村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

タグ:山上徹也

police-3842306_1920

「そんなことしてるとお巡りさんに捕まるよ」などと親が子どもに言うことがよくあります。
子どもを脅すのはよくありませんし、日本人の“お上”意識もうかがえますが、警察は悪いやつをつかまえるものだという常識がありました。
しかし、最近はその常識が通用しないようです。


安倍晋三元首相銃撃事件は、明らかに警察の失態で、当然防がなければならない事件でした。
中村格警察庁長官が事件の責任をとって辞任しましたが、中村氏は安倍政権、菅政権のもとで出世して警察庁長官になった人で、自分を引き上げてくれた安倍元首相を守れなかったのですから皮肉なものです。
中村氏は民主党政権時代に仙谷由人官房長官の秘書官となり、政権交代ののちは菅義偉官房長官の秘書官となり、長く重用されました。現場経験が少ないために警備体制の不備に気づかなかったのではという声もあります。

中村氏といえば警視庁刑事部長時代に、伊藤詩織さんをレイプした容疑の山口敬之氏に逮捕状が発行されたとき、直前に逮捕を止めたことで有名です。山口氏は『総理』という安倍首相ヨイショ本を書き、連日のようにテレビ出演して安倍政権を擁護するコメントをしていました。そういう人間を逮捕しようとしたのですから、現場の捜査員もかなりの覚悟を持っていたと思われます。この逮捕を止めたことで中村氏は安倍首相に評価され、警察庁長官に出世したと見られています。
結果的に山口氏は民事訴訟において最高裁でレイプが認定されましたから、現場の捜査員の判断は正しかったわけで、逮捕を止めた中村氏の判断は責められるべきです。

上に媚びて部下の努力を踏みにじる人間が出世したことで、警察庁全体の士気が低下したということもあるはずです。

なお、安倍元首相が演説しているとき、背後の警備が手薄であったことが、銃撃を許した大きな原因でした。
札幌市で選挙応援演説中の安倍首相にヤジを飛ばした人を警官が取り囲み排除するという出来事があったように、警察は聴衆のヤジやプラカードを排除することに力を入れていて、その分背後の警備が手薄になったのではないでしょうか。

警察は、安倍首相のお友だちの山口氏を逮捕しなかっただけではありません。
モリカケ桜でも誰も逮捕しませんでした。
これは警察というより検察の領分がもしれませんが、たとえば森友問題で国有地の不当払い下げとか公文書改ざんとかで強制捜査して、誰かを逮捕していれば、安倍首相は辞任していたかもしれません。そうなれば、安倍氏の政界での立場もまったく変わっていて、山上徹也容疑者の銃撃の対象にはならなかった可能性があります。

警察は、統一教会についても、一時は霊感商法を取り締まっていましたが、あるときからぱったりと追及をやめました。もし警察が霊感商法からさらには高額献金問題まで手を広げて追及していれば、山上容疑者の家庭も崩壊することはなく、山上容疑者が誰かを殺そうなどと考えることもなかったでしょう。

つまり警察の失策、怠慢、政治家への忖度が積み重なった上に起きたのが安倍元首相銃撃事件です。
その中のひとつでも欠けていれば、安倍元首相の命が失われることはなかったはずです。


山上容疑者の銃撃事件をきっかけに世の中の論調が大きく変わりました。
それに、山上容疑者の境遇に同情する声が意外とあって、ネット上で「減刑」を求める署名運動が起きたり、映画の「ジョーカー」のように英雄視する声があったり、山上容疑者はイケメンだとしてファンになる“山上ガールズ”が出現しているというネット記事があったりしました。

こうした山上人気に対して有識者は「これではテロを肯定することになる。テロはいけないということを繰り返し言うべきだ」と主張しています。

「テロはいけない」というのは絶対的な真理のように主張されていますが、これは完全な思考停止です。状況によってはテロも正しくなります。
たとえば憲法が停止されたナチス独裁下のドイツで、ヒトラー暗殺の企てに対しても「テロはいけない」と言って止めなければならないのでしょうか。
あるいはよくあるアメリカ映画のストーリーで、主人公は町の有力者に商売を台無しにされ、家族をレイプされたり殺されたりするが、その有力者は保安官とつるんでいるので、我が物顔で町を歩き回っている。主人公は正義の怒りを爆発させて町の有力者と保安官を射殺する。観客は喝采を送るところですが、有識者はこれもいけないというのでしょうか。

「テロはいけない」ということが言えるのは、民主主義が機能していて、警察がちゃんと役割を果たしている場合だけです。

日本の警察は、それほどひどくありません。だいたい役割を果たしているといえます。
しかし、統一教会と安倍元首相には手を出さずに、好き放題にさせてきました(おそらくは政治家への忖度からです)。
そのいちばんの被害者が山上容疑者です。
映画なら山上容疑者の銃撃の瞬間に観客が喝采するところです。
山上容疑者に同情が集まるのは当然です。


それから日本の場合、マスコミが完全に警察と検察に従属しているという問題があります。
記者は警察と検察から情報をもらって記事を書くので、警察と検察を批判するようなことはほとんど書きません。
一般人を批判する記事も、民事訴訟を恐れるのか書きません。その一般人が犯罪をしている疑いが濃厚であってもです。
警察が逮捕か家宅捜索に動くと、各マスコミが一斉に記事にします。


警察や検察が政権に忖度して一体化しているのが今の問題です。
警察や検察と政権を分離するには、人事権の問題もありますが、警察や検察が国民を忖度するようになればいいわけです。
国民世論が「なぜあんな悪いやつを捕まえないのだ」と怒れば、警察や検察も政権ばかり忖度していられません。
そして、世論の形成にはマスコミの役割が重要です。


法律が善悪や正義を規定するのではありません。
法律は善悪や正義に基づいてつくられるのです。
善悪や正義の判断においては、警察や検察とマスコミ、ジャーナリズムは対等です。
警察や検察が善悪や正義にもとるとき、マスコミ、ジャーナリズムは自信を持ってきびしく批判するべきです。

スクリーンショット 2022-07-11 222542

7月10日に参院選の投開票があり、自民党が勝利しました。
投票日の2日前に安倍晋三元首相が暗殺されたことは、この結果にどう影響したのでしょうか。

今私は「暗殺」と書きました。
外国のマスコミも普通に「暗殺」という言葉を使っています。ただ、日本のマスコミはほぼ「暗殺」という言葉を使っていません。
「テロ」という言葉もほとんど使いません。

最初の警察発表によると、山上徹也容疑者は「母親が特定の宗教団体にのめり込んで破産した。安倍元首相が団体を国内で広めたと思って恨んでいた」と動機を説明し、「安倍元首相の政治信条とは関係ない」と言ったそうです。

「安倍元首相の政治信条とは関係ない」ということで、個人的な恨みによる犯行と見なされたようです。
確かに犯行声明のようなものもありません。
政治的な意図がないということで、「テロ」や「暗殺」という言葉を使わないようです。

しかし、安倍元首相が特定の宗教団体とつながるのは政治的な行動です。
とすると、山上容疑者が安倍元首相と特定の宗教団体のつながりに反対するのも政治的な行動ですから、この犯行は「テロ」や「暗殺」と呼んで当然です。


「特定の宗教団体」というのは統一教会(現在は世界平和統一家庭連合に名称変更)のことです。
もともと統一教会と自民党は密接な関係にありました。統一教会は「国際勝共連合」という反共政治団体を持っていて、学生などの動員力もあり、社会党、共産党、新左翼などが強い時代に自民党は統一教会を利用しました。
ただ、統一教会は高価な壺を売りつけるなどの霊感商法や合同結婚式などが社会的な問題を引き起こして、テレビのワイドショーでもよく取り上げられました。オウム真理教と統一教会は二大カルトという感じでした。
ですから、統一教会と自民党とのつながりも問題にされていました。

しかし、いつの間にか統一教会の霊感商法はワイドショーで取り上げられなくなりました。といって、霊感商法の被害がなくなったわけではありません。
どうやら統一教会と自民党との結びつきがいっそう強くなって、マスコミは統一教会と自民党に忖度して取り上げなくなったようです。
そのため今の若い人は統一教会が問題のあるカルトだということをろくに知らないかもしれません。


安倍元首相は自民党の中でもとりわけ統一教会とのつながりが強いようで、昨年9月に統一教会の関連団体にビデオメッセージを送りました。
「全国霊感商法対策弁護士連絡会」は安倍元首相に対して強い調子の「公開抗議文」を送ったので、その一部を抜粋します。

公開抗議文(抜粋)

衆議院議員 安倍晋三 先生へ

4.ところが、本年9月12日、韓国の統一教会施設から全世界に配信された統一教会のフロント組織である天宙平和連合(UPF)主催の「神統一韓国のためのTHINK TANK2022希望前進大会」と称するWEB集会において、安倍晋三前内閣総理大臣の基調演説が発信される事態が生じました。これを統一教会が広く宣伝に使うことは必至です。上記要望書の要望を全く無視したものというほかなく、当連絡会としては深く失望し、今後の被害の拡大に強く憂慮しております。
 安倍先生が、日本国内で多くの市民に深刻な被害をもたらし、家庭崩壊、人生破壊を生じさせてきた統一教会の現教祖である韓鶴子総裁(文鮮明前教祖の未亡人)を始めとしてUPFつまり統一教会の幹部・関係者に対し、「敬意を表します」と述べたことが、今後日本社会に深刻な悪影響をもたらすことを是非ご認識いただきたいと存じます。

5.安倍先生が今後も政治家として活動される上で、統一教会やそのフロント組織と連携し、このようなイベントに協力、賛助することは決して得策ではありません。是非とも今回のような行動を繰り返されることのないよう、安倍先生の名誉のためにも慎重にお考えいただきますよう強く申し入れます。また、事の重大性に鑑み、公開抗議文として送付するとともに抗議文を公開させていただく次第です。
 あわせて、今回のUPFのWEB集会の基調演説のビデオメッセージを提供された経緯について明確なご説明をいただきますようお願いします。
https://www.stopreikan.com/kogi_moshiire/shiryo_20210917.htm

山上容疑者は安倍元首相のメッセージビデオを見て、安倍元首相をターゲットにすると決めたそうです。
安倍元首相のような有力な政治家が統一教会を賛美するメッセージを送ると、その影響は甚大ですから、この考えはそれほど不思議ではありません。

ただ、この場合は「統一教会にメッセージを送る安倍はけしからん」というように、公憤とか正義感になるはずです。個人的な恨みにはなりません。
山上容疑者がもし「安倍はけしからん」という正義感を持てば、ネットの書き込みなどで発散できて、犯行には及ばなかったかもしれません。

また、彼の最後の職歴は、派遣社員としてフォークリフトの運転などをしていたそうです。
給料が安くて、結婚もできそうになく、将来になんの希望もなくて、それも犯行動機のひとつだったでしょう。
こうした境遇について、「安倍政治が悪いからだ」「自民党政治が悪いからだ」と考えれば、社会改革の方向にも意識が向いて、やはり安倍元首相個人を殺そうという考えにはならなかったかもしれません。

それにマスコミの責任もあります。安倍元首相のビデオメッセージについても、報道したのは「しんぶん赤旗」ぐらいです。一般のマスコミがこのときに「安倍元首相はけしからん」と言っていれば、山上容疑者はマスコミに任せて自分は手を出さなかったかもしれません。


もとはフェミニズムから出てきた言葉で、「個人的なことは政治的である」という言葉があります。
男女のことや家族などの問題も、国家などの政治的なこととつながっているという意味です。
山上容疑者は、自分の家庭が崩壊したことを個人的な不幸と思っているようですが、「個人的なことは政治的である」という言葉を知っていれば、またとらえ方が違っていたはずです。
また、マスコミも「暗殺」や「テロ」という言葉を使わず山上容疑者の個人的な犯行ということにしていますが、マスコミも「個人的なことは政治的である」という言葉をかみしめるべきでしょう。



ここで簡単に安倍元首相の足跡を振り返っておきたいと思います。

第二次政権のときの安倍氏は、首相の権力を自由自在に使いこなしていたという印象があります。
一般論として国家は巨大なのに個人は小さいので、個人が首相の権力を使いこなすのは容易なことではありません。しかし、安倍氏は第一次政権の挫折で人間が一回りも二回りも大きくなったのでしょう。第二次政権のときは余裕の政権運営でした。
閣僚も官僚も思い通りに動かし、それだけでなく閣僚や官僚は安倍氏の意向を忖度して先回りして動きました。そうした中で森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題が起きました。
当時の財務省の佐川宣寿理財局長は、森友学園問題で公文書改ざんを指示し、みずからも虚偽答弁をしましたが、これは安倍氏が命じたのか佐川氏がみずから動いたのか、現在にいたるもわかりません。それぐらい安倍氏と官僚は一体化していたということです。

それだけ権力を使いこなして安倍氏はなにをしたかというと、評価が分かれるところです。
私は否定的な評価をこのブログにずっと書いてきましたから、ここではなにも言わないことにします。

ともかく、安倍氏は「強いリーダー」となりました。
国民は強いリーダーを好むものなので、ずっと高支持率でした。

しかし、実際のところは、強いリーダーはろくなものではありません。
プーチン大統領、習近平主席、トランプ前大統領を想像すればわかります。ここにヒトラー総統をつけ加えることもできます。

ともかく、日本国民は強いリーダーとして安倍元首相を記憶にとどめるでしょう。
そして、その記憶が薄れるとともに、改憲問題も慰安婦問題も靖国参拝問題もフェードアウトしていくでしょう。

安倍元首相の冥福を祈ります。

このページのトップヘ