
不登校の“少年革命家”ゆたぼんさんがなにかと話題になって、この10月だけでYahoo!ニュース上でゆたぼんさんに関する記事が80本も配信されたということです。
ゆたぼんアンチの人がいっぱいいることはヤフコメを見てもわかります。それに対してゆたぼんさんとゆたぼんのパパである中村幸也氏が激しい言葉で反論するので、つねに炎上状態になります。
私はとくにゆたぼんさんの肩を持つわけではありませんが、ゆたぼんアンチの人にはあきれます。13歳の少年を攻撃しても生産的なことはなにもありません。
ゆたぼんアンチの人の心理を推測すると「自分はがまんして義務教育を受けたのに、ゆたぼんは学校に行かずに好き勝手なことをやっているのはけしからん」というところでしょう。
親や教師から体罰を受けて育った人がおとなになると、子どもに体罰をするということがよくあります。
ゆたぼんアンチもそれと同じで、自分がいやいや学校に通わされたのだから、ほかの子どももむりやり学校に通わせたいと思うのでしょう。
しかし、こういう発想では不幸が再生産されるだけです。
「自分が苦労したから次の世代も同じ苦労をするべきだ」ではなく、「自分が苦労したから次の世代には苦労させたくない」と思う人が世の中を進歩させます。
日本人のほとんどはいやいや学校に通ってきました(だから、ゆたぼんアンチが大量に発生します)。
ですから、するべきことは学校の改革です。
学校のだめなところは、授業がよくわからなくて退屈だ、授業の内容をがんばって理解したところで、それが人生にどれだけ役に立つのかよくわからない、校則や生活指導などがうっとうしい、同級生にいじめられるなど、多々ありますが、子どもを学校嫌いにさせるもっと根本的な問題があります。
それは、小学1年生で1コマ45分の授業中ずっと椅子に同じ姿勢で座わっていなければならず、それが1日に5コマもあるということです。
この年齢の子どもが同じ姿勢を続けるのは苦痛以外のなにものでもなく、学校に行くのは毎日が拷問のようなものです。
おとなはそのころのことをほとんど忘れていますが(苦痛なことはとくに忘れやすい)、授業中に一人の子が先生の許可を得てトイレに行くと、われもわれもとトイレに行く子が出てくることがよくあったのは覚えているでしょう。トイレに行きたいわけではなく、じっとしているのが苦痛で、少しでも体を動かしたいからです。
保育園や幼稚園では、子どもは床の上で立ったり座ったり寝転んだりしていました。それが子どもの自然な姿です。
小学校に入学したとたんに椅子に座った姿勢を強要されるのは自然に反します。子どもの発達にも悪影響があるはずです。生理学者や心理学者が警告を発しないのは不思議です(おとなにとっても長時間椅子に座っていることは健康に悪影響があると最近指摘されています)。
これは「一斉授業」というやり方です。一斉授業が行われているのは、教える側にとって効率がいいからで、教えられる側のことはまったく考慮されていません。
日本人は一斉授業が当たり前と思っているので、それ以外のやり方がわからないかもしれません。
代替策の見本は意外と身近なところにあります。それは寺子屋です。
寺子屋は自然発生して、幕末には全国で1万5000以上もあったといわれます。
東京都立図書館ホームページの「『寺子屋』ってなに?」というサイトから、寺子屋の様子を描いた絵を紹介します。

子どもはみな好き勝手な格好をしていて、遊んでいるとしか見えない子もいます。
寺子屋の絵はほかにもいっぱいありますが、みな同じようなものです。
同じサイトから寺子屋を解説した文章も引用します。
私はとくにゆたぼんさんの肩を持つわけではありませんが、ゆたぼんアンチの人にはあきれます。13歳の少年を攻撃しても生産的なことはなにもありません。
ゆたぼんアンチの人の心理を推測すると「自分はがまんして義務教育を受けたのに、ゆたぼんは学校に行かずに好き勝手なことをやっているのはけしからん」というところでしょう。
親や教師から体罰を受けて育った人がおとなになると、子どもに体罰をするということがよくあります。
ゆたぼんアンチもそれと同じで、自分がいやいや学校に通わされたのだから、ほかの子どももむりやり学校に通わせたいと思うのでしょう。
しかし、こういう発想では不幸が再生産されるだけです。
「自分が苦労したから次の世代も同じ苦労をするべきだ」ではなく、「自分が苦労したから次の世代には苦労させたくない」と思う人が世の中を進歩させます。
日本人のほとんどはいやいや学校に通ってきました(だから、ゆたぼんアンチが大量に発生します)。
ですから、するべきことは学校の改革です。
学校のだめなところは、授業がよくわからなくて退屈だ、授業の内容をがんばって理解したところで、それが人生にどれだけ役に立つのかよくわからない、校則や生活指導などがうっとうしい、同級生にいじめられるなど、多々ありますが、子どもを学校嫌いにさせるもっと根本的な問題があります。
それは、小学1年生で1コマ45分の授業中ずっと椅子に同じ姿勢で座わっていなければならず、それが1日に5コマもあるということです。
この年齢の子どもが同じ姿勢を続けるのは苦痛以外のなにものでもなく、学校に行くのは毎日が拷問のようなものです。
おとなはそのころのことをほとんど忘れていますが(苦痛なことはとくに忘れやすい)、授業中に一人の子が先生の許可を得てトイレに行くと、われもわれもとトイレに行く子が出てくることがよくあったのは覚えているでしょう。トイレに行きたいわけではなく、じっとしているのが苦痛で、少しでも体を動かしたいからです。
保育園や幼稚園では、子どもは床の上で立ったり座ったり寝転んだりしていました。それが子どもの自然な姿です。
小学校に入学したとたんに椅子に座った姿勢を強要されるのは自然に反します。子どもの発達にも悪影響があるはずです。生理学者や心理学者が警告を発しないのは不思議です(おとなにとっても長時間椅子に座っていることは健康に悪影響があると最近指摘されています)。
これは「一斉授業」というやり方です。一斉授業が行われているのは、教える側にとって効率がいいからで、教えられる側のことはまったく考慮されていません。
日本人は一斉授業が当たり前と思っているので、それ以外のやり方がわからないかもしれません。
代替策の見本は意外と身近なところにあります。それは寺子屋です。
寺子屋は自然発生して、幕末には全国で1万5000以上もあったといわれます。
東京都立図書館ホームページの「『寺子屋』ってなに?」というサイトから、寺子屋の様子を描いた絵を紹介します。

子どもはみな好き勝手な格好をしていて、遊んでいるとしか見えない子もいます。
寺子屋の絵はほかにもいっぱいありますが、みな同じようなものです。
同じサイトから寺子屋を解説した文章も引用します。
明治初年の事例になりますが、東京府が行った調査によると寺子屋の師匠(ししょう)の大半は江戸の町民でした。多くは男性でしたが、都市部、特に江戸においては女性の師匠もいました。師匠たちは、寺子屋に学びにやってくる子供たち一人ひとりの親の職業や本人の希望を考え、それぞれにあったカリキュラムを作る個別教育を行っていました。
個別教育で、しかもカリキュラムも個人に合わせて作成していたのです。
これは理想の教育ではないでしょうか。
もっとも、寺子屋は「読み書き算盤」という初歩的なことを教えるだけなので、現代の学校の参考にはならないと思われるかもしれません。
そこで外国を見てみます。
ユニセフは2020年に「先進国における子どもの幸福度調査」を発表。総合ランキングは1位オランダ、2位デンマーク、3位ノルウェーで、日本は38か国中20位でした。
1位のオランダの学校教育の方法は、たとえば次のサイトで読むことができます。
尾木ママ絶賛! “日本教育の3周先を行く“オランダの「イエナプラン教育」
「“入試・テストなし” “チャイムなし” “時間割自由”」といったことが書かれています。
オランダの憲法は「学校選択の自由」と「教育方法の自由」を保障しているそうです。
オランダでは入学の日が決まっていなくて、4歳の誕生日がすぎたらいつでも入学できます。
つまり子どもはバラバラに入学してくるので、必然的に一斉授業はできず、個別教育になります。
日本では小学1年生のクラスには6歳の子と7歳の子が同居しています。この年齢で1年の違いは大きく、同じ授業を受けるのはむりがあります。
これまでは年齢が上になればこの違いは解消されていくと考えられていましたが、今では成長しても早生まれの人は不利であることがわかっています。
つまり早生まれの人は最初にクラスにおける劣等生になるので、その自己認識はのちの生き方にも影響するのです(詳しくは『早生まれは高校入試にも影響!? 東大教授が説く「不利のはね返し方」』を参照)。
早生まれの子の保護者は、わが子が不利にならないような制度改革を要求する必要があります。
明治になって学制が施行され、義務教育が始まって、寺子屋は一掃されました。
ここに劇的な教育体制の転換が起きました。
寺子屋は子どもの側が金を出して、学びたいことを学んでいたのですが、義務教育制度では、国家の側が金を出して、教えたいことを教えるようになりました。
つまり「子どものため」の教育から、「国家のため」の教育へ転換したのです。
当時の国家の目的は「富国強兵」で、そのために国民を兵士と産業労働者に育成しようとしました。
そこで重視されたのは「規律」です。規律とは規則を守ることです。
会社や軍隊などの組織に適応するには規則を守らなければならないからです。
寺子屋と学校では、教える内容に大きな違いはありませんが、規律があるかないかが決定的に違います。
戦後になっても同じ規律重視の教育が行われています。
これがまったく時代遅れです。
教師がバカみたいなブラック校則を守らせようとするのは、なにも考えずに命令に従う兵士を育成するには有効かもしれませんが、今は兵士を育成するという目的はなくなり、命令や規則に従うだけの労働者は最低賃金レベルの収入しか得られません。
高収入を得ようとしたら、(学力のほかに)創造性やチャレンジ精神が必要ですが、それらは自由の中でしか培われません。
小学校低学年を椅子に縛りつけておくのも規律を重視するからです。
ですから、今の学校教育に必要なのは「規律から自由」への転換です。
小中学生の不登校は増え続けていて、昨年度は前年から25%増えたというニュースがありました。

「小中学生の不登校 昨年度24万人で過去最多 コロナ禍が影響か」より
これは要するに規律重視の学校教育が時代に合わなくなって、子どもが不適応になっているということでしょう。
ゆたぼんさんも、学校で勉強したくないわけではなくて、規律を求める教師とトラブルになったのが不登校のきっかけでした。
保護者も、学校や子どもに規律を求めることを考え直す必要があります。
これは要するに規律重視の学校教育が時代に合わなくなって、子どもが不適応になっているということでしょう。
ゆたぼんさんも、学校で勉強したくないわけではなくて、規律を求める教師とトラブルになったのが不登校のきっかけでした。
保護者も、学校や子どもに規律を求めることを考え直す必要があります。

