村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: トランプ大統領

28639328_m

世の中に争いが絶えないのは、ほとんど倫理学のせいです。
善と悪には定義がなく、客観的な基準もないので、誰もが自分中心に善悪の判断をします。
ネタニヤフ首相はハマスを悪と見なしますが、ハマスはネタニヤフ首相を悪と見ています。
トランプ大統領は極左勢力を悪と見なしていますが、極左勢力とされた人にとってはトランプ大統領が悪です。
夫婦喧嘩は互いに相手を悪と見なして行われます。
私はこのように自己中心的に善悪を判断することを「天動説的倫理学」と名づけています。

つまり善悪という概念があるために、かえって争いが激化しているのです。
そうすると、善悪という概念を使用禁止にすればいいのではないかということが考えられます。
しかし、善悪はあまりにも生活になじんでいるために、それはむずかしそうです。

そこで、人間は「法の支配」という方法を考え出しました。
あらかじめ法律をつくっておき、それを善悪の基準(の代わり)とするのです。これは客観的な基準なので、混乱はかなりの程度避けられます。恣意的に罰される恐れもなくなり、安心して生活できます。
もっとも、国際社会と家庭内にはほとんど法の支配は及ばないので、国際社会と家庭内では深刻な争いが生じますが、一応法の支配によって社会の秩序は保たれてきました。

しかし、このところ急速に法の支配が崩れています。
その理由はインターネット、SNSの普及です。
それまでは学者とジャーナリストが世論を導いていましたが、インターネットが普及してからは大衆が世論を導くようになりました。
知識人にとっては法の支配の重要さは常識ですが、大衆にとっては必ずしもそうではありません。

法の支配は、手間と時間がかかります。
日本では現行犯逮捕を別にすれば、警察が捜査して、逮捕状を執行して初めてその人間を容疑者と認定して、メディアがバッシングします。しかし、推定無罪という原則があるので、これはメディアが先走りしすぎです。本来は有罪判決が確定してから犯罪者ないし「悪人」と認定するべきです。
しかし、人を攻撃するのは欲求不満の解消になります。相手が悪人なら世の中のためという名分も立つので、みんなが先走ります。
ネットでは法の裁きを待たずに、写真や動画などを“証拠”として、誰かを悪人に仕立てて攻撃するということが盛んに行われています。
こういうことに慣れてしまうと、法の支配なんていうものは面倒くさくなります。
正義のヒーローが活躍するハリウッド映画も、法の裁きを待たずに悪人をやっつけるものばかりです。

こうした風潮を利用してのし上がったのがトランプ大統領です。
利用しただけではなく、この風潮をあおりました。そのためアメリカでは法の支配は崩壊寸前です。


法の支配がたいせつなのは、倫理学が機能していないからですが、一般の人は倫理学が機能していないということをほとんど知りません。
アリストテレス、カント、ヒュームは代表的な倫理思想家ですが、その著作を読んだという人はめったにいません。ひじょうに難解だからですし、がんばって読んだところでほとんど役に立たないからです。
ただ、倫理学は権威があります。倫理学は哲学とほとんど一体なので、哲学の権威がそのまま倫理学の権威になっています。
そのため、誰も倫理学に向かって「王様は裸だ」とは言わないのです。


20世紀の初め、ジョージ・E・ムーアは『倫理学原理』という著作において「善は分割不能な単純概念だから定義できない」と主張しました。それに対して誰も善の定義を示すことができませんでした。
善の定義がないということは悪の定義もないということです。さらにいうと正義の定義もありません。
こうなると道徳とはなにかということも問題になります。
そうして倫理学者は、善悪とはなにか、正義とはなにか、道徳とはなにかという根本的な疑問に向き合わなければならなくなりました。
こうしたことを研究をする分野をメタ倫理学といいます。
いわば倫理学は「自分は何者か」ということに悩んでいる若者みたいなものです。当然、社会に役立つことはできません。

メタ倫理学が存在することによって、倫理学がまったく役に立たない学問であることが明らかになりました。
しかし、知識人はそのことを知ってか知らずか、倫理学について語ることはありません。
知識人にとって倫理学の実態を語ることは、“身内の恥”を語るようなものなのでしょうか。

倫理学について語らずに法の支配のたいせつさを説いても、まったく説得力がありません。
倫理学がだめな学問であることを説けば、おのずと法の支配のたいせつさもわかり、ある程度争いを避けることができます。




メタ倫理学は倫理学の中でももっとも難解な分野です。
その中でとてもわかりやすい文章でメタ倫理学を解説したサイトがあったので紹介しておきます。

「メタ倫理学」

しかし、これを読んでも、結局は「わからないことがわかった」ということになるでしょう。


私がこれほど倫理学批判をしたのは、正しい倫理学を知っているからです。
正しい倫理学については次を読んでください。

「『地動説的倫理学』のわかりやすいバージョン」


criminal-1577887_1280

9月10日、アメリカの右派活動家チャーリー・カーク氏がユタ州のユタバレー大学で演説中に銃撃されて死亡し、33時間後にタイラー・ロビンソン容疑者が逮捕されました。

トランプ大統領はまだ犯人の正体もわかっていない時点で、「長年にわたり、極左の人々はチャーリーのような素晴らしいアメリカ人を、ナチスや大量殺人犯、そして世界最悪の犯罪者と比較してきました。こうした言説は、今日我が国で見られるテロリズムの直接的な原因であり、今すぐ止めなければなりません」と語って、極左の言説がテロの原因だと決めつけました。

ユタ州のスペンサー・コックス知事(共和党)は、容疑者の逮捕について報告する記者会見で「33時間、私は祈っていました。もしここでこんなことが起きなければならないのだとしても、それ(容疑者)が私たちの仲間ではありませんように、と。他の州から来た誰か、他の国から来た誰かでありますように、と」と述べました。
こういう心理で犯罪と移民が結びつけられるのだということがよくわかります。


逮捕されたタイラー・ロビンソン容疑者は22歳の白人男性で、今のところ犯行動機については黙秘しています。
両親は共和党員として有権者登録をしていて、ロビンソン容疑者は過去に無党派として有権者登録をしていました。
ロビンソン容疑者は家族との会話でカーク氏について「彼は憎しみに満ち、憎しみを広めている」と非難したと報道されていますが、彼の政治的な傾向を示す報道はそれぐらいしかありません。
犯行に使われたライフル銃に残された銃弾に、反ファシストやLGBT擁護を意味する言葉が刻印されていたと報道されましたが、そのあとの報道では銃弾にはさまざまなネットスラングが刻印されていて、そこから容疑者の思想を読み取ることはできないようです。

それでもトランプ氏は12日のFOXニュースに出演した際、「左派の過激派こそが問題だ。凶暴で、恐ろしく、政治的に狡猾だ」と言い、ロビンソン容疑者を左派の過激派と決めつけました。
右派のカーク氏を銃撃した人間だから左派だろうというのはあくまで推測です。カーク氏の対話を重視するやり方は右派からも批判されていましたし、右派・左派ではない思想からの暗殺ということもありえますが、トランプ氏はとにかく左派への憎しみをあおり立てたいようです。

イーロン・マスク氏もXに「左派は殺人政党だ」と投稿しました。

殺されたカーク氏は銃規制に反対しており、「銃撃による死者がでてもそれは憲法修正第二条(国民が銃を持つ権利)を守るための尊い犠牲だ」と主張していたので、今回の銃撃について「自業自得だ」という声も多くありました。右派はそれを「暗殺を肯定している」として批判しました。
クリストファー・ランドー国務副長官は、カーク氏の暗殺を賛美する投稿をした外国人のビザを剥奪すると警告し、インターネットユーザーに対しそうした投稿の情報を共有するよう呼びかけました。

右派は左派を非難し、左派は右派を非難するという、分断を絵に描いたような状況になっていますが、コックス・ユタ州知事は「SNSはガンである」と言いました。さらに捜査当局からの情報として、ロビンソン容疑者の恋人がトランスジェンダーだったとも言いました。
ロビンソン容疑者の恋人がトランスジェンダーだったという情報が伝わると極右活動家がいっせいに非難の声を上げて、保守系インフルエンサーのローラ・ルーマー氏は「トランス運動をテロリスト運動として指定するよう」呼びかけました。

要するになにが起こっているかというと、みんなして左派のせいにし、右派のせいにし、SNSのせいにし、トランスジェンダーのせいにするということをしているのです。
なぜそんなことをしているかというと、問題の本質から目をそむけるためです。
問題の本質というのは、ロビンソン容疑者がどうしてテロリストになったのかということです。
これがわからなければ次のテロを防ぐこともできません。


ロビンソン容疑者はどんな人間だったのでしょうか。
父親はキッチンカウンターやキャビネットの設置事業を営んでいて、母親は免許を持つソーシャルワーカーで、ロビンソン容疑者は3人兄弟の長男です。ロビンソン一家はモルモン教徒で、教会での活動に熱心に参加していたということです。
SNSにはロビンソン容疑者が家族とともにグランドキャニオンを旅行したり、釣りなどのアウトドア活動をしたりしている写真が投稿されており、父親とともにライフル銃を持った写真もありました。父親といっしょに鹿狩りや射撃練習もしていたということです。
母親はフェイスブックに、ACTという大学入学試験でロビンソン容疑者が36点満点中34点を取ったという写真を掲載していました。これは受験者上位1%に当たる点数だということです。その後、ロビンソン容疑者がユタ州立大学奨学金合格通知書を朗読する動画も掲載されていました。ロビンソン容疑者は母親にとって自慢の息子だったようです。
家族仲がよく、みんな敬虔なキリスト教徒であるという、保守派が理想とするような家庭です。


ちなみに昨年7月に演説中のトランプ氏が銃撃され耳を負傷する事件があり、犯人であるトーマス・マシュー・クルックスという20歳の白人男性はその場で射殺されました。
このときの建物の屋上から演説中の人物を狙撃するという手口がロビンソン容疑者の手口とまったく同じです。ロビンソン容疑者もほんとうはトランプ大統領を狙いたかったのかもしれません。しかし、大統領は警備がきびしいためにチャーリー・カーク氏を狙ったということが考えられます。
トーマス・マシュー・クルックスは平凡な家庭の生まれで、両親はリバタリアン党の支持者、彼自身は共和党員として有権者登録をしていました。クラスメートからは「思想的には右寄り」と評されていました。
その場で射殺されたので動機はわかりませんが、ごく平凡な家庭で育った20歳の若者がテロリストになったということで、ロビンソン容疑者と似ています。


平凡な家庭で育った若者が凶悪な犯罪者になるのはなぜでしょうか。
実は平凡な家庭というのは見かけだけで、その内部では子どもへの虐待が行われていたと考えられます。
そうでなければ凶悪な犯罪者にはなりません。

子どもを虐待する親は、当然そのことを隠します。家の中で激しい物音がするとかいつも子どもの泣き声がするとかで警察沙汰にならない限り、虐待は発覚しません。心理的虐待だけならなおさらです。
幼児虐待がニュースになるのは子どもが死ぬか大ケガをした場合だけです。それらはもちろん氷山の一角なので、虐待が行われている家庭は広範囲に存在します。
ちなみに日本で幼児虐待で子どもが死亡する件数は年間100人以下ですが、アメリカでは年間1500人前後です。


ロビンソン家については、母親がロビンソン容疑者の成績のよさを自慢していたことがわかっています。
しかし、ロビンソン容疑者は奨学金付きで入学したユタ州立大学に在籍したのは1学期だけでした。その後、ディキシー工科カレッジで電気技師の課程を受講していて、現在は3年生です。ディキシー工科カレッジというのは職業訓練校みたいなもののようです。
ロビンソン容疑者は母親の決めたレールの上を歩まされていて、それに反発してユタ州立大学を1学期で中退したのではないかと想像されます。つまり“教育虐待”が疑われます。
もちろんこれだけでは虐待があったとは決めつけられませんが、メディアがちゃんと取材すればわかるはずです。

日本では、凶悪事件の犯人の生い立ちについては、ひと昔前はまったく報道されませんでしたが、最近は週刊誌がよく報道するようになりました。その結果、みな悲惨な生い立ちであったことが明らかになっています。
日本では、そういう悲惨な生い立ちの者が犯罪に走る場合、通り魔事件を起こすことがよくありますが、アメリカでは銃乱射事件ということになるでしょう。
ときどきターゲットが政治家になることがあって、それは政治的暗殺、テロということになります。
子どもにとって親は権力者ですから、親への憎悪が政治家に投影されるのはありがちなことです。


ロビンソン容疑者はなにかの組織には属していないようです。こういう個人のテロリストをローンオフェンダーといいます。トランプ氏を狙撃したトーマス・マシュー・クルックスも同じです。
過激派組織を抑え込んだところで、ローンオフェンダーの発生を防ぐことはできません。
したがって、今アメリカがするべきことは、右派と左派がやり合うことではなく、ロビンソン容疑者がどうしてテロリストになったかを解明することです。
そうすると、おのずと家族のあり方にメスを入れることにもなります。

アメリカで犯罪、薬物依存、アルコール依存が深刻なのは、家族関係がゆがんでいるからです。
ところが、多くの人はこの問題から目をそらしています。そのために今回のテロ事件についても右派や左派やSNSやトランスジェンダーのせいにしているのです。

家族関係から目をそらしているのは、左派よりも右派のほうが顕著でしょう。右派は「家族の絆」を重視するので、「家族の絆」が崩壊している現実を認めたくないのです。


トランプ氏は州兵派遣によってワシントンD.C.の犯罪はゼロに等しくなったと主張し、市当局は「『家庭内の出来事』のような些細な事件まで犯罪統計に含め、数字を膨らませている」「夫が妻と軽く口論すると、その場所が犯罪現場になったと言われる」と犯罪統計のあり方を非難しました。
トランプ氏は明らかに家庭内暴力を軽視しています。

アメリカではまた、「マムズ・フォー・リバティ(自由を求める母親)」という名の保守派の団体が草の根で活動を広げ、学校図書館でLGBTやセクシュアリティや人種問題を扱った本を禁書にしようとしています。この団体は「母親の権利」を主張し、子どもの権利を無視するものです。
フロリダ州の保守派のデサンティス知事は、「子どもは子どもらしく」という標語を掲げ、「教育における親の権利法」という州法を成立させました。この州法は、学校でなにを教えるかは学校が決めるのではなく親の権利だとするものです。
このように親の権利を拡大し、子どもの権利を制限するのが保守派の思想です。
単純にいえば、子どもはきびしくしつけるべきだという思想です。
この思想のもとでは幼児虐待が深刻化するのは当然です。

テロを生むのは過激な左翼思想ではなく、どこにでもある保守的な家庭です。

usa-5018531_1280

「財務省解体デモ」というのが一時話題になりました。
昨年末から始まり、2月か3月ごろにピークとなり、財務省前に千人とか二千人とかが集まりました。とくに司令塔もないようですが、全国12か所ぐらいで同時に行われたこともあり、そのエネルギーはかなりのものでした。
中には陰謀論めいた主張もありましたが、「増税反対」「社会保険料を下げろ」「消費税廃止」といった主張が主で、生活苦を訴えるデモといえます。
主にYouTubeなどのネットで主張が拡散されましたが、ネット民はデモなどの行動を冷笑する傾向があるので、異例のことでした。

しかし、マスコミは財務省解体デモのことをほとんど報じませんでした。そのため、デモ参加者やデモ支持者はオールドメディアはけしからんと憤慨していました。
もっとも、マスコミが報じないのもわかります。「財務省解体」という主張がバカバカしいからです。

財務省は必要な仕事をしているのですから、解体するわけにいきません。
財務省が間違っているにしても、財務省を動かしているのは最終的に政治家である財務大臣ですから、政府や与党に対して主張するべきです。
財務省の賢いエリートが愚かな政治家をあやつっていると考えているのかもしれませんが、そうだとしても、あやつられる政治家をなんとかするしかありません。
財務省解体デモは、マスコミに無視されているうちに消滅してしまいました。


生活苦の原因は財務省ではありません。富裕層にマネーが偏在する格差社会が原因です。
ですから、「富裕層解体」をスローガンに、富裕層から低所得層に富を再配分する政策を要求するデモをすれば、もっと広く社会に訴えられたでしょう。
しかし、富裕層を敵視すれば、自民党、財界、官界、エリート層など体制全体と戦うことになります。
ネットでデモを冷笑していたような人にとっては、戦う相手が強すぎます。
そこで、もっとも弱そうな財務省を相手にすることにしたのでしょう。財務省なら表立って反論してくることもありません。
こういう闘争心の欠けたことでは世の中から無視されて当然です。


「富裕層解体」という言葉こそ使われませんでしたが、そのような主張のデモが行われたことがありました。
リーマン・ショック後の不況の中、2011年9月から「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に行われたデモと座り込みです。数千人の規模に拡大し、アメリカの各都市にも広がりました。
「私たちは99%だ」というスローガンも叫ばれました。アメリカでは1%の富裕層が所有する資産が増え続けていることに対する抗議の意味で、明確に格差社会反対を掲げる運動でした。
特定のリーダーがいなくて、インターネットの呼びかけで運動が拡大したのは財務省解体デモに似ています。
ただ、「財務省解体」のスローガンはまったく共感されませんでしたが、「ウォール街を占拠せよ」や「私たちは99%だ」というスローガンによる格差社会反対のメッセージはある程度世界に広がったと思われます。

2013年に出版されたトマ・ピケティ著『21世紀の資本』によって、大規模な戦争か革命がない限り経済格差は拡大し続けるということが明らかになり、格差社会反対の声はさらに強まるかと思われました。
しかし、実際にはアメリカでも欧州でも格差社会のことは問題にならず、移民の問題に焦点が当たりました。
しかも、移民の問題というのはほとんど捏造されたものです。
アメリカでは移民や不法移民の犯罪が多いという統計はないにも関わらず移民が治安を悪くしているという認識が広がりました。欧州にしても、もともと移民の問題はあったのに、急に政治の争点になりました。
社会を支配する富裕層が格差社会への不満をそらすために“移民問題”をつくりだしたのではないかと疑われます。


日本では、数年前から外国人犯罪が増えているというデマが主にSNSで流されました。
私の印象ではXでとくに目立ったと思います。「外国人による犯罪」とする写真や動画が多数投稿されましたが、中にはそれが犯罪であるかどうか、あるいは外国人であるかどうか疑われるものもありました。
しかも、外国人犯罪の総数と日本全体の犯罪総数との比較という肝心の情報がありません。
実際のところは、日本では外国人犯罪はへり続けていました。
それなのに「外国人犯罪が増えている」「外国人のせいで治安が悪化している」というイメージがつくられました。
Xはもともとヘイトスピーチが多いところでしたが、イーロン・マスク氏に買収されてからとくにひどくなった感じがします。
「外国人と共生するべきだ」というよりも「不法外国人は出ていけ」といったほうがインプレッションが稼げるので、どうしてもヘイトビジネスが蔓延することになります。

産経新聞は川口市にクルド人が多いことに目をつけて、クルド人の犯罪が多発しているという「川口市クルド人問題」をつくりだしましたが、特定の民族や人種に犯罪が多いということはあるわけがないので、最初からデマであることが明らかでした。

“外国人犯罪”に加えて“外国人優遇”というデマがSNS上に蔓延したところに、参政党の「日本人ファースト」という主張がぴたりとはまって、参院選で参政党が躍進しました。


ともかく、欧米と日本では「格差問題から移民問題へ」という政治の争点のシフトが起きました。
なにかの大きな力が働いているのではないかという陰謀論にくみしたいところですが、もちろん証拠はありません。
ひとつ確実にいえるのは、強力な富裕層と戦うよりも弱い移民をいじめるという安易な道を選ぶ人が多いということです。

そうした中で起きた財務省解体デモは格差問題に焦点を当てました。
しかし、やはり富裕層と戦う気概はなくて、弱い財務省を標的にしたので、共感は広がりませんでした。

なお、参院選においてれいわ新選組は、消費税廃止を掲げる一方で、累進課税の強化も主張しましたから、富裕層と戦う姿勢を示したといえます(共産党も累進課税の強化を主張しています)。
しかし、れいわ新選組はあまり伸びませんでした。


格差問題を解決しない限り一般国民は幸せになりません。
アメリカでは1979年から2007年の間に、収入上位1%の人の収入は275%増加したのに対し、60%を占める中間所得層の収入は40%の増加、下位20%の最低所得層では18%の増加にとどまっています。ということは格差はどんどん広がっているということです。
ラストベルトの貧しい白人労働者はトランプ氏に望みを託しましたが、トランプ氏は「大きな美しい法案」を成立させて、福祉を削減し、富裕層のための減税をしました。労働者のための製造業復活はいつ実現するのかわかりません。

日本でも、野村総合研究所の調査によると富裕層と超富裕層の総資産額は、2005年の213兆円から2023年の469兆円へと増加しています。
かりに日本で“外国人優遇”が行われているとしても、それをやめたところで日本人が潤うのは微々たるものです。
富裕層の所有する富を分配すれば一般国民は大いに潤います。
これまで富裕層に食い物にされてきた一般国民は、所得税の累進課税強化、金融所得課税強化、相続税増税などを訴えて「富裕層解体デモ」をするべきでしょう。

24009800_m

発足してまだ半年のトランプ政権が世界を引っ搔き回しています。
もちろん日本も翻弄されているので、どう対応するかが問題です。
ところが、参院選の争点に対米外交をどうするかということは入っていません。
対米外交だけでなく外交安保が選挙戦でまったく議論になっていません。
争点になっているのは、給付か減税か、外国人政策をどうするかといった内政ばかりです。

日本政府は「日米同盟は日本外交の基軸」という基本方針を掲げてきました。これは「対米従属」とか「対米依存」とか批判されながらも、国民多数の支持を得ています。
しかし、この基本方針はアメリカがまともな国であってこそ成り立つものです。
トランプ氏は同盟国を同盟国と思わず、むしろ同盟国によりきびしい要求を突きつけてきますし、方針がころころ変わります。

アメリカが「アメリカファースト」を主張するなら、日本は「ジャパンファースト」を掲げて対抗するのが本来ですが、日本とアメリカでは国力が違いすぎるので、現実には不可能です。
第一次トランプ政権のときは、安倍首相はトランプ氏の懐に飛び込む作戦に出て、日米同盟基軸路線を維持することに成功しました。
それが可能だったのは、トランプ氏が政権運営に慣れていなくて、とくに外交安保については既定路線を踏襲していたからです。
しかし、第二次政権のトランプ氏は国務省も国防省も牛耳っているので、石破首相が安倍首相みたいな恭順の姿勢を示したら、トランプ氏はどんな無茶な要求をしてくるかわかりません。

今の日本は、日米同盟基軸路線を維持するのはどう考えても無理になり、かといって「ジャパンファースト」でアメリカと対抗することもできず、政府も国民も思考停止に陥っている状況です。
そのため外交安保が参院選の争点にならないのです。

参政党は「日本人ファースト」を掲げました。
「日本ファースト」を掲げるとトランプ政権と衝突することになるので、そこから逃げたのです。
「日本人ファースト」は日本人と外国人を分断し、外国人を差別するものだと批判されていますが、国際社会で戦う姿勢のないことも批判されるべきです。


日本中がトランプ政権の前で思考停止に陥っている中で、石破首相だけは違います。
トランプ氏は各国との関税交渉において、日本を甘く見ていたでしょう。安倍首相とのつきあいから、そう思って当然です。アメリカに有利な合意をまず日本と結んで、それを前例にして各国と有利な合意を結んでいくというのがトランプ氏の腹づもりだったでしょう。
ところが、石破政権は何度もアメリカと交渉しながら、いまだに合意に至っていません。
日本だけではなくほとんどの国とトランプ政権は合意できていません。
トランプ氏は関税政策が失敗に終わりそうで、面目丸つぶれです。


今のところアメリカと合意したのはイギリス、中国、ベトナムの三か国です。
イギリスとの合意はあまり価値がないとされます。

トランプ関税の最大の標的は中国でした。アメリカは対中関税を145%まで上げると主張し、中国は報復関税を125%にすると主張して、ぶつかり合いました。
で、合意の内容はというと、単純にいうと、アメリカは対中関税30%、中国は対米関税10%にするというものでした。
どう考えても、中国の強硬姿勢に対してトランプ氏が腰砕けになった格好です。

ベトナムとの合意は妙なことになっています。
トランプ氏は7月2日、SNSへの投稿で「ベトナムからのすべての輸入品に20%の関税をかけ、アメリカからベトナムへの輸出品は関税0%」という内容で合意したと発表しました。
ベトナム政府も同日にアメリカと貿易協定を締結することで合意したと発表しましたが、その中身についての発表はありませんでした。
そして、ブルームバーグの7月11日の報道によると、「トランプ米大統領がベトナムからの輸入品に対して20%の関税で合意したと先週発表したことは、ベトナムの指導部にとって寝耳に水だった」ということです。ベトナム指導部としては関税率10-15%を目指して引き続き交渉していく方針だそうです。
どうやらトランプ氏がまだ決定していないことを発表してしまったようです。

このことから、トランプ氏がよほど“成果”を国民に示したくてあせっているということがわかります。
それから、最終決定権はトランプ氏にあるのでしょうが、トランプ氏と交渉担当者との意思疎通がうまくいっていないということもわかります。

赤沢大臣はベッセント財務長官やラトニック商務長官らと交渉していますが、もしかしてこうした交渉相手が“子どもの使い”状態なので交渉が進展しないのかもしれません。各国が合意しないのも同じ理由からかもしれません。


日本がアメリカと合意しないのは、単に交渉の技術的な問題なのか、それとも石破政権の方針によるものなのか、はっきりしませんでしたが、石破首相は9日の街頭演説で関税交渉について「国益をかけた戦いだ。なめられてたまるか。たとえ同盟国であっても正々堂々言わなければならない。守るべきものは守る」と語りました。
「なめられてたまるか」は強い言葉なので、波紋が広がっています。

石破首相は前から日米地位協定を改定するべきだというのが持論です。首相就任後はその持論を封じていますが、日米は対等であるべきだという思いは基本的にあるのでしょう。
石破首相は発言の翌日、BSフジの番組で「なめられてたまるか」の真意を「米国依存からもっと自立するように努力しなければならないということ」と説明しました。
この説明に反対する人はいないでしょう。しかし、「依存」から「自立」へと急に切り替えることはできません。
そのため多くの人は、石破首相が「なめられてたまるか」とアメリカと対等の口利きをしたことに戸惑っています。

立憲民主党の小沢一郎衆院議員は首相発言についてXで「トランプ大統領に直接言うべき。選挙向けの内弁慶のくだらないパフォーマンスはやめるべき」と批判しました。
野党議員が批判するのは当然ですが、自民党の佐藤正久参院議員もXで「この発言、確実にトランプ大統領に伝わる。より交渉のハードルを上げてしまった感。選挙でいう話ではない」と批判しました。

「なめられてたまるか」が英語に翻訳されたときにどうなるかを心配する声もありました。当然トランプ氏の耳に入ることを考えてです。
ストレートに訳せば「Don’t fuck wiht me」になるという意見もありましたが、さすがにそんな翻訳をするメディアはないでしょう。

関税交渉は石破首相の言うように「国益をかけた戦い」ですから、右翼や保守派は石破首相を応援していいはずですが、そうはなっていません。
高須克弥院長はXで、中国軍機が空自機に2日連続で30メートルまで接近したことを報じた記事を引用し、「石破首相に嘆願申し上げます。中国大使を呼び出して『なめるな!』と恫喝してくだされ。なう」と投稿しました。
タレントのフィフィさんも同様に「中国には、舐められてたまるか!とは言わない石破総理」と投稿しました。

FNNプライムオンラインで金子恵美氏は「なめられてしまうような状況をつくっているのはご自身なのではないでしょうか」とコメントしました。

私がざっと見た範囲では、なんらかの形で石破首相を批判するものばかりでした。「国益のためにトランプ氏との交渉をがんばれ」というような応援の声はありませんでした。
もともと反政府、反自民、反石破の人がかなりいるとしても、関税交渉という重要な役割を担っている石破首相を応援する声がないのは不思議なことです。
これは要するに、日本人のほとんどが対米依存のままだからでしょう。


鳩山由紀夫首相はオバマ大統領と会談したとき、普天間飛行場移設問題に関して「trust me」と発言したのが失礼だとして大バッシングを受けました。
「trust me」が失礼な表現であるはずがありませんが、対等な口利きではあるでしょう。当時の日本人には、日本の首相がアメリカの大統領に対等な口利きをしたことが非礼と感じられたのです(今回検索してみると、鳩山首相は普天間問題について「trust me」と言い、オバマ大統領は「あなたを完全に信じる」と返しました。しかし、事態がうまくいかない中で鳩山首相が再び「trust me」と言ったために、オバマ大統領は「責任が取れるのか」と不快感を表明したということだったようです)。


日本人にとっては今でも日本の首相がアメリカ大統領に対等の口を利くというのは考えられないことのようです。
では、石破首相はなぜ対等の口を利くことができたのでしょうか(本人の前では言っていませんが)。

アメリカのような大国の横暴に対しては各国が連携して対応するのが正しいやり方です。
今回は表立って連携する動きはありませんが、水面下でやっているのかもしれません。
各国が一致してアメリカとの合意を拒否し、結果的にトランプ包囲網を形成する格好になっています。
ベトナムだけは合意しましたが、ベトナムは共産党政権なので“西側”と情報共有ができなかったのかもしれません。

4月にトランプ関税が発表されると、アメリカ市場は株式・国債・ドルのトリプル安に見舞われたため、関税の実施は90日後に延期されました。
7月9日がその期限でしたが、アメリカと合意する国がないまま期限は8月1日まで再延期されました。
しかし、いまだにアメリカと合意する国はありません。
EU、カナダ、メキシコはトランプ関税が発動されたら報復関税を実施すると言明しています。
日本は報復関税は口にしません。そのためトランプ氏からなめられているのか、日本は自動車を買わない、コメを買わないと圧力をかけられています。
こうした状況で石破首相は「なめられてたまるか」と言ったわけです。

もし今、日本がアメリカに有利な合意をしたら、日本は世界中から白い目で見られ、軽蔑されます。
否応なく石破首相(と赤沢大臣)はタフ・ネゴシエーターにならざるをえないわけです。
日本国民はトランプ氏に向かって「日本をなめるな」と声を上げるべきです(そういえば参政党の去年の衆院選のスローガンが「日本をなめるな」でした)。


ai-generated-8671472_1280

学術会議法案が国会で採択されようとしていますが、学者は反対運動をしても、一般の人を巻き込むまでにはなっていません。
アカデミズムや科学、学問に対する一般人の価値観が変わってきているのです。
こうした傾向は日本よりもアメリカで顕著に見られます。

第二次トランプ政権は、発足当初から科学予算の大幅削減に着手しました。
NASAの科学予算は約半分に削減される予定です。米国立衛生研究所(NIH)の助成金も削減され、この影響でとくに医学や気候変動分野の研究が打撃を受けています。
これに対し世界の科学者約2000人が「科学界は壊滅的な打撃を受けている」と警告する書簡を公開しました。
「Nature」誌が3月に実施したアンケートによると、アメリカの科学者の約75%がアメリカを離れることを検討しているということです。

トランプ政権はハーバード大学やコロンビア大学を攻撃しているので、リベラルな大学を攻撃しているように見えますが、最初から大学、科学、学術を攻撃しているのです。
トランプ政権は反科学です。
保健福祉長官に就任したロバート・ケネディ・ジュニア氏は有名な反ワクチン活動家で、さまざまな陰謀論を述べてきました。保健福祉長官はアメリカ食品医薬品局(FDA)、アメリカ国立衛生研究所(NIH)、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)を監督する立場です。

なぜトランプ政権が反科学なのかというと、聖書の記述を絶対視するキリスト教福音派に寄せたのかなと思います。
キリスト教はもともと反科学的なところがあります。
ガリレオ・ガリレイの時代に戻っていきそうな感じです。

しかし、キリスト教との関係だけでは説明しきれないものがあります。
世の中全体に反科学ないしは反アカデミズムの気分が広がっています。
トランプ政権がハーバード大学を攻撃しても、それをいい気味だと思っている人たちがかなりいるようです。


この傾向は日本でも同じです。
この背景にはもちろんインターネットの普及があります。
オールドメディア対ニューメディアということが言われましたが、それにならっていうとオールドアカデミズム対ニューアカデミズムという状況が生まれているのです(かつて浅田彰氏が登場したころニューアカデミズム=ニューアカという言葉がありましたが、それとは別の言葉です)。

新聞、雑誌、テレビがオールドメディアで、SNSを中心としたインターネットがニューメディアです。
新聞には右から左までさまざまな論調がありますし、インターネットにも多様な意見があるので、メディアによる意見の偏りはほとんどないはずです(ニューメディアには新聞、テレビのようなチェック機能がないので、陰謀論がはびこりやすいという傾向はあります)。
ただ、新聞、雑誌、テレビには権威があり、既得権益もありそうですから、ニューメディアに拠る人々は“マスゴミ”という言葉を使ったりしてなにかとオールドメディアを攻撃します。

オールドメディア対ニューメディアの対立が極端に表れたのが斉藤元彦兵庫県知事をめぐる問題です。
オールドメディアは圧倒的に斎藤知事を批判しましたが、ニューメディアにおいて急速に斎藤知事支持の論調が高まり、オールドメディアに拠る人たちとニューメディアに拠る人たちの対決という形になりました。
なぜメディアによって論調が変わるかというと、やはりニューメディアには陰謀論が多いということがありました。それに、ニューメディアの人はオールドメディアを批判するのに、オールドメディアはニューメディアをほとんど批判しないということがあります。たとえばオールドメディアが「告発者のプライバシーを言うべきではない」とか「告発者のプライバシーに問題があっても、告発内容とは関係ない」といったことを主張していれば、かなり変わっていたでしょう。


科学に関することでも、オールドメディアとニューメディアで論調が違いました。
地球温暖化問題では、化石燃料を今まで通りに燃やしたいというのが一般の人の素朴な思いですから、どうしても温暖化を否定する説を信じたくなり、陰謀論も信じてしまいます。その代表的なものが、「気温の低下を隠す策略(trick)を終えたところだ」という気象研究者のメールが流出したことです(このメールは切り取られたために意味が違うとされています)。
新型コロナのワクチンが問題になったときも、できたばかりのワクチンの注射なんか打ちたくないというのが人々の素朴な思いですから、陰謀論でもいいので反ワクチンの説を信じてしまいます。

そうしてネットの中に、アカデミズムの大勢とは別の説がはびこります。この説はもっともらしい科学の体裁を整えているので、反科学ではなく疑似科学かニセ科学というべきものです。
ですから、オールドアカデミズム対ニューアカデミズムと表現することにしました。

科学界隈のことでは、「政府はUFOの存在を隠している」とか「古代史には宇宙人の痕跡がある」とか「異星からきたヒト型爬虫類が人類を支配している」といったものから「〇〇は健康にいい」とか「〇〇で運気を上げる」といったものまで、さまざまあります。バカバカしいような説でも、ネットでは同じ考えの人が集まって、エコーチェンバー効果でどんどん確信を強めていきます。


ニューアカデミズムを信じる人は、オールドアカデミズムは既得権益のために古い説にしがみつく科学者に支配されていると見なすので、科学者へのリスペクトもありませんし、アカデミズムの権威も認めません。
そういう気分は一般社会にも広がっているので、たとえば学術会議法案に反対する人が「学問の自由」を守れと主張しても、学者が特権を守ろうとしていると受け止められてしまいます。
これはマスコミが「報道の自由」を主張すると、自分たちの特権を守ろうとしていると思われるのと同じです。
ですから、「学問の自由」がなぜたいせつなのかから説明しないといけません。


日本学術会議法案とはどういうものでしょうか。
『【学者が猛反対】菅政権の任命拒否から5年、今度は法人化ゴリ押し、国が「日本学術会議」を狙い撃ちする理由を探る』が詳しく説明しています。

なにがいちばんの問題かというと、学術会議の独立性が損なわれて、政府の管理下に置かれてしまうのではないかということです。
ひじょうに複雑な仕組みになっていて、要約するのがむずかしいので、直接引用します。
2026年10月の新法人発足時とその3年後の会員選定では、特別に設置された選考委員会が候補者を選ぶ。この委員会のメンバーは、会長が首相の指定する学識経験者と協議して決めなければならない。
 その後は会員で構成された委員会が候補者を選ぶが、その際、会員以外で構成される「選定助言委員会」に意見を聞くことが半ば義務付けられている。
活動に関しても外部から目を光らせる仕組みができる。いずれも会員以外で構成される「運営助言委員会」、「監事」、「評価委員会」が新たに設置されるのだ。監事と評価委員会のメンバーは首相が任命する。

坂井学・内閣府特命担当大臣は5月9日の衆議院内閣委員会で「特定のイデオロギーや党派的主張を繰り返す会員は今度の法案で解任できる」と答弁しました。法案の本質を表現しています。

この法案に反対してもらうには、学術会議の独立性のたいせつさを理解してもらうことから始めねばなりません。

今の日本は民主主義ですが、国政選挙は数年に一度しかなく、民意を政治に反映させるには不十分です。
政府は膨大な情報を管理しているので、意図的な操作が可能です。国民に真実が知らされないのでは、選挙も意味がなく、容易に独裁国になってしまいます。
そこで重要になるのはジャーナリズムによる調査報道です。その意味で「報道の自由」は絶対に必要です。
同様に必要なのが「学問の自由」です。学問や科学は政府に不都合なことを示すことがあります。政府が学問を支配しようとするのは独裁化の兆候です。
そもそも菅内閣が新会員として任命を拒否した6人も、政府批判の意見を述べたことのある人たちです。

したがって、学術会議を政府の管理下に置くのはあってはならないことですが、世の中には政府から金をもらっているのだから、政府が口出しするのは当然だという意見もあります。
たとえば橋下徹氏は5月11日、フジテレビ系「日曜報道THE PRIME」において「公金が入るなら公のチェックが入るのは当たり前じゃないですか」「そもそも、お金をもらって、後は全部自由にさせてくれというのは、仕送りをもらっているろくでもない学生と同じですよ」などと言って、法案に反対する学者を非難しました。
公金が不正に使われていないかをチェックするのは当たり前ですが、使いみちにまで口を出すのは政府の役割ではありません。子どもに仕送りして、金の使いみちにまで口を出す親がろくな親ではないのと同じです。


インターネットの普及によって、学者もアカデミズムの権威の上にあぐらをかいていられなくなりました。
さまざまな陰謀論や橋下氏のような愚論とも戦っていかねばなりません。

usa-155594_1280

ハーバード大学と喧嘩するトランプ大統領は、「ハーバードから30億ドル(約4300億円)の助成金を取り上げ、全米の職業訓練校に与えることを検討している」とソーシャルメディアに投稿しました。
進歩的なハーバード大学から保守的な大学に振り向けるならともかく、職業訓練校に振り向けるのでは、アメリカの科学や学問の破壊です。
しかし、こうしたやり方を喜ぶトランプ支持者がたくさんいます。
ラストベルトに多くいるといわれる、「自分たちは見捨てられた」という意識を持っている白人労働者です。


トランプ政権は外国製品に高い関税をかけることで国内に製造業を復活させようとしています。
製造業の衰退したラストベルトに住む白人労働者のためとされます。
しかし、アメリカで製造業は復活するでしょうか。

J.D.バンス副大統領はラストベルトとされるオハイオ州の出身で、貧しい白人労働者の家庭に生まれました。親の離婚、何人もの継父、DV、麻薬、犯罪などの悲惨な家庭環境や地域環境の中で育ちましたが、そこから海兵隊、オハイオ州立大学、イェール大学のロースクールを出て弁護士になり、31歳のときに『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』を出版するとベストセラーになって注目され、上院議員になり、副大統領になりました。まさに「丸太小屋からホワイトハウス」を地でいったわけです。

『ヒルビリー・エレジー』にはラストベルトの白人労働者の実態がよく描かれていると思いました。そこからひとつのエピソードを紹介します。

バンス氏は大学を卒業してロースクールに進む前の夏、引っ越し費用などを稼ぐために地元の床タイルの会社で働きました。倉庫係として、重い床タイルの箱をパレットに載せ、出荷の準備をする仕事です。時給13ドルは魅力的で、しかも定期昇給があり、ここで何年か働き続ければ一家族が生活を維持できる収入が得られます。
ところが、その会社は長期で働いてくれる人材を確保できないでいました。バンス氏が辞めるときには倉庫係はみな26歳のバンス氏よりも年下でした。
19歳のボブという作業員には妊娠中のガールフレンドがいました。上司は親切にもそのガールフレンドを事務員として迎え入れ、電話の対応を任せました。ところが、ガールフレンドは3日に一度の割合で無断欠勤をし、「休むときは事前に連絡するように」と繰り返し注意をされ、数か月で辞めました。
ボブも欠勤の常習者で、1週間に一度は姿を見せません。しかも遅刻ばかり。1日に3回も4回もトイレにこもり、一度こもると30分は戻りません。結局、ボブも解雇されることになり、それを知ったボブは上司に「クビだって? お腹の大きいガールフレンドがいると知っているのに?」と詰め寄りました。
バンス氏が働いていた短い期間に、そのほかに少なくとも2人が辞めるか辞めさせられました。

バンス氏は次のように書いています。
タイル会社の倉庫で私が目にした問題は、マクロ経済の動向や国家の政策の問題よりもはるかに根が深い。あまりにも多くの若者が重労働から逃れようとしている。よい仕事であっても、長続きしない。支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、働くべき理由がある若者であっても、条件のよい健康保険付きの仕事を簡単に捨ててしまう。
さらに問題なのは、そんな状況に自分を追い込みながらも、周囲の人がなんとかしてくれるべきだと考えている点だ。つまり、自分の人生なのに、自分ではどうにもならないと考え、なんでも他人のせいにしようとする。

バンス氏はまた別のエピソードも書いています。
バーで会った古い知り合いから、早起きするのがつらいから最近仕事を辞めたという話を聞かされます。その後、彼がフェイスブックにオバマ・エコノミーへの不満と、それの自分の人生への影響について投稿しているのを目にします。
バンス氏は、彼がよい人生を歩んでいないのはオバマ・エコノミーのせいでないのは明らかだとし、「白人の労働者階層には、自分たちの問題を政府や社会のせいにする傾向が強く、しかもそれは日増しに強まっている」と書きます。

このふたつのエピソードから、白人労働者に「地道に働く」という気風が失われていることが感じられます。
製造業の仕事はたいてい、つまらない作業を、ミスなく、一定以上の水準で続けなければならず、根気や忍耐心が必要です。

人口学者のエマニュエル・トッドは著書『西洋の敗北』において、ウクライナ戦争がロシア有利に展開しているのは製造業の問題だと指摘しています。つまりアメリカでは人材が金融とITにシフトしたため、エンジニアリングを専攻する学生の比率はアメリカ7.2%、日本18.5%、ロシア23.4%、ドイツ24.2%となっています。そのためアメリカはウクライナに砲弾などを十分に供給できないのだというわけです。
アメリカは製造業を復活させようにも、技術者不足という問題に直面します。

技術者だけでなく、バンス氏が指摘するように労働者にも問題があります。
中国が「世界の工場」といわれるようになったのは、幅広い分野で一定以上の水準の製品を安価で製造してきたからです。そこには勤勉な中国人労働者の存在があります。ここには国民性や民族性があるので、まねできる国はそんなにありません。
今やアメリカ人労働者も中国人労働者のようには働けないでしょう。
それに、アメリカの給与水準は中国やメキシコよりもはるかに高いので、アメリカ人労働者のつくった製品は当然高価になり、それを買わされるアメリカの消費者はたいへんです。
どう考えてもアメリカ国内に製造業を復活させるのは困難です。


先ほどのふたつのエピソードからは、責任転嫁あるいは他責の思考法も見えます。
責任転嫁するので向上心がなく、働き方も怠惰になるのでしょう。

責任転嫁の発想は、アメリカ人には昔からありますが、トランプ政権になってからとくにひどくなりました。
第一次政権のときにトランプ氏は新型コロナウイルスを“チャイナウイルス”と呼んで、中国に巨額な損害賠償を請求すると息巻きました。
アメリカ国内に麻薬が蔓延するのはメキシコやコロンビアなどの麻薬犯罪組織のせいだとずっと主張してきましたが、最近は中国がフェンタニルの原料をメキシコやカナダに輸出しているせいだと主張しています。
アメリカ国内の犯罪もみんな不法移民のせいにしています。
貿易赤字も、昔から日本などのせいにしてきましたが、今は全世界のせいにしています。


人間はどういう場合に責任転嫁するかというと、解決困難な問題に直面して、努力して問題を解決するのを諦めたときです。問題を誰か他人のせいにして、その他人を非難することで解決に向けて努力しているふりをするわけです。

アメリカは麻薬性鎮痛薬のオピオイドが蔓延し、そのために年間10万人ほどが死亡しています。麻薬中毒患者は高値でも麻薬を買おうとするので、供給を絶とうとしてもうまくいきません。麻薬患者を出さないようにするしかありませんが、それが困難なので、麻薬犯罪組織や外国のせいにしているわけです。
犯罪も同じことです。犯罪者を出さないようにするのが困難なので、不法移民のせいにしています。


それに加えて、もうひとつ責任転嫁していることがあります。

ラストベルトの白人労働者は、それほど恵まれていないわけではありません。
白人世帯の資産は黒人世帯の資産の8倍あるとされますし、黒人世帯の所得は白人世帯の所得の約60%だとされます。
大統領選の前にテレビのニュース番組がよくラストベルトの白人を取材していました。そこに登場するトランプ支持の白人は、みな庭つきの小さくない家に住んでいて、失業者もいません。このところアメリカ経済は好調で、完全雇用に近い状態が続いています。
少なくとも黒人やヒスパニックよりも断然恵まれています。
しかし、白人労働者はもっと給料のいい仕事がほしいのです。

アメリカは貧富の差が激しいので、上には上がいます。東海岸や西海岸に住み、金融、IT、エンタメ業界やその他の知識集約型産業に従事している人には驚くほどの高収入を得ている人がいます。つまり白人の中にも階級差があるのです。
白人労働者はこの格差に不満を持っています。

とはいえ、この階級差を乗り越えるのは容易ではありません。
パンス氏の地元ではアイビーリーグの大学に行く人はまったくいません。自分たちとは別の世界だと思っているのです。実際、入るにはコネも重要です。
バンス氏が父親にイェール大学に行くことになったと告げると、父親は「黒人かリベラルのふりをしたのか?」と言いました。普通の白人は入れないと思っていたのでしょう。
実際、バンス氏担当の教授は、州立大学の学生はロースクールに入れるべきでないという考えの持ち主でした。

バンス氏がイェール大学のロースクールに入ってから地元に帰ったとき、ガソリンスタンドで給油していると、隣で給油していた女性がイェール大学のロゴ入りのTシャツを着ていました。
「イェールに通っていたんですか」と聞くと、「いいえ。甥が通っているの。あなたもイェールの学生なの?」と聞き返されました。
そのときバンス氏は、彼女と甥はオハイオの野暮ったさや、宗教や銃への異常な執着を話題にして笑っているに違いないと想像し、その同じ立場に立つことはできないと思って、「いいえ、イェールに通っているのはガールフレンドなんです」と嘘をつきました。
イェール大学のエリートとオハイオの地元民では階級も文化も違うのです。
イェールのロースクールを卒業するだけで当時で10万ドルを越える年収がほぼ確実になります。労働者階級とは別の世界です。

SF映画の「第九地区」や「エリジウム」は、天上にエリートや富裕層の住む世界があって、地上に貧困層が住んでいるという設定になっていますが、アメリカの格差社会はそれに近いものがあります。


私はテレビでラストベルトの白人労働者を見るたびに、現状が不満なら東海岸か西海岸に行って一旗揚げればいいではないかと思ったものです。それがアメリカンドリームというものです。
しかし、現実には階層が固定化されていて、下の階層から上の階層に上がるのがきわめて困難です(バンス氏はきわめてまれなケースです)。
それに、彼らはこれまで“白人特権”にあぐらをかいてきて、チャレンジ精神をなくしているのかもしれません。

本来なら、貧富の差を問題にし、富裕層へ累進課税や資産課税を強化して富を再配分せよと主張するべきです。そうしないと、トマ・ピケティが指摘するように、格差は限りなく拡大していきます。
しかし、アメリカではそうした主張は社会主義だということになり、一般のアメリカ人の発想にはありません。


そこで、白人労働者が考えたのは、リベラルに責任転嫁することです。
リベラルが黒人やヒスパニックやLGBTQを優遇し、自分たち白人を迫害しているので自分たちは不幸なのだと考えました。
それにリベラルは概して高学歴高収入なので、攻撃しやすいということもあります。

つまり白人労働者は、ほんとうは富裕層に富が集中して自分たちが不幸になっているのに、リベラルのせいで不幸になっていると間違って思い込んだのです。
富裕層にとっては好都合な思い込みです。
トランプ氏はこの思い込みを利用してリベラルを攻撃し、白人労働者の支持を得ました。

ハーバード大学に対する攻撃もこの一環です。ハーバード大学を攻撃しても、アメリカにとってはなんの利益にもならず、不利益しかありませんが、責任転嫁にはなります。

そんなことをしている一方で、トランプ政権は大規模な減税法案を通そうとしています。減税で得をするのは高所得層です。
国内の製造業復活の見通しはなく、ラストベルトの白人労働者は忘れられたままです。


アメリカ人は責任転嫁をやめて、貧富の差、犯罪、麻薬汚染に正面から取り組むべきです。
そうしないと世界にとっても迷惑です。

silhouette-1923656_1280

失われた30年などといわれ停滞の続く日本ですが、目立ったよい変化もありました。
それはジャニー喜多川氏、松本人志氏、中居正広氏などによる性加害の被害者が声を上げられるようになったことです。
これまで権力者の前に泣き寝入りしてきた被害者が声を上げ、権力者がその座を追われるようになりました。
こうしたことの積み重ねは社会のあり方を変えていくに違いありません。

この動きの背景には、時代の変化もあります。
ジャニー喜多川氏の性加害に対する告発は1980年代から雑誌や単行本で行われていましたし、1999年には「週刊文春」が記事にし、ジャニーズ事務所は名誉棄損で文芸春秋を訴えましたが、記事は「その重要な部分について真実」とする判決が確定しました。にもかかわらずほかのマスコミや世の中はほとんど無視していました。被害者が警察に被害届を出そうとしても受理してもらえなかったそうです。そうなると、被害を訴え出たほうが逆に非難されることになります。

状況が変わったのは2023年3月、イギリスのBBCが喜多川氏の性加害についてのドキュメンタリーを放送し、同年4月にカウアン・オカモト氏が実名・顔出しで記者会見を行ったことです。ここから性加害告発の流れができました。
そして、松本人志氏、中居正広氏に対する告発へと続きます。

しかし、これも容易なことではありません。事実関係について争いが起こるだけでなく、告発した被害者への誹謗中傷がすさまじいからです。
世の中には性加害をする人間の側に立つ人間がたくさんいます。
そういう人たちは、加害者に味方するには被害者を攻撃して黙らせるのがいちばんいい方法だとわかっています。
これまではそのやり方が奏功していましたが、今では被害者を攻撃する声よりも被害者を守る声のほうが大きくなり、状況が変わりました。

これは当然、世の中の価値観が変わったからです。
そして、裁判所も世の中の価値観に合わせるだろうと想像できます。松本氏が文芸春秋への訴訟を取り下げたのもそういう判断からでしょう。

価値観が変わる前の告発は、ジャニー喜多川氏への告発がそうだったように、逆に反撃されて、声を上げた被害者がひどい目にあいかねません。
実はアメリカでそういうことがありました。


前回の「いちばん認識しにくいがいちばん大切なこと」という記事で、子どもは親から虐待されたことをなかなか認識できないということを書きました。
中でも認識しにくいのが性的虐待、つまり娘が実の父親にレイプされるというケースです。
本人も認識しにくいですが、周りの人間も認めたくないので、かりに娘が周りの人間に訴えても聞いてもらえません。逆に否定されます。
心理療法においても、権威あるフロイト心理学は幼児虐待を認めないので、性的虐待の被害者は放置されてきました。

しかし、1980年代から一部のカウンセラーが催眠や薬品を使って記憶を回復させる「記憶回復療法」を行うようになり、それによって父親からレイプされたという記憶を回復させる患者が多く出てきました。
そして、こうした性的虐待の被害者が家族(多くは父親)を告発し、裁判に訴えるケースが頻発しました。

ジャニー喜多川氏は、親代わりの立場で未成年者に対して性加害を行ったわけですが、近親相姦ではありません。
アメリカの場合は、多くは父親と娘という近親相姦です。
しかも、子ども時代の性的虐待をおとなになってから訴えるのですから、物的証拠はほとんどなく、当事者と周囲の人間の証言しか判断材料がありません。困難な裁判になりますが、カウンセラーやフェミニスト団体が支援体制をつくり、公訴時効を延長するなどの法改正も行われました。

法廷において親と子が対決するという状況に家族制度の危機を感じたのが保守派です。
保守派は反撃を開始し、その先頭に立ったのが心理学者のエリザベス・ロフタスです。ロフタスはおとなの被験者に対して「5歳ごろにショッピングセンターで迷子になったが、親切な老婦人に助けられ、両親と再会することができた」という偽の記憶を植えつける心理実験を行い、約4人に1人の割合で偽の記憶を植えつけることに成功しました。
「ショッピングセンターで迷子になった」というのは「父親にレイプされた」というのとはあまりにも違いすぎますし(トラウマになるような心理実験は許可されません)、植えつけに成功したのは4人に1人でしかありませんが、ロフタスや保守派はこの実験をもとに、セラピストが患者に幼児期に父親にレイプされたという偽の記憶を植えつけたと主張しました。
そして、「偽りの記憶症候群」という言葉がつくられ、「偽りの記憶症候群基金(FMS基金)」なる団体が組織され、寄付が集められて、被告の法廷闘争を理論面と資金面から支援しました。
これは保守派対リベラルの戦いとなり、「記憶戦争(Memory War)」などと呼ばれました。

マスコミは最初、親を告発した子どもを正義、告発された親を悪人として報道していました。
しかし、保守派は極左のセラピストや過激なフェミニストが患者を洗脳して家族を破壊しようとしていると主張しました。
そして、マスコミはセラピストを悪人とするほうに乗りました。
そうして裁判は次々と親側が勝訴していきました。
さらに、親側はセラピストを不正医療行為をしたとして訴え、セラピストは100万ドル、240万ドル、267万ドルといった巨額の賠償金または和解金を支払わされる破目になりました。
「記憶戦争」は親側、保守派の全面勝利で終わったのです。

このことについて私は「『性加害隠蔽』の心理学史」という記事の中で書きました。
ウィキペディアの「過誤記憶」もわかりやすいまとめになっています。


ところで、性的虐待の被害を訴えた人には、悪魔主義の儀式に参加させられたという人が少なからずいました。たとえばウィスコンシン州で看護助手をしていたクールという女性は「悪魔儀式に加わり、赤ん坊を貪り、性的暴行を受け、動物と性交し、8歳の友人が殺されるのをむりやり見させられた」と主張しました。
こんな荒唐無稽な話は嘘に決まっているということで、被害者の訴えは信用性をなくしました。
しかし、「ディープ・ステート」という陰謀論の核心は「世界は小児性愛者の集団によって支配されており、悪魔の儀式として性的虐待や人食い、人身売買を行っている」というものです。
こちらの話を信じる人が多いのはどういうことでしょうか。
実際のところは、悪魔主義の儀式は水面下でかなり行われていて、セラピストの治療はその暗部をあぶり出したのではないでしょうか。
悪魔主義を描いた小説や映画が多数存在するのもゆえないことではないでしょう。
なお、悪魔主義の儀式に小児性愛の儀式はつきものであるようです。



裁判の結果がどうなろうと、子どもに対する性的虐待は確実に存在します。
Copilotに「アメリカにおける子どもへの性的虐待の件数は?」と聞いた答えを示しておきます。
アメリカでは、2021年に約59,328人の子どもが性的虐待の被害を受けたと報告されています。これは、虐待全体の約10.1%を占める数字です。ただし、性的虐待は報告されないケースも多く、実際の被害件数はさらに多い可能性があります。
また、18歳以下の子どもの4人に1人の女の子、6人に1人の男の子が性的虐待を受けているという統計もあります。さらに、児童性的虐待の被害報告の中央値は9歳とされており、特に幼い子どもが被害に遭うケースが多いことが分かっています。
この問題は非常に深刻であり、アメリカでは防犯対策や性教育の強化が求められています。もし詳しく知りたい場合は、こちらの情報を参考にしてください。
さらに「親が自分の子どもを性的虐待した件数は?」と質問すると、「アメリカでは、児童性的虐待の加害者の約30〜40%が家族であると報告されています。特に、加害者の多くは親や親族であるケースが多く、児童虐待全体の中でも深刻な問題とされています」ということです。


おそらく裁判のほとんどは親が有罪になるべきだったでしょう。
訴えるのが早すぎたのです。
日本でジャニー喜多川氏への早すぎる告発がすべて無視されたのと同じことになりました。
いや、アメリカでは裁判が行われたために、不都合な判例が積み上がってしまいました。
今や子どもが親を告発するということはほとんど不可能でしょう。


保守派は家庭という強固な足場を得て、人権運動に対する反撃に出ました。
その典型的な動きが、「母親の権利」を掲げる保守系団体の運動です。人種差別反対や多様性推進を主張するのは子どもへの洗脳だとして、そうした本を学校図書館から排除するように要求し、こうした「禁書」の動きは全米に広がっています。また、保守派のデサンティス知事のいるフロリダ州では「教育における親の権利法」という州法が成立し、これによりLGBTなどの「性的指向や性自認に関する教室での指導」が禁止されました。
アメリカは親が子どもを支配する国になり、子どもの権利がまったく認められなくなりました。

子どもの権利だけでなくマイノリティの権利も認められません。
今のアメリカでは人種差別反対をいうと白人差別だとして攻撃されます。
このような流れの中でトランプ政権が誕生しました。


アメリカがあきれるほどの人権後進国になった転換点は「記憶戦争」にあります。
日本はアメリカのようにならずによかったですが、アメリカが人権後進国になったのは喜べません。


raised-hands-8980814_1280

トランプ大統領の政策でいちばん驚くのは、大学を敵視し、科学研究費を大幅に削減していることです。
中国はものすごい勢いで科学研究費を増やしていて、学術論文の数ではすでにアメリカを抜いて世界一になっています。
トランプ氏はアメリカを偉大にするといっていますが、科学力のない国は偉大ではありません。

私は前回の「いかにしてトランプ大統領の暴走を止めるか」という記事で、トランプ政権のおかしな政策を列挙して「まるで中世ヨーロッパの国になろうとしているみたい」と書きましたが、今回の記事では、なぜそうなっているのかを掘り下げてみました。


アメリカは一般に思われている以上に宗教的な国です。
メイフラワー号で入植した清教徒は「神の国」をつくろうとしました。その精神が今も生きています。
アメリカ大統領の就任式では必ず聖書に手を置いて宣誓することになっていますし、大統領の演説は「God bless America」というフレーズで締めくくられるのが常です。
どの国も経済的に豊かになると宗教色は薄れ世俗化していくものですが、アメリカの場合はそうならずに、おりにふれて宗教パワーが国を動かします。
たとえば1920年代の禁酒法がそれです。熱心なプロテスタントの信者が立ち上がり、飲酒文化が暴力や犯罪や退廃を招いているとして禁酒法を成立させました。

禁酒法の時代にテネシー州では“進化論裁判”が行われました。高校教師が授業で進化論を教えたということで逮捕され、裁判にかけられたのです。
進化論は聖書に書かれた創造説を否定するので、聖書を絶対化する人たちは進化論を認めるわけにいきません。
この裁判は全米で注目されましたが、結果、高校教師は罰金100ドルの有罪判決を受けました。

この当時は、進化論を否定するとはばかげたことだという見方が多かったようです。
しかし、このような聖書の記述を絶対視する勢力が次第に拡大し、進化論を教えることを禁止する州が増えてきました。
共産主義の脅威が感じられた冷戦時代、イスラム過激派の脅威が感じられた9.11テロ以降などにとくに宗教パワーが高まりました。

聖書の記述を絶対視する宗派を福音派といいます。
アメリカでは福音派が人口の約4分の1、1億人近くに達するといわれます。
アメリカでも地元の教会に通うという昔ながらの信者はへっていますが、福音派の場合は、テレビやラジオや大集会を通じて説教をするカリスマ的大衆伝道師が信者を獲得してきました。大衆を扇動する言葉は過激になりがちで、それが福音派を特徴づけているのではないかと思われます。

福音派は共和党と結びつき、政治を動かすようになりました。
たとえばレーガン大統領はカリフォルニア州知事時代に妊娠中絶を認める法案に署名していましたが、大統領選の候補になると福音派の支持を得るために中絶反対を表明しました。
トランプ氏もつねに福音派の支持を意識して行動しています。
アメリカの政治が福音派に飲み込まれつつあり、その結果、科学軽視の政策になっていると思われます。


キリスト教と科学は相性の悪いところがあります。
ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えたために宗教裁判にかけられました。
聖書には地動説を否定するような記述はありませんが、教会は絶大な権力で世の中の「常識」まで支配していたのです。
結局、地動説は認められましたが、だからといって聖書のなにかが否定されたわけではありません。

ダーウィンの進化論はそういうわけにはいきません。進化論は聖書の創造説の明白な否定だからです。そのため世の中は大騒ぎになりました。
ダーウィンは『種の起源』の12年後に出版した『人間の由来』において、人間の身体はほかの動物から進化したものだが、人間の精神や魂はそれとは別だと主張しました。つまり身体と精神を分けることで教会や世の中と妥協したのです。
ダーウィンのこの妥協はのちのち問題になるのですが、キリスト教と科学が折り合う上では役に立ちました。


中世ヨーロッパにおいてキリスト教会は絶大な権力を持っていました。
その権力の源泉は、キリスト教では宗教と道徳が一体となっていることです。
「モーゼの十戒」には「汝、殺すなかれ」とか「汝、盗むなかれ」という道徳が入っていますし、キリストの説教である「山上の垂訓」には「あわれみ深い人たちは幸いである」とか「心の清い人たちは幸いである」といった道徳が入っています。教会での説教も、ほとんどが道徳的な説教です。そのため教会は人々の生活のすみずみまで支配したのです(仏教も「悪いことをすると地獄に堕ちる」といった教えで道徳とつながっていますが、これは本来の仏教ではありません。神道はほとんど道徳と無縁です)。

しかし、近代化の過程で「法の支配」が確立されてきました。
と同時にキリスト教道徳(倫理)が排除されました。「法の支配」があれば道徳は必要ないのです。

このあたりのことは誤解している人が多いかもしれません。
道徳はほとんど無価値です。「嘘をついてはいけない」とか「人に迷惑をかけてはいけない」とか「人に親切にするべきだ」とかいくら言っても、世の中は少しも変わりません。
正式な教科としての「道徳の授業」が小学校では2018年から、中学校では2019年から始まりましたが、それによって子どもが道徳的になったということはまったくありません。
世の中が回っているのは道徳ではなく法律やルールやマナーなどのおかげです。



近代国家では「法の支配」によって社会から道徳が排除され、「政教分離」によって国家から宗教が分離されました。
宗教は個人の内面に関わる形でだけ存在することになったのです。

もっとも、これは主にヨーロッパの国でのことです。
日本では戦前まで、国家神道という形で国家と宗教が一体化していましたし、「教育勅語」という形で国家が国民に道徳を押し付けていました。

アメリカも宗教色が強いので、ヨーロッパのようにはいきません。
天文学者カール・セーガンの書いたSF小説『コンタクト』では、地球外生命体との接触を目指す宇宙船に乗り組む人間を選ぶための公聴会が議会で開かれ、主人公の天文学者エリー(映画ではジョディ・フォスター)は神を信じるかと質問されます。エリーは無神論者ですが、正直に答えると選ばれないとわかっているので、答え方に苦慮します。まるで踏み絵を踏まされるみたいです。こういう場面を見ると、アメリカの宗教の強さがわかります(結局、無神論者のエリーは選ばれません)。

『利己的な遺伝子』を書いた生物学者のリチャード・ドーキンスは、進化論に反対するキリスト教勢力からずいぶん攻撃されたようで、その後はキリスト教勢力に反論するための本を多く書いています。『神は妄想である――宗教との決別』『悪魔に仕える牧師――なぜ科学は「神」を必要としないのか』『さらば、神よ』といったタイトルを見るだけでわかるでしょう。
アメリカではいまだに科学とキリスト教が対立しています。


アメリカでも「法の支配」と「政教分離」で近代国家の体裁を保ってきましたが、しだいにキリスト教勢力が力を増し、ここにきて二大政党制で政権交代が起こったように一気に「近代国家」から「宗教国家」に転換したわけです。
同性婚反対、LGBTQ差別、人種差別、人工中絶禁止、性教育反対といったキリスト教道徳が急速に復活しています。

トランプ大統領は福音派を喜ばすような政策を行っていますが、トランプ氏自身が福音派の信者だということはないはずです。あくまで福音派を利用しているだけです。

トランプ氏は大統領就任式で宣誓するとき、聖書の上に手を置かなかったので少々物議をかもしました。
さらに、自身をローマ教皇に模した生成AI画像を投稿して、批判を浴びました。

スクリーンショット 2025-05-07 004900スクリーンショット 2025-05-03 165043

トランプ氏は銃撃されて耳を負傷したときのことについて「神が私の命を助けてくれた」と語りました。
どうやらこのころから自分で自分を神格化するようになったのではないかと思われます。
アメリカが宗教国家になるのは、自分を神格化する上できわめて好都合です。
科学は自己神格化する上では不都合です。

トランプ氏の心中はわかりませんが、アメリカが「法の支配」も「政教分離」も打ち捨てて、キリスト教道徳の支配する国になりつつあることは確かです。
もちろんこれはアメリカ衰退の道です。


なお、カトリック教会は1996年に進化論を認めましたが、「肉体の進化論は認めるものの、精神は神が授けたもので、進化論とは無関係」としています。ダーウィンの妥協がまだ生きているのです。
いまだに世界が平和にならないのも、ダーウィンの妥協のせいです。
ダーウィンの妥協については「道徳観のコペルニクス的転回」で説明しています。

944320_m

トランプ大統領は恐ろしい勢いでアメリカ社会の根幹を破壊しています。
その破壊を止める力がアメリカにはほとんどありません。

最初はUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)の実質的な解体でした。
USAIDは主に海外人道援助などをしていました。アメリカ・ファーストを支持する保守派は海外人道援助などむだとしか思わないのでしょう。
このときは日本のトランプ信者もUSAID解体に大喜びしていました(日本に相互関税をかけられてからトランプ信者はすっかりおとなしくなりました)。

「報道の自由」も攻撃されました。
トランプ大統領は「メキシコ湾」を「アメリカ湾」に変更するとした大統領令に署名しましたが、AP通信がそれに反しているとして、同社記者を大統領のイベント取材から締め出しました。
また、大統領を代表取材する場合、それまではホワイトハウス記者会が決めたメディアが交代で行っていましたが、これからは大統領府側がメディアを決めると宣言しました。。
放送免許などを司るFCC(連邦通信委員会)は、FCC監督下のすべての組織にDEI策排除を求めるとしました。

その次は司法への攻撃です。
トランプ政権は「敵性外国人法」を適用して約200人の不法移民をエルサルバドルの収容施設に送還しましたが、ワシントンの連邦地裁はこの法律は適用できないとして送還の差し止めを命じました。しかし、送還は実行されました。政権は地裁から「書面」で命令が出される前に飛行機は出発していたと主張しましたが、地裁は判事が「口頭」で飛行機の方向転換を指示したのに従わなかったとしています。
トランプ氏は送還差し止めを命じた判事は「オバマによって選ばれた過激な左翼だ。弾劾されるべき」と主張しましたが、ジョン・ロバーツ最高裁長官が異例の声明を出し「弾劾は司法の決定に対する意見の相違への適切な対応でない」と批判しました。このところ政権の政策を阻止する判決を出した裁判官への個人攻撃が目に余ることから、最高裁長官が異例の声明を出したようです。
その後、FBIはウィスコンシン州ミルウォーキーの裁判所のハンナ・ドゥガン判事を逮捕しました。裁判所に出廷した不法移民の男を移民税関捜査局の捜査官らが拘束しようとしたのをドゥガン判事が妨げたという公務執行妨害の疑いです。裁判官が逮捕されるのは異例です。
パム・ボンディ司法長官はこの件について「ミルウォーキー判事の逮捕は他の判事への警告」だと言いました。完全に政治的な意図で、行政が司法を支配下に置こうとしています。
トランプ政権は「法の支配」も「司法の独立」も「三権分立」も完全に破壊しようとしています。

大学も攻撃の対象になりました。
ハーバード大学ではイスラエルのガザ攻撃に対する学生の抗議活動が盛んだったことから、トランプ政権は学生の取り締まりやDEI策排除をハーバード大学に要求、大学がこれを拒否すると、助成金の一部を凍結すると発表しました。
トランプ政権はリベラルな大学に対して同じような要求をしており、「学問の自由」は危機に瀕しています。

「政教分離」も破壊されました。
政権はホワイトハウス信仰局を設置し、初代長官に福音派のテレビ宣教師ポーラ・ホワイト氏を任命しました。また、トランプ氏はこれまでキリスト教は不当に迫害されていたとし、反キリスト教的偏見を根絶するためにタスクフォースの設置も発表しました。


トランプ政権は、法の支配、報道の自由、学問の自由、表現の自由、政教分離、人道、人権といった近代的価値観をことごとく破壊しています。
トランプ政権は科学研究費も大幅に削減していますから、まるで中世ヨーロッパの国になろうとしているみたいです(実際のところは、アメリカの保守派は南北戦争以前のアメリカが理想なのでしょう。日本の保守派が戦前の日本を理想としているみたいなものです)。


問題はこうした政権の暴走を止める力がどこにもないことです。
というのは、法の支配、報道の自由、学問の自由といった価値観が、リベラルなエリートの価値観と見なされて、効力を失っているのです。

こうした傾向は日本でも同じです。
菅政権が日本学術会議の新会員6名の任命を拒否したとき、これは学問の自由の危機だといわれましたが、SNSなどでは学問の自由はほとんど評価されずに、それよりも「政府から金をもらっているんだから政府のいうことを聞け」といった声が優勢でした。
報道の自由に関する議論になったときも、“マスゴミ批判”の声で報道の自由を擁護する声はかき消されます。

今のところトランプ政権の暴走を止めるには、政策実行を差し止める訴訟が頼りですが、最高裁の判事は保守派が多数ですから、あまり期待はできません。


ただし、このところトランプ大統領の勢いがなくなりました。明らかに壁にぶつかっています。

トランプ大統領は4月2日、日本に24%、中国に34%などの相互関税を9日に発動すると発表し、これを「解放の日」とみずから称えました。
ところが、発表直後から世界的に株価が急落し、とりわけアメリカは株式・国債・ドルのトリプル安に見舞われました。
これにトランプ氏とその周辺はかなり動揺したようです。
トランプ氏は9日に相互関税の発動を90日間停止すると発表しました。
株価は急反発しましたが、トランプ氏の腰砕けに世の中はかなり驚きました。

トランプ大統領はFRBは利下げするべきだと主張し、FRBのパウエル議長を「ひどい負け犬の遅すぎる男」とののしり、解任を示唆する発言を繰り返しました。
そうするとまたしても株式・国債・ドルのトリプル安になり、トランプ大統領はまたしても態度を豹変させて「解任するつもりはない」と述べました。
そうすると株価は反発しました。

また、中国への関税は現在145%となっていますが、トランプ大統領は「ゼロにはならないだろうが、大幅に下がるだろう」と述べました。
関税政策の根幹が崩れかけています。

トランプ大統領は「マーケットの壁」にぶつかったのです。
この壁はさすがのトランプ氏も突破できません。そのため迷走して、支持率も下がっています。

第一次トランプ政権のときは、コロナ対策がうまくいかずに支持率を下げました。
トランプ氏が再選に失敗したのは、ひとえにコロナウイルスのせいです。
なお、安倍政権が倒れたのも、菅政権が倒れたのも、コロナ対策がうまくいかなかったためです。


ともかく、トランプ大統領を止めたのは今のところウイルスとマーケットだけです。
ウイルスは自然界のもので、自然科学の対象です。関税政策などは経済学の対象です。
自然科学も経済学もまともな学問なので、トランプ氏のごまかしが通用しなかったのです。

法の支配、報道の自由、学問の自由といった概念は政治学や法学の対象ですが、政治学や法学はまともな学問ではありません。
そのため、リベラルと保守、左翼と右翼のどちらが正しいのかも明らかにすることができず、世の中の混乱を招いています。
トランプ氏の暴走を止めることができないのは、政治学や法学がまともな学問でないからです。

今、トランプ政権はマーケットの壁にぶつかっていますが、第二次政権は発足したばかりですから、そのうち経済政策を立て直すでしょう。
そのときトランプ氏の暴走を止めるものはなにかというと、結局は政治学と法学しかありません。
政治学と法学が経済学並みにまともな学問になることです。


政治学と法学をまともな学問にする方法については、「道徳観のコペルニクス的転回」に書いています。

adolf-hitler-147180_1280

トランプ大統領は周りをイエスマンで固め、独裁者への道をひた走っています。
プーチン大統領、習近平主席もどんどん独裁色を強めています。
国家のリーダーは独裁色を強めるほど国民に人気となります。
なぜ国家の指導者は独裁者になり、国民は独裁者を支持するのでしょうか。

独裁者の中の独裁者、アドルフ・ヒトラーはどうして独裁者になり、当時のドイツ国民はどうしてヒトラーを熱狂的に支持したのでしょうか。
ドイツでは何冊もヒトラーの伝記が出ていますが、ヒトラーの子ども時代については、どれもヒトラーは普通の家庭で育ったというふうに書かれているようです。
そんなはずがありません。

猟奇殺人のような凶悪犯罪をした人間は、決まって異常な家庭で育ち、親から虐待を受けています。ところが、メディアはそうしたことはほとんど報じません(最近ようやく週刊誌が報じるようになってきました)。それと同じことがヒトラーの伝記にもあります。

心理学界で最初に幼児虐待を発見したのはフロイトです。
フロイトは1896年に『ヒステリー病因論』を出版し、自分の扱った18の症例すべてにおいて子ども時代に性的暴行の体験があったと記しました。
つまり幼児虐待の中でももっとも認識しにくい性的虐待の存在を認めたのです。
ところが、フロイトは1年後に、性的暴行の体験はすべて患者の幻想だったとして、『ヒステリー病因論』の内容を全面否定しました。フロイト心理学は、幼児虐待をいったん認めたあとで否定するというふたつの土台の上に築かれたのです(これについては「『性加害隠蔽』の心理学史」で述べました)。

アリス・ミラーはフロイト派の精神分析家でしたが、フロイト心理学の欠陥に気づき、批判者に転じました。
ミラーは『魂の殺人』において、ヒトラーの子ども時代について書かれた多くの文章を比較し分析しました。一部ウィキペディアで補足しながらミラーの説を紹介したいと思います。


1837年、オーストリアのシュトローネ村で未婚の娘マリア・アンナ・シックルグルーバーは男児を出産し、その子はアロイスと名づけられました。このアロイスがアドルフ・ヒトラーの父親です。
村役場の出生簿にはアロイスの父親の欄は空白のままです。
マリアはアロイス出産後5年たって粉ひき職人ヨーハン・ゲオルク・ヒートラーと結婚し、同年にアロイスを夫の弟の農夫ヨーハン・ネポムク・ヒュットラーに譲り渡しました(兄弟で名字が異なるのは読み方の違いだという)。
この兄弟のどちらかがアロイスの父親ではないかと見られています。
しかし、第三の説もあります。マリアはフランケンベルガーというユダヤ人の家に奉公していたことがあり、そのときにアロイスを身ごもったという話があるのです。
ヒトラーは1930年に異母兄からゆすりめいた手紙を受け取り、そこにヒトラー家の来歴について「かなりはっきりした事情」のあることがほのめかしてあったということで、ヒトラーは弁護士のハンス・フランクに調べさせたことがあります。しかし、はっきりした証拠はなかったようです。
その後、この説についてはさまざまに調べられましたが、今ではほとんど否定されています。
しかし、ヒトラーは自分の祖父がユダヤ人かもしれないという疑惑を持っていたに違いありません。


ヒトラーの父アロイスは小学校を出ると靴職人になりましたが、その境遇に満足せず、独学で勉強して19歳で税務署の採用試験に合格して公務員になり、そして、順調に昇進を重ね、最終的に彼の学歴でなれる最高位の上級税関事務官になりました。好んで官憲の代表となり、公式の会合などにもよく姿を現し、正式な官名で呼びかけられることを好みました。
彼は昇進のたびに肖像写真を撮らせ、どの写真も尊大で気むずかしそうな顔をした男が写っています。
彼は3度結婚し、8人の子どもをもうけましたが、多くは早死にしました。

ある伝記によると、アロイスは喧嘩好きで怒りっぽく、長男とよく争いました。長男は「情容赦もなく河馬皮の鞭で殴られた」と証言しています。長男が玩具の船をつくるのに夢中になって3日間学校をサボったときなど、それをつくるように勧めたのは父親であったにもかかわらず、父親は息子に鞭を食らわせ、息子が意識を失って倒れるまで殴り続けたといいます。アドルフも兄ほどではなかったにせよ、鞭でしつけられました。犬もこの一家の主人の手で打たれ続けて、「とうとう体をくねらせて床を汚してしまった」ことがあるそうです。長男の証言によれば、父親の暴力は妻クララにまで及んでいました。

アドルフの妹パウラは、父親の暴力にさらされたのは長男よりもアドルフだと証言しています。
その証言は次の通りです。
「アドルフ兄は誰よりも父に叱られることが多く、毎日相当ぶたれていました。兄はなんというかちょっと汚らしいいたずら小僧といったところで、父親がいくら躍起になって性悪根性を鞭で叩き出し、国家公務員の職に就くようにさせようとしても、全部無駄でした」

これらの証言から、ヒトラー家は父親の暴力が吹き荒れる家庭で、中でもアドルフは被害にあっていたと思われます。
しかし、伝記作家などはこうした証言を疑い、しばしば嘘と決めつけます。

アドルフの姉アンゲラは「アドルフ、考えてごらんなさい、お父さんがあんたをぶとうとした時お母さんと私がお父さんの制服の上着にしがみついて止めたじゃないの」と言ったという記録があります。父親が暴力的であったことを示す証拠です。
しかし、ある伝記作家は、その当時父親は制服を着ていなかったのでこれはつくり話だと決めつけました。
しかし、これは当時父親が制服を着ていなかったというのが正しいとしても、アンゲラが上着について思い違いをしていただけでしょう。上着が違うから全部が嘘だとするのはむりがあります。

また、「総統」は女秘書たちに、父親は自分の背をピンと伸ばさせておいてそこに30発鞭を食らわせたと語ったことがあります。
これについても伝記作家は、彼は女秘書たちにバカ話をするのが好きで、彼の話したことであとで正しくないことが証明されたことも多いので、この話の信憑性は薄いと判断しました。
このような判断の繰り返しで、父親の暴力は当時の常識の範囲内のもので、ヒトラー家は普通の家庭であったという印象に導かれます。


親が子どもを虐待することはあまりにも悲惨なので、虐待の存在そのものを認めたくないという心理が誰においても働きます。そのためにフロイトの『ヒステリー病因論』は世の中の圧倒的な反発を招き、フロイトはその説を捨ててしまいました。
同じ力学は今も働いています。幼児虐待の通報があって児相や警察がその家庭を訪問しても、親の言い分を真に受けて子どもの保護をせず、その後子どもが殺されて、児相や警察の対応が非難されるということがよくありますが、児相や警察の人間も虐待を認めたくない心理があるのです。


ヒトラーの父親の虐待は暴力だけではありません。
ヒトラーは家出をしようとしたことがありましたが、父親に気づかれ、彼は天井に近い部屋に閉じ込められました。夜になって天窓から逃げ出そうとしましたが、隙間が狭かったので着物を全部脱ぎました。ちょうどそこに父親が階段を上がってくる足音がしたので、彼はテーブルかけで裸の体を隠しました。父親は今回は鞭に手を伸ばさず、大声で妻を呼んで「このローマ人みたいな格好をした子を見てごらん」と言って大笑いしました。このあざけりはヒトラーにとって体罰よりもこたえました。のちに友人に「この出来事を忘れるのにかなり時間がかかった」と打ち明けています。

父親はまた、用があって子どもを呼ぶとき、二本の指で指笛を鳴らしました。

私は子どもを笛で呼ぶということから、映画「サウンド・オブ・ミュージック」を思い出しました。
冒頭で修道女見習いのマリア(ジュリー・アンドリュース)が家庭教師としてトラップ家を訪れると、トラップ大佐が笛を吹いて子どもたちを集め、子どもを軍隊式に整列させて行進させます。この家庭内の軍国教育をマリアが人間教育に変えていく過程と、オーストリア国内でナチスが勃興していく過程とがクロスして物語が進行していきます。

当時、ヨーロッパでは子どもに鞭を使うことが多く、とくにオーストリアやドイツではごく幼いうちから親への服従を教え込むべきだという教育法が蔓延していたとミラーは指摘します。そのためのちにヒステリー症状(今でいうPTSD)を発症する人が多く、それがフロイト心理学の出発点になりました。


ヒトラーが優れた(?)独裁者になれたのは、それなりの資質があったからですが、それに加えて父親に虐待された経験があったからでしょう。
ヒトラーは父親を憎み恐れていましたが、やがて自分を父親と同一化し、権威主義的で暴力的な父親のようにふるまうようになります。国民の目からはそれが優れた国家指導者の姿に見えたのです。
子どもから見た父親と、国民から見た国家指導者は、スライドさせれば重なります。

ほとんどの国民もまた暴力的で権威主義的な父親に育てられてきたので、ヒトラーに父親の姿を見ました。
ヒトラーは怒りや憎しみを込めた激しい演説をしましたが、その一方で笑顔で子どもに話しかけたりなでたりする姿も見せました。
厳父と慈父の両面を見せることで、ヒトラーは国民の圧倒的な支持を得たのです。

ヒトラーは父親から学んだ残忍さで政敵を容赦なく攻撃して権力を掌握しました。
またミラーは、ヒトラーは父親への憎しみをとくにユダヤ人に向けたのではないかと推測しています。


その人がどんな人間かを知るには、幼児期までさかのぼって知ることが重要です。
最近はそのことが少しずつ理解されてきて、たとえばトランプ大統領を描いた映画「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」は、20代のトランプ氏が悪名高い弁護士ロイ・コーンの教えを受けて成功の階段を上っていくという物語です。
しかし、20代では遅すぎます。
重要なのは幼児期です。
不動産業者だった父親とトランプ少年との関係にこそトランプ大統領の人間性を知るカギがあります。

政治は政策論議がたいせつだといわれますが、人間論議のほうがもっとたいせつです。


このページのトップヘ