
1月21日、安倍晋三元首相を殺害した山上徹也被告の裁判員裁判で、求刑通り無期懲役の判決が下されました。
この裁判では、被告の生い立ちの問題、宗教二世の問題、統一教会と安倍元首相の問題が注目されました。どの問題をとっても被告の罪を軽減する要因ですが、判決ではほとんど考慮されませんでした。
科学に背を向けた“暗黒裁判”です。
アメリカで2001年に出版されたジョナサン・H・ピンカス著『脳が殺す』によると、約150人の殺人犯を調査した結果、大多数に前頭葉に神経学的損傷が疑われる形跡のあったことがわかりました。また、ほとんどに幼児期に被虐待体験がありました。「訳者あとがき」には「本書で紹介されている多くの殺人者の例を見るかぎり――彼らが等しく語るその被虐待体験のすさまじさを読むかぎり、犯した罪は罪として、訳者は彼らひとりひとりに同情を禁じえなかった」と書かれています。
その後、被虐待体験が脳の萎縮・変形を生むことがわかりました。今では日本の厚労省のホームページにも「厳しい体罰で、前頭前野が萎縮」「暴言で聴覚野が変形」などとはっきり書かれています。
このような脳科学や心理学の研究結果がある以上、法学や裁判のあり方も変わらなければなりませんが、裁判はいまだに旧態依然です。
脳に異常がある可能性のある被告を「責任能力がある」と認定し、「残忍」とか「身勝手」とか「人間性のかけらもない」などと評価して裁いています。
最近は被虐待体験だけでなく、もっと幅広くとらえた「逆境的小児期体験(ACE)」という概念が使われています。
被虐待体験というと、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待などに限られますが、逆境的小児期体験は親の離婚、親との離別、母親への暴力、家族の自殺、家族に薬物やアルコール依存者がいる、家族に収監者がいる、自身が養護施設などに収容されたことがあるなどが含まれます。こうした体験でも脳の萎縮・変形が起こる可能性があり、PTSDやうつ病の原因になります。
それだけでなく逆境的小児期体験は糖尿病、狭心症・心筋梗塞、肺炎・気管支炎、脳卒中、ぜん息、アトピー性皮膚炎、慢性腎臓病、慢性肝臓病、がんなどのリスクを高めます。
また、ACEスコアが高い人ほど社会経済的に厳しい状況にあり、未婚・離別の経験者が多く、社会的に孤立し、子どもを虐待する傾向にあることもわかりました。
山上被告の生い立ちはどのようなものだったでしょうか。
『山上容疑者を凶行に駆り立てた一族の「壮絶歴史」』という記事と1月22日付朝日新聞の記事を参考にまとめてみました。
山上被告の母方の祖父は建設会社を経営していて、父親はその会社で働いていました。
1981年、母方の祖母が白血病で急死し、その3年後、山上被告が4歳のときに父親が自殺しました。
山上被告の兄は生まれてすぐにリンパ腫であることが判明、抗がん剤の副作用で片目を失明しました。
母親は1991年に統一教会に入信し、父親の生命保険金6000万円を3回ぐらいに分けてすべて献金しました。
祖父は献金をやめさせようと母親と争い、包丁を持ち出すこともあったようです。その祖父も山上被告が高校3年のときに病死し、母親の献金はさらにエスカレートしました。
山上被告は高校の卒業アルバムに将来の夢は「石ころ」と書きました。「ろくなことがないだろうということです」と説明しました。
母親は自己破産し、山上被告は大学進学を諦めて自衛隊に入り、そこで自殺未遂をします。
兄は統一教会を信仰する母親に怒りを持ち、たびたび家庭内でトラブルを起こしていましたが、山上被告が35歳のときに自殺しました。
悲惨な人生です。4歳のときに父親が自殺していますが、そのころから家庭内の空気はずっとひどいものだったでしょう。
私の想像ですが、祖父が強権的に家族を支配していて、母親もその被害者だったのではないかと思います。
ともかく、ひどいレベルの逆境的小児期体験です。「親ガチャ」でいえば大外れです。
山上被告の犯行時の年齢は41歳なので、いつまでも幼児期の体験のせいにしてはいけないという意見もあるでしょうが、幼児期の体験はいつまでもあとを引きます。
愛情をいっぱい受けて育ち、努力したことが報われるという体験を繰り返した人は、人生街道をのぼっていけますが、悲惨な環境で育った人は、努力するということすら困難です。
努力しない人に対しては、非難するのではなく、支援することが必要です。本人も自分の過去を振り返ることで、人生を立て直すことは可能です。
今回の裁判は、弁護側は宗教二世の問題と安倍元首相と統一教会の問題を強く訴えたようで、生い立ちの問題は軽視されていた感じがします。しかし、弁護側が生い立ちの問題を強調したとしても、判決は変わらなかったでしょう。
朝日新聞の「判決要旨」から一部を引用します。
幼少期から青年期にかけての各種体験が、人格や思考などに一定の影響を与え、犯行の背景や遠因になったことは否定できない。
しかし、教団や関係者に激しい怒りの感情などを抱いたとしても、殺人行為を決意して実行したことには大きな飛躍があると言わざるを得ない。
安倍氏を襲撃対象としたのは、経済状況が逼迫し、教団幹部の襲撃をこれ以上待てないという自己の都合を優先させたものだ。安倍氏に殺害を正当化できるような落ち度は見当たらず、このような短絡的で自己中心的な意思決定過程についても、生い立ちの大きな影響は認められない。
「大きな飛躍がある」と書かれていますが、なぜ大きな飛躍があるのかは説明されていません。
「短絡的で自己中心的な意思決定過程」とも書かれていますが、なぜ短絡的で自己中心的になったのかも説明されていません。
なぜ説明されていないかというと、ここには「自由意志」が想定されているのです。
「自由意志」とはなにかというと、まるでトランプのジョーカーみたいに、人間は好きに意思決定できるという考え方です。
つまり「犯意」を持つことも持たないことも自由にできるということで、それを前提に刑事裁判は行われています。
しかし、人間の意志決定も自然法則に従っていて、原因と結果の連鎖の中にあります。
自由意志の存在は科学的にも否定されています。
中世の人間は、うじ虫やボウフラはなにもないところから“わく”と信じていたそうです。司法関係者は今も、人間の頭の中に自由意志が“わく”と信じているのです。
今の裁判はすべての罪を被告に背負わせ、被告が罪を犯すに至った大きな原因である逆境的小児期体験から目をそむけさせるものです。
凶悪犯罪の原因には逆境的小児期体験があることを社会全体が認識し、世の中から逆境的小児期体験をなくすことに社会全体で取り組んでいかなければなりません。










