村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

タグ:性加害

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ジャニー喜多川氏による性加害を告発した被害者の人たちは、「なぜそのときに声を上げなかったのか」「警察に被害届を出せ」「売名行為だ」「金目当てだ」などと誹謗中傷にさらされました。
最近では元フジテレビアナウンサーの渡邊渚氏がPTSDを公表したところ、「PTSDなのにパリ五輪観戦に行けるのか」「PTSDを利用している」「自己顕示欲の塊だ」などと、やはり誹謗中傷にさらされました(渡邊氏のPTSDの原因が性加害であるとは公表されていませんが、誰もが知っていることではあります)。

性加害の被害者が声を上げると、決まって批判する人が大勢現れます。昔はそうして被害者の声は封じられました(ジャニー喜多川氏を告発する声も数年前まで封じられていました)。最近少しずつ声を上げられるようになってきたというところです。
しかし、最近のアメリカでは、トランプ氏の当選もあってバックラッシュ(反動)の動きが強まっています。日本もそれに影響されて、昔に戻ってしまわないとも限りません。

ここで性加害が心理学によって「発見」されてからの歴史を振り返ってみたいと思います。発見されてからも一本道ではなく、少なくとも二度のバックラッシュがありました。
なお、性加害でいちばん深刻なのは、実の親による子どもへの性的虐待です。性加害発見の歴史は子どもへの性的虐待の発見の歴史であり、さらには幼児虐待発見の歴史でもあります。ですから、性的なことでなくても、自分の親は毒親だったという悩みをかかえている人などにも参考になるはずです。


性加害、性的虐待を最初に発見したのはジグムント・フロイトです。
フロイトは1856年、オーストリアに毛織物商人の息子として生まれました。フロイトの伝記を読んでも、彼が親から虐待されたという記述はありませんが、当時の子育ての常識からして虐待されていないはずがありません。少なくとも彼が権威主義的な父親との葛藤を抱えていたことは、彼の生き方や学説から十分にうかがえます。
フロイトはウィーン大学を卒業するとパリに留学して、神経学者ジャン=マルタン・シャルコーに師事してヒステリーの研究に取り組みました。
当時、ヒステリーの女性は詐病者であるとされ、治療は催眠術師や民間治療者にゆだねられていましたが、シャルコーはヒステリーの症状を注意深く観察し、記述し、分類しました。シャルコーの科学的な研究は医学界のみならず広く有名になり、彼のヒステリー研究の発表会には上流階級の名士が多数集まったといいます。
シャルコーのヒステリー研究がそれほど注目された背景には、1859年に出版された『種の起源』の影響がありました。進化論の影響で人間を科学的に研究しなければならないという機運が高まっていたのです。

シャルコーのもとには各国の俊秀が集っていて、その中にフロイトとともにピエール・ジャネがいました。この二人は、ヒステリーの原因を解明するにはヒステリー患者を観察しても分類してもだめで、患者たちと語り合わなければならないと考え、患者との話し合いに力を入れました。
フランスのジャネとウィーンのフロイトは、それぞれ独立に同じような結論に到達しました。耐えがたい外傷的な出来事が一種の変性意識を生み、この変性意識がヒステリー症状を生んでいるというものです。外傷的記憶とそれに伴う強烈な感情とをとり戻させ、それを言語化させればヒステリー症状は軽快するという治療法が、現代の精神療法の基礎となりました。

フロイトは1895年、ヨーゼフ・ブロイアーとの共著で『ヒステリー研究』を出版し、研究成果を発表しました。しかし、共著では十分に自説を展開できなかったので、翌年フロイトは単著で『ヒステリー病因論』を出版し、自分の扱った18の症例すべてにおいて子ども時代に性的暴行の体験があったと記しました。
18の症例というのは、男性6名、女性12名で、フロイトはそれを三つのグループに分けました。第一のグループは、見知らぬおとなの男性から、多くは女の子に対して加えられる一回きりの、あるいは何回かにわたる性加害です。第二のグループは、子どもたちの世話をするおとなたち――たとえば子守り女、乳母、住み込みの女家庭教師、先生、近しい親戚の人など――が、子どもたちと性的交渉を持ち、ときには数年にわたって続けるものです。第三のグループは、子どもだけの関係、多くは兄妹の間の性的関係です。これはしばしば思春期を過ぎるころまで継続されます。

第二のグループで「近しい親戚の人」とあるのは、実際は実の父親でした。フロイトはそれではあまりにも衝撃的なので、「父親」を「叔父」などに置き換えたのです。
しかし、そんなことをしても普通の家庭の子どもたちが性的な被害にあっているというのは十分に衝撃的で、当時の人々にはとうてい受け入れられるものではありませんでした。

フロイトは世の中の強い反発に直面して、すぐに自説を捨て去りました。
『ヒステリー病因論』を出版した翌年に、患者の語ったことはすべて患者の幻想だったとしたのです。そして、患者はなぜそういう幻想を持つに至ったのかという理論を考え出しました。それがエディプス・コンプレックスを中心とするフロイト心理学です。
性加害を認めれば心理療法はきわめて単純ですが、性加害を否定したばかりにフロイト心理学はきわめて複雑になりました。

フロイト心理学では、幼い男の子には性的欲求があり、母親に対する近親相姦願望を持つとされます。そうすると男の子と父親は母親を巡るライバル関係となり、父親は男の子を脅し、男の子は去勢されるのではないかという不安を持ちます。この複雑な心理がエディプス・コンプレックスです。
まったく奇妙な理論ですが、要するに男の子に母子相姦願望という大きな罪があるので、父親が男の子に暴力的なしつけをすることが正当化されます。つまりこれは親による幼児虐待を正当化する理論なのです。

普通の家庭(精神科医の治療を受けるのはある程度上流の家庭でした)で幼児の性的虐待が行われているというおぞましい事実は誰もが認めたくありません。フロイトがその主張を貫いていたとすれば、心理学者としては社会的に葬り去られていたでしょう。フロイトが自説を引っ込めたのは、自分自身のためでもありました。
フロイトのライバルだったジャネは、幼児期の心的外傷がヒステリーの原因であるという説を生涯捨てませんでした。その結果、彼は、『心的外傷と回復』(ジュディス・L.ハーマン著)の文章を借りると、「自分の業績が忘却され自分の発見が無視されるのを生きながらにして見る羽目となった」ということです。
師のシャルコーも、あれだけ評価されたヒステリー研究が次第に冷たい視線にさらされるようになり、ヒステリーと催眠の世界から手を引いてしまいました。最晩年にはこの研究領域を開拓したこと悔やんでいたといいます。
一時はもてはやされたヒステリーの科学的研究が、潮が引くように無視されるようになったのは、ダーウィン革命の熱気が時とともに冷めてしまったからではないかと思われます。


幼児虐待は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトの四つに分けられます。
当時のオーストリアでは、親がムチを使って子どもをきびしくしつけること、つまり身体的虐待は当たり前のことでした。
フロイトは性的虐待を隠蔽するとともに、身体的虐待、心理的虐待の正当化をはかったのです。
これによってフロイト心理学は一般社会に受け入れられ、フロイトは次第に偉大な心理学者として認められていきました。
しかし、フロイトの“転向”によって心理療法は少なくとも50年の遅れを余儀なくされました。


フロイト心理学の精神分析では、患者はなかなか治りません。
患者が親に虐待された記憶を回復し、分析医に苦痛を訴えても、分析医はその記憶は幻想だと思わせようとするからです。
しかし、臨床の現場では個々の分析医や心理療法家が真実を見いだしていきました。
精神分析医だったアーサー・ヤノフは、あるとき若い患者が心の奥底からの異様な叫び声を発したことに衝撃を受け、そのことから幼いときに親から傷つけられた体験が神経症の原因になっていることを突き止め、「原初療法」を創始しました。ジョン・レノンとオノ・ヨーコも原初療法のカウンセリングを受けたことで知られています。
心理学者で精神分析家のアリス・ミラーも、幼児虐待が神経症の原因になっていることに気づき、西洋社会に広がっている、子どもをきびしくしつける教育法を「闇教育」として告発しました。ミラーの著書の題名である「魂の殺人」という言葉は、性的虐待を指す言葉として使われています。

現在、カウンセリングと称するものの多くは、カール・ロジャーズ創始の「来談者中心療法」を採用しています。来談者中心療法というのは、カウンセラーは来談者の話をよく聞き、受容し、共感するというものです。カウンセラーは来談者の話を評価したり解釈したりすることはせず、生き方を指示することもしません。そんなことで治るのかと疑問に思う人もいるでしょうが、人間はもともと自分で自分を治す力を持っているので、悩みを人に理解してもらい、共感してもらうだけで治るという理論です。
そうして来談者の話を聞いていれば、当然親から虐待されたという話も出てきます(その話を受容できるかどうかでカウンセラーの力量が試されます)。

最近では「毒親」や「アダルトチルドレン」や「愛着障害」という言葉が普通に語られるようになり、親子関係にゆがみのあることが広く認識されてきました。
ジャニー喜多川氏の性加害が告発されたのもその流れです。ジャニー喜多川氏が若いタレントに性加害をしたのは、親が子どもに性的虐待をしたのとほとんど同じです。


アメリカでは1980年代から、性的虐待の記憶を取り戻した人たちが加害者――多くは父親――を告発し、裁判に持ち込む事例が相次ぎました。性的虐待は多くは家庭内のことであり、かつ昔のことであるので、ほとんどの場合、明白な証拠はありません。困難な裁判にならざるをえないので、日本なら訴えるのをためらうところですが、そこは訴訟大国のアメリカです。フェミニスト団体やセラピストが被害者の訴訟を支援するという動きもありました。

こうした動きに危機感を抱いたのが保守派です。
保守派は、夫が妻を支配し、親が子を支配するという家父長制の家族を理想としています。
普通の家庭の中に性的虐待があるということが明らかになると、理想の家族像が崩壊してしまいます。

保守派は性的虐待の訴訟を起こした人たちへの反撃を始めました。その主役を演じたのが心理学者のエリザベス・ロフタスです。
ロフタスは記憶に関する専門家で、目撃証言の確かさや不確かさについて法廷で数百回も証言してきたといいます。性的虐待を告発する裁判が増えるとともに、ロフタスのもとに、幼児期の性的虐待の記憶の確かさについて、とりわけカウンセリングによって回復されたという幼児期の性的虐待の記憶の確かさについての問い合わせが急増しました。ロフタスは性的虐待の専門家ではないので、どう対応するか困惑し、そこで注目したのがアメリカ心理学会の年次大会で行われたエモリー大学の精神医学の教授であるジョージ・ガナウェイの「悪魔儀式による虐待の記憶に関する、もうひとつの仮説」という講演です。ロフタスはガナウェイに影響され、カウンセラーが偽の記憶を患者に植えつけた可能性があると考えました。ちなみにガナウェイはフロイト派の心理学者です。

ロフタスは被験者に偽の記憶を植えつける心理実験をしました。
18歳から53歳までの24人の被験者それぞれに、四つの出来事が書かれた冊子が渡されます。三つの出来事は、被験者の家族や親戚から聞いた、被験者が5歳のころに実際にあった出来事です。あとのひとつは、ショッピングセンターか広い施設などで迷子になり、泣いていると老婦人に助けられ、最終的に家族と再会できたという架空の出来事です。被験者はこの四つの出来事について思い出したことを書くように言われます。その後、二度面接を行い、被験者がどの程度思い出したかを確かめました。
その結果、25%、四人に一人に架空の出来事の記憶を植えつけることができたとしました。

ショッピングセンターで迷子になったことと、父親にレイプされたことではあまりにも違いますが、ともかく四人に一人とはいえ偽の記憶を植えつけることが可能だと立証されたことは、裁判においては武器になりました。保守派はこの武器を手にして逆襲に転じました。「偽りの記憶症候群」という言葉がつくられ、「偽りの記憶症候群基金(FMS基金)」なる団体が組織され、寄付が集められて、被告の法廷闘争を理論面と資金面から支援しました。そして、金目当てや家族制度の解体をねらう左翼思想のカウンセラーが被暗示性の高い神経症の患者に対して催眠や薬物を使って巧妙に偽の記憶を植えつけたと主張したのです。
マスメディアは最初のうちは、性的虐待の加害者に批判的な報道をしていましたが、「偽りの記憶」の可能性が出てからは一転して「子ども時代の性的虐待に関する根拠のない告発により多くの家族が引き裂かれている」「カウンセラーがヒステリーを作りだしている」というように、カウンセラーを悪者と見なす報道をするようになりました。
つまりバックラッシュが起こったのです。裁判は性的虐待で訴えられた側が次々と勝訴し、さらに今度は逆に、訴えられた者が訴えた者とカウンセラーに対して損害賠償請求の訴えを起こして、その結果、高額の損害賠償を認める判決が相次ぎました。保守派の仕掛けた裁判闘争は保守派の勝利に終わったのです。その後、性的虐待被害を裁判に訴えるということはほとんどなくなりました。

ここは大きな分水嶺だったと思います。
家族のもっともみにくい部分が守られたのです。
ここから保守派の反撃が始まって、リベラルが後退し、トランプ大統領の誕生にまで至ったのではないかと私は見ています。


幼児期に虐待されたことの記憶はしばしば抑圧され、意識から排除されます。しかし、そのことの影響はさまざまな形で現れます。
アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存などの依存症はトラウマが原因であることがわかっています。
アメリカでは肥満が社会問題になっていますが、肥満は糖質依存症と見なすこともできます。

アメリカでは犯罪と麻薬汚染が深刻ですが、その根本原因は病んだ家族にあります。
ところが、保守派は家族が原因であることを認めず、犯罪は移民のせい、麻薬は外国のせいにしています。
そのためアメリカの病理はどんどん進行していきます。


幼児虐待は誰でも目をそむけたいものですが、とりわけ性的虐待からは目をそむけたくなります。
性的虐待の被害者の声をどれだけ受け止められるかでその社会の健全度がわかります。
アメリカは他山の石としなければなりません。



今回の記事は別ブログ「道徳観のコペルニクス的転回」『第3章の4「心理学」(フロイトの発見と隠蔽)』を要約したものが中心になっています。詳しく知りたい人はそちらを読んでください。

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中居正広氏が女性トラブルで解決金9000万円を支払ったことが明らかとなり、ほぼ芸能界から追放された状態となりました。
松本人志氏と似ています。

中居氏と松本氏は、最近では「まつもtoなかい」という番組で共演していましたが、最初の本格的な共演は、2000年の日本テレビ系「伝説の教師」という松本氏原案の学園ドラマでした。
これは松本氏と中居氏のダブル主演で、セリフの多くがアドリブであるというのが売りでしたから、そのころから二人は気心が通じ合っていたのでしょう。

週刊文春によると、中居氏は松本氏主催のホテルのスイートルームでの飲み会にも参加していたということです。
2015年9月、東京・六本木にあるグランドハイアット東京のゲストルーム「グランドエグゼクティブスイートキング」。取材班は、その日、お笑いコンビ「スピードワゴン」の小沢一敬やダウンタウンの松本人志と女性4人を交えた「部屋飲み」が行われたことを確認している。

 1泊約30万円の最高級のスイートルームには、松本、小沢の他、放送作家、そして中居の姿があった。

「週刊文春」取材班が、中居に対し飲み会について尋ねると、代理人を通じて次のように認めるのだった。

「その時期、その場所で女性と会食したことはあります」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7409512d7963602bbba7b55e79e8ef4fc18dead7

松本氏と中居氏は“上納友だち”だったようです。少なくとも中居氏は松本氏の行動を見て、やり方を学んだはずです。
そして、自分も同じように女性を“上納”させたのでしょう。
松本氏は後輩芸人を使って上納させましたが、中居氏はテレビ局の人間を使って女子アナを上納させたわけです。
芸能界のツートップが同じことをしていたのです。


スキャンダルへの対処法は、松本氏と中居氏では一見すると対照的です。
松本氏は最初に「事実無根なので闘いまーす」と言い、5億5000万円の損害賠償を求める裁判を起こすという強気の態度に出ました。
その後、和解して謝罪したようなふりをしましたが、「事実無根」という基本線は維持しているようです。

一方、中居氏は9000万円という巨額の解決金(示談金)を支払いました。
この時点では水面下のことでしたが、解決金を払ったという報道が出ると、中居氏は「お詫び」と題する声明文を出して、「トラブルがあったことは事実です」「今回のトラブルはすべて私の至らなさによるものであります」として、自分の非を認めました。

しかし、根本的なところで中居氏は松本氏と同様に反省していないのではないかと思われます。

中居氏の声明文に「なお、示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」というくだりがあって、ここに批判が集中しました。
これは正しくは「示談が成立したことにより、今後の芸能活動について相手さまから異議が表明されることはありません」とするところです。つい自分の願望をまぎれこませてしまったのです。

私がそれよりも気になったのは、「このトラブルにおいて、一部報道にあるような手を上げる等の暴力は一切ございません」という部分です。
松本氏が訴えを取り下げることを表明したときの文章に「強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました」とあるのと似ています。
何年も前のホテルの一室内の出来事に「物的証拠」がないのは当たり前のことで、それをわざわざ書いたところに松本氏の自己正当性を訴えたい気持ちが現れています。
中居氏の「手を上げる等の暴力は一切ございません」もそれと同じです。

男はほとんどの場合女よりも力が強いので、男は女を威圧するだけで、暴力をふるわなくても暴力をふるったのと同じ効果を得ることができます。
中居氏の場合、テレビ局に対して圧倒的な力があるので、女性がテレビ局の社員であれば、なおさら暴力をふるう必要はありません。
ですから、「暴力は一切ございません」というのはほとんど無意味で、自己正当性を訴えたいだけの言葉です。


松本氏はテレビ界への復帰が絶望的になり、「ダウンタウンチャンネル(仮称)」なるものを始めるようです。
なぜテレビ界への復帰が絶望的かというと、松本氏は性加害を否定していますが、世の中の人はそれに納得していないからです。
松本氏の性加害については週刊文春やその他のメディアが詳しく報道していますが、松本氏からは「事実無根なので闘いまーす」と「とうとう出たね」ぐらいしか発信していません。
松本氏は記者会見などて自分の言葉で語って世の中を納得させなければなりませんが、相手方との合意に基づく守秘義務があるということで、それはしません。
なぜ松本氏がそんな守秘義務を受け入れたかというと、性加害があったので、しゃべるとボロが出るからでしょう。
松本氏に性加害はなかったと思っているのは、松本氏の言うことを盲目的に信じる松本信者だけです。



では、中居氏はどうかというと、トラブルがあったことは認めて、「今回のトラブルはすべて私の至らなさによるものであります」とコメントしていますが、それだけです。
「先方との解決に伴う守秘義務がある」としているので、今後も反省の弁を述べることはなさそうです。
松本氏と同じやり方です。
しかし、こちらのほうが問題は深刻です。
というのは、こちらは刑事事件になるべき問題だからです(松本氏の件は時効の壁があって刑事事件にするのは困難でした)。

被害者についてはかなりわかってきています。
フジテレビアナウンサーの渡邊渚氏は、2023年7月ごろ体調を崩して入院したと報道され、その後PTSDを発症していたとか、フジテレビを退社したとかいう報道がありました。どれも小さな扱いのニュースでしたが、憧れて入社したはずのフジテレビをPTSDで退社するというのは尋常なことではないので(渡邊氏は2020年の入社)、どんなことがあったのだろうかと気になりました。
そうしたところ、中居氏がトラブルで9000万円を払った相手が渡邊氏ではないかという報道があり、疑問が氷解しました。
もっとも、被害女性が渡邊氏だと確定したわけではありませんが、まず確実だと思えます。

週刊文春の記事では被害女性を「X子」と表記しています(「A氏」というのは「フジテレビの編成幹部」)。
X子さんの知人が打ち明ける。

「あの日、X子は中居さん、A氏を含めた大人数で食事をしようと誘われていました。多忙な日々に疲弊していた彼女は乗り気ではなかったのですが、『Aさんに言われたからには断れないよね』と、参加することにしたのです」

 なぜなら、X子さんにとってA氏は仕事上の決定権を握る、いわば上位の立場にあった。そして、悪夢のような出来事が起こる。

「飲み会の直前になって彼女と中居さんを除く全員が、なんとドタキャン。結局、密室で2人きりにさせられ、意に沿わない性的行為を受けた。『A氏に仕組まれた』と感じた彼女は、翌日、女性を含む3名のフジ幹部に“被害”を訴えているのです」(同前)

 その頃、芸能関係者が利用するフジテレビ内の更衣室では、異様な光景が目撃されている。

「彼女が鍵のかかった個室に入った後、室内からすすり泣く声が漏れていた。人前では気丈に振る舞っていましたが、彼女のメンタルの不調は、誰が見ても明らかでした」(フジ関係者)
https://bunshun.jp/articles/76186?page=2

これはどう考えても「不同意性交等罪」であると考えられます。今は親告罪ではないので、警察が捜査に入ってもおかしくありません。
とすると、9000万円という巨額の解決金が支払われたのもわかります。
慰謝料などではなく、被害者を口止めして事件をもみ消すためのお金だったのです。

フジテレビは、フジテレビ社員が中居氏と女性を引き合わせたとする報道について「内容については事実でないことが含まれており、記事中にある食事会に関しても、当該社員は会の設定を含め一切関与しておりません。 会の存在自体も認識しておらず、当日、突然欠席した事実もございません」と否定しています。
中居氏も「お詫び」と題する声明文で「このトラブルについては、当事者以外の者の関与といった事実はございません」と否定しています。
そうすると、中居氏と被害女性(渡邊氏)が互いに連絡を取り合って会食したということになり、まったく話が変わってきます。
これはやはりフジテレビと中居氏が口裏を合わせているとしか思えません。
今後の報道によってはフジテレビは大ピンチになります。


中居氏も松本氏も被害女性との間で話をつければ芸能界に復帰できると思ったのかもしれませんが、そうはいきません。世の中の多数の人が納得する必要があります。
中居氏も松本氏も主にバラエティ番組で活躍する人間です。
バラエティ番組では、恋愛話が大きなウエイトを占めますし、「飲み会」だの「ホテル」だのという言葉も出てきます。そんなときに気まずい雰囲気になったのでは、バラエティ番組が成立しません。
そういう意味で松本氏は徹底的に謝罪して反省の態度を示すべきでした。

中居氏はどうすればいいのか、よくわかりません。
ありのままを話して反省の態度を示すと、罪に問われる可能性がありますし、フジテレビも巻き込んでしまいます。
芸能界引退しかないのかなと思います。


なお、渡邊渚氏は近くフォトエッセイを出版するということで、かなり元気になられたようです。
犯罪行為があったなら告発するべきだと考える人もいるかもしれませんが、中居氏を有罪にしたところでなにもいいことはないので、渡邊氏の判断は批判されるべきではありません。

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松本人志氏の性加害問題は、週刊文春の続報や過去の発言の掘り起こしによって松本氏が窮地に追い込まれています。
最初に被害女性に謝罪しておけばこんなことにはなりませんでした。

もし松本氏の行為が犯罪だったら謝罪だけではすみませんが、今のところ報道された限りでは、松本氏が抵抗する女性を押さえつけてむりやり性交したとか、ケガさせたとかいうケースはありません。
女性が抵抗を続けると、怒って「出ていけ!」と言って部屋を追い出すか、「本番」以外の行為をさせて妥協しています。
今の時代はこれも犯罪ですが、10年ほども前のことですから、検察は「本番」行為がなければ起訴しても有罪にならないと判断したでしょう。
ですから、松本氏も自分の行為は非難されるものではないと思っていた可能性があります。

しかし、法律的に罪にならないとしても、女性の心を傷つけたのですから、謝るのは当然のことです。
「自分としては傷つけるようなことをしたつもりはなかったが、相手が傷ついたと言うなら、そうなのだろう。自分が間違っていた。申し訳なかった」と言えばいいわけです。

松本氏は謝罪しなかったために、「事実無根です」などと逆方向に暴走しました。
そのおかげでいろいろな問題が見えてきたということがあります。
たとえば、松本氏の女遊びの実態と後輩芸人との関係、吉本興業の問題対応能力のお粗末さがあらわになりました。
そして、なによりも性加害の実態が広く知られるようになりました。


松本氏はなぜ謝罪しなかったのでしょうか。

謝罪というと普通は、親が子どもに「謝りなさい」と言って謝らせるか、会社で失敗した部下が上司に謝るということが思い浮かぶでしょう。
たいていは下の人間が上の人間に謝るものです。「謝らされる」といったほうがいいかもしれません。
上司が部下に謝ることもありますが、それは上司が心の広い人間である場合だけです。パワハラ上司が部下に謝るということはありません。ガミガミ怒ってばかりいる親が子どもに謝ることもまずないでしょう。
つまり上の立場の人間が下の立場の人間に謝るのは心理的抵抗があるものです。


松本氏は女性を性の対象としてしか見ていなくて、女性が傷つくことに無頓着であるようです。
男性のこうした態度をミソジニーといいます。
ミソジニーは「女性嫌悪」とも「女性蔑視」とも訳されますが、嫌悪と蔑視では意味がかなり違います。
私としては「女性蔑視」とするのがいいと思います。
ミソジニーの男は女性を自分より下の人間と見ているのです。
そのためミソジニーの男は「謝れない男」でもあります。

松本氏は芸人の後輩に女性の調達をさせていることから、後輩も見下しているようです。また、体罰肯定論をずっと主張していたので、子どもも見下しています。
松本氏は女子ども後輩を見下しているわけです。


もっとも、松本氏は昔からそうだったわけではありません。
ダウンタウンは1980年代後半から頭角を現し、まったく斬新な漫才で人気を博しました。20代半ばの彼らは若者のヒーローでした。
当時の若者は、今も松本氏に特別の思い入れがあるようで、『松本人志”逆告発”ムーブが増大…「14歳の春に」「私も。まだ中1の春でした」 ネット賛否』という記事に、若いころにファンだった人がその思いをXに投稿しているということが書かれています。
 連発する週刊誌の告発の文体を意識するような「ある告発」が24日、X上に投稿され、注目を集めた。「私も匿名だけど告発します」の書き出しで「『松本人志さんから13歳の夏に...』生きる力を貰いました」と続く。「ダウンタウン」と松本を肯定的にとらえた”エール”だった。

 それらに準ずるように「松本人志さんから14歳の春に、、、友人をつくる術を教えてもらいました」と感謝したり、「私もです。まだ中1の春でした」と書き出した「笑いはキレイなものばかりではない。哀愁や悲しさでも笑えると、教えてもらいました」といったものも…。日を追うことにこうした同様の文体で訴える投稿は数を増し、一種のムーブメントとなりつつある。
私がこれを読んだときに思い出したのは、神戸児童連続殺傷事件の犯人であった酒鬼薔薇聖斗こと少年Aが『絶歌』という著書の中で松本氏について書いた文章です。松本氏のことを深いレベルでとらえているのに感心して、かつてこのブログで引用したことがあります。それをここで再録しておきます。
ダウンタウンは関西の子供たちにとってヒーローだった。「ダウンタウンのごっつええ感じ」が放送された翌日には、みんなで彼らのコントのキャラを真似して盛り上がった。
他の同級生たちがどう見ていたのかは知らないが、僕がダウンタウンに強く惹きつけられたのは、松本人志の破壊的で厭世的な「笑い」の根底にある、人間誰しも抱える根源的な「生の哀しみ」を、子供ながらにうっすら感じ取っていたからではないかと思う。にっちもさっちもいかない状況に追い詰められた人間が「もう笑うしかない」と開き直るように、顔を真っ赤にして、半ばヤケっぱちのようにギャグを連射する松本人志の姿は、どこか無理があって痛々しかった。彼のコントを見て爆笑したあとに、なぜかいつも途方もない虚しさを感じた。
若者は親、教師、権威、権力に抑圧されているので、必ず葛藤を抱えています。松本氏は若者の葛藤を誰よりも体現していたので、若者のヒーローになったのでしょう。

「笑い」の芸能は、権威や権力も笑いの対象にするので、必然的に反権威、反権力の面があります。
ツービートが出てきたときなど、典型的な反権威、反権力の笑いでした。ビートたけし氏は今もそのころと基本的に変わっていません。
浜田雅功氏もずっと“悪ガキ”のままです。

しかし、松本氏は反権威、反権力からどんどん権威、権力の側にシフトしていきました。
今ではほとんどのお笑いコンテストで審査員を務めるなどして、お笑い界の最高の権威になっています。
また、安倍首相と会食し、安倍首相を自分の番組に呼ぶなどして、国家権力に接近しました。
このようなお笑い芸人は過去にいなかったでしょう。

なお、吉本興業も安倍政権と菅政権に接近し、大阪の維新の会とも連携して、国や大阪の仕事を受けるようになっています。


松本氏は自分が権威、権力になったので、ますます「謝れない男」になりました。
とりわけ安倍首相に接近して、“アベ友”になったのは最悪です。
安倍首相を中心とした保守派は最悪のミソジニーだからです。

慰安婦問題では、名乗り出た元慰安婦の女性を保守派は嘘つき呼ばわりしていました。相手が韓国人なので日本国内ではあまり問題にされませんでしたが、国際社会から見たらひどい話です。結局、安倍首相はオバマ政権の圧力で慰安婦問題に関して「おわびと反省」を口にせざるをえませんでした。

伊藤詩織さんをレイプした山口敬之氏もアベ友でした。保守派はこぞって被害者として名乗り出た伊藤さんを誹謗中傷しました。山口氏は伊藤さんがレイプされたあとに出したメールを公開して、レイプがなかった証拠だと主張しましたが、松本氏が被害女性のLINEを引用して「とうとう出たね。。。」とポストしたのが、それとまったく同じ手口です。

松本氏は安倍首相に接近したためにミソジニーを強めて、よりいっそう「謝れない男」になったに違いありません。


私自身は、ダウンタウンが出てきたころはほとんどテレビを見ない生活をしていたので、当時のことはよく知りません。印象に残っているのは、2000年から始まった「松本紳助」です。松本氏と島田紳助氏が向かい合ってしゃべるだけの番組ですが、これが驚くほどおもしろいものでした(最初の1、2年だけですが)。「すべらない話」も最初のうちはおもしろく、芸人が実際にあったことをおもしろく語るという“エピソードトーク”を始めたのも松本氏ですから、お笑いの能力は傑出していたと思います。

しかし、松本氏が権力の側に傾斜するとともに(マッチョになったのもそのころ?)、世の中の常識を揺さぶるような笑いはなくなり、強い者が弱い者を笑う笑いに変化しました。
“悪ガキ”のままの浜田氏が横にいるので救われていますが、松本氏一人のときは権力者くささが鼻についてまったく笑えません。若い人に支持された昔の松本氏とはまったく違います。

お笑い芸人なら、スキャンダルが出てきたときは、認めることは認めて、笑いに変えなければなりません。実際、「まつもtoなかい」で松本氏は「文春が来た時の一言目はもう決めてるんだけどね。『とうとうバレたか~』って言って逃げたろうかなって思ってる」と言っていました。
ところが、実際はまったく笑いのない方向に逃げたのですから、お笑い芸人として終わっています。
認めることのできないようなことをしていたのなら、やはり終わっています。

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(「週刊文春」1月18日号より)

1月8日、吉本興業は松本人志氏の芸能活動休止を発表しました。
あくまで「活動休止」であって、「活動自粛」でも「謹慎」でもありません。つまり悪いことはしていないというスタンスです。

吉本興業としては、松本氏へのスポンサーや国民の風当たりが強いので、松本氏に謝罪の言葉を述べさせてしばらく謹慎させたかったでしょう。そうすれば半年ぐらいで復帰できるかもしれません。
しかし、松本氏は「謝罪しない人」です(杉田水脈議員もそうです)。これまで謝罪するべき場面でも笑いを混ぜてごまかしてきました。
今回は「自分は悪くない」という態度を貫いていて、活動休止発表と同じ日にXへ「事実無根なので闘いまーす。それも含めてワイドナショー出まーす」と投稿しました。

吉本興業は松本氏の意向を尊重して、「裁判に注力するため」という理由をつけて「活動休止」としました。
裁判といっても実務は全部弁護士がやるので、松本氏は裁判しながら芸能活動をすることは十分に可能です。「裁判に注力するため」というのはあくまで口実です。

週刊文春編集部もその日のうちに「一連の報道には十分に自信を持っており、現在も小誌には情報提供が多数寄せられています。今後も報じるべき事柄があれば、慎重に取材を尽くしたうえで報じてまいります」というコメントを発表しています。
そして、次号に掲載される記事の見出しが明らかになりました。それがこの冒頭に掲げたものです。
それによると、新たに3人の被害女性が証言しています。

これから起きる裁判は、松本氏が名誉棄損で週刊文春を訴えるものになると思われますが、被害女性の証言の信憑性が問題になります。写真や録音の証拠がないのが弱みでしたが、何人もの証言がだいたい一致していれば、それが信憑性を保証することになります。
裁判はどう考えても松本氏が不利です。


松本氏は世の中の変化がまるで見えていなくて、ドン・キホーテのように世の中に向かって突進しています。
Xへの「事実無根なので闘いまーす。それも含めてワイドナショー出まーす」という投稿にも、世間の風は完全に逆風です。「ワイドナショーで後輩芸人相手にしゃべっても意味はない。記者会見をしろ」「フジテレビは公共の電波を一人の男の弁解のために使わせるつもりか」などの声が上がっています。
「事実無根なら記者会見で説明しろ」という声はもっともなもので、松本氏の欺瞞を浮き彫りにしています。

なお、松本氏はXを更新して、「ワイドナショー出演は休業前のファンの皆さん(いないかもしれんが💦)へのご挨拶のため。顔見せ程度ですよ」とトーンダウンしました。
「事実無根」であることをテレビで説明できないのであれば、裁判闘争もまともにできるとは思えません。


松本氏はまた、1月5日にXに「とうとう出たね。。。」というコメントとともにあるLINEの画像を貼り付けました。
その画像は「週刊女性PRIM」が報じたもので、被害女性A子さんが小沢一敬氏に宛てたものとされます。文面は「小沢さん、今日は幻みたいに稀少な会をありがとうございました。会えて嬉しかったです。松本さんも本当に本当に素敵で、●●さんも最後までとても優しくて小沢さんから頂けたご縁に感謝します。もう皆それぞれ帰宅しました ありがとうございました」というものです。
性加害にあった女性がこんなLINEをするはずがないと松本氏は主張したいのでしょう。
しかし、レイプされた被害者が加害者に迎合するのはよくあることです。

伊藤詩織さんが山口敬之氏にレイプされた事件において、伊藤さんはレイプされた日の3日後に山口氏にあてて「山口さん、お疲れ様です。無事ワシントンへ戻られましたでしょうか?VISAのことについてどのような対応を検討していただいているのか案を教えていただけると幸いです」というメールを送っていました。
山口氏はこれを性行為に合意があった証拠だとし、山口氏の応援団もこぞって、「レイプされた人間がこんなメールを送るはずがない。伊藤詩織はうそつきだ」と言い立てました。
しかし、人間の心理として、あまりにも衝撃的な出来事があって、心がそれを受け止められないとき、あたかもそれがなかったかのようにふるまうということがあるものです。これがひどくなると、解離性障害といって、記憶が飛んだり、人格が変わったりします。
東京地裁は2019年12月の判決で、このメールに関して「同意のない性交渉をされた者が、その事実をにわかに受け入れられず、それ以前の日常生活と変わらない振る舞いをすることは十分にあり得る」「メールも、被告と性交渉を行ったという事実を受け入れられず、従前の就職活動に係るやり取りの延長として送られたものとみて不自然ではない」と明快に判断しました。
私はこの判決を見て、ほっとしたのを覚えています。当時の常識からは、このメールがレイプのなかった証拠とされることもありそうだったからです。

当時は伊藤詩織さんへの誹謗中傷が激しく、伊藤さんは日本を脱出してイギリスに移住せざるをえませんでした。
しかし、伊藤さんの奮闘のあと、#MeToo運動が起こり、自衛官の五ノ井里奈さんの告発があり、ジャニー喜多川氏の性加害の被害者が声を上げて、世の中の価値観が変わってきました。
ところが、松本氏はこうした世の中の変化を理解していなかったようです。
松本氏から性加害を受けたという女性が次々と出てきたのは誤算だったでしょう。


松本氏は時代が読めないドン・キホーテであるだけではありません。

松本氏の周りの芸人たちは、この問題に関してほとんどコメントしていません。
12月29日の「ワイドナショー」で、東野幸治氏は「ちょっとびっくりしましたけど」と言い、今田耕司氏は「僕が知ってる松本さん、小沢君がとても言うとは思えないです、記事に書かれているようなコメントを。合コンとかしたこと、何度もありますけど」と言い、あと、ほんこん氏は自分のYouTubeチャンネルで「俺の子を産めとか言うかな?」「俺は相当、(松本氏は)自信があるのではないかなと思いますけどね」と言いましたが、3人とも松本氏と直接話はしていないわけです。
親しい関係なら「文春の記事、ほんまでっか?」と聞いて、その返事をみんなに伝えます。
おそらく松本氏は周りの芸人からも超越的な存在なので、おそれ多くて誰もなにも聞けないのでしょう。


吉本興業の経営陣も同じです。
活動休止を発表した前日、日本テレビ「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の放映があり、冒頭でダークスーツ姿の藤原寛吉本興業副社長が「番組を始める前にわたくしのほうから謝罪とお知らせをさせていただきたいと思います」と切り出し、「2023年、弊社所属芸人が皆様に多大なご迷惑、ご心配をおかけしまして、本当に申し訳ございませんでした」と頭を下げましたが、なにについて謝罪しているのかは言いません。
隣の松本氏が「誰のことやねん。いっぱいいるからわからへん」などと突っ込んでいました。

松本氏の性加害問題を笑いにしてごまかすのかと驚きましたが、どうやらこの番組が収録されたのは文春が性加害を報道する以前のことだったようです。ですから、謝罪の対象は“当て逃げ”の藤本敏史氏のことだったと思われます(ほかに浜田雅功氏の“パパ活”などもありました)。
しかし、冒頭場面をカットするか撮り直しすることもできたはずです。そのまま放映したのは、吉本興業はやはり松本氏の性加害問題を笑いでごまかしたかったのでしょう。

吉本興業の岡本昭彦社長も藤原寛副社長も、今は万博催事検討会議共同座長をやっている大崎洋前会長も、みんなダウンタウンのマネージャーだった人です。つまりダウンタウンのマネージャーをやることで出世して経営の中枢に上り詰めたのです。
経営陣と松本氏は一体です。
経営陣も「事実無根」という主張は無理筋だと思っていても、松本氏にはなにも言えないのでしょう。

松本氏はお笑い芸人として圧倒的権威となり、吉本興業においても稼ぎ頭となったことから、誰も意見できない「裸の王様」になりました。


裸の王様はいずれ恥をかくことになりますが、このままでは吉本興業もいっしょに恥をかいてしまいます。
裁判のゆくえ以前に、吉本興業と松本氏の関係に注目です。

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2023年はジャニーズ事務所と宝塚歌劇団という芸能界の権威の中の闇があばかれた年でしたが、最後に松本人志氏の性加害スキャンダルが出て、芸能界に激震が走りました。
松本氏は吉本興業のタレントの中心的な存在であり、ダウンタウンとして大阪万博のアンバサダーも務めています。
今は週刊文春の第一報が出ただけですが、今後の展開から目が離せません。

『《参加女性が続々告発》「全裸の松本人志がいきなりキスしてきて…」「俺の子ども産めや!」1泊30万円の超高級ホテルで行われた「恐怖のゲーム」』という文春オンラインの記事で概略が読めますが、これは無料版なので詳しくありません。
「松本人志の性加害疑惑内容まとめ」というまとめサイトはもう少し詳しいですが、正確なまとめとは限りませんし、焦点もはっきりしません。
そこで、私が「週刊文春1月4・11日新年特大号」の記事から、重要な部分を紹介します。
重要な部分というのは、松本氏の行為は犯罪に当たるのか、犯罪でなくても倫理的に許されず芸能界を引退するレベルのものか、謝罪すればすむレベルのものか、そもそも記事内容はどの程度確かなことなのか、といったことです。


2015年の冬、A子さんはスピードワゴンの小沢一敬氏から飲み会に誘われます。A子さんは小沢氏の飲み会に何回か参加したことがあります。ただ、そのときは小沢氏から「VIPをお呼びするから絶対ドタキャンはしないように」と言われます。
飲み会の場所は六本木のグランドハイアット東京の「グランドエグゼクティブスイートキング」という一泊約三十万円の部屋です。女性の参加者はA子さんを含めて3人、男性は小沢氏と放送作家X氏、そこにA子さんには「ものすごいVIP」としか知らされていなかった松本氏が現れます。
松本氏は飲むとだんだん饒舌になり、「日本の法律は間違ってると思うねん。俺みたいな金も名誉もある男が女をたくさん作れるようにならないとあかん。なんで嫁を何人も持てないんや」などと言います。
女性の一人が「素敵な奥様がいらっしゃいますよね」と言うと、松本氏は「女は出産すると変わんねん」と言い、女性たちに向けて「俺的には三人とも全然ありやし。で、俺の子ども産めるの? 養育費とか、そんくらい払ったるから。俺の子ども産まん?」などと言います。
夜10時すぎ、小沢が「さぁ、みんなでゲームを始めよう」と言います。グーチョキパーによって男と女がペアになり、松本氏が寝室、X氏が浴室、メインルームのソファに小沢氏がいて、15分ほどで女性は部屋を移動するというゲームです。

A子さんが寝室で松本氏と対面したときの様子を記事から引用します。

A子さんが恐怖の体験を振り返る。
「いきなりキスされ、混乱していると、松本さんは『さっきの話や。俺の子ども、産めるの?』と迫ってきた。またキスされそうになったので、しゃがんで抵抗したところ、足を固定されて三点止めの状態にされてしまった。その日、私はボタン付きのシャツを着ていましたが、松本さんが無理やり上から脱がそうとしたため、ビリッと破れてしまった」
いつの間にか松本は全裸になり、身体を押し付けてくる。A子さんは唖然と佇立するしかなかった。
「松本さんは『俺の子どもを産めや』と呪文のように唱えてきて、それでも拒否していると大声で『なぁ! 産めへんのか!』と。恐怖で震えている私を見て、ますます興奮しているようでした。私は『このまま本当に殺されるかもしれない』とパニック状態になりました」(同前)
A子さんの右手を掴んだ松本は、股間を触るように誘導してきたという。
「私は『ホント、すみません、すみません』と必死に拒否しながらも『一度射精させれば襲われなくなるかもしれない』と防御策を考えました。何度も抵抗した後、右手だけで応えるようにしていたんですけど、しゃがみ込んだ途端に口に押し入ってきた。そして最後は口内に出されました。その瞬間、頭の中が真っ白になってしまった」(同前)
それから約十秒と経たないタイミングだった。
「はい、終了~!」
隣室から小沢が嗄れ声で叫んだのだ。
「あまりのタイミングの良さに『相当慣れてるな』と思ったんです。口の中の精液を目の前で吐き出すと怒られるかもしれないと思い、松本さんがリビングに行った瞬間を見計らい、ベッド右脇の床に吐き出してしまいました」(A子さん)

被害者はA子さんだけではありません。

A子さん参加の飲み会の3か月ほど前、B子さんはやはり小沢氏に誘われて飲み会に参加しました。場所は同じグランドハイアット東京の「グランドエグゼクティブスイートキング」で、参加者は男性4人、女性4人でした。そして、飲んでいると“ゲーム”が始まります。
B子さんが松本氏の部屋に入ると、松本氏は全裸になってベッドに引きずり込んできました。そのときに言われた「君みたいな真面目な子に俺の子どもを産んでほしいねん。君の子どもがほしい」という言葉がB子さんの脳裏に焼きついています。
B子さんが必死に抵抗すると、「セックスがだめなら口でやって」と言い、B子さんが「むりです」と断ると、「口がだめなら手でやって」と言い、ベッド上の攻防は十数分続き、心が折れて、「最後は私の手の中で果てていました」(B子さん)ということです。
それから数年間、B子さんはPTSDに悩まされ続けました。


これらの行為は法的にはどうなのでしょうか。
「口淫」と「手淫」であって、「挿入」はありません。
かつて強姦罪は姦淫すなわち性交のみが処罰対象でした。
しかし、2017年の刑法改正により「強姦罪」は「強制性交等罪」と名前が変わり、性交のほか、肛門性交、口腔性交も処罰対象となりました(男性の被害も認められ、非親告罪となりました)。
ただ、松本氏の行為は2015年のことですから、処罰対象にはなりません。
それに、当時この事件が発覚して、検察がむりやり起訴に持ち込んだとしても、裁判所は「性交していない」ということのほかに、「被害者は拒否しようとすればできたのにしなかった」という論理で松本氏に強姦罪を適用しないでしょう。

松本氏の行為に刑法上の罪は問えないと思われます。
しかし、それはA子さんとB子さんに「性交」がなかったからです。
飲み会に参加したほかの女性には「性交」をした人もいるはずです。
「三人中、二人が生理やん。どないなってんねん!」と松本氏が怒ったとA子さんは言っています。性交できない女性を「生理」という隠語で呼ぶそうです。
松本氏と性交した女性が被害を訴えたら、強姦罪の時効は10年なので、即「松本アウト~」となります。
今回の文春の報道が呼び水となって、被害を訴える女性がさらに出てくるかもしれません。

もっとも、松本氏は「証拠がない」と主張して争うかもしれません。飲み会参加の女性は松本氏がくる前に携帯電話を預けさせられています。ですから、証拠の写真や録音はないはずです。
しかし、「証拠がない」と言って無実を主張するのは、今では裁判所はともかく世の中が許しません。


性交に関して、同意があったか強制だったかということはしばしば問題になります。腕力が強い男、権力を持った男に女性は強く抵抗できませんが、そうすると「合意があった」と見なされがちです。
そこでさらに法律が改正され、2023年7月に施行された改正法では「強制性交等罪」は「不同意性交等罪」という名前に変わり、成立要件がより明確になりました。
たとえば「暴行又は脅迫」「アルコール又は薬物の影響」「 経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力による不利益の憂慮」などで「同意しない意思を形成したり表明したりするのが困難な状態」であれば、不同意性交等罪が成立します。

松本氏は芸能界の大物で、筋肉ムキムキです。A子さんは小沢氏から「くれぐれも失礼のないように。怒らせるようなことをしたら、この辺、歩けなくなっちゃうかもしれない」と言われます。スイートルームにいる男たちはみな「セックスするのが当たり前」という認識でいます。この状況で拒否するのはたいへんです。
もし当時に「不同意性交等罪」があったら、松本氏は完全に有罪です。
「昔はそんな法律はなかったからいいんだ」という言い訳は、やはり世の中が許しません。


この7年間に2度も「強姦罪」に大きな変更が加えられたのは、強姦に関する世の中の価値観が大きく変わってきたからです。昔の法律はあまりにも男に都合よくできていました。
もしA子さんとB子さんの事例だけなら、刑法的にはセーフです。しかし、世の中の価値観からはアウトです。
ほかの事例が発覚すれば刑法上もアウトです。


吉本興業は週刊文春の記事に関して「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです」「厳重に抗議し、今後、法的措置を検討していく予定です」という声明を発表しました。
この時点では、文春記事は事実か否かが問題になりそうな感じでしたが、その後、松本氏も小沢氏もノーコメントを貫いているので、松本氏を擁護する声はなくなりました。
松本氏のキャラクターや日ごろの言動から、文春の記事のようなことはあったに違いないと思う人が多いように思えます。

松本氏は沈黙したままこの問題から逃げきることはできません。
自分は無実だと主張すると、被害女性は嘘つきだと決めつけることになり、非難の火に油を注ぐようなものです。
松本氏が芸能活動を続けたければ、罪を認めて、謝罪し、被害者に補償することです。
松本氏のお笑いの才能は多くの人が評価しているので、真摯に謝罪すれば世の中も許してくれるかもしれません。
テレビに出られなくてもYouTuberとして活躍することはできます。

問題は吉本興業です。
松本氏全面支持の声明を出してしまったので、路線転換できるかです。
松本氏が反省の態度を示さない場合、島田紳助氏のように切り捨てられるかが問われます。


「俺の子どもを産めや」というのは奇妙なセリフです。セックスしたい男は「ちゃんと避妊するから」と言って口説きます。
小沢氏は「松本さんの性癖って本当に凄く変わってるの。AV女優とかプロの女性はダメで、ファンの子もダメなのよ。そこに価値を感じないわけ」と言います。
松本氏も「最近は俺、図書館にいる司書さんみたいな人と付き合いたいねん」と言います。

松本氏の立場なら、あと腐れなくセックスさせてくれる女性を見つけるのは容易なはずです。しかし、そういう女性では満足できないのでしょう。
「俺の子どもを産めや」と言って、相手の女性の拒否感を強めておき、そういう女性を支配することに喜びを感じるのです。
ただ、腕力や暴力を行使せずに、心理的に屈服させ、支配するのです。
そのため、「ほとんど強制だが、完全に強制とはいえない」という微妙な状況になって、気の弱い女性はレイプされ、気の強い女性はレイプを免れることができるというわけです。

松本氏はきわめて支配欲、権力欲の強い人です。
松本氏はほとんどのお笑いコンテストで審査員を務めています。そのためお笑い界で権威になり、それはお笑い界にとってよくないことだと、オリエンタルラジオの中田敦彦氏が松本氏を批判しました。まっとうな批判でしたが、逆に中田氏がたたかれました。松本氏の芸能界における支配力が強すぎたのです。
松本氏はカリスマといってもいい存在になり、女性蔑視発言やさまざまな問題発言をしても謝罪せずに許されてきました。
こういう権力欲の強い人は、謝罪することを人よりも屈辱的に感じるのでしょう。

今後は、松本氏がどれだけ真摯な謝罪をするかが問題になると思われます。

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ジャニーズ事務所の名前を変えるべきか否かが議論になっています。
この名前のままではジャニー喜多川氏による性加害が想起され、被害者が傷つくというのです。
しかし、ジャニーズ事務所はジャニー氏がつくったもので、所属タレントもほとんどはジャニー氏が採用して育成したわけですから、全体がジャニー氏の色に染まっています。名前だけ変えてもたいした意味はありません。

世の中には、ツイッター(現X)で「#ジャニーズ事務所を応援します」というハッシュタグが一時トレンド入りするなど、ジャニーズ事務所やその所属タレントを応援する人がたくさんいます。
一方、ジャニー氏の性加害を告発した被害者を誹謗中傷する人もいて、応援する人との区別がつきにくくなっています。
ジャニー氏のしたことをすべて否定するから、こうした混乱が生じるのです。
ジャニー氏のしたことを、よいことと悪いことに区別しないといけません。

ジャニー氏の性加害はもちろん悪いことです。芸能事務所の社長という圧倒的な権力を背景に、12,3歳という若い子も含まれる少年たちを自身の欲望の犠牲にしたわけで、少年の心に深い傷を残したのは確実です。
しかし、その一方で多数の男性アイドルを育てて、「ジャニーズ帝国」と言われるほどの一大勢力を築き上げました。
このように多数の男性アイドルを育てたのはジャニー氏の功績として評価するべきでしょう。

ジャニー氏が巧みだったのは、フォーリーブスを皮切りに、シブがき隊、少年隊などのようにグループとして売り出したことです。
このグループ戦略は、モーニング娘。やAKB48、さらには韓国アイドルにも広がりました。
おそらく芸能界を一人で生き抜いているアイドルは、若いファンには身近に思えないのでしょう。グループ活動をしているアイドルなら、中学生や高校生にとって親しみがあります。

それから、歌と踊りだけでなく、しゃべりの技術を向上させて、バラエティ番組に進出させたのも成功しました。今ではバラエティ番組はジャニーズのタレントだらけです。

そのような売り出し方もだいじですが、やはりいちばんだいじなのはそのアイドル自身の魅力です。
ほとんどはジャニー氏が選んだのでしょうから、その目利きがすごいといえます。

ジャニーズのアイドルはそれぞれ個性的で、多様な人間が集まっていますが、全体として一定の傾向があります。
学校のクラスでいえば、優等生タイプはいません。あまりイケメンでない、ひょうきん者はいます。不良っぽいのもいますが、ほんとうの不良みたいなのはいません。
そしてなによりも、体の大きい筋肉質の男、つまりマッチョはいません。これがなによりの特徴です。
つまり「男くさい」のはいなくて、全員が「少年っぽい」のです。
これはEXILEと比べてみれば歴然とします。EXILEは全員マッチョで、「男くさい」のがそろっています。ジャニーズと好対照です。
なお、不思議なことにジャニーズのアイドルは何歳になっても「少年っぽい」ままで、「貫禄」がつきません。

こうした特徴は、おそらくジャニー氏の好みによるのでしょう。
ジャニー氏は、好みの少年を事務所に入れて、ハーレムを形成しました。ハーレムからその日の気分に合わせて少年を選び出して、夜の相手をさせていたわけです。
ジャニー氏の性癖は、同性愛でかつ小児性愛ということになるでしょう。
同性愛自体は問題ではありませんが、小児性愛は、その欲望を実行に移すと犯罪になってしまいますから、めったに満たされることはありません。
ところが、ジャニー氏は自由にその欲望を満たしていたわけです。
世界広しといえども、現代にこのように欲望を満たしていた人間はほかにいなかったのではないでしょうか。


ジャニーズ事務所のアイドルが芸能界を席巻したことで、世の中の価値観が変わりました。
ジャニーズのアイドルのような「少年っぽい」男がいい男、もてる男ということになりました。
「男くさい」男、マッチョな男は人気がなくなりました。
若い男性は女性にもてるために、ジャニーズのアイドルのような男を目指したので、日本の若い男性全体がジャニー氏のハーレムの方向にシフトしたことになります。

ジャニーズ事務所の社名を変えるより前に、日本はジャニー氏によって変えられていたのです。

もっとも、「男くさい」男から「少年っぽい」男へのシフトは、平和な時代が長く続いたことが主な原因です。ただ、ジャニー氏がその変化を加速したということはいえるでしょう。
この変化がよいか悪いかといえば、私自身はよいと思っています。軟弱な男が増えたということで、それだけ戦争しにくくなるからです。


なお、秋元康氏プロデュースのAKBグループ、坂道グループのアイドルにも一定の傾向があります。
学校のクラスでいえば、不良、ギャル、ヤンキーっぽいのはまったくいなくて、優等生っぽいのばかりです。
おそらくこれは秋元氏の好みなのでしょう。
日本のアイドル文化は、2人の男の個人的な好みによって決定されているのです。

そして、このアイドル文化は日本社会のあり方にも影響を与えているに違いありません。

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