村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

タグ:マルクス主義

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名古屋市長で日本保守党共同代表である河村たかし氏は4月22日、「なごや平和の日」に関して「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と語り、各方面から批判を浴びました。
自民党市議団からも批判され、擁護や賛同の声はほとんどありませんでした。
しかし、河村氏は発言を撤回せず、4月30日の記者会見で「道徳的」の意味は「感謝される対象、徳がある」などと説明し、「祖国のために死んでいったことは一つの道徳的行為だった」と改めて語りました。

圧倒的に批判されても河村氏が発言を撤回しないのはどうしてでしょうか。
それは「道徳的」という言葉を使ったからです。
「道徳的」ないし「道徳」という言葉を使った人は決して反省しません。


杉田水脈議員は衆院本会議場で「男女平等は、絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」と発言したことがあります。
男女平等を否定する発言にはさすがに批判一色でした。
しかし、杉田議員は発言の撤回も謝罪もしませんでした。衆院本会議場の発言はそのままになっています。
「道徳」という言葉を使ったからです。

広島市の松井一実市長が職員への講話で教育勅語の一部を引用し、新規採用職員の研修用資料にも教育勅語の一部が引用されていることが批判されてきました。
教育勅語については戦後の国会で排除・失効が決議されており、平和都市広島にふさわしくないということなどが主な批判の理由ですが、松井市長は今年3月の記者会見でも「新年度以降もちゃんと説明しながら使いたい」と語り、批判には取り合わない態度です。
松井市長は「道徳」という言葉は使わなかったかもしれませんが、教育勅語が道徳そのものです。

戦後、政治家が教育勅語を肯定する発言をすると、そのたびに批判されますが、それでもこの手の発言は繰り返されてきました。
教育勅語が道徳なので、反省しないのです。

政治の世界ばかりではありません。
最近のネットニュースにあったのですが、大阪のアメリカ村にあるたこ焼き店「しばいたろか!!」はレジのところに《タメ口での注文は料金を1.5倍にさせていただきます。スタッフは奴隷でもなければ友達でもありません》と書かれた紙を張り出していて、これがXに投稿されると炎上しました。
たこ焼き店の社長は取材に対して「決してお客様に対して喧嘩を売ってるわけではありません。ただ、人として普通のことを言ってるだけなんです」と、やはり反省の態度は示しませんでした。自分の行為は道徳的だと思っているからでしょう。


こうしたことは海外でも見られます。
国連は、世界各地の武力紛争がもたらす子どもへの影響を調査し、子どもの権利を著しく侵害した国をリストにして公表していますが、このたび新たにイスラエルをリストに加えたと6月7日に発表しました。
これにイスラエルは猛反発し、ネタニヤフ首相は声明で「国連は殺人者であるハマスを支持しみずからを歴史のブラックリストに加えた。イスラエル軍は世界で最も道徳的な軍隊だ」と述べました。
「道徳的」という言葉を使ったので、イスラエルは絶対反省しないでしょう。


「道徳」を持ち出すと、誰もが思考停止になってしまいます。
これは批判する側も同じです。批判するほうも思考停止して決め手を欠くので、批判される側はぜんぜんこたえません。

そもそも道徳とはなにかということがよくわかっていないのです。
国語辞典では「人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体」などと説明されていますが、これではなんのことかわかりません。

道徳はわけがわからないものなので、当然役にも立ちません。そのことを河村たかし名古屋市長の「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」という言葉を例に示してみます。

戦争に行って祖国のために命を捨てるというのは、国家にとっては道徳的行為かもしれませんが、親にとっては「親に先立つ不孝」というきわめて不道徳な行為です。河村市長は実は親不孝という不道徳な行為を勧めていることになります。
それに、「戦争に行く=命を捨てる」というのはおかしな発想で、太平洋戦争でボロ負けした日本特有のものでしょう。
戦争に行く本来の目的は、自分たちが生き延びるために敵を殺すことです。敵兵を殺すのは果たして道徳的行為でしょうか。

つまり道徳には普遍性がないので、見る角度によっては真逆になってしまいます。
教育勅語は「汝臣民」に向けたものなので、あくまで「日本国民の生き方」であって、決して「普遍的な人間の生き方」を示したものではありません。
教育勅語には「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」(文部省現代語訳)とあります。河村市長も「一身を捧げて」という言葉を受けて「祖国のために命を捨てる」と言ったのでしょう。
しかし、これを外国から見れば「偏狭なナショナリスト」や「狂信的なテロリスト」育成の教えとしか思えません(実際、自爆攻撃につながりました)。

「人のものを盗んではいけない」というのは普遍的な教えのように見えます。しかし、盗まれるものをなにも持たない貧乏人にも大金持ちにも等しく適用されるので、実は金持ちに有利な教えです。
「人に迷惑をかけてはいけない」というのもよくいわれますが、これは身体障害者や病人の存在を無視した考え方です。身体障害者や病人が人に迷惑をかけるといけないみたいです。また、自分が人に助けを求めることもしにくくなります。
日本では「人に迷惑をかけてはいけない」というのは道徳の筆頭に上げられますが、外国ではほとんどいわれることがないそうです。日本人に助け合いの心が少ないことの表れかもしれません。


道徳には根拠もありません。そのため、宗教と結びつく形で存在しています。
欧米では道徳はキリスト教と結びついていて、日曜学校で教えられるのが道徳です。
日本でも教育勅語は現人神である天皇と結びついています。
道徳は宗教の中に閉じ込めておくか、倫理学者の難解な本の中に閉じ込めておくのが賢明です。
道徳を世の中に持ち出すとろくなことになりません。


ところが、保守派はやたらと道徳を公の場に持ち出します。
アメリカの保守派が主張する中絶禁止や同性婚禁止は要するにキリスト教道徳です。
日本でも、保守派が主張する夫婦別姓反対は「家族は同じ姓のもとにまとまるべき」という道徳です。
日本のジェンダーギャップ指数が低位なのも保守派の道徳のせいです。

こういう道徳はみな時代遅れです。
というか、そもそも道徳は時代遅れなものです。
芥川龍之介は『侏儒の言葉』において「道徳は常に古着である」といっています。
さらに「我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我我は殆ど損害の外に、何の恩恵にも浴していない」ともいっています。

芥川龍之介はちゃんと道徳を否定しています。
しかし、今の世の中は、河村市長の発言や水田議員の発言や教育勅語などを表面的に批判するだけで、道徳そのものを批判しないので、中途半端です。そのために保守派の持ち出す道徳で世の中の進歩が妨げられています。

道徳そのものを批判する視点を持っていたのはマルクス主義です。
マルクス主義では、生産関係である下部構造が上部構造を規定するとされ、道徳も上部構造であるイデオロギーのひとつです。ですから、道徳は資本家階級が労働者階級を支配するのに都合よくつくられているとされます。
しかし、どんなに過激なマルクス主義者でも「人を殺してはいけない」とか「人に親切にするべきだ」とかの道徳までは否定しないでしょう。その意味では中途半端です。

フェミニズムは「男尊女卑」や「良妻賢母」などの男女関係の道徳を否定しましたが、道徳全般を否定しているわけではないので、やはり中途半端です。


道徳全般を否定する新たな視点が必要です。
道徳、善悪、価値観などをすべて否定すると、つまり「道徳メガネ」や「価値観メガネ」を外すと、現実がありのままに見えるようになります。
私はそういう視点からこの文章を書きました。

道徳全般を否定する視点を身につけるには別ブログの「道徳観のコペルニクス的転回」を読んでください。

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今年は日本共産党結成100周年です。
ソ連東欧圏の崩壊とともに共産主義も思想として破綻したと見なされていますが、日本共産党はずっと「共産党」を名乗って、綱領には「科学的社会主義」が掲げられています。
「科学的社会主義」とはなんでしょうか。

志位和夫委員長は4月14日の記者会見で、ウクライナ侵略に反対することと「科学的社会主義」の関係について問われ、「マルクス、エンゲルスはその生涯を通じて、19世紀の二つの覇権主義――帝政ロシアの膨張主義およびイギリス資本主義の植民地主義に対してたたかいを続けてきた」とし、「日本共産党はマルクス、エンゲルスの立場を引き継ぐものだ」と述べました。
どうやら「科学的社会主義」はマルクス主義のことのようです(レーニンは排除されたようです)。
綱領には「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく(中略)民主主義革命である」とありますが、そのあと「日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる」として、「生産手段の社会化」をうたっています。

国民民主党や連合の芳野友子会長が野党共闘から共産党を排除するよう立憲民主党に要求しているのは、共産党がマルクス主義政党だからということでしょう。

しかし、社会主義経済や計画経済は、格差社会問題や地球環境問題の観点から世界的に見直されています。
単純な反共主義も時代遅れです。

とはいえ、ソ連東欧圏が政治的にも経済的にも行き詰まって崩壊したのは事実です。
マルクス主義はどこが間違っていたのでしょうか。
思想的な観点から解明したいと思います。


そもそもマルクス主義はなぜ「科学的社会主義」を名乗っているのでしょうか。
これにはダーウィンの進化論の影響があります。
ダーウィンとマルクスはほとんど同時代人です(ダーウィンは1809年生まれ、マルクスは1818年生まれ)。
マルクスは『種の起源』を読んで感銘を受け、『資本論』の第一巻をダーウィンに献本しています。原始共産制、奴隷制、封建制、資本制、共産制へと社会が進化するという唯物史観は進化論の影響でしょう。
革命家は体制側に立つキリスト教会とも戦わねばなりませんでしたが、聖書の創造説を否定する進化論の登場は革命家にとって強力な援軍になりました。
マルクス主義は「宗教はアヘンだ」としてキリスト教と全面対決しましたが、それを可能にしたのは進化論の援軍でした。

マルクス主義は進化論を土台にしたので「科学的社会主義」を名乗ったのです。

幸徳秋水は『平民主義』において、「社会主義が自由競争を禁止しようとするのは、進化論の生存競争の法則と矛盾するのではないか」という疑問に答える形で、進化論とマルクス主義の関係について次のように書いています。
ダーウィン氏の進化説は、千古不滅の真理である。けれども、彼はただ、生物自然の進化する根本の理由を説示するにとどまった。
だから、どうしてこれを人類社会に応用すればいいか、という問題になってくると、あの、いわゆるダーウィニアンの徒が、まちまちの議論にわかれ、なかにはひどい謬見におちこんでいる者がある。
そして、ダーウィンが生物自然の領域でなしとげたのと同じような創見を確立して、じかに人類社会の領域にもちこんで貢献したのが、近代社会主義の開祖マルクスである。
マルクスもまた、すべて従来の独断・迷信を排除し、人類社会の史的発展過程を研究して、社会進化の法則が、かならず社会主義に帰着しなくてはならない必然の筋道をあきらかにした。マルクスの『資本論』は、まことにダーウィンの『種原論』(『種の起原』)とならんで種子をおろした十九世紀の大作である。
だから、ダーウィンの進化説は、ほんとうにマルクスの資本論によって、はじめて大成されたものである。いったい、社会主義をさして進化説と矛盾する、というような論者は、まだ社会主義がわからないばかりでなく、また進化説もわからない者である。(幸徳秋水著『平民主義』中公クラシックス)

マルクス主義と進化論は一時期、このように幸福な関係にありました。
しかし、ダーウィンはジェントルマン階級の人間で、しかもイギリスでもっとも格式の高い社交クラブに属するような“最上級国民”でした。その階級的立場ゆえに、ダーウィンは進化論を人間に適用するときに間違いを犯したのです。
ダーウィンは『種の起源』の12年後に著した『人間の由来』で進化論から見た人間を論じ、そこにおいて社会ダーウィン主義と優生思想を肯定し、人種差別を助長する考えを示しました。これ以降、社会ダーウィン主義と優生思想が社会を席巻し、ナチスによるホロコーストの悲劇も生まれました。
現在でも進化論によって人間を論じると、人種差別、社会ダーウィン主義、優生思想を肯定する間違いを犯す者が少なくありません(たとえば橘玲や竹内久美子など)。

ともかく、ダーウィンが進化論の人間への適用を間違ったので、マルクス主義と進化論はたもとを分かちました。
今ではマルクス主義と進化論に密接な関係があったことはほとんど忘れられているので、なぜマルクス主義が「科学的社会主義」を名乗っているのかわからない人も多いかもしれません。


ダーウィンが進化論の人間への適用を間違ったのは、あくまでダーウィンの間違いで、マルクス主義とは無関係です(ダーウィンの間違いについては「道徳観のコペルニクス的転回」で詳しく述べています)。
それとは別に、マルクス主義そのものに間違いがあります。


マルクス主義など社会主義思想は、経済体制の変革を目指すものですが、その根底には「人間解放」ということがあります。
人間解放の思想の源流は、ジャン=ジャック・ルソーの『人間不平等起源論』にあります。
『人間不平等起源論』の有名な一節を引用します。

ある土地に囲いをして「これはおれのものだ」と言うことを思いつき、それを信ずるほど単純な人たちを見いだした最初の人が、文明社会の真の創立者であった。

このときから人間社会の不平等が始まって、それ以前の自然状態では平等だったというわけです。
マルクス主義が人間社会の最初の状態を原始共産制と見なしたのと同じです。

ルソーは、土地に囲いをすることを思いついた賢い人間と、それを信じた愚かな人間との間で不平等が生じたとしています。しかし、そんな自分に損になることを単純に信じる人間はいません。実際は土地の囲いを巡って争いがあったはずです。そして、強者が弱者に対して自分の言い分を通したのです。
つまり自然状態でも生物学的な強者と弱者がいました。ただ、その差はわずかでした。しかし、その差をもとにした社会制度ができると、社会的な強者と弱者が生まれ、その差はしだいに拡大してきたというわけです。

ともかく、不平等や支配は個人と個人の関係から生じるので、社会から不平等や支配をなくそうとすれば、個人と個人の関係から正していかなければなりません。

ところが、マルクス主義が問題にしたのは、奴隷と市民、地主と小作人、資本家と労働者という、生産関係における階級支配でした。
資本主義社会では、労働者階級が資本家階級を打ち倒せば人間解放という目的は達成されると考えたのです。
これがマルクス主義の根本的な間違いでした。
労働者階級が資本家階級の支配から解放されたとしても、さまざまな支配のひとつから解放されたにすぎません。

たとえばソ連においては、女性が職場や軍隊にも進出し、男女平等に近づいたようでしたが、党や国家の上層部は男性ばかりで、家庭内の性別役割分業も昔とほとんどかわりませんでした。
つまり女性は男性支配から解放されていなかったのです(フェミニズムがそれを明らかにしました)。


さらに、もうひとつの問題があります。
それは知識階級支配という問題です。
複雑化した現代社会では知識階級の力が大きくなりました。
社会主義運動も、労働者が主体であるというよりも、実質的には知識人が主導して行われていました。
とりわけマルクスやエンゲルスの書く文章はむずかしいので、知識人でないとなかなか理解できません。そのため労働者は読書会や学習会で知識人から学びました。
マルクス主義は「科学的社会主義」という“真理”なので、知識人はより“真理”に近い人ということになりました。
つまりマルクス主義には“知識階級独裁”という罠が隠されていたのです(これを“プロレタリアート独裁”という言葉でごまかしていました)。

革命が成功してソ連が成立すると、党や国家の上層部は知識階級によって占められました。
これはどんな国家でも同じですが、マルクス主義では知識階級支配に対して無警戒なので、ソ連は独裁国家になり、党幹部や国家官僚は特権階級化しました。
これがマルクス主義のもたらした最大の問題です。


マルクス主義は労働者階級が解放されればすべての問題が解決すると考えたのですが、実際には男性が女性を支配しているという問題があり、さらに、知識階級が非知識階級を支配しているという問題もありました。

つまりルソーが想像したように、強者と弱者が出会ったときに支配が生じるので、支配はいたるところにあります。
しかし、今のところ人間解放の思想としては、マルクス主義など社会主義思想とフェミニズム思想しかありません。
このふたつでは不十分です。
いちばん肝心なことが抜けています。

人間が生まれて最初に体験する支配は、親からの支配です。
親は子どもに対して圧倒的な強者です。
親は自分の子どもを思い通りにしようと教育・しつけを行い、「やさしい子になってほしい」とか「たくましい子になってほしい」とか「医者にしたい」とか「ピアニストにしたい」とか考えますが、こうした考えはすべて子どもの人生を支配しようとするものです。
そうしたことがまかり通っているので、悲惨な幼児虐待も起こります。

親子関係は人間関係の原点なので、親子関係に支配があることを理解すれば、あらゆる人間関係の支配が理解できるようになります。
人間社会の不平等や支配を解決するには、親子関係の改善から始めなければなりません。


このようにマルクス主義は、人間解放の思想としては、階級支配しか視野になくて、性差別も子ども差別も無視していたので、まったく不十分でした。

日本共産党の綱領には、フェミニズムが取り入れられて「ジェンダー平等」がうたわれています。
しかし、「子どもの人権」や「子どもの主体性」という言葉はなく、子どもは「教育の対象」ととらえられています。
また、「民主集中制」という言葉もあって、ソ連の独裁政治に対する反省も不十分です。


あと、社会主義経済はうまく機能するのかという問題もあります。
これは大きな問題なので、簡単には答えられませんが、中国もベトナムも市場経済を取り入れることで経済発展をしています。
市場経済を前提に貧富の差の解消をはかるというのが正しい道ではないかと思います。

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アメリカの民主党の大統領予備選挙で、ウォール街への課税や公立大学の無償化などを掲げるバーニー・サンダース候補が善戦しています。
アメリカのアカデミー賞では、韓国の格差社会を描いた「パラサイト 半地下の家族」が作品賞を受賞し、ニューヨークを模したゴッサムシティの格差社会を描いた「ジョーカー」も過去最多の16部門でノミネートされ、主演男優賞などを受賞しました。
どうやらアメリカでは格差社会問題が大きなトレンドになっているようです。

格差社会問題とはなんでしょうか。


昔、社会主義思想にまだ力があったころは、よく「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」と言ったものです。
この言葉は、新約聖書のマタイによる福音書に「持っている者は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない者は、持っているものまで取り上げられるであろう」と書かれていることからきているので、「マタイの法則」とも呼ばれます。
しかし、この言葉は誇張だったようです。

トマ・ピケティは2013年に著した「21世紀の資本」において、資本主義社会では一般的に「資本収益率>経済成長率」という法則が成立すること、つまり資産家の収入の増加は労働者の収入の増加よりも大きいということを膨大なデータから明らかにしました。つまり、「富める者はますます富み、貧しき者は少ししか富まない」というのが正しいということです。
この法則が成立すると、大規模な戦争や革命がない限り、富める者と貧しき者との差はどこまでも拡大していくことになります(ですから、「貧しき者はますます貧しくなる」は実感としては正しいかもしれません)。

この法則のもとでは、親から多くの資産を受け継ぐ者は少なく受け継ぐ者よりも豊かになるので、生まれによって社会階層が決まる傾向が強まり、階級社会化が進むことになります。

「21世紀の資本」は世界的なベストセラーになり、とくに否定や反論はされていません。
「資本収益率>経済成長率」の法則は、格差社会の実態を可視化しました。
最近、格差社会問題が注目されるようになったひとつの原因です。


多くの人は、格差がどんどん拡大していくことは好ましくないと思うでしょう。
ピケティも富裕層への課税強化を国際的に連携して行うべきだと提言しています。

しかし、格差社会を肯定したい人もいます。
これまで格差社会を肯定したい人は、「貧富の差は能力の差である」という説に依拠してきました。「能力のある者が多くの収入を得るのは当然だ」という主張には、それなりの説得力があります。しかし、人間の能力というのは基本的に一定なので、貧富の差が年々拡大していくことは、能力の差によっては説明できません。

そこで最近は、「貧富の差は努力の差である」という説が採用されています。「努力した者が多くの収入を得るのは当然だ」ということです。裏を返せば、「貧困層は努力しない者だ」ということです。
努力やそれに類する概念は、誰もが日常会話の中で、「お前は努力が足りない」とか「もっとがんばれ」とか「やる気を出せ」というように使っているので、「貧富の差は努力の差である」という説は、賛成反対は別にして、誰でも理解できます。そのため、「貧富の差は努力の差である」という説は、世の中に一定の広がりを見せています。とりわけ福祉制度を攻撃する際に、「怠け者に税金を使うな」という形でこの説が利用されています。

この説によれば、世の中には努力する人間と努力しない人間がいることになります。
その違いはどこからくるのかというと、「自由意志」によるとされます。

自由意志とはなんでしょうか。
自由意志のひとつの意味は、「人為による強制・支配・拘束を受けない状況での意志決定のあり方」をいいますが、このことは問題ではありません。
もうひとつの意味は、「自然法則や自然界の因果律の影響を受けない状況での意志決定のあり方」をいい、このような意志決定が可能かどうかについては、昔から哲学上の問題として議論されてきました。

ですから、「お前が貧乏なのは努力しないせいだ」とか「怠け者に税金を使うな」と主張する人に反論しようとすると、哲学論議をしなければなりません。
しかし、哲学論議というのは、いくらやっても結論が出ないので、余裕のある人が暇つぶしでするものです。格差社会をどうするかという切実な問題に直面しているときにやっていられません。

そのため、「お前が貧乏なのは努力しないからだ」とか「怠け者に税金を使うな」という主張に対しては誰も正面から反論せず、その主張が通った格好になります。
その結果、自由意志を前提とした主張が世の中を支配しています。

たとえば、「アメリカンドリーム」というのは、恵まれない環境にいる人間でも努力すれば夢がかなえられるというものです。したがって、いつまでも貧しい人間は、努力しない者だということになります。

竹中平蔵教授は、貧乏になるのも自由意志だと主張しました。

私が、若い人に1つだけ言いたいのは、「みなさんには貧しくなる自由がある」ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と。
以前、BS朝日のテレビ番組に出演して、堺屋太一さんや鳥越俊太郎さんと一緒に、「もっと若い人たちにリスクを取ってほしい」という話をしたら、若者から文句が出てきたので、そのときにも「君たちには貧しくなる自由がある」という話をした。
https://toyokeizai.net/articles/-/11927?page=2

経済学は経済人や合理的経済人という人間観をもとにした学問なので、みずから貧しくなる人間というのは想定されません。経済学者とは思えない発言です。
しかし、こんな暴論でも、議論して言い負かすことはむずかしいので、なんとなく通ってしまいます。

ちなみに「自己責任」というのも、自由意志を前提としています。最善の判断をすることができたのに、悪い判断をして悪い結果を招いたのだから、その結果は全部自分で負えということです。

刑事司法の世界も自由意志を前提としています。
「犯意」は基本的に自由意志と見なされ、自由意志によらない部分については情状酌量が認められますが、その部分はわずかです。中世の人は、水たまりや汚物などからボウフラやウジ虫が文字通り“わく”と信じていたといいますが、犯意も外部と無関係にその人間の心の中から“わく”とされるので、それと同じです。刑事司法の世界はいまだに中世段階です。
脳科学の進歩により、凶悪犯の脳に異常があることが多いという事実がどんどん明らかになっていますが(たえばジョナサン・H. ピンカス著「脳が殺す―連続殺人犯:前頭葉の“秘密” 」など)、そうした科学の成果が裁判に取り入られることはありません。

ちなみに昔の社会主義者は、社会の矛盾が犯罪を生むので、貧困をなくし福祉を充実させれば犯罪をへらすことができると考えていました。

マルクス主義は唯物論ですから、人間の意志決定は脳という物質の働きによるとされ、社会も自然法則に従って変化するとされます。当然、自由意志などは認めません。「存在が意識を規定する」という言葉が端的にそれを表現しています。


仏教思想も、人間を自然法則に従う存在と見なします。
仏教思想の核心は次の三行で表現されます。

諸行無常
諸法無我
涅槃寂静

これを私なりに現代語にすると、次のようになります。

すべてのものは変化する。
変化の法則を人間が左右することはできない(人間もまた法則に従い変化する)。
そのことを理解すれば静かな安らぎの境地に至れる。

こんな理解で静かな安らぎの境地に至れるとは思えないので、この理解は浅すぎるのでしょう。あくまで自然法則と人間の関係について私なりに解釈したということです。


このような議論はすべて哲学上のものです。
すでに述べたように、これはいくら議論しても結論が出ません。
ですから、ここは“科学”の観点を導入する必要があります。

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人間を科学の視点で見ることは、ダーウィンが進化論を発表したときから始まりました。これは「ダーウィン革命」とか「第二の科学革命」と言われます。

ダーウィン革命がどのようなものであったかは、次の文章がわかりやすく示しています。


ダーウィニズムはたんに神を殺害しただけではなく、「神の死」以後の西欧の新しい価値観を再創造するうえでも、これまたけっして小さくない役割を果たすことになる。
すなわち十九世紀後半の西欧の歴史観、世界(自然)観、人間観、道徳観は、そのすべてがいったんキリスト教的基盤をうしなったのちに、進化論的基盤のうえにおきなおされるのである。終末論的歴史観から進化主義的歴史観へ、超自然的世界観から自然主義的世界観へ、アダムに由来する人間というキリスト教的人間観から類人猿に由来する人間という進化論的人間観へ、キリスト教道徳から進化論的道徳へ――ふつう「ダーウィン革命」と呼ばれる思想的革命は、そのような意味において十九世紀末にニーチェが告知した「あらゆる価値の価値転換」の重要な一部分と見なされなければならないであろう。(丹治愛著「神を殺した男」)

ダーウィン自身はまったく革命的な人間ではありませんでした。宗教に関しても、若いころは神学校に進んで将来は牧師になろうと思ったくらいで、普通程度の信仰心を持っていました。しかし、進化論を思いついたことで唯物論へと向かうことになります。

このような、彼が言うところの「心的暴動」は、自然界に霊的または神的な力は存在せず、ただ物質があるのみとする哲学的教養である物質主義の道へ、彼を導いていった。もしもすべてのものの創造を否定するならば、人間はどこに位置し、救済の望みはどこへ行くのだろう? われわれの思考は、単に脳の分泌物ではないか、と彼は断言した。「ああ、なんという物質主義者!」と彼は叫んだ、半ば自分自身の大胆さに感激しながら。(ジャネット・ブラウン著「ダーウィンの『種の起源』」)


ダーウィンが「種の起源」を発表すると、古い体制と古い価値観を打ち壊そうとしていた革命家はこぞって歓迎しました。

カール・マルクスはダーウィンとほぼ同時代人です(ダーウィンは1809年生まれ、マルクスは1818年生まれ)。マルクスは「種の起源」を読んで感銘を受け、「資本論」の第一巻をダーウィンに献本しています。原始共産制、奴隷制、封建制、資本制、共産制へと社会が進化していくという唯物史観は、明らかに進化論の影響でしょう。
無政府主義者のピョートル・クロポトキン(1842年生まれ)はダーウィンの進化論の強い影響を受けましたが、進化論が生存闘争の原理を強調することに疑問を抱き、相互扶助の原理の重要性を説いて、「相互扶助論」を著しました。
日本でも、無政府主義者の大杉栄は、「種の起源」の翻訳をしています。

社会主義者の幸徳秋水は、「生存競争と社会主義」という文章で、このように述べています。
ダーウィン氏の生物進化の学説が、ひとたび発表されて、旧来の科学とたたかい、哲学とたたかい、宗教とたたかいはじめると、向かうところをなぎたおし、すべての独断をうちこわし、もろもろの迷信をうちやぶるありさまは、くさった木をくだき、かれた木をひきさくようないきおいで、世界の思想・学術は、そのために面目を一新した。
 いまや、生命進化の法則は、人間の知能のおよぶかぎりにおいて、うたがうことのできない一大真理として、なにの学、なにの説、なにの研究、なにの弁証であることに関係なく、あらゆる学問の領域にわたって、すべてがこれを基礎・根底にしなくてはならないようになってきた。
 そして、われわれ社会主義者もまた、心からよろこんで、ダーウィンの一信者であることを明示せずにはおられないのである。(幸徳秋水「生存競争と社会主義」)
革命思想とダーウィンの進化論はほとんど一体のものとして理解されていました。少なくとも革命家の側はそう思っていました。

もっとも、それは体制側も同じでした。進化論の社会への影響力はきわめて大きかったので、体制側も進化論を利用しようとしました。いわば革命側と体制側が進化論を巡って綱引きをしたわけです。

そして、ダーウィンは体制側を選択しました。
それはダーウィンの出身階級からすれば当然のことではありました。

ダーウィンは裕福な医者の家系に生まれ、父方の祖父は詩人で、初期の進化論者でもあり、母方の祖父は大手陶磁器製造会社ウエッジウッドの創業者でした。五年間のビーグル号の航海中、ダーウィンは無給でしたが、父親が経済的援助をしてくれました。ビーグル号の航海を終えたダーウィンはロンドンに住みましたが、松永俊男著「チャールズ・ダーウィンの生涯」はその生活をこのように描いています。


独身の若者ダーウィンが、研究と学会活動だけで満足しているはずがない。イギリスのジェントルマンの生活に欠かせないのがクラブである。その一つ、アシニアム・クラブは、現在でも当時のまま、クラブの建物が並ぶペル・メル街の一角にある。イギリスの最も格式の高いクラブで、各界のトップクラスの人々が会員に選出される。ダーウィンは立候補もしていなかったのに、一八三八年六月二一日に会員に選出された。これはダーウィン本人にとっても驚くべきことだった。独身時代は殺風景な住居からのがれて息抜きする場所だったが、結婚後も利用し、政治家や実業家たちとも親しく交際した。クラブの雑誌や図書は科学以外の分野に知見を広げるのに役立った。


ジェントルマンの生活に欠かせないことの一つが夜会だったが、ダーウィンはライエル邸の夜会のほか、有名なバベジの夜会の常連でもあった。バベジはケンブリッジの数学教授だったが、講義をせず、ロンドンに住んだままであった。土曜に開かれるバベジ邸の夜会は、学者だけでなく、各界の著名人が呼ばれ、女性も参加していた。


研究の息抜きには、航海中のミルトン『失楽園』に代わって、コールリッジとワーズワースの詩を愛読していた。兄エラズマスと近くのパブでおしゃべりするのも楽しかった。独身二九歳のダーウィンは、世界都市ロンドンで、研究、学会活動、そして余暇に充実した生活を送っていた。(松永俊男著「チャールズ・ダーウィンの生涯」)


当時のイギリスは、十八世紀後半からの産業革命でいち早く工業化を達成し、多くの植民地を獲得して、経済的繁栄を誇っていましたが、国内では矛盾も拡大し、長時間労働、児童労働、農村から都市への人口流入による住環境の悪化、社会保障の欠如などで民衆の不満は高まっていました。1832年に第一回選挙法改正が行われ、産業資本家が選挙権を得ましたが、労働者には選挙権は与えられなかったので、選挙権を求めるチャーチスト運動が起き、暴動によって死者が出ることもありました。
ダーウィンとマルクスは同時期にイギリスに住んでいたことがありますが、ダーウィンの見ていたイギリスと、マルクスの見ていたイギリスはまったく違ったかもしれません。

それに加えて、ダーウィンは人種差別主義者であり、「優生学」という言葉をつくったフランシス・ゴルトンはダーウィンの従兄弟で、思想的にも互いに影響し合っていました(ダーウィンの人種差別思想と優生思想については、このブログで「優生学の起源」として書いたことがあります)。


ダーウィンは「種の起源」の12年後に「人間の由来」を著し、進化論から見た人間について論じました。
本来ならそこで、階級対立や奴隷制や人種差別や戦争などが生存闘争の一環としてとらえられるはずでした。しかし、ダーウィンはそうした人間社会の負の面にはまったくといっていいほど言及せず、人間社会を協調的な社会としてとらえたのです。
動物は生存闘争をする一方で、子どもの世話をしたり、仲間を助けたりという利他行動もしますから、ダーウィンの人間観や社会観もそれなりに進化論的に見えました。
しかし、生物は生存闘争によって進化すると主張しながら、人間については利他性や協調性のことばかり述べるのは、やはり矛盾しています。

ダーウィンは体制側の人間として、“体制翼賛”をし、みずからダーウィン革命の幕引きをしたのです。

その結果、進化論を根拠に強者の支配を正当化する社会ダーウィン主義と、やはり進化論を根拠に弱者の排除を正当化する優生思想が社会の支配的な思想になっていきました。一方、マルクス主義は科学的社会主義を標榜しましたが、進化論と切り離されることでしだいに力を失い、ソ連・東欧圏の崩壊によって完全に破産した思想と見なされるにいたりました。

現在、進化論を根拠にして社会のあり方を論じるのは「自然主義の誤謬」であるとして批判されるので、社会思想と進化論が結びつけられることはめったにありませんが、言語化されない底流では結びついています。新自由主義も社会ダーウィン主義の流れをくむものです。優生思想もことあるごとに表面化します。


ダーウィンが体制側を選択したために、ダーウィン革命は失速し、挫折しました。
現代のわれわれは、ダーウィン革命と言われてもピンとこないのではないでしょうか。人間は神によって創造されたと信じていた人にとっては進化論は革命的だったかもしれませんが、それ以外の人にとっては人間観が変わることはなく、別段革命的ではありません。

ダーウィン革命が挫折して、科学的人間観が確立されなかったので、人間の心にはボウフラのように自由意志がわくとされます。
人間が貧乏になるのも自由意志のせいだという理屈で、支配層はさらに利益を追求して、われわれは格差社会の問題に直面しているというわけです。

したがって、格差社会問題を解決するには、挫折したダーウィン革命を救出し、革命を完遂させ、科学的人間観、科学的社会観の確立を目指さなければなりません。
人間が互いに生存闘争をする中で、強者が弱者を支配して奴隷制、階級社会、人種差別、性差別などが生みだされたというのが科学的人間観、科学的社会観です。


なお、生物学界はダーウィンの間違いを意識的に隠ぺいしているかのようです。
ダーウィンの著作はむずかしいし、時代遅れでもあるので、進化論を学ぼうとする人は、進化論の解説書を読むことになります。そうすると、そこにはダーウィンがいかに家族思いの人格者であったかということが必ず書かれています。人種差別主義者であったことも書かれていますが、それを打ち消すように奴隷制廃止論者であったことも必ず書かれています。相対性理論や古典力学の解説書を読んでも、アインシュタインやニュートンの人柄についてはそれほど書かれていません。科学の理論と、それを発見した人の人格とは関係ないからです(ニュートンはかなり偏屈な人だったようですが、だからといってニュートン力学の値打ちが下がることはありません)。

ダーウィンの人格のよい面ばかり書くのは、ダーウィンの失敗を隠ぺいする意図ではないかと疑われます。
もしダーウィンの人格を書くなら、その出身階級のことと人種差別のことをもっと書くべきです。そうすれば、ダーウィンの失敗が見えてくるでしょう。

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