高須克弥氏も「僕はこの件については真実を熟知しております。西原理恵子は立派なお母さんです。虐待はしていないと断言できます」と表明しました。

ひよ氏の父親は戦場カメラマンの鴨志田穣氏で、アルコール依存症のために西原氏と離婚、ガンのために2007年に亡くなりました。その後、西原氏は高須氏と夫婦関係になりましたが、ひよ氏はずっと父親を慕っていました。


ひよ氏が「そっとしておいて下さい」と言うならそうするべきですが、そうするべきでない事情もあります。
西原氏も高須氏も虐待はなかったと主張していますが、ひよ氏はブログやXに母親から虐待されたことを書いていましたし、生島氏も基本的に同じことを述べています。
どちらが正しいかは明らかでしょう。
西原氏は自分が虐待したというのは不都合な事実だから否定しているだけです。

しかし、ここでひよ氏が虐待はあったと主張して西原氏とやり合ったら、いろんなメディアが食いついて、世の中を騒がせることになります。
ひよ氏はそうなるのがいやなので、表向き否定したのです。

しかし、このまま虐待の事実がなかったことにされると、ひよ氏のメンタルが心配です。
ひよ氏がブログやXで西原氏から虐待されたことを公表したのは、理解されたかったからです。理解されればある程度癒されます。

ひよ氏が虐待に関するブログなどを削除しても、まとめサイトなどに残っています。
しかし、本人が削除したものを引用するのはよくないので、まだブログに残っている文章を引用します。

「ひよだよ」の2021年9月の文章です。
手首の手術をついにするかも

なんか、ひよちゃん第1章完結、のような気分。

手首の間接から肘まで、の傷跡を、一本の線にするんだけど、最初は記録にこの傷跡達をなにかに収めて起きたいな、、なんて思って居たけれど。

ただ、私にとって負の遺産でしかないことは、二重まぶたを作り直した時に立証された。

12歳の時ブスだからという理由で下手な二重にされ、後に自分で好きなデザインで話の会う先生に二重にしてもらったら、自分のことが好きでたまらなくなった。

たぶん、これが、普通の人がこの世に生を受けた瞬間から持ってる当たり前の感情なのだろう。


あとは手首だ。長い歴史、たくさん私を支えてくれた手首。この手首があと少しだけ、弱くあと数ミリでも、静脈が太かったり表面に近かったりしたら、いま、私はいないだろう。

リストカットを繰り返していると、同じところは切りにくいので、傷跡が手首から腕へと広がっていきます。
リストカットは死の一歩手前の行為だということがよくわかります。
なお、ひよ氏は望まないのに西原氏から二重まぶたの整形手術を強制されました。これだけでも立派な虐待です。

次は飛び降りて骨折した約1か月後に書かれた文章です。
文章が、うまくかけない、今までは脳にふわふわと言葉が浮かんできたのに。

ずっと風邪薬でodして、ゲロ吐いて、座ってタバコ吸って、たぬき(匿名掲示板)で叩かれてる自分を見て泣いてた。気づいたら今だ。

吐いても吐いても何故か太って行って、冷静な判断ができる時にiPhoneをみると、食事をした形跡がある。

泣いて泣いて、涙が全てを枯らしてくれればいいのにとねがいつづけても、何も解決することはなく、ただ、現実が強く浮かび上がる。

匿名で人を殺すこと、言葉で人を殺すこと、全てが容易で、あまりにも単純すぎた。

愛されてることが小さく見えて、匿名の言葉が体内で膨らんでいった。

歩んでいくことを、辞めたくなった。

耐えることも、我慢するのもおわりだ、虫の様、光を求め続け、その先にある太陽に沈みたかった。

ありふれた喜びや幸せをこれからも感じられないなら、辛いことが脳内でいっぱいになってるのなら、私は消えて無くなりたかった。

風邪薬のオーバードーズと摂食障害がうかがえます。
飛び降りた原因ははっきりしません。「自殺未遂」と決めつけるのも違うと思いますが、ひよ氏が生と死の崖っぷちを歩いていることは感じられます。


ひよ氏がなぜそうなったかは、「SmartFLASH」の記事における生島氏の次の言葉から推測できます。

「最初は『ひどい頭痛がするから病院まで付き添ってほしい』という相談でした。当然『お母さんに相談したの?』と聞いたら、『相手にしてくれないし、もし病院に行って何もなかったら怒られる』って。体調不良の娘を叱ることがあるのかと、そのときから不信感が芽生えたんです」(同前)

子どもの体調が悪いとき、誰よりも心配して世話をしてくれるのが母親です。
母親がまったくその役割を果たさなくて、ほかに誰もその役割を果たしてくれる人がいないと、子どもは自分の命の価値がわからなくなります。
リストカットは、なんとか自分の命の価値を確かめようとする行為ではないでしょうか。

ひよ氏にとっては、母親である西原氏が過去の虐待を認めて謝罪してくれれば理想でしたが、現実には西原氏は虐待を全面否定しました。
ひよ氏もそれに同調していますが、あくまでうわべだけです。
これではひよ氏にとってはまったく救いがありません。
最悪の事態まで考えられます。
ひよ氏の身近な人やカウンセラーが彼女の苦しみを受け止めてくれるといいのですが。


世の中もひよ氏の思いを受け止めていません。
西原氏が虐待を否定する声明を出したとき、「嘘をつくな。ちゃんとひなさんに謝れ」という声はまったく上がりませんでした。
結局、虐待を否定する親の声だけがまかり通っています。


幼児虐待を経験しておとなになった人を「虐待サバイバー」といいます。
虐待される子どもは声を上げることができませんが、虐待サバイバーなら声を上げることは可能です。
しかし、かりに声を上げても、ひよ氏もそうですが、世の中は受け止めてくれません。

性加害の被害者は、昔は沈黙を強いられていましたが、最近ようやく声を上げられるようになり、世の中も受け止めるようになってきました。
虐待サバイバーの声も受け止める世の中に早くなってほしいものです。

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京都アニメーション放火殺人事件の裁判員裁判が9月5日から始まりましたが、マスコミが今までと違って、青葉真司被告の生い立ちを詳しく報道しています。
検察も冒頭陳述で青葉被告の生い立ちにかなり言及しました。
少しずつ世の中の価値観も変わってきているようです。

だいたいこうした合理的な動機のない凶悪事件の場合、犯人はほぼ確実に幼児期に親や親代わりの人間から虐待を受けています。「非人間的な環境で育ったことが原因で非人間的な人間になった」という因果関係があるだけです。
ところが、2008年の秋葉原通り魔事件の場合、犯人の加藤智大が派遣切りにあったこと、携帯電話向けの電子掲示板に依存していたところなりすましの被害にあったことなどが犯行の引き金になったという報道ばかりでした。
ただ、週刊文春と週刊新潮だけが加藤が母親に虐待されていたことを報じました。
このころから少しずつマスコミが凶悪事件の犯人の生い立ちを報じるようになったと思います。

青葉被告の生い立ちはどうだったのでしょうか。
青葉被告は1978年生まれ、埼玉県さいたま市出身で、両親と兄と妹の五人家族でしたが、小学校3年生のときに両親が離婚して母親は家を出ていきました。父親はトラック運転手、タクシー運転手をしていましたが、交通事故を起こして解雇され、それから貧困生活になります。青葉被告は父親からひどい虐待を受けます。家はゴミ屋敷になり、彼は日常的に万引きをするようになります。母親に会いにいったこともありますが、母親には会えず、母方の祖母に「離婚しているのでうちの子ではない」と言われて追い返されたそうです。女性の下着を盗んで逮捕され、コンビニ強盗をしたときは懲役3年6か月の実刑判決を受けました。父親は1999年にアパートで自殺し、その後、兄、妹も自殺しています。なんともすさまじい家庭だったようです(兄と妹の自殺は週刊文春が報じていますが、裁判には兄と妹の調書が提出されています。自殺していないのか自殺前の調書かは不明)。
ただ、彼は中学は不登校になりますが、定時制高校は皆勤だったそうで、同じコンビニに8年間勤務したこともあります。


青葉被告が父親からどのような虐待を受けたかは公判で明らかになっています。
『「体育祭なんか行くんじゃねぇ」傍聴から見えた青葉真司被告の"壮絶"家庭環境 ズボンをアイロンで乾かし父親が激高「逆らえない」絶対的服従に近い父親への忠誠心【京アニ裁判】』という記事から3か所を引用します。


ところが離婚してしばらくすると、父親は徐々に、青葉被告や兄を虐対するようになったという。


青葉被告「父から正座をさせられたり、ほうきの柄で叩かれたりしていた」
弁護人「父にベランダの外に立たされたことは?」
青葉被告「『素っ裸で立ってろ』と言われた記憶がある」
弁護人「酷い言葉をかけられたことは?」
青葉被告「日常茶飯事すぎて、わからない」


さらに、青葉被告が父親に対して、「絶対的服従」に近い忠誠心を持っていたと思える経緯が明かされた。

中学時代、青葉被告は体育祭で履くズボンをアイロンで乾かしていたところ、突然、父親に怒られたと話した。



青葉被告「中学1年生の時に体育祭でズボンをアイロンで乾かしていた。すると、『何で乾燥機を使わないんだ』と怒られた。そして『体育祭に行くんじゃねぇ』と言われ、体育祭に行けなかった」

弁護人「実際に行けなかった?」

青葉被告「そう言われたら、逆らえなかった」

弁護人「アイロンで乾かしてもいいと思うが、父から理由は言われた?」

青葉被告「理由というか、もう意味もなく理不尽にやる、そこに理由はない」


さらに、青葉被告が柔道の大会で準優勝した際、贈呈された盾を「燃やせ」と父親から言われ、「1人で燃やした」というエピソードを話した。



弁護人「父親からは、どうしてこいと言われた?」


青葉被告「燃やしてこいと言われた」


弁護人「燃やす理由は?」


青葉被告「そこに理解を求める人間ではない。ああしろ、こうしろと、それだけ。上意下達みたいな感じ。燃やすしか方法はない」


弁護人「実際に燃やした?」


青葉被告「自分で燃やした」

子どもを虐待する親にまともな論理などありません。子どもはただ不条理な世界に置かれるだけです。
彼がまともな人間に育たなかったのは当然です。
うまく人間関係がつくれないので、ひとつところに長く勤めても、信頼を得て責任ある仕事を任されるということにはなりません。
小説家になるという夢を追いかけたのは、むしろよくやったといえるでしょう。
しかし、普通の人間なら、夢が破れても平凡な人生に意味を見いだして生きていけますが、彼の場合は、夢が破れたら、悲惨な人生の延長線上を生きていくしかないわけです。


このような人間の犯罪はどう裁けばいいのでしょうか。
ここで注意しなければいけないのは、私たちは日ごろ「死ね」などという言葉は使わないようにしていますが、このような事件のときは「死刑にしろ」ということを公然と言えるので、日ごろ抑圧している処罰感情が噴き出して、過剰に罰してしまう傾向があるということです。

この事件は36人が死亡、32人が重軽傷を負うという大きな被害を出しました。
しかし、青葉被告はそういう大量殺人を意図したとは思えません。結果がそうなっただけです。
カントは、罪というのは結果ではなく動機で裁くべきだと言っています。36人死亡という結果で裁くのはカントの思想に反します。
もっとも、刑事司法の世界では、カントの説など無視して結果で裁くということが普通に行われていますが。

こういう事件の犯人に死刑も意味がありません。犯行が「拡大自殺」と同じようなものだからです。
死刑にすると、抑止力になるどころか、逆に「死刑になりたい」という動機の犯行を生みかねません。

刑事司法の論理では、こうした犯罪は犯人の「自由意志」が引き起こしたととらえます。つまり人間は自分の心を自由にコントロールすることができるので、心の中に「悪意」や「犯意」が生じれば、それは本人が悪いということになります。
「犯行をやめようと思えばやめられたのにやめなかった」という判決文の決まり文句がそれをよく表しています。

もっとも、今は文系の学者でも大っぴらに「人間には自由意志がある」と言う人はいないでしょう。
自由意志があることを前提にしているのは刑事司法の世界ぐらいです。


しかし、今回の裁判では検察の考えが少し変わったかもしれません。
検察側の冒頭陳述は、「犯意」ではなく「パーソナリティー」を強調したものになりました。
『冒頭陳述詳報(上)「京アニ監督と恋愛関係」と妄想、過度な自尊心と指摘』という記事から、「パーソナリティー」という言葉が使われたセンテンスだけ抜き出してみます。


「京アニ大賞に応募した渾身(こんしん)の力作を落選とされ、小説のアイデアまで京アニや同社所属のアニメーターである女性監督に盗用されたと一方的に思い込み、京アニ社員も連帯責任で恨んだという、被告の自己愛的で他責的なパーソナリティーから責任を転嫁して起こした事件」
「親子の適切なコミュニケーションが取れていなかったため、独りよがりで疑り深いパーソナリティーがみられる」
「うまくいかないことを人のせいにするパーソナリティーが認められる」
「不満をため込んで攻撃的になるパーソナリティーが認められる」
「ここでも不満をため込んで攻撃的になるパーソナリティーがみられる」
「こうした妄想も疑り深いパーソナリティーがみられる」

しかし、犯行を被告のパーソナリティーのせいにしても、被告がそのパーソナリティーになったのは被告のせいではありません。
人間は生まれ持った性質と育った環境というふたつの要素によってパーソナリティーを形成しますが、そのどちらも本人は選べません。ある程度成長すると環境は選べますが、子どもにはできません。
青葉被告も生まれたときはまともな人間だったでしょう。しかし、父親のひどい虐待で傷ついてしまいました。
たとえていえば、新車として納品されたときはまともだったのに、ボコボコにされてポンコツ車になったみたいなものです。青葉被告はもの心ついて自分で車を運転しようとしたときには、真っ直ぐ進もうとしても車は右や左にぶれて、ブレーキやアクセルもうまく機能せず、あちこちぶつけてばかりという人生になりました。
青葉被告は自分がポンコツ車に乗っているとは思わないので、ぶつかるのは向こうが悪いからだと思います。それを人から見ると、「逆恨みする攻撃的なパーソナリティー」となるわけです。

この「パーソナリティー」は「脳」とつながっています。
厚生労働省は「愛の鞭ゼロ作戦」というキャンペーンを展開していて、そこにおいて幼児期に虐待された人は脳が委縮・変形するということを強調しています。

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厚生労働省のホームページより

脳が委縮・変形した人を一般人と同じように裁いていいのでしょうか。

心理的な面から見ると、幼児期にひどい虐待を受けた人は複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症することが多いものです。
複雑性PTSDは適切な治療を受ければ治癒します。
ということは、虐待によって委縮・変形した脳も本来の形に戻る可能性があるということでしょう。

青葉被告のような凶悪犯には、マスコミや被害者遺族は「謝罪しろ」「反省しろ」と迫りますが、虐待によって脳やパーソナリティがゆがんでいれば、反省するわけがありません。
適切な治療で青葉被告の心を癒し、青葉被告が“真人間”になれば、自分の罪に向かい合って、反省や謝罪の言葉を口にするようになるでしょう。

こんな凶悪犯が真人間になるのかと疑問に思うかもしれませんが、周りの人間の対応次第で可能です。
青葉被告の治療にあたった医師団と青葉被告はこんな会話をしていました。『「“死に逃げ”させない」ぶれなかった主治医 “予測死亡率97.45%”だった青葉被告 4カ月の治療を記した手記 京アニ放火殺人』という記事から3か所を引用します。


上田教授の手記より:
スピーチカニューレを入れ替えすると、声が出たことに驚いていた。「こ、声が出る」「もう二度と声を出せないと思っていた」そういいながら泣き始めた


鳥取大学医学部付属病院の上田敬博教授:
で、そのあともずっとその日は泣いていたので、夕方にまた「なんで泣くんだ」って話を聞いたら、自分とまったく縁がないというか、メリットがない自分にここまで治療に関わる人間、ナースも含めて、いるっていうことに関して、そういう人間がいるんだという感じでずっと泣いていました



(Q.青葉被告と会話を交わす機会もあったと思うが?)

医療チームの一員 福田隆人医師:

何回かしゃべる機会はあったんですけど、一番心に残っているというか、克明に覚えているのは、「まわりに味方がいなかった」っていうのが一番言葉で残ってて



医療チームの一員 福田隆人医師:

どこかで彼の人生を変えるところはあったんじゃないかなっていうのを、その言葉を聞いて思って。僕たちって治療を始めたときから転院したときのことまでしか知らないですけど、40年以上の人生があって、どこかで支えとなる人がいたら、現実はもうちょっと変わったんじゃないかなっていうのは、そのとき思いました



鳥取大学医学部付属病院の上田敬博教授:


自分も全身熱傷になったことは予想外?



青葉真司被告:


全く予想していなかったです。目覚めたときは夢と現実を行ったり来たりしているのかと思いました。僕なんか、底辺の中の“低”の人間で、生きる価値がないんです。死んでも誰も悲しまないし、だからどうなってもいいやという思いでした



鳥取大学医学部付属病院の上田敬博教授:


俺らが治療して考えに変化があった?



青葉真司被告:


今までのことを考え直さないといけないと思っています



鳥取大学医学部付属病院の上田敬博教授:


もう自暴自棄になったらあかんで



青葉真司被告:


はい、分かりました。すみませんでした


私の考えでは、青葉被告のような人間を罰するのは間違っています。

今の司法制度では、心神喪失と心神耗弱の人間には刑事責任能力があまり問えないことになっていて、場合によっては無罪もあります。
心神耗弱は、精神障害や薬物・アルコールの摂取などの原因によって判断能力が低下した状態とされますが、その原因に幼児虐待によってパーソナリティーや脳にゆがみが生じたことも付け加えればいいわけです。

被虐待者である犯人の責任を問わない代わりに、虐待した親の責任を問えばいいわけです。
今は犯人にすべての責任を負わせているので、虐待した親は無罪放免になります(実際は水面下で周囲の人から陰湿な迫害があるでしょう。はっきり責任を問えばそういうこともなくなります)。
今の時代、幼児虐待の防止が大きな課題になっているので、子どもを虐待した親の責任を問う制度をつくることには大きな意味があります。

なお、「虐待されても犯罪者にならない人もいる」と言って、虐待と犯罪の関係を否定する人がいますが、虐待といっても千差万別ですから、虐待されても犯罪者にならない者がいるのは当たり前です。
少なくとも世の中から幼児虐待がなくなれば青葉被告のような犯罪者もいなくなることは確かです。

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岸田首相の選挙演説会場で爆発物を投げて逮捕された木村隆二容疑者(24歳)は、昨年7月の参院選に年齢制限と供託金300万円のために立候補できなかったのは憲法違反だとして国を提訴していました。
裁判は代理人弁護士を立てない「本人訴訟」です。

昨年6月に国に10万円の損害賠償を求めて神戸地裁に提訴、11月に請求が棄却されました。木村容疑者は大阪高裁に控訴し、3月23日に口頭弁論が行われましたが、木村容疑者のツイッターによると「本日の口頭弁論では審議不足を指摘した控訴人に対し、審議を拒否し。いきなりの結審でした。大阪高裁の無法振りが露呈しました」ということです。
木村容疑者はこのようにツイッターで裁判の経緯を報告するとともに自分の主張も発信していました。23件のツイートをしていましたが、その時点でフォロワーは0人だったようです。
いきなり結審したことで敗訴を覚悟し、ツイッターでの発信もうまくいかず、そのためテロに走ったと想像されます。

木村容疑者は安倍元首相暗殺の山上徹也被告との類似が指摘されますが、私が似ているなと思ったのは、Colabo問題に火をつけたツイッター名「暇空茜」氏です。
暇空氏はColaboについての東京都への情報開示請求や住民監査請求を全部一人で行い、ツイッターでその結果を発信していました。暇空氏の主張はほとんどでたらめでしたが、Colaboの会計にも多少の不備があったということで、アンチフェミニズムの波に乗って暇空氏の主張が拡散しました。

木村容疑者も暇空氏も一人で国や東京都と戦い、ツイッターで発信したのは同じですが、結果はまったく違いました。
もちろん二人の主張もまったく違います。
木村容疑者の主張は基本的に選挙制度を改革しようとするものです。
一方、暇空氏は、家庭で虐待されて家出した少女を救う活動をしているColaboを攻撃しました。Colaboの活動が制限されると、家出した少女が自殺したり犯罪の犠牲になったりするので、暇空氏の活動は悪質です。


木村容疑者の選挙制度批判はきわめてまっとうです。
国政選挙は供託金300万円(比例区は600万円)が必要です。
これは貧乏人を立候補させない制度です。
また、既成政党はある程度票数が読めるので、供託金没収ということはまずありませんが、新規参入する勢力は没収のリスクが高いので、新規参入を拒む制度ともいえます。

被選挙権の年齢制限も不合理です。
2016年に選挙権年齢が満20歳以上から満18歳以上に引き下げられましたが、被選挙権年齢は引き下げられませんでした。
なぜ被選挙権年齢をスライドして引き下げなかったのか不思議です。

そもそも参議院30歳以上、衆議院25歳以上という被選挙権年齢が問題です。これでは若者が同世代の代表を国政に送り込むことができません。
最初から若者排除の制度になっているのです。
18歳の若者が立候補して、校則問題や大学入試制度や就活ルールについてなにか訴えたら、おとなにとっても参考になりますし、同世代の若者も選挙に関心を持つでしょう。

木村容疑者の主張は、憲法44条に「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない」とあるので、供託金300万円は「財産」で差別していることになり、憲法違反だというものです。
被選挙権年齢についても、成人に被選挙権がないのは憲法違反だというものです。
木村容疑者は自身のツイッターのプロフィールに「普通の国民が政治家になれる民主主義国を目指します」と書いています。

まっとうな主張ですが、日本の裁判所はまっとうな主張が通るところではありません。議員定数不均衡違憲訴訟でも、「違憲判決」や「違憲状態判決」は出ても、事態はなにも改善されません。

「民主主義が機能していない国ではテロは許される」という論理はありえます。
日本では警察、検察がモリカケ桜、統一教会に手を出さず、裁判所は選挙制度の違憲状態を放置してきて、それらが選挙結果に影響を与えてきました。
民主主義を十分に機能させることがテロ防止策として有効です。


もっとも、日本は民主主義が十分に機能していないといっても独裁国というほどではなく、自分の望む政策が実現しないというだけでテロに走ることはありえません。
テロに走るには、もっと大きい、根本的な理由があります。
それは、自分のこれまでの人生が不幸で、挽回の見込みがないと本人が判断して、自暴自棄になることです。
木村容疑者も山上被告も「拡大自殺」みたいなものです。

山上被告は統一教会の宗教二世で、いわば崩壊家庭で育ちました。
木村容疑者の家庭環境はどうだったのでしょうか。

現時点での報道によると、木村容疑者は母親とひとつ上の兄と三人暮らしで、父親は五、六年前から別居しているそうです。

週刊現代の『「父親は株にハマっていた」「庭は雑草で荒れ果てていた」岸田首相襲撃犯・木村隆二容疑者の家族の内情』という記事から引用します。

この住民は、小さい頃の木村容疑者の様子もよく知っていた。容疑者自身はおとなしい子だったが、よく父親に怒られる姿を見かけたという。

「お父さんがよく母親や子どもたちを怒鳴りつけててね。夜中でも怒鳴り声が聞こえることがあって、外にまで聞こえるぐらい大きな声やったもんやから、近所でも話題になってましたね。ドン!という、なにかが落ちるものとか壊れる音を聞いたこともあった。家族は家の中では委縮していたんと違うかな。

お母さんはスラっとしたきれいな人。隆二君はお母さん似やな。たしか百貨店の化粧品売り場で働いていたはずで、外に出るときは化粧もしっかりしてたね。でも、どこかこわばった感じというか、お父さんにおびえてる感じがあったよね」

では、木村容疑者の父親はどういう人物なのでしょう。
『岸田首相襲撃の容疑者の実父が取材に明かした心中「子供のことかわいない親なんておれへん」』という父親のインタビュー記事から引用します。

──隆二さんの幼少期は、お父様がお弁当を作ってあげていたと。
「そんな日常茶飯事のことなんて、いちいち(覚えてない)。逆に尋ねるけど、2週間前に食べたもの覚えてる? 人間の記憶なんてそんなもんや、日常なんて記憶に残れへん」

──今の報道のままでは、お父さんは誤解されてしまう気がします。
「まあ、俺がいちばん(隆二容疑者のことを)思ってるなんていうつもりはないし、順番なんて関係ないと思うよ。お腹を痛めた母親がいちばん思ってるんちゃうか。

 好きな食べ物なんやったんなんて聞かれても、何が好きなん? なんて、聞いたことないから。聞く必要もないと思ってたから。『いらんかったらおいときや』言うてたから、僕は。いるだけ食べたらええねんで、いらんかったら食べんかったらええねんでって。残してても、『なんで食べへんねん』なんて言うたことない。だから、強制なんてしたことないよ」

──幼少期のころの隆二さんについてお聞きしたいです。
「子供のことかわいない親なんて、おれへんやん」

──小学校の時は優秀だったそうですね。
「何をもって優秀っていうか知らんけどやな。僕は比べたことないねん、隆二と他の子を。人と比べてどうのこうのって感性じゃないから。自分がそれでいいと思うんやったら、それでいいから」

 そう言って、父親は部屋に戻っていった。

父親は質問に対してつねにはぐらかして答えています。「子供のことかわいない親なんて、おれへんやん」というのも、一般論を言っていて、自分の木村容疑者に対する思いは言っていません。
家の外まで聞こえるぐらい大声でいつもどなっていたというので、完全なDVです。

木村容疑者はDVの家庭で虐待されて育って、“幸福な生活”というものを知らず、深刻なトラウマをかかえて生きているので、普通の人のように生きることに執着がありません。
ですから、こういう人は容易に自殺します。

中には政治に関心を持つ人もいます。その場合、親への憎しみが権力者に“投影”されます。
木村容疑者は岸田首相を批判し、安倍元首相の国葬も批判していました。
山上被告は、母親の信仰のことばかりが強調されますが、父親もDV男でした。父親への憎しみが安倍元首相に向かったのでしょう。

このように虐待されて育った人は、存在の根底に大きな不幸をかかえているので、もしテロをした場合は、それが大きな原因です。政治的な動機はむしろ表面的なもので、最後のトリガーというところです。

最後のトリガーをなくすためには、警察、検察、裁判所がまともになり、選挙制度を改革して、民主主義が機能する国にすることです。
これはテロ対策とは関係なくするべきことですが、テロ対策という名目があればやりやすくなるでしょう。

根本的な対策は、家庭で虐待されて育った人の心のケアを社会全体で行い、今現在家庭で虐待されている子どもを救済していくことです。
これはテロ防止だけでなく、宅間守による池田小事件や加藤智大による秋葉原通り魔事件などのような事件も防止できますし、社会全体の幸福量を増大させることにもなります。

もっとも、言うはやすしで、今は幼児虐待こそが社会の最大の病巣であるということがあまり認識されていません。
むしろ認識を阻む動きもあります。
家庭で虐待されていた少女を救済する活動をしているColaboへの攻撃などが一例です。

それから、木村容疑者の家庭環境などを報道するのはテロの正当化につながるのでやめるべきだという人がけっこういます。そういう人は、木村容疑者やテロ行為の非難に終始します。
犯罪を非難して犯罪がなくなるのなら、とっくに世の中から犯罪はなくなっています。
犯罪の動機や原因の解明こそがたいせつです。

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Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像 

悲惨な幼児虐待事件が起こると、「児童相談所や学校や警察はなにをしていたのか」という怒りの声が上がります。
確かに多くの幼児虐待事件では、子どもの体にアザがあるとか、家から叫び声がするとか、学校に出てこないとかの徴候があるもので、関係機関が連絡を密にして対応していれば防げたのにと感じられることが多いものです。
しかし、人間はいざ幼児虐待のような悲惨なことに直面すると、現実を認めたくないという心理に陥りがちです。というか、人類の歴史において、人間はずっとそうして否認してきました。
ですから私は、「児童相談所や学校や警察はなにをしていたのか」と怒る人もいざ自分がそうした場に直面するとうまく対応できないのではないかと疑っています。

次の記事を読んだとき、改めて私の疑いは間違っていなかったと思いました。

懲りない坂口杏里…何がしたいのか? “母親エピソード”で大炎上
 元カレのホストの自宅マンション内に侵入したとして、住居侵入容疑で逮捕(不起訴処分)された元タレントの坂口杏里(28)。現在はYouTubeで赤裸々告白の投稿を続けているが、ネット上で批判が絶えないのだ。
 今月に入って、YouTubeに「坂口杏里チャンネル」を開設した杏里。7日には2013年に死去した母、坂口良子さんの思い出を語ったのだが「あまりの内容に、“お母さんがかわいそう”などの批判の書き込みが相次ぎました」と芸能サイト編集者。
 幼いころ、机の中に隠していた0点のテストが良子さんに見つかり、こっぴどく叱られたというエピソードを明かした杏里。本来なら、そこからお母さんの優しさに触れるはずが、「柔軟剤をボトルごと、頭にブワーってかけられて」「頭ギトギトのまま、学校に一緒に行って謝罪をした」と一転“ホラー”な話題となったのだ。
 さすがにこれには「ただの悪口」「坂口良子さんのこと悪く言うな」「お母様の名前を出すのはやめましょう」などと書き込みが相次ぐことに。その後も遺産の話などを投稿したが、批判は後を絶たず。チャンネルを閉鎖し、新たに「ANRIちゃんねる」を立ち上げた。
 「ユーチューバーへの転身を宣言しましたが、芸能界復帰への足がかりにしようと思っているならマイナス効果しかない」と先の芸能サイト編集者。
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/190914/enn1909140009-n1.html?ownedref=not%20set_main_newsTop

柔軟剤を頭からかけられたというのは、十分に虐待といえます。
これは嘘ではないでしょう。嘘を書く理由がありません。
非難する人も嘘だとして非難しているのではありません。

では、なにを非難しているかというと、事実そのもの、あるいは事実を表現したことを非難しているのです。
つまり幼児虐待の否認です。

この記事を書いた人も、「本来なら、そこからお母さんの優しさに触れるはずが」と、自分自身の虐待否認の考えを杏里さんに押しつけています。

こういう心理があるので、児童相談所の職員などでも幼児虐待に適切に対応できなかったりします。
これは職員を一方的に非難しても解決できるものではありません。



私は、この記事を読んで杏里さんの人生が迷走する理由がわかった気がしました。

坂口杏里さんは母親の坂口良子さんといっしょにテレビのバラエティ番組に出るなどして人気になりましたが、良子さんは2013年に死去。杏里さんは2016年ごろに芸能活動をほとんどやめて、キャバクラ嬢になり、AV出演やヘアヌード写真集を出し、デリヘル嬢にもなりました。ホストクラブ通いでできた借金を返すためだと言われていますが、本人は借金のことは否定しています。

ウィキペディアの「坂口杏里」の項目によると、2017年4月に知人のホスト男性から現金3万円を脅しとろうとしたとして恐喝未遂容疑で逮捕され(不起訴)、今年8月には同じ男性の自宅マンション内に侵入したとして逮捕されました。

もともと人気あるタレントだったのに、キャバ嬢、AV嬢、風俗嬢、二度の逮捕とみずから“転落”していったのが不可解でしたが、母親から虐待されていたとすれば納得がいきます。
AV嬢には親から虐待されていた女性が多いとされます。自己評価が低いために社会的評価の低い職業に抵抗がないことと、親のいやがることをして親に復讐する心理があるからです。
AV嬢からタレントになった飯島愛さんは「プラトニック・セックス」という自伝で父親から虐待されて家出したことを書いています。
スノーボード選手としてトリノ・オリンピックに出た今井メロ(成田夢露)さんも「泣いて、病んで、でも笑って」という本で、父親から虐待といえる壮絶なスパルタ教育を受けたことを書いていますが、キャバ嬢、風俗嬢、AV嬢になっています(私はこのブログで今井メロさんのことを「スパルタ教育を受ける不幸」という記事で書いたことがあります)。

杏里さんがテレビタレントをやめたのも、それは母親が敷いたレールだったからかもしれません。

母親の坂口良子さんはすばらしい女優でしたが、そのことと母親としてのあり方とはまったく別です。

ほとんどの人は迷走する杏里さんに批判的ですが、そういう人は同時に虐待の事実も否認します(引用した記事もそのスタンスで書かれています)。
虐待の事実を受け入れれば、迷走する杏里さんが理解でき、同情心もわいてくるはずです。

今井メロ著「泣いて、病んで、でも笑って」という本があります。今井メロさんというのはスノーボード選手としてトリノオリンピックに出た人ですが、昔は成田夢露という名前で兄の成田童夢さんとともに人気のあった人というと思い出す人が多いのではないでしょうか。この本はいわゆるタレント本ですが、私は縁あって読んでしまいました。そして、読むといろいろ考えさせられることがありました。
 
決してお勧めの本ということではありません。タレント本ですから、本人が書いたものではないでしょうし、内容が薄いのですぐ読めてしまいます。今井メロさんが元美人アスリートだからこそ本になったというところです。
しかし、そのおかげで私たちはめったに目にすることのない事実を目にすることができるということもあるわけです。
 
今井メロさんは1987年生まれで、上に兄が2人いて、長兄が成田童夢、次兄は一般人です。メロさんが5歳のときに両親が離婚し、メロさんと童夢さんは父親のもとで育ち、次兄はのちに母親に引き取られ、父親は再婚して弟が生まれます。複雑な家庭環境です。
メロさんは幼いころの記憶がほとんどないといいます。ようやく記憶が始まるのは小学校に入ってからです。
父親はファッションカメラマンですが、メロさんは父親からモーグルを教わります。5歳のときには滑っていて、6歳のときにモーグルマスターズの競技会、一般女子の部に出場し、成人女性を抑えて優勝します。といっても、本人には記憶がないそうです。
6歳のときにモーグルからスノーボードに転向します。父親がスノーボードを勧めたのです。父親はトランポリンを使う独自の練習法を考え出します。これは今でこそポピュラーな練習法となっていますが、当時はまだ誰もやっていなかったそうです。トランポリンのある自宅屋上にはカメラが設置され、父親はリビングで練習の様子をチェックしていて、少しでも手を抜くと屋上にやってきて、叱責の声が飛ぶということで、メロさんはいつもその恐怖におびえていました。
父親は徹底したスパルタ指導者で、メロさんは練習漬けの生活を送り、友だちと遊ぶ時間もなく、友だちは一人もいませんでした。メロさんは父親のことを「パパ」と呼んでいましたが、あるときから父親は「オレは先生や」といい、練習以外の家の中でも「先生」と呼ぶようになります。
 
メロさんは15歳のころからプチ家出を繰り返すようになり、近所に子どもの「駆け込み寺」みたいな家があったので、その家に行って「お父さんにぶたれて怖いんです。助けてください」と訴えます。それがきっかけになり、メロさんは自分の意思で児童保護施設に入ります。そこでは「やっと解放された~」という気持ちになったそうです。
その後、精神科病棟に入院し、また家に帰り、そして母の家に行き、姓を成田から今井に変えます。
 
メロさんはワールドカップで2度優勝し、トリノオリンピック代表に選ばれると金メダルへの期待が高まります。派手な壮行会はテレビ中継され、そこでメロさんはまるで芸能人のようにラップを歌います。そうしたことの反動もあって、オリンピックで惨敗すると、世の中からバッシングを受けることになります。
 
それからメロさんの人生は惨憺たるものになります。一時的に引きこもったあと、キャバクラ、ラウンジという水商売勤めをし、ホストクラブ通いをし、さらにはデリヘルという風俗嬢にもなって、それが週刊誌に報じられます。リストカット、拒食症と過食症、恋愛依存症、妊娠中絶、二度の結婚と離婚、整形手術、レイプといったことも本の中で告白されます。
 
こうしたことの直接の原因はオリンピックで惨敗して世の中からバッシングされたことですが、やはり根底には家庭環境の問題があったでしょう。早い話が、親から十分に愛されなかったのです。
この本を読むと、たとえばリストカット、拒食症と過食症、恋愛依存症といったことも、根本の原因は愛情不足なのだろうと思えます。
 
また、メロさんは17歳のときに高校生らしい3人組からレイプされます。これはもちろんレイプするほうが悪いのですが、この女ならレイプしても訴え出ないだろうと見られていたという可能性もあります。学校でイジメられる子どもにも共通した問題があるのではないでしょうか。
 
親から十分に愛されないと自尊感情や自己評価が低くなってしまいます。風俗嬢というのは社会的に低く見られる職業ですが、自己評価の低い人は抵抗なく入っていってしまいます。
 
整形手術にも自己評価の低さということがあるのではないでしょうか。メロさんの場合、練習で鼻を骨折したための手術もあったのですが、子どものころから容姿コンプレックスがあったということです。
 
普通、このように自己評価の低い人は自分の本を出すことはできません。精神科医やカウンセラーの本に、リストカットする患者などの症例として出てくるくらいです。メロさんは美人で人気あるアスリートだったために自分の人生を本に書くことができました。
こういう例としては、ほかに飯島愛さんの例があります。飯島愛さんも家庭環境の問題から家出を繰り返してAV嬢になるという過去があり、タレントとして人気が出たために自分の体験を「プラトニック・セックス」という本にすることができました。ネットで調べると、この本は今もリストカットをする女性などにとってバイブルとなっているということです。
 
メロさんはアスリートとしては挫折した人ですが、世の中には、一流スポーツ選手として成功している人の中にも、メロさんと同じような問題を抱えている人がいるのではないかと想像されます。
幼いころから父親のスパルタ指導を受けていたというスポーツ選手は、ゴルフ界や野球界やその他にもいっぱいいます。きびしい指導は愛情ゆえだという説明が通っていますが、ほんとうにそうでしょうか。少なくとも自分の人生を自分で決められなかったということは、ずっとあとを引くと私は思っています。
 
たとえば大相撲の若貴兄弟は、父親が親方でもあるという環境で育ち、力士としては大成功しましたが、そういう育ち方をしたことがのちにさまざまな問題を生んだと思います。
 
もっとも、同じ大相撲でも武双山関は、父親がアマチュア相撲の強豪で、子どものころから父親のきびしい指導を受けて相撲版「巨人の星」と呼ばれるぐらいでしたが、中学生か高校生のころに一度相撲をやめ、しばらくして考え直して自分から父親に頼んでまた相撲の指導を受けるようになったということです。このときに武双山関にとって相撲は「自分が選んだ道」になったのでしょう。
 
武双山関のようなことがないまま親の決めた道を歩んでいる人は、かりにその道で成功しても、自分の人生を自分で決めなかったという不幸はずっとついて回ります。
もちろん成功しないとまったく悲惨です。世の中には人目にはふれませんが、そういう悲惨な人生の人がいっぱいいると想像されます。
 
スポーツ界だけでなく、芸能界にもステージママやステージパパがいっぱいいますし、医者の世界にも、「いやいやながら医者にされ」というモリエールの戯曲のタイトルみたいな人がいっぱいいます。
親だからといって子どもの人生を決める権利はないということが常識になってほしいものです。

山口県光市の母子殺人事件で死刑が確定した大月(旧姓福田)孝行死刑囚(31)の弁護団が1029日、再審請求をしました。殺害や強姦する意図はなかったとして、心理学者による供述や精神状態の鑑定書などを新証拠として提出するということです。
 
この事件は、死刑制度についての象徴的な事件になりました。大月死刑囚は犯行当時18歳ですから、通常は死刑にならないところですが、被害者遺族の本村洋氏が死刑を強く希望し、マスコミと世論が後押しし、一審と二審は無期懲役でしたが、差し戻し審を経て最高裁が死刑を確定させました。この過程で死刑賛成の世論が強化されたと思います。
それだけに死刑反対派の弁護士で形成される弁護団も意地になって、今回の再審請求をしたのかもしれません。
 
大月死刑囚については、一審判決が出たあと知人に書いた手紙というのがあり、検察は被告人に反省が見られない証拠として裁判所に提出しました。ウィキペディアの「光市母子殺害事件」の項目から引用します。
 
・終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君
・無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す
・犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか
 
 
これを読む限り、相当なワルのようです。しかし、これはそこらへんにいる不良が書きそうなことです。大月死刑囚のような異常で残虐な事件を起こした人間の書くことにしては違和感があるなと私は思っていました。
 
最近、「殺人者はいかに誕生したか」(長谷川博一著)という本を読んだら、そのときの疑問が氷解しました。本書の「第四章 光市母子殺害事件 元少年」から一部を引用します。
 
これまでの彼の残した発言や記述には、まるで別人のものではないかと思わせるような「大人性」と「幼児性」が混在しています。精神機能のある側面は発達し、他は幼児の状態のままなのかもしれません。あるいはコンディションが大きく変わるためかもしれません。私への電報は理知的な大人の文言です。新供述の「復活の儀式」や「ドラえもん」は幼児に特有の魔術的思考そのものです。さらに、これらとは次元を異にする迎合性が顕著です。
彼のこの複雑な性格を理解しない限り、「かりそめの真意」は接する人の数だけ生まれるでしょう。そして各人がそれを「本物の真意」と信じ込んでしまうでしょう。少しでも誘導的なやりとりがあれば(言外の意程度であっても)、犯行ストーリーは変遷していくでしょう。残念ながら、誰にも犯行動機をとらえることはできないということです。
 
つまり大月死刑囚はつねに相手に迎合してしまう性格だということです。ですから、知人に出した手紙は、その知人が不良っぽい人なので、その人に合わせて書いたものなのでしょう。その手紙の文面を見ただけで大月死刑囚を判断してはいけないのです。
 
ところで、著者の長谷川博一氏は東海学院大学教授の臨床心理士で、東ちづるさんや柳美里さんのカウンセリングをしたことで有名かもしれませんが、池田小事件の宅間守死刑囚に面会したときは世間からかなりのバッシングを受けたそうです。
長谷川氏は大月死刑囚と多くの手紙のやりとりはしていますが、面会は一回だけです。長谷川氏は中立的な立場なので、弁護団から面会を止められたということで、弁護団にはかなり批判的です。
長谷川氏は、凶悪な犯罪者は100%幼児期に虐待を受けており、それが犯罪の大きな原因であるという考えの方です。
 
「殺人者はいかに誕生したか」から、大月死刑囚に関するところを引用してみます。
 
さて、光市事件の元少年は、どのような過去を背負っていたのでしょうか。弁護団の犯行ストーリーは保留しておくとして、家裁の調査などで明らかになっている生育史を整理することにします。
物心つく頃から、会社員である父親は母親に激しい暴力をふるっていました。彼は自然と弱い側、つまり母親をかばうようになり、そのため彼にも暴力の矛先が向けられました。小学校に上がると、理由なく殴られるようになりました。海でボートに乗っているとき、父親にわざと転覆させられ、這い上がろうとする彼をさらに突き落とすということが起きます。三、四年生のときには、風呂場で足を持って逆さ吊りにされ、浴槽に上半身を入れられ溺れそうになったことが何度かあります。
(中略)
小学校高学年頃から母親のうつ症状は悪化し、薬と酒の量が増え、自殺未遂を繰り返します。彼が自殺を止めたこともあり、彼にとって母親は「守られたい」けど「守りたい」存在でもあったのです。このように錯綜する相容れない感情をいだく対象が母親であり、ひどく歪んだ共生関係に陥っていたのです。
中学一年(1993)の九月二十二日、母親は自宅ガレージで首を吊って自殺しました。母親の遺体と、その横で黙って立っている父親の姿を彼は覚えています。「父親が殺したんじゃないか」との連想を打ち消すことができません。その後、彼自身が自殺を考えましたが、次第に「母の代わりを探す」という気持ちが取って代わります。何度か家出をしますが、自宅の押し入れに隠れていたこともありました。そこは生前の母親が暮らしていた部屋の押し入れで、「母親の面影や匂いを抱いてそこにいた」と語っています。
母親の死後三カ月で、父親はフィリピン女性と知り合い、その女性に夢中になりました。そして1996(被告人の高校一年時)に正式に結婚し、異母弟が誕生します。彼は義母に甘える義弟に嫉妬を覚えました。しかし、そんな義母も、実母と同様、父親から暴力を受け、暴力の被害者という点では同じ立場に置かれたのでした。
1999年四月に就職しますが、一週間ほど出勤しただけで、義母には隠して無断欠勤します。四月十四日、仕事の合間のふりをして家に戻って義母に昼食を食べさせてもらったあと、甘えたくなって義母に抱きつきました。「仕事に戻りなさい」と言われ、甘え欲求が高じた状態のままで家を出、同じ団地内を個別訪問する「排水検査」に歩き回ったのでした。
これが、まったく面識のなかった本村さんの家を訪れるまでの経緯です。
 
この事件において、殺された母親と子どもがかわいそうなことは言うまでもありませんし、妻子を奪われた本村洋氏も同じです。
それと比較するべきことではありませんが、犯人の大月死刑囚もまたとてもかわいそうな人です。なにしろ物心ついたときから家庭には暴力が吹き荒れていたのです。まるで地獄に生まれ落ちたようなものですが、彼はそういう認識はなかったでしょう。地獄以外の世界を知らないからです。
彼が人間としてまともでないからといって批判するとすれば、それは批判するほうが間違っているのではないでしょうか。
 
本村洋氏や母子のことは、マスコミはそのまま報道しますが、犯人がどんな人生を送ってきたかはほとんど報道されません。検察が公開した手紙は大きく報道されましたが、これは人間の全体像を示す情報ではありません。
 
死刑については賛成の人も反対の人もいるでしょうが、量刑を決めるときは、犯罪者がどんな人間であるかをよく知らなければなりません。そのことを知らないまま、というか知らされないまま死刑賛成の世論がつくられているように思います。
 
もっとも、裁判官は被告の生育歴を知っているわけです。それでいて死刑判決を出せる裁判官というのは、私にとっては不気味な存在です。
 
しかし、光市事件のときはなかった裁判員裁判制度が今はあります。幼児虐待の悲惨さを直視できる裁判員が死刑制度を変えていく可能性はあると思っています。
 

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