
エデンの園でアダムとイブは、神の言いつけに背いて善悪の知識の木から実を食べ、そのために楽園を追放され、その子孫までも苦難の生を強いられることになりました(エデンの園にあったのは「知恵の木」とされることが多いですが、これは意訳で、直訳は「善悪の知識の木」です)。
この寓話はきわめて示唆に富んでいます。
神が人間を善人とか悪人とか判定すれば、人間は受け入れるしかありませんが、人間が判定したのでは納得がいきません。
みんなが他人を善人とか悪人とか判定すれば、それがもとで争いが起きるのは当然です。
しかし、「善悪の知識」を得た人間は善悪の判断をやめることができません。
そうしていたるところで争いが起き、親子、夫婦、兄弟までもが争うようになり、人間は不幸になりました。
トランプ政権はベネズエラ沖で麻薬運搬船と見なした船を攻撃し、すでに100人以上殺害したとされます。
なんの法的根拠もなしにやっていますが、トランプ政権としては、奴らは「悪」だから殺害してもいいと思っているのでしょう。
イスラエルのネタニヤフ政権も、「ハマス殲滅」を掲げてガザ侵攻を始めました。ハマスを「悪」と見なしているのでしょう。
ロシアのプーチン政権もウクライナ政府をネオナチと見なして侵攻しました。
今、中国の習近平政権は高市政権を軍国主義復活を目指していると主張しています。
悪の認定は戦いの正当化につながるので注意しないといけません。
善と悪については、定義はありませんし、客観的な基準もありません。
そのため誰でも勝手に悪を認定できます。
アメリカやイスラエルはイスラム過激派をテロリストすなわち悪と見なしていますが、中東の多くのイスラム教徒はアメリカやイスラエルを悪と見なしています。
安倍元首相を暗殺して裁判中の山上徹也被告は、テロリストとして厳罰に処すべきだという意見もありますが、宗教二世としての不幸な生い立ちと、統一教会と自民党の癒着をあばいたという功績があることから、同情する意見もあります。つまり山上被告の殺人という悪と、安倍元首相と統一教会の悪を天秤にかけたとき、その評価は人さまざまだということです。
夫婦喧嘩はたいてい互いに「お前(あなた)が悪い」と言い合うことで行われますが、これはいくら言い合いをしても絶対に結論は出ません。
いちばん不幸になったのは子どもです。
「善悪の知識」を得た親は、子どものさまざまな行動の中で自分の気に入らないもの、たとえば子どもが大声を出したり、動き回ったり、行儀が悪かったり、好き嫌いを言ったり、親の言いつけに背いたりしたことを悪だとして、子どもを叱ります。一方、子どもは「善悪の知識」を使いこなすだけの言語能力がないので、子どもを叱る親に対抗することができず、幼児虐待が蔓延しました。
ちなみに動物の親は子どもを叱ったりしませんし、未開社会の親も子どもを叱りません。文明社会の親だけが子どもを叱ります。
「善悪の知識」のために世の中は混乱しました。
そこで人間は善悪ではなく法律に従うことにしました。これを「法の支配」ないしは「法治主義」といいます。
法律は善悪と違って客観的な基準になります。
「法の支配」によって社会の秩序は保たれてきました。
善悪はフィクションの中で生きています。
ハリウッド映画では正義のヒーローが法律に基づかずに悪人を派手にやっつけています。法律に基づくと時間と手間がかかり、悪人をやっつける快感が得られないからです。
現実の中で悪人を派手にやっつけてもハッピーエンドにはなりませんが、フィクションの中では可能です。
しかし、最近「法の支配」が崩れてきています。
それはインターネットの普及のせいです。
掲示板やSNSでは誰かを悪と決めつけて攻撃するとインプレッションが稼げます。そのため法の支配はほとんど無視されます。
そうしたところにトランプ氏が登場しました。トランプ氏の言葉は単純でわかりやすく、大衆受けします。その中身のほとんどは、民主党やバイデン氏や移民や犯罪者やテロリスなど“悪いやつ”を攻撃する言葉です。
トランプ氏の登場で「法の支配」から「善悪の知識」へのシフトが加速しました。
「法の支配」が崩れると世界が混乱し、戦争の可能性が高まります。
ですから、「法の支配」のたいせつさを再確認する必要があります。
それに加えて「善悪の知識」がまったく役に立たず、むしろ混乱をつくりだすものだということを知らねばなりません。
「善悪の知識」だけではありません。正義や道徳も同じです。
正義が有効なのはフィクションの中だけですし、道徳教育はいくらやっても道徳的な人間をつくることはできません。
楽園に戻れるかどうかはわかりませんが、人類は「善悪の知識」を頭の中から消去する必要があります。
どうやって「善悪の知識」を頭の中から消去するかについては「道徳観のコペルニクス的転回」を読んでください。









