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最近、ひろゆきこと西村博之氏が人気です。
「女性自身」が2月に実施した「好きな“ネットご意見番”」のアンケート調査で、ひろゆき氏が1位となりました(2位は中田敦彦氏、3位は古市憲寿氏)。
2022年の小学生の流行語ランキングの1位にひろゆき氏の「それってあなたの感想ですよね」がランクインしています。子どもにはとくに人気があるようです。

ひろゆき氏の評価は世代によって違います。
私などから見ると、ひろゆき氏は「2ちゃんねる」の管理人として日本のインターネット文化を決定づけた人です。
どういう文化かというと、ヘイトスピーチに代表される、匿名で人の悪口を言いまくるという文化です。
とりわけ2ちゃんねるにはボランティア、チャリティなどを冷笑したり攻撃したりする傾向がありました。子どもの高額な手術費を集めるために両親が募金活動をしているといったケースなどはよく炎上しました。PCの前に座ってなにもしない人間が、人のためになる活動をしている人間を冷笑するというのが典型的な2ちゃんねるの文化です。

インターネットの論調がそのようになるのは当たり前のことで、ひろゆき氏とは関係ないと思われるかもしれませんが、そうではありません。

掲示板の管理人というと、全体の管理だけをやっているイメージですが、掲示板へのアクセスが増えると収益も増えるので、ひろゆき氏はみずから書き込んで、あちこちで論争を仕掛けて、炎上や“祭り”を演出していたに違いありません。ですから、2ちゃんねるはひろゆき的なのです。
ひろゆき氏はこうした経験で論争のスキルを向上させて、現在の「論破王」の称号を得ることにつながったのでしょう。

現在のひろゆき氏の言論活動に、かつての2ちゃんねるの雰囲気が感じられます。たとえば沖縄の辺野古移設反対運動を揶揄したり、家出少女を救済する活動をしている一般社団法人「Colabo」を攻撃したりといったことです。かつてはアグネス・チャンさんが子どものための募金を日本ユニセフ協会に対して行うよう呼びかけているのに対して公開質問状を出したこともあります(日本ユニセフ協会は募金の一部を活動費に当てているが、ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんの口座に募金すれば100%ユニセフ本部に送られるという主張です)。

ひろゆき氏は現在、アメリカの「4chan」という、2ちゃんねると同じような匿名掲示板の管理人をやっていますが、「4chan」は陰謀論の巣窟だそうです。陰謀論は手っ取り早くアクセス数が稼げるからでしょう。

2ちゃんねるではヘイトスピーチや名誉棄損の書き込みに対する規制がほぼありませんでした。そうしたことから、ヘイトスピーチと誹謗中傷が吹き荒れる日本のインターネット文化が形成されたのです。外国でも似た傾向がありますが、日本は程度が違います。ひろゆき氏の責任は重大です。

ひろゆき氏は名誉棄損の書き込みの削除要請に応じなかったために多くの訴訟を起こされ、次々と敗訴し、多額の損害賠償を支払うよう裁判所から命じられましたが、財産をすべて海外に移して支払いを免れるというとんでもない手段に出ました。現在に至るも支払っていないとされています。
こうした人間をテレビ局がコメンテーターとして使っているのは信じられないことです。


2ちゃんねるの歴史を知っている人間からすると、ひろゆき氏は倫理観がすっぽりと抜け落ちた人間です。こういう人間が一般の人に人気になるのは理解できません。若い人は昔のことを知らないからだろうと思っていました。
しかし、ひろゆき人気はどんどん高まって、とりわけ小学生に人気が高いといいます。
小さい子どもというのは“本物”を見分ける感性を持っているものです。これは私の認識が間違っているのかもしれないと思い直しました。

そこで、ひろゆき氏の本でいちばん売れているらしい『1%の努力』を読んでみました。
ほかの何冊かの本にも、アマゾンで目次とレビューに目を通しました。
そうしたことからひろゆき人気の理由を考えました。


ひろゆき氏は、先ほどいったように倫理観がすっぽりと抜け落ちた人間です。それがいいほうに出ているのです。

ひろゆき氏は『1%の努力』で「人生に意味などない。だから、幸せの総量をふやせばいい」と言います。
『ひろゆきのシン・未来予測』という本も基本は同じです。「日本の未来がよくなることはほぼ不可能である」という見通しを示し、その中で“自分だけ”幸せになる方法を伝授します。
それから、人生の目標を「金持ちになる」とか「ビジネスで成功する」とかに置いていなくて、「楽して生きる」といったところに置いています。

普通の人生の指南書は「社会に必要とされる人間になれ」とか「周りの人に尽くせば、周りの人があなたを助けてくれる」などと説いていますが、それとはまったく違います。
つまり道徳や倫理がなくて、「自分の幸せ」に焦点が絞られています。
そのため論旨がひじょうに明快です。

道徳にとらわれないと自由な生き方ができます。私もそれを勧めています。
道徳は誰か他人があなたの頭に植えつけたものですから、道徳に支配される人は、ひろゆき流に言えば「頭の悪い人」です。

ちなみに自民党の進める道徳教育は、国民を従順な羊にしようというものです。それがうまくいきすぎて、日本衰退の原因になっています。
道徳教育にうんざりしている子どもたちにひろゆき氏の言葉が刺さっているということもあるでしょう(私は道徳教育批判を『「かぼちゃのつる」の正しい指導法』という記事に書いています)。

ひろゆき氏の本に主に書かれているのは幸せになるためのノウハウです。
これが役に立つか否かは人によって違うでしょうから、それについての評価は控えます。


私は『1%の努力』を読んでいて、部分的に共感するところも納得しないところもありましたが、全体的になにかが違うという感じがぬぐえませんでした。
それはなにかと考えていたら、『「頭の悪い人」に理解されないこと・ベスト1』という記事に答えが書いてありました。その部分を引用します。
「本当は他の学校に行きたかったけど、親に言われたから今の学校に行っています」
「本当は他の仕事をしたかったけど、友達に反対されたから今の仕事をしています」

 そんな悩みを抱えている人がいます。

 僕がそれを聞いて思うことはひとつです。

「でも、最終的に決めたのはあなたですよね?」

 結局、どんな決断であっても、誰が何を言おうと、決めたのは「自分自身」なんですよね。

 それを棚に上げて、「だから嫌だったんだよ」と後から言い出すのは、かなり頭の悪い考えなんじゃないかと思うんです。

 でも、これ、あまり理解されないんですけどね。不思議です。
不思議もなにも、ひろゆき氏の考えのほうがよほど不思議です。
ひろゆき氏は「心の絆(愛着)」ということをまったく理解していないのです。
驚くべき頭の悪さです。

親と子は心の深いところで結びついています。ですから、親を亡くした人は深い悲しみと喪失感に襲われます。子を亡くした親はもっと深い悲しみと喪失感に襲われるでしょう。
肉親を亡くして悲しんでいる人に「死んだ人は生き返らないんだから、早く忘れてしまいなさい」と言うのは愚かですが、ひろゆき氏なら言いかねません。

親と子は深く結びついているので、親から望まない進路を強要された子どもはなかなか断れません。そのために不幸になってしまうことがあります。
つまりこれは“毒親”の問題です。
「あなたの親は毒親だから、早く家を出て自立しなさい」などと言うのもやはり頭の悪い人です。
親子の絆というのは、毒親であってもそう簡単に切れません。
毒親の子どもが自立するには、よいカウンセラーに巡り合うか、よい恋人やよい親代わりの人に巡り合うか、過去を回想しながら自己分析を重ねるしかありませんが、いずれにしても時間がかかります。

宗教二世の問題も同じです。
「あんなおかしな教義の宗教を信じている親なんか無視して、あなたは自分の人生を歩みなさい」と言っても、やはり親子は深い絆で結ばれているので、そうはいきません。
しかし、ひろゆき氏に言わせれば、宗教二世として悩んでいる人はただの頭の悪い人です。


ひろゆき氏はまた、「ひろゆき日記@オープンSNS。」というブログにこんなことを書いていました。
んで、おいらは恋愛映画が時間の無駄だと思ってる派です。。
二股になってどっちが好きになりましたがとか、根拠が「主人公がそう思ったから」とかなので、ストーリーの流れとかで推測してもしょうがないし、主人公がどっちが好きとかどうでもいいんですよね。。。それを知ったことで、人生に役立つことはないので、、、
んで、レビューで恋愛映画が面白いと思ってる人達の評価してる映画をお勧めされても無意味なんですよね。
この文章を読むと、恋愛映画だけでなく恋愛そのものにも興味がなさそうです。

つまりひろゆき氏は、親子関係にしろ恋愛関係にしろ、人間にとって愛着がたいせつであることを認識できないのです。
ひろゆき氏は倫理観がすっぽり抜け落ちた人だと言いましたが、そのもとには人間関係の認識の欠落がありました。

2ちゃんねるの書き込みで名誉を棄損され傷ついた人に対しても、ひろゆき氏はなにも思わないのでしょう。ですから、平気で損害賠償金を踏み倒すことができます。
一方、愛着によって思考が乱されないので、ディベートのときには強みになります。


私はかつてひろゆき氏の顔を見て、あまりにも無表情なので、爬虫類みたいな人だなと思ったことがあります(個人の感想です)。
しかし、最近のひろゆき氏は表情が豊かになって、結婚して夫婦関係もよさそうです。
パソコンを児童養護施設に寄付するという活動もしています(その金は損害賠償金の支払いに当てるべきだと言いたいですが)。
つまりだんだんと“真人間”になってきているのです。
ひろゆき氏の変化を見守りたいと思います。


余談ですが、成田悠輔氏の顔にもひろゆき氏と同じテイストを感じます。
こういう人が活躍する世の中でいいのだろうかと思います。