
高市早苗自民党総裁が日本初の女性首相になりそうです(これを書いているのは10月20日)。
共同通信が自民党総裁選直後(10月4~6日)に行なった世論調査では、高市氏に「期待する」という回答が68%にのぼり、女性首相の誕生についても「望ましい」と「どちらかといえば望ましい」を合わせると86.5%ありました。
「女性首相」は国民に歓迎されているようです。
しかし、上野千鶴子氏がXに「初の女性首相が誕生するかもしれない、と聞いてもうれしくない。来年は世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数で日本のランキングが上がるだろう。だからといって女性に優しい政治になるわけではない」と投稿するなど、フェミニストはこぞって高市氏の「女性首相」に否定的です。
「女性首相」の意義とはなんでしょうか。
高市氏はイギリスのサッチャー首相を尊敬しているそうです。
私はサッチャー氏が首相になった当時のことを覚えていますが、政治の世界が女性を受け入れるようになったとか、女性の地位が向上したとかはまったく思いませんでした。
というのは、サッチャー氏についての私の印象は「男以上に男らしい女」というものだったからです。つまり外側は女でも、中身はマッチョでタカ派です。
ギリシャ喜劇に『女の平和』というのがあるように、女性が政治をすれば平和になるというイメージがありますが、彼女についてはまったく当てはまりません。
実際、フォークランド紛争のときは強硬に軍事力で対処し、アルゼンチンを屈服させました。
彼女はまた、新自由主義的な弱者切り捨ての非情な政策を断行しました。
彼女がイギリス首相になることで、政治の世界はますます男の世界になったように思えました。
サッチャー首相のために、女性が政治の世界で成功するにはあそこまで男のようにならないといけないのかと思われて、むしろ女性の政治参加を遅らせたのではないかと私は思っています。
高市氏はタカ派的な言動はサッチャー首相に似ているようですが、実際はサッチャー首相とは真逆です。サッチャー首相は「男らしさ」を武器に政界で成功しましたが、高市氏は「女らしさ」を武器に政界で成り上がりました。
高市氏はテレビの女性キャスターで名前を売り、政界に進出しました。女性キャスターはルックスがよくて、「女らしい」女性と決まっています。
男だらけの政界において、魅力的な女性であることは大きな武器です。
ちなみに小池百合子東京都知事もテレビのキャスターから政界に転じた人ですし、蓮舫氏も同じです。
現在、自民党には女性のタレント議員として生稲晃子氏、森下千里氏、今井絵理子氏、三原じゅん子氏などがいます。自民党の偉い人は女性タレントが好きなのでしょう。
しかし、高市氏もいつまでも「女らしさ」を武器にすることはできません。
そこで、「保守派の女」として生きることにしたようです。
保守、右翼、タカ派というのはほとんどが男性なので、女性は希少価値があり、重宝されます。
たとえば櫻井よしこ氏は女性であることによって保守派の中で大きな存在感があります。
高市氏は昔はそんなに保守色はありませんでしたが、どんどん保守色を強めてきました。
そして、そのことが奏功して、たとえば選択的夫婦別姓問題について討論するというとき、決まって高市氏が出てきて、持論の通称使用拡大を述べながら夫婦同姓制度の維持を訴えます。
今は95%の夫婦が夫の姓を使用しており、夫婦同姓制度は男が一方的に得をする制度です。男性がこの制度を擁護したら「男だから言うんだろう」と思われるだけですが、女性である高市氏が擁護するとそういう反論は成立しません。
高市氏は孤軍奮闘して選択的夫婦別姓反対を訴えてきました。
もし高市氏がいなければ、世論は選択的夫婦別姓のほうに大きく傾いていたでしょう。
女性天皇についても高市氏は反対論を述べてきました。
女性天皇はだめと言いながら自分は女性首相になるのですから、おかしなものです。
高市氏は「保守派の女」として自民党内で存在感を持ち、政治家として成功したといえます。
しかし、実力でのし上がったというより、誰か男に引き上げてもらった形です。具体的にはずっと安倍首相に引き上げてもらっていました。
高市氏は総裁選に出るたびに推薦人20人を集めるのに苦労して、安倍氏の力を借りたりしていました。今回の総裁選でも立候補表明が最後になったのは、やはり推薦人集めに時間がかかったからだといわれます。
日本はジェンダーギャップ指数世界118位の国です。その中で政治の世界はとくに男性優位で、自民党はさらに男性優位です。
そこで女性が上に行くには、男性に引き上げてもらうのが現実的なやり方だったでしょう。
サッチャー首相は「男らしさ」を武器にし、高市氏は「女らしさ」を武器にしたということで、やり方は正反対です。
しかし、どちらのやり方も、男性優位の政治の世界は変えませんでした。
土俵はそのままにして、その上で戦っていたのです。
サッチャー首相以降、イギリス政界で女性が活躍するようになったかというと、そんなことはありません。
高市氏はまだ首相としての実績はありませんが、政界はもちろん一般社会もジェンダー平等に近づくということはなさそうです。
むしろマイナス効果があるかもしれません。
選択的夫婦別姓は高市氏が首相である限り実現しないでしょう。
「ワークライフバランスという言葉は捨てる」という発言も大いに問題です。
この発言は自分自身に関することだから問題発言ではないと擁護する声もありますが、自分自身のことなら黙っていればいいのです。「ワークライフバランスなどつまらない」という思いが言葉になって出たのでしょう。
「全員に馬車馬のように働いていただきます」とも発言しました。
この「全員」は全自民党議員ないし全閣僚という意味ですが、馬車馬のように働いたら、家に帰ってから家事などできません。つまり「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業を前提とした発言です。
高市氏は性別役割分業や家父長制といった保守イデオロギーの持ち主です。
「女性首相」に「男性首相」にない価値があるとすれば、それはジェンダー平等に貢献するということでしょう。
高市氏にそういう役割はまったく期待できません。
なお、野田聖子議員はかなりジェンダー平等に理解のある人のようですから、もし野田議員が首相になっていたら、まったく違っているでしょう。
つまり女性なら誰でもいいのではなく、誰が首相になるかが問題です。
しかし、野田議員のような人は、自民党内でまったく評価されません。
選挙制度を改革して、新しい人がどんどん政界に入ってくるようにしないと、日本は変われません。

