村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: 石破茂政権

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学術会議法案が国会で採択されようとしていますが、学者は反対運動をしても、一般の人を巻き込むまでにはなっていません。
アカデミズムや科学、学問に対する一般人の価値観が変わってきているのです。
こうした傾向は日本よりもアメリカで顕著に見られます。

第二次トランプ政権は、発足当初から科学予算の大幅削減に着手しました。
NASAの科学予算は約半分に削減される予定です。米国立衛生研究所(NIH)の助成金も削減され、この影響でとくに医学や気候変動分野の研究が打撃を受けています。
これに対し世界の科学者約2000人が「科学界は壊滅的な打撃を受けている」と警告する書簡を公開しました。
「Nature」誌が3月に実施したアンケートによると、アメリカの科学者の約75%がアメリカを離れることを検討しているということです。

トランプ政権はハーバード大学やコロンビア大学を攻撃しているので、リベラルな大学を攻撃しているように見えますが、最初から大学、科学、学術を攻撃しているのです。
トランプ政権は反科学です。
保健福祉長官に就任したロバート・ケネディ・ジュニア氏は有名な反ワクチン活動家で、さまざまな陰謀論を述べてきました。保健福祉長官はアメリカ食品医薬品局(FDA)、アメリカ国立衛生研究所(NIH)、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)を監督する立場です。

なぜトランプ政権が反科学なのかというと、聖書の記述を絶対視するキリスト教福音派に寄せたのかなと思います。
キリスト教はもともと反科学的なところがあります。
ガリレオ・ガリレイの時代に戻っていきそうな感じです。

しかし、キリスト教との関係だけでは説明しきれないものがあります。
世の中全体に反科学ないしは反アカデミズムの気分が広がっています。
トランプ政権がハーバード大学を攻撃しても、それをいい気味だと思っている人たちがかなりいるようです。


この傾向は日本でも同じです。
この背景にはもちろんインターネットの普及があります。
オールドメディア対ニューメディアということが言われましたが、それにならっていうとオールドアカデミズム対ニューアカデミズムという状況が生まれているのです(かつて浅田彰氏が登場したころニューアカデミズム=ニューアカという言葉がありましたが、それとは別の言葉です)。

新聞、雑誌、テレビがオールドメディアで、SNSを中心としたインターネットがニューメディアです。
新聞には右から左までさまざまな論調がありますし、インターネットにも多様な意見があるので、メディアによる意見の偏りはほとんどないはずです(ニューメディアには新聞、テレビのようなチェック機能がないので、陰謀論がはびこりやすいという傾向はあります)。
ただ、新聞、雑誌、テレビには権威があり、既得権益もありそうですから、ニューメディアに拠る人々は“マスゴミ”という言葉を使ったりしてなにかとオールドメディアを攻撃します。

オールドメディア対ニューメディアの対立が極端に表れたのが斉藤元彦兵庫県知事をめぐる問題です。
オールドメディアは圧倒的に斎藤知事を批判しましたが、ニューメディアにおいて急速に斎藤知事支持の論調が高まり、オールドメディアに拠る人たちとニューメディアに拠る人たちの対決という形になりました。
なぜメディアによって論調が変わるかというと、やはりニューメディアには陰謀論が多いということがありました。それに、ニューメディアの人はオールドメディアを批判するのに、オールドメディアはニューメディアをほとんど批判しないということがあります。たとえばオールドメディアが「告発者のプライバシーを言うべきではない」とか「告発者のプライバシーに問題があっても、告発内容とは関係ない」といったことを主張していれば、かなり変わっていたでしょう。


科学に関することでも、オールドメディアとニューメディアで論調が違いました。
地球温暖化問題では、化石燃料を今まで通りに燃やしたいというのが一般の人の素朴な思いですから、どうしても温暖化を否定する説を信じたくなり、陰謀論も信じてしまいます。その代表的なものが、「気温の低下を隠す策略(trick)を終えたところだ」という気象研究者のメールが流出したことです(このメールは切り取られたために意味が違うとされています)。
新型コロナのワクチンが問題になったときも、できたばかりのワクチンの注射なんか打ちたくないというのが人々の素朴な思いですから、陰謀論でもいいので反ワクチンの説を信じてしまいます。

そうしてネットの中に、アカデミズムの大勢とは別の説がはびこります。この説はもっともらしい科学の体裁を整えているので、反科学ではなく疑似科学かニセ科学というべきものです。
ですから、オールドアカデミズム対ニューアカデミズムと表現することにしました。

科学界隈のことでは、「政府はUFOの存在を隠している」とか「古代史には宇宙人の痕跡がある」とか「異星からきたヒト型爬虫類が人類を支配している」といったものから「〇〇は健康にいい」とか「〇〇で運気を上げる」といったものまで、さまざまあります。バカバカしいような説でも、ネットでは同じ考えの人が集まって、エコーチェンバー効果でどんどん確信を強めていきます。


ニューアカデミズムを信じる人は、オールドアカデミズムは既得権益のために古い説にしがみつく科学者に支配されていると見なすので、科学者へのリスペクトもありませんし、アカデミズムの権威も認めません。
そういう気分は一般社会にも広がっているので、たとえば学術会議法案に反対する人が「学問の自由」を守れと主張しても、学者が特権を守ろうとしていると受け止められてしまいます。
これはマスコミが「報道の自由」を主張すると、自分たちの特権を守ろうとしていると思われるのと同じです。
ですから、「学問の自由」がなぜたいせつなのかから説明しないといけません。


日本学術会議法案とはどういうものでしょうか。
『【学者が猛反対】菅政権の任命拒否から5年、今度は法人化ゴリ押し、国が「日本学術会議」を狙い撃ちする理由を探る』が詳しく説明しています。

なにがいちばんの問題かというと、学術会議の独立性が損なわれて、政府の管理下に置かれてしまうのではないかということです。
ひじょうに複雑な仕組みになっていて、要約するのがむずかしいので、直接引用します。
2026年10月の新法人発足時とその3年後の会員選定では、特別に設置された選考委員会が候補者を選ぶ。この委員会のメンバーは、会長が首相の指定する学識経験者と協議して決めなければならない。
 その後は会員で構成された委員会が候補者を選ぶが、その際、会員以外で構成される「選定助言委員会」に意見を聞くことが半ば義務付けられている。
活動に関しても外部から目を光らせる仕組みができる。いずれも会員以外で構成される「運営助言委員会」、「監事」、「評価委員会」が新たに設置されるのだ。監事と評価委員会のメンバーは首相が任命する。

坂井学・内閣府特命担当大臣は5月9日の衆議院内閣委員会で「特定のイデオロギーや党派的主張を繰り返す会員は今度の法案で解任できる」と答弁しました。法案の本質を表現しています。

この法案に反対してもらうには、学術会議の独立性のたいせつさを理解してもらうことから始めねばなりません。

今の日本は民主主義ですが、国政選挙は数年に一度しかなく、民意を政治に反映させるには不十分です。
政府は膨大な情報を管理しているので、意図的な操作が可能です。国民に真実が知らされないのでは、選挙も意味がなく、容易に独裁国になってしまいます。
そこで重要になるのはジャーナリズムによる調査報道です。その意味で「報道の自由」は絶対に必要です。
同様に必要なのが「学問の自由」です。学問や科学は政府に不都合なことを示すことがあります。政府が学問を支配しようとするのは独裁化の兆候です。
そもそも菅内閣が新会員として任命を拒否した6人も、政府批判の意見を述べたことのある人たちです。

したがって、学術会議を政府の管理下に置くのはあってはならないことですが、世の中には政府から金をもらっているのだから、政府が口出しするのは当然だという意見もあります。
たとえば橋下徹氏は5月11日、フジテレビ系「日曜報道THE PRIME」において「公金が入るなら公のチェックが入るのは当たり前じゃないですか」「そもそも、お金をもらって、後は全部自由にさせてくれというのは、仕送りをもらっているろくでもない学生と同じですよ」などと言って、法案に反対する学者を非難しました。
公金が不正に使われていないかをチェックするのは当たり前ですが、使いみちにまで口を出すのは政府の役割ではありません。子どもに仕送りして、金の使いみちにまで口を出す親がろくな親ではないのと同じです。


インターネットの普及によって、学者もアカデミズムの権威の上にあぐらをかいていられなくなりました。
さまざまな陰謀論や橋下氏のような愚論とも戦っていかねばなりません。

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石破茂首相は1月24日の施政方針演説において、「楽しい日本」を目指すという基本方針を述べました。
聞くだけで脱力してしまいます。
演説ではこう言っています。
 故・堺屋太一先生の著書によれば、我が国は、明治維新の中央集権国家体制において「強い日本」を目指し、戦後の復興や高度経済成長の下で「豊かな日本」を目指しました。そして、これからは「楽しい日本」を目指すべきだと述べられております。
 私はこの考え方に共感するところであり、かつて国家が主導した「強い日本」、企業が主導した「豊かな日本」、加えてこれからは一人一人が主導する「楽しい日本」を目指していきたいと考えております。

具体的になにをするかというと、石破首相は『「楽しい日本」を実現するための政策の核心は、「地方創生2.0」です』と言いました。
なぜ「地方創生」をすれば「楽しい日本」が実現するのか意味不明です。
やはり脱力するしかありません。

ただ、「豊かな日本」を目指すことから「楽しい日本」を目指すことにシフトするべきだという堺屋太一氏の説は傾聴に値します。
というか、「豊かな日本」が実現不可能なら「楽しい日本」を目指すしかないわけです。

今、経済問題で議論されているのは「103万円の壁」とか「減税」といったことで、つまり「分配」の問題です。ということは、もうすでに多くの日本人は無意識のうちに経済成長を諦めているのです。
2024年の出生数は69万人程度となる見通しで、23年の72万7277人からさらに減少しました。少子化の流れも止められません。

経済成長が不可能だとしたら、「貧しくても幸せ」ということを目指すしかありません。
貧しくても「世界一幸せな国」といわれたブータンという国もあります。
世帯収入で沖縄県は全国で最低ですが、幸福度ランキングで沖縄県はずっと全国1位です。
つまり「貧しくても幸せ」ということは十分ありうるのです。

もっとも、石破首相はそういう意味で「楽しい日本」という目標を掲げたわけではありませんし、経済成長を諦めたわけでもありません。

「成長はすべてをいやす」という言葉があって、これまでは成長至上主義でやってきました。
成長のためには労働力人口が増えないといけないので、成長政策と少子化対策の二本立てでした。
そのため「国民の幸福度向上」という肝心のことが忘れられていたのです。
経済成長が困難に直面している今、「楽しい日本」ないし「幸せな日本」を考えるのは当然です。


現在の日本人の幸福度はどうなっているのでしょうか。
世界幸福度調査(World Happiness Report)の結果に基づき国連の持続可能開発ソリューションネットワーク(SDSN)が発表する「世界幸福度ランキング」というのがあります。2024年3月発表の結果によると、143か国中で日本は51位で、前年の47位から順位を下げました。先進国にしては低いといわねばなりません。
ただ、この調査はアジアの国の幸福度が低く出る傾向があるように思えます。

そこで、国ごとの自殺率を見てみます。
日本は自殺率の高さで世界5位で、G7の中ではトップです。

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平均寿命が長く、治安もよく、そこそこの福祉もある国で、自殺率が高いというのは、やはり国民の幸福度が低いからだといわねばなりません。

しかし、「国民の幸福度を上げる」というのは漠然としていて、どうすればいいかよくわからないでしょう。
そこで「子どもの幸福度」に注目してみます。
ユニセフ調査の「先進国の子どもの幸福度」によると、日本は38か国中、総合幸福度では20位ですが、分野別で見ると、身体的健康は 1 位でありながら精神的幸福度は 37 位と極端な違いがあります。つまり日本の子どもは、衣食住は十分足りて体はきわめて健康なのに、精神的にはきわめて不幸だということです。
15~24歳の自殺率は、日本が先進国でワーストワンです。
2024年の文科省調査によると、いじめの認知件数は732,568件(対前年で50,620件増)で、過去最高でした。
日本の子どもは世界で一番目か二番目ぐらいに不幸だといえるでしょう。

子どもの不幸の原因は家庭と学校にあるに決まっていますから、改善するのは容易です。
とりあえずバカげた校則を全部なくすだけでもぜんぜん違うはずです。
子どもには勉強の負担があるのですから、それ以外は好きなことをすることがたいせつです。習いごとも子どもがやりたいことをやるべきです。
また、学校の運営はすべて子どもの意見を聞きながら進めることです。
そうすれば「楽しい学校」ができます。

なお、教師の過重労働とか、心を病む教師が多いとか、教員志望者がへっているとか、教師についてさまざまな問題がありますが、根本的な問題として、教師の主な仕事が子どもの「管理」になっていることがあるのではないでしょうか。
自分の仕事が子どもの笑顔につながっているという実感があれば、教師はやりがいのある職業になります。


家庭の問題はそれぞれ違うので、学校のように簡単にはいきません。
最近は体罰はよくないという認識が広がって、身体的虐待はへってきましたが、心理的虐待はまだまだあります。
最近「教育虐待」という言葉も出てきましたが、これも心理的虐待の一種です。
心理的虐待は、やっている親が自覚していない場合がほとんどですが、国がキャンペーンを行うことなどで自覚をうながすことができます。
体罰がへってきたのも、厚労省の「愛の鞭ゼロ作戦」というキャンペーンの効果があったからでもあります。

ACジャパンは教育虐待についてのテレビCM を放映しています。



ところが、このCMについて『お受験界隈が中居正広に激怒!? ACの「教育虐待」CMに一部で批判が殺到している理由』という記事が、親から反発の声が上がっているということを伝えています。
「子どもは自分の意志で夢に向かって勉強を頑張っているのに」とか「今は中学受験のたいせつなときなのに」といった声です。
教育虐待をしている親が自分の非を認めず、逆にCMを非難するというのは十分にありうることです。
そのとき、メディアがその声に同調する形で伝えるか、批判的に伝えるかが問題です。
この記事は同調する形で伝えていますが、批判的に伝える記事が多くなれば、親の考え方も変わるでしょう。

「楽しい学校」と「楽しい家庭」ができれば、「楽しい日本」ももうすぐです。


学校のあり方は社会のあり方に直接に影響します。
ネットで横行する誹謗中傷は学校でのいじめと同じようなものです。
たとえば回転寿司店で醤油差しをペロペロとなめた少年が大バッシングを受けるということがありました。その行為の影響は微々たるものですし、そもそも過去の動画でしたから、少年を非難してもなにも得るところがありません。少年は高校を中退し、さらに寿司店が少年に損害賠償請求をしたというニュースがあると、快哉を叫ぶ人たちがいっぱいいました。学校でいじめられたことの仕返しをしている心理でしょうか。

バイト店員が悪ふざけをした動画を投稿し、それが炎上して、「バイトテロ」と呼ばれることもありました。若者が悪ふざけをするのは当たり前のことですし、無視しておいてなんの問題もありません。その行為を批判しても、また別の悪ふざけをする若者が出てくるだけです。これは「バイトテロ」ではなく「ネットリンチ」ないし「ネットいじめ」と呼ぶべきです。

最近も女性医師がグアムでの研修の際に、解剖する遺体の前でピースサインをする写真を投稿して炎上するということがありました。遺体は献体されたものであり、倫理的に問題ある行為だと指摘されましたが、これも悪ふざけで、しかもなんの実害もありません。放置しておけばいいことです。女性医師と所属クリニックを非難した人は、単に人を非難したいだけです。

このようなネット上の炎上や誹謗中傷は自殺者を生むこともあります。
炎上を避けるためにSNSに投稿する際には細心の注意を払わねばならず、心理的負担がたいへんです。


学校教育の影響とばかりはいえませんが、日本ではルール違反やマナー違反への風当たりが年々強くなっています。
それによって一見よい社会になったようですが、各人は窮屈な生き方を強いられています。
つまり「楽しい日本」とは逆方向に進んでいるのです。
「楽しい日本」を実現するには、「寛容」とか「いい加減」といった価値を見直す必要があります。


人間の幸福感には、家族や共同体の親密な人間関係が大きな要素を占めています。
貧しい途上国の幸福度が意外と高いことや、沖縄県の幸福度が高いことも、それで説明できます。
ですから、幸福度を上げるには家族や共同体の絆を回復するということも目指さなければなりませんが、これは難しい課題なので、ここではとても論じられません。

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総選挙の結果は、与党215議席となり、過半数の233議席を割り込みました。
しかし、与党はもっと負けてもよかったはずです。

開票速報を見ていると、小選挙区で自民党候補が当選したところの多くは立憲民主党の候補がいないところでした。立民は候補者が少なすぎて、追い風を生かしきれなかった格好です。
国民民主党も比例区の候補者数が足りなくて、3議席が他党に配分されました。
両党とも国民の意識が読めていなかったわけです。

与党過半数割れという大きな変化が起きた選挙でしたが、選挙そのものは低調でした。投票率も53.84%で、3年前の衆議院選挙の投票率55.93%から下がっています。
要するに与党に対する気持ちは冷めたが、野党に対する熱い気持ちもなかったということです。

もし自民党総裁選で高市早苗氏が当選していたらどうなっていたでしょうか。
高市氏は靖国神社参拝など安倍氏の保守路線を継承するので、立民や社民や共産などと激しく対立し、選挙戦も盛り上がったかもしれません。
しかし、それでは55年体制に逆戻りで、なんの進歩もありません。
それに、高市氏を支持したような岩盤保守層というのは、声は大きいですが、国民的広がりがありません。だから自民党も高市氏を総裁に選ばなかったと思われます。

高市氏が総裁選で敗れて自民党に失望した保守層が保守党に流れるかとも思えましたが、保守党は3議席でした。
保守党はXのフォロワー数が自民党より多いということを誇っていましたが、国民の支持は自民党と比較にもなりません。

社民党の福島瑞穂党首は「頑固に平和、暮らしが一番」というスローガンを繰り返し叫んでいました(ニュース番組の映像で)。
平和を訴えるのはいいのですが、国際情勢がどんどん変化しているので、たとえば中国の軍拡をどう見るかとか、台湾有事にどう対処するかとか、訴え方が変わらなければなりません。「頑固に平和」という言葉は思考の硬直を示すだけです。社民党は沖縄の小選挙区で1議席を得ただけで、比例区では0議席だったのは当然です。


どの党も国民意識からずれていますが、もちろんいちばんずれているのは自民党です。
裏金問題と統一教会問題をうやむやにしたまま総選挙をやって、そこそこの結果を出せると思ったとすれば愚かです。
もっとも、自民党にはそれしかなかったということもいえます。
統一教会問題をつつくと、岸首相の時代から自民党は外国勢力に侵食されていたということが明るみに出て、自民党はますます支持を失います。
裏金問題も、派閥のトップが関与していないはずはないので、派閥のトップの責任を追及することになりますが、自民党の体質としてそれはできなかったわけです。

もし石破茂新総裁が裏金問題を解明して責任者を処分するということをしていれば、状況はまったく変わっていたでしょう。
しかし、石破首相はそうしませんでした。今まで党内野党の立場で気楽に発言していましたが、いざ責任ある立場になったら、実行する気概がなかったということでしょう。


ただ、そうした中で国民民主党は4倍、れいわ新選組は3倍と大きく議席を伸ばしました。
国民民主党は「手取りを増やす」ということを訴え、れいわは「消費税廃止」を訴え、どちらも若い世代の支持を集めました。
私などは「手取りを増やす」といっても、どうやって増やすかが問題だろうと思うのですが、若い世代に支持されたということは重要です。
新しい、小さい政党は小回りが利くので、国民のニーズに対応できます。
大政党はしがらみが多くて、変化できません。たとえば立憲民主党は電力労組などとの関係で脱原発を封印しています。

今回の選挙で比例区の得票数が3年前の総選挙と比べてどう増減したかを見ると、どの政党が支持されたかがよくわかります。
【増】
国民 259万票→617万票(358万票増)
れいわ221万票→380万票(159万票増)
立民 1149万票→1156万票(7万票増)

【減】
自民 1991万票→1458万票(533万票減)
維新 805万票→510万票(295万票減)
公明 711万票→596万票(115万票減)
共産 416万票→336万票(80万票減)
社民 101万票→93万票(8万票減)

【前回なし】
参政 →187万票
保守 →114万票
https://news.yahoo.co.jp/articles/1544d972f6cf1570fab4be2e17243f7ad1149d4e
立民は議席は増えましたが、得票はほとんど増えていません。

大きい政党よりも小さい政党、古い政党よりも新しい政党に勢いがあります(玉木雄一郎代表は55歳、山本太郎代表は49歳という若さもあります)。
単純に言って、古い政党は守旧派になり、新しい政党は改革派になります(維新も改革派として評価されて伸びてきました)。
ですから、日本を改革しようと思えば新しい政党をふやすことです。

ところが、日本は逆の方向に進んできました。
二大政党制がいいということで小選挙区制を取り入れましたが、小選挙区制だと小政党の存在が困難です。
併せて比例区も導入されましたが、これも新しい政党を排除する制度になっています。
今回比例区に候補を立てた日本保守党代表の百田尚樹氏はこのように語っています。
「私たちは今回、11ブロックのうち6ブロックの比例で戦った。国政政党は『うちは比例で通っても1人ぐらいかな』という時は1人出し、『2人ぐらいかな』と思ったら2人出して、1人当たり600万円かかる。ところが、政治団体は例えば私も戦った近畿ブロックにおいて定数の20%以上の人間を候補者に出さないと、そもそも比例で受け付けないという“謎の理屈”がある。そのため、私たちは近畿では絶対に通らないんですけど、6人の候補者を用意しなければいけなかった。これだけで3600万円だ。私たちはなんとかお金をかき集めて、各ブロックで1億数千万ぐらいのお金を集めて比例6つのブロックに立ったのだ。青雲の志を持って新しい政治正義を立てて比例ブロックで戦おうと思ったグループがいても無理だ。何億円というお金を用意できるはずがない。つまり、現実的には新規参入は比例ブロックでは立候補できないというルールになっている。おかしいと思わないか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9f316bea4a3bd47af0e6be7360e0d8ff78f228d

つまり国政政党と認められるまではとんでもないお金がかかるのです。

それに加えて、公職選挙法がきわめて複雑にできていて、にわか勉強ではとても対応できません。へたをすると選挙違反になり、当選しても無効となってしまいます。
さらに、選挙運動ができるのは公示日から投票日の前日までです(衆院選は12日間)。新人候補はこんな短期間ではとても自分のことをわかってもらえません。
一方、現職議員は「政治活動」と称して、何人もの秘書を地元選挙区の事務所に張りつけておき、陳情を受けたり、冠婚葬祭や各種会合に顔を出したりという「選挙運動」を年中しています。
現職議員が圧倒的に有利ですし、地盤を引き継いだ世襲候補もほかの新人候補より圧倒的に有利です。
そして、現職議員は「政治活動」に必要だということで企業献金、政党助成金、パーティ収入で多額のお金を手にしています。


現職議員が自分たちに有利な制度をつくるので、新党と新人議員がなかなか出てこられません。
それが日本の政治が沈滞している最大の原因です。

では、どうすればいいかというと、まず被選挙権を18歳まで引き下げ、立候補に必要な供託金も大幅に引き下げ、公職選挙法も改正して、個別訪問、演説会、ポスター張り、ビラ配りなど選挙運動を自由に行えるようにすることです。
そうすれば新党がいっぱい出てくるでしょう。
若い人の政党が出てくれば、若者の投票率も自然と上がります(今の政党はほとんどが年寄りの政党です)。
小党分立で政治が混乱すると思う人もいるでしょうが、そんなことはありません。くだらない政党は淘汰され、支持される政党が勢力を伸ばしていくからです。
町工場からソニーやホンダが生まれ、シリコンバレーなどからGAFAが生まれたみたいなことが期待できます。


さて、与党が過半数割れして、新たな連立政権か、政策ごとの連携かという議論になっていますが、とりあえずするべきは政治改革です。
1995年改正の政治資金規正法は、政党助成金を導入する一方で、企業団体献金は5年後に「見直しを行うものとする」としていましたが、なんの見直しもなく企業団体献金は今日まで継続されてきました。
しかし、野党はすべて企業団体献金禁止を公約にしているので――と書いたところで改めて調べると、国民民主党は禁止とは言っていませんでした。これは自民党への擦り寄りでしょうか。
国民民主党が禁止に踏み切れば、すぐにでも企業団体献金禁止は実現できます。
企業献金がなくなれば、今まで金まみれだった自民党議員も目覚めて、少しはまともになるでしょう。

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石破茂政権は最悪のスタートとなりました。
石破首相は総裁選のときは、予算委員会を開催してから信を問いたいと言っていたのに、総裁に選ばれるとすぐに衆院の解散を表明し、予算委員会を開かないで10月27日に投開票となる日程を発表しました。
裏金議員についても「厳正に判断する」と言っていたのに、「原則公認する」という情報が流れ、国民の反発が強いと見ると「一部非公認」となり、これもぶれた印象になりました。
所信表明演説にも、石破カラーがほとんど盛り込まれませんでした。

トランプ氏のように嘘を絶対撤回しない人も困ったものですが、前言を簡単にひるがえす人はもっと困ります。これからなにを言っても信用できないからです。

予算委員会を開催しないのは、党執行部の意向に押し切られたからだと言われます。
石破首相は党執行部に逆らえない事情があるのでしょうか。
ちなみに党執行部はこういうメンバーです。

総裁 石破茂 67歳
最高顧問 麻生太郎 84歳
副総裁 菅義偉 75歳
幹事長 森山裕 79歳
総務会長 鈴木俊一 71歳
政調会長 小野寺五典 64歳
選対委員長 小泉進次郎 43歳
組織運動本部長 小渕優子 50歳
広報本部長 平井卓也 66歳
国対委員長 坂本哲志 73歳

主要なポストはほとんど石破首相より年上です。
自民党は当選回数で序列が決まる上下関係にきびしい組織です。そのため必然的に長老支配になります。
自民党は女性が少ないというジェンダーギャップが指摘されますが、長老支配の問題も忘れてはいけません。日本がデジタル後進国になったのも自民党が年寄りの政党だからではないでしょうか。

とはいえ、この人事をしたのは石破首相自身です。石破首相は党内基盤が弱いとされるので、実力者に頼ろうとしたのでしょう。その時点で主導権は奪われています。


それにしても、石破首相が予算委員会を開くと言っていたのに、党執行部はどうして開かないという判断をしたのでしょうか。
総裁選はそこそこ盛り上がり、国民に人気のあった石破氏が選ばれたのですから、国会論戦を通して“石破自民”を国民にアピールしてから解散総選挙をやるという判断になってもいいはずです。

おそくら自民党としては、小泉進次郎氏を総裁に選んで、フレッシュな、いいイメージのあるときに解散して、選挙で勝利するというシナリオを描いていたのでしょう。
ところが、小泉氏が総裁選をやる中で自滅して、そのシナリオが崩れました。
そうすると、自民党に勝利の目はありません。小泉氏でなければ石破氏でも高市早苗氏でも同じことです。
将棋の棋士が形勢不利な中で唯一逆転できる手を狙っていたのに、その手の可能性がなくなって戦意を喪失したみたいなもので、今の自民党は投げやりな気分におおわれています。

石破首相は敗戦処理投手みたいなものです。
自民党内に石破政権を盛り上げようという空気はありません。
石破首相に期待する気持ちもないので、ボロが出る前に解散というスケジュールになりました。

石破首相もどうやらその空気に染まっているようです。
普通は新内閣や内閣改造のときには“目玉”になる閣僚が一人か二人はいるものですが、今回の新内閣には一人もいません(三原じゅん子少子化担当大臣はちょっと目を引きますが“目玉”ではありません)。
副大臣と政務官の人事も、8人が新たに任命されましたが、ほとんどは前のままです。
所信表明演説も持論を封印して、まったく特徴のないものになりました。

所信表明演説については、「野党のヤジがうるさくて演説が聞こえない。マナーの悪い野党はけしからん」という投稿がやたらXで目につきました。
しかし、演説のあった日の報道ステーションでは、政治部の記者が野党のヤジにはまったく触れずに、「いちばん気になったのは与党席が静かだったことだ。演説を盛り上げるための拍手や声援がほとんどなかった」と語りました。
いったいどちらが正しいのか気になったので、官邸ホームページで演説の動画を見てみました。

第二百十四回国会における石破内閣総理大臣所信表明演説

確かにヤジで演説が聞き取りにくいところがあります。しかし、それは最初の3、4分だけです。そのあとはほとんどヤジは飛ばなくなります(「野党のヤジがうるさい」という投稿は、久しぶりにネットサポーターが動員されたのでしょう)。
しかし、ヤジがなくても演説はうまく聞き取れません。活舌が悪いのかと思いましたが、それよりも言葉に力がないせいのようです。それに加えて、演説の内容がどうでもいいことなので、頭に入ってこないということもあります。
ただ、最後の1、2分は自分の言いたいことであったのか、言葉に力がありました。
逆に最後の1、2分があったために、それまでの演説は心のこもらないただの朗読だったのだということがわかりました。

この動画を見たおかげで石破首相にやる気がないし、自民党議員にもやる気がないことがわかりました。
「やる気」というと漠然としていますが、要するに政権を盛り上げて、国民に訴えて、野党と戦っていこうという熱意がないということです。

たとえば内閣の集合写真ですが、服装がだらしないし、姿勢が悪いということで、ネットで「だらし内閣」などと揶揄されています。
確かに安倍内閣の集合写真と比べると違いがわかります。

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服装や姿勢をきちんとさせるのは、本人よりもカメラマンや周りのスタッフの役割かもしれませんが、だとすると周りのスタッフもやる気がないことになります。


そもそも自民党が苦境に陥ったのは、裏金問題と統一教会問題にまともな対応ができなかったからです。
なぜ対応できなかったかというと、自民党の歴史と体質に深く関わる問題だからです。
長老支配の自民党には過去の歴史を否定することもできませんし、体質を変えることもできません。

人間は誰にも良心があります(良心は本能的なものです)。裏金と統一教会の問題をごまかしていることを自民党議員は誰しもやましく思っています。そのため、野党との戦いにまったく闘志がわいてこないのです。


自民党総裁選のポスターは「おじさんの詰め合わせ」と揶揄されましたが、ポスターには歴代自民党総裁全員の写真が載っていました。
なぜこの時期に歴代自民党総裁全員の写真を載せたかというと、無意識に“自民党の終わり”を予感していたからでしょう。
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それから、国民の最大関心事は経済問題ですが、自民党は長年政権を担当して、ついに「失われた30年」から脱出することができず、総裁選でも経済再生の道を示すことはできませんでした。
この点でも自民党は役割を終えたといえます。


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石破茂新政権はいくつもの火種を抱えて不安なスタートとなりました。
中でも気になるのが安全保障政策です。
安全保障は石破氏の得意分野ですが、人はしばしば得意分野で転ぶものです。

石破氏は総裁選に立候補するに当たって9月10日に政策発表会見を行い、アジア版NATOの創設を提案すると述べました。
私はこれを聞いたとき、単なる思いつきかなと思いました。アメリカがその気にならなければアジア版NATOはできるわけがないからです。
それから石破氏は、アメリカ国内に自衛隊の訓練基地を設置するとも述べました。
この案はそれなりに理解できました。
今の安保条約はアメリカが一方的に日本の防衛義務を負うものだという誤解があります(トランプ氏も誤解する一人です)。
実際はアメリカが日本の防衛義務を負い、日本は米軍基地の受け入れ義務を負うという双務的なものです。日本がアメリカ国内に基地を設置したいと要求することで、誤解を解くことができるでしょう。

これらのことは石破氏の思いつきではありませんでした。石破氏はその内容の論文をアメリカのシンクタンク「ハドソン研究所」に寄稿していたのです。
それがウェブ上に公開されました。

「Shigeru Ishiba on Japan’s New Security Era: The Future of Japan’s Foreign Policy」
(英文と日本文と両方載っています)

石破氏は『石破政権では 戦後政治の総決算として米英同盟なみの「対等な国」として日米同盟を強化し、地域の安全保障に貢献することを目指す』と書きます。これが石破氏の基本的な考えでしょう。
ただし、日本とアメリカが「対等な国」になるという意味ではなく、同盟関係を対等ななものにするということのようです。

その観点からすると、現在の安保条約は対等なものではありません。アメリカが日本の防衛義務を負い、日本がアメリカへの基地提供の義務を負うという関係は、「義務」という言葉こそ同じですが、「義務」の内容がぜんぜん違うというのが石破氏の考えです。
かといって、日本が軍事大国アメリカの防衛義務を負うというのも妙なものです。
そこでアジア版NATOという構想が出てきたのでしょう。
日本が韓国や台湾やフィリピンの防衛義務を負い、ついでにアメリカの防衛義務も負うということにすれば、不自然ではありません。

それから石破氏は自衛隊をグアムに駐留させるという案を提示します。そして、安保条約と地位協定の改定を行うというのです。
日米が相互に駐留すれば、地位協定も必然的に対等なものになるでしょう。

石破氏は総裁選の討論会が沖縄で行われたとき、9人の候補の中で唯一、地位協定の見直しに言及しました。それなりの戦略があっての発言だったわけです。


では、このアジア版NATO構想が実現するかというと、どう考えてもアメリカが乗ってこないでしょう。
ちなみに元米国防次官補代理でトランプ氏が当選したときには要職に就くかもしれないエルブリッジ・コルビー氏はXに投稿して、日米同盟をより対等にするには日本は防衛費を「3%程度に引き上げる必要がある」と述べました。
安易に「防衛費3%」を口にするとは、完全に日本を軽視しています。

日本国内の世論の支持があれば、アメリカも認めるかもしれません。
しかし、それもありえないでしょう。
安倍晋三氏や高市早苗氏を支持しているような保守派は、「地位協定の見直し」など口にしたことがありません。アメリカに従属するのが当たり前で、その一方で中国と韓国には強いことを言いたがるのが保守派です。

では、リベラルや左翼はどうかというと、これも支持しそうにありません。
というのは、石破氏は論文の中で、アジア版NATO創設のためには「国家安全保障基本法」の制定と憲法改正が必要であると述べているからです。

マスコミも対米従属路線ですから、石破構想を認めるわけがありません。
朝日新聞はかねてから地位協定の見直しを主張していますが、石破氏の論文についてはこのように書いています。

石破は新総裁に選出された27日付で、米シンクタンク・ハドソン研究所のホームページ上で外交政策論文を発表。「『非対称双務条約』を改める時は熟した」として安保条約・地位協定改定を提唱した。関係者によると、石破側はもともと総裁選中の掲載を考えていたというが、「次期首相」の見解として掲載されており、日本国内でのこれまでの「石破節」では済まされない。信頼醸成を図る前に、一方的に現在の日米関係の不満を表明したと米側に受け取られかねず、稚拙な政治手法とのそしりは免れない。
https://www.asahi.com/articles/DA3S16046491.html?iref=pc_ss_date_article
「稚拙な政治手法」を非難することで論文そのものを否定する印象の文章になっています。
朝日新聞でこれですから、ほかのマスコミは推して知るべしです。


鳩山由紀夫政権が辺野古移設の見直しをしようとしたときのことが思い出されます。
鳩山政権は東アジア共同体構想を持っていました。これはアジア版EUです。
対等な日米関係をつくるには日本一国の力ではむりなので、周辺国を巻き込もうということです。
石破氏のアジア版NATOもそれと同じことです。
鳩山政権の辺野古移設見直しはマスコミにも官僚にも足を引っ張られて、みごと玉砕し、これが鳩山政権の命取りになりました。
石破政権も同じ道をたどりかねません。

アメリカはもちろん国内の誰も賛成しないような案を出してくるとは、石破氏は政治音痴だといわざるをえませんが、ただ、日米同盟を対等なものにしたいという根本のところは評価できます。
もし石破氏が鳩山氏と同じ道をたどったら、もう二度と日米同盟を対等なものにしたいという有力政治家は出てこないでしょう。


石破氏はもともとタカ派政治家で九条改憲論者として知られていましたから、護憲派やハト派は石破氏を忌み嫌っているでしょう。
しかし、石破氏は保守派ではあっても、安倍氏や高市氏らとは根本的に違います。

慰安婦問題について、石破氏は東亜日報のインタビューで「納得を得るまで(日本は)謝罪するしかない」と述べたことがあります。
この発言が保守派から批判されると、石破氏は「謝罪」という言葉は使っていないと弁明しましたが、東亜日報に抗議はしませんでした。

南京大虐殺についても石破氏は「少なくとも捕虜の処理の仕方を間違えたことは事実であり、軍紀・軍律は乱れていた。民間人の犠牲についても客観的に検証する必要がある」と述べています。

安倍氏も高市氏も靖国神社参拝にこだわっていましたが、石破氏は2002年に防衛庁長官として初入閣して以降、靖国参拝はしていません。
なぜ靖国参拝をしないのかについて、石破氏は『正論』2008年9月号の対談で次のように語っています。

「あの戦争は、まともに考えれば勝てるはずのない戦争だった。決して後知恵で言っているのではありません。昭和16年7月には陸軍主計課が緻密な戦力分析を行い、8月にはそのデータを引き継いだ政府の総力戦研究所が日米開戦のシュミュレーションで日本必敗の結論を出して、総理はじめ政府中枢に報告している。(中略)勝てないとわかっている戦争を始めたことの責任は厳しく問われるべきです。(中略)さらに”生きて虜囚の辱めを受けることなかれ”と大勢の兵士に犠牲を強いた。神風特攻隊も戦艦大和の海上特攻も、何の成果も得られないと分かった上で、死を命じた行為が許されるとは思わない。陛下の度重なる御下問にも正確に答えず、国民に真実も知らせず、国を敗北に導いた行為が、なぜ”死ねば皆英霊”として不問に付されるのか私には理解できない」

石破氏は軍事オタクです。軍事オタクというのはある意味、現実主義者であり合理主義者です。
しかし、安倍氏や高市氏のような保守派は違います。天皇制、靖国神社、教育勅語、特攻隊を崇拝します。要するに神がかりです。ですから、日本会議や統一教会とも結びついています。

リベラル、左派、護憲派は石破構想を一概に否定するべきではなく、むしろ応援したほうがいいかもしれません。


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