
ハーバード大学と喧嘩するトランプ大統領は、「ハーバードから30億ドル(約4300億円)の助成金を取り上げ、全米の職業訓練校に与えることを検討している」とソーシャルメディアに投稿しました。
進歩的なハーバード大学から保守的な大学に振り向けるならともかく、職業訓練校に振り向けるのでは、アメリカの科学や学問の破壊です。
しかし、こうしたやり方を喜ぶトランプ支持者がたくさんいます。
ラストベルトに多くいるといわれる、「自分たちは見捨てられた」という意識を持っている白人労働者です。
トランプ政権は外国製品に高い関税をかけることで国内に製造業を復活させようとしています。
製造業の衰退したラストベルトに住む白人労働者のためとされます。
しかし、アメリカで製造業は復活するでしょうか。
J.D.バンス副大統領はラストベルトとされるオハイオ州の出身で、貧しい白人労働者の家庭に生まれました。親の離婚、何人もの継父、DV、麻薬、犯罪などの悲惨な家庭環境や地域環境の中で育ちましたが、そこから海兵隊、オハイオ州立大学、イェール大学のロースクールを出て弁護士になり、31歳のときに『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』を出版するとベストセラーになって注目され、上院議員になり、副大統領になりました。まさに「丸太小屋からホワイトハウス」を地でいったわけです。
『ヒルビリー・エレジー』にはラストベルトの白人労働者の実態がよく描かれていると思いました。そこからひとつのエピソードを紹介します。
バンス氏は大学を卒業してロースクールに進む前の夏、引っ越し費用などを稼ぐために地元の床タイルの会社で働きました。倉庫係として、重い床タイルの箱をパレットに載せ、出荷の準備をする仕事です。時給13ドルは魅力的で、しかも定期昇給があり、ここで何年か働き続ければ一家族が生活を維持できる収入が得られます。
ところが、その会社は長期で働いてくれる人材を確保できないでいました。バンス氏が辞めるときには倉庫係はみな26歳のバンス氏よりも年下でした。
19歳のボブという作業員には妊娠中のガールフレンドがいました。上司は親切にもそのガールフレンドを事務員として迎え入れ、電話の対応を任せました。ところが、ガールフレンドは3日に一度の割合で無断欠勤をし、「休むときは事前に連絡するように」と繰り返し注意をされ、数か月で辞めました。
ボブも欠勤の常習者で、1週間に一度は姿を見せません。しかも遅刻ばかり。1日に3回も4回もトイレにこもり、一度こもると30分は戻りません。結局、ボブも解雇されることになり、それを知ったボブは上司に「クビだって? お腹の大きいガールフレンドがいると知っているのに?」と詰め寄りました。
バンス氏が働いていた短い期間に、そのほかに少なくとも2人が辞めるか辞めさせられました。
バンス氏は次のように書いています。
タイル会社の倉庫で私が目にした問題は、マクロ経済の動向や国家の政策の問題よりもはるかに根が深い。あまりにも多くの若者が重労働から逃れようとしている。よい仕事であっても、長続きしない。支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、働くべき理由がある若者であっても、条件のよい健康保険付きの仕事を簡単に捨ててしまう。
さらに問題なのは、そんな状況に自分を追い込みながらも、周囲の人がなんとかしてくれるべきだと考えている点だ。つまり、自分の人生なのに、自分ではどうにもならないと考え、なんでも他人のせいにしようとする。
バンス氏はまた別のエピソードも書いています。
バーで会った古い知り合いから、早起きするのがつらいから最近仕事を辞めたという話を聞かされます。その後、彼がフェイスブックにオバマ・エコノミーへの不満と、それの自分の人生への影響について投稿しているのを目にします。
バンス氏は、彼がよい人生を歩んでいないのはオバマ・エコノミーのせいでないのは明らかだとし、「白人の労働者階層には、自分たちの問題を政府や社会のせいにする傾向が強く、しかもそれは日増しに強まっている」と書きます。
このふたつのエピソードから、白人労働者に「地道に働く」という気風が失われていることが感じられます。
製造業の仕事はたいてい、つまらない作業を、ミスなく、一定以上の水準で続けなければならず、根気や忍耐心が必要です。
人口学者のエマニュエル・トッドは著書『西洋の敗北』において、ウクライナ戦争がロシア有利に展開しているのは製造業の問題だと指摘しています。つまりアメリカでは人材が金融とITにシフトしたため、エンジニアリングを専攻する学生の比率はアメリカ7.2%、日本18.5%、ロシア23.4%、ドイツ24.2%となっています。そのためアメリカはウクライナに砲弾などを十分に供給できないのだというわけです。
アメリカは製造業を復活させようにも、技術者不足という問題に直面します。
技術者だけでなく、バンス氏が指摘するように労働者にも問題があります。
中国が「世界の工場」といわれるようになったのは、幅広い分野で一定以上の水準の製品を安価で製造してきたからです。そこには勤勉な中国人労働者の存在があります。ここには国民性や民族性があるので、まねできる国はそんなにありません。
今やアメリカ人労働者も中国人労働者のようには働けないでしょう。
それに、アメリカの給与水準は中国やメキシコよりもはるかに高いので、アメリカ人労働者のつくった製品は当然高価になり、それを買わされるアメリカの消費者はたいへんです。
どう考えてもアメリカ国内に製造業を復活させるのは困難です。
先ほどのふたつのエピソードからは、責任転嫁あるいは他責の思考法も見えます。
責任転嫁するので向上心がなく、働き方も怠惰になるのでしょう。
責任転嫁の発想は、アメリカ人には昔からありますが、トランプ政権になってからとくにひどくなりました。
第一次政権のときにトランプ氏は新型コロナウイルスを“チャイナウイルス”と呼んで、中国に巨額な損害賠償を請求すると息巻きました。
アメリカ国内に麻薬が蔓延するのはメキシコやコロンビアなどの麻薬犯罪組織のせいだとずっと主張してきましたが、最近は中国がフェンタニルの原料をメキシコやカナダに輸出しているせいだと主張しています。
アメリカ国内の犯罪もみんな不法移民のせいにしています。
貿易赤字も、昔から日本などのせいにしてきましたが、今は全世界のせいにしています。
人間はどういう場合に責任転嫁するかというと、解決困難な問題に直面して、努力して問題を解決するのを諦めたときです。問題を誰か他人のせいにして、その他人を非難することで解決に向けて努力しているふりをするわけです。
アメリカは麻薬性鎮痛薬のオピオイドが蔓延し、そのために年間10万人ほどが死亡しています。麻薬中毒患者は高値でも麻薬を買おうとするので、供給を絶とうとしてもうまくいきません。麻薬患者を出さないようにするしかありませんが、それが困難なので、麻薬犯罪組織や外国のせいにしているわけです。
犯罪も同じことです。犯罪者を出さないようにするのが困難なので、不法移民のせいにしています。
それに加えて、もうひとつ責任転嫁していることがあります。
ラストベルトの白人労働者は、それほど恵まれていないわけではありません。
白人世帯の資産は黒人世帯の資産の8倍あるとされますし、黒人世帯の所得は白人世帯の所得の約60%だとされます。
アメリカは製造業を復活させようにも、技術者不足という問題に直面します。
技術者だけでなく、バンス氏が指摘するように労働者にも問題があります。
中国が「世界の工場」といわれるようになったのは、幅広い分野で一定以上の水準の製品を安価で製造してきたからです。そこには勤勉な中国人労働者の存在があります。ここには国民性や民族性があるので、まねできる国はそんなにありません。
今やアメリカ人労働者も中国人労働者のようには働けないでしょう。
それに、アメリカの給与水準は中国やメキシコよりもはるかに高いので、アメリカ人労働者のつくった製品は当然高価になり、それを買わされるアメリカの消費者はたいへんです。
どう考えてもアメリカ国内に製造業を復活させるのは困難です。
先ほどのふたつのエピソードからは、責任転嫁あるいは他責の思考法も見えます。
責任転嫁するので向上心がなく、働き方も怠惰になるのでしょう。
責任転嫁の発想は、アメリカ人には昔からありますが、トランプ政権になってからとくにひどくなりました。
第一次政権のときにトランプ氏は新型コロナウイルスを“チャイナウイルス”と呼んで、中国に巨額な損害賠償を請求すると息巻きました。
アメリカ国内に麻薬が蔓延するのはメキシコやコロンビアなどの麻薬犯罪組織のせいだとずっと主張してきましたが、最近は中国がフェンタニルの原料をメキシコやカナダに輸出しているせいだと主張しています。
アメリカ国内の犯罪もみんな不法移民のせいにしています。
貿易赤字も、昔から日本などのせいにしてきましたが、今は全世界のせいにしています。
人間はどういう場合に責任転嫁するかというと、解決困難な問題に直面して、努力して問題を解決するのを諦めたときです。問題を誰か他人のせいにして、その他人を非難することで解決に向けて努力しているふりをするわけです。
アメリカは麻薬性鎮痛薬のオピオイドが蔓延し、そのために年間10万人ほどが死亡しています。麻薬中毒患者は高値でも麻薬を買おうとするので、供給を絶とうとしてもうまくいきません。麻薬患者を出さないようにするしかありませんが、それが困難なので、麻薬犯罪組織や外国のせいにしているわけです。
犯罪も同じことです。犯罪者を出さないようにするのが困難なので、不法移民のせいにしています。
それに加えて、もうひとつ責任転嫁していることがあります。
ラストベルトの白人労働者は、それほど恵まれていないわけではありません。
白人世帯の資産は黒人世帯の資産の8倍あるとされますし、黒人世帯の所得は白人世帯の所得の約60%だとされます。
大統領選の前にテレビのニュース番組がよくラストベルトの白人を取材していました。そこに登場するトランプ支持の白人は、みな庭つきの小さくない家に住んでいて、失業者もいません。このところアメリカ経済は好調で、完全雇用に近い状態が続いています。
少なくとも黒人やヒスパニックよりも断然恵まれています。
しかし、白人労働者はもっと給料のいい仕事がほしいのです。
アメリカは貧富の差が激しいので、上には上がいます。東海岸や西海岸に住み、金融、IT、エンタメ業界やその他の知識集約型産業に従事している人には驚くほどの高収入を得ている人がいます。つまり白人の中にも階級差があるのです。
白人労働者はこの格差に不満を持っています。
とはいえ、この階級差を乗り越えるのは容易ではありません。
パンス氏の地元ではアイビーリーグの大学に行く人はまったくいません。自分たちとは別の世界だと思っているのです。実際、入るにはコネも重要です。
バンス氏が父親にイェール大学に行くことになったと告げると、父親は「黒人かリベラルのふりをしたのか?」と言いました。普通の白人は入れないと思っていたのでしょう。
実際、バンス氏担当の教授は、州立大学の学生はロースクールに入れるべきでないという考えの持ち主でした。
バンス氏がイェール大学のロースクールに入ってから地元に帰ったとき、ガソリンスタンドで給油していると、隣で給油していた女性がイェール大学のロゴ入りのTシャツを着ていました。
「イェールに通っていたんですか」と聞くと、「いいえ。甥が通っているの。あなたもイェールの学生なの?」と聞き返されました。
そのときバンス氏は、彼女と甥はオハイオの野暮ったさや、宗教や銃への異常な執着を話題にして笑っているに違いないと想像し、その同じ立場に立つことはできないと思って、「いいえ、イェールに通っているのはガールフレンドなんです」と嘘をつきました。
イェール大学のエリートとオハイオの地元民では階級も文化も違うのです。
イェールのロースクールを卒業するだけで当時で10万ドルを越える年収がほぼ確実になります。労働者階級とは別の世界です。
SF映画の「第九地区」や「エリジウム」は、天上にエリートや富裕層の住む世界があって、地上に貧困層が住んでいるという設定になっていますが、アメリカの格差社会はそれに近いものがあります。
私はテレビでラストベルトの白人労働者を見るたびに、現状が不満なら東海岸か西海岸に行って一旗揚げればいいではないかと思ったものです。それがアメリカンドリームというものです。
少なくとも黒人やヒスパニックよりも断然恵まれています。
しかし、白人労働者はもっと給料のいい仕事がほしいのです。
アメリカは貧富の差が激しいので、上には上がいます。東海岸や西海岸に住み、金融、IT、エンタメ業界やその他の知識集約型産業に従事している人には驚くほどの高収入を得ている人がいます。つまり白人の中にも階級差があるのです。
白人労働者はこの格差に不満を持っています。
とはいえ、この階級差を乗り越えるのは容易ではありません。
パンス氏の地元ではアイビーリーグの大学に行く人はまったくいません。自分たちとは別の世界だと思っているのです。実際、入るにはコネも重要です。
バンス氏が父親にイェール大学に行くことになったと告げると、父親は「黒人かリベラルのふりをしたのか?」と言いました。普通の白人は入れないと思っていたのでしょう。
実際、バンス氏担当の教授は、州立大学の学生はロースクールに入れるべきでないという考えの持ち主でした。
バンス氏がイェール大学のロースクールに入ってから地元に帰ったとき、ガソリンスタンドで給油していると、隣で給油していた女性がイェール大学のロゴ入りのTシャツを着ていました。
「イェールに通っていたんですか」と聞くと、「いいえ。甥が通っているの。あなたもイェールの学生なの?」と聞き返されました。
そのときバンス氏は、彼女と甥はオハイオの野暮ったさや、宗教や銃への異常な執着を話題にして笑っているに違いないと想像し、その同じ立場に立つことはできないと思って、「いいえ、イェールに通っているのはガールフレンドなんです」と嘘をつきました。
イェール大学のエリートとオハイオの地元民では階級も文化も違うのです。
イェールのロースクールを卒業するだけで当時で10万ドルを越える年収がほぼ確実になります。労働者階級とは別の世界です。
SF映画の「第九地区」や「エリジウム」は、天上にエリートや富裕層の住む世界があって、地上に貧困層が住んでいるという設定になっていますが、アメリカの格差社会はそれに近いものがあります。
私はテレビでラストベルトの白人労働者を見るたびに、現状が不満なら東海岸か西海岸に行って一旗揚げればいいではないかと思ったものです。それがアメリカンドリームというものです。
しかし、現実には階層が固定化されていて、下の階層から上の階層に上がるのがきわめて困難です(バンス氏はきわめてまれなケースです)。
それに、彼らはこれまで“白人特権”にあぐらをかいてきて、チャレンジ精神をなくしているのかもしれません。
本来なら、貧富の差を問題にし、富裕層へ累進課税や資産課税を強化して富を再配分せよと主張するべきです。そうしないと、トマ・ピケティが指摘するように、格差は限りなく拡大していきます。
しかし、アメリカではそうした主張は社会主義だということになり、一般のアメリカ人の発想にはありません。
本来なら、貧富の差を問題にし、富裕層へ累進課税や資産課税を強化して富を再配分せよと主張するべきです。そうしないと、トマ・ピケティが指摘するように、格差は限りなく拡大していきます。
しかし、アメリカではそうした主張は社会主義だということになり、一般のアメリカ人の発想にはありません。
そこで、白人労働者が考えたのは、リベラルに責任転嫁することです。
リベラルが黒人やヒスパニックやLGBTQを優遇し、自分たち白人を迫害しているので自分たちは不幸なのだと考えました。
それにリベラルは概して高学歴高収入なので、攻撃しやすいということもあります。
つまり白人労働者は、ほんとうは富裕層に富が集中して自分たちが不幸になっているのに、リベラルのせいで不幸になっていると間違って思い込んだのです。
富裕層にとっては好都合な思い込みです。
トランプ氏はこの思い込みを利用してリベラルを攻撃し、白人労働者の支持を得ました。
ハーバード大学に対する攻撃もこの一環です。ハーバード大学を攻撃しても、アメリカにとってはなんの利益にもならず、不利益しかありませんが、責任転嫁にはなります。
そんなことをしている一方で、トランプ政権は大規模な減税法案を通そうとしています。減税で得をするのは高所得層です。
国内の製造業復活の見通しはなく、ラストベルトの白人労働者は忘れられたままです。
アメリカ人は責任転嫁をやめて、貧富の差、犯罪、麻薬汚染に正面から取り組むべきです。
そうしないと世界にとっても迷惑です。