村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

タグ:体罰肯定論

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教師や学校に対して理不尽な要求をする親をモンスターペアレントといいます。
客が店や企業に対して理不尽な要求をすることをカスタマーハラスメントといいますが、それの学校版です。
ただ、違うところもあります。
客は店や企業に対して支払いに対するサービスを要求する権利があり、客が優位に立っています。
しかし、親と教師の関係では、教師が親よりも優位に立っています。公立学校はほぽ無償で教育を提供してくれているので、親は教師に頭が上がりません。
とくに昔は、教師はたいてい親よりも高学歴者でしたから、その意味でも親は教師に頭が上がりませんでした。
モンスターペアレント、モンペという言葉が出てきたのは、教師と親の力関係が変わってきたからでもあるでしょう。

モンスターペアレントという言葉は、2007年に向山洋一氏(日本教育技術学会会長)が初めて使ったものとされます。私は尾木直樹氏がテレビでよく言っていたので世の中に広まったという印象を持っています。
ただ、モンスターペアレントの実態は意外と知られていないのではないでしょうか。カスハラについては、たとえばコンビニや飲食店などで目撃することがありますし、企業のカスタマーセンターに理不尽なクレームを入れる客も容易に想像することができます。しかし、モンスターペアレントが出現するのは学校の中ですから、一般の人はほとんど目にすることができません。
ですから、モンスターペアレントのイメージというのは、ほとんど教師の言い分によってつくられています。
一方の言い分しかないというのは不公平です。

「ピクシブ百科事典」に書かれている具体例を引用します。

・自分の子供がほかの子供に対するいじめや、窃盗(万引き)、器物損壊などの罪を犯しても、それを咎めない
・子供同士の喧嘩に介入した上に相手の子供を一方的に悪いと決めつける。さらに「なぜ喧嘩になる前に仲裁しなかったんだ」と学校側に訴える
・「自分の子どもがお遊戯会や運動会で活躍の場が与えられない」と文句をつける
・給食が無償のサービスに含まれていると考え、給食費を払わない(経済的な事情で「払えない」のではなく「払わない」。近い事例に「給食費を払っているのだから、感謝するべきことではない」として「いただきます/ごちそうさま」を子供に言わせないでほしいと訴える親がいるという噂が広まったことがある)
・子供が持ち込みが禁止されている携帯電話を持ってきたため没収すると「没収している間の電話などの料金を払え」と要求する
・教師に朝、子どもを起こしてくれるように頼む
・修学旅行など学外行事に無理やりついていこうとする

「給食費を払わない」とか『「自分の子どもがお遊戯会や運動会で活躍の場が与えられない」と文句をつける』とか「教師に朝、子どもを起こしてくれるように頼む」とかは、明らかに理不尽な要求です。こういう要求の対応に苦しむというのは、教師の対応能力に問題があるというべきでしょう。
とにかく、教師と親の双方の言い分を聞かないと判断できません。
ところが、「私はモンスターペアレント扱いされた者ですが、実際はこういうことなんです」と言う人はいないので、世の中には教師の言い分しか存在しません。


お笑い芸人の吉田敬氏(ブラックマヨネーズ)と粗品氏(霜降り明星)が視聴者の悩みに答える日テレの「吉田と粗品と」という番組に「モンスターペアレンツの増加に悩む32歳小学校教師」という回がありました。冒頭でこの男性教師の言い分が紹介されます。

私は小学校で教師をしているのですが、ここ最近モンスターペアレンツが増えてきたことを強く感じています。ダメなことをした児童を注意したら「うちの子が理不尽に怒られた!」と保護者が怒鳴り込んできたことも。子どもたちが将来きちんとした大人になっていくためにも「ダメなことをしたら叱られる」という経験は必要だと思います。ですが、強く指導するとクレームにつながってしまうのではないかとためらってしまうことがあり、時代の難しさを感じています。児童や保護者とはある程度距離をもって接するべきなのか? それとも「自分の正義」を貫くべきなのか? 教師としてのあり方について日々葛藤しています。吉田さん、粗品さんの率直なご意見を聞かせてください。

電話での会話で、この先生は「モンスターペアレンツは今も増えています。諸先輩方に聞いても昔と比較して多くなったとみんな口々におっしゃいますね」と言います。
吉田氏に「今まででいちばん怒ったのはどんなことですか」と聞かれると、「やっぱりいじめですかね。たとえば物を隠すとか。誰がやったかもわからへんみたいなことでも、問題がおっきくなっていく前にきびしく指導したりはします」と答えました。
状況がよくわかりませんが、誰がやったかわらないのにきびしく指導されたら、やっていない子どもは納得いかないでしょう。
この時点で私はこの先生の指導に疑問を感じました。

吉田氏「きびしく怒っただけでクレームがくるんですか」
先生「そうですね。子どもとしても『こんなん言われた』っていう風にしか伝えていないのか、子ども自身に落ち度があることは隠したまま、言われたことだけを言うとか、そういうことがあるのかもしれないですね」
これは、きびしく指導してもなにも伝わっていないということだとしか思えません。

吉田氏「怒ってくれて僕らは助かりますけどね。僕らはありがたいと思いますよ、そうやって強く」
先生「そう言っていただけるとありがたいんですけど、家庭でもあんまり叱ることが少なくなってきているのか、叱られるということに対してのキャパシティが大人も小さくなっていっているのかなって感じます」

「近ごろの子ども(若者)は叱られていないからだめだ」というのはよく言われることです。
先生と吉田氏と粗品氏は“叱る派”として一致します。

吉田氏「いじめって結構重罪ですやん。心に傷はずっとつくかもわからへんし、直接的な後遺症とかになるかもわからへんし、暴力なんかあった場合。そんなんて今どうやって止めるんですか」
先生「諭すようにとか、厳しい言葉は使わないようにっていうふうに、管理職であるとか教育委員会であるとかは言いますね」
粗品氏「えーっ、無理無茶言いますね」
吉田氏「だってアホやからそんなアホみたいなことをしてるんやから、そんなアホを諭すっていうのはなかなかむずかしいやん。強烈な電気ショックとか、そういう一時的なきつさを味わわせたいとこですよね?」
先生「電気ショックまでは思わないですけど。先生に怒られるからやめとこうという子どもなりのリスクヘッジも、それで守られる子どもがいるなら、それはそれでいいんちゃうかとは思います」
粗品氏「いいですね」

「電気ショック」というのはブラックな笑いが持ち味の吉田氏の芸風ですが、体罰肯定論は前から言っていました。『黒いマヨネーズ』(2019年刊)という著書にも書いたアイデアだそうですが、「体罰棒」というのを教師に渡して、それを使えば子どもをたたいてもいいことにする。ただし、その棒にたたいた回数が表示されるので、あとでどんな状況で体罰棒を使ったかを教師同士で話し合う。そうすれば行きすぎた体罰もなくなるというものです。
お笑い芸人らしいアイデアですが、結局は体罰肯定論です。

昔は体罰肯定論を言う文化人などがテレビでもいっぱいいましたが、どんどん少なくなって、2017年にトランペット奏者の日野皓正氏が演奏中の中学生をビンタするという事件があったとき、松本人志氏がテレビで体罰肯定論を言ったのが最後でした。
しかし、今回の吉田氏の発言で記録が更新されました。

相談者の先生は体罰をしたとは言っていませんが(放送上カットされたかもしれません)、「きびしく指導」とか「自分の正義」を貫くといった言葉から、体罰をしているのかもしれません。
かりに体罰をしていなくても、「きびしい指導」は子どもを傷つけます。
いじめから子どもを守るためには怒ることも必要ではないかというのが先生や吉田氏や粗品氏の意見ですが、子どもを守るために別の子どもを傷つけていたら意味がありません。

吉田氏「この先生は、クレーム上等で必要な場面ではしっかり怒るべきだと思いますけどね。モンスターペアレンツが怖いからなにもしない。じゃあそこで終わってしまいまもんね」
粗品氏「先生は間違ったことはおっしゃっていないので、期待できますよね。この時代に珍しい真っ直ぐな教師として」
吉田氏「生徒の成長のためにも、先生の成長のためにも、怒ったほうがいいんじゃないのというのがこの番組の結論になりますけど」
「影響力のあるお二人からそう言っていただけると、すごいそれが自信になります」


こんなことが世の中の結論になっては困ります。
子どもを叱る教師が増えたら、傷つく子どもも増えます。
「吉田と粗品と」という番組の制作者も社会的責任を考えないといけません。

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先生は「ダメなことをしたら叱られるという経験は必要」だと言いますが、ダメなことをしたときは、教育委員会が言うように、それがなぜダメであるかをさとすように教えるしかありません、。
叱っても理解しません。つるかめ算のわからない子どもを叱ったり怒ったりしてもわかるようにならないのと同じです。
叱るのは教師が感情を発散させているだけです。

吉田氏は中学時代、すごく怖い先生がいて、ほかの先生の授業では先生を無視して暴れるヤンキーも、その怖い先生の授業ではおとなしくしていたという思い出を語って、「恐怖ということも必要やと思った」と言いましたが、「恐怖」は教室に秩序をもたらしただけで、なにかの教育的効果をもたらしたわけではありません。
怖い教師のいる教室でおとなしくしている分、ほかの教室で暴れるのかもしれませんし、そもそもヤンキーは怖い教師を見て暴力を学んだのかもしれません。


戦前は、帝国憲法には義務教育の規定はありませんでしたが、「教育勅語」があり、学校には御真影が飾られていて、教師は天皇の権威を背負っていましたから、モンスターペアレントなど出現しようもありません。
戦後もそれほど変わりません。教師は体罰、暴言などやりたい放題でした。親もそれを歓迎する風潮がありました。親と教師が一体となって子どもを管理しようとしていたのです。吉田氏が「怒ってくれて僕らは助かりますけどね」と言ったのもそれです。
教師に不満を持つ親もいましたが、「子どもを人質にとられている」という認識があって、教師にはなにも言えませんでした。

今もその傾向はあると思います。
この相談をしてきた先生も、小学生相手に自分勝手な指導をしてきたのですが、だんだんと親からクレームを言われるようになったのでしょう。
そのときに、自分の指導を見直すのではなく、「モンスターペアレンツが増えてきた」と認識したのです。

戦後、1969年ごろから自民党と文部省は子どもの人権を無視して管理教育を強化してきました。
反抗する子どもが校内暴力を起こすと力で抑え込み、学級崩壊が起こるとこれも抑え込みました。
つまりモンスターティーチャーを増やしてきたのです。
その結果、不登校、いじめ、自殺が増え続けています(このことは「自民党教育が日本をだめにした」という記事に書きました)。
吉田氏も粗品氏もそうした教育の犠牲者です。

教育界は「モンスターペアレントが増えてきた」と言うのはやめて、「これまでの教師はモンスターティーチャーだった」と認めるべきではないでしょうか。

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来春、改正児童虐待防止法が施行されるにあたり、厚生労働省はどんな行為が禁止される体罰に当たるかを示すガイドラインを作成しました。

朝日新聞の「たたく、正座、食事抜き…しつけでなく体罰 厚労省案」という記事によると、「しつけのためだと親が思っても、身体に苦痛または不快感を引き起こす行為(罰)は、どんなに軽いものであっても体罰に該当し、法律で禁止される」ということで、その記事の図解を示しておきます。

体罰の線引き


体罰や暴力はどんな軽いものであってもだめと、基準が明快です。

ところが、やはりというか、これに反対する人もいます。
さすがに有識者などで公然と反対する人はいないようですが、ネットではいまだに体罰肯定論が盛んです。

『尻をたたく、正座もダメ。厚労省「体罰ガイドライン」に批判殺到』という記事から、個人のツイートの部分だけ引用します。


もんきー@Z900RS卍 なまらめんこい🐾
@momochyan415
体罰禁止法って2020年4月かららしいのだが、
親は「児童のしつけに際して体罰を加えてはならない」となるらしい。
何か違う方向に行っていませんか??


だいこん
@MouseChrome
何度注意しても人を殴る、物を盗むとかの犯罪に直結するものを更生する為には体罰は仕方ないと思うけどね。
それ以外なら、子供の将来を台無しにする為に虞犯少年として少年院に打ち込む?

一瞬の体罰か生涯経歴に苦しむかの二択かと思うけど

冷たい世の中だな#児童虐待


一 一
@ninomae_haji_me
わざわざガイドラインを作らないといけないことじたいが問題だろ

理想論ばかりの体罰禁止ガイドラインやなぁ#体罰


暗黒世界から現世へと舞い戻った復活のW@絶対フィード取れないマン
@Allegro1018
親の体罰禁止ガイドラインとかクソみたいなもの作ることよりやることあるだろ。道を逸れる前にしつけするのが親の仕事だろ。国家が家庭事情に干渉するな。


オールドボーイ@コミケ2〜4日
@oldboy1899
体罰禁止ガイドライン案のお尻ぺんぺんや聞かないからビンタ、他の子殴ったから自分の子を殴ったが禁止!?殴りたくて殴ってる保護者なんてほとんどいないと思うてけど、より保護者に難題を求められるようになるな。


「体罰」という言葉を使うので、こういう意見も成立しているかのようですが、「体罰」を「暴力」や「虐待」という言葉に言い換えると、実態が見えます。
幼児虐待事件で逮捕された親がよく「しつけのためにやった」と言いますが、それと同じです。
こういうツイートをした人は、幼児虐待の予備軍です。
いや、もしかして今もわが子を虐待しているかもしれません。
そういう意味で、こういう意見を放置しておくわけにいきません。


体罰肯定論者の主張は共通していて、「子どもが悪いことをしたら罰するべきだ。罰しないと子どもはどんどん悪くなる」ということです。
子どもは悪なので、自分の暴力は正義だということになります。
「しつけのためにやった」と言う人は、自分が正義だと思っているので、逮捕されたことが不満です。
こういうことを考える人は、頭の中に道徳がいっぱいあって、その分愛情が足りません。

また、子どもの発達について無知ということもあります。まだ所有の観念のない子どもの行為を「物を盗んだ」と見なすなどがそれです。
子どもの喧嘩を「暴力」と見なすのも同じです。子どもは喧嘩しながら人間関係を学んでいくもので、昔から「子どもの喧嘩に親が出る」ことは戒められています。

「自分は正しい人間だが、自分の育てている子どもは悪い」というのは論理的に成り立ちがたく、これは少し考えればわかるはずです。


もっとも、キリスト教には原罪というものがあって、子どもには生まれながらの悪があるとされます。そのため、西洋キリスト教社会では「鞭を惜しめば子どもがだめになる」ということわざがあるように、体罰が当たり前のこととして行われていました。
日本では、「七歳までは神のうち」という言葉もあって、子どもはたいせつにされていましたが、明治政府は、列強と対抗するために西洋の父権主義とともに体罰を輸入し、広めたのです。
もっとも、今は時代が変わって、ヨーロッパでは体罰禁止がかなり進んでいるようで、逆に日本のほうが体罰が盛んかもしれません。


以上は、倫理学的な面から体罰について述べましたが、今は科学的研究が進んで、こうした議論はほとんど無意味になっています。

体罰・暴言は子どもの脳の萎縮・変形を招くことが科学的に明らかになっていて、厚生労働省も「愛の鞭ゼロ作戦」と名づけたキャンペーンをやっています。
今回のガイドラインが明快なのも、そうした科学的裏づけがあるからでしょう。

なお、厚生労働省は10月21日に職場におけるパワハラの定義や基準を定めたガイドラインの素案を示しましたが、これはむしろパワハラを正当化するものだという批判が巻き起こっています。パワハラには「脳の萎縮・変形」のような科学的な基準がないので、経団連などの意向に寄せてしまったのです。

今は体罰肯定論をぶっている人も、「そんなことをしたら子どもの脳が萎縮・変形しますよ」と言われると、それ以上主張できないでしょうから、体罰肯定論もここ1、2年で消滅するに違いありません。

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