村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: 愛のある生活

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専業主婦がいて、パートタイムで働く妻もいるので、夫婦の家事分担のあり方はさまざまです。
しかし、夫婦が同じように働いていれば、家事分担は平等であるのが当然です。
もし夫婦が同じように働いているのに、夫の家事分担が少なければ、それは夫がわがままを通しているということです。

「全国家庭動向調査」によると2022年の調査では、夫と妻の家事分担割合は妻80.6%、夫19.4%です。
もっとも、これは専業主婦も含めた数字です。
妻が正規労働の場合(たぶん夫も正規労働)、50.6%の夫婦で妻が家事の80%以上を担当していました。
ほぼ平等に家事を分担していると見られる夫婦の割合は約20%でした。
約20%というのは、けっこう多い数字のような気もしますが、本来なら100%であるはずです。


どうして男は家事をしないのでしょうか。
私自身のことを振り返りながら、男が家事をしない理由を考えてみました。

私は20代半ばで結婚を考えるようになりました。
ただ、私は小さな出版社に勤めていて、きわめて薄給でした。
結婚するとなれば、相手に共働きしてくれるように頼まなければなりません。そうすると、自分も家事を半分ぐらいやらざるをえないと思いました。

私は当時、一人暮らしをしていましたから、掃除と洗濯はできました。しかし、食事はもっぱら外食で、料理はほとんどできません。
結婚したからといって急に料理ができるようになるとは思えません。
家事の分担はどうしようかと漠然と考えていましたが、もしそういう状態で結婚していたら、私もあまり家事をやらない夫になっていたかもしれません。
結婚してから少しずつ料理を覚えていけばいい理屈ですが、最初に妻に料理をしてもらえば、その状態に甘えてしまったかもしれません。

幸い(?)結婚相手は現れず、そのうち勤めていた会社が倒産しそうになったために私は会社を辞めました。
再就職も考えましたが、その前から作家になろうと思って小説を書いていたので、この際、就職せずに作家修行に専念することにしました。薄給でも少しは貯金がありました。

そうすると節約するために自炊をするのは当然です。まず自炊の本を買い、次にNHKの「きょうの料理」の定番料理の本を買いました。当時はインターネットもないので、本で料理を学ぶしかありません。
あるときスーパーでサバ丸ごと一匹を売っていて、ほかにサバの二枚おろしか三枚おろしもバックして売っていました。サバ丸ごと一匹のほうが断然安く、たぶんどちらも同じサバです。
私にはお金はなくても時間はいっぱいあります。私は魚をおろしたことはありませんでしたが、パックされたサバの半身を完成予想図として目に焼き付けて、サバ一匹を買って、そこから半身を切り出しました。
そのうちテレビの料理番組を見て、正しい魚のおろし方を学びました。
東京は新鮮なアジやイワシを安く売っているので、自分でさばけば安く刺身が食べられます。
そうしたことをしているうちにある程度料理ができるようになったので、結婚しても料理を分担することができました。

料理は奥が深いですが、生活のための料理に奥深さは必要ありません。ただ、バランスよく栄養をとるために幅広い料理ができる必要があります。野菜の切り方、野菜のゆで方から始まって、一通り習得するのはけっこうたいへんです。
たいていの男は料理をやったことがないので、当然料理ができません。
結婚してから妻から教わるというやり方もありますが、結婚した最初は人間関係を築いていく時期です。そのときに「教える・教えられる」という一方的な関係が入るのはどうなのでしょうか。

男女ともに、結婚するときには一通りの家事をこなせるようになっているのが好ましいといえます。
それを考えると、ずっと実家暮らしの男性というのは、料理はもちろん掃除も洗濯もやったことがない可能性が大です。
そういう男性と結婚した女性は、夫が家事無能力者であることを知って愕然とするに違いありません。


結婚前から家事のできない男性が圧倒的に多く、それが結婚後、家事分担が平等にならない大きな理由です。
したがって、若い男性は結婚前に料理などを学ぶ“花婿修行”をするべきだという考え方を世に広める必要があります。
これは未婚化対策にもつながります。


しかし、それだけではうまくいかないでしょう。
そもそも多くの男は家事のノウハウを知らないだけでなく、家事をやる気がありません。やるにしても「しかたなくやる」といった感じです。
多くの夫は「なんか手伝おうか」などと「手伝う」という言葉を使います。つまり当事者意識がないのです。
夫がもっともよくやる家事は「ゴミ出し」だということです。
ゴミ出しというのは、出勤するときにゴミ袋を持って家を出て、ゴミ置き場にそれを置くという作業です。クレーンゲームのアームがやっている作業と同じです。

男が家事にやる気がないのは、家事を下に見ているからです。
なぜ家事を下に見ているかというと、女性を下に見ているからです。
「男女平等」という理念があっても、男の意識はまだまだ「男尊女卑」です。
女は卑しいものであり、卑しい女がする家事もまた卑しいということになります。

これはインドのカースト制を考えるとよくわかるかもしれません。カースト制では身分と職業が結びついていて、卑しいカーストのする職業も卑しいことになり、ほかのカーストの者はその職業(仕事)には手を出しません。
男尊女卑の意識を持っている男も、「家事は女の仕事」と思っているので、家事には手を出しません。もちろん「分担する」という意識はなく、せいぜい「手伝う」程度です。


妻が熱を出して寝込んでいると、夫が「俺の飯は?」と言ったという話があります。
妻を看病するでもなく、妻の食事の心配をするでもなく、自分の食事のことしか考えない夫には言葉を失います。
弁護士ドットコムニュースの離婚事例としても載っているので、こういう夫がいることは事実なのでしょう。

これは「家事をやらない」とか「家事のノウハウがない」ということではなく、「人間としての思いやりがない」ということです。
この夫はひとつ間違えばDVをするでしょう。
DVをしなくても、離婚に至らなくても、夫婦関係は破綻しているも同然です。


思いやりの欠如した夫は珍しくありません。

私の両親は年取って二人で暮らしていましたが、父親は家事をまったくやりませんでした。
それではいずれ困ることになるぞと忠告していましたが、まったく聞き入れません。
案の定、母親が入院して、父親一人で生活していくことになりました。私は遠方に住んでいたので、どうなることかと心配していましたが、なんとか一人でやっていました。
「家事をやらない男」というのは、あくまでほかに家事をやる人間がいるから成立しているわけです。

母親が退院してきて、ゆっくりお風呂に入りたいと、父親にお風呂を入れてくれるように頼みました。そして、風呂がわいたというので、母親が服を脱いでいざ入ろうとすると、冷たい水だったそうです。母親はそれがずいぶんとショックだったようで、私に嘆きました。
私が父親にどういうことかと聞いたら、風呂の表面が熱かったので沸いたと思ったと答えました。
その風呂は、水を張ってガスで沸かす方式です。表面が熱くなっても下は水です。父親もそんなことがわからないはずがありません。なぜ沸いていない風呂を沸いていると言ったのか、わけがわかりませんでした。
あとになって考えたのですが、それまで一方的に世話される立場だった父親は、逆の立場になったことが不満で、無意識のいやがらせをしたのでしょう。母親は初めて世話される立場になって喜んでいたので、いっそう傷ついたのです。
前からそういう心理的な暗闘をしている夫婦でした。


 夫が妻にやさしさを示さないのは、「男尊女卑」や「性差別」によって、女性を男性より下の存在と見ているからです。
もちろんすべての男がそうだということはありません。
人間は基本的に自分の両親のあり方を見て男女関係や夫婦関係のあり方を学ぶので、その影響が大きいでしょう。

それから、親子関係のあり方も影響します。
妻が寝込んでいるのに「俺の飯は?」と言った夫は、もしかすると子どものころ病気になっても母親からろくに看病してもらえなかったのかもしれません。いつも「男の子でしょ」と言われてやさしくされたことがなければ、人にやさしくできないのは当然です。
私の父親も、生まれてすぐ母親を亡くして親戚の家に引き取られて、不幸な子ども時代だったようです。


不公平な家事分担は、男がわがままを通しているからです(まれに女がわがままな場合もあります)。
家事を相手に押しつけている分、楽ができますが、思いやりのある夫婦関係はなくなります。
思いやりのある夫婦関係のほうが幸せなはずです。


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私がスーパーで買い物をするときによく思うのは、夫婦で買い物をする人をほとんど見かけないなということです。
夫が会社勤めをしているにしても、土日なら夫婦で買い物に行けるはずです。
私の場合、妻が会社勤めなので、土日はいつもいっしょに買い物に行きます。
ずっと家にいるよりも散歩がてら買い物に行ったほうが気分転換にもなります。

もう定年退職したような老夫婦はときどきスーパーで見かけます。
しかし、二人が会話していることはめったにありません。
たまに言葉を発しているのを聞くと、たいてい不機嫌なダメ出しの言葉で、会話になっていません。
なんのために二人でスーパーにきているのかと思ってしまいます。

そうした疑問を持っていたところ、『店員「レジで奥様を手伝わず突っ立ってるだけの人、なぜ?」意図が不明な謎行動に「本当に邪魔」「見かねて声をかけた」』という記事を見つけて、やはりそうなんだと思いました。

その記事を簡単に紹介すると、「スーパーに一緒に買い物に来て、奥さんが会計をしている時にぼーっとレジの横に立ったままの人が多い。邪魔なので、手伝わないのなら別の場所にいてほしい」というSNSの投稿がきっかけで、店員経験のある人などから「ほんとうによく見かける」「奥さんが重いカゴを移動させてるのに、横か後ろにくっついて動かない人がいる」「レジもそうだけど、サッカー台で何もせずに突っ立ってる人も多い」といった声が上がりました。
客からも「腕組みして見てるだけの人、本当に邪魔」「運転のために来ているのだとしても、車の中で待ってるか、普通に手伝えばいいのに」「ついてきているだけの人って無意識で通路をとうせんぼしがち」などの声がありました。

夫婦で買い物にきていても、夫は荷物持ち要員としてついてきているだけで、買い物には関与していないようです。
性別役割分業が徹底した夫婦だと思われます。
こういう夫婦は会話も乏しくなるでしょう。


一般論として夫婦はどんな会話をしているのでしょうか。
あるテレビ番組で新婚の男性が毎日会社帰りの電車の中で今日は妻とどんな会話をするか考えていると言っていて、それを聞いたスタジオの女性が「やさしい」とほめていました。
初めてのデートのときなどはどんな会話をするかあらかじめ考えた人も多いでしょう。しかし、そんなことは長くは続けられません。

新婚しばらくは、相手のことをよく知らないので、お互いに自分のことをしゃべっていれば意味のある会話になります。
それに、各家庭で生活習慣が違うので、掃除や洗濯のやり方、料理の味付けなどさまざまなことで“文化摩擦”が生じ、それも会話のネタになります。出身地が違うと地域の文化の違いもあります。
新婚の妻が初めておでんをつくったら、夫が「豆腐が入っていない」と文句を言って喧嘩になったという話を聞いたことがあります(豆腐は長く煮込むと固くなるので入れないこともあります)。
昔、大根がすごく高値になったとき、妻が迷った末にサンマの塩焼きに大根おろしをつけなかったら、夫が激怒したという話もあります。
こういう行き違いを防ぐためにも会話が必要になります。

何年かたつと会話もマンネリになってきますが、子どもができると、今度は子どものことでしゃべることがいっぱい出てきます。そうして多くの夫婦は会話を続けていくのでしょう。

私たち夫婦には子どもがいませんが、結婚してしばらくして猫を飼い始めました。
そうすると猫について話すことがけっこうあります。うちの猫は自由に戸外に出ていたので、しばしばネズミやスズメやセミなどを捕って家に持ち帰ってきて、そのたびに大騒ぎになります。
ペットは家族の会話を活発にさせる機能があります。

しかし、やがて子どもも巣立っていきます。そうすると夫婦に会話することはほとんどなくなります。
子どものいない夫婦はその前から会話することはないわけです。
「メシ、フロ、ネル」しか言わない戯画化された夫というのは、けっこう現実ではないかと思われます。


そもそも人間はなんのために会話をするのでしょうか。
イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーは『ことばの起源 -猿の毛づくろい、人のゴシップ』という本で、人間の会話はサルの毛づくろいと同じであるという説を述べました。
サルは互いに毛づくろいをすることで親しさを確認し、群れの結束を強めます。人間は毛がないので毛づくろいの代わりに会話をし、そのために人間は言語能力を発達させたというのです。
ですから、会話することそのものに意味があって、会話の内容にはたいして意味がないことになります。

人間の会話の内容を調べると7割はゴシップだといわれます。つまり周りの人間についての根拠のない噂話をしているのです。
私たちの日常会話も、近所の人についての噂話や、芸能人の不倫の話、石破首相やトランプ大統領の話などです。
SNSでも根拠のない話がどんどん広がっています。話を通じて誰かと共感することが目的なので、その話に根拠があるかどうかはあまり関係がないからです。
必要な情報の伝達とか、認識を深めるための議論などもありますが、それらは会話全体からみればごくわずかです。
夫婦でいえば、家計のこととか親の介護のこととか、まじめに話し合わないといけないこともありますが、それも全体から見ればごくわずかです。


夫婦は同じ家で暮らしているからといって、いつもいっしょにいるのはよくないのではないかと思います。
この前、ある女性芸能人(誰だったか忘れた)がテレビで「仲のよい夫婦は寝室をいっしょにしていない」と語っているのを聞いて、そういうこともあるかもしれないと思いました。
長くやっている漫才師はたいてい楽屋でもほとんど言葉を交わさないといいます。
いくら仲がよくても、同じ人間といつも顔を合わせていると嫌気がさすものです。

私たちの場合、妻は会社勤めですが、私は文筆業で昼ごろ起きるので、必然的に寝室は最初から別でした。
夫婦がいっしょにすごすのは、夕方妻が会社から帰ってきてから食事の片づけをするまでの間で、そのあとはそれぞれの部屋ですごします。
寝る前に二人いっしょに紅茶を飲むこともあります。そのときはテレビのニュース番組やトーク番組を見て、それをもとに会話します。テレビを見なければ会話のきっかけがありません。

夫婦の会話などなんの意味もなくて当たり前です。
ただ、意味のある会話もあります。それは家事についてです。サラリーマンが同僚と仕事の話をするのと同じで、これは夫婦にとって必要な会話です。

私たち夫婦の場合、掃除は平等に分担しています。洗濯は妻がやって、私は洗濯物を干したり取り込んだりするのを手伝う程度です。料理は基本的に妻がやりますが、私はご飯を炊くのとみそ汁をつくるのを担当し、ときどき一品をつくり、妻が残業のときは私が全部つくります。
家事分担の割合としては、6対4とまではいきませんが、7対3よりはやっているはずです。

なお、買い物は、妻が帰宅前にしますが、私も昼間することがあります。
いつも別々ですから、土日にいっしょに「キャベツが安くなってきたね」とか「コーヒー豆がまた高くなった」などと話し合いながら買い物するのは楽しいことです。
ですから、冒頭でも書いたように、いっしょに買い物をする夫婦をほとんど見かけないのが不思議です。
おそらく多くの夫婦は妻だけが料理をしているのでしょう。いっしょに料理をしていればいっしょに買い物もするはずです。

誕生日や結婚記念日などに夫婦で外食をすることがありますが、そんなときどんな会話をしているかというと、半分ぐらいは料理のことです。というか、それ以外にあまり話すことがないというのが実際です。
そうすると、ほかの夫婦は外食のときにテーブルで向かい合ってどんな話をしているのでしょうか。黙って食べていたのではせっかくの外食が楽しくありません。

会話のない夫婦は、二人で家事をするようにすれば会話が増えるはずです。



ともかく、夫婦の会話というのはどうせ価値のないものなので、楽しくバカ話をしていればいいというのが私の考えです。
逆に価値のある会話をしようとするのはたいへん危険です。

たとえば相手になにかを教えて知的に向上させようという人がいます。
これは相手を見下した行為ですから、教えられる側は不愉快です。
これを男がやるのは「マンスプレイニング」といわれます。

相手を道徳的に向上させようというのも夫婦関係を破壊します。
以前、妻が冷凍餃子を食卓に出したところ夫から「冷凍餃子は手抜きだ」と言われたというツイッターの投稿が話題になったことがありました。この夫は手抜きをする妻を手抜きをしない立派な妻にしようとしたのでしょう。
夫が妻を「だらしない」「気が利かない」と言ったり、妻が夫を「思いやりがない」「自分勝手」と言ったりするのも、相手を道徳的に向上させようとしているわけです。ですから、言うほうはいいことを言っているつもりです。
しかし、言われるほうは不愉快です。
こうしたことが繰り返されると、会話自体がなくなってしまいます。
その結果、離婚に至るか仮面夫婦になるしかありません。

なぜこういうことが起こるかというと、道徳について根本的な勘違いをしているからです。
今、小中学校では道徳の授業が行われていますが、これが可能なのは、子どもが弱いためにおとなしく聞いているからです。
配偶者に対して道徳を説いたら、うまくいかないに決まっています。
そのことを理解せず、夫婦関係に道徳を持ち込んで、そのために多くの夫婦の関係が冷え切っているのは悲しいことです。
家庭に道徳を持ち込まないようにすれば楽しい夫婦関係になると思います。


道徳についての根本的な勘違いについては「道徳観のコペルニクス的転回」で説明しています。


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