村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

タグ:家庭内暴力

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日本経済を停滞から救い出すためには、即効性のある方法としては、防衛費を大幅に削減してその分を文教科学振興費に回すしかなく、長期的な戦略としては、教育改革をして学校に自由、人権、民主主義をもたらすことだと述べてきました。
しかし、最善の方策をとっても、もはや日本はたいして経済成長しないかもしれませんし、地球環境のために日本のような先進国は経済成長するべきではないという考えもあります。
経済成長しなくても幸せになる方法も考えなければなりません。


私が子どものころ、「狭いながらも楽しい我が家」ということがよく言われました。
この言葉は、当時エノケンこと榎本健一が歌ってヒットした「私の青空」という歌の一節です。
大きな家に住む金持ちは、見かけは幸せそうでも、虚栄心が強くて愛情の少ない家庭かもしれない。貧しくても愛情豊かな家庭が幸せなのだということを、「狭いながらも楽しい我が家」という言葉を使って言ったのです。

金持ちでも愛情豊かという家庭もありますから、貧乏人の負け惜しみと言われてもしかたありません。
しかし、「貧しくとも愛情ある家庭があれば幸せ」というのは、そんなに間違っていないでしょう。
もちろんお金も愛情もあればいいわけですが、お金がなければ愛情だけでもほしいものです。

経済大国がだめなら「愛情大国」というわけです。

ブータンはGDPでなくGNH(国民総幸福量)を目指す国として注目されましたが、それと同じようなものです。

もっとも、愛情や愛というのは、小説、映画、音楽の中には氾濫していますが、政治や社会を論じるときに語られることはありません。
政治の世界で愛が語られたのは、鳩山由紀夫首相の「友愛」ぐらいではないでしょうか。

なぜ愛が語られないかというと、「愛のムチ」などという言葉があって、愛と暴力の区別もつかない人がいるからです。
「愛国心」という言葉もあります。愛国心というのは、外国への敵愾心をあおって国内の結束を固めるために使われる言葉で、愛とは無縁です。郷土愛や人類愛と比べると、愛国心が異質であることがわかります。
しかし、愛国心と愛の区別がつかない人がいるので、政治の世界で愛は語れませんでした。

しかし、今は孤独担当大臣が存在しています(イギリスのパクリですが)。孤独は愛情の欠如した状態と見ることもできるので、すでに政治は愛情に関わってきています。
ですから、孤独担当相を愛情担当相に変えればいいだけのことで、これはすぐにでもできます。


愛情は家庭の中で再生産されます。
仲のよい夫婦のもとで愛情を受けて育った子どもは、おとなになると仲のよい夫婦になり、愛情を持って子どもを育てます。つまり愛情の連鎖です。
DVの夫婦のもとで虐待されて育った子どもは、おとなになるとやはりDVの夫婦になり、子どもを虐待して育てます。つまり暴力の連鎖です。
ですから、暴力のある家庭を愛情のある家庭に変換していけばいいわけです。

どうすればいいかというと、とりあえず愛情も暴力も世代連鎖するという知識を世の中に広めることです。
それだけで自分がなぜ暴力をふるうかということがわかり、みずから改める人もいるでしょうし、相手の暴力の原因がわかり、適切に対処できるようになる人もいるでしょう。
カウンセリングを奨励し、その窓口をふやすことも必要です。

これに対して、「国家が家庭の中に介入するのか」という反対意見があるかもしれません。
しかし、厚労省はすでに子育てのやり方で家庭の中に介入しています。

厚労省は2017年から「愛の鞭ゼロ作戦」と称して、子どもへの体罰や暴言は脳の萎縮・変形を招くとして体罰や暴言を禁止するキャンペーンを展開しています。
厚労省が公式にキャンペーンをしている影響は大きくて、最近は体罰肯定論はまったく聞かなくなりました。また、私の印象ですが、以前はスーパーなどで子どもを大声で叱っている母親がよくいたものですが、最近はまったくといっていいほど見かけません。
ですから、同様に夫婦間の暴力・暴言の禁止キャンペーンをやれば、かなり効果があるはずです。

暴力・暴言がなくなったとしても、それだけで愛情のある家庭になるわけではありませんが、近づいたとはいえます。


今は愛情と暴力の世代連鎖について述べたわけですが、世代連鎖のほかに「社会連鎖」というのもあります。
「社会連鎖」というのは私の造語ですが、内容はありふれたことです。
たとえば、父親が会社で上司から理不尽な怒られ方をして、内心不満をかかえたまま帰宅したとき、その不満を解消するため、妻や子どもに向かって理不尽な怒りをぶつけるといったことです。
あるいは、母親がママ友からバカにされ、劣等感を味わったとき、家に帰って子どもをバカにして劣等感を味わわせるというのもあります。
つまり「当たる」とか「八つ当たり」という行為です。関係ない人間に当たるのはおかしいといっても、この心理は誰にでもあります。プロ野球の監督は選手が失策したときなどベンチやロッカーを蹴って当たっています。
強い者が弱い者をいじめ、弱い者はさらに弱い者をいじめるというのが「社会連鎖」です。

幼児虐待は、自分の子ども以外にいじめる者がいないという社会連鎖の最下層において発生しがちです。
そして、一度発生すると、世代連鎖し、夫婦間DVも派生します。
単純化して言いましたが、原理はそういうことです。


ですから、社会格差が拡大すると虐待も発生しやすくなります。

どんな家庭で虐待事件が起こるかということを「全国児童相談所における家庭支援への取り組み状況調査」が明らかにしています。

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「経済的な困難」「不安定な就労」「劣悪な住環境」はどれも貧困を意味するといってもいいでしょう。
つまり貧困家庭は虐待が起こりやすいのです。
世の中を騒がせた虐待事件を振り返ると、虐待した親のほとんどは無職か不安定な雇用形態です。

貧困も、今と昔ではとらえ方が違います。
昔の貧乏人は「狭いながらも楽しい我が家」といって自分を慰めていましたし、「金持ちはどうせあくどいことをやって儲けたんだろう。自分たちは清貧だ」といったプライドもありました。
しかし、今は新自由主義的価値観が広がって、「金持ちは勝ち組、貧乏人は負け組」ということになり、さらに「貧乏人は能力がないだけでなく、努力しない怠け者だ」という考え方も強まって、貧乏人にはまったく救いがありません。

さらに、こうした競争社会では、親は子どもを負け組にしないために教育に力を入れ、「勉強しなさい」などと圧力をかけることになりますが、これは愛情ある親子関係に亀裂を生じさせます。


このような虐待や暴力の発生と連鎖のメカニズムがわかれば、虐待や暴力をなくし、愛情ある家庭をつくる方法もわかります。
暴力禁止キャンペーン、カウンセリングの充実、貧困対策、競争社会の見直しなどによって「愛情大国」への道が開かれます。

根本的なことを言えば、親子や家族が愛情のあるつながりを持つのは本能的なものです。そのことは未開社会を見たり、哺乳類の親子や群れを見たりすればわかります。
家族関係がゆがむのは、競争社会のような文明のゆがみが家族に影響を与えるからで、そのような影響を排除すれば愛情ある家族が実現できます。
この原理さえわかっていれば、具体的な方策を見いだすのは簡単です。


こうしたことは当然、政治の課題です。
政府は2023年度に「子ども家庭庁」を創設することを閣議決定しているので、子ども家庭庁がその役割を担うことになるのでしょう。

ところで、「子ども家庭庁」は一時「子ども庁」という名前が予定されていましたが、最終的に「子ども家庭庁」という名前になりました。
これには自民党の右派議員の働きかけがあったとされます。そして、右派議員が拠りどころとするのが「親学」という思想です。

「親学」とはなにかというと、親学推進協会のホームページを見ると、「親が変われば、子どもも変わる」と大きく書かれています。
「親が変われば、子どもも変わる」というのは、たとえば子どもが反抗的で困っているという親に対しては有効なアドバイスになりえますが、そのような特定の親に対してではなく、すべての親に対して言っているようです。
つまり親も子も根こそぎ変えようというのが「親学」の考え方なのです。
どのように変えるかというと、要するに戦後の親子関係を否定して、戦前の親子関係に戻そうということです。

そもそも自民党は、夫婦別姓反対を見てもわかるように、家父長制を理想としています。「親学」も同じです。
家父長制は、男が女を支配し、おとなが子どもを支配するというのもので、暴力や虐待の温床です。
愛情ある家庭と真逆です。

日本が「愛情大国」になるには、家庭を巡る思想闘争を経なければなりません。

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長男を殺害して懲役6年の実刑判決を受けた元農水省事務次官の熊沢英昭被告が保釈されました。
殺人事件で実刑判決の下った被告が保釈されるとは聞いたことがありません。

熊沢被告は昨年12月16日に実刑判決を受け、弁護人の保釈請求を東京地裁は18日に却下しましたが、東京高裁は20日、保釈を認めました。
保釈された熊沢被告は自宅に戻らず、奥さんと都内の高級ホテルに宿泊したということです。

保釈を認めた裁判官は熊沢被告とは顔見知りだったと「NEWSポストセブン」が報じています。

異例の保釈決定の裏には「奇しきめぐりあわせ」が影響した可能性があったかもしれないという。大手紙の司法記者が話す。

「熊沢被告に異例の保釈を認めた東京高裁裁判長の青柳氏は、かつて被告の同僚として同じ職場で働いていたんです。青柳裁判長は、入所7年目だった1987年に裁判官に与えられている『外部経験制度』によって農林水産省食品流通局に2年間の研修に出ています。その時、同局にいたのが入省21年目だった熊沢被告です」

両者が1987年からの2年間、同じ食品流通局に在籍していたことは、当時の「農林水産省職員録」(協同組合通信社)および2010年刊の「全裁判官経歴総覧」(公人社)確認することができる。

 さらに、元農水省職員で、同局に出入りすることも多かったという男性からも証言を得ることができた。

「熊沢被告は砂糖類課長、青柳氏は企画課長補佐というポジションだったので、直属の上司部下ではありません。しかし、同じ食品流通局の同僚だったことには変わりない。当時、同じ部屋で机を並べ、毎日顔を合わせる関係だったと記憶しています」(元農水省職員の男性)

 一方で、熊沢被告の保釈審査を、かつての“同僚”が担当することは、公正が求められる司法のプロセスとして適切だったのか。東京高裁広報係に質すと「事件の配転(※裁判官の配置転換)は事務分配規定に基づいて行われるとしか申し上げられません」との回答。熊沢被告と青柳氏の縁故を把握していたかどうかについては「法解釈に関する事項なのでお答えできません」とのことだった。
https://www.news-postseven.com/archives/20191231_1519996.html/2

熊沢被告の弁護人は12月25日、一審判決を不服として控訴しました。
控訴審の判決も不服なら、さらに上告するでしょう。
熊沢被告は76歳ですから、刑務所に入らないで人生を全うするということもありそうです。

“上級国民”はなんとも恵まれたものです。
世の中も犯罪者にはつねに厳罰を求めるものですが、熊沢被告の保釈についてはそれほどきびしい声は上がりませんでした。

もっとも、厳罰にすればいいというものではありません。問題は被告が反省しているか否かです。


「弁護士ドットコム」に裁判の傍聴記が載っていました。
熊沢被告は長男英一郎さんに対して過保護過干渉でしたが、その実態が改めて明らかになりました。

主治医の尋問直後に行われた熊沢被告人の被告人質問では、英一郎さんの進路から就職、住居や老後のことまで、熊沢被告人が様々に気を配っていたことが明かされる。この年代の男性としては珍しいほど、子どもの世話をしていたようだ。過保護といっていいほどだが、家庭内暴力やうつに苦しむ妻には任せられない事情もあったのだろう。

高校卒業後、日本大学に進学した英一郎さんが「製図の授業に拒否感があった」ため、代々木アニメーション学院へ進学させた。卒業後、日本大学を退学、別の大学に編入させたのち、再度の代々木アニメーション学院への入学。

卒業のタイミングが就職氷河期のため「すぐに仕事が見つからない。何か後で役に立つかも、技術を身につけたら、とパン学校に通わせた」。

卒業後は先述の病院会長が経営する関連施設に就職させたが、熊沢被告人がチェコ大使を退任する頃、退職した。
https://www.bengo4.com/c_1009/n_10606/

「代々木アニメーション学院へ進学させた」
「別の大学に編入させた」
「パン学校に通わせた」
「関連施設に就職させた」
と、すべて「使役」の助動詞で語られています。
それに、ここでは「退職した」と書かれていますが、これも実は「退職させた」のです(このことは私の以前の記事で書きました)。

英一郎さんは自分の人生を生きていたのではなく、熊沢被告の決めた人生を生きていたのです。

熊沢被告は自分のやったことを反省したのかというと、この記事の最後にこう書かれています。

前日に証人出廷した妻は「アスペルガーに生んで申し訳ない」と語った。熊沢被告人は涙を流しながら言った。

「毎日毎日、反省と後悔と悔悟の毎日を送っております。精神的な病を持って生まれてきた息子に、私としては寄り添って生きてきたつもりでしたが、大変つらい人生を送らせてしまって、かわいそうに思っています。

もう少し息子に才能があれば、アニメの世界に進めたと思います……」

限界を迎えた中での犯行。英一郎さんの体には30箇所以上もの刺し傷があった。成人した息子を甲斐甲斐しく世話をし続けながらも、社会に適応できない長男について「才能のなさと、精神疾患が原因である」と判断し、誰にも相談しなかった。生前の英一郎さんは、どんな思いを抱えて、泣いていたのだろうか。

熊沢被告は「反省」と言っていますが、言葉だけです。
自分が英一郎さんをアニメ学校に行かせておいて、結果がうまくいかないと、英一郎さんの才能のせいにしています。
「相手が悪い、自分は悪くない」という論理です。

熊沢被告は「相手が悪い、自分は悪くない」という論理でライバルを打ち負かして出世したのかもしれません。
トランプ大統領も「相手が悪い、自分は悪くない」のパワーバージョン版です。


「アスペルガーに生んで申し訳ない」と語った奥さんも、産み分ける能力などないのですから、反省していません。アスペルガーのせいにしています。

夫婦そろって「子どもが悪い、自分は悪くない」という態度で子育てしていたら、子どもは追い詰められます。
その挙句の家庭内暴力であり、引きこもりであったのでしょう。

わが子を殺して反省のない夫婦と、それを批判しないマスコミ。
これが今の世の中です。



私は前からこの事件を追いかけていて、以下の記事を書いています。

「元事務次官の子殺しは幼児虐待と同じ」

「熊沢英昭被告はいかにして長男の自立の芽をつんだか」

「“毒親”を理解しない残念な判決」

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6月に逮捕されたときの熊沢英昭被告


12月11日から13日にかけて農水省元事務次官の熊沢英昭被告が長男英一郎を殺した事件の公判が行われ、事件の内容がかなり明らかになりました。

この事件は、犯人が元事務次官という“上級国民”であったことと、ちょうど川崎市20人殺傷事件の直後で、熊沢被告が「長男が川崎のような事件を起こしてはいけないと思った」と自身の犯行を正当化したことと、長男が引きこもりや家庭内暴力や発達障害などであったことから、犯人に同情する声が多くありました。橋下徹氏などは「僕が熊沢氏と同じ立場だったら同じ選択をしたかもしれない」とまで言いました。

しかし、子どもが悪かったとしても、そのように育てたのは親です。
このケースでは、両親はどのように長男を育てたのでしょうか。
フジテレビ系「 直撃LIVE グッディ! 」で報じられたことから、親子関係の問題点を見ていきたいと思います。


公判によって、いくつかの新事実が明らかになりました。
長男の家庭内暴力というのは中学2年生から大学1年生までで、しかもそれはすべて母親に向けられたものでした。
事件の1週間前に長男は実家に戻って両親と同居を始めますが、そのときに初めて父親に暴力をふるいました。父親は殺されるという恐怖を感じて、それが犯行につながったようです。

熊沢被告の妻は義理の弟の心療内科に相談し、長男は統合失調症と診断され、数十年にわたって投薬治療をしていたということです。
長男が統合失調症だったということは初めて明らかになりました。

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長男には妹がいて、自殺していました。母親は「兄の関係で、縁談があっても全部消えた。それで絶望して自殺しました」と自殺の理由を語りました。
兄が統合失調症だということが破談の原因だということでしょう。精神病に対する世の中の偏見は根強いので、ありえないことではありません。
ただ、縁談を断られて自殺したというのは、あくまで母親の言い分です。それだけのことで自殺するとは思えません。家族関係により大きな原因があったと見るのが普通でしょう。
母親もうつ病になり、自殺未遂をしたということです。

長男が統合失調症だったということには疑問が残ります。
長男は4年前にアスペルガー症候群だと診断されたということです。
統合失調症という診断がついているのに、その上にアスペルガー症候群の診断をするというのは不可解です。

アスペルガー症候群の診断をした主治医は、日本テレビ系(NNN)の記事によると法廷で次のように証言していますが、統合失調症についてはまったく触れていません。
12日は証人尋問が行われ、殺害された長男・英一郎さんの主治医が出廷した。弁護側の質問に対して、主治医は、英一郎さんを自閉症の一種であるアスペルガー症候群と診断していたと証言し、「英一郎さんは思い通りにならないとパニックを起こし、暴力をふるう症状があった」と述べた。

また、「英一郎さんがなかなか通院しなかったので、お父さんが代わり通院して薬を取りに来ていた。お父さんからの情報で英一郎さんの状況を判断していた」と証言。

さらに「経済的支援を行い、通院も1回も欠かさなかった。ツイッターを通して英一郎さんの情報を知り、知らせてくれていた。ほかの家族と比べても大変よく面倒をみていて、大変敬意を持って支援のあり方を見守っていた」と述べ、熊沢被告の支援には頭が下がる思いだったと証言した。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20191212-00000262-nnn-soci


弁護側は、「熊沢被告は長年にわたって息子の生活を支え、献身的に尽くしてきていて、事件の経緯や動機には同情の余地が大きい」として、執行猶予つきの判決を求めました。

弁護側は「献身」と言い、主治医は「支援」と言いますが、その実態は「過保護・過干渉」です。
「 直撃LIVE グッディ! 」は、そこをわりと詳しく伝えています。

ツイッターのDMでも過干渉ぶりが出ています。

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4年前に長男が「アスペルガー症候群」と診断されたときにも、都内に持ち家を与えたということです。
熊沢被告は「基本的に月に2回は行っていた。月1回は薬を届けに、1回は食べ物で使ったものの領収書を取っておけ、その分食費は渡すからと食費を渡していた。一緒にファミレスで食事をするなどしてコミュニケーションを図りました」と語りました。
普通は「生活費」としてまとめて渡すもので、いちいち食費の領収書を求めるのは、長男の生活能力を信じていないことになります。
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このような細かい“生活指導”が長男の自立を妨げていたと考えられます。

長男はマンガ・アニメが好きで、最初に入った大学を休学してアニメの専門学校に行きますが、就職に失敗、その後、複数の大学に編入し、大学院にも行き、熊沢被告はその都度援助していたということです。

熊沢被告はまた、「息子に生きがいを持ってほしいと思いました。コミックマーケットに出品したらどうかと勧めました。私は売り子として手伝いをしました。朝から晩までスペースに座って小雑誌を売りました」と語りました。

コミケ参加者に父親が同伴して手伝っているという話は聞いたことがありません。
オタクというのは特殊な趣味を共有する閉鎖的なサークルをつくるもので、その世界にまで父親が介入してきたら、長男は自分の世界が持てなかったのではないでしょうか。

そして、最大の問題は、長男が就職したときの熊沢被告の態度だったのではないかと思います。
FNNプライムの裁判の記事にはこう書かれています。

熊沢被告は、英一郎さんが大学を中退すると就職先探しに奔走したという。

熊沢英昭被告:時期が就職氷河期で。本人はアニメ系がいいといくつか受けましたが、ダメでした。

最終的に義理の兄が勤める病院に就職させたというが…

熊沢英昭被告:残念ながら勤務状況が悪いと感じました。ブログで上司の悪口を書いていました。迷惑をかけると心を痛めていました。お礼を言って引き取りますと言わざるを得なかったんです。

しかし、英一郎さんは退職に納得がいかず、ある行動に出たという。

熊沢英昭被告:医師から連絡がありました。「英一郎さんが『明日、社会的事件を起こす。上司を包丁で刺す』と言っている」と。おさめなきゃと思ってアパートまで駆けつけました。時間をかけて説得しました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191212-00010009-fnnprimev-soci
就職先をクビになったのではなく、父親に辞めさせられていたのです。
長男としては、クビになっていれば、なにが悪かったのかと反省し、次につなげることもできたでしょう。
世の中には子どもの就職の世話をする親はよくいますが、子どもの辞職の判断までする親はいません。
このときに長男は、自分は働けない人間なのかと絶望したのでしょう。

5月25日、熊沢被告は一人暮らししていた長男を実家に迎え入れました。
最初の日は、被告の妻が「父と息子の関係は良好だった」と証言しました。
次の日、熊沢被告が外出しているとき、長男は泣き出して、「お父さんは東大出て、なんでも自由になっていいね。私の44年の人生は何だった」と言ったということです。
そして、その日、被告が長男に「ゴミもたまっているから掃除しなきゃ」と、それまで住んでいた家の掃除を提案すると、長男は激高して、被告に「殺すぞ」などと言って激しい暴力をふるったということです。
その1週間後、熊沢被告は長男を殺しました。

熊沢被告の過保護・過干渉が長男の自立の芽をつんだことがすべての元凶だと感じます。

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法律の世界に「予防拘禁」という言葉があります。犯罪をしそうな人間をあらかじめ拘禁するというものです。
もろんあってはならないことで、日本では戦前の治安維持法のもとで一時的にあっただけです。

元農水省事務次官の熊沢英昭容疑者が長男を殺害した事件で、熊沢容疑者は「川崎市で小学校児童など20人が死傷した事件が頭に浮かんだ。自分の息子が第三者に危害を加えるかもしれないと思った」と殺害理由を供述しました。
殺人事件を防ぐために殺人をしたという、いわば「予防殺人」の論理です。

もちろん自分の殺人を正当化するために言っているだけです。
ある人間が将来殺人事件を起こすかどうかは神でなければわからないことで、「予防殺人」など認められるわけがありません。

ところが、テレビのコメンテーターなどでこの論理に共感を示す人が少なくありません。
その筆頭が橋下徹氏です。弁護士でもある橋下氏はいったいどういう理屈で「予防殺人」を正当化しているのでしょうか。


橋下徹氏、長男殺害容疑の元農水次官に「同じ選択をしたかも」「責められない」
 前大阪市長の橋下徹氏(49)が3日、自身のツイッターを更新。元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が東京・練馬区の自宅で長男(44)を殺害したとされる事件に私見をつづった。

 橋下氏は、熊沢容疑者が川崎の20人殺傷事件を踏まえて「長男も人に危害を加えるかもしれないと思った」などと供述したとする報道に関し「何の罪もない子供の命を奪い身勝手に自殺した川崎殺傷事件の犯人に、生きるための支援が必要だったと主張する者が多いが、それよりももっと支援が必要なのはこの親御さんのような人だ。自分の子供を殺めるのにどれだけ苦悩しただろうか」とツイート。

 さらに「自分の子供が他人様の子供を殺める危険があると察知し、それを止めることがどうしてもできないと分かったときに、親としてどうすべきか?今の日本の刑法では危険性だけで処罰などはできない。自殺で悩む人へのサポート体制はたくさんあるが、このような親へのサポート体制は皆無」とした。

 続けて「他人様の子供を犠牲にすることは絶対にあってはならない。何の支援体制もないまま、僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない。本当に熊沢氏の息子に他人様の子供を殺める危険性があったのであれば、刑に服するのは当然としても、僕は熊沢氏を責められない」とつづっていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190603-00000107-sph-soci

「もっと支援が必要なのはこの親御さんのような人だ」と支援の必要性を訴え、現状では「このような親へのサポート体制は皆無」と言っています。
しかし、引きこもりをかかえる親や家庭内暴力に悩む親へのサポート体制は、十分とはいえなくても、ちゃんとあります。
では、橋下氏はどんなサポート体制が皆無だというのでしょうか。
それは、「自分の子供が他人様の子供を殺める危険があると察知し」て悩む親へのサポート体制のことです。
そんなサポート体制があるわけありません。
そういう人がいるとすれば、必要なのは妄想性の精神病へのサポートです。
橋下氏は、「予防殺人」を正当化するために、「サポート体制の不備」という問題をでっちあげているだけです。


「他人様の子供を犠牲にすることは絶対にあってはならない」というのが橋下氏のもっとも強く主張することのようです。
しかし、「他人様の子ども」を犠牲にしないために「自分の子ども」を犠牲にするというのは、ありえない理屈です。

人の命に軽重をつけるのは安易にやってはいけないことですが、はっきりとやれる場合もあります。それは「自分の子ども」の命にかかわる場合です。
たとえば、暴走車が突っ込んできて、自分の子どもか他人の子どもかどちらかしか救えないというとき、誰でも自分の子どもを救うに決まっています。
自分にとっていちばんだいじなのは自分の子どもの命です。これは自分の遺伝子を残したいという生物のもっとも基本的な本能です。

ところが、橋下氏は他人の子どもを救うためなら自分の子どもを殺すべきだという考えなのです。
自分の子どもの命をたいせつにしない人間が他人の命をたいせつにするわけがありません。
私は橋下氏のこの主張を聞いただけで、橋下氏のすべての主張が信じられなくなります。

橋下氏はどうしてこういう考え方をするのでしょうか。
軍国主義の時代には、自分の子どもの命を国家に捧げることが称揚されました。そうした価値観の影響を受けていることが考えられます。
それから、自分の体面ばかり考えている人間、つまり外づらのいい人間は、自分の家族をないがしろにします。それが極限までいってしまったのでしょう。

ちなみに熊沢容疑者も外づらのいい人間でした。長男が家庭内暴力をするようになっても、そのことを隠し続けました。外部に助けを求めていれば、まったく違っていたでしょう。

橋下氏には7人の子どもがいます。どういう父親であるかというと、プレジデントオンラインの「橋下徹通信」で「僕は子育てを妻に任せっきりにしてきた。今の風潮からすれば、完全に父親失格である」と書いて、さらにこう書いています。

うちの子供たちだって今後、他人様を傷つけることがあるかもしれない。子育てには常にそのようなリスクが付きまとう。だからこそ、「他人様を絶対に犠牲にしちゃいけない。それはたとえ自分が死を決意したときでも」と、僕はうちの子供たちに言い続けていく。
https://president.jp/articles/-/28837?page=4

自分の子どもが人を殺すかもしれないと思っているのです。
熊沢容疑者と同じです。
橋下氏が熊沢容疑者と同様に「予防殺人」を肯定するのも納得です。

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