村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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岸田内閣の支持率が急落しています。
「増税」「減税」「還元」「給付」などの言葉をもてあそび、さらにさまざまな不祥事が連続したことが理由とされていますが、それよりももっと大きな理由があります。
それは、安倍晋三元首相が亡くなったことです。

安倍氏が亡くなったのは昨年7月のことなので、今の支持率急落とは関係ないと思われるかもしれませんが、人の死というのは受け入れるのに時間がかかるものです。
「死せる孔明生ける仲達を走らす」という言葉もあります。
偉大な軍師である諸葛孔明は死んでからも敵を恐れさせたという中国の故事成句です。
安倍氏も政界における存在感がひじょうに大きかったので、「死せる安倍」がしばらく政治家を走らせていました。
しかし、1年もたつとさすがに誰もがその死を受け入れ、安倍氏の呪縛から解き放たれました。
その結果が内閣支持率に表れてきたというわけです。


安倍氏が首相を辞めてから、私がなによりも恐れていたのは安倍氏の再々登板です。.自分で政権を投げ出して復活するというのを一度やっていますから、二度目があってもおかしくありません。
私はこのブログで岸田政権批判もしましたが、岸田政権批判は安倍氏復活につながるかもしれないと思うと、つい筆が鈍りました。
野党やマスコミも同じだったのではないでしょうか。

しかし、安倍氏が亡くなると、安倍氏の復活がないのはもちろん、安倍氏の後ろ盾がない菅義偉氏の復活もないでしょうし、一部で安倍氏の後継と目されている高市早苗氏も力を失いました。
つまり安倍的なものの復活はなくなったのです。
そうすると、遠慮会釈なく岸田政権批判ができます。
このところのマスコミの論調を見ていると、岸田政権が崩壊してもかまわないというところまで振り切っているように思えます。


一方、これまでは分厚い安倍支持層が岸田政権をささえてきました。
しかし、安倍氏が亡くなってから、安倍支持層は解体しつつあります。
中心人物を失っただけではありません。中心になる保守思想がありません。

昔は憲法改正が保守派の悲願でした。しかし、解釈改憲で新安保法制を成立させ、空母も保有し、敵基地攻撃能力も持つことになると、憲法改正の意味がありません。
靖国神社参拝も、安倍氏は第二次政権の最初の年に一度参拝しましたが、アメリカから「失望」を表明されると、二度と行っていません。
慰安婦問題についても、2015年の日韓合意で安倍氏は「おわびと反省」を表明して、問題を終わらせました(今あるのは「慰安婦像」問題です)。

考えてみれば、保守派の重要な思想はみな安倍氏がつぶしてしまいました。
安倍氏のカリスマ性がそのことを覆い隠していましたが、安倍氏が亡くなって1年もたつと隠しようがなく、保守派の思想が空っぽであることがあらわになりました。

それを象徴するのがいわゆる百田新党、日本保守党の結成です。
百田尚樹氏は自民党がLGBT法案を成立させたのを見てブチ切れ、新党結成を宣言しました。
新党結成のきっかけがLGBT法案成立だったというのが意外です。日本の保守派はもともとLGBTに寛容なものです。LGBTを排除するのはキリスト教右派の思想です。
これまで保守派は統一教会の「韓国はアダム国、日本はエバ国」などというとんでもない思想に侵食されていたわけですが、今後はキリスト教右派の思想を取り込んで生き延びようとしているのでしょうか。

もし百田新党が力を持てば、自民党の力をそぐことになります。つまり保守分裂です。
目標をなくした組織が仲間割れして衰退していくのはよくあることです。


ともかく、今は岸田政権は保守派とともに急速に沈没しているところです。
支持率回復には保守路線からリベラル路線への転換が考えられますが、手遅れかもしれません。

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米中間選挙の開票結果は、上院で民主党が過半数確保となりました。
しかし、トランプ氏は共和党候補が僅差で敗れたアリゾナ州について「不正があり、選挙をやり直すべきだ」とSNSに投稿し、共和党全国委員会もアリゾナ州でもっとも有権者が多いマリコパ郡で「選挙に深刻な欠陥が露呈した」とする声明を発表しました。
今後、このような不正選挙の訴えがどうなっていくのかよくわかりませんが、2年前の大統領選挙でもトランプ氏は「選挙は盗まれた」として、ほんとうの大統領は自分だと主張していますし、共和党支持者の3分の2が真の当選者はトランプ氏だと信じているそうです。

民主主義の危機は意外なところからやってきます。
選挙制度が機能しないと民主主義は成り立ちません。

独裁国や民主主義の未熟な国ではよく不正選挙が行われますが、こういう場合は、たとえば国連の選挙監視団を派遣するというような対策があります。
ところが、今アメリカで不正選挙が行われているわけではありません。小さな不正はあるかもしれませんが、大統領選の結果をくつがえすような大規模な不正はありえません。
つまり不正選挙があるのではなく、「不正選挙がある」と信じる妄想集団がいるのです。
こうした妄想に確実な対策はありません。ファクトチェックもほとんど無意味です。

「陰謀論」というのも、実態は集団的妄想です。
Qアノンが広めたとされる「ディープステート」という陰謀論は、悪魔崇拝主義者と幼児性欲者の秘密組織が陰で国家を支配しているというもので、トランプ氏はディープステートと戦う英雄だとされます。
アメリカでは悪魔崇拝主義者が秘密の儀式などをしているという事実はありますし、幼児性欲者の秘密組織が過去に摘発されたこともありますが、そうした連中が国家を支配しているというのは妄想というしかありません。

文明が進めば人間は理性的になるものと信じられていましたが、実際はまったく違って、もっとも文明の発達したアメリカにおいて妄想集団が大量発生しているわけです。

なぜこうなったかというと、インターネットの普及がひとつの原因です。
集団で討議して意思決定をする場合、もともとあった偏りがさらに強くなる傾向があるとされ、これを「集団極性化(集団分極化)」といいます。
たとえば軍拡賛成派の人が集まって議論すると、それまで平均10%の軍拡を求めていた人たちが議論のあとは平均20%の軍拡を求めるようになるといったことです。
インターネット空間では、保守とリベラルが分離し、それぞれが集まって議論しているので、保守はますます保守的になり、リベラルはますますリベラルになるわけです。
そうしてネットの議論がどんどん過激化し、その中で陰謀論が広まったと考えられます。

それから、なんといってもトランプ氏のキャラクターの特異性があります。
トランプ氏は体が大きく、パワフルで、つねに自信満々で、いかにも「強いリーダー」という雰囲気を持っています。
大統領に就任して権限を手にすると実際に「強いリーダー」になりました。
強い人間に従いたくなるのは人間の本能です。
トランプ氏が「選挙は盗まれた」と言えば、信じる人間が出てきても不思議ではありません。


強いリーダーは、最初は民主的に選ばれたとしても、長期政権になると次第に独裁化します。プーチン大統領や習近平国家主席を見てもわかりますし、ヒトラーもそうでした。

もしトランプ氏が大統領に再選されていたら、独裁化していたかもしれません。
アメリカ大統領はたいてい再選されるとしたものですが、トランプ氏が再選されなかったのは、ひとえにコロナ対策を失敗したせいです。
「強いリーダー」というのは、人間の目にそう映るだけで、ウイルスのような自然界には無力でした。


トランプ氏の命運が今後どうなるかはわかりませんが、集団極性化(分断)が進んだアメリカでは、第二、第三のトランプ氏が出てきて、独裁国家になっても不思議ではありません。
日本はそういう事態を警戒しなければなりませんが、岸田文雄首相はプノンペンにおける11月13日の日米首脳会談でも「日米同盟のいっそうの強化をはかる」と言うばかりです。



安倍晋三元首相はミニ・トランプみたいなものでした。第二次政権を9年近くやって、かなり独裁化しました。
安倍氏が首相を辞任したのも、表向きは健康理由でしたが、実態はコロナ対策の失敗でした(後継の菅義偉首相の辞任理由も同じです)。
考えてみれば、コロナウイルスは偉大です。日米で独裁政権の芽をつんだのですから。

安倍氏は辞任後も存在感を示していました。これもトランプ氏と同じです。
しかし、山上徹也容疑者の銃弾がすべてを断ちました。
その後の政治の動きを見ていると、安倍氏の存在がいかに大きかったかがわかります。

菅首相も「強いリーダー」でした。日本学術会議任命拒否問題でかたくなに説明を拒否したところにそれが表れています。


岸田首相は「聞く力」をモットーにしているだけあって、安倍首相や菅首相とはまったく違います。
岸田内閣の支持率が高く始まったのも、多くの国民が安倍首相や菅首相の強権的な政治手法にうんざりしていたからでしょう。

ところが、内閣支持率はどんどん低下しています。
その理由は明白で、方針がころころ変わるからです。

山際大志郎経済再生担当大臣は、統一教会とのずぶずぶの関係が次々と明るみになり、「記憶にない」などとあやしい弁明を続けて、国民の批判が高まっていました。岸田首相はずっと「山際氏は説明責任を果たすべき」と擁護していましたが、突然更迭を決定しました。
「法務大臣は死刑のハンコを押す地味な仕事」などの発言で批判された葉梨康弘法務大臣についても、岸田首相は最初は擁護していましたが、突然更迭しました。
宗教法人法に基づく解散命令請求の要件についても、岸田首相は最初は刑法違反などが該当すると答弁していましたが、野党などから批判されると一転して、民法の不法行為も含まれると答弁を変更しました。
統一教会問題についても、最初は自民党は組織的な関係はないとして調査すらしない方針でした。それが不十分ながらも調査することになり、宗教法人法に基づく質問権を行使することになり、被害者救済法案の成立を目指すことになりました。

絵に描いたような朝令暮改ぶりです。
岸田首相がかたくなな姿勢を貫いたのは、国葬問題ぐらいです。

途中で方針が変わるのはよいことではありません。
しかし、間違った方針をかたくなに変えないよりははるかにましです。
もちろん最初から正しい方針を決定していればいいわけですが、いつもそうとはいきません。
今のところ、岸田首相の「修正する力」はたいしたものです。

しかし、かたくなに方針を変えないと「強いリーダー」と見なされ、世論に合わせて方針を変えると「弱いリーダー」と見なされます。
「弱いリーダー」は、野党はもちろん国民からも攻撃されます。
しかし、弱くても最終的に正しい方針にたどりつくなら、かたくなに間違った方針を貫くよりもよいのは明らかです。


国民は「強いリーダー」が正しく国を導いてくれることを期待しますが、そういうことはめったにありません。
「強いリーダー」は利己的にふるまい、最終的に独裁者になり、国民を不幸にします。それは歴史を見れば明らかです。

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安倍晋三元首相暗殺事件の衝撃が意外な形で日本を揺るがしています。

当初は、安倍元首相を撃った山上徹也容疑者の「統一教会のトップを狙いたかったがむりなので、代わりに安倍元首相を狙った」という犯行動機がいかにも無理筋に思えました。
しかし、統一教会と自民党との癒着は日本の大きな病巣ですから、山上容疑者はまぐれでも意外と急所を撃ったのです(安倍元首相を撃ったことを肯定しているわけではないので、誤解しないように)。


政治家は票を得るためにいろいろな宗教団体とつながりを持つのは当然だという意見がありますが、統一教会(世界平和統一家庭連合)は、かつては霊感商法や合同結婚式で世間を騒がせ、今も信者に多額の献金を強要して自己破産させる危険なカルト教団ですから、ほかの宗教団体とは違います。

統一教会の創始者文鮮明は1950年代から岸信介とつながりがあり、統一教会の政治組織である国際勝共連合を自民党は利用してきたので、統一教会と自民党はずっと密接な関係にありました。自民党議員は統一教会から選挙運動員を派遣してもらうことが多く、さらには秘書を派遣してもらうケースもあるといいます。
しかし、統一教会の霊感商法や合同結婚式が問題にされたときも、なぜかこうした統一教会と自民党のつながりはほとんど追及されませんでした。
それが今回の銃撃事件でようやくマスコミも統一教会と自民党の関係について報道するようになったわけです。


もっとも、カルト教団と癒着したからといって犯罪になるわけではないので、それほど大きな問題ではないと考える人もいるでしょう。
確かに一般の人にとってはそうかもしれません。
しかし、安倍元首相や自民党を支持してきた保守派にとってはそうではないはずです。
というのは、統一教会は韓国人の教祖をいただく、韓国に本部のある、韓国系の宗教だからです。

韓国系の宗教だからいけないという理屈はありませんが、保守派はみな韓国が嫌いです。
安倍元首相も慰安婦問題、徴用工問題、自衛隊機レーダー照射問題などでつねに韓国にきびしい態度をとってきて、それで保守派の人気を博していました。
その安倍元首相が韓国系の宗教とつながっていたというのは、保守派にとっては許せないことのはずです。
それに、自民党議員の秘書に統一教会の信者が潜り込んでいるとなると、日本の政界の秘密が韓国に流出することになりかねず、こうしたことは保守派がいちばん神経を尖らせるところです。

さらにいうと、統一教会の教義も保守派は絶対認められないはずです。
ウィキペディアの「世界平和統一家庭連合」の項目には次のように書かれています。



エバ国家日本はアダム国家韓国に貢ぐことを義務づけられている[40]。韓国がアダム国家である理由は、神に選ばれた民族の国であり、世界に真理を発信したメシアの国であるから[40]。日本がエバ国家である理由は、朝鮮を植民地にして多くの人民を苦しめてきた事実などによる[40]。戦後、日本が経済大国になったのはメシア(文鮮明)が神に日本の罪をとりなし、エバ国家として神に認めさせたからだ[40]。

金と人物の両面で韓国と全世界の統一協会を支えることがエバ国家である日本の責任である[40]。日本人に多く伝道して信者として、その信者を全世界に送り出していくこと、日本で莫大な資金を調達してそれを全世界に供給していくこと、それがエバ国家日本の使命だ[40]。

   ※


韓国と日本では史観が違っており、アダム国家韓国では献金などのノルマなどは厳しくなく、「サタン(悪魔)の国[31]」であるエバ国家日本は「金のなる木」の場所として、アダム国である韓国と国内外の統一教会に全てを捧げる教義が教えられている[32][33]。また、エバ国家日本のLGBTや同性婚、夫婦別姓は「生活共産主義」とされ、認めさせてはならないと説いている[34][35]。

連合ではイエス・キリストの「再臨論」も説いており、天照大神を崇拝してきた全体主義国家であり、韓国のキリスト教を過酷に迫害した日本と、共産化した中華人民共和国は「サタンの国」である為、イエスが再臨する『東の国』とは韓国であるとしている[36]。また、「メシアを迎え得る国となるために我々は第三イスラエル選民となければならない」としている[36]。

文鮮明の教え(教義)の一つとして、文教祖の恨(ハン)を晴らすのは「エバ国家日本をアダム国家韓国の植民地にすること」「天皇を自分(文教祖)にひれ伏させること」としている[37][38][39][40]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E9%80%A3%E5%90%88

ウィキペディアだけでは信憑性がないかもしれないので、『旧統一教会の「“エバ国”日本が資金調達し“アダム国”韓国に捧げる」システム…それでも続いた自民党“保守政治家”との関係』という記事で、『統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福』の著書もある北海道大学大学院の櫻井義秀教授(宗教社会学)の語ったことも引用しておきます。

「霊感商法、そして訴訟関係は日本を中心として起きていて、アメリカや韓国では起きていない。これは日本の旧統一教会だけが、いわば違法な形で資金調達をし、それを韓国の本部に送り届けるというミッションがあるからだ。旧約聖書にアダムとエバが禁断の木の実を食べたという話が出てくるが、エバが先に食べ、そしてアダムに渡したとされている。これが旧統一教会の教義では、アダム=韓国で、エバ=日本だということになっている。つまり“エバ国”である日本の支部が資金調達をし、“アダム国”である韓国の本部に捧げる。そして韓国がアメリカなど各国の支部に配分し、世界的な布教戦略を展開してきたということだ。

「日本を韓国の植民地にする」とか「天皇を自分(文教祖)にひれ伏させる」とか、普通の日本人でもびっくりしますが、保守派やネトウヨが聞いたら卒倒しそうなことです。
要するに反日教義です。
こんな宗教が日本にはびこっていたのです。
ネトウヨは在日を差別しているどころではなく、今すぐ統一教会の排除をしなければならないはずです。

ところが、保守派やネトウヨは自民党と統一教会がズブズブの関係にあることを横目で見ながらスルーしてきました。
ネトウヨの若い人なら知らないということもありえますが、保守派の論客といわれるような人なら統一教会の教義も自民党と統一教会の関係も知らないはずがありません。
というか、保守派の論客には統一教会のメディアでインタビューされたり、イベントで講演をしたりして、統一教会と関係を持っている人も少なからずいます。
ですから、保守派やネトウヨは統一教会に関しては沈黙したままです。

例外は高須クリニックの高須幹弥氏ぐらいです。
高須氏は自身のYouTubeチャンネルで「統一教会について話します。(この動画は削除するかもしれません)」と題する動画をアップして、統一教会の教義についても語っているので、これを見るのがわかりやすいかもしれません(ただし、統一教会と自民党や安倍元首相の関係についてはなにも話していません)。




統一教会と安倍元首相の関係はかなり深いものがあります。
トランプ氏が大統領に当選したとき、日本の外務省はまったく予想しておらず、トランプ氏となんの接点もありませんでした。
そんなとき、就任前のトランプ氏と安倍首相の会談をとりもったのが統一教会だといわれます(詳しくは『「統一教会が安倍・トランプ会談を仕掛けた」説にこれだけの状況証拠! 勝共連合機関誌も2人のタッグを絶賛』を参照)。

安倍元首相が昨年9月にビデオメッセージを送った統一教会系の「天宙平和連合(UPF)」のイベントにはトランプ元大統領も同じ形でメッセージを送っていました。
さらに今年2月に行われたUPF主催の「ワールドサミット2022・韓半島平和サミット」では、トランプ元大統領がビデオ映像において基調演説を行い、息子ブッシュ大統領のときの副大統領だったディック・チェイニー氏も演説をしました(安倍元首相は書面によるメッセージ)。
つまり統一教会はアメリカ政界にも深く食い込んでいるのです。
安倍元首相が統一教会とのつながり続けたのには、そうした背景もありそうです。


いずれにしても、統一教会は反日教義を有するとんでもないカルト教団です。
自民党や保守派が統一教会を批判できないとなれば、自民党や保守派もまた反日勢力と言われてもしかたありません。

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7月10日に参院選の投開票があり、自民党が勝利しました。
投票日の2日前に安倍晋三元首相が暗殺されたことは、この結果にどう影響したのでしょうか。

今私は「暗殺」と書きました。
外国のマスコミも普通に「暗殺」という言葉を使っています。ただ、日本のマスコミはほぼ「暗殺」という言葉を使っていません。
「テロ」という言葉もほとんど使いません。

最初の警察発表によると、山上徹也容疑者は「母親が特定の宗教団体にのめり込んで破産した。安倍元首相が団体を国内で広めたと思って恨んでいた」と動機を説明し、「安倍元首相の政治信条とは関係ない」と言ったそうです。

「安倍元首相の政治信条とは関係ない」ということで、個人的な恨みによる犯行と見なされたようです。
確かに犯行声明のようなものもありません。
政治的な意図がないということで、「テロ」や「暗殺」という言葉を使わないようです。

しかし、安倍元首相が特定の宗教団体とつながるのは政治的な行動です。
とすると、山上容疑者が安倍元首相と特定の宗教団体のつながりに反対するのも政治的な行動ですから、この犯行は「テロ」や「暗殺」と呼んで当然です。


「特定の宗教団体」というのは統一教会(現在は世界平和統一家庭連合に名称変更)のことです。
もともと統一教会と自民党は密接な関係にありました。統一教会は「国際勝共連合」という反共政治団体を持っていて、学生などの動員力もあり、社会党、共産党、新左翼などが強い時代に自民党は統一教会を利用しました。
ただ、統一教会は高価な壺を売りつけるなどの霊感商法や合同結婚式などが社会的な問題を引き起こして、テレビのワイドショーでもよく取り上げられました。オウム真理教と統一教会は二大カルトという感じでした。
ですから、統一教会と自民党とのつながりも問題にされていました。

しかし、いつの間にか統一教会の霊感商法はワイドショーで取り上げられなくなりました。といって、霊感商法の被害がなくなったわけではありません。
どうやら統一教会と自民党との結びつきがいっそう強くなって、マスコミは統一教会と自民党に忖度して取り上げなくなったようです。
そのため今の若い人は統一教会が問題のあるカルトだということをろくに知らないかもしれません。


安倍元首相は自民党の中でもとりわけ統一教会とのつながりが強いようで、昨年9月に統一教会の関連団体にビデオメッセージを送りました。
「全国霊感商法対策弁護士連絡会」は安倍元首相に対して強い調子の「公開抗議文」を送ったので、その一部を抜粋します。

公開抗議文(抜粋)

衆議院議員 安倍晋三 先生へ

4.ところが、本年9月12日、韓国の統一教会施設から全世界に配信された統一教会のフロント組織である天宙平和連合(UPF)主催の「神統一韓国のためのTHINK TANK2022希望前進大会」と称するWEB集会において、安倍晋三前内閣総理大臣の基調演説が発信される事態が生じました。これを統一教会が広く宣伝に使うことは必至です。上記要望書の要望を全く無視したものというほかなく、当連絡会としては深く失望し、今後の被害の拡大に強く憂慮しております。
 安倍先生が、日本国内で多くの市民に深刻な被害をもたらし、家庭崩壊、人生破壊を生じさせてきた統一教会の現教祖である韓鶴子総裁(文鮮明前教祖の未亡人)を始めとしてUPFつまり統一教会の幹部・関係者に対し、「敬意を表します」と述べたことが、今後日本社会に深刻な悪影響をもたらすことを是非ご認識いただきたいと存じます。

5.安倍先生が今後も政治家として活動される上で、統一教会やそのフロント組織と連携し、このようなイベントに協力、賛助することは決して得策ではありません。是非とも今回のような行動を繰り返されることのないよう、安倍先生の名誉のためにも慎重にお考えいただきますよう強く申し入れます。また、事の重大性に鑑み、公開抗議文として送付するとともに抗議文を公開させていただく次第です。
 あわせて、今回のUPFのWEB集会の基調演説のビデオメッセージを提供された経緯について明確なご説明をいただきますようお願いします。
https://www.stopreikan.com/kogi_moshiire/shiryo_20210917.htm

山上容疑者は安倍元首相のメッセージビデオを見て、安倍元首相をターゲットにすると決めたそうです。
安倍元首相のような有力な政治家が統一教会を賛美するメッセージを送ると、その影響は甚大ですから、この考えはそれほど不思議ではありません。

ただ、この場合は「統一教会にメッセージを送る安倍はけしからん」というように、公憤とか正義感になるはずです。個人的な恨みにはなりません。
山上容疑者がもし「安倍はけしからん」という正義感を持てば、ネットの書き込みなどで発散できて、犯行には及ばなかったかもしれません。

また、彼の最後の職歴は、派遣社員としてフォークリフトの運転などをしていたそうです。
給料が安くて、結婚もできそうになく、将来になんの希望もなくて、それも犯行動機のひとつだったでしょう。
こうした境遇について、「安倍政治が悪いからだ」「自民党政治が悪いからだ」と考えれば、社会改革の方向にも意識が向いて、やはり安倍元首相個人を殺そうという考えにはならなかったかもしれません。

それにマスコミの責任もあります。安倍元首相のビデオメッセージについても、報道したのは「しんぶん赤旗」ぐらいです。一般のマスコミがこのときに「安倍元首相はけしからん」と言っていれば、山上容疑者はマスコミに任せて自分は手を出さなかったかもしれません。


もとはフェミニズムから出てきた言葉で、「個人的なことは政治的である」という言葉があります。
男女のことや家族などの問題も、国家などの政治的なこととつながっているという意味です。
山上容疑者は、自分の家庭が崩壊したことを個人的な不幸と思っているようですが、「個人的なことは政治的である」という言葉を知っていれば、またとらえ方が違っていたはずです。
また、マスコミも「暗殺」や「テロ」という言葉を使わず山上容疑者の個人的な犯行ということにしていますが、マスコミも「個人的なことは政治的である」という言葉をかみしめるべきでしょう。



ここで簡単に安倍元首相の足跡を振り返っておきたいと思います。

第二次政権のときの安倍氏は、首相の権力を自由自在に使いこなしていたという印象があります。
一般論として国家は巨大なのに個人は小さいので、個人が首相の権力を使いこなすのは容易なことではありません。しかし、安倍氏は第一次政権の挫折で人間が一回りも二回りも大きくなったのでしょう。第二次政権のときは余裕の政権運営でした。
閣僚も官僚も思い通りに動かし、それだけでなく閣僚や官僚は安倍氏の意向を忖度して先回りして動きました。そうした中で森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題が起きました。
当時の財務省の佐川宣寿理財局長は、森友学園問題で公文書改ざんを指示し、みずからも虚偽答弁をしましたが、これは安倍氏が命じたのか佐川氏がみずから動いたのか、現在にいたるもわかりません。それぐらい安倍氏と官僚は一体化していたということです。

それだけ権力を使いこなして安倍氏はなにをしたかというと、評価が分かれるところです。
私は否定的な評価をこのブログにずっと書いてきましたから、ここではなにも言わないことにします。

ともかく、安倍氏は「強いリーダー」となりました。
国民は強いリーダーを好むものなので、ずっと高支持率でした。

しかし、実際のところは、強いリーダーはろくなものではありません。
プーチン大統領、習近平主席、トランプ前大統領を想像すればわかります。ここにヒトラー総統をつけ加えることもできます。

ともかく、日本国民は強いリーダーとして安倍元首相を記憶にとどめるでしょう。
そして、その記憶が薄れるとともに、改憲問題も慰安婦問題も靖国参拝問題もフェードアウトしていくでしょう。

安倍元首相の冥福を祈ります。

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会公式サイトより

東京オリンピックが終わりました。

閉会式は開会式以上にひどいものでした。
開会式にはドローンの編隊飛行とかピクトグラムのパントマイムとか、少しは見どころがありましたが、閉会式にはなにもありません。
光の細かい粒が川のように流れて五輪マークをつくる場面があって、これはいったいどういう仕掛けだろうかと思ったら、ただのCGによる映像で、会場の人にはなにも見えていないのでした。

「ろくな内容がないので音楽の力に頼ろう」という意図からか、音楽が多用されました。
もっとも音楽の間、ダンスやパフォーマンスが繰り広げられるのですが、これが「にぎやかし」としか思えない無意味なものです(「東京の休日の昼下がりの公園」を再現し、東京観光ができなかった海外選手たちに東京体験の場をつくりだそうという意図だったそうです)。

「東京音頭」の盆踊り、アオイヤマダさんの鎮魂のダンス、大竹しのぶさんと子どもたちによる宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」などもあるのですが、全体が無意味で退屈と、酷評の嵐です。


開会式がだめだった理由については、このブログで「東京五輪開会式はなにがだめか」という記事に書きました。
閉会式がだめなのも同じ理由です。安倍晋三前首相や森喜朗前東京五輪組織委会長が「ニッポンすごい」というナショナリズムの枠をはめていたからです。

閉会式でも国旗掲揚と「君が代」がありました。
開会式で国旗掲揚があったので(夜中に国旗掲揚はおかしいと思うのですが)、閉会式ではその国旗を降ろすのかと思ったら、また掲揚です。
大きな日の丸が日本人メダリストなど6人に運ばれて入場し、自衛官にバトンタッチされ、宝塚歌劇団の「君が代」斉唱とともに掲揚されるのですが、この一連の動作に5分間かかっています。
「君が代」斉唱は無意味ではありませんが、日の丸の入場行進は時間のむだで、こんなものを世界の人に見せようとする思想が間違っています。
日本の右翼の自己満足です。

安倍氏や森氏から制作チームに対して「日本の素晴らしさを表現しろ」という指示があったに違いありません。
そのため、各地の民謡の紹介や盆踊りや宮沢賢治の歌が盛り込まれました。
しかし、民謡というのは、日本人にもあまり人気がないからローカルな存在なので、世界の人が素晴らしいと思うわけがありません。
盆踊りは、踊っている人が楽しいので、人に見せるための踊りではありません。
宮沢賢治の詩は素晴らしいといっても日本語です。宮沢賢治の曲だけでは世界の人にはなにも伝わらないでしょう。

なお、宮沢賢治の歌を使ったことについて、開閉会式のエグゼクティブプロデューサーである日置貴之氏は、宮沢賢治が岩手県出身であることから、「東日本大震災からの復興の思いを込めた」と意図を説明しました。
しかし、それは世界の人に理解されませんし、日本人にもまず理解されません。

電通が編成した制作チームは(日置氏は博報堂出身)、日ごろからスポンサーの要望を受け入れることに長けているので、「国旗掲揚をやってくれ」「日本文化を入れてくれ」「復興も入れてくれ」と要望されると、すぐさまそれを実現したのでしょう。
そのため統一性がなく、意味不明になってしまいました。

ちなみに開会式で大工の棟梁のパフォーマンスと木遣り唄があったのは、週刊文春によると、都知事選で火消し団体の支援を受けた小池百合子都知事の強い要望があったからだということですし、聖火ランナーに長嶋茂雄氏と王貞治氏とともに松井秀喜氏が登場したのは、森氏が同郷(石川県)の松井氏を推したからだといわれています。

本来なら政治家など組織のトップは、才能あるクリエーターを選んだら、その人間が自由に仕事ができるようにささえるのが仕事ですが、今の政治家はやたら口を出すようです。
そのためまともなクリエーターは逃げ出して、政治家の口利きを受け入れるクリエーターばかりが残ります。


安倍氏と森氏は、税金を出す立場なのでスポンサーみたいなものです(安倍氏は今も東京五輪組織委の名誉最高顧問ですし、森氏を名誉最高顧問に復帰させる案があるとの報道が先月ありました)。
開閉会式は、基本的に安倍氏と森氏の望んだものになったはずです。
彼らは「大きな日の丸が会場に掲揚されるのを見て感激した」とか「日本文化を世界に発信できて誇らしかった」という反応を期待したのでしょう。
しかし、私はその手の反応をひとつも目にしませんでした。

これは考えてみれば当然のことで、開閉会式は世界の人が見るので、日本人も世界の人の視点で見たからです。
そうすると、国旗掲揚はただの時間のむだと思えますし、宮沢賢治の歌ではなにも伝わらないこともわかります。
安倍氏と森氏らの偏狭なナショナリズムは国際的イベントと相容れません。


多額の税金をつぎ込んだ開閉会式で、日本は世界に恥をさらしました。
そのために日置氏らの制作チームが批判されています。
確かに日置氏らにも責任はありますが、やはりいちばん責めを負うべきは安倍氏と森氏です。

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東京五輪開閉会式の演出の責任者であるCMクリエーターの佐々木宏氏が、タレントの渡辺直美さんにブタを演じさせるプランをスタッフにLINEで提示し、スタッフの反対にあって撤回していたと週刊文春が報じました。
渡辺直美さんは宇宙人家族に飼われているブタという設定で、その名も“オリンピッグ”というのだそうです。
女性をブタにたとえる侮辱とダジャレのくだらなさなどもあって非難が集中し、佐々木氏は開閉会式演出の「総合統括」を辞任しました。
開会式まであと4か月というときに演出の中心人物が辞めてしまったわけです。

ただ、このプランが提示されたのは昨年3月のことで、アイデアの原型みたいなものを仲間内に提示しただけで、すぐに撤回しています。辞任するほどのことかという声もあります。
しかし、文春の記事を読むと、「渡辺直美ブタ演出」は記事の“つかみ”の部分です。記事の中心は開閉会式演出チームの主導権争いという構造的な問題を扱っています。
文春の記事から主導権争いの部分を簡単に紹介します。


五輪開閉会式演出チームは最初8人でした。
肩書を書くのが面倒なので、ある記事から引用します。
2018年に発表した演出企画チームは、チーフエグゼクティブクリエイティブディレクターを狂言師の野村萬斎が担当。歌手の椎名林檎や振付師のMIKIKO、映画プロデューサーで小説家の川村元気、クリエイティブプロデューサーの栗栖良依、クリエイティブディレクターの佐々木宏と菅野薫、映画監督の山崎貴ら計8人のメンバーで構成される。
https://www.fashionsnap.com/article/2020-12-23/tokyo2020-hiroshisasaki/

最初は映画監督の山崎貴氏が中心となって企画を考えたもののうまくいかず、次に野村萬斎氏が責任者に選ばれたもののこれもうまくいかなかったということです。
文春の記事にはこう書かれています。

「野村氏は伝統芸能の人だからか、提案も観念的。森氏もプレゼンのたびに、野村氏に『意味が分からん』『具現化しろ』と批判し続けていた。最後は森氏主導で、野村氏は責任者を降ろされます」(同前)

 開幕まで残り1年に迫った段階で、企画案は白紙状態。組織委は19年6月3日、野村氏を肩書きはそのままに、管理側に“棚上げ”に踏み切る。〈演出チーム〉の一員だったMIKIKO氏(43)を“3人目の責任者”として、五輪開閉会式演出の「執行責任者」に起用するのだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7199b3bd0d68c0253397dc43ac4aa4534ef4e4bd

MIKIKO氏はPerfumeや「恋ダンス」を手掛けてきた振付師で、MIKIKO氏のまとめ上げた企画案はIOCからも絶賛されたということで、方針が固まったかに見えました。
しかし、そこに森喜朗前会長の後ろ盾のある佐々木宏氏が加わります。
佐々木氏は電通の出身で、電通代表取締役社長補佐・髙田佳夫氏の後ろ盾もあります。
佐々木氏は五輪が1年延期になったことをきっかけに“クーデター”を起こして主導権を奪い、栗栖良依氏、椎名林檎氏ら女性スタッフを排除し、最終的にMIKIKO氏も辞任に追い込みます。
そして、佐々木氏は「一人で式典をイチから決めたい」と言って、MIKIKO氏の案を反故にして自分の案を出しますが、佐々木氏の企画はIOCに不評で、結局MIKIKO氏の企画を切り貼りしたものを使うことになったそうです。

 MIKIKO氏、栗栖氏、椎名氏。自らの考えを主張する女性たちを“排除”し、森氏や髙田氏を味方に五輪開会式の“乗っ取り”に成功した佐々木氏。彼は今、どんな式典を思い描いているのか。今年2月時点の案を見たスタッフが明かす。

「問題なのは、顔写真入りで紹介されている主要スタッフの殆どが男性ということ。ヘアメイクや衣装も軒並み男性。キャストもブッキング済みなのは主に男性で、申し訳程度に『アクトレス』の枠が設けられ、配役は未定。こうしたバランスが世界にどう映るか。不安を覚える人は少なくない。ただ、佐々木氏の後ろ盾である森氏や髙田氏らの意向に、誰も逆らえなかったのが現実です」
森氏・佐々木氏・高田氏(電通)という女性差別勢力が開会式の企画を乗っ取り、その中から出てきたのが「ブタ演出」だというわけです。

しかし、マスコミは「ブタ演出」のところにだけ食いついて、その背後にある問題にはほとんど触れません。
これは“電通タブー”のせいであるようです(森氏のことも批判しにくいのかもしれません)。



ただ、問題は開会式がよいものになるかどうかです。佐々木氏がよい企画を出しているのであれば、たかが「ブタ演出」のために辞任に追いやったのは間違いということになります。
ただ、これについては渡辺直美さん自身が企画の評価を語っています。

「採用されてたら断る」 渡辺直美さん、演出問題語る
東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出を統括していた佐々木宏氏が、お笑い芸人の渡辺直美さんの容姿を侮辱するようなメッセージを演出チーム内に送っていた問題について、渡辺さんは19日夜に行ったYouTubeのライブ配信で言及した。
 開会式への出演依頼を受け、振付師・演出家のMIKIKO氏らが手がける開会式の演出案を聞いたときは「最高の演出だった。それに参加できるのはうれしかった」と振り返り、「(周囲からの助言で佐々木氏の案が却下されたのは)一つの救い」「もしもその演出プランが採用されて私の所に来た場合は、私は絶対断ってますし、その演出を批判すると思う。芸人だったらやるか、って言ったら違う」「これが日本の全てと思われたくない。(元々の演出案を)皆に見てもらいたかったし、私も頑張ってやりたかった。その悔しさが大きい」などと語った。

 また他人の容姿を揶揄(やゆ)する言動について「自分の髪色、着たい服、体のことは自分で決めたい。決めるのは自分自身」などと呼びかけ、「これ以上これが報道されないことを祈る。これを見て傷つく人がいるから」と語った。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14839674.html?_requesturl=articles%2FDA3S14839674.html&pn=2

渡辺直美さんはMIKIKO氏の案を高く評価して、佐々木氏の案はそうでもありません。
おそらく渡辺さんだけではなく、多くの人がそう思っていて、だからLINEの流出も起きて、佐々木氏は辞任に追い込まれたのでしょう。
つまり最大の問題は、「ブタ演出」問題ではなくて、よい案が採用されず、悪い案が採用されたことです。
「ブタ演出」を前面に押し立てて佐々木氏を辞任に追い込んだのはうまいやり方だったかもしれません。



ここまでは文春の記事に乗っかっただけなので、私の考えもつけ加えておきます。

文春は、森氏の女性差別がすべての元凶であるかのような書き方をしていますが、私はそこは違うのではないかと思います。
安倍前首相の名前は文春の記事に一か所しか出てきませんが、安倍前首相こそが黒幕です。

最初に責任者になった映画監督の山崎貴氏は、「永遠の0」と「海賊とよばれた男」を撮っていますが、どちらの原作も百田尚樹氏です。百田氏は安倍前首相のお友だちで、「日本国紀」という「日本すごい」本を書いています。
安倍前首相は「美しい国」や「新しい国」と称して「日本すごい」を主張しています(森氏も「神の国」発言をしています)。
つまり安倍前首相と森氏は「日本すごい」という開会式の演出を望んでいて、それで山崎監督に託したものと思われます。

実はこれが間違いです。
自国優越思想を打ち出したのでは感動的にはなりませんし、そもそも日本はそれほどすごい国ではありません。

具体的には1998年の長野冬季五輪の開会式の演出で「日本すごい」を打ち出したものの、大失敗しました。
開会式の総合演出を担当した劇団四季の浅利慶太氏は、日本文化のすばらしさをアピールしようとして、大相撲の土俵入りと長野県諏訪地方で行われる御柱祭を会場内で実演させました。
大相撲は世界にアピールできるコンテンツだと思いますが、土俵入り自体は見ていておもしろいものではありません。
御柱祭は宗教的行事としての意味がありますが、世界の観客にはなにもわかりません。
結局、世界の観客はわけのわからない退屈なものを延々と見せつけられたのです。

「日本すごい」と思っているのは日本人だけです。「日本国紀」も読まれるのは日本だけで、海外には翻訳されません。

もっとも、北京五輪の開会式では「中国すごい」を打ち出して大成功し、ロンドン五輪の開会式では「イギリスすごい」を打ち出して大成功しました。これは実際に中国とイギリスの歴史が人類史に大きな貢献をしていて、それをビジュアルで表現する演出がみごとだったからです。
北京とロンドンがあまりにもすばらしかったので、そのあとはなにをやっても見劣りしてしまいます。

ところが、安倍前首相と森前会長は、そのむりなことをやろうとしたのです。
山崎監督は期待に応えることができず、野村萬斎氏は伝統芸能の立場から「日本すごい」を打ち出せると期待されたのでしょうが、やはり期待に応えることができませんでした。
3人目のMIKIKO氏は、女性だということもあって「日本すごい」にこだわらない案を出して、IOCから高く評価されました。
案の内容は公表されませんが、佐々木氏のLINEからその一端がうかがえます。

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文春オンラインの記事より

どうやらMIKIKO氏の案は「オリンピックすごい」ないし「スポーツすごい」という内容のようです。
オリンピックが苦難の道を歩みながら発展してきて、多くの人がスポーツを楽しむ世の中を実現するのに貢献してきたという歴史は感動的なものになりえます。

世界の人を感動させるには、「日本すごい」ではなく、なんらかの普遍的な価値観が必要です。
リオデジャネイロ大会は、ブラジルの歴史を描く中でアマゾンの森林資源と地球環境の問題を打ち出して、成功していました。
長野冬季五輪では、パラリンピックの開会式は作曲家の久石譲氏が総合演出をし、自然と文明の共生というテーマがあったようですが、愛と勇気の物語になっていて、すばらしく感動的でした。

しかし、安倍前首相と森氏の頭には「日本すごい」しかなく、それが混乱を招いた元凶でしょう。


佐々木氏が辞任して、そもそも東京五輪が行われるかどうかもわかりませんし、開会式がどんな規模になるかもわかりませんが、もし行われるなら、世界の人を感動させる開会式になってほしいものです。

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9月16日、菅新内閣が発足しました。
安倍首相が辞任表明をしたのは8月28日です。その時点で、菅義偉氏が首相になると予想していた人がどれだけいたでしょうか。

自民党総裁選が菅候補の圧勝だったのは、派閥力学だけでは説明できません。地方票もかなり菅候補に流れました。
国民の人気も、それまでは石破茂候補がトップでしたが、あっという間に菅候補が上回りました。
共同通信社が8、9両日に実施した世論調査では、次期首相に「誰がふさわしいか」と尋ねたところ、菅義偉官房長官が50・2%でトップ。石破茂元幹事長が30・9%、岸田文雄政調会長が8・0%となりました。

これはやはり安倍首相が菅氏を後継指名したからでしょう。
安倍人気が菅人気にシフトしたのです。

今、私は「安倍首相が後継指名した」と書きましたが、安倍首相は公では後継指名はしていません。
そのためマスコミも「安倍首相が後継指名した」とは書きません。
代わりに「二階幹事長の手腕で菅支持の流れをつくった」とか「五派閥の結束で菅氏が当選した」などと書いています。
しかし、二階幹事長が手腕を発揮したのも、五派閥が結束したのも、すべて安倍首相の意向を受けたものに決まっています。


これまで安倍首相と菅官房長官は一心同体で政権運営に当たってきました。
今回、裏の顔だった菅官房長官が表の顔になり、安倍首相は裏に回りました。
菅政権はいわば二人羽織りで、菅氏が顔で、安倍首相が裏から手を動かすという分担です。

国民もそのことをわかっています。菅氏個人を支持する国民がそんなにいるとは思えません。裏に安倍首相がいるから菅氏を支持しているのです。


8年間という史上最長の政権は、国民の意識を大きく変えたようです。
国民は安倍首相を“個人崇拝”するようになったのです。

個人崇拝においては、政策はどうでもいいことです。
安倍応援団はみな反中国ですが、安倍首相が習近平主席を国賓として招待することを決めても安倍支持に変化はありませんでした。

石破氏は正統な保守で、安倍首相以上のタカ派です。しかし、安倍応援団は石破氏が反安倍の態度をとってきたというだけで、「後ろから鉄砲を撃った」と言って石破氏を非難しました。
そして、国民もけっこうそれに同調して、石破氏の人気は低下しました。


国家指導者の個人崇拝は今や世界的傾向です。
どこの国と言うまでもなく、世界の主要国のほとんどがそうです。

昔は、国家指導者のあり方というのは、新聞記事を通してしか知ることができませんでした。
それが今やテレビとインターネットを通して、国民は指導者を身近に感じることができます。
そうすると、国民は指導者に対して家族のような親しみを感じます。
国家指導者個人と国民一人一人が対峙すると、圧倒的な力の差があります。
人間がこのような力の差を体験するのは、子どもが親に対峙したときだけです。
ですから、国民は指導者を身近に感じると、自分の親(とくに父親)を想起し、イメージを重ね合わせます。

親子関係が社会関係に反映されることはパターナリズムと呼ばれます。
ウィキペディアにはこう説明されています。
パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のためによかれと思ってすることから来ている。

日本語では家族主義、温情主義、父権主義、家父長制、中国語では家長式領導、溫情主義などと訳される。語源はパトロンの語源となったラテン語の pater(パテル、父)である。同じ語源をもつ英語の「ペイトロナイズ(patronize )」では「子供扱いをする・子供だまし(転じて「見下す・馬鹿にする」とも)」という意味になる。

温情主義と父権主義ではずいぶん意味が違いますが、それは実際の父親がさまざまだからです。強権的な父親もいましすし、温情のある父親もいます。

パターナリズムは上から見た言葉ですが、国民一人一人の心理に注目すると、社会の権力関係に親子関係が投影されることになります。
早い話が、テレビで安倍首相の顔をいつも見ていると、無意識のうちに自分の父親の顔が重なってきて、父親に対する愛憎が安倍首相に向けられるというようなことです。
愛憎といっても、愛が向けられるか、憎しみが向けられるかでぜんぜん違ってきます。
そういうことから安倍応援団と反安倍派に分かれるということも言えます。

少しでも心理学をかじったことのある人なら、親に対する感情が他人や社会にも向けられるということは理解できるでしょう。
こういうことは政治心理学としてもっと研究されていいはずです。


この心理をもっとも巧みに利用したのがヒトラーです。
ヒトラーは激しい調子の演説で父親のような強さを示し、一方で、笑顔で子どもの頭をなでたり赤ん坊を抱き上げたりするパフォーマンスでやさしい父親を演じました。

レーガン大統領は包容力のある父親像を演じて人気になりました。
トランプ大統領は、暴力と暴言の父親像を演じています。
アメリカの家庭にDVが蔓延している反映でしょうか。

安倍首相は野党を攻撃したり、スキャンダルを強引に封印したりすることで強い父親像を演じたのかなと思います。


国民が国家指導者を父親のように見なすと、指導者は超法規的存在になります。
誰も自分の家族が犯罪をしても警察に売ろうとしないのと同じことです。

トランプ大統領は山ほど嘘をつき、公私混同をし、疑惑の行為も山ほどしていますが、支持者はまったく気にしません。
安倍首相も、モリカケ問題、桜を見る会問題などで追及され、公文書改ざん、記録廃棄などが明白になっても、支持者は気にしません。

知識人はこういう事態を理解できていないようです。
知識人は「法の支配」を適用すべきだと思っているのですが、支持者は家族関係に「法の支配」を持ち込むべきでないと思っているのです。

今後は国民のこうした「政治心理」に光を当てていく必要があります。



ところで、菅首相の就任記者会見を見ました。


言葉に力がなく、権力者らしいところがまったくありません。
むしろ弱々しく見えて、心配になるほどです。
もっとも、これまで裏では権力をふるってきたわけです。

裏の顔が表の顔になって、今後どうなるのか、見ていきたいと思います。

菅長官
首相官邸HPより

菅義偉官房長官が総裁選出馬表明をしたのは、自民党内の派閥のほとんどが菅長官支持で固まったあとでした。
すべてが水面下で決まる、いかにも自民党らしい展開です。

菅長官は出馬表明の記者会見で「安倍路線の継承」を言明しました。
ということは、首相の顔が変わるだけで、なにも変わらないのでしょうか。
いや、そんなことはありません。この8年間で「安倍路線」そのものが変化しているからです。


安倍路線を簡単にまとめると、経済はアベノミクス、外交は対米従属、内政は保守イデオロギーです。
この中でいちばん大きく変化したのは内政の保守イデオロギーの部分です。

安倍首相は表向き憲法改正を最大の目標にしていましたが、ついに果たせませんでした。長期安定政権においてもできなかったのですから、改憲は不可能という決論が出たと見ていいでしょう。

靖国参拝も重要な目標で、安倍首相は第一次安倍政権のときに靖国参拝ができなかったことを「痛恨の極み」として、第二次政権では靖国参拝を公約として掲げていました。そして、2013年12月26日に電撃的に参拝しましたが、内外から大きな反発が起きて、それ以降は一度も参拝していません。

慰安婦問題についても、安倍首相は「強制連行はなかった」と主張して韓国への謝罪を拒否していましたが、2015年の日韓合意で「おわびと反省の気持ち」を表明しました。

安倍首相が肩入れした森友学園は、子どもが教育勅語を暗唱し、軍服のような制服を着て整列行進するという軍国時代のような小学校をつくるはずでしたが、スキャンダルとともに幼稚園での軍国的教育が明るみに出て、国民の反発を買い、軍国教育の復活もとうてい不可能になりました。

つまり日本会議に代表される保守派が目標としてきたことは、ことごとく失敗に終わったのです。
もちろん国民の支持がないからでもあります。
安倍政権を評価する国民も、もっぱらアベノミクスと対米従属の部分を評価しています。

つまり保守イデオロギーは「安倍とともに去りぬ」です。


ですから、菅政権が受け継ぐのは、アベノミクスと対米従属だけということになります。
菅氏自身も、ウィキペディアを見ると日本会議国会議員懇談会や神道政治連盟国会議員懇談会などに参加していますが、保守イデオロギーを表に出すような発言は聞いたことがありません(韓国に対してはやたらきびしいことを言いますが)。

出馬表明の記者会見でも、菅氏がとくに強調したのは、洪水対策のためのダムの水量調節のことと、携帯料金の値下げのことでした。
自分の過去の業績として挙げたのも、ふるさと納税の成立、外国人観光客の誘致、農産品の輸出促進です(本人は言いませんでしたが「Go Toトラベル」前倒しもあります)。
つまり菅氏に関心があるのは内政であり、とくに地方のことです。
安倍首相の「美しい国」や「新しい国」のような国家ビジョンはありません。

劣化コピーという言葉がありますが、菅政権は安倍政権から保守イデオロギー色を抜いた“脱色コピー”です。


そうすると、これは国民の望む政権のようですが、そうはなりません。
安倍政権の大罪に「権力の私物化」がありますが、菅官房長官はその部分を中心になって担ってきたからです。
たとえば安倍首相は自分の保守イデオロギーから森友学園に不正に肩入れし、不正が明るみに出ると主に菅長官が隠ぺい工作をするという役割分担になっていました。
菅長官はまた、テレビ局に圧力をかけるのも平気ですし、記者会見のときに気に入らない記者を選別したりもします。

権力は、暴走しないように法令に従って行使するものと定められていますが、菅氏は法令の枠いっぱいに使ったり、恣意的に解釈したりして、権力を乱用したり私物化したりします。
このように超法規的にふるまう権力者は、いかにも権力者らしい権力者としてかえって国民の人気を博します。
世界の権力者の大勢はそうなっています。トランプ大統領、プーチン大統領、習近平主席、イギリスのジョンソン首相、ブラジルのボルソナロ大統領などがそうです。

安倍首相もその一人といえます。政策が評価されたというより、国会でヤジを飛ばすようなわがままなふるまいが支持されたのでしょう。

日本維新の会の松井一郎大阪市長、吉村洋文大阪府知事、橋下徹氏らを見ていると、なにか思想や目標があるわけではなく、権力者としてふるまうことが最大の目的であるように思えますし、そうした姿勢をけっこう支持する人たちがいます。


超法規的なふるまいをする権力者、わがままな権力者が国民に支持されるという現実を、今の知識人は受け止められないでしょう。

DV男が妻や子どもを支配している家庭で育った人間は、わがままにふるまう権力者を見ると父親のような親しみを感じます。
少し前までアンケート調査で体罰に反対より賛成のほうが多かったことを見てもわかるように、日本でもたいていの家庭で暴力はありますし、暴力とまではいかなくても、親は子どもに対してわがままにふるまっているので、権力者がわがままにふるまうことへの支持は広く存在します。
トランプ大統領は典型的なDV男のイメージなので、熱狂的に支持する人が多くいます。


左右対立というイデオロギーは無意味になって、今では権力への態度で政治的立場が分かれます。
DV男や強権的な権力者に依存するか、対等で民主的な関係を求めるかという違いが政治的対立の主軸になるのです。


今後、菅政権が発足すると、菅首相の強権的なふるまいゆえに支持する国民が出てくるでしょう。
政権批判と同時に、そういう国民も批判しなければいけません。

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山本太郎代表率いる「れいわ新選組」がネットで人気です。
政見放送の再生回数が自民党や立憲民主党よりも圧倒的に多いというので、どんな政見放送か見てみました。



主張が単純明快で、説得力があります。

政策を一言でいえば、「消費税を廃止して累進課税を強化せよ」ということです。“日本のバニー・サンダース”というところです。

昔の日本は累進課税の率がすごく高くて、松下幸之助などは9割以上を税金に取られて、「私は国に税金を納めた手数料をもらっている」と言っていました。本田宗一郎もソニーの井深や盛田も、「税金が高いからやる気がしない」などと言ったことはありません。累進課税の率を低くして、ストックオプションなどで経営者が大金を手にするようになってから、日本の経営者は劣化しました。
この政策では金持ちが海外に逃げていくのではないかという疑問はありますが、今の日本にこういう主張が出てきて、貧困層の支持を得るのは理解できます。

政策については人によって賛否があるでしょうが、山本代表の訴える力の強さは誰もが認めるでしょう。

たとえば、れいわ新選組は比例区に9人の候補を立てていますが、山本代表は重度障碍者の舩後靖彦候補と木村英子候補の2人と自分の名前を挙げただけです。ほかに拉致被害者家族会関係者で安倍首相批判をしている蓮池透候補とか、女装家で東大教授の安冨歩候補といった話題性のある人もいます。こういう人は、山本代表が説得して候補になってもらったはずです。そういう人を全部無視して、「重度障碍者を国会に送り込む」という一点に絞ったのはたいしたものです。

それは演説のテクニックかもしれませんが、それだけではなく、思想も徹底しています。

「重度障碍者が国会で仕事ができるのか」という疑問に対して、山本代表は、障碍者運動の有名なスローガンの「私たち抜きで私たちのことを決めないで」という言葉を挙げます。
これは本質をついた言葉で、すべてのことに応用できます。

たとえば、ハイヒールやパンプスの強制に反対する「 KuToo」運動が話題ですが、これも要するに男性が女性のことを決めているからだめなのです。
ブラック校則も、教師が生徒のことを決めているので、むちゃくちゃな校則をつくってしまいます。
今の学校は、生徒は学校のことについてなんの決定権もありません。教育改革もすべておとなが決めます。これではいじめや不登校はなくなりません。

それから、「生きているだけであなたには価値がある。そう感じられる社会をつくりたい」と語ります。これが山本代表の根本思想のようです。
新自由主義的価値観の逆をこう表現しているわけで、いい表現だと思います。

「れいわ新選組」というネーミングも、思想的に意味があります。
「日本維新の会」というのがあり、それに対抗するなら「新選組」になるのは当然です。
自民党も明治維新以降の日本にだけ価値を見ている政党です。
「れいわ」も、私などは令和には安倍色がついているような気がして好感が持てませんが、若い人は「れいわ」に新しさを感じるでしょう。


山本代表には戦う姿勢が感じられます。
これはたいせつなことです。
古い考え方だと、政治は政策本位で争うもので、理性的に政策を判断することがたいせつだとされました。
しかし、進化倫理学では、人間は基本的に互いに生存闘争をしていると見なすので、政治の世界も闘争の場ということになります。
ですから、どんな立派な政策があっても、強くなければ話になりません。
トランプ大統領は、政策はむちゃくちゃですが、強さがあるので実行力があり、国民の支持もある程度あります。

れいわ新選組は弱小政党ですが(現時点では政党要件も満たしていません)、山本代表の闘志や迫力に可能性が感じられます。


野党第一党の立憲民主党の枝野幸男代表の政見放送はどうでしょうか。



枝野代表は政治家として優秀な人だと思いますが、山本代表の政見放送と比べると、いかにも普通の政治家のしゃべり方に見えてしまいます。はっきり言って、聞いているのが退屈ないし苦痛です。

枝野代表は外交安保について、「私たちはまず日米同盟を堅持します」と言ったあと、辺野古移設について「アメリカと再度交渉します」と言いますが、これでは民主党政権の失敗に対する反省が見えません。
民主党政権のときは、アメリカさらには日本の外務省と防衛省に力負けして、辺野古見直しができなかったわけで、そのときとどう違うかを語らないといけません。

「れいわ」の山本代表は、政見放送では外交についてなにも語りませんでしたが、日本の対米従属外交には明確な批判をしています。
2015年8月の参院特別委で山本太郎議員は、安倍政権の政策はアーミテージ・ナイレポートそのままではないかと追及しました。


この質疑応答は、新聞テレビにはほとんど取り上げられませんでした。「属国タブー」の深刻さがわかります。
ともかく、山本代表は対米従属の問題をとらえているのに対し、枝野代表はまったく認識していないようです。
立憲民主党の人気がイマイチなのは、このへんに原因があるのではないでしょうか。


自民党の安倍晋三総裁は、属国のほうに振り切っています。
政見放送では、トランプ大統領と「深い関係にあるからこそ、率直になんでも言い合える仲なんです」とアピール。アメリカファーストのトランプ大統領と仲良くなるとは、売国をアピールしているのと同じです。
アメリカに従属していると独自の外交はできません。安倍首相が強く出られる外国は韓国だけになりました。

三原じゅん子議員のヨイショぶりが北朝鮮みたいで気持ち悪いと評判になった安倍総裁の政見放送も張っておきます。





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