村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: 戦争・テロ・平和

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高市首相は国連総会出席のために訪米し、9月22日にトランプ大統領と会談しました。
会談冒頭に高市首相は三度も「ドナルド」と呼んで親密さをアピールし(トランプ大統領は一度も「サナエ」とも「高市首相」とも言いませんでしたが)、その後の記者会見では「本日、正にこのタイミングでのトランプ大統領との会談は、日米同盟の強さを世界に示すものになった」などと語りました。
今はアメリカ共和党の中間選挙の候補者ですらトランプ大統領と距離を置こうとしているのに、高市首相は世界の空気が読めていません。

高市首相の目にはトランプ大統領が偉大な大統領に見えているようです。
戦後日本はずっと対米依存でやってきましたが、高市首相の対米依存あるいはトランプ依存は度がすぎます。
おとなが依存してよいことはなにもありません。
ギャンブル依存、アルコール依存がマイナスでしかないのは明らかですし、人に依存するとその人にいいように利用されます。


冷戦が終わってから日本はますます対米依存を強めました。
そのためトランプ関税をかけられたときも、中国、カナダ、メキシコ、EUは報復関税で対抗しましたが、日本はなにも対抗措置はせず、80兆円余りの対米投資を約束させられました。

経済問題はまだしも、安全保障の分野になると、日本の対米依存はきわめて深刻です。
日本はずっと防衛費をGDP比1%未満でやってきましたが、2021年10月の衆院選向けの自民党選挙公約に「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」という文言が入りました。そのときは岸田政権で、政調会長は高市首相でした。
そして、その選挙公約が発表された8日後に米上院外交委員会の公聴会に次期駐日大使のラーム・エマニュエル氏が出席し、「日本が防衛費を(GDP比)1%から2%に向けて増やそうとしているのは、日米の安全保障協力にとっても非常に重要だ」と述べました。
これによって防衛費GDP比2%は対米公約のようになりました。
現在、GDP比2%はほぼ達成されましたが、アメリカはNATO各国や日本にGDP比3.5%以上を要求しています。対米依存の深い日本に断る選択肢はありません。
日本は安保条約があるおかげで軽武装でやってきたので高度成長ができたといわれていますが、もはや軽武装とはいえません。

アメリカは国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長に対して資産の凍結などの制裁を行いました。「法の支配」を破壊する暴挙ですが、高市首相はアメリカに対する批判はしませんでした。
対米依存があるとまともな外交もできません。


多くの日本人はこうした対米依存について、「日本はアメリカに守ってもらっているからしかたがない」と思っています。
しかし、アメリカを信頼しているわけではありません。
2025年2―4月に実施された朝日新聞世論調査では、「いざという場合、アメリカは本気で日本を守ってくれると思いますか」という問いに対し、77パーセントが「そうは思わない」と回答しました。
日本人はアメリカに依存しつつ、アメリカは守ってくれないのではないかという不安を持っています。
ですから、アメリカから防衛費増額を要求されると断りにくく、日本の首相や外相はことあるごとに「日米の信頼関係は深まった」とか「日米の連携を確認した」などと言って国民を安心させようとしているわけです。


しかし、日本はほんとうにアメリカに守ってもらわねばならないのでしょうか。
日本の軍事力は、代表的指標であるGlobal Firepowerの2026年世界軍事力ランキングで世界7位と評価されています。
しかも日本は島国で、国土の7割が山地で、人口が1億2000万人もあるのですから、これほど攻めにくい国はありません(イギリスも島国ですが、ほとんどが平地で、面積も日本の3分の2ぐらいで、しかも大陸がすぐ近くです)。
スイスは徴兵制があり、かつ民兵制を採用しているので、国民の多くが軍事訓練を受け、各家庭に銃があります。そのため強力な軍事力で国を守っているようなイメージがありますが、これは誰かがつくり上げたイメージです。スイスの軍事費はGDP比約0.7%ですから、山岳国の利点を生かしてひじょうに安上がりに国を守っている国です。
アフガニスタンも山岳国ですから、これまでイギリス、ソ連、アメリカに侵略されましたが、ことごとく撃退しました。
ネパールも山岳国で、イギリスと中国(清朝)に侵略されたことがあり、一部はイギリスに占領されましたが、ずっと独立を守ってきました。
日本は島国なので、外国の本格的な侵略を受けたのは元寇のときだけです(薩英戦争と下関戦争もありましたが)。
ヨーロッパの国はほとんど平地でつながっているので、互いに攻めたり攻められたりを繰り返してきました。
島国でかつ山岳国の日本がNATO並みのGDP比3.5%を目指すのは愚かです。


ともかく、日本単独で国を守れるとなれば、日本は対米依存から脱却できます。
果たして日本単独で国は守れるのでしょうか。
それは日本が攻められたときのことを具体的に考えればわかります。
ところが、ほとんどの日本人は戦争のことが具体的に考えられません。
第二次大戦末期の悲惨な体験がトラウマになっているからです。
民間人は無差別爆撃を受け、原爆投下にもあい、食糧難に苦しみ、家族、親族の死に直面しました。
軍人・軍属の死者は約230万人ですが、餓死者と、栄養失調による病死など広義の餓死者の合計は約140万人になるという推計があります(吉田裕著『日本軍兵士』)。

それに加えて、突然の「無条件降伏」がありました。
それまで政府は聖戦継続を唱えて、「本土決戦」へと突き進んでいました。
「本土決戦」がどんなものになるかと考えると、今まで以上に悲惨なことになるのは確実です。
突然の降伏によって「本土決戦」がなくなり、国民は最初は戸惑いましたが、「本土決戦」を回避できたのはよいこととして歓迎しました。

こうして日本人は、戦争のことは考えたくないし、「本土決戦」のことはなおさら考えたくないようになりました。


戦後日本は、自衛隊をつくってからは「専守防衛」でやってきました。
「専守防衛」とはなにかというと「本土決戦」です。
敵が攻めてきたときに迎え撃つのですから、主な戦場は本土ということになるからです。
したがって、日本人は国防のことが具体的に考えられません。
社会党の「非武装中立論」が一定の支持を集めていたのも、国防についてなにも考えなくていいからです。

自衛隊は国民の間に定着しましたが、国民が国防について具体的に考えられないのは今も変わりません。
現在、日本人が気にしているのは中国の急速な軍拡で、盛んに「中国脅威論」が語られています。
しかし、中国のなにが脅威かは語られません。
ひところは尖閣諸島に漁民に偽装した武装民兵が上陸するという説が盛んに唱えられましたが、このところすっかり影をひそめました。
令和7年版『防衛白書』の「概観」を見ると、「厳しさを増すインド太平洋地域の安全保障」「中国 ~力による一方的な現状変更の試みや活動の活発化~」との見出しを立てて、「中国脅威論」をあおっていますが、具体的に日本がどんな攻撃を受ける可能性があるのかは書かれていません。

もしアメリカが日本を守ってくれるなら、これは当然のことです。アメリカに守られた日本を中国が攻撃するわけがないからです。
つまり日米安保体制がある限り中国は脅威ではありません。
安保体制のもとで「中国脅威論」をあおるのは矛盾しています。


しかし、アメリカはほんとうに日本を守ってくれるでしょうか。
外務省のホームページには、安保条約の「第5条は、米国の対日防衛義務を定めており、安保条約の中核的な規定である」と書かれています。
しかし、「防衛義務」という言葉は安保条約の中にありません。
安保条約の第5条はこうなっています。
第五条 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」という言葉が曲者です。
アメリカ大統領は自身の判断で戦争をすることができますが、宣戦布告をするのは議会の権限なので、議会にはかることもできます。議会が開戦を否決すれば、大統領は軍を出動させない理由が得られます(NATOのあり方を定めた北大西洋条約には「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」に当たる文言はありません)。

かりにアメリカに「防衛義務」があるとしても、アメリカがアメリカ兵の命を懸けてそれを遵守するでしょうか。
日本政府はアメリカが日本を守ってくれるという立場ですが、そんな保証はありません。
ことは日本国の存立に関わることですから、アメリカが守ってくれなくても大丈夫なようにしておくべきでしょう。

ところが、今の自衛隊の編成はそのようになっていません。
たとえば日本には弾薬の備蓄が2週間分ぐらいしかないといわれます。米軍の来援があるまで持ちこたえればいいという考えだからです。
弾薬の備蓄量は“軍の機密”ですから、ほんとうかどうかはわかりませんが、自衛隊が長期戦に備えていないことは確かです。
しかも、守りにもあまり備えていません。
自衛隊が備えているのは、米軍を支援することです。
今年3月に熊本に配備された射程約1000キロで中国本土に届くミサイルとか、7月にイージス艦から実射試験をした射程約1600キロのトマホークとかは、「抑止力」という理由づけがされていますが、実際はアメリカ軍が中国軍と戦うのを支援するための兵器だといえます。
実質空母である自衛艦の「いずも」と「かが」も、あまり国防の役に立ちそうもありません。どこか海外で稼働するためのものでしょう。
自衛隊はしばしばアメリカ軍と共同で離島上陸や離島奪還演習をしていますが、これもどこかに攻めていくための演習でしょう。
国防のためなら上陸軍を迎え撃つ演習をしてもらいたいものです。
小泉進次郎防衛相は「原子力潜水艦の保有も検討する」と発言しましたが、原子力潜水艦も金がかかる割に国防に役に立つ感じがしません。


現在の自衛隊はアメリカ軍と共同でどこか国外で行動するための装備に金をかけているので、「専守防衛」に徹すればうんと安上がりですみます。
もっとも、専守防衛ということは、敵に先制攻撃されるということです。
必然的に「皮を切らせて肉を切る。肉を切らせて骨を断つ」という作戦になります。
戦争嫌いの日本人は「皮を切らせる」ということすらいやなので、「抑止力」という言葉にだまされたり、依存できないアメリカに依存したりするのです。

実際のところは、中国軍は大軍を日本に上陸させるだけの能力がないので、中国軍が上陸してくるという心配はまったくありません。だから、誰もそんなことは言わないし、『防衛白書』にもそんなことは書いてないのです。
かりに自衛隊をしのぐ大軍が上陸してきたとしても、地形を生かして反撃すればいいのです。長期戦になれば守るほうが有利です。日本は広いので、とうてい占領することはできません。

中国軍は上陸はしないで、空爆やミサイルで攻撃してくるかもしれません。ですから、防空システムは強化する必要があります。
もちろんすべては防ぎきれません。
そのとき「一方的に攻撃する中国は不当だ」という国際世論がわき上がれば、中国もそういうことはできません。
日本が中国本土に届くミサイルを配備したり空母を運用したりするのは、中国に攻撃する口実を与えるので危険です。

アメリカの核の傘が必要だという意見もあるでしょう。
しかし、イランは核の傘がありませんが、そのことは問題になっていません。
核兵器は、追い詰められた国が使うことはあるかもしれませんが、攻撃側が使えば圧倒的な国際的非難を浴びるのは確実なので、実質的に使えない兵器になっています。

もっとも、日本人はヒロシマ、ナガサキのトラウマがあるので、なかなか割り切ることができないかもしれません。
しかし、そうするとアメリカ依存をいつまでも克服できないことになります。


「日本はアメリカに守ってもらっているからしかたがない」という考えこそ、対米依存の根本原因です。
日本人の戦争嫌いが対米依存を深めてきました。
戦争を直視することは、対米依存を克服するだけでなく、世界平和実現にもつながります。

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文明の歴史は戦争の歴史でもあります。
農耕とともに戦争は始まり、初期には外敵を防ぐ環濠集落がつくられ、のちには城壁都市がつくられました。
日本には2万5000以上の砦の遺跡があるとされます。

戦争は昔、部族のような小集団で行われていました。
戦争に弱い集団は戦争に強い集団に滅ぼされるか飲み込まれます。
大きな集団は小さな集団よりも強く、組織化された集団は組織化されない集団よりも強いので、集団は次第に大きく、組織化されるようになりました。
ということは、戦争が文明を発展させる大きな原動力だったといえるでしょう。

近代になって生まれた国民国家は特別に戦争の強い集団でした。
そのため、西欧で生まれた国民国家は世界中を植民地化しました。
この時点では、先進国にとって戦争はむしろ利益を生むものでした。

しかし、欧州の国民国家は互いに戦争もしました。その頂点が二度にわたる世界大戦です。
第一次世界大戦は、戦闘員の死者が約1000万人、民間人の死者が約700万人とされ、第二次世界大戦の死者は、戦闘員と民間人を合わせて5000万人から8000万人とされています。
世界大戦は総力戦となって、戦闘員以外も長期にわたって戦争協力に動員されました。
航空機の発達によって、戦地から遠く離れた民間人も被害にあうようになりました。
そして、核兵器が登場しました。

二度の世界大戦があまりにも悲惨だったので、もう戦争はするべきではないという平和主義が台頭しました。
平和主義が勢いづけば、戦争の歴史に終止符が打たれるかもしれません。
しかし、長年の“戦争文化”は深く根を張っています。
軍需産業関係者や職業軍人、政治家、外交官など戦争で利益を得る人もいます(政治家や外交官は戦争があるおかげでステータスが高い)。
現在は、平和勢力と戦争勢力が争っている状況です。


戦争の歴史は長いだけに、戦争を正当化する理論はいろいろあって、そのひとつは「安全保障」という考え方です。
このことについては前回の「『安全保障』という言葉にだまされるな」という記事に書きました。

それととともに戦争を正当化する強力な理論は、国家主義、ナショナリズムです。
今回はナショナリズムについて書きます。


すでに述べたように、今は戦争を行う主体は国家です。
国家が戦争に負けると、国民は殺戮され、略奪され、隷属させられるので、そうならないためには国家を強くしなければなりません。そのための思想がナショナリズムです。

たとえば青森県八戸市〇〇町で生まれ育った人がいるとします。
この人の〇〇町や八戸市や青森県への愛着は「郷土愛」と表現されますが、日本国への愛着は「愛国心」と表現されます。
教育基本法には「我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重し」とあって、郷土愛と愛国心が同列になっていますが、実際には郷土愛と愛国心は異質です。
八戸市も青森県も日本国もみな行政を担いますが、戦争をするのは日本国だけです。
郷土愛はあってもなくてもかまいませんが、国民に愛国心がないと戦力が低下します。
そのため、平時から愛国心は鼓舞され、強制されます。国民は愛国心がなくてもあるふりをしなければなりません。
愛国心が特別であることは、国旗損壊罪がつくられたことを見てもわかります。

ナショナリズムによって人々は自国中心の発想になります。
そうすると他国と対立することが増えて、戦争の可能性が高まります。
したがって、平和を実現するには、ナショナリズムを克服し、ものごとを世界規模、地球規模で考えるようにすることです。


そのためにはどうすればいいのでしょうか。
ひとつの具体的方法として「国連中心主義」があります。
国連はそのために設立されたはずです。
ところが、今国連中心主義を唱えると、バカにされる傾向があります。軍事や外交の専門家がみなそう主張しているからです。
実際、国連は常任理事国に拒否権があって、肝心のときに機能しないようになっていますが、だからといって国連を否定すれば、世界は大国が自分勝手にふるまう場になってしまいます。
日本は今はアメリカに従っていますが、いずれ中国に従うことになるかもしれません。
国連をいかにして機能するようにするかという議論をするべきです。


思想面では、「コスモポリタニズム」があります。
ナショナリズムと対比されるのがコスモポリタニズムで、世界市民主義と訳されます。
コスモポリタニズムもまたバカにされがちで、最近はあまり言及されることもありません。
しかし、もっと評価されるべき思想です。

カントは『永遠平和のために』において、国内法、国際法、世界市民法という三つのレベルの法体系を考えました。
カントは「世界政府」は専制政治になる可能性があるとして否定し、平和実現のために「国家連合」を想定し、そこで用いられるのが世界市民法です。
市民権は国内でしか通用しません。人権は世界で通用しますが、人権の範囲が限定的です。世界市民権はその間をつなぐもので、カントは「地球の表面を共同に使用する人類の権利」と定義しました。
この権利があれば、他国の土地に足を踏み入れた外国人が外国人であるというだけの理由でその国の人から敵として扱われることはありません。これはなかなか画期的です。世界中で横行している外国人排斥やヘイトスピーチが一掃できるからです。
こういう重大な思想が顧みられていないのは残念なことです。


マルクスは「万国の労働者は団結せよ」と訴えて、1864年に社会主義インターナショナルを設立しました。社会主義革命は各国の事情に合わせて行うべきだということで、コスモポリタニズムではなくインターナショナリズムとしたのです。しかし、第一次世界大戦が始まると各国の労働者は進んで自国の戦争に参加したので、インターナショナルは崩壊します。
ナショナリズムはインターナショナリズムよりも強力なようです。


SFでは、異星人が地球を侵略する物語がいっぱいありますが、そのとき世界各国は互いに協力して侵略に対処します。つまり同じ戦争でも、“宇宙戦争”においてはナショナリズムは雲散霧消します。

必ずしも戦争にならなくてもかまいません。
フレドリック・ブラウンの「スポンサーから一言」というSF短編があります。世界で戦争の危機が高まって、アメリカでは徴兵事務所に血気盛んな若者が列をなしているとき、すべてのラジオから「スポンサーから一言」という言葉が聞こえて、続いて「戦え」という言葉が放送されます。この言葉は世界中のラジオで、世界各国の言葉で放送されました。調べても原因がわかりません。ただ、これをきっかけに徴兵事務所からは潮が引くように若者の姿はなくなり、戦争の危機は急速に収まりました。
「戦え」と命令されると戦う気がなくなるという人間心理を描いたと同時に、神か超越的な知性を持った異星人の存在を感じることで人間同士が争うのをやめるという物語です。
異星人に攻撃されたら人類が団結するのは当然ですが、攻撃されなくても、異星人の存在を感じるだけで人類は一体感を持つことができるようです。

1969年、アポロ11号が月に到達し、人類が初めて月面に降り立ちました。
SF少年であった私は、人類が宇宙に進出すればナショナリズムはおのずと克服されるだろうと思っていましたが、月面に降り立った宇宙飛行士が月面に星条旗を立てるのを見て愕然としました。
人類初の月到達はアメリカの威信のために利用されたのです。

南極については南極の平和利用などを定めた南極条約(1961年発効)がありますが、宇宙についてはそのような条約がなく、アメリカ、ロシア、中国などが競って軍事利用を進め、日本も航空自衛隊に「宇宙作戦団」を設けています。
戦後しばらくは人類は平和への強い思いを持っていましたが、次第に薄れてきたのかもしれません。


近年、気候変動問題が注目を集めています。
このような地球環境問題は国家レベルでは対応できず、国際協調が必要です。そうすればおのずとナショナリズムは克服されるはずです。
また、人工知能が人類の知能を超えるというシンギュラリティも話題になっています。こうした問題も人類として対処するべきことです。

ところが、現実はそうなっていません。
ナショナリストつまり保守派は地球温暖化説を否定する人が多いのです(トランプ大統領はその典型です)。
人工知能についても、人工知能の暴走が恐れられていますが、アメリカと中国が競争して開発を進めているので、具体的な規制は行われていません。
つまり人類として対処するべき問題に、ナショナリズムが障害になって対処できていないのです。
こうしたことを考えると、ナショナリズムは戦争の可能性を高めるだけでなく、人類にとってさまざまなマイナスを生んでいることがわかります。

ナショナリズムは経済的にもマイナスです。
高市政権は「強い経済」などといっていますが、軍備は価値を生まないので、防衛費を増やすことは経済にマイナスです。
中国からレアアースを買えば安いのに、高市政権は「経済安保」などといって他国から買ったり自前で調達したりしようとしています。当然、高くついて経済的にはマイナスです。
「強い経済」などというものはなく、「強い国」か「豊かな国」かの二択です。


ナショナリズムがなぜだめかということは、倫理的に説明するのがいちばんわかりやすいでしょう。
「国のため」ということは、「業界のため」とか「地元のため」とか「自分のため」よりもよいことで、その限りではナショナリズムも評価できます。
しかし、国際社会で「国のため」を目指すと、他国と争いになります。争いになること自体がマイナスですし、戦争になれば大損失です。
つまりナショナリズムというのは国家規模の利己主義なのです。
個人であれ国家であれ、利己主義がだめなのはわかりきったことです。

「自分のため」を考えていた人が「国のため」を考えるようになるのは進歩ですが、そこにとどまっていてはいけません。
今は「世界のため」「人類のため」を考えるべき時代です。


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今年の終戦記念日で戦後81年になりますが、世界は平和になるどころか、ますます戦争の危機が高まっているようです。
なぜそうなるかというと、どの国も平和を求めていないからです。
では、なにを求めているかというと「安全」です。
国連の中心機関は「安全保障理事会」ですし、日本にせよアメリカにせよ、世界のほとんどの国で軍事や外交の政策は「安全保障政策」と呼ばれています。

いうまでもなく「平和」と「安全」は違います。
「平和」は、周辺国と協力して実現するもので、地域や世界が平和になれば国民は安心できますし、国家は軍事費を大幅に削減できますし、経済交流も盛んになるでしょう。いいことずくめです。
ただし、そこには国家同士の信頼関係が必要ですし、国民同士の信頼関係も必要です。
そうした信頼関係は今のところありませんし、すぐに築くのもむずかしそうです。
そこで、「平和」の次善の策として「安全」が求められているわけです。

平和は周りの国と同時に享受するものですが、安全は基本的に自国だけのものです。
軍事力を強化すると自国の安全度は高まりますが、その軍事力は他国の安全度を低くします。
そのため、必然的に軍拡競争になります。

軍事力が優位だからといって安心はできません。軍事力の優位はいつ失われるかわかりませんし、軍事的に劣位な国が非合理的な判断で攻撃してくるかもしれません。
そこで、安全保障を完全にするには、脅威になりそうな国を無力化することです。
ロシアはウクライナを無力化するためにウクライナに侵攻しましたし、アメリカとイスラエルはイランを無力化するためにイランを攻撃しました。
つまり「安全保障」という考え方が戦争を生むのです。

軍事同盟をつくって安全を高めるやり方もありますが、軍事同盟というのはあくまで外部の脅威があって成り立つものです。
したがって、同盟関係を広げて世界を平和にすることはできません。
軍事同盟は、国と国の対立を陣営と陣営の対立にするだけです。


「安全保障」という概念は昔からあったわけではありません。
AIに質問すると、「国際連盟規約には security という言葉が一度も登場しないが、国際連合憲章には 多数登場する。1920年代のロカルノ条約は集団安全保障(collective security)として議論された。よって『安全保障』という概念は戦間期に形成されたと結論づけられる」ということです。

「安全保障」がいわれる前は、ヨーロッパにおいては「国防」が外交軍事の基本でした。
国防を基本にして考えると、戦争は単純です。国境を越えて攻撃したほうが侵略戦争をしたことになり、国境の内側で戦う国は防衛戦争をしたことになります。(国境線が確定しない場合の国境紛争もあります)。
国連憲章の第51条には「集団的自衛権」が規定されています。
「安全保障」と「集団的自衛権」によって、侵略戦争と防衛戦争の区別がわかりにくくなりました。それが戦争をしやすくしています(ユネスコ憲章の冒頭には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とあり、平和を強く打ち出していますが、これは国連の諸機関の中では異例です)。

どうして国連結成のころに「安全保障」という考え方が主流になったのかについては、国際政治学者にちゃんと調べてもらいたいところですが、現在の世界情勢を見ると、つねに国境の外で戦争をしているアメリカにとって有利であることは間違いありません。


ともかく、日本が「平和」でなくて「安全保障」を求めているのは、中国や北朝鮮、ロシアなど他国に不信感を持っているからです。
この不信感は人間に対する不信感でもあります。
高市首相はかつて、憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれわれの安全と生存を保持しようと決意し」とあるのに関して、衆議院憲法調査会で「この非常におめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」と発言したことがあります。
憲法前文は、他国の政府ではなく「諸国民」についていっています。私は北朝鮮国民も平和を望んでいると思いますが、高市首相はそうではないようです。

保守派の人間観は性悪説です。人間は自由になると好き勝手なことをして秩序が乱れるので、軍事力や警察力で社会の秩序を保つべきであるというのが保守派の基本的な考え方です。
こういう人間観は、その人間が人生の中で形成してきたものです。強権的な親に育てられた人と、信頼できる人に囲まれて生きてきた人とでは、まったく別の人間観になります。
こうした人間観はそう簡単に変わりません。
ですから、とりあえず人間観はそのままにして、合理的、功利的な思考によって問題を解決する必要があります。


今は中国の軍拡、北朝鮮のミサイル、台湾有事などが喧伝され、恐怖心や危機感があおられています。
恐怖心にとらわれた人間は合理的な思考ができません。
そのため中国の軍拡に対抗して日本も軍拡しなければという考えになりますが、これはあまりにも近視眼的です。
日本が軍拡しても、中国はそれ以上に軍拡します。
いつまでも軍拡競争をしていると、いつか大破局になります。

中国大陸も日本列島も動かすことはできませんから、中国は日本にとって“永遠の隣人”です。最終的には仲良くするしかありません。
だったら、今すぐ仲良くしたほうが得です。軍拡競争は無意味な遠回りです。


視野を世界に広げることも重要です。
アメリカの軍事費は中国の約3倍です。中国は3隻の空母を保有していますが、アメリカは11隻の原子力空母を保有しています。
中国の軍拡はアメリカの軍事力に対抗するためで、日本を攻撃するためのものではありません。
ですから、日本は米中の対立を静観して、専守防衛に徹していればいいのです。

もっとも、アメリカは米中衝突の際には日本に加勢するよう要求してきます。
自衛隊は中国本土に届く射程1000キロのミサイルを熊本に配備し、この7月には射程1600キロのトマホークの発射実験をしました。
日本が単独で中国を攻撃することを考えているわけではありません。あくまでアメリカに加勢するための戦力です。

中国は1979年の中越戦争以降、インドとの国境紛争ぐらいしか戦争をしていません。
一方、アメリカは世界中で数えきれないぐらい戦争をしています。
したがって、日本人の懸念はずっと「アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか」ということでした。
小泉純一郎政権のとき自衛隊は「非戦闘地域」という理由をつけてイラクのサマワに派遣されました。
日本政府はアメリカの参戦要請を断ることもできますが、自民党は対米従属が党是のようなものですし、高市首相のこれまでの言動からして、喜んで参戦しそうです。

日本はアメリカ陣営に参加しているので、日本人はどうしてもアメリカ側から世界を見てしまい、グローバルな視点が持てません。


「安全保障」を求めると、どうしても他国や他陣営を敵視して、戦争への道を突き進み、平和から遠ざかることになります。
「自国の安全は他国の危険、他国の安全は自国の危険」ということを銘記するべきです。
どうしても「安全保障」を求めたいなら、「日本の安全保障」と同時に「中国の安全保障」「北朝鮮の安全保障」も求めることです。

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ウクライナ戦争とイラン戦争を見ていると、戦争のやり方が急速に変わっていることに驚きます。

ウクライナ戦争が始まったころは、戦車と戦闘機の性能が戦局を左右するといわれていました。
ドイツが主力戦車のレオパルト2を、アメリカがM1エイブラムスをウクライナに供与すると発表されたときは、これがゲームチェンジャーになるといわれました。
しかし今、戦車の活躍が報じられることはありません。
戦闘機のF16は、戦争が始まって2年半したころにNATO各国からウクライナに供与されるようになりました。これによってウクライナがロシアから制空権を奪うことが期待されましたが、現在までそうはなっていません。戦闘機が空中戦をしたということもほとんど報じられません。

今はドローンが戦場で重要な役割を果たしています。
どんな高性能の戦車でもドローンから投下された爆弾で破壊されてしまいます。
アメリカはイランで制空権を確保したようですが、それでもイランはドローンやミサイルを発射してアメリカ軍を苦しめています。

兵器や戦術の変化は急速です。
第一次世界大戦で、航空機は最初もっぱら偵察目的で使われていて、敵の飛行機に出会うとパイロット同士が互いにあいさつしていたといいます。やがて爆弾を落とすようになり、また、飛行機に銃や機関銃を積んで撃ち合うようになり、撃墜王も誕生しました。
そして、第二次大戦においては、航空機が重要な働きをするようになり、制空権をどちらがとるかが戦局を左右するようになりました。
しかし、今では戦闘機は高価で、ドローンやミサイルは安価です。
戦闘機や戦車の時代は終わりつつあるのかもしれません。


戦争のあり方が急速に変化するのは、どちらも勝つために必死だからです。
戦争は社会のさまざまな分野も進歩させました。
日本の戦国時代は、経済発展の著しかった時代でもあります。各大名は戦いに強くなるために殖産興業に力を入れたからです。

古代ギリシャは、哲学、芸術、スポーツなどの文化が花咲きました。当時のギリシャは都市国家に分かれ、日本の戦国時代のように互いに戦争をしていたからです。各都市国家は子どもの教育に力を入れ、それが文化を発展させました。

戦争に勝つと負けるとでは、天国と地獄です。
そのためすべての国家や集団は戦争に負けないために必死になりました。
戦争が文明を発展させてきたといえるでしょう。


もっとも、人類は互いに協力することで文明を発展させてきたということもいえます。
つまり「戦争・闘争・競争」と「協力」は、どちらも文明を発展させた原動力です。

ただ、多くの人は協力の要素を重視しています。
人間はほかの動物よりも利他心が強いとか、言葉を使うことによってよく協力するようになったということがいわれ、「動物は互いに生存闘争をしているが、人類は互いに協力して文明を発展させた」という説が信じられています。
この説はチャールズ・ダーウィンが最初に唱えたもので、そのため今も進化生物学者の多くが同調しています。
ベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』は、人類は神話、国家、企業などの「虚構」をつくり、みんなが虚構を信じることで互いに協力して文明を発展させてきたという説を述べています。


私自身は、争いがあってこそ協力があるのではないかと思ってます。
たとえばサッカーや野球のチームは、他チームとの争いに勝つためにチーム内で協力します。企業は同業他社との競争に勝つために社内で協力します。国家は戦争に勝つために愛国心を鼓舞して国民を結束させます。

現代社会は猛烈な競争社会で、人間は競争の渦の中に飲み込まれています。
会社の中で社員は互いに協力して仕事をしていますが、上層部が各社員の働きを比較して昇給や昇進を決め、場合によってはクビにするので、社員は同僚とも競争していることになります。
年功序列制の会社であれば、社員同士の競争はほとんどないことになります。日本は年功序列制のもとで高度成長をしました。成果主義よりも年功序列制のもとで働くほうが社員は幸せなのではないでしょうか。


私がここでとくに主張したいのは、人間は言葉を武器にして闘争(競争)をしてきたということです。
言葉は協力するためにも使われますが、闘争するためにも使われます。このことがこれまでは顧みられてきませんでした。

協力するときの言葉は、必要最小限の簡単なやり取りですみます。
しかし、闘争するときの言葉は、「ああ言えばこう言う」で互いに相手をやり込めようとするので言葉数が多くなります。口喧嘩がその典型です。
競争相手が失敗したり無知をさらしたりしたときに、非難したりバカにしたりして、自分が優位に立とうとすることがよく行われます。
怠慢、不注意、無礼、無責任、規則違反、約束違反などさまざまな理由で相手を非難することができます。言葉がそのように発達してきたからです。
非難された者は反論するので、そのやり取りの中で闘争の言葉はさらに進歩しました。
これは戦争の武器が進歩したのと同じようなものです。

そうして闘争の武器として進歩した言葉の究極のものが「道徳」です。
人間はいつも「悪いことをしてはいけない。よいことをしなさい」と言って、相手を自分の思う通りに動かそうとします。
「これをするべきだ。それをするべきでない」というのも同じです。
このような「善と悪」と「べき」を中心としたものが道徳です。

誰もが道徳を使って相手を自分につごうのよいように動かそうとすると、そこで言葉による闘争が起こり、結局のところ強者が弱者を動かすことになります。
たとえば親子関係においては親が強者ですから、親は騒がしい子を「悪い子」と言って叱り、おとなしい子を「よい子」と言ってほめて、子どもをおとなしくさせます。親は「よい子」になったと満足しますが、これは子どもの発達にとってはよいことではありません。

世の中を支配しているのは強者の道徳です。
したがって、この世の中で弱者は差別され、排除されてきました。身体障害者、知的障害者、精神障害者、異人種、異教徒、移民などが差別され、排除されてきました。
このような弱者を救うのは人権思想であって、決して道徳ではありません。
道徳はむしろ「移民は出ていけ」などと言う人に利用されています。


「言葉が闘争の道具になっている」というのは当たり前のことです。
ただ、「道徳が闘争の道具になっている」ということは認識されていません。逆に「道徳は人間を利他的にする」と思われています。

しかし、それが間違いであるのは、インターネットの中にヘイトスピーチや誹謗中傷の言葉が飛び交っているのを見ればわかります。
恋人や配偶者と会話するときも、つい「善悪」や「べき」で相手を動かそうとして、喧嘩する気はないのに喧嘩になってしまうことがよくあります。
国家間でも、戦争することはどう見ても損でしかないのに、相手を「悪」だと認識したために戦争に至ってしまうことがあります。

争いが多発するいちばんの原因は、道徳について勘違いしていることです。
「『悪』を排除すれば世の中はよくなる」というのが道徳の基本的考え方ですが、実際は「悪」とされた人間は排除されることに抵抗するので、かえって世の中に争いが増えます。

私は「人類は道徳という棍棒を持ったサルである」といっています。
世界を平和にするには、道徳を正しくとらえることから始めなければなりません。



道徳の正しいとらえ方については「道徳のコペルニクス的転回」を読んでください。

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4月25日、ワシントン・ヒルトンホテルで開かれたトランプ大統領出席のホワイトハウス記者協会主催晩餐会において発砲事件がありましたが、とくに死傷者はなく、容疑者は取り押さえられました。
容疑者は31歳のコール・トーマス・アレン、カリフォルニア州立大学でコンピュータサイエンスを学び、学習指導やゲーム開発の仕事をしていたといいます。犯行寸前に家族にマニフェストを送り、トランプ氏を小児性愛者、強姦犯、裏切者とののしり、みずからを「フレンドリーな連邦の暗殺者」と称し、連邦政府のさまざまな政策に反対を表明していました。
司法省は記者会見でこの事件を「大統領を狙った暗殺未遂事件」と称しました。


トランプ氏は自分が狙われたかもしれないことについて、リンカーン大統領を例に挙げて、「暗殺の標的になるのは影響力の大きい人物だ」と言いました。
影響力といっても、よい影響力と悪い影響力があります。

高市首相は事件について、「暴力は、世界のいかなる場所でも、決して容認できません」とXに投稿しました。
世界中に暴力があふれていて、とくにアメリカとイスラエルの暴力が問題になっているときに、高市首相は今回の暴力だけを取り上げました。

今回の容疑者は、ローンオフェンダーであるようです。
宿泊客としてホテルに銃を持ち込みました。
そして、全速力で走ってホテル内の検問を突破しました。
セキュリティ面の問題が指摘されています。
しかし、銃を持った5人程度の集団でも検問は突破でき、会場は大惨事になったでしょう。
テロ防止は容易ではありません。


もちろん暗殺は許されません。
しかし、暗殺といえばトランプ大統領のほうが上手です。
アメリカとイスラエルがイランの最高指導者ハメネイ師を殺害したのも暗殺です。
2020年にはアメリカはイランの革命防衛隊の中心的人物ガセム・ソレイマニを暗殺しました。そのときに大統領だったトランプ氏はツイッターで「ソレイマニは多くの米国人の殺害を計画していた」「彼はずっと前に殺害されるべきだった」と述べました。
イスラエルはハマスやヒズボラやフーシ派の要人を暗殺しています。

アメリカはベネズエラのマドゥロ大統領を拉致し、そのときに約100人を殺害しました。これは暗殺とはいえませんが、完全な犯罪で、殺人です。
アメリカはまた、麻薬密輸船とされるものを攻撃し、撃沈し、乗組員を殺害してきました。もし麻薬を密輸していたら、逮捕して裁判にかけなければなりません。船を撃沈して殺害するのはただの殺人です。

もちろんトランプ氏を暗殺することは犯罪であり悪です。
しかし、暗殺、殺人に関しては、トランプ氏のほうがはるかに多くを殺しています。
「やられたらやり返す」という論理でいえば、トランプ氏は百回殺されても足りないぐらいです。


トランプ氏に限らずアメリカはこれまで圧倒的な殺人をしてきましたが、圧倒的な軍事力と経済力があったために不問にされてきました。
それに加えて、アメリカの味方をしてくれる多くの同盟国もありました。
しかし、最近はアメリカの軍事力と経済力は相対的に低下し、トランプ氏は同盟国との絆を破壊しています。
そういうことからアメリカの犯罪性が露わになってきました。

とりわけトランプ氏は言葉が乱暴なので、犯罪性を隠しもしません。
「私には国際法は関係ない」と言い、「ひとつの文明を滅ぼす」とか「すべての発電所と橋を破壊する」などと言って、犯罪を予告しています。

ヘグセス国防長官もイラン戦争について「初めから公正な戦いをするつもりもなかったし、今も公正な戦いではない。相手が倒れている間に殴りつけるべき」などと発言し、戦う意志のない敵を攻撃するのは犯罪だなどと批判されました。

日本人やヨーロッパ人は武士道や騎士道があるので、戦争にもルールがあると思っていますが、アメリカ人はインディアンとの戦いを基本に考えているのかもしれません。あるいは古代ローマ帝国のように文明人対野蛮人の戦いと見ているのかもしれません。

とにかく、トランプ氏のやり方には「公平」というものがありません。
トランプ氏はサッカーのワールドカップについて、FIFAに対して「イランの代わりにイタリアを出場させてはどうか」と提案しました。
イランは正当な出場権を持っていますが、イタリアは予選落ちしています。そんなへんな前例ができれば、予選を必死になって戦うのがばからしくなります。
トランプ氏はスポーツが公平を前提として成り立っているということを理解していないようです。


世界が公平でないと、どうしても不満を持つ者が出てきます。
トランプ氏は「力による平和」を掲げていますが、これは「力による秩序」というべきです。
「力による秩序」は、力が弱まれば秩序が乱れますし、力が強くても隙間をねらってテロが起きます。

「公平な世界」を実現すればテロはなくなるはずですが、人間は「公平」を正しく認識するのが困難です。
というのは、人間には強い者に迎合する傾向があるからです。強い者が自分勝手なふるまいをしても大目に見てしまいます。
それから、自分と親しい者の行動についても大目に見てしまいます。
日本にとってアメリカは強くて親しい国ですから、高市首相もアメリカの自分勝手なふるまいを大目に見てしまうわけです。
これの究極のものが、親がわが子を虐待するケースです。子どもは親が悪いということを認識できず、心を病んでしまいます。

それに加えて、道徳的評価が認識を妨げます。
「テロ」「暗殺」「悪人」などの道徳的評価を含む言葉を使うと、現実が正しく認識できません。
たとえばアメリカやイスラエルはイスラム過激派を「テロリスト」と呼びますが、多くのイスラム教国ではイスラエルを「テロ国家」と呼んでいます。つまり「テロリスト」という言葉を使うだけで認識が偏ってしまうのです(道徳的評価をしない方法については「道徳観のコペルニクス的転回」を読んでください)。


アレン容疑者はマニフェストに「政権の地位が高い順に狙う」と書いていました。
これについて「羽鳥慎一モーニングショー」コメンテーターの玉川徹氏は「トランプ政権が、イランに対して攻撃していることの『暗喩』になっているように、僕には受け取れる」と述べました。
つまり容疑者はトランプ氏のやり方をまねたというのです。
あれだけ大々的にイラン政権幹部の暗殺をしたのですから、そういうことはあってもおかしくありません。

トランプ氏は一方的に暗殺をして得意になっていたようですが、今回の事件で「やったらやり返される」ということを学んだのではないでしょうか。そうであってほしいものです。

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イラン戦争が行き詰まっていることもあって、このところトランプ大統領の心理状態はきわめて不安定です。

トランプ氏はラスベガスで行われたイベントで演説した中で「私の最初の任期中、わが国史上最高の経済を築き上げた。そして今、さらに成長させている。イランというラブリーな国、ラブリーな場所へのちょっとした気晴らしにもかかわらずだ」と述べました。
イラン戦争を「ちょっとした気晴らし」と言ったわけです。
強がったつもりでしょうが、たくさんの人が死んでいるのです。

トランプ氏にとってはイラン人の命などどうでもいいのでしょう。
トランプ氏は記者から「イランの発電所への攻撃は戦争犯罪にあたらないのか」と質問されたのに対して「彼ら(イランの体制側)は4万5000人もの人々を殺した。それ以上、6万人に上るかもしれない反体制派を殺害した。彼らは動物だ」と答えました。
トランプ氏は体制側と一般国民を混同しています。それに、体制側であろうと誰であろうと、人間を「動物」と言ってはいけません。

トランプ氏はまた「今夜、一つの文明が滅び、二度とよみがえることはないだろう」とSNSに投稿したこともあります。
一応イランを文明国と認めているようですが、それをほろぼすというのですから、イランの文明も国民もどうでもいいと思っているのです。
これはイラン人(ペルシャ人)に対する人種差別とイスラム教に対する宗教差別があるからです。

アメリカはイラク戦争のあと、イラク統治に失敗しましたが、このときも人種差別と宗教差別からイラク国民などどうでもいいと思っていたからです。


このような差別は、トランプ氏個人の問題ではなく、歴史的に形成されたものです。
古代ローマ帝国は広大な植民地を有し、市民よりも多数の奴隷を所有していましたが、強大な権力により秩序を維持していました。
政治学では、これを「ローマの平和(パックス・ロマーナ)」といいます。
要するに「力による平和」のことです。
奴隷や植民地支配される人間は、その状態を「平和」とはいいたくないでしょう。
現代の政治学はローマ時代の価値観を引きずっているようです。

トランプ氏は2月の一般教書演説で「力による平和は非常に有効だ」と述べ、「われわれは地球上で最強の軍隊を持っている」と誇りました。
トランプ氏もローマ時代の価値観です。


「力による平和」は、支配する者と支配される者の存在を前提としています。
世界の政治制度も、支配する者と支配される者を前提につくられています。

たとえば国際連合は、加盟国は平等ではありません。第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカ、イギリス、フランス、ソ連(ロシア)、中国が拒否権のある常任理事国となり、その他の国よりも上の立場にあります。
1973年には世界の7大経済大国によってG7(主要国首脳会議)が設立されました。
国連の常任理事国とG7の国がその他の国を支配するという構図になっています。

国連の常任理事国には中国が入り、G7には日本が入っていますが、それ以外の国はすべて欧米の国です。
したがって、欧米の価値観が世界を支配しているともいえます。
これをヨーロッパ中心主義( Eurocentrism)といいます。
その価値観によって非白人や非キリスト教徒は差別的な扱いを受けています。


核兵器不拡散条約(NPT)も、世界の国を差別的に分けるものです。
この条約は、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連(ロシア)、中国の5カ国を核保有国とし、それ以外の国は核兵器を持たず、核の平和利用のみとすると決められています。
核保有国は国連常任理事国でもあるので、常任理事国の力をさらに強化する条約です。

トランプ氏はイラン戦争を始めた理由を、最初はイランの体制転換と言っていましたが、今はイランに核兵器を持たせないためだと言っています。これがいちばんもっともらしい理由だからでしょう。
イランはこの条約に加盟していますから、イランが核兵器を持ってはいけないというのはその通りです。
しかし、アメリカは核兵器を持つのが許されて、イランは核兵器を持つのが許されないというのはおかしなことで、これはNPTが差別的な条約だからです。

さらに問題なのはイスラエルです。
NPT非加盟国はインド、パキスタン、イスラエルです。インドとパキスタンはすでに核保有国になっています。
イスラエルは、持っているとも持っていないとも明らかにしないあいまい戦略をとっていますが、今では核保有を疑う人はいません。

南アフリカは、1991年に核保有国であったことを“自白”し、核兵器を廃棄することで非核保有国としてNPTに加盟しました。
南アフリカが秘密裡に核保有国になっていたことには驚きました。
おそらくアメリカは知っていたでしょう。当時南アフリカは“白人国”だったので許容したと思われます。
イスラエルもアメリカと思想的・宗教的に近いので、アメリカは許容しています。

北朝鮮はNPT加盟国でしたが、NPT脱退を宣言して核開発を進め、核爆発実験もしました。
アメリカは核開発を阻止するために、アメリカが北朝鮮に軽水炉を提供し、北朝鮮は核物質などを放棄して核開発をやめるという「米朝枠組み合意」を成立させました。
しかし、アメリカは軽水炉を提供せず(議会が承認しなかった)、北朝鮮は怒って枠組み合意は崩壊し、北朝鮮は核開発に突き進んだわけです。
ただ、このときアメリカは北朝鮮に核開発を諦めさせる代わりに軽水炉を提供するという「取引」をしています。
ところが、イランの核開発については、そういう取引はせず、アメリカは一方的に攻撃をしました。

アメリカは核保有に関して、自国、イスラエル、北朝鮮、イランで対応を変えています。
これではトランプ氏がイランの核保有は許せないと主張してもまったく説得力がありません。


最近は欧米による「力の平和」は終わりつつあります。
今では中国、インド、ブラジルが経済大国になり、それらを排除したG7はほとんど意味がなくなっています(代わってG20の重要性が増しています)。
ウクライナ戦争では欧米はロシアに押されています。
しかも、欧米はトランプ氏の登場によってアメリカとヨーロッパが分断され、ますます力を失っています。
そうすると日本は対米従属から対中従属にシフトしなければいけないのかと考える人がいるかもしれませんが、対米従属も対中従属も同じことです。
世界を民主的で公平なものにすれば、どこにも従属する必要はありません。

国連総会は各国が平等です。今は国連総会よりも安全保障理事会のほうが立場が上ですが、国連総会の権限や権威を強化することで世界を民主的で公平なものにすることが可能です。
核兵器禁止条約は、核兵器を例外なく禁止した条約で、現在の核保有国が核を廃棄するための道筋も規定しています。核拡散防止条約から核兵器禁止条約にシフトすることで世界を民主的で公平なものに変えていくことができます。
日本はその方向を目指すべきです。


日本人は自国中心の発想に加えて欧米中心の発想になっているので、国際情勢を正しく把握することができません。
世界を公平に見る視点を獲得するには「道徳観のコペルニクス的転回」をお読みください。


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4月7日、アメリカとイランは2週間の停戦とホルムズ海峡開放に合意したと発表しました。

それまでトランプ大統領は「イランのすべての橋と発電所を破壊する」「あらゆる地獄が降り注ぐ」「今夜、一つの文明が滅び、二度と蘇ることはないだろう」などと言葉の限りを尽くしてイランを脅していました。
それが一転して停戦合意ですから、その振れ幅の大きさに驚きます。
トランプ氏はこうしたやり方で交渉相手を翻弄して、ディールを有利にしてきたのでしょう。

今回の戦争でトランプ氏は大いに評価を下げました。
「文明が滅びる」という表現はジェノサイドを意味するとか、核兵器による脅しだとか批判されていますし、放送禁止語を使ってののしったことも顰蹙を買っています。
同盟国を非難したことで同盟国との信頼関係も傷つきました。
トランプ氏は日本に対しても「対イラン軍事作戦を助けてくれなかった」と不満を述べました。

こうしたことはトランプ氏だけの問題ではありません。アメリカ国民の半数近くがトランプ氏を支持しているのですから、次の大統領になっても同じということもありえます。


4月9日付朝日新聞にエマニュエル・トッド氏のインタビューが載っていました。
このところトッド氏は各メディアで引っ張りだこです。ウクライナ戦争以降の世界情勢を的確に言い当てているからでしょう。
インタビューの冒頭部分を引用します。

――イスラエルと米国によるイランへの攻撃で、世界に影響が出ています。


 「歴史家として、大きな構図から考えたいと思います。今回のイランでの戦争は、米国がすでに喫している『二つの巨大な敗北』に続くものです」


 「第一の敗北は、昨年2月のインタビューであなたに話した、ウクライナにおけるロシアに対する米国の事実上の敗北です。製造業が衰えた米国は、支援するウクライナに十分な武器や弾薬を提供できず、米国の産業システムが大規模な戦争を支えられない事実が露呈しました」


 「第二の敗北は、その後で明らかになった、さらに重要な中国に対する敗北です。トランプ米大統領は関税で中国を威嚇しましたが、中国がレアアースの禁輸で脅し返すと、すぐに撤退を余儀なくされました」


 「したがって、彼の現在の行動のすべては、これら重要な敗北から目をそらし、自らも忘れるためのものだと考えると理解できます」


 ――昨年秋の前回来日の際、朝日地球会議ではベネズエラ攻撃の可能性も示唆していましたが、実際に起きてしまいました。


 「そうです。イスラエルと米国によるイランへの攻撃も、同じように始まりました。しかしイランが崩壊せず、事態は収拾がつかなくなり、米国にとって『三つ目の巨大な敗北』になるかもしれません」

トッド氏は、この戦争の根本には米国社会の「宗教ゼロ」の状態があるといいます。かつて社会を統合していた道徳的・精神的な規律や価値観が失われ、破壊や殺戮そのものを楽しむかのような「ニヒリズム」が広がっているというのです。
戦争というのは軍隊同士の戦いだったはずですが、米国とイスラエルがやっているのは国家の指導者を標的にして殺害する「暗殺」です。米国は「虚無的な暗殺国家」になり下がったとトッド氏は批判します。

確かにアメリカの道徳的・精神的な堕落はひどいものです。犯罪と麻薬という重大問題にアメリカは向き合おうとせず、もっぱら他国に責任転嫁しています。


もはやアメリカは信頼できる同盟国ではなく、日本は真剣にアメリカ離れを考えなければいけません。
ただ、そうすると「日本は中国、北朝鮮、ロシアという核保有国に囲まれているので、アメリカの核の傘が必要だ」という声が必ず上がります。
しかし、これは日本人が戦争について合理的な思考ができないからです。

アメリカ、イスラエルは核保有国で、イランは非核保有国です。核兵器を使えば簡単に勝てるはずですが、核兵器は使用されていません。
ロシアとウクライナにおいても同じです。
人類史において核兵器が実戦で使用されたのは日本に対する原爆2発だけです。
それ以降使用されていないのは、核兵器の破壊力がすさまじく、非人道的兵器であることが広く知られたからです。
もし核兵器を使用する国があれば、世界中から激しい非難を浴びせられるのは確実なので、どの国も使用しないのです。
そのようになったのは、被爆体験の悲惨さを世界に向けて発信してきた日本の努力があったからでもあります。

ただ、核兵器が絶対使用されないとはいえません。
プーチン大統領はウクライナ侵攻を始めた当初、核兵器使用をほのめかす発言を何度もしました。
NATOが参戦するのを牽制するためです。もしNATOが本格的に参戦したら、ロシアは存亡の危機に立たされます。国が亡びるかもしれないとなれば、核兵器を使用して世界を巻き込むということもありえます。
北朝鮮が核で先制攻撃をするということはまったく考えられません。しかし、なにかのきっかけで米軍と韓国軍と戦争になり、北朝鮮軍が敗勢になると、自暴自棄で核兵器を使用するということはあるかもしれません。
そのときには核の傘にはなんの意味もありません。

ですから、核保有国を追い詰めるのはひじょうに危険です。
そういう意味では、北朝鮮のような弱小国がアメリカの脅威に対して核兵器を保有しようとするのはしかたがないともいえます。

中国が日本を攻撃するとすれば、核兵器を使うことは考えられません。もしそれをやったら中国は世界中から非難されるからです。
ですから、日本としては通常兵器での戦争に備えればいいわけです。
中国軍を撃退して、深追いしなければ、それで終わりです。核兵器の出番はありません。
核の傘も必要ないことになります。


しかし、ほとんどの日本人はこのようには考えません。
「もし日本が核攻撃されたら」と考えると、そこで思考停止してしまうからです。
ヒロシマ、ナガサキの経験がトラウマになっているのです。
いわば「核恐怖症」です。

現実の戦争はすべて「通常兵器による戦争」であるのに、日本人の頭は「核戦争」に占拠されてしまって、「通常兵器による戦争」について考えることができません。
「中国軍はどのようにして日本に攻めてくるのか。自衛隊はどういう迎撃の準備をすればいいのか」という議論が行われるのを私は一度も見たことがありません。
「核恐怖症」によって思考停止しているからです。

こうしたトラウマは時とともに薄れていくものですが、日本においては被爆体験を反戦運動のバネにするということが行われていて、体験を風化させないようにしてきました。
そのため、反戦平和を叫ぶ人ほど軍事について思考停止しています。
「がんこに平和」という言葉を繰り返す福島瑞穂社民党党首がその典型です。

一方、保守派も国民の「核恐怖症」を利用してアメリカの核の傘に依存させようとしてきたので、たいしてかわりません。


「核恐怖症」を克服すれば、通常兵器による戦争の実態がよく見えてきます。
ウクライナ戦争を見てもイラン戦争を見ても、ミサイルとドローンが大きな役割を果たしています。
したがって、ミサイルやドローンに対する防空システムが重要です。
イスラエルの防空システム「アイアンドーム」はかなり迎撃率が高く、有効に機能しているようです。
それに対してアメリカの防空システムは不十分です。イラン製の自爆ドローンは1機500万円程度なのに対し、アメリカ製の迎撃ミサイル「パトリオット」は1発当たり約6億円とされます。これで迎撃していては割に合いませんし、パトリオットはすぐに打ち尽くしてしまいます。
パトリオットは日本も導入しています。
アメリカ製の攻撃ミサイル「トマホーク」は、日本は1発5億円ぐらいで購入しました(実際はその半値ぐらいのようです)。

アメリカ製の兵器は、ハイテクですが、やたら高価で、実用的でありませんし、量産がききません。
そのためウクライナは戦況が不利になり、自前でドローンと防空システムを開発しています。

3月に熊本県に配備された射程1000キロで中国にも届く長距離ミサイル「25式地対艦誘導弾」は国産です。
なぜ防空システムでなく攻撃用ミサイルを開発したのか不可解です。
小泉防衛相がミサイルを配備する地元で公聴会を開こうとしないのは、説明のしようがないからでしょう。
日本が中国本土に届くミサイルを持っても意味がありません。ただ、アメリカと中国が戦争になったとき、そのミサイルはアメリカ軍を加勢するのに役立ちます。


現実に起こる戦争は「通常兵器による戦争」だということを理解すれば、アメリカに頼る必要のないことがわかります。
アメリカに頼らなければ、中国と対立する必要のないこともわかります。
自衛隊を専守防衛に再編すれば、もっと安くつきます。

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「唯幻論」を唱える心理学者の岸田秀氏が新聞に書いたエッセイにこんな文章がありました。

「文明は伝染病のようなものである。近代文明はとりわけ伝染力が強いので、たちまち世界中に広がった」(記憶を頼りに書いているので正確ではない)

文明はよいもので、文明の発展はよいことであると思っていた私は、文明を病気と見なすこの文章に衝撃を受けました。
しかし、よく考えると、この説はなかなか有力と思えてきました。


幕末、黒船が来たことで国内は攘夷の声で沸き立ちました。尊王派も佐幕派も攘夷ということでは一致していました。しかし、薩英戦争と下関戦争の経験、アヘン戦争についての情報などから、指導者層は近代国家が戦争に強いことを知りました。攘夷を叫んでいるだけでは列強の植民地になってしまいます。そこで攘夷から開国に方針転換して、日本は近代化の道を歩み始めたのです。
近代化がすばらしいからとか、近代化で日本人が幸せになるとかではありません。ただ戦争に強い国家になるためでした。
武士たちは「戦いに勝つ」ということが至上価値であることを知っていました。戦国時代に火縄銃が急速に普及したみたいに近代化を推し進めたのです。

近代化した日本は列強を真似て大陸に進出しました。孫文らは日本を真似て中国の近代化をはかりました。
近代文明は確かに強い伝染力があります。


近代国家は軍事力で他国を侵略し、そこを植民地にし、そこの人を奴隷にするか、アフリカ人を奴隷として連れてきました。そして、その土地の伝統的な文化を破壊しました。
「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉があるように、悪い文明がよい文明を駆逐して、最終的に近代文明に至ったのでしょうか。

そうではないかもしれません。しかし、そうだとすると、いろんなことがうまく説明できます。
アメリカはもっとも文明の進んだ国ですが、その国が国際法違反のイラン攻撃をし、イスラエルのガザ攻撃を支援する極悪国家となっています。
これは今に始まったことではなく、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争のときからですし、ほかにもアメリカは武力攻撃をいっぱいやっています。トランプ氏の代になってからやり方が露骨になっただけです。

テロリストというのはたいていイスラム過激派です。
これを見るとイスラム過激派あるいはイスラム教徒は悪い人間かと思ってしまいます。
しかし、イスラム教国は近代化が遅れたために欧米のキリスト教国に侵略され、収奪されてきました。近代文明という「巨悪」がテロリストという「小悪」を生んでいると見ることもできます。

また、アメリカでは黒人の犯罪率が高く、人口の13%を占める黒人が暴力犯罪の50%を犯しているといわれます。これをもって黒人は犯罪的だという人もいますが、アメリカ社会が黒人を差別しているからそうなっているのだという人もいて、議論になっています。文明が病気だとすれば、後者が正しいことになります。


もし文明が悪だとすれば、現代人は極悪人ということになります。
もっとも、反対の考え方もあります。
昔は火あぶりや磔(はりつけ)のような残酷な刑があり、拷問もありました。領主が苛政によって領民を苦しめるということもありました。
奴隷制と植民地支配にしても、ほぼ過去のことになりました。
文明は悪をなくす方向に進歩してきたという考え方も成立しそうです。

文明が悪か悪でないかはともかく、現代人つまり自分は極悪人かもしれないと考えると、思考の幅が広がるのは事実です。
人間は誰でも自分は善人であるという前提で物事を考えているものです。自分は悪人かもしれないと考えると、思考の幅が二倍になる理屈です。
いや、単に二倍になるだけではありません。物事を表と裏から見ることで立体的に見えるようになります。

自分が悪人かもしれないと思うと、配偶者に向かって「お前が悪い」とは安易に言えなくなります。そうすると、夫婦喧嘩が少なくなります。
子どもを叱っている母親を見ると、「子どもが悪いんじゃなくて母親が悪いんじゃないか」と考えてしまいます。そうすると、子どもを叱ることが広く行われていることに疑問を持つようになります。

こうした考え方は善悪相対主義といいます。善悪相対主義は最終的解決にはなりませんが、硬直した思考をときほぐすには有効です。
そうして私は善と悪の問題を深く考えるようになり、理論的解決にいたりました。



ところで、私は岸田秀氏の「唯幻論」から大きなヒントをもらいましたが、唯幻論を肯定しているわけではありません。
唯幻論というのは「人間は本能が壊れた動物である」ということを前提とし、人間は本能を頼りにすることができないために、代わりに幻想をつくって、幻想を頼りに生きているという説です。社会、国家、歴史、さらには自己像も幻想であるとします。きわめて単純でありながら、世界全体を説明できるのが魅力です。

「人間は本能が壊れた動物である」というのが正しくありません。
本能が理由なく壊れることはないはずです。壊れたとすればどのようにして壊れたのでしょうか。そこを不問にしたまま論を展開しているのが決定的にだめなところです。
人間は脳が大きいので、相対的に本能の要素は小さくなりますが、それと「壊れた」は別です。

岸田氏は母親との関係に大きな問題を抱えていました。母親は表向きは献身的で自己犠牲的な母でしたが、実際は息子を利用しやすい存在にしようとして巧妙に操作していました。つまり心理的虐待を受けていたのです。岸田氏は人格の中心的な部分、つまり本能的な部分を母親によって壊されました。しかし、そのことを十分には認識できませんでした。そのときに「人間は本能が壊れた動物である」という説に出会って飛びついたのです。
岸田氏が母親との関係について語り始めたのはかなり年をとってからです。もし若いときから母親に虐待されていたという自覚があれば、「自分は母親に本能を壊された」ということを前提に自分の理論を組み立てていたでしょう。その理論は唯幻論にはならず、普通に「親から虐待されたトラウマを解消する心理療法」みたいなものになったはずです。
心理学者でも自分が親から虐待されたということを認識するのは困難だという例です。


文明の代表的な悪のひとつが奴隷制です。自分と同じ人間を人格を無視して自分の利益のために支配するのが奴隷制です。
岸田氏の母親はわが子を自分の利益のために利用しようと巧妙に支配していました。これは奴隷制に似ています。
親子関係という社会のもっとも深層にまで文明の悪が侵食しているのです。
奴隷制はなくなっても、壊れた親子関係がそこかしこにあって、悪を生み出しています。
トランプ氏やネタニヤフ氏もそうした悪のひとつです。


今回は「暗黒面」などというおどろおどろしい言葉を使ってしまいましたが、理論的には明快に説明できます。
その理論については「道徳観のコペルニクス的転回」を読んでください。


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れいわ新選組の奥田芙美代共同代表は3月25日の参院予算委員会で「人殺しの武器を作ったり買ったりするために、これから10年先まで防衛特別所得税は即決。また増税決めたじゃないですか」と防衛力強化のための増税を批判しました。
それに対して小泉進次郎防衛相は「防衛の関係で“人殺し”という言葉があったが、その言葉は看過できない。日本を守っている自衛隊、そして防衛力を整えることは、地域の平和と安全を守るためにやっている。そういったことに対して、ただ今の発言を防衛大臣として看過するわけにはいかない」と述べました。

武器が「人殺し」の道具であることに間違いはありません。
「人殺し」とか「殺人」という言葉には犯罪のイメージがあるので気に入らないのでしょうが、どう言い換えても実態は「人殺し」「殺人」です。

検索していると、以前にも似たことがあるとわかりました。
2016年6月にNHKの「日曜討論」で共産党の藤野保史政策委員長が「軍事費は戦後初めて5兆円を超えた。しかし人を殺す予算ではなくて、人を支えて育てる予算を優先していくべき」と述べたことが批判され、政策委員長を辞任する結果となりました。
昔から自衛隊と「人殺し」という言葉を結びつけるのはタブーだったようです。


自衛隊については、言葉の言い換えでごまかすということが昔から行われてきました。
戦車を「特車」と言ったのが最初でしょうか。
「兵」という言葉も使わずに、二等兵は二等陸士などと言われます。
ただ、最近は「二等兵」とか「大尉」という言葉を復活させて、旧軍と同じにしようという動きがあるようです。

「支援戦闘機」という言葉もありました。これは戦闘爆撃機のことなのですが、「爆撃」というのは専守防衛にふさわしくないというので、爆撃で地上部隊を支援するという意味で「支援戦闘機」と言い換えたのです。

護衛艦の「いずも」と「かが」はヘリコプター搭載護衛艦として建造されましたが、改造を施して現在はステルス戦闘機のF-35Bの発着艦が可能となっています。したがって、「空母」と言っていいはずですが、今のところ空母ではないことになっています。

最近は「防衛装備品」という言葉がよく使われます。
これは日経新聞の記事によると「自衛隊が使う戦闘機や艦船、関連する通信・情報システムなどを指す」ということです。
これまでは「武器輸出三原則」によって武器輸出は実質的に禁じられていましたが、現在は「防衛装備移転三原則」によって輸出を目指しています。
輸出を禁じているときは「武器」といい、輸出を認めると「防衛装備品」というようになったわけです。

自衛隊はこの3月に長射程ミサイルを熊本県に配備しました。これは射程1000キロで、上海にまで届くものです。
これはもちろん「攻撃能力」ですが、自衛隊は「反撃能力」と言い、「抑止力」とも言っています。


こうした言葉を見ていると、自衛隊の実態がわからなくなります。
昔、戦車を「特車」と言い換えたのは、憲法に「戦力は、これを保持しない」とあるからですが、最近の言い換えは、自衛隊の実態を国民の目から隠して、戦争をきれいごとにするためではないかと思われます。
「人殺し」という言葉が忌避されるのもそのためです。

しかし、戦争はきれいごとではありません。戦場で兵士は死の恐怖にさらされます。敵を殺すことも本能に反することで、強い罪の意識に苛まれます。戦争から帰った兵士はPTSDに悩まされることが多く、自殺、薬物依存、犯罪などの問題を引き起こします。
もちろん戦争によって戦闘員も民間人も多く死に、街が破壊されます。

しかし、そういう戦争の悲惨さを認めると戦争がしにくくなるので、戦争をきれいごとに見せかけるということが行われています。
その手段のひとつが靖国神社です。
陸自と海自は、幹部が部下を伴って靖国神社を集団参拝していました。建前は「自由意志に基づく私的参拝」ですが、制服を着て、公用車を使い、行動計画が行政文書として保存されていました。
靖国神社は戦死者を「英霊」として祭ることで、戦争を美化するものです。
遺族がそれによって慰めを得るというのは理解できますが、自衛隊の幹部が参拝するのは大いに問題です。
戦争はあくまで合理的に判断して行い、味方の犠牲は最少にしなければなりませんが、「戦死しても英霊になるんだからいいか」などという気持ちがよぎってはいけません。


戦争の悲惨さを認識しないのは高市首相も同じでしょう。
高市首相は台湾有事において、米軍と自衛隊が共同で邦人救出活動をしていたとして、「米軍が攻撃を受けたとき、日本がなにもせずに逃げ帰ると、日米同盟は潰れる」と語ったことがあります。
自分だけ逃げるという卑怯なことをしてはいけないと言いたいのでしょうが、卑怯であろうとなかろうと、犠牲者を出さないことが肝心です。
それに、戦う目的が国を守るためでなく、日米同盟を潰さないためとか、台湾を守るためというのでは、命を懸ける自衛隊員も納得がいきません。
高市首相は「強い日本」を目指しているので、どうしても自衛隊員の命が軽くなります。

石破茂前首相は軍事オタクなので、戦争の悲惨さもよくわかっているので、そのようなことはありません。


高市首相はトランプ大統領と会談したとき、イラク戦争をやめさせるようなことをなにも言いませんでした。
アメリカに追随しているからではありますが、それだけではなく、戦争の悲惨さがわかっていないということもあるはずです。
戦争開始からイランでの死亡者数は、2週間で2000人を越えたということです。
小学校が攻撃され、約180人の子どもが亡くなるということもありました。
高市首相はそうしたことをまったく深刻に受け止めていません。
だからこそトランプ大統領に飛びついてハグし、おべんちゃらを言えるのです。

平和国家日本の首相としては、トランプ大統領に国際法違反の戦争は支持できないし、支援もできないと言明するべきでした。
そうすれば、NATOから支援が得られなくて落ち込んでいたトランプ大統領は、戦争を継続する気を失ったかもしれません。
トランプ大統領は高市首相と会ったあと元気を取り戻し、イランがホルムズ海峡を48時間以内に開放しないと発電所を攻撃するなどと言い出しました。


戦争をきれいごととしてとらえるのは、高市首相だけでなく保守派全般の傾向です。
普通の人は特攻隊員を気の毒だと思いますが、保守派は特攻隊員は勇敢で献身的だと称えます。
沖縄戦の悲惨さや都市無差別爆撃の悲惨さを取り上げるのはもっぱら左翼やリベラルで、保守派はほとんど無視しています。
戦争の悲惨さを見ず、戦争をきれいごととしてとらえれば、当然好戦的になります。
イスラエルのネタニヤフ首相はその典型です。
高市首相も台湾でも中東でも自衛隊を突っ込ませかねません。

高市首相や小泉防衛相は、戦争とは「人殺し」の膨大な集積であると認識しなければなりません。

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アメリカとイスラエルは2月28日、イランへの空爆を開始し、そこからどんどん戦火が拡大しています。
トランプ大統領は戦争の目的を「イランの軍事能力破壊と核兵器開発阻止と国外のテロ組織への資金提供の排除」と説明しました。
しかし、昨年6月のイランへの攻撃のあと、トランプ大統領は「イランの核開発計画は壊滅した」と宣言していましたし、ルビオ国務長官は議会に対して今回の攻撃について「差し迫った脅威はなかった」と説明しました。
米国際法学会は2日、「トランプ政権は国際法を再び無視している」と非難する声明を発表しました。今回の作戦は1月のベネズエラへの攻撃に続く「国連憲章が定める武力行使の禁止に違反するいわれのない軍事攻撃」と指摘しています。

トランプ大統領は最初は作戦の成功を誇っていましたが、その後、戦争の長期化の可能性を語るようになりました。
まったく計画性がありません。
エプスタイン文書で危機に陥っているトランプ大統領が国民の目をそらすために攻撃したのではないかという説がもっともらしく思えます。
CNNテレビの世論調査によると、イラン攻撃を「支持する」は41%でしたが、「支持しない」は59%でした。

アメリカ国民も支持していない国際法違反のイラン攻撃ですが、世界には支持する国もあります。
イギリス、フランス、ドイツは共同声明を出し、イランが周辺の中東諸国に攻撃していることを非難し、アメリカ側に立って軍事力行使をする可能性に言及しました。
カナダのカーニー首相はダボス会議で「対米依存からの脱却」を訴えて注目を浴びましたが、イラン攻撃に関してはアメリカ支持を表明しました。
これらのキリスト教国はいまだに“十字軍意識”を持っているのでしょうか。

しかし、スペインはアメリカのイラン攻撃に反対し、スペイン国内の米軍基地をイラン攻撃に使用することを拒否しました。
トランプ大統領は激怒して、スペインとの全貿易を停止すると表明しました。
果たしてアメリカ大統領にそんな権限があるのか疑問ですし、かりにあったところで、アメリカ国内のスペインと取引する業者が黙っていないでしょう。
スペインのサンチェス首相はテレビ演説で改めて「戦争反対」を表明し、「報復への恐れから、世界に害を及ぼし、自国の価値観や利益に反することに加担するつもりはない」と述べました。
サンチェス首相は左派で、ベネズエラのマドゥロ大統領の拉致作戦への反対も表明し、トランプ氏がNATO加盟国に要求する「防衛費の対GDP比5%への引き上げ」も拒否しています。


日本の高市首相はどうかというと、イランの核開発と周辺国への攻撃を非難する一方、アメリカ・イスラエルについては「自衛のための措置なのかどうかも含め、詳細な情報を持ち合わせていない」「法的評価は差し控える」と言っています。
高市首相に限らず対米従属は自民党政権の基本です。

中道改革連合の野田佳彦共同代表は、ベネズエラの大統領拉致作戦や昨年6月のイラン核施設攻撃について「国際法軽視」「遺憾」などと批判していましたが、今回はとくに発信していないようです(報道されないだけかもしれませんが)。
鳩山政権のとき、辺野古移設を「最低でも県外」と言っていたのに実現できず、それが大きなつまずきになって鳩山政権は失敗しました。
立憲民主党はそのことを総括できず、2月の総選挙でも辺野古移設については選挙後に決めるというあいまいな態度をとりました。
この時点で中道改革連合は失敗が確定していたといえます。

対米従属は自民党政権の最大の弱点ですから、中道改革連合としては最大の攻めどころです。
日本は防衛費をGDP比1%から2%に増やしたのに、トランプ政権はさらに3.5%を要求してくるので、今後も対米関係は大きな問題になります。

共産党やれいわ新選組は徹底したアメリカ批判の立場です。
日本保守党の百田尚樹代表は「国際法違反などと短絡的に評価できる問題では決してない」と言って、アメリカ批判はしない立場です。
参政党の神谷宗幣代表は「イランにも言い分はある。同盟国でも『駄目なことは駄目だ』と言わないといけない」と言いました。

冷戦時代は、左翼は反米で、右翼は親米でした。
冷戦が終わっても、それをそのまま引きずっています。

それに加えて、左翼と右翼で権力に対する態度が違います。
右翼は権力を崇拝します。世の中が悪くなるのは犯罪者、移民、福祉にただ乗りする怠け者などのせいなので、権力で取り締まるべきだと考えています。警察力、軍事力は強化するべきで、権力者は権力者らしいほど崇拝されます。
トランプ氏は体も大きく、エネルギッシュで、言葉は攻撃的で、実際に政治的にも軍事的にも攻撃的です。これほど権力者らしい権力者はほかにいません。
そのため、アメリカ国民に支持されるだけでなく、海外の右翼的、保守的な人たちにも支持されています。
とくに日本の保守派はもともと親米ですから、トランプ信者がいっぱいいます。トランプ氏が落選した2020年の大統領選のときは、アメリカのMAGA派と同じに「選挙は盗まれた」と騒いでいました。

トランプ氏は日本の総選挙のさ中に高市氏や連立政権に「完全かつ全面的な支持」を表明しました。日本では野党が「内政干渉だ」と批判しましたが、高市氏は投開票日の翌日、Xでトランプ氏に対し、「温かいお言葉に心から感謝する」と謝意を示しました。
高市首相とトランプ大統領の関係を考えると、高市首相がイラン攻撃反対を表明できないのは当然かもしれません。


左翼、リベラルは権力に批判的です。社会を悪くしているのは国家権力や支配階級だという認識だからです。
そのため、トランプ氏のような権力者らしい権力者は、それだけで嫌われます。

歴史を振り返ると、権力者らしい権力者はしばしば民衆の支持を得てきましたが、そうした権力者は一時的にはよい政治をしても、結局は民衆を不幸に突き落とします。
権力とはそういうものだからです。
権力者らしい権力者が評価されるのは、ヒトラーに対したときのスターリンやチャーチルぐらいです。


日本では、総選挙のさ中にXで「#ママ、戦争止めてくるわ」というハッシュタグがバズるということがありました。
しかし、アメリカ・イスラエルによるイラン攻撃が始まると、SNSなどで「#ママ、戦争止めてくるわ」を批判する声が上がりました。

冒険家ゆたぼん(元少年革命家ゆたぼん)氏はXに『イスラエル・アメリカとイランの戦争が始まったみたいですが「ママ、戦争止めてくるわ」って言ってた人達はどこ行ったんですか?止めに行かないんですかね?僕は平和を望みます!』と投稿しました。
これに賛同する声が多数あったようです。
冒険家ゆたぼん氏はアメリカを批判できない人のようです。国際法違反の戦争を始めたアメリカを批判しないと、ほかに主張することがありません。そこで過去のXの投稿を引っ張り出して批判したのでしょう。「平和を望みます」というのは誰でも言えます。そのためになにをするか、なにを主張するかがたいせつです。

また、イラン攻撃前の2月14日配信のネット番組で、お笑い芸人の松陰寺太勇氏がやはり「#ママ、戦争止めてくるわ」を取り上げ、「このX、僕はすごく気持ち悪かったんですけど。いかにも“今すぐ戦争をしようとしている日本”みたいな。そういうレッテルでしか、僕は見えなくて」と批判しました。
これもイラン攻撃と重なったこともあって、賛同の声が多かったということです。
“今すぐ戦争をしようとしている日本”というのがレッテル張りだと言いますが、決してレッテル張りではありません。日本はこの5年間で防衛費を倍増させました。こんな国は世界で、ウクライナなどを除いてはないでしょう。しかも、台湾に近い与那国島に地対空ミサイルを配備する計画です。これは明らかに国防目的でなく台湾有事に介入する目的です。高市首相は「台湾有事は存立危機事態」発言のような好戦的な発言もしています。
「#ママ、戦争止めてくるわ」は自然に生まれて共感されたというべきです。

アメリカのイラン攻撃を批判しない人と、高市首相の好戦的な姿勢を批判しない人は、おそらく重なり合っています。


イギリス、フランス、ドイツがアメリカ支持なのは、西欧を世界の中心と見なすヨーロッパ中心主義( Eurocentrism)があるからです。
トランプ大統領もイランが「文明そのものに対する戦争」を仕掛けてきたと主張しています。
しかし、こうした見方をする国は全世界的に少なくなっています。
アメリカ批判をしない国は大国アメリカに遠慮しているだけです。

高市首相が今月半ばに訪米してトランプ大統領と会談することが予定されていますが、アメリカに従属するみっともない姿だけは見せてほしくないものです。

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