
高市内閣が高い支持率を保っています。
とくに若者の支持率が高く、産経新聞・FNN合同世論調査によると、18~29歳が92・4%、30代が83・1%と驚異的な高さでした。
コアな保守派の支持だけではこんな数字にはなりません。
では、どういう人が支持しているかというと、女性首相の誕生で初めて政治に関心を持った“政治初心者”ではないかと思われます。
人間は守るよりも攻めるのが好きです。
それは人に将棋や囲碁を教えてみるとわかります。
ルールを覚えたばかりの人が将棋や囲碁の実戦をすると、攻めの手ばかり指して、守りの手を指しません。
将棋は自分の「玉」の駒を取られたら負けなのですが、駒をどんどん前に進めていって、玉の守りがおろそかになり、簡単に負けてしまいます。
何度かそういう負けを経験すると、守りのたいせつさが少しずつわかってきます。
完成された将棋の定跡というのは、序盤は双方ともにひたすら玉の守りを固め、それから戦いを始めることになっています。
サッカーでも、フォワードの選手が注目され、人気選手となり、ディフェンダーやキーパーはあまり注目されません。
シュートを決めることと、相手の決定的なシュートを防ぐことは同じくらい価値があるはずですが、どうしてもシュートを決めることのほうが注目されます。
高市首相はタカ派ですから、外交も攻撃的です。
そうした姿勢が台湾有事について「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうる」という発言になって現れました。
高市首相は今では言いすぎたと思って後悔しているかもしれませんが、高市首相らしい勇ましい発言ではあります。
高市首相はそれから、非核三原則の「持ち込ませず」の見直しに言及しました。
核を持ち込ませるというのはアメリカに便宜をはかるだけで、勇ましいことではありませんが、護憲派や反核団体が反発するので、勇ましいイメージになります。
さらに、官邸高官が個人的見解として「日本は核武装するべきだ」と語ったことが物議をかもしました。
木原稔官房長官がいち早く「政府としては非核三原則を政策上の方針として堅持している」と語り、高市首相からもなんの発信もなかったので、核武装論は封じられた格好になりました。
要するに官邸高官が不用意な発言をしたということだったようですが、政権の攻めの姿勢は印象づけたかもしれません。
積極財政も「攻め」の一種です。
マーケットは円安と債券安で積極財政に否定的な評価を下していますが、政治初心者はそういうことはわからず、積極財政の目先の効果を評価しています。
ともかく、高市政権のタカ派外交と積極財政という攻めの姿勢が政治初心者や一般大衆に受けて、高支持率につながっていると思われます。
守りより攻めが好きなのは、誰もが生まれつき持っている人間の本性と思われます。
ということは「人間は守りより攻めを好む傾向がある」という認知バイアスがあることになりますが、私が調べたところ、そういう研究は存在しないようです。
しかし、似たような認知バイアスはあります。
Copilotは次のものを挙げました。
楽観バイアス(optimism bias)
- 自分は成功する/被害を受けないと過大に見積もる傾向
→ 攻めの行動のリスクを軽く見てしまう。
過信バイアス(overconfidence bias)
- 自分の能力や判断を過大評価する傾向
→ 攻撃的・挑戦的な行動を選びやすくなる。
行動バイアス(action bias)
- 何もしないより「何かする」方を好む傾向
→ 守り(待つ・静観する)より攻め(動く・仕掛ける)を選びやすい。
進化心理学的な説明
- 人類史の大半は「資源獲得(攻め)」が生存に直結
- 守りは“現状維持”でしかなく、繁殖成功に結びつきにくい
→ そのため、攻めの行動が報酬系を刺激しやすいという説もある
なにもしないで事態が改善するということはめったにないので、困ったときはとにかく積極的に動いてみるという傾向があるのは納得できます。
自分を過信し、状況を楽観視することで積極的な行動が生まれます。
よく考えてみると、「守る」という行為は日常生活ではあまりありません。
攻められなければ「守る」という行為もないからです。
「攻め」と「守り」についての研究がないのも当然です。
私が最初に「人間は守るよりも攻めるのが好き」といったのは、ゲームやスポーツを念頭に置いていたからです。
野球はイニングごとに「攻め」と「守り」が交代して、「攻め」と「守り」の区分が明快です。
現実の世界では「攻め」と「守り」の区分ははっきりしません。
例外は戦争のときです。籠城戦をしていて、守り続けるか打って出るかの選択を迫られるときなど、「攻め」と「守り」の区分が明快です。
日本では、昔は非武装中立という選択肢がありましたから、「攻めるか守るか」ではなく「守るか守らないか」が議論されていました。
今は自衛隊が認知されているので、「守る」ことは前提となりました。
さらに新安保法制によって「攻める」ことが可能になりました。
ですから、今の日本の選択肢は「攻めるか守るか」ではなく「攻めるか攻めないか」になりました。
高市首相は台湾有事に関して「攻めるか攻めないか」において「攻める」を選択するかもしれないと言ったわけです。
ほんとうはアメリカが先に介入して、アメリカの要請で日本が介入するという手順になるのですが、高市首相は日本がアメリカに従属しているという現実を認めたくないのか、日本がアメリカ抜きで単独介入するようなことを言って、中国を怒らせました。
世界のほとんどの国は、「攻めるか攻めないか」という選択肢を持っています。
攻めても得はないので、攻めることはめったにありませんが、ロシアのウクライナ侵攻とかイスラエルのガザ侵攻とかアメリカのイラクやアフガンへの侵攻とかがありました。
愚かな戦争と思えますが、ここに認知バイアスが関わってきます。
「攻めるか攻めないか」というとき、人間は積極行動である攻めるほうを選択しがちです。
自分の実力を過信し、状況を楽観視するからです。
『孫氏の兵法』に「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という言葉がありますが、人間は己を過信し、敵を知らないために、しなくてもいい戦争をしてきました。
ここは理性を働かせて、人間には攻めるのを選びがちだという認知バイアスがあることを知り、自分の認識を修正しなければいけません。
つまりメタ認知が必要です。
政治初心者はそういうことはできませんから、戦争の専門家がアドバイスする必要があります。
ところが、戦争の専門家は戦争の危機があるから商売になっているので、逆に危機感をあおるようなことを言います。
今のように台湾有事がいわれるようになったそもそものきっかけは、2021年3月、米インド太平洋軍のデービッドソン司令官が米上院軍事委員会の公聴会で「中国が今後6年で台湾に侵攻する恐れがある」と証言したことです。
中国指導部の6年後の政治的判断を予測することは占い師でなければできないことで、アメリカの軍人にできるわけがありません。しかも、このときデービッドソン司令官は退任直前でした。無責任な証言です。
ここから台湾有事論がどんどんふくらんでいくのですが、その発信元はすべてアメリカです(「習近平は2027年までに台湾を武力攻撃する」というアメリカの主張の根拠は?)。
日本では敵基地攻撃能力を持てば抑止力が高まるという議論がされていますが、抑止理論というのは相手が合理的な判断をすることが前提となっています。
実際には相手国は「座して死を待つ」よりはと無謀な攻撃をしてくる可能性があります。
日本の真珠湾攻撃などもその類でしょう。
言論においても、「攻めない」という選択肢は弱腰だと批判され、「攻める」につながる攻撃的な言説が幅を利かせる傾向があります。
「攻めるか攻めないか」を冷静に判断したいものです。


