村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: 安倍政権を見送る

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静岡県の川勝平太知事が「職業差別」とされる発言をしたことで批判を浴び、辞職を表明しました。
川勝知事は前から暴言、失言を繰り返していましたが、とくに注目を浴びたのはリニア中央新幹線を巡る問題です

川勝知事は大井川の水が減少するなどの理由をつけてリニア中央新幹線の工事をストップさせ、JR東海とバトルを演じてきました。
しかし、一民間企業と一人の知事がやり合っているだけですから、新聞、テレビはあまり報じず、もっぱらネットニュースになるだけです。
そのネットニュースはほとんどが川勝知事に批判的でした。ということは、おそらくJR東海が書かせているのだろうと私は勝手に想像していました。

どうやら川勝知事の言っていることは“いちゃもん”に近いことのようでしたが、そこで浮かび上がったのは、リニア中央新幹線という国家的事業をJR東海という一民間企業がやっていることの不自然さです。

もともとリニアは国鉄が開発をしていましたが、国鉄は分割民営化され、事業の主体がわかりにくくなりました。
リニアは「3時間かかる東京―大阪間を1時間で結ぶ」というのがうたい文句でしたが、そんなに速くする意味があるのかという声があり、採算性も不透明でしたし、安全性やテロの懸念もありました。
ということで、なかなか実現しなかったのですが、JR東海がしびれを切らしたのか、費用は全額負担して一社で完成させることになったのです。

費用は全額負担とはいっても、国から3兆円の融資を受けています。経営危機になれば国としても放っておけず、税金を投入して救済することになるでしょう。
最初から国家事業としてやっていれば、静岡県も妨害することはできません。
事業の基本設計が間違っているのです。

なぜそうなったかというと、安倍晋三首相とJR東海の葛西敬之名誉会長が親密な関係にあったからだといわれます。つまりこれも「安倍案件」のひとつです(安倍政権はリニア新幹線をアメリカに売り込もうとしましたが、成功していません)。

川勝知事がどういう理由でリニアの工事を妨害したのかはよくわかりません。「安倍案件」だからということでもなさそうです。
いちばん納得いく説明は、川勝知事は東海道新幹線に「静岡空港新駅」を設置することをJR東海に求めたのにJR東海はまったくとりあわず、そのため川勝知事が腹を立てたからだというものです。

いずれにしても、リニアの建設は今後も不透明です。
安倍元首相も葛西名誉会長も亡くなった今、リニアも負の遺産になるかもしれません。


この機会に川勝知事の暴言、失言を振り返ってみました。そうすると、それほど目くじら立てるほどのものとも思えません。

2021年10月、川勝知事は参院静岡選挙区補欠選挙の応援演説で「あちら(御殿場市)はコシヒカリしかない。ただメシだけ食って、それで農業だと思っている。こちら(浜松市)にはウナギがある。何でもある」などと発言しました。
浜松市内での演説で、対立候補が御殿場市長経験者だったことからくる発言です。
静岡知事という立場でふたつの土地に上下をつけるのはよくないので、批判されるのは当然ですが、差別意識に基づいた発言とは思えず、ただ愚かなだけの発言です。

今年の3月、磐田市の女子サッカーチームの関係者と面会した際、「磐田は文化が高い。あそこは浜松より元々高かった」と言いました。
さらに、サッカー強豪校の県立藤枝東高に言及し、「藤枝東はサッカーするためにやってきている。ボールを蹴るのが一番重要なこと。勉強よりも何よりも」とも言いました。

どれも愚かな発言ですが、言われたほうは、傷つくというよりもあきれるというところではないでしょうか。
たとえば磐田市と比べて浜松市は文化が低いといっていますが、これは川勝知事個人の価値観でしょう。
たとえば大阪などで在日朝鮮人の多い地域をバカにすると、それは差別だということになりますが、磐田市になにか差別される所以はないはずです。
とすると、この発言は「愚かな発言」ではありますが、「差別発言」とはいえないと思われます。


川勝知事はどういう人かと調べると、早稲田大学政経学部卒業、オックスフォード大学に留学して博士号を取得、早稲田大学教授などをやっていました。ですから、決して頭の悪い人ではないはずです。ただ、75歳という年齢なので、配慮ができなくなっているのかもしれません。


問題の「職業差別」とされる発言ですが、県庁の新入職員に対する訓示におけるものです。
川勝知事は前から「切り取られた」と抗議するので、FNNプライムが『【全文】物議醸す静岡・川勝知事の訓示 新入職員を前に職業差別? 繰り返される失言「みなさんは頭脳・知性高い」』という切り取らない記事を配信しました。そこから引用します。
そしてですね、そのためにはですね、やっぱり勉強しなくちゃいけません。実は静岡県、県庁というのは別の言葉でいうとシンクタンクです。毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。ですから、それを磨く必要がありますね。で、それは磨き方はいろいろあります。知性を磨くということ。それからですね、やっぱり感性を豊かにしなくちゃいけない、それから体がしっかりしてないといけませんね、ですから文武芸、三道鼎立と。文武両道というのは良く聞くでしょう。しかしですね、美しい絵を見たり、良い音楽を聞いたり、映画を見たり、演劇を見たりした時にですね、感動する心というものがあると望ましい。

ですから、自分の知性がこの人に及ばないなと思ってもですね、知性というものを大切にするということが大事ですね。そのためにはやっぱり勉強しなちゃいけません。それから体を鍛えると。しかし、スポーツが苦手な人もいらっしゃるでしょう。でも、スポーツを楽しむことはできますね。見たり、楽しむこともできます。まぁ無芸大食の人もいるでしょう。しかし、芸術を愛することはできますから、文武芸、三道鼎立ということでですね、豊かな人間になっていただきたいと思います。
問題部分は「毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです」というところだけです。
果たしてこれは「職業差別」でしょうか。

世の中には頭脳労働と肉体労働という区分があって、それを指摘することは差別でもなんでもありません。
「あなたたちは頭脳・知性の高さで選ばれました」とか「あなたたちには頭脳・知性の高さが求められます」とか言っていれば問題はなかったでしょう。
「皆様方は頭脳・知性の高い方たちです」と言うと、転じて「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノをつくったりする方たちは頭脳・知性の低い方たちです」という意味になりかねません。
とはいえ、決して「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノをつくったりする方たちは頭脳・知性の低い方たちです」とは言っていないわけで、勝手に発言を捏造して「職業差別」だと主張してはいけません。

JR東海は多額の宣伝広告費を使うので、メディアに影響力を持っています。
川勝知事とJR東海がバトルをしているとき、メディアは圧倒的にJR東海寄りでした。そのため川勝知事の「愚かな発言」を取り上げて、大げさに騒いでいたということがありました。
今回の「職業差別」発言もその流れにあります。
冷静に判断したいものです。

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松本人志氏の性加害問題は、週刊文春の続報や過去の発言の掘り起こしによって松本氏が窮地に追い込まれています。
最初に被害女性に謝罪しておけばこんなことにはなりませんでした。

もし松本氏の行為が犯罪だったら謝罪だけではすみませんが、今のところ報道された限りでは、松本氏が抵抗する女性を押さえつけてむりやり性交したとか、ケガさせたとかいうケースはありません。
女性が抵抗を続けると、怒って「出ていけ!」と言って部屋を追い出すか、「本番」以外の行為をさせて妥協しています。
今の時代はこれも犯罪ですが、10年ほども前のことですから、検察は「本番」行為がなければ起訴しても有罪にならないと判断したでしょう。
ですから、松本氏も自分の行為は非難されるものではないと思っていた可能性があります。

しかし、法律的に罪にならないとしても、女性の心を傷つけたのですから、謝るのは当然のことです。
「自分としては傷つけるようなことをしたつもりはなかったが、相手が傷ついたと言うなら、そうなのだろう。自分が間違っていた。申し訳なかった」と言えばいいわけです。

松本氏は謝罪しなかったために、「事実無根です」などと逆方向に暴走しました。
そのおかげでいろいろな問題が見えてきたということがあります。
たとえば、松本氏の女遊びの実態と後輩芸人との関係、吉本興業の問題対応能力のお粗末さがあらわになりました。
そして、なによりも性加害の実態が広く知られるようになりました。


松本氏はなぜ謝罪しなかったのでしょうか。

謝罪というと普通は、親が子どもに「謝りなさい」と言って謝らせるか、会社で失敗した部下が上司に謝るということが思い浮かぶでしょう。
たいていは下の人間が上の人間に謝るものです。「謝らされる」といったほうがいいかもしれません。
上司が部下に謝ることもありますが、それは上司が心の広い人間である場合だけです。パワハラ上司が部下に謝るということはありません。ガミガミ怒ってばかりいる親が子どもに謝ることもまずないでしょう。
つまり上の立場の人間が下の立場の人間に謝るのは心理的抵抗があるものです。


松本氏は女性を性の対象としてしか見ていなくて、女性が傷つくことに無頓着であるようです。
男性のこうした態度をミソジニーといいます。
ミソジニーは「女性嫌悪」とも「女性蔑視」とも訳されますが、嫌悪と蔑視では意味がかなり違います。
私としては「女性蔑視」とするのがいいと思います。
ミソジニーの男は女性を自分より下の人間と見ているのです。
そのためミソジニーの男は「謝れない男」でもあります。

松本氏は芸人の後輩に女性の調達をさせていることから、後輩も見下しているようです。また、体罰肯定論をずっと主張していたので、子どもも見下しています。
松本氏は女子ども後輩を見下しているわけです。


もっとも、松本氏は昔からそうだったわけではありません。
ダウンタウンは1980年代後半から頭角を現し、まったく斬新な漫才で人気を博しました。20代半ばの彼らは若者のヒーローでした。
当時の若者は、今も松本氏に特別の思い入れがあるようで、『松本人志”逆告発”ムーブが増大…「14歳の春に」「私も。まだ中1の春でした」 ネット賛否』という記事に、若いころにファンだった人がその思いをXに投稿しているということが書かれています。
 連発する週刊誌の告発の文体を意識するような「ある告発」が24日、X上に投稿され、注目を集めた。「私も匿名だけど告発します」の書き出しで「『松本人志さんから13歳の夏に...』生きる力を貰いました」と続く。「ダウンタウン」と松本を肯定的にとらえた”エール”だった。

 それらに準ずるように「松本人志さんから14歳の春に、、、友人をつくる術を教えてもらいました」と感謝したり、「私もです。まだ中1の春でした」と書き出した「笑いはキレイなものばかりではない。哀愁や悲しさでも笑えると、教えてもらいました」といったものも…。日を追うことにこうした同様の文体で訴える投稿は数を増し、一種のムーブメントとなりつつある。
私がこれを読んだときに思い出したのは、神戸児童連続殺傷事件の犯人であった酒鬼薔薇聖斗こと少年Aが『絶歌』という著書の中で松本氏について書いた文章です。松本氏のことを深いレベルでとらえているのに感心して、かつてこのブログで引用したことがあります。それをここで再録しておきます。
ダウンタウンは関西の子供たちにとってヒーローだった。「ダウンタウンのごっつええ感じ」が放送された翌日には、みんなで彼らのコントのキャラを真似して盛り上がった。
他の同級生たちがどう見ていたのかは知らないが、僕がダウンタウンに強く惹きつけられたのは、松本人志の破壊的で厭世的な「笑い」の根底にある、人間誰しも抱える根源的な「生の哀しみ」を、子供ながらにうっすら感じ取っていたからではないかと思う。にっちもさっちもいかない状況に追い詰められた人間が「もう笑うしかない」と開き直るように、顔を真っ赤にして、半ばヤケっぱちのようにギャグを連射する松本人志の姿は、どこか無理があって痛々しかった。彼のコントを見て爆笑したあとに、なぜかいつも途方もない虚しさを感じた。
若者は親、教師、権威、権力に抑圧されているので、必ず葛藤を抱えています。松本氏は若者の葛藤を誰よりも体現していたので、若者のヒーローになったのでしょう。

「笑い」の芸能は、権威や権力も笑いの対象にするので、必然的に反権威、反権力の面があります。
ツービートが出てきたときなど、典型的な反権威、反権力の笑いでした。ビートたけし氏は今もそのころと基本的に変わっていません。
浜田雅功氏もずっと“悪ガキ”のままです。

しかし、松本氏は反権威、反権力からどんどん権威、権力の側にシフトしていきました。
今ではほとんどのお笑いコンテストで審査員を務めるなどして、お笑い界の最高の権威になっています。
また、安倍首相と会食し、安倍首相を自分の番組に呼ぶなどして、国家権力に接近しました。
このようなお笑い芸人は過去にいなかったでしょう。

なお、吉本興業も安倍政権と菅政権に接近し、大阪の維新の会とも連携して、国や大阪の仕事を受けるようになっています。


松本氏は自分が権威、権力になったので、ますます「謝れない男」になりました。
とりわけ安倍首相に接近して、“アベ友”になったのは最悪です。
安倍首相を中心とした保守派は最悪のミソジニーだからです。

慰安婦問題では、名乗り出た元慰安婦の女性を保守派は嘘つき呼ばわりしていました。相手が韓国人なので日本国内ではあまり問題にされませんでしたが、国際社会から見たらひどい話です。結局、安倍首相はオバマ政権の圧力で慰安婦問題に関して「おわびと反省」を口にせざるをえませんでした。

伊藤詩織さんをレイプした山口敬之氏もアベ友でした。保守派はこぞって被害者として名乗り出た伊藤さんを誹謗中傷しました。山口氏は伊藤さんがレイプされたあとに出したメールを公開して、レイプがなかった証拠だと主張しましたが、松本氏が被害女性のLINEを引用して「とうとう出たね。。。」とポストしたのが、それとまったく同じ手口です。

松本氏は安倍首相に接近したためにミソジニーを強めて、よりいっそう「謝れない男」になったに違いありません。


私自身は、ダウンタウンが出てきたころはほとんどテレビを見ない生活をしていたので、当時のことはよく知りません。印象に残っているのは、2000年から始まった「松本紳助」です。松本氏と島田紳助氏が向かい合ってしゃべるだけの番組ですが、これが驚くほどおもしろいものでした(最初の1、2年だけですが)。「すべらない話」も最初のうちはおもしろく、芸人が実際にあったことをおもしろく語るという“エピソードトーク”を始めたのも松本氏ですから、お笑いの能力は傑出していたと思います。

しかし、松本氏が権力の側に傾斜するとともに(マッチョになったのもそのころ?)、世の中の常識を揺さぶるような笑いはなくなり、強い者が弱い者を笑う笑いに変化しました。
“悪ガキ”のままの浜田氏が横にいるので救われていますが、松本氏一人のときは権力者くささが鼻についてまったく笑えません。若い人に支持された昔の松本氏とはまったく違います。

お笑い芸人なら、スキャンダルが出てきたときは、認めることは認めて、笑いに変えなければなりません。実際、「まつもtoなかい」で松本氏は「文春が来た時の一言目はもう決めてるんだけどね。『とうとうバレたか~』って言って逃げたろうかなって思ってる」と言っていました。
ところが、実際はまったく笑いのない方向に逃げたのですから、お笑い芸人として終わっています。
認めることのできないようなことをしていたのなら、やはり終わっています。

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岸田政権は12月16日、安保関連三文書を閣議決定し、新聞各紙は「安保政策の歴史的転換」などと大々的に報じました。

この大転換を決めたのは岸田首相でしょうか、安倍元首相でしょうか。それとも防衛省と外務省の官僚でしょうか。
いずれにせよほとんど議論もなしに決まりました。敵基地攻撃能力に関しては多少議論がありましたが、今後5年間の防衛費を総額43兆円にすることについてはまったく反対の声がありません。
一方、防衛費増額の財源をどうするかについては、増税か国債か建設国債か、外為特別会計の資金活用か復興特別所得税の転用かなど議論百出でした。

どうしてこうなるのでしょうか。
それは、防衛費増額はアメリカと日本が合意してすでに決まっているので、今さら議論しても意味がないからです。
財源についてはこれから日本が決めることなので議論百出になります。

防衛費増額の経緯についてはこれまでも書いてきましたが、改めて整理しておきたいと思います。


そもそもの発端は、昨年10月の衆院選向けの自民党選挙公約に、防衛費について「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」という文言が入ったことです。
これまでずっと日本は防衛費GDP比1%でやってきたのですから、GDP比2%は倍増になります。1割増とか2割増ならともかく倍増というのは冗談としか思えない数字です。
私はタカ派の高市早苗政調会長が自分の趣味を全開にして数字をもてあそんだのかと思いました。
発表当時はマスコミもほとんど注目しませんでした。

しかし、高市政調会長が選挙公約を発表したのが10月12日で、10月20日には米上院外交委員会の公聴会に次期駐日大使のラーム・エマニュエル氏が出席し、「日本が防衛費を(GDP比)1%から2%に向けて増やそうとしているのは、日本がより大きな役割を果たす必要性を認識している表れで、日米の安全保障協力にとっても非常に重要だ」と述べました。
政党の選挙公約というのはあまり当てにならないとしたものですが、自民党の「防衛費GDP比2%」はすぐに米議会で取り上げられ、対米公約みたいなことになったのです。

さらに11月22日には朝日新聞に掲載されたインタビュー記事で、前駐日米大使のウィリアム・ハガティ上院議員は「米国はGDP比で3・5%以上を国防費にあて、日本や欧州に米軍を駐留させている。同盟国が防衛予算のGDP比2%増額さえ困難だとすれば、子どもたちの世代に説明がつかない」と言って、日本の防衛予算のGDP比2%への引き上げを早期に実現するように求めました。

次期駐日大使と前駐日大使がともに自民党の選挙公約の「防衛費GDP比2%」を高く評価しているところを見ると、自民党はアメリカと話し合った上で選挙公約を決めたのでしょう。

ちなみに「防衛費GDP比2%」はアメリカがNATO諸国に要求している数字です。
アメリカは同じ数字を日本にも要求したのでしょう。
岸田政権はその要求を受け入れて、自民党の選挙公約に「防衛費GDP比2%」と書いたことになります。

5月23日、岸田首相はバイデン大統領と都内で会談し、その後の共同記者会見で「防衛費の相当な増額を確保する決意を表明し、これに対する強い支持をいただいた」と述べました。
その後、参院予算委員会で「防衛費増額は対米公約か」と質問された岸田首相は「約束というと、米国から嫌々求められた感じがする」「防衛費はわが国として主体的に決めるもの」などと答弁しました。

そして今回、安保関連三文書が閣議決定されると、バイデン大統領はツイッターに「日本の貢献を歓迎する」と投稿し、サリバン大統領補佐官は「日本は歴史的な第一歩を踏み出した」との声明を出し、オースティン国防長官は声明で「防衛費が2027年度にはGDPの2%に達する決定をしたことを支持する」と表明しました。

こうした流れを見ても、今回の防衛費増額はアメリカの要求によるものだということがわかります。
予算の総額が先に決まり、なにに使うかが決まっていないという、通常と逆の展開になっているのもそのためです。


バイデン政権は「中国を唯一の競争相手」とした国家安全保障戦略を発表しています。
中国は経済成長とともに軍事力をつけてきているので、アメリカの優位が揺るぎかねません。
そこで、日本の自衛隊を利用する戦略です。

もし自衛隊が国土防衛のための兵器だけを保有しているなら、アメリカ軍は自衛隊を利用できませんが、すでに自衛隊は空母やイージス艦や早期警戒管制機(AWACS)を保有しています。これらバカ高い兵器を購入したりつくったりしてきたのは、アメリカ軍が利用可能だからです。
さらに自衛隊が「敵基地攻撃能力」のための長距離ミサイルなどを保有すれば、それもアメリカ軍の戦力にカウントすることができます。
安保三文書にも「日米が協力して反撃能力を使用する」と明記されています。
それに、日本がアメリカから兵器を購入することでもアメリカは利益を得られます(すでにトマホーク購入が計画されています)。


アメリカが日本に「防衛費GDP比2%」を要求するのはアメリカの国益ですが、日本にとってはどうでしょうか。
NATO基準を島国の日本に当てはめるのはおかしなことですし、NATO未加入のウクライナと違って日本には日米安保条約があり、駐留アメリカ軍もいます。
アメリカが長距離ミサイルを必要とするなら、自前で用意してもらいたいものです。

「防衛費GDP比2%」の選挙公約を発表したのは高市政調会長ですが、高市氏が一人で決めるはずもなく、岸田首相も了承していたはずです。
高市氏の背後には安倍元首相がいました。おそらく安倍元首相が中心になって決めたのではないでしょうか。
安倍元首相は2015年に新安保法制を成立させ、自衛隊とアメリカ軍の一体化を進めました。安保三文書はその延長線上にあります。
岸田首相はハト派のイメージがありますが、安倍政権時代に長く外務大臣を務めていたので、外交防衛政策で安倍元首相に合わせるのは得意です。

もっとも、日米でどのような交渉が行われたのかについてはまったく報道がありません。
高市氏に「どうして選挙公約に防衛費GDP比2%という数字を入れたのですか」と問いただしているのでしょうか。

次期駐日大使のエマニュエル氏が昨年10月20日に米上院外交委員会の公聴会に出席したときの毎日新聞の記事の見出しは「日本の防衛費大幅増に期待感 米駐日大使候補、上院公聴会で証言」でしたし、朝日新聞が昨年11月22日に掲載した前駐日大使のハガティ上院議員のインタビュー記事の見出しは「日本の防衛予算のGDP比、早期倍増を ハガティ前駐日米大使が主張」でした。
つまりマスコミはアメリカが強く防衛費倍増を求めていることを知りながら、日米交渉の内実はまったく報道しなかったのです。
アメリカの要求には逆らわないというのがマスコミの習性であるようです。

その結果、岸田政権は自主的に防衛費倍増を決定したようにふるまっています。
これを“自発的隷従”といいます。
「防衛費増額は対米公約か」と国会で質問されたとき、岸田首相が「約束というと、米国から嫌々求められた感じがする」「防衛費はわが国として主体的に決めるもの」と答弁したところに“自発的隷従”の心理が表れています。

日米交渉の内幕が報道されると、アメリカに「要求を飲まないと日米安保条約を廃棄する」という脅しを受けていたといったことが出てくるかもしれません。
こうした報道があれば、日本人も対米自立を考えるようになるでしょう。


自民党は統一教会という韓国系の教団に“売国”行為をしていたことが明らかになりましたが、もともと自民党の売国先の本命はアメリカです。「反共」を名目にアメリカと手を組み、統一教会とも手を組んだわけです。
自民党が“売国政党”であるために、日本国民は重税にあえぐことになります。

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統一教会と自民党のずぶずぶの関係に対して国民の怒りの声がわき上がっていますが、この問題を追及するメディアと追及しないメディアとがはっきり分かれています。

テレビでは、日本テレビとTBSが熱心に追及していますが、NHK、フジテレビ、テレビ朝日はまったくといっていいほど統一教会問題を取り上げません。
週刊誌はどこも熱心に追及していますが、新聞はどこも不熱心です。

どうしてこういう違いが出るのかというと、安倍長期政権の呪縛にいまだにとらわれたメディアがある一方、呪縛から逃れたメディアが出てきたからです。


第二次安倍政権は、長く続くうちに政権を安定させるシステムを構築しました。
早い話がマスコミと警察、検察をコントロールできる体制をつくったのです。

テレビ局は、放送法に「政治的に公平であること」という規定があるので、もともと政府がコントロールしやすく、菅義偉前首相や高市早苗自民党政調会長がテレビ局を脅すのを得意としていたので、ほぼ政権批判を封じ込めました。
新聞は、もとからたいした政権批判はしていませんでしたが、2019年10月の消費税増税のときに新聞業界は軽減税率適用の恩恵を受けたので、さらに政権批判ができなくなりました。政権はいつでも「軽減税率の適用をやめるぞ」と脅すことができるからです。
新聞は論説などで政権批判はしますが、政権の痛いところはつきません。
政権の痛いところをつけるのは、「週刊文春」と「しんぶん赤旗」ぐらいです。

そして、安倍政権は警察と検察もコントロールすることに成功しました。
伊藤詩織さんをレイプした山口敬之氏に逮捕状が発行されたとき、警視庁の中村格刑事部長が逮捕直前に逮捕をやめさせたのが典型的な例です。山口氏は『総理』という安倍ヨイショ本を書いて安倍首相とべったりでした。この経緯は週刊誌が書きましたが、中村刑事部長は出世して、現在は警察庁長官です。つまり安倍政権は政権の言いなりになる警察官僚を引き立ててきたのです。
モリカケ桜では警察も検察も動きませんでした(籠池夫妻だけが逮捕、起訴されました)。
ですから、安倍首相は野党からいくら追及されても、見え見えの嘘をつき続けることで逃げきれたのです(野党も世論を喚起するような追及ができなかったという問題があります)。

独裁政権は必ずマスコミ、警察、検察、裁判所をコントロールしています。プーチン政権や習近平政権を見ればわかります。
安倍政権も独裁政権と同じシステムを構築したわけです。
ほんとうの独裁政権は、政敵を逮捕、投獄しますが、安倍政権はそこまでやらないので、ソフト独裁システムというところです。

このソフト独裁システムはきわめて有効だったので、安倍政権はどこまでも続きそうでしたが、コロナウイルスと安倍首相の大腸には有効でなかったので、安倍政権は崩壊しました。


安倍政権から菅政権に代わっても、政権がマスコミ、警察、検察をコントロールするシステムはそのままでした。安倍政権下で菅官房長官と安倍首相は一心同体でしたから、当然です。

菅政権は日本学術会議の6人の会員を任命拒否し、問題となりましたが、この6人は政権批判をしていた人たちです。人事権を行使することで政権批判の学者を黙らせようとしたわけです。ただ、このやり方は官僚には有効ですが、学者にはあまり効かないので、こじれました。



問題は、岸田政権になってどう変わったかです。
岸田首相はリベラルですから、独裁政権みたいなことはしたくないかもしれません。
しかし、マスコミ、警察、検察をコントロールするシステムがあるなら、そのまま使いたいと思っても不思議ではありません。
今のところ岸田首相がどうするつものなのか、よくわからないという状況です。

それに、安倍政権がつくり上げた独裁システムは、安倍元首相が亡くなった今も機能するのかという問題があります。
安倍元首相は首相の座を去るとすぐに元気を取り戻し、その発言は影響力を持ちました。いずれ第三次安倍政権ができるかもしれないという空気もありました。そういう状況では独裁システムは機能していたでしょう。
しかし、安倍元首相が亡くなると、カリスマ性も求心力もなくなりました。
官僚に対しては慣例にない左遷人事を行って恐怖支配をし、マスコミに対しては報復をにおわせて恫喝をするということが独裁システムの基本ですが、それを行える非情な人間がいるのかという問題があります(菅前首相は行えますが、カリスマ性がありません)。

ですから、今は独裁システムが機能しているのか機能していないのかわからなくて、みんな手探りしている状況です。


日本テレビの「ミヤネ屋」は大阪の読売テレビが制作していて、TBSの「ゴゴスマ」は名古屋のCBCテレビが制作しています。政権の圧力がかかりにくいということがあるかもしれません。
「モーニングショー」はテレビ朝日の制作です。最初のころは積極的に統一教会問題を取り上げていましたが、あるときに政権から圧力がかかって、それからまったく取り上げなくなったと言われています。
日本テレビとTBSは、「ミヤネ屋」と「ゴゴスマ」を先頭に押し立てて、今ではニュース番組全般で統一教会問題を積極的に取り上げています。
独裁システムに確実にほころびが見えてきました。


この背景にはネットの論調の変化もあると思われます。
これまではネットではネトウヨがかなりの力を持っていました。
ところが、統一教会は「韓国はアダム国、日本はエバ国」などというとんでもない反日教義を有する韓国の宗教なのに、ネトウヨは統一教会をまったく批判しません。これによってネトウヨは愛国者でないことがバレバレになって、その主張にまったく力がなくなりました。
安倍元首相殺害以降、ネトウヨが存在感を示したのは、朝日新聞が国葬批判の川柳を多数掲載したことに抗議したときくらいです。
ネトウヨに限らず産経新聞や右翼雑誌に寄稿しているような保守論客も統一教会批判をほとんどしていないので、信用を失っています。
日本テレビとTBSが統一教会問題を積極的に取り上げているのも、ネットの後押しがあるからでしょう。


今後、安倍政権時代に築かれた独裁システムがどうなるかが最重要問題です。
岸田首相がカギを握っていますが、今のところ態度がはっきりしません。おそらく統一教会問題が騒がれることで清和会(安倍派)が弱体化することを期待して、静観しているのでしょう。
中村格警察庁長官は、安倍元首相殺害事件を防げなかった責任をとって辞任する見通しと報じられています。
岸田首相が独裁システムを使う気がなければ、独裁システムは解体され、日本の政治は正常化されます。
岸田首相を動かすようなネットの世論が必要です。

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7月10日に参院選の投開票があり、自民党が勝利しました。
投票日の2日前に安倍晋三元首相が暗殺されたことは、この結果にどう影響したのでしょうか。

今私は「暗殺」と書きました。
外国のマスコミも普通に「暗殺」という言葉を使っています。ただ、日本のマスコミはほぼ「暗殺」という言葉を使っていません。
「テロ」という言葉もほとんど使いません。

最初の警察発表によると、山上徹也容疑者は「母親が特定の宗教団体にのめり込んで破産した。安倍元首相が団体を国内で広めたと思って恨んでいた」と動機を説明し、「安倍元首相の政治信条とは関係ない」と言ったそうです。

「安倍元首相の政治信条とは関係ない」ということで、個人的な恨みによる犯行と見なされたようです。
確かに犯行声明のようなものもありません。
政治的な意図がないということで、「テロ」や「暗殺」という言葉を使わないようです。

しかし、安倍元首相が特定の宗教団体とつながるのは政治的な行動です。
とすると、山上容疑者が安倍元首相と特定の宗教団体のつながりに反対するのも政治的な行動ですから、この犯行は「テロ」や「暗殺」と呼んで当然です。


「特定の宗教団体」というのは統一教会(現在は世界平和統一家庭連合に名称変更)のことです。
もともと統一教会と自民党は密接な関係にありました。統一教会は「国際勝共連合」という反共政治団体を持っていて、学生などの動員力もあり、社会党、共産党、新左翼などが強い時代に自民党は統一教会を利用しました。
ただ、統一教会は高価な壺を売りつけるなどの霊感商法や合同結婚式などが社会的な問題を引き起こして、テレビのワイドショーでもよく取り上げられました。オウム真理教と統一教会は二大カルトという感じでした。
ですから、統一教会と自民党とのつながりも問題にされていました。

しかし、いつの間にか統一教会の霊感商法はワイドショーで取り上げられなくなりました。といって、霊感商法の被害がなくなったわけではありません。
どうやら統一教会と自民党との結びつきがいっそう強くなって、マスコミは統一教会と自民党に忖度して取り上げなくなったようです。
そのため今の若い人は統一教会が問題のあるカルトだということをろくに知らないかもしれません。


安倍元首相は自民党の中でもとりわけ統一教会とのつながりが強いようで、昨年9月に統一教会の関連団体にビデオメッセージを送りました。
「全国霊感商法対策弁護士連絡会」は安倍元首相に対して強い調子の「公開抗議文」を送ったので、その一部を抜粋します。

公開抗議文(抜粋)

衆議院議員 安倍晋三 先生へ

4.ところが、本年9月12日、韓国の統一教会施設から全世界に配信された統一教会のフロント組織である天宙平和連合(UPF)主催の「神統一韓国のためのTHINK TANK2022希望前進大会」と称するWEB集会において、安倍晋三前内閣総理大臣の基調演説が発信される事態が生じました。これを統一教会が広く宣伝に使うことは必至です。上記要望書の要望を全く無視したものというほかなく、当連絡会としては深く失望し、今後の被害の拡大に強く憂慮しております。
 安倍先生が、日本国内で多くの市民に深刻な被害をもたらし、家庭崩壊、人生破壊を生じさせてきた統一教会の現教祖である韓鶴子総裁(文鮮明前教祖の未亡人)を始めとしてUPFつまり統一教会の幹部・関係者に対し、「敬意を表します」と述べたことが、今後日本社会に深刻な悪影響をもたらすことを是非ご認識いただきたいと存じます。

5.安倍先生が今後も政治家として活動される上で、統一教会やそのフロント組織と連携し、このようなイベントに協力、賛助することは決して得策ではありません。是非とも今回のような行動を繰り返されることのないよう、安倍先生の名誉のためにも慎重にお考えいただきますよう強く申し入れます。また、事の重大性に鑑み、公開抗議文として送付するとともに抗議文を公開させていただく次第です。
 あわせて、今回のUPFのWEB集会の基調演説のビデオメッセージを提供された経緯について明確なご説明をいただきますようお願いします。
https://www.stopreikan.com/kogi_moshiire/shiryo_20210917.htm

山上容疑者は安倍元首相のメッセージビデオを見て、安倍元首相をターゲットにすると決めたそうです。
安倍元首相のような有力な政治家が統一教会を賛美するメッセージを送ると、その影響は甚大ですから、この考えはそれほど不思議ではありません。

ただ、この場合は「統一教会にメッセージを送る安倍はけしからん」というように、公憤とか正義感になるはずです。個人的な恨みにはなりません。
山上容疑者がもし「安倍はけしからん」という正義感を持てば、ネットの書き込みなどで発散できて、犯行には及ばなかったかもしれません。

また、彼の最後の職歴は、派遣社員としてフォークリフトの運転などをしていたそうです。
給料が安くて、結婚もできそうになく、将来になんの希望もなくて、それも犯行動機のひとつだったでしょう。
こうした境遇について、「安倍政治が悪いからだ」「自民党政治が悪いからだ」と考えれば、社会改革の方向にも意識が向いて、やはり安倍元首相個人を殺そうという考えにはならなかったかもしれません。

それにマスコミの責任もあります。安倍元首相のビデオメッセージについても、報道したのは「しんぶん赤旗」ぐらいです。一般のマスコミがこのときに「安倍元首相はけしからん」と言っていれば、山上容疑者はマスコミに任せて自分は手を出さなかったかもしれません。


もとはフェミニズムから出てきた言葉で、「個人的なことは政治的である」という言葉があります。
男女のことや家族などの問題も、国家などの政治的なこととつながっているという意味です。
山上容疑者は、自分の家庭が崩壊したことを個人的な不幸と思っているようですが、「個人的なことは政治的である」という言葉を知っていれば、またとらえ方が違っていたはずです。
また、マスコミも「暗殺」や「テロ」という言葉を使わず山上容疑者の個人的な犯行ということにしていますが、マスコミも「個人的なことは政治的である」という言葉をかみしめるべきでしょう。



ここで簡単に安倍元首相の足跡を振り返っておきたいと思います。

第二次政権のときの安倍氏は、首相の権力を自由自在に使いこなしていたという印象があります。
一般論として国家は巨大なのに個人は小さいので、個人が首相の権力を使いこなすのは容易なことではありません。しかし、安倍氏は第一次政権の挫折で人間が一回りも二回りも大きくなったのでしょう。第二次政権のときは余裕の政権運営でした。
閣僚も官僚も思い通りに動かし、それだけでなく閣僚や官僚は安倍氏の意向を忖度して先回りして動きました。そうした中で森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題が起きました。
当時の財務省の佐川宣寿理財局長は、森友学園問題で公文書改ざんを指示し、みずからも虚偽答弁をしましたが、これは安倍氏が命じたのか佐川氏がみずから動いたのか、現在にいたるもわかりません。それぐらい安倍氏と官僚は一体化していたということです。

それだけ権力を使いこなして安倍氏はなにをしたかというと、評価が分かれるところです。
私は否定的な評価をこのブログにずっと書いてきましたから、ここではなにも言わないことにします。

ともかく、安倍氏は「強いリーダー」となりました。
国民は強いリーダーを好むものなので、ずっと高支持率でした。

しかし、実際のところは、強いリーダーはろくなものではありません。
プーチン大統領、習近平主席、トランプ前大統領を想像すればわかります。ここにヒトラー総統をつけ加えることもできます。

ともかく、日本国民は強いリーダーとして安倍元首相を記憶にとどめるでしょう。
そして、その記憶が薄れるとともに、改憲問題も慰安婦問題も靖国参拝問題もフェードアウトしていくでしょう。

安倍元首相の冥福を祈ります。

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東京五輪開閉会式の演出の責任者であるCMクリエーターの佐々木宏氏が、タレントの渡辺直美さんにブタを演じさせるプランをスタッフにLINEで提示し、スタッフの反対にあって撤回していたと週刊文春が報じました。
渡辺直美さんは宇宙人家族に飼われているブタという設定で、その名も“オリンピッグ”というのだそうです。
女性をブタにたとえる侮辱とダジャレのくだらなさなどもあって非難が集中し、佐々木氏は開閉会式演出の「総合統括」を辞任しました。
開会式まであと4か月というときに演出の中心人物が辞めてしまったわけです。

ただ、このプランが提示されたのは昨年3月のことで、アイデアの原型みたいなものを仲間内に提示しただけで、すぐに撤回しています。辞任するほどのことかという声もあります。
しかし、文春の記事を読むと、「渡辺直美ブタ演出」は記事の“つかみ”の部分です。記事の中心は開閉会式演出チームの主導権争いという構造的な問題を扱っています。
文春の記事から主導権争いの部分を簡単に紹介します。


五輪開閉会式演出チームは最初8人でした。
肩書を書くのが面倒なので、ある記事から引用します。
2018年に発表した演出企画チームは、チーフエグゼクティブクリエイティブディレクターを狂言師の野村萬斎が担当。歌手の椎名林檎や振付師のMIKIKO、映画プロデューサーで小説家の川村元気、クリエイティブプロデューサーの栗栖良依、クリエイティブディレクターの佐々木宏と菅野薫、映画監督の山崎貴ら計8人のメンバーで構成される。
https://www.fashionsnap.com/article/2020-12-23/tokyo2020-hiroshisasaki/

最初は映画監督の山崎貴氏が中心となって企画を考えたもののうまくいかず、次に野村萬斎氏が責任者に選ばれたもののこれもうまくいかなかったということです。
文春の記事にはこう書かれています。

「野村氏は伝統芸能の人だからか、提案も観念的。森氏もプレゼンのたびに、野村氏に『意味が分からん』『具現化しろ』と批判し続けていた。最後は森氏主導で、野村氏は責任者を降ろされます」(同前)

 開幕まで残り1年に迫った段階で、企画案は白紙状態。組織委は19年6月3日、野村氏を肩書きはそのままに、管理側に“棚上げ”に踏み切る。〈演出チーム〉の一員だったMIKIKO氏(43)を“3人目の責任者”として、五輪開閉会式演出の「執行責任者」に起用するのだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7199b3bd0d68c0253397dc43ac4aa4534ef4e4bd

MIKIKO氏はPerfumeや「恋ダンス」を手掛けてきた振付師で、MIKIKO氏のまとめ上げた企画案はIOCからも絶賛されたということで、方針が固まったかに見えました。
しかし、そこに森喜朗前会長の後ろ盾のある佐々木宏氏が加わります。
佐々木氏は電通の出身で、電通代表取締役社長補佐・髙田佳夫氏の後ろ盾もあります。
佐々木氏は五輪が1年延期になったことをきっかけに“クーデター”を起こして主導権を奪い、栗栖良依氏、椎名林檎氏ら女性スタッフを排除し、最終的にMIKIKO氏も辞任に追い込みます。
そして、佐々木氏は「一人で式典をイチから決めたい」と言って、MIKIKO氏の案を反故にして自分の案を出しますが、佐々木氏の企画はIOCに不評で、結局MIKIKO氏の企画を切り貼りしたものを使うことになったそうです。

 MIKIKO氏、栗栖氏、椎名氏。自らの考えを主張する女性たちを“排除”し、森氏や髙田氏を味方に五輪開会式の“乗っ取り”に成功した佐々木氏。彼は今、どんな式典を思い描いているのか。今年2月時点の案を見たスタッフが明かす。

「問題なのは、顔写真入りで紹介されている主要スタッフの殆どが男性ということ。ヘアメイクや衣装も軒並み男性。キャストもブッキング済みなのは主に男性で、申し訳程度に『アクトレス』の枠が設けられ、配役は未定。こうしたバランスが世界にどう映るか。不安を覚える人は少なくない。ただ、佐々木氏の後ろ盾である森氏や髙田氏らの意向に、誰も逆らえなかったのが現実です」
森氏・佐々木氏・高田氏(電通)という女性差別勢力が開会式の企画を乗っ取り、その中から出てきたのが「ブタ演出」だというわけです。

しかし、マスコミは「ブタ演出」のところにだけ食いついて、その背後にある問題にはほとんど触れません。
これは“電通タブー”のせいであるようです(森氏のことも批判しにくいのかもしれません)。



ただ、問題は開会式がよいものになるかどうかです。佐々木氏がよい企画を出しているのであれば、たかが「ブタ演出」のために辞任に追いやったのは間違いということになります。
ただ、これについては渡辺直美さん自身が企画の評価を語っています。

「採用されてたら断る」 渡辺直美さん、演出問題語る
東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出を統括していた佐々木宏氏が、お笑い芸人の渡辺直美さんの容姿を侮辱するようなメッセージを演出チーム内に送っていた問題について、渡辺さんは19日夜に行ったYouTubeのライブ配信で言及した。
 開会式への出演依頼を受け、振付師・演出家のMIKIKO氏らが手がける開会式の演出案を聞いたときは「最高の演出だった。それに参加できるのはうれしかった」と振り返り、「(周囲からの助言で佐々木氏の案が却下されたのは)一つの救い」「もしもその演出プランが採用されて私の所に来た場合は、私は絶対断ってますし、その演出を批判すると思う。芸人だったらやるか、って言ったら違う」「これが日本の全てと思われたくない。(元々の演出案を)皆に見てもらいたかったし、私も頑張ってやりたかった。その悔しさが大きい」などと語った。

 また他人の容姿を揶揄(やゆ)する言動について「自分の髪色、着たい服、体のことは自分で決めたい。決めるのは自分自身」などと呼びかけ、「これ以上これが報道されないことを祈る。これを見て傷つく人がいるから」と語った。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14839674.html?_requesturl=articles%2FDA3S14839674.html&pn=2

渡辺直美さんはMIKIKO氏の案を高く評価して、佐々木氏の案はそうでもありません。
おそらく渡辺さんだけではなく、多くの人がそう思っていて、だからLINEの流出も起きて、佐々木氏は辞任に追い込まれたのでしょう。
つまり最大の問題は、「ブタ演出」問題ではなくて、よい案が採用されず、悪い案が採用されたことです。
「ブタ演出」を前面に押し立てて佐々木氏を辞任に追い込んだのはうまいやり方だったかもしれません。



ここまでは文春の記事に乗っかっただけなので、私の考えもつけ加えておきます。

文春は、森氏の女性差別がすべての元凶であるかのような書き方をしていますが、私はそこは違うのではないかと思います。
安倍前首相の名前は文春の記事に一か所しか出てきませんが、安倍前首相こそが黒幕です。

最初に責任者になった映画監督の山崎貴氏は、「永遠の0」と「海賊とよばれた男」を撮っていますが、どちらの原作も百田尚樹氏です。百田氏は安倍前首相のお友だちで、「日本国紀」という「日本すごい」本を書いています。
安倍前首相は「美しい国」や「新しい国」と称して「日本すごい」を主張しています(森氏も「神の国」発言をしています)。
つまり安倍前首相と森氏は「日本すごい」という開会式の演出を望んでいて、それで山崎監督に託したものと思われます。

実はこれが間違いです。
自国優越思想を打ち出したのでは感動的にはなりませんし、そもそも日本はそれほどすごい国ではありません。

具体的には1998年の長野冬季五輪の開会式の演出で「日本すごい」を打ち出したものの、大失敗しました。
開会式の総合演出を担当した劇団四季の浅利慶太氏は、日本文化のすばらしさをアピールしようとして、大相撲の土俵入りと長野県諏訪地方で行われる御柱祭を会場内で実演させました。
大相撲は世界にアピールできるコンテンツだと思いますが、土俵入り自体は見ていておもしろいものではありません。
御柱祭は宗教的行事としての意味がありますが、世界の観客にはなにもわかりません。
結局、世界の観客はわけのわからない退屈なものを延々と見せつけられたのです。

「日本すごい」と思っているのは日本人だけです。「日本国紀」も読まれるのは日本だけで、海外には翻訳されません。

もっとも、北京五輪の開会式では「中国すごい」を打ち出して大成功し、ロンドン五輪の開会式では「イギリスすごい」を打ち出して大成功しました。これは実際に中国とイギリスの歴史が人類史に大きな貢献をしていて、それをビジュアルで表現する演出がみごとだったからです。
北京とロンドンがあまりにもすばらしかったので、そのあとはなにをやっても見劣りしてしまいます。

ところが、安倍前首相と森前会長は、そのむりなことをやろうとしたのです。
山崎監督は期待に応えることができず、野村萬斎氏は伝統芸能の立場から「日本すごい」を打ち出せると期待されたのでしょうが、やはり期待に応えることができませんでした。
3人目のMIKIKO氏は、女性だということもあって「日本すごい」にこだわらない案を出して、IOCから高く評価されました。
案の内容は公表されませんが、佐々木氏のLINEからその一端がうかがえます。

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文春オンラインの記事より

どうやらMIKIKO氏の案は「オリンピックすごい」ないし「スポーツすごい」という内容のようです。
オリンピックが苦難の道を歩みながら発展してきて、多くの人がスポーツを楽しむ世の中を実現するのに貢献してきたという歴史は感動的なものになりえます。

世界の人を感動させるには、「日本すごい」ではなく、なんらかの普遍的な価値観が必要です。
リオデジャネイロ大会は、ブラジルの歴史を描く中でアマゾンの森林資源と地球環境の問題を打ち出して、成功していました。
長野冬季五輪では、パラリンピックの開会式は作曲家の久石譲氏が総合演出をし、自然と文明の共生というテーマがあったようですが、愛と勇気の物語になっていて、すばらしく感動的でした。

しかし、安倍前首相と森氏の頭には「日本すごい」しかなく、それが混乱を招いた元凶でしょう。


佐々木氏が辞任して、そもそも東京五輪が行われるかどうかもわかりませんし、開会式がどんな規模になるかもわかりませんが、もし行われるなら、世界の人を感動させる開会式になってほしいものです。

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東京2020組織委員会公式HPより

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」などと性差別発言をし、批判されましたが、森会長は1月4日の記者会見で辞任を否定しました。
このまま森会長が居座ることになれば、日本のイメージも東京オリンピックのイメージも地に落ちます。

森会長の発言内容については今さらここでは批判しません。
それよりも森会長を擁護する人がけっこういるのが気になります。
そういう人は、森会長は政府、東京都、IOC、各スポーツ団体などとの関係を調整するのに長けていて、「余人をもって代えがたい」と言います。
しかし、代わりの人がいない近代組織などありません。
大企業のトップが不祥事を起こしたとき、代わりの人がいないなどという理由で居座ることなど許されません。

そもそも森会長は一年間総理大臣をやったとき、支持率ヒトケタをたたき出す史上最低の総理大臣でした。そんな有能であるわけがありません。

いや、自民党の派閥のトップは務まっていましたから、そういう有能さはあるかもしれません。つまり前近代の組織、村社会に向いた人です。
ですから、オリンピックという国家的事業のトップに立って、国民を盛り上げるような役割には向きません。

それに、自民党の政治家だった森会長は党派色が強すぎて、オリンピックの顔には不向きです。
本来は財界人がなるはずでした。
森氏が五輪組織委の会長に決まったときは驚いたのを覚えています。


「リテラ」の「女性差別の森喜朗が辞任どころか逆ギレ会見 こんな男がなぜ五輪組織委会長? 子分の安倍前首相による人事ゴリ押しの舞台裏」という記事によると、当時の安倍首相が猪瀬都知事の反対を押し切って、強引に森氏を会長に押し込んだということです。
2月6日付の朝日新聞にも「(森氏は)12年衆院選に立候補せずに国会議員を引退し、13年に東京大会開催が決まると、組織委トップの座をめぐる東京都と国の綱引きを経て14年1月、会長に就任した」とあるので、安倍首相が猪瀬都知事の反対を押し切ったというのは事実のようです。

森会長と安倍前首相とは親分子分の関係で、これほど太いパイプはありません。
ですから、組織委にとって森会長はありがたい存在だったでしょう。国からいくらでも金を引っ張ってくることができたからです。

大会を東京に招致するときの計画では、費用は総額7340億円でしたが、昨年12月22日の発表では総額1兆6440億円となりました。さらに朝日新聞は関連経費を合わせると3兆円を越えると報じています。

安倍前首相が森氏を組織委の会長に押し込んだのは、安倍前首相による“オリンピックの私物化”です。
利権優先で、人格など無視して性差別主義者を押し込んだので、今回のような問題が起きるのは当然です。


今、森会長を擁護している人のほとんどは、自民党関係者と安倍前首相の支持者です。
たとえば高須クリニックの高須克弥院長は森会長について「許すのは日本人の美徳なのに・・・無報酬で働く病身の高齢者にひどい仕打ちに思えます」とツイートしました。

「無報酬」というのが気になって調べてみると、どうやら会長職については無報酬であるようです。
これも異常なことです。
名誉職ではなくちゃんと仕事をしているなら、報酬は受け取らないといけません。
上級国民がこんなことをすると、ブラック企業のやり方を助長しかねません。
無報酬で働くというのは、もっと大きな利権があるからだろうと想像してしまいます。


ともかく、森氏を組織委の会長にしたのがそもそもの間違いでした。
「魚は頭から腐る」と言いますが、腐った頭を組織に据えてしまったのです。
そのため、組織全体、オリンピック大会全体が利権まみれというイメージになりました。

今回の性差別発言は、腐った頭を切り離すのにいい機会です。

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嘘にまみれた安倍政権とトランプ政権が終わっても、トランプ大統領の嘘はこれからも生き続けるかもしれません。

トランプ大統領が「選挙は盗まれた」と主張するのに合わせて、さまざまな嘘が飛び交いました。
トランプ票が大量に燃やされたとか、投票機にソフトウェアを提供した企業の社長はバイデン氏の政権移行チームの一員であるといったものから、ドイツで投票機のサーバー押収をめぐって米軍特殊部隊とCIAが銃撃戦を演じて5人死亡したとか、オバマ前大統領が逮捕されたといったものまでありました。
しかも、日本にこうした嘘を拡散させる人が少なからずいました。

2017年のトランプ大統領就任式における観客はオバマ大統領のときより大幅に少なかったとメディアが報じると、トランプ大統領は「フェイクニュース」と言って猛反発し、報道官は過去最多だったと主張して、「オルタナティブファクト」と称しました。
それからトランプ大統領は嘘をつき続け、ワシントン・ポストは最初の1年間に2410回も嘘をついたと報じました。
「コロナウイルスはもうすぐ魔法のように消える」という罪の深い嘘もありましたが、トランプ大統領はこうした嘘について嘘と認めたり謝罪したりすることはありませんでした。


安倍前首相も任期中、モリカケ桜で嘘をつき続けて、桜を見る会問題では国会で118回の虚偽答弁をしたとされました。

しかし、トランプ大統領の嘘と安倍前首相の嘘は明らかに異質です。
安倍前首相の嘘は、自分が関わった不正をごまかすための嘘、要するに自己保身のための嘘です。
自己保身の嘘は誰でもつきますから、われわれの常識で理解できます。安倍前首相の場合は、公の場で異常に多くの嘘をついただけです。
しかし、トランプ大統領の嘘は常識では理解できません。


トランプ大統領の嘘を知る手がかりは、Qアノンです。
Qアノンはトランプ大統領の嘘に呼応して生まれました。

ウィキペディアによると、
「Qアノンの正確な始まりは、2017年10月に「Q」というハンドルネームの人物によって、匿名画像掲示板の4chanに投稿された一連の書き込みである」
「この陰謀論では、アメリカ合衆国連邦政府を裏で牛耳っており、世界規模の児童売春組織を運営している悪魔崇拝者・小児性愛者の秘密結社が存在し、ドナルド・トランプはその秘密結社と戦っている英雄であるとされている」
ということです。
政府を裏で支配する秘密結社はディープステートと呼ばれます。

私は最初、小児性愛者の秘密組織がアメリカを支配しているというふうにネットの記事で読みました。
小児性愛者の秘密組織は過去に摘発されたことがありますし、上流階級に存在する可能性はあります。しかし、そういう人間は自分の性的嗜好が満たされればいいわけで、国家を裏であやつる必要はありません。ですから、ばかばかしい話と思いました。

しかし、そのネット記事は不正確で、正しくは小児性愛者でかつ悪魔崇拝者の秘密組織だったわけです。
それなら話として成立します。


悪魔崇拝者というのは、ホラー映画やホラー小説にはいっぱい出てきますが、現実にはほとんどいないと思われます。
敵対する宗派や一部の人を攻撃するときに悪魔崇拝者というレッテル張りをしたのが実際のところでしょう。
ただ、そこにおどろおどろしいイメージが付与され、女性や小児を生贄にして性的快楽を得る儀式(サバト)を行うといったこともありました。
ですから、ディープステートが小児性愛者でかつ悪魔崇拝者の秘密組織だというのはありそうな設定です。
メインは悪魔崇拝で、小児性愛はつけ足しです。

もちろんすべてはQアノンのデマです。
Qアノンが敵に対して悪魔崇拝者のレッテル張りをするということは、Qアノンは政治勢力というより宗教勢力だということです。
「陰謀論」という言葉も適切ではありません。「ディープステートが国を支配している」というのは、Qアノンの「教義」というべきです。

トランプ大統領のコアな支持層は福音派という宗教勢力だとされています。Qアノンはそのさらにコアな支持層で、カルト集団みたいなものです。

そうすると、トランプ大統領はQアノンにとってなにかというと、ウィキペディアには「秘密結社と戦っている英雄」と書かれていましたが、「英雄」というより「救世主」というべきでしょう。
つまりQアノンはトランプ大統領を救世主として崇拝するネット上の宗教勢力で、民主党などを悪魔崇拝者として攻撃しているということになります。


こういう宗教勢力が生まれたのは、トランプ大統領の言動にカリスマ性があったからです。
トランプ大統領が言い続けたのは「アメリカは偉大だ」と「私は偉大だ」ということです。
こういう言い方がカリスマ性を高めます。

トランプ大統領の言葉は教祖が語る宗教の言葉なので、いちいちファクトチェックをしても意味がありません。
教祖は奇跡も行えるからです。
科学に従うのも教祖らしくありません。
「コロナウイルスは魔法のように消える」というのは、いかにも教祖らしい言葉でした。

しかし、トランプ大統領に奇跡を行う力はなく、日々の感染者数は増え続け、それがためにトランプ大統領のカリスマ性は失墜し、大統領選挙で落選する結果となりました。


ただ、アメリカはきわめて宗教性の強い国家で、今でも多くの州の学校で進化論を教えることができませんし、アメリカ国歌「星条旗」には「神」という言葉がありますし、大統領は議会での演説の最後に必ず「God bless America」と言いますし、大統領就任式では必ず左手を聖書の上に置いて宣誓します。同性愛差別、人工中絶禁止などの保守派の主張も宗教的価値観からきています。クリスマスに「メリークリスマス」と言うか「ハッピーホリデーズ」と言うかは大きな政治的争点です。

日本のメディアはアメリカを宗教国家と見なすことをタブーとしているので、Qアノンの実態も見えてきません。
トランプ大統領やQアノンの主張は宗教だと考えれば、「嘘だ」とか「事実に反する」と批判するのは的外れで、むしろ「政教分離」の観点から批判するべきだということになります(あるいはキリスト教の権威による「異端審問」も)。

宗教勢力は今後もトランプ大統領を教祖として担いでいこうとするでしょう。
あるいは、司法当局の追及や民事訴訟やマスコミの報道などでカリスマ性が失われていくかもしれません。



ところで、日本におけるトランプ支持者の多くは、統一教会系「ワシントン・タイムズ」と法輪功系「大紀元(EPOC TIMES)」の情報をよりどころにしているということですし、日本でトランプ支持デモを主催しているのは統一教会や幸福の科学だということです。
新宗教やカルトの人たちはトランプ大統領のカリスマ性にひかれるのでしょう。
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1月17日の福岡のデモに登場した“トランプみこし”(「水木しげるZZ」のツイートより)

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菅義偉首相が日本学術会議の新会員6人の任命拒否をしてからの展開は、デジャブというのか、まるでかつての安倍政権を見ているようです。

任命拒否の理由を説明しろという声に対して菅首相は「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」と説明にならない説明を繰り返し、明らかに法律の解釈変更をしたと思われるのに加藤官房長官などが解釈変更はしていないと答弁したりと、モリカケ問題、桜を見る会問題のときのようなむなしい議論が行われています。
「安倍政治の継承」を掲げている以上、似てくるのは当然ではありますが、似てきたおかげで違いも見えてきました。


森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題は、隠されていたものが発覚して問題になりました。
学術会議新会員の任命拒否問題は、菅首相がみずから仕掛けて問題にしたので、そこが違います。

菅首相はなぜこんなことを仕掛けたかというと、おそらく「学問の自由」ということの重要さを理解していなくて、こんな大きな問題になるとは思っていなかったのでしょう。
菅首相は10月5日のグループインタビューで「学問の自由とはまったく関係ないということです。それはどう考えてもそうじゃないでしょうか」と語りましたが、案外本心のような気がしました。
菅首相はあくまで実務家で、学問の自由みたいな抽象的な概念はあまりよく理解できないのです。


もちろん菅首相の狙いは、政府の方針に反対する学者を狙い撃ちにして、見せしめにすることで、政府に反対しにくくさせることです。
ただ、こういうやり方も安倍前首相と違うところです。

安倍前首相が森友学園を国有地不正払い下げという手を使ってまで支援したのは、教育勅語を唱和させるような軍国教育をする学校をつくりたかったからで、安倍前首相にとって森友学園の籠池泰典理事長は同志でした。加計学園の加計孝太郎理事長は安倍前首相の学生時代からの友人です。桜を見る会には安倍前首相の地元後援会の人が多く招かれました。
つまり安倍前首相においては同志、友人、身内などの「人のため」ということがありました。
もっとも、同志のために国有地不正払い下げを行い、それを隠ぺいするために公文書改ざんを行い、そのために自殺者まで出すという無茶苦茶さですが、少なくとも出発点には「人のため」ということがあったわけです。

今回の菅首相の任命拒否には「人のため」という要素がありません。
もし菅首相にどうしても学術会議の新会員に任命したい人がいて、その人を押し込むために6人を任命拒否したというのなら、良し悪しは別にして、人情として理解はできます。
あるいは日本学術会議の組織改革のためという理由でも理解できますが、そういう理由があるなら説明できるはずです。
菅首相は見せしめのために6人を狙い撃ちにし、国民は「公開処刑」を見せられているようなものです。


人を幸せにすることがポジティブ、人を不幸にすることがネガティブだとすれば、菅首相はネガティブの多い人です。

携帯料金値下げにしても、実現すれば確かに「国民のため」ですが、とりあえずは民間企業の中に手を突っ込んで価格決定権を左右するという「いやがらせ」をするわけです。こういうことは菅首相以外にはなかなかできません。

菅首相はまた、生産性の低い中小企業の統合を進めるとも表明していますが、これも、中小企業が統合したくても規制があってできないので、それを救いたいということではなくて、中小企業が望んでもいないのに統合させようという、やはり「いやがらせ」の政策です。

菅首相は地方銀行についても、数が多すぎるとして再編の方針を示していますが、これも同じことです。

要するに当事者の意志を無視して上から権力を行使してなんとかしようという発想です。
こうした発想のもとには人間不信があります。


たとえば桜を見る会問題では、安倍首相は地元後援会の人を招いて喜ばせるというポジティブな役割を演じ、菅官房長官は見えないところで官僚に名簿の廃棄や虚偽答弁を強要するというネガティブな役割を演じるという分担になっていました。
菅氏はそれが向いていたので、7年8か月も官房長官が務まったのでしょう。

菅氏はそういうネガティブなキャラゆえに「陰険」と評されます。
今風に言えば「陰キャ」でしょうか。

菅政権は、安倍政権からポジティブな面を消去した政権です。
菅首相が学術会議新会員任命拒否みたいなことを繰り返せば、日本全体が暗くなってしまいます。

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朝日新聞が9月3日、4日に実施した世論調査によれば、安倍政権の7年8か月間の評価を聞くと、「大いに」17%、「ある程度」54%を合わせて71%が「評価する」と答え、「評価しない」は、「あまり」19%、「全く」9%を合わせて28%でした。
71%が評価するというのは驚きの高評価です。

どんな政策を評価するかというと、「外交・安全保障」の30%が最も多く、「経済」24%、「社会保障」14%、「憲法改正」は5%でした。
「外交・安全保障」にこれといった成果はなく、これも意外な高い数字です。

こうした数字に反安倍の人はとまどったでしょう。
「安倍を評価するなんて国民はバカだ」と思ったかもしれません。

私も反安倍ですが、そんなふうには思いません。
逆に「国民が正しくて、自分がバカなのかもしれない」と思います。
こういうふうに自分を絶対化せず、地動説的発想のできるのが私の偉いところだと、自画自賛しておきます。


安倍首相を評価する声に、「がんばっている」「一生懸命やっている」というのがあります。
こうした声に「政治は結果だ」と反論するのは容易ですが、ここが考えどころです。

確かに安倍首相はずいぶんとがんばってきました。
私が安倍首相のがんばりで思い出すのは、昨年5月、令和初の国賓としてトランプ大統領を招いて、茂原カントリー俱楽部で二人でゴルフをしたときのことです。
安倍首相はバンカーで手間取り、ようやくボールを出して、先に歩き出したトランプ大統領を追いかけようとして斜面ですっ転んだのです。その瞬間をテレビ東京のカメラがとらえていました。



転んだことをバカにするのではありません。トランプ大統領のご機嫌をとるために必死になって追いつこうとするから転んだので、そのご機嫌とりの姿がみっともないと思いました。

この日の夕方は二人で大相撲の観戦をしました。国技館にトランプ大統領のためにわざわざ特別席を設置しました。私は枡席に椅子を置けばいいではないかと思いましたが、安倍首相はそれではだめだと思ったのでしょう。
トランプ大統領は格闘技好きだということで組まれたスケジュールですが、トランプ大統領はまったくつまらなさそうな顔で大相撲観戦をしていました。人種差別主義者のトランプ大統領には日本の伝統文化など興味がなかったようです。

結局、いくらおもてなしをしても、トランプ大統領がそれによって対日要求を緩和するということはなかったのではないかと思います。

私はトランプ大統領のご機嫌とりをする安倍首相をみっともないと思いましたが、安倍首相が一生懸命やっていたのは事実です。


プーチン大統領に対しても同じようなことがあります。
安倍首相はプーチン大統領のことを何度も「ウラジミール」と呼んで親密さをアピールし、二人そろっての記者会見で「ウラジミール、ゴールまで二人の力で駆けて、駆けて、駆け抜けようではありませんか」と熱く語ったこともありますが、プーチン大統領のほうは安倍首相のことを「シンゾー」とは呼びません。
親密でないのに親密なふりをする安倍首相を、私はみっともないと思いましたが、安倍首相が一生懸命やっていたのも事実です。
親密でないのに親密なふりをするというのは、そうとうな精神力(演技力?)がないとできません。


では、安倍首相が一生懸命やっているのを見て、私は低く評価し、国民の一部は高く評価したのはなぜでしょうか。

いろいろ考えるに、かつて日本は世界第二の経済大国になり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか「日米は対等のパートナーシップ」と言われたころのイメージがまだ私の頭の中に残っているのです。
一方、若い人たちは、もの心ついたころにはバブル崩壊後の不況で、就職氷河期があり、経済は長期停滞で、見下していた中国にあれよあれよという間に抜き去られ、最初から“経済小国”の現実が身に染みついているのです。

ですから、私は安倍首相を見て、大国の首相なのにみっともないと思い、若い人は小国の首相なのによくやっていると思うのです。
こう考えると、若い世代に安倍内閣の支持率が高いことが理解できます。


安倍首相がこれまでやってきたのは、分相応の小国外交です。それが国民から支持されました。

安倍首相が習近平主席を国賓として招待することを決めたのは、安倍応援団には評判が悪かったですが、国民はおおむね受け入れていました。小国の日本が大国のアメリカと大国の中国のご機嫌とりをするのは当然のことです。

北方領土返還がほとんど不可能になっても、小国外交なんだからしかたがないという受け止めが多いためか、まったく問題にされません。

ただ、そういう小国外交だけでは国民の不満がたまります。
そこで、安倍政権は慰安婦像や自衛隊哨戒機へのレーザー照射や徴用工などの問題を大きくして、韓国を不満のはけ口にしました。
これは安倍政権の実にうまいやり方です(前は北朝鮮も不満のはけ口にしていましたが、トランプ大統領に言われて日本から無条件の話し合いを求めるようになって、そうはいかなくなりました)。


若い世代に限らず「日本は小国である」という認識はかなり広まっています。
しかし、そのことははっきりとは認めたくないという心理もあります。
そのため、逆に「ニッポンすごいですね」という番組がやたらにつくられます。
また、国力の国際比較もタブー化しています。
安倍政権は、前と比べて雇用者数や有効求人倍率や株価が改善したなどと成果をアピールしましたが、経済成長率の国際比較などはしません。
国際比較をするのは、蓮舫議員の「二位じゃだめなんですか」発言のあったスパコンが世界一になったときぐらいです。
野党も日本の経済成長率の低さをやり玉にあげたりはしません。それをすると「対案を出せ」と言われて、対案がないからです。

最近、財政健全化のこともすっかり言われなくなりました。
借金を返すには稼ぐ力が必要で、日本にそういう力はないと思われているのでしょう。
日米地位協定の改定などは、夢のまた夢です。

大国幻想を振り払ってみれば、安倍首相が小国の首相としてよくやったということがわかりますし、71%の評価も納得がいきます。

なお、安倍首相の辞任表明はいち早く中国でも報道され、SNSでは「お疲れさまでした」「いい首相だった」「尊敬できる政治家だ」など好意的な意見が多かったということです。
小日本にふさわしい首相と見られていたからでしょう。



ただ、小国というのはあくまで経済小国という意味です。
文化大国、平和大国、環境大国、人権大国など、日本が元気になる道はいくらでもあります。
再び経済大国になることも不可能と決まったわけではありません。

安倍政権の小国外交がさらに日本の小国化を推し進めたということもあるのではないでしょうか。

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