
今年の終戦記念日で戦後81年になりますが、世界は平和になるどころか、ますます戦争の危機が高まっているようです。
なぜそうなるかというと、どの国も平和を求めていないからです。
では、なにを求めているかというと「安全」です。
国連の中心機関は「安全保障理事会」ですし、日本にせよアメリカにせよ、世界のほとんどの国で軍事や外交の政策は「安全保障政策」と呼ばれています。
いうまでもなく「平和」と「安全」は違います。
「平和」は、周辺国と協力して実現するもので、地域や世界が平和になれば国民は安心できますし、国家は軍事費を大幅に削減できますし、経済交流も盛んになるでしょう。いいことずくめです。
ただし、そこには国家同士の信頼関係が必要ですし、国民同士の信頼関係も必要です。
そうした信頼関係は今のところありませんし、すぐに築くのもむずかしそうです。
そこで、「平和」の次善の策として「安全」が求められているわけです。
平和は周りの国と同時に享受するものですが、安全は基本的に自国だけのものです。
軍事力を強化すると自国の安全度は高まりますが、その軍事力は他国の安全度を低くします。
そのため、必然的に軍拡競争になります。
軍事力が優位だからといって安心はできません。軍事力の優位はいつ失われるかわかりませんし、軍事的に劣位な国が非合理的な判断で攻撃してくるかもしれません。
そこで、安全保障を完全にするには、脅威になりそうな国を無力化することです。
ロシアはウクライナを無力化するためにウクライナに侵攻しましたし、アメリカとイスラエルはイランを無力化するためにイランを攻撃しました。
つまり「安全保障」という考え方が戦争を生むのです。
軍事同盟をつくって安全を高めるやり方もありますが、軍事同盟というのはあくまで外部の脅威があって成り立つものです。
したがって、同盟関係を広げて世界を平和にすることはできません。
軍事同盟は、国と国の対立を陣営と陣営の対立にするだけです。
「安全保障」という概念は昔からあったわけではありません。
AIに質問すると、「国際連盟規約には security という言葉が一度も登場しないが、国際連合憲章には 多数登場する。1920年代のロカルノ条約は集団安全保障(collective security)として議論された。よって『安全保障』という概念は戦間期に形成されたと結論づけられる」ということです。
「安全保障」がいわれる前は、ヨーロッパにおいては「国防」が外交軍事の基本でした。
国防を基本にして考えると、戦争は単純です。国境を越えて攻撃したほうが侵略戦争をしたことになり、国境の内側で戦う国は防衛戦争をしたことになります。(国境線が確定しない場合の国境紛争もあります)。
国連憲章の第51条には「集団的自衛権」が規定されています。
「安全保障」と「集団的自衛権」によって、侵略戦争と防衛戦争の区別がわかりにくくなりました。それが戦争をしやすくしています(ユネスコ憲章の冒頭には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とあり、平和を強く打ち出していますが、これは国連の諸機関の中では異例です)。
どうして国連結成のころに「安全保障」という考え方が主流になったのかについては、国際政治学者にちゃんと調べてもらいたいところですが、現在の世界情勢を見ると、つねに国境の外で戦争をしているアメリカにとって有利であることは間違いありません。
ともかく、日本が「平和」でなくて「安全保障」を求めているのは、中国や北朝鮮、ロシアなど他国に不信感を持っているからです。
この不信感は人間に対する不信感でもあります。
高市首相はかつて、憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれわれの安全と生存を保持しようと決意し」とあるのに関して、衆議院憲法調査会で「この非常におめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」と発言したことがあります。
憲法前文は、他国の政府ではなく「諸国民」についていっています。私は北朝鮮国民も平和を望んでいると思いますが、高市首相はそうではないようです。
保守派の人間観は性悪説です。人間は自由になると好き勝手なことをして秩序が乱れるので、軍事力や警察力で社会の秩序を保つべきであるというのが保守派の基本的な考え方です。
こういう人間観は、その人間が人生の中で形成してきたものです。強権的な親に育てられた人と、信頼できる人に囲まれて生きてきた人とでは、まったく別の人間観になります。
こうした人間観はそう簡単に変わりません。
ですから、とりあえず人間観はそのままにして、合理的、功利的な思考によって問題を解決する必要があります。
今は中国の軍拡、北朝鮮のミサイル、台湾有事などが喧伝され、恐怖心や危機感があおられています。
恐怖心にとらわれた人間は合理的な思考ができません。
そのため中国の軍拡に対抗して日本も軍拡しなければという考えになりますが、これはあまりにも近視眼的です。
日本が軍拡しても、中国はそれ以上に軍拡します。
いつまでも軍拡競争をしていると、いつか大破局になります。
中国大陸も日本列島も動かすことはできませんから、中国は日本にとって“永遠の隣人”です。最終的には仲良くするしかありません。
だったら、今すぐ仲良くしたほうが得です。軍拡競争は無意味な遠回りです。
視野を世界に広げることも重要です。
アメリカの軍事費は中国の約3倍です。中国は3隻の空母を保有していますが、アメリカは11隻の原子力空母を保有しています。
中国の軍拡はアメリカの軍事力に対抗するためで、日本を攻撃するためのものではありません。
ですから、日本は米中の対立を静観して、専守防衛に徹していればいいのです。
もっとも、アメリカは米中衝突の際には日本に加勢するよう要求してきます。
自衛隊は中国本土に届く射程1000キロのミサイルを熊本に配備し、この7月には射程1600キロのトマホークの発射実験をしました。
日本が単独で中国を攻撃することを考えているわけではありません。あくまでアメリカに加勢するための戦力です。
中国は1979年の中越戦争以降、インドとの国境紛争ぐらいしか戦争をしていません。
一方、アメリカは世界中で数えきれないぐらい戦争をしています。
したがって、日本人の懸念はずっと「アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか」ということでした。
小泉純一郎政権のとき自衛隊は「非戦闘地域」という理由をつけてイラクのサマワに派遣されました。
日本政府はアメリカの参戦要請を断ることもできますが、自民党は対米従属が党是のようなものですし、高市首相のこれまでの言動からして、喜んで参戦しそうです。
日本はアメリカ陣営に参加しているので、日本人はどうしてもアメリカ側から世界を見てしまい、グローバルな視点が持てません。
「安全保障」を求めると、どうしても他国や他陣営を敵視して、戦争への道を突き進み、平和から遠ざかることになります。
「自国の安全は他国の危険、他国の安全は自国の危険」ということを銘記するべきです。
どうしても「安全保障」を求めたいなら、「日本の安全保障」と同時に「中国の安全保障」「北朝鮮の安全保障」も求めることです。









