村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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マンガ家の西原理恵子氏の長女である鴨志田ひよ氏が昨年7月にXに「アパートから飛び降りして骨盤折りました。もう既に入院生活苦しいですが、歩けるようになるまで頑張ります」と投稿したことから、西原理恵子氏は毒親ではないかということがネットの一部で話題になりました。

ひよ氏は女優として舞台「ロメオとジュリエット」に出演するなどし、エッセイも書いているようです。ネットの情報によると23歳です。

西原氏は「毎日かあさん」というマンガで子育ての日常を描いて、そこに「ぴよ美」として登場するのがひよ氏です。「毎日かあさん」は毎日新聞に連載された人気漫画で、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、手塚治虫文化賞を受賞しています。
しかし、ひよ氏はマンガで自分のことが描かれるのは許可なしに個人情報がさらされることだとして抗議していました。
ほかにもブログで母親から虐待されたことについていろいろと書いていました。
しかし、毒親問題についての取材依頼は断っていたようです。

そうしたところ、「SmartFLASH」に【『毎日かあさん』西原理恵子氏の“毒親”素顔を作家・生島マリカ氏が証言「お前はブス」「家を出ていけ」娘を“飛び降り”させた暴言虐待の9年間】という記事が掲載されました。
作家の生島マリカ氏はひよ氏が14歳のころに西原氏から「娘が反抗期で誰の言うことも聞かないから、面倒を見てほしい」と頼まれて関わるようになり、そのときに知った西原氏の毒親ぶりを語ったのです。

もっとも、それに対して西原氏はX上で「事実を歪曲したものです」「今回の記事も娘への対面取材のないまま掲載しています」「みなさまはどうぞ静かにお見守りくださいますようお願い申し上げます」といった声明を発表しました。
ひよ氏もXで「もう関わりたくないのでそっとしておいて下さい」「飛び降りた理由家族とかそういうんじゃない」と表明し、虐待に関するブログとXの記述を削除しました。

なお、西原氏と事実上の夫婦関係にある高須克弥氏も「僕はこの件については真実を熟知しております。西原理恵子は立派なお母さんです。虐待はしていないと断言できます」と表明しました。

ひよ氏の父親は戦場カメラマンの鴨志田穣氏で、アルコール依存症のために西原氏と離婚、ガンのために2007年に亡くなりました。その後、西原氏は高須氏と夫婦関係になりましたが、ひよ氏はずっと父親を慕っていました。


ひよ氏が「そっとしておいて下さい」と言うならそうするべきですが、そうするべきでない事情もあります。
西原氏も高須氏も虐待はなかったと主張していますが、ひよ氏はブログやXに母親から虐待されたことを書いていましたし、生島氏も基本的に同じことを述べています。
どちらが正しいかは明らかでしょう。
西原氏は自分が虐待したというのは不都合な事実だから否定しているだけです。

しかし、ここでひよ氏が虐待はあったと主張して西原氏とやり合ったら、いろんなメディアが食いついて、世の中を騒がせることになります。
ひよ氏はそうなるのがいやなので、表向き否定したのです。

しかし、このまま虐待の事実がなかったことにされると、ひよ氏のメンタルが心配です。
ひよ氏がブログやXで西原氏から虐待されたことを公表したのは、理解されたかったからです。理解されればある程度癒されます。

ひよ氏が虐待に関するブログなどを削除しても、まとめサイトなどに残っています。
しかし、本人が削除したものを引用するのはよくないので、まだブログに残っている文章を引用します。

「ひよだよ」の2021年9月の文章です。
手首の手術をついにするかも

なんか、ひよちゃん第1章完結、のような気分。

手首の間接から肘まで、の傷跡を、一本の線にするんだけど、最初は記録にこの傷跡達をなにかに収めて起きたいな、、なんて思って居たけれど。

ただ、私にとって負の遺産でしかないことは、二重まぶたを作り直した時に立証された。

12歳の時ブスだからという理由で下手な二重にされ、後に自分で好きなデザインで話の会う先生に二重にしてもらったら、自分のことが好きでたまらなくなった。

たぶん、これが、普通の人がこの世に生を受けた瞬間から持ってる当たり前の感情なのだろう。


あとは手首だ。長い歴史、たくさん私を支えてくれた手首。この手首があと少しだけ、弱くあと数ミリでも、静脈が太かったり表面に近かったりしたら、いま、私はいないだろう。

リストカットを繰り返していると、同じところは切りにくいので、傷跡が手首から腕へと広がっていきます。
リストカットは死の一歩手前の行為だということがよくわかります。
なお、ひよ氏は望まないのに西原氏から二重まぶたの整形手術を強制されました。これだけでも立派な虐待です。

次は飛び降りて骨折した約1か月後に書かれた文章です。
文章が、うまくかけない、今までは脳にふわふわと言葉が浮かんできたのに。

ずっと風邪薬でodして、ゲロ吐いて、座ってタバコ吸って、たぬき(匿名掲示板)で叩かれてる自分を見て泣いてた。気づいたら今だ。

吐いても吐いても何故か太って行って、冷静な判断ができる時にiPhoneをみると、食事をした形跡がある。

泣いて泣いて、涙が全てを枯らしてくれればいいのにとねがいつづけても、何も解決することはなく、ただ、現実が強く浮かび上がる。

匿名で人を殺すこと、言葉で人を殺すこと、全てが容易で、あまりにも単純すぎた。

愛されてることが小さく見えて、匿名の言葉が体内で膨らんでいった。

歩んでいくことを、辞めたくなった。

耐えることも、我慢するのもおわりだ、虫の様、光を求め続け、その先にある太陽に沈みたかった。

ありふれた喜びや幸せをこれからも感じられないなら、辛いことが脳内でいっぱいになってるのなら、私は消えて無くなりたかった。

風邪薬のオーバードーズと摂食障害がうかがえます。
飛び降りた原因ははっきりしません。「自殺未遂」と決めつけるのも違うと思いますが、ひよ氏が生と死の崖っぷちを歩いていることは感じられます。


ひよ氏がなぜそうなったかは、「SmartFLASH」の記事における生島氏の次の言葉から推測できます。

「最初は『ひどい頭痛がするから病院まで付き添ってほしい』という相談でした。当然『お母さんに相談したの?』と聞いたら、『相手にしてくれないし、もし病院に行って何もなかったら怒られる』って。体調不良の娘を叱ることがあるのかと、そのときから不信感が芽生えたんです」(同前)

子どもの体調が悪いとき、誰よりも心配して世話をしてくれるのが母親です。
母親がまったくその役割を果たさなくて、ほかに誰もその役割を果たしてくれる人がいないと、子どもは自分の命の価値がわからなくなります。
リストカットは、なんとか自分の命の価値を確かめようとする行為ではないでしょうか。

ひよ氏にとっては、母親である西原氏が過去の虐待を認めて謝罪してくれれば理想でしたが、現実には西原氏は虐待を全面否定しました。
ひよ氏もそれに同調していますが、あくまでうわべだけです。
これではひよ氏にとってはまったく救いがありません。
最悪の事態まで考えられます。
ひよ氏の身近な人やカウンセラーが彼女の苦しみを受け止めてくれるといいのですが。


世の中もひよ氏の思いを受け止めていません。
西原氏が虐待を否定する声明を出したとき、「嘘をつくな。ちゃんとひなさんに謝れ」という声はまったく上がりませんでした。
結局、虐待を否定する親の声だけがまかり通っています。


幼児虐待を経験しておとなになった人を「虐待サバイバー」といいます。
虐待される子どもは声を上げることができませんが、虐待サバイバーなら声を上げることは可能です。
しかし、かりに声を上げても、ひよ氏もそうですが、世の中は受け止めてくれません。

性加害の被害者は、昔は沈黙を強いられていましたが、最近ようやく声を上げられるようになり、世の中も受け止めるようになってきました。
虐待サバイバーの声も受け止める世の中に早くなってほしいものです。

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              Daniela DimitrovaによるPixabayからの画像 

人間が生きて成長していくためにはさまざまな栄養素が必要で、ビタミンCが欠乏すると壊血病になり、ビタミンB1が欠乏すると脚気になり、カルシウムが不足すると骨が弱くなるということは栄養学によって明らかになっています。同様に、人間の心が成長するためには愛情という栄養素が必要で、愛情が不足すると愛情欠乏症になります。しかし、愛情はビタミンやミネラルのような物質ではないので、このメカニズムは科学としてはいまだ明らかになっていません。

第二次大戦後、大量の孤児が発生し、孤児院などの施設に収容されましたが、衣食住が十分な環境であっても、孤児の死亡率が高いという現象が見られました。原因を探ったところ、母親的な存在との情緒的なつながりの不足と考えられ、子ども一人ずつに担当の看護婦を決めて世話をすることで改善しました。
以来、施設において愛情不足により、幼児の死亡率の高さ、身体の成長や言語の発達の遅れが生じることを
「ホスピタリズム(施設病)」というようになりました。
しかし、ホスピタリズムという言葉だと、施設特有の現象と誤解されるかもしれません。そのためかどうか、最近はほとんど使われなくなりました。

「愛情遮断症候群」という言葉もありますが、この言葉だと第三者が愛情を遮断したような誤解を生みます。
精神科医の岡田尊司氏は「愛着障害」という言葉を使っていて、これは割と広がっていますが、この言葉だと愛着するほうに問題があるようにも理解できます。

そこで、私は「愛情欠乏症」ないし「愛情欠乏症候群」という言葉を使っています。この
言葉がいちばん意味が明快ではないでしょうか。


最近、幼児虐待が社会問題化して、愛情不足の問題が否応なく認識されてきました。
わが子を殺したりケガさせたりする親は極端な例ですが、それ以外の親はみんな十分な愛情を子に与えているかというと、そんなことはありません。むしろどんな親も完全な愛情を与えられないというべきで、その不足の度合いによってさまざまな問題が生じてきます。

たとえば依存症が愛情欠乏のひとつの症状です。子ども時代に親に十分に依存できなかったために、なにかに極端に依存してしまうのです。
たとえば恋愛関係になると、恋人に極端に依存するので、「重い」と言われたりします。DVを受けても逃げられないのも、相手に極端に依存しているからです。振られてもその事実を受け入れることができずにストーカーになる人も同じだと思われます。
アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症、買物依存症などは有名ですが、セックス依存症や仕事依存症、もっとほかにもあるはずです。

リストカットや摂食障害も愛情欠乏症です。これらはカウンセリングにかかることが多いと思われますが、カウンセラーもピンからキリまであるので、愛情不足に原因があると把握してくれる場合とそうでない場合とで、治り方がぜんぜん違ってきます。

私は以前、リストカットを繰り返す若い女性が出てくるドキュメンタリー番組を見たことがあります。その女性の手首には二十か三十くらいの傷がびっしりとついていて、私は見た瞬間、耐えがたいほどの痛々しい思いがしました。その女性の母親は、「死ぬのだけはやめてね」と言っていて、一見、娘の命をたいせつに思っているようですが、「私に迷惑をかけるのだけはやめてね」という意味としか思えません。娘は母親の愛情を得ようとしてリストカットを繰り返しているのでしょう。

不登校、引きこもり、家庭内暴力なども、原因はいろいろあるにせよ、愛情という心の栄養不足が根底にあります。 

人生になんの意味があるのだろうと悩む若者もいます。こういう悩みは哲学的だとしてほめる人もいますが、私の考えでは、これも愛情欠乏症の一種です。若いのに前向きに生きていけないのは、たいていは愛情不足が原因です。

 
これらをまとめて愛情欠乏症候群ということになりますが、愛情は客観的に測定できないこともあって、この病気に対する理解はまだまだです。

それに、親に向かって「あなたは子どもへの愛情不足です」と言うのは、最大級の人格否定になるので、なかなか言えません。
また、それを言うと子どもも傷つきます。親の愛情が足りないのは自分自身に愛される価値がないからだと思うからです。

しかし、「虐待の世代連鎖」という言葉があるように、親の愛情不足は多くの場合、その親自身が親から十分に愛されてこなかったことが原因です。また、夫婦仲が悪いとか低収入で生活が苦しいということも子どもへの愛情不足につながります。
いずれにせよ、子どもが栄養失調になるのは子どものせいでないように、子どもが愛情欠乏症になるのは子どものせいではありません。


愛情不足の親のあり方はさまざまです。暴力をふるったりネグレクトしたりするのはわかりやすいケースです。教育熱心は愛情の表れとされますが、愛情のない教育熱心はいくらでもあります。巧妙に子どもを支配する親は「毒親」と言われます。

愛情不足の親に対する子どもの反応はふたつに分かれます。
活動的で気の強い子どもは、親に反抗し、喧嘩し、家出したり、仲間といっしょに盛り場をうろついたりします。私はこれを「行動化する不良」と呼んでいます。若くして結婚して親元を離れることも多くあります。
活動的でなく気の弱い子どもは、争いを避けるために親に合わせるので「よい子」と思われたりしますが、心を病んで、不登校、引きこもり、家庭内暴力という方向に行きます。これを私は「行動化しない不良」と呼んでいます。

こうしたことはすべて親の愛情不足が原因ですが、世の中にはまだはっきりと認識されていません。しかし、いずれ脳科学や生理学や認知科学などが愛情を客観的に測定することを可能にし、そのときには栄養学と同様に愛情学が生まれ、世の中から愛情欠乏症候群は一掃されるでしょう。

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