
2025年はかつてなく混乱した年でした。
混乱の中心にいたのはトランプ大統領です。
関税で世界経済を混乱させ、イスラエルのガザ侵攻の後ろ盾になり、ウクライナ戦争を終わらせることができず、アメリカ国内では分断を深めました。
これはトランプ大統領個人の問題というよりも、トランプ氏を支持してきたアメリカ国民の問題でもあります。
アメリカ国民が変わらないと、またトランプ氏みたいな大統領が出てきます。
アメリカでは麻薬汚染と犯罪が深刻です。
麻薬汚染と犯罪のひとつの原因は格差社会です。希望を失った貧困層の人は麻薬に逃避し、犯罪のハードルが下がります。
もうひとつの原因は家庭崩壊です。家族関係で傷つき、家族のささえをなくした人間は、やはり麻薬と犯罪に走りがちです。
しかし、トランプ大統領は麻薬は外国のせい、犯罪は移民のせいにしています。
国民もそういうトランプ氏を支持してきました。
そのためにアメリカ社会の病理は深刻化する一方です。
J.D.バンス副大統領はアメリカの矛盾を一身に集約したような人物です。
バンス氏はオハイオ州の貧しい労働者階級の家庭に生まれました。幼いころに両親は離婚し、それから母親は男をとっかえひっかえし、バンス氏には何人もの義理の父親がいます。実の父親とは疎遠でした。母親はずっと麻薬依存症で、治療によって快復したこともありますが、また麻薬にはまります。バンス氏は主に祖父母の家で育ちましたが、祖父母はアルコール依存症で、祖父からは暴力をふるわれました。ただ、祖母はバンス氏をたいせつにしてくれ、姉もよく世話してくれました。
周りも貧しい労働者の家庭で、離婚、暴力、麻薬、犯罪が横行しています。そういう環境から成り上がるのはきわめて困難です。
バンス氏は高校卒業後、地元の大学に進むつもりでしたが、学費の負担がたいへんです。そこで海兵隊に入り、4年間勤務してからオハイオ州立大学に入りました。復員兵援護法によって学費のかなりの部分がカバーできました。
オハイオ州立大学は二流ないし三流大学のようです。バンス氏はそこからアイビーリーグであるイェール大学のロースクールに進みます。そして、高給取りの弁護士になって、作家として成功します。
今やアメリカは階層が固定し、貧困層の崩壊家庭から富裕層に垂直移動したバンス氏のような例はまれです。そうしたことも注目され、上院議員から副大統領にまでなりました。
トランプ大統領は富裕層の生まれです。父親は手広く不動産業を営んでいましたが、黒人嫌いで、KKKに所属して活動していたことがあるといわれています。
トランプ氏は子どものころ度重なる不良行為が原因で13歳で陸軍幼年学校に転入させられます。ペンシルベニア大学を卒業後、父親の会社に入ります。
長男である兄のフレッド・トランプ・ジュニア氏はパイロットを志して家業を継がなかったために父親とトランプ氏から軽蔑されました。トランプ家では「勝者か敗者か」という価値観が強く、家業を継がない者は敗者と見なされたのです。フレッド・ジュニア氏はアルコール依存症になり、アルコール依存症が原因の心臓病で42歳で死亡しました。
トランプ氏は20代のときに辣腕弁護士のロイ・コーン氏に出会い、薫陶を受けます。映画『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』によると、ロイ・コーン氏はトランプ氏に「勝つための3つのルール」を教えます。それは「攻撃、攻撃、攻撃」「非を絶対に認めるな!」「勝利を主張し続けろ!」というものです。大統領選でバイデン氏に負けたとき「選挙は盗まれた」と主張し続けた理由がわかります。
富裕層に生まれたからといって楽な生き方ができるわけではありません。「勝者か敗者か」というプレッシャーにさらされ続けます。バンス副大統領もイェール大学のロースクールから一流弁護士事務所に就職するときはきびしい評価にさらされました。
トランプ大統領もバンス副大統領もろくな家庭で育っていませんが、これがアメリカの現実です。息子ブッシュ大統領も一時期アルコール依存症でした。
トランプ氏の今の家庭はどうなのでしょうか。
トランプ氏は3回結婚しています。女性関係は派手で、元ポルノ映画スターのストーミー・ダニエルズ氏に不倫の口止め料を支払い、裁判沙汰になったこともあります。
少女への性的虐待罪で起訴されたあとに死亡したジェフリー・エプスタイン氏とも交友があり、トランプ氏も性的虐待を行ったのではないかという疑惑は今や大問題になっています。
こんな女好きの男が家族を重視する保守派に支持されるのは不思議です。
女好きの男には支持されるかもしれませんが、女性はどうなのでしょうか。
メラニア夫人がトランプ氏を嫌っていてもおかしくありません。現にメラニア夫人がトランプ氏と手つなぎを拒否する動画があります。
人間は誰でも家族の人間関係の中で人格の基礎的な部分を形成をします。
トランプ氏は父親の差別主義と「勝者か敗者か」という価値観を身につけました。
トランプ氏にとっては、USAIDやオバマケアなどは敗者を救済する間違ったものなのでしょう。
バンス氏は祖母を心のささえにしていますが、祖母は激しい気性で、バンス氏は祖母が銃で人を殺すのではないかと本気で恐れたことが何度もあります。祖母は家の各所に銃を常備していて、家の中に19丁の装填済みの銃があったということです。
ということは、バンス氏の中にも暴力的なものがあるでしょう。バンス氏が大統領になれば軍事力行使のハードルが低いかもしれません。
保守派が理想とする家父長制の家庭は、父親が妻と子どもを力で支配する家庭です。
それが離婚、暴力、虐待という崩壊家庭を生みます。
崩壊家庭でない家庭は力で支配された家庭です。
バンス氏は崩壊家庭で育ち、トランプ氏は力で支配された家庭で育ちましたが、どちらも根は家父長制です。
家父長制の家庭で育った人間がアメリカの指導者になり、また家父長制の家庭を再生産します。
これではアメリカは少しも変わりません。
しかし、変わる可能性はあります。
キーマンはバンス氏です。
バンス氏の著書『ヒルビリー・エレジー』によると、バンス氏にはロースクールでウシャというクラスメートの恋人ができます。ウシャはバンス氏の“精神的指導者”になります。
バンス氏が受けた有名法律事務所の二次面接が街の最高級レストランで開かれました。テーブルの上にバカげた数のナイフとフォークが置かれていて、スプーンだけで3本もあります。バンス氏はトイレに行くふりをしてウシャに電話をします。ウシャは「外側から順番に使っていけばいいのよ。お皿が替わったら、同じナイフやフォークを使っちゃだめ。いちばん大きなスプーンはスープ用よ」と教えてくれ、おかげで恥をかかずにすみました。
このエピソードは、貧困層から上に行くことの困難さをよく示しています。
感謝祭の日にバンス氏がウシャの実家を初めて訪れたとき、家の中の雰囲気が穏やかなことに驚きます。ウシャの母親は夫の陰口を一言も口にしませんし、会話の中で親類や友人の誰それが嘘つきだとか裏切者だとかいった話はまったく出ません。ウシャの両親はそれぞれの親をほんとうに愛しているようで、兄弟とも仲良く会話していました。
バンス氏はつき合っている中で、しばしばウシャに怒りを爆発させて、暴言を吐いてしまいます。それでもウシャはバンス氏を捨てませんでした。やがてバンス氏は、数世代にもわたって家族を苦しめてきた、愛する人を傷つけてしまう気質を自分も受け継いでいることに気づきます。
カウンセリングを受けることも考えましたが、それよりも図書館へ行って調べることにしました。そうすると、自分の問題は重要なテーマとして研究されていることがわかりました。心理学者はそれを「逆境的児童期体験(ACE)」と呼んでいました。
ACEは被虐待経験だけでなく、幼児期における家族の精神疾患、家族の自殺、養護施設での生活なども含まれます。崩壊家庭における苦しい体験といっていいでしょう。
ACEは依存症の原因になるだけでなく、うつ病、糖尿病、心筋梗塞、脳卒中、肺炎、腰痛・頭痛、がんなどになる可能性を高めます。
ACEの概念は最近日本に入ってきましたが、アメリカでは10年以上前からいわれていたわけです。
アメリカでは薬物依存症やアルコール依存症の治療法も普及しています。バンス氏の母親も何度も薬物依存症の治療を受けて、一時的には立ち直っています。有名人が薬物依存症であることを告白することもよくありますが、批判されることはなく、むしろ治療に立ち向かうことを応援されます。日本ではまだ本人の意志の弱さが責められるでしょう。
このような心理学的アプローチは、麻薬や犯罪を外国や移民のせいにするのと違って、王道です。
この道が家族を再生させます。
バンス氏はそうした心理学を学び、自分の家族とウシャの家族の違いを考え、生き方を変えていきました。
あるとき運転中に割り込んできた車にクラクションを鳴らすと、運転席の男はこちらに向かって中指を立てました。赤信号で停車したので、バンス氏はドアを開けようとしました。相手の男に謝らせるつもりで、向こうがその気なら喧嘩もいとわない気持ちでした。名誉が傷つけられたとき男はそうするものだと思っていたのです。しかし、バンス氏は車から降りるのをやめてドアを閉めました。前に同じようなことがあったときはウシャが「バカなことはやめて!」と叫んで止めたのですが、今回はその前に思いとどまったのです。彼女は「自分を抑えられるあなたを誇りに思う」とほめてくれました。
バンス氏はウシャと結婚し、『ヒルビリー・エレジー』を書いたときも彼女は原稿を何十回も読み、アドバイスをしてくれたそうです。バンス氏の夫婦仲はトランプ氏の夫婦仲とはまったく違うものと見えます。
上院議員となったバンス氏は、最初は反トランプの立場でしたが、あるときから態度を変えてトランプ支持になりました。それが奏功して副大統領になりました。
最近は祖母の生き方を肯定するようなことも言っていて、家父長制の側に戻ったようです。
しかし、一度はアメリカの病理の根本は家族にあると気づいたのですし、今も妻のウシャはそばにいます。
バンス氏は祖母の生き方かウシャの生き方か、ふたつの道で迷っているのかもしれません。
トランプ氏のやっていることは支離滅裂なので、今後どんどん支持率は下がっていくでしょう。
バンス氏も副大統領としていっしょに沈んでしまってはだめですが、どこかで路線変更すれば、次の大統領選で有力候補になることができます。
今のアメリカの問題の根本は家族のあり方にあると気づいているのは、民主党の人間にもほとんどいなくて、今のところバンス氏ぐらいではないかと思われます。
アメリカの問題を移民と外国のせいにする今のやり方が見捨てられたとき、バンス氏の出番になるでしょう。
大統領にならなくても、『ヒルビリー・エレジー』に書かれたことはアメリカ再生の道を示しています。









