
パリ五輪開会式を見ると、やはり世界史で重きをなした国は違うなあと思います。
2008年の北京五輪開会式は圧巻でした。紙、絹とシルクロード、陶磁器、茶、羅針盤など中国由来のものを次々と繰り出して、中国の文化がいかに世界に貢献したかを示しました。
ナショナリズムを前面に打ち出して成功したのですが、これは実際に中国文明が世界史の中で偉大だったからです。
次のロンドン五輪開会式も、北京に刺激を受けたのでしょう、イギリスの“偉大な歴史”を示して成功しました。蒸気機関と産業革命が世界を大きく変えたことは誰もが認めざるを得ません。
次のリオデジャネイロ五輪開会式は、ブラジルには中国やイギリスに匹敵するすごい歴史がないのでどうするかと思っていたら、逆のやり方でした。植民地化されたりした苦難の多い歴史を描いて世界の共感を得ることに成功したと思います。そこにアマゾン流域の森林資源という環境問題を加え、一国の歴史とグローバルな問題を組み合わせるというのもうまいやり方でした。
そこで東京五輪開会式になるわけですが、安倍晋三前首相や森喜朗前東京五輪組織委会長の方針は「日本すごい」ということをアピールせよというものだったに違いありません。しかし、日本には中国やイギリスのように、世界にアピールできるすごいものはありません。戦後、焼け野原から世界第二の経済大国になったのはすごかったのですが、それは過去の栄光です。
そこでピクトグラムのパフォーマンス、ゲーム音楽の入場曲、市川海老蔵の歌舞伎、木遣り唄と大工のパフォーマンスなどがあったわけですが、これではたいして「日本すごい」をアピールできませんでした。
「イマジン」や「翼をください」やダイバーシティや復興も盛り込まれて、全体としてわけがわからないものになりました。
電通が編成した制作チームは、日ごろスポンサーの要望を取り入れることに長けているので、政治家からいろんなことを要望されるとみんな取り入れたのでしょう。
当時の週刊文春の報道によると、木遣り唄と大工の棟梁のパフォーマンスが取り入れられたのは、都知事選で火消し団体の支援を受けた小池百合子都知事の強い要望があったからだということです。
聖火リレーの最後の走者に長嶋茂雄氏、王貞治氏、松井秀喜氏が登場しましたが、世界の人にとってはわけのわからない人なので、国内受けをねらったものです。
ただ、長嶋茂雄氏と王貞治氏はプロ野球界のレジェンドですが、松井秀喜氏は年齢も若く、違和感があります。これは森喜朗前東京五輪組織委会長が同郷(石川県)の松井秀喜氏を押し込んだのだといわれました。
国のトップの人間が、最高の開会式で世界の人を感動させようとするのではなく、自分の利益を考えて開会式をねじ曲げているというところに、日本の劣化が現れています。
ともかく、東京五輪は「日本すごい」を打ち出そうとしたものの、日本にすごいところがなかったので失敗しました。
その点、フランスは違います。
フランス革命は世界に貢献しました。これはイギリスの産業革命にも匹敵します。
「世界の人が自由と人権を享受できているのはフランス革命のおかけだ」とフランスが主張してもおかしくありません。
開会式を演出した芸術監督のトマ・ジョリー氏がフランス革命を重視して演出したことは確かです。
そして、そのことが賛否両論を生みました。
産業革命を否定的にとらえる人はまずいないでしょうが、フランス革命はも現在の政治思想ともつながっているので、そう単純ではありません。
政治的立場を右翼と左翼というようになったのは、フランス革命のときの議会で、議長席から見て右側に王党派・貴族派がいて、左側に共和派・急進派がいたからだとされます。
保守派が右翼、改革派が左翼というのは今も同じです。
フランス革命の「自由・平等・友愛」を否定する人はあまりいないでしょうが、左翼的なものを嫌う人はいます。
フランス革命を描いたら左翼的にならざるをえないので、そのため右翼的、保守的な人が開会式の演出に拒否反応を示したのです。
最初に問題になったのは、名画「最後の晩餐」をパロディにしたような場面があったことです。これはキリスト教への冒涜だということになり、ローマ教皇庁(バチカン)も「全世界が共通の価値観の下に集うイベントで、宗教的信念を嘲笑するような暗示はあってはならない」という声明を発表しました。
しかし、芸術監督のトマ・ジョリー氏は、「最後の晩餐」とは無関係で、ギリシャ神話の異教徒の祝宴がアイデアにあったとしています。
ドラァグクイーンなどが出ているところから多様性を表現したものでしょうから、そうすると「最後の晩餐」ではなく「異教徒の祝宴」が正しいような気がします。
もっとも、キリスト教会の立場からは「異教徒の祝宴」でも不愉快です。
右翼・保守派の立場からはLGBTQが出てくること自体が不愉快です。
次に問題になったのは、マリー・アントワネットの生首です。
『レ・ミゼラブル』の「民衆の歌」が流れる中、街頭で蜂起する民衆の姿が描かれ、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」のような場面も出てきます(この場面があることを思うとやはり「最後の晩餐」なのかもしれません)。
そして、マリーアントワネットが幽閉されていたという建物が出てきて、首を斬られたマリー・アントワネットが自分の首を持っていて、その首が歌を歌います。

それからヘビメタのバンド演奏があり、曲の最後に多くの窓から血しぶきを思わせる赤いテープが一斉に飛び出します。
これが「グロテスクだ」「気持ち悪い」という批判を浴びました。
しかし、マリー・アントワネットとルイ16世の処刑はフランス革命の中核をなす事実です。
ギロチンもフランス革命と切っても切り離せません。
ロベスピエールなどの急進派はギロチンで反対派を大量に粛清し、恐怖政治といわれ、これがテロリズムの語源となりました。
フランス革命が血なまぐさかったのは事実ですから、そこをごまかすわけにはいきません。
ギロチンでの処刑シーンはさすがに表現できないでしょうから、ブラックユーモアでうまく表現したというところです。
グロテスクなものに関しては、個人的な好き嫌いがあります。スプラッターホラー映画が好きな人もいれば嫌いな人もいます。
そして、グロテスクなものの好き嫌いには政治的立場が関係しています。
グロテスクな画像を見た人の脳をMRIスキャンすると、右翼的な人の脳は強い拒絶反応を示し、左翼的な人の脳はそうでもないという科学的研究があります。一枚のグロ画像を見せるだけで95%の 確率でその人の思想傾向が当てられたそうです。
私はこれをもとに「右翼思考の謎が解けた!」という記事を書きました。
たとえば戦争の悲惨さを強調するのはつねに左翼で、戦争における英雄的行為を強調するのは右翼です。悲惨でグロテスクな現実は右翼の脳内で美しいものに変換されるようです。
したがって、開会式の演出が「グロテスクで不愉快だ」と批判する人はほんど右翼だと見なしても間違いありません。
開会式の演出は人々の政治的傾向もあぶり出したのです。
「最後の晩餐」のパロディではないかと議論を呼んだ場面ですが、「最後の晩餐」のパロディであってはいけないのでしょうか。
「名画のパロディはよくない」という人はいないでしょう。モナリザはいっぱいパロディになっているからです。
「キリストが描かれた宗教画をパロディにするのはよくない」ということでしょうが、宗教をパロディにしてはいけないということはありません。
風刺誌「シャルリー・エブド」がムハンマドを冒涜したマンガを載せてイスラム諸国から批判の声が上がったとき、マクロン大統領は「フランスには表現の自由がある」と言って批判をはねのけました。
今回、バチカンの批判を受けてパリ五輪組織委は「奇抜な開会式で不快な思いをした人がいるなら申し訳なく思う」と謝罪しました。
イスラムへの態度とバチカンへの態度が違いすぎます。
もっとも、これは組織委の腰が引けているだけかもしれません。マクロン大統領は「フランスのありのままを示した開会式をフランス人は誇りに思っている」と言いました。
「最後の晩餐」のパロディが(だとすればですが)なにを風刺したかというと、キリストと12人の使徒の全員が男性であることでしょう。
キリスト教会はほぼ完全といってもいいぐらいに男性支配の世界です。しかも同性愛嫌悪、LGBTQ嫌悪が強烈です。
ドラァグクイーンやわけのわからない男や女や子どもが並んでいたのは、そうしたキリスト教会を批判したものと思われます。
それだけにキリスト教会や信者の反発も強く、ジョリー芸術監督に対する殺害予告があったために検察当局が捜査していますし、出演したドラァグクイーンなどにもSNS上で中傷があったとして捜査しています。
ジョリー芸術監督は同性愛者であることを公表しています。
ですからこの対立は、多様性を否定するキリスト教勢力と多様性を肯定する左翼勢力との闘争と見ることができます。
右翼と宗教はきわめて近い関係で、アメリカの保守派はキリスト教勢力と変わりませんし、日本の保守派も国家神道や統一教会とつながっています。
開会式の演出はキリスト教批判だからけしからんという人は右翼ですし、グロテスクだからけしからんという人もほぼ右翼です。
フランス革命当時、議場の右側に座っていた勢力と左側に座っていた勢力との争いは今も続いていて、フランス革命はいまだ未完です。
バリ五輪開会式はそのことを浮き彫りにしました。
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今回、バチカンの批判を受けてパリ五輪組織委は「奇抜な開会式で不快な思いをした人がいるなら申し訳なく思う」と謝罪しました。
イスラムへの態度とバチカンへの態度が違いすぎます。
もっとも、これは組織委の腰が引けているだけかもしれません。マクロン大統領は「フランスのありのままを示した開会式をフランス人は誇りに思っている」と言いました。
「最後の晩餐」のパロディが(だとすればですが)なにを風刺したかというと、キリストと12人の使徒の全員が男性であることでしょう。
キリスト教会はほぼ完全といってもいいぐらいに男性支配の世界です。しかも同性愛嫌悪、LGBTQ嫌悪が強烈です。
ドラァグクイーンやわけのわからない男や女や子どもが並んでいたのは、そうしたキリスト教会を批判したものと思われます。
それだけにキリスト教会や信者の反発も強く、ジョリー芸術監督に対する殺害予告があったために検察当局が捜査していますし、出演したドラァグクイーンなどにもSNS上で中傷があったとして捜査しています。
ジョリー芸術監督は同性愛者であることを公表しています。
ですからこの対立は、多様性を否定するキリスト教勢力と多様性を肯定する左翼勢力との闘争と見ることができます。
右翼と宗教はきわめて近い関係で、アメリカの保守派はキリスト教勢力と変わりませんし、日本の保守派も国家神道や統一教会とつながっています。
開会式の演出はキリスト教批判だからけしからんという人は右翼ですし、グロテスクだからけしからんという人もほぼ右翼です。
フランス革命当時、議場の右側に座っていた勢力と左側に座っていた勢力との争いは今も続いていて、フランス革命はいまだ未完です。
バリ五輪開会式はそのことを浮き彫りにしました。
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