村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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自民党総裁選には9人が立候補しました。
半分以上が当選見込みのない泡沫候補です。
多数の候補がいろいろな政策を発表して議論すれば裏金問題が見えにくくなるという魂胆でしょうか。

裏金問題もだいじですが、ほかの大きな争点は、やはり選択的夫婦別姓問題でしょう。
9月12日の報道ステーションでの各候補の態度表明によると、選択的夫婦別姓に賛成なのは小泉進次郎氏、石破茂氏、河野太郎氏で、反対なのは高市早苗氏、小林鷹之氏、加藤勝信氏です。
しかし、いまだにこんな議論をしていることが遅すぎます。
1996年に法務大臣の諮問機関である法制審議会が選択的夫婦別姓制度導入を答申してからもうすぐ30年です。こんなところにも「失われた30年」がありました。

自民党が夫婦別姓に反対する理由は「別姓だと家族の絆が壊れる」というものですが、結婚後に夫婦同姓を強制される制度の国は日本だけです。日本以外の国は家族の絆が壊れているということもありません。
実際のところは、自民党は明治以来の古い家族制度を守りたいのです。

明治の民法では、戸主(家長)が家族に対して絶対的な権限を持ち、結婚も戸主の同意が必要でした。家の財産はすべて戸主のもので、女性には相続権がありませんでした。戸主には勘当(家族を家から排除)する権限もありました。
戸主権を引き継ぐことができるのは原則長男だけですから、嫁が男の子を産まないと嫁が非難されました。
女性は結婚とともに夫の姓に変わり、夫の家の戸主の支配下に入りました。
明治国家は近代国家でしたが、家制度は武家社会を真似たので、封建的なものでした。

こうした明治民法の家族制度は1947年に廃止され、男女平等の制度となりましたが、人々の家族観というのは急には変わりません。とくに地方では大家族が多いこともあり、今でも父親や祖父が権力を持ち、嫁を支配する傾向が色濃く残っています。

自民党が守りたいのはこうした古い家族制度です。
今は結婚すると95%は女性が姓を変えているので、ほとんど昔と同じです。
別姓が認められて、別の姓の女性が家の中に入ってくると、夫や父親は“嫁”として扱いにくくなります。
自民党がいう「家族の絆が壊れる」というのはそういうことでしょう。
自民党の封建的な男尊女卑は明らかに世の中とずれており、社会の進歩の妨げです。


各候補は憲法改正にも意欲を示しています。
しかし、憲法改正について国民の関心は高くなく、ここも自民党はずれています。

もともと憲法改正というのは九条についてでした。軍隊を持てない憲法は日本を骨抜きにするために占領軍が押しつけたものだとして、保守派や右翼は敗戦の屈辱を晴らすためにも九条改正を目指しました。
しかし、憲法施行から77年たって、九条も解釈の変更を重ねて、今では敵基地攻撃能力を持つことも可能とされています。これでは改憲する意味がありません。
そのため、最近は緊急事態条項が優先されるべきだという声もあります。

戦後しばらくは、敗戦の屈辱を晴らしたいという思いと、戦前の日本に回帰したいという思いがかなりの熱を持っていましたが、さすがに国民の意識も冷めてきました。
こういう後ろ向きの憲法改正は終わりにしないといけません(緊急事態条項も実は「ナチスの手口に学べ」という戦前回帰です)。

今後は前向きの憲法改正論議をしていきたいものです。
たとえば、親に教育の義務を課すのをやめて子どもの学習権を規定するとか、まったく機能しない最高裁判所裁判官国民審査を機能するものにするとか、検察組織を政府から干渉を受けない組織にするといったことが考えられます。

自民党はいくら保守政党だといっても、戦前回帰は時代に合わなくなってきています。
自民党が刷新感を出したいなら、こうした戦前回帰の政策を捨てることです。


国民の関心がいちばん強いのは経済政策です。
日本経済を立て直す政策が出てきたでしょうか。

加藤勝信氏は立候補会見で「最優先は国民の所得倍増」と語りました。
「所得倍増」といえば、岸田文雄首相が総裁選に出たときに「令和版所得倍増」を掲げていました。しかし、その後「資産所得倍増」と言い換え、やがてそれも言わなくなりました。
加藤氏はそうした岸田政権の経済政策を批判した上で自分なりの「所得倍増」を打ち出したのかと思ったら、岸田政権批判みたいなことはいっさい言いません。ということは岸田政権の二番煎じとしか思えません。

高市早苗氏は立候補会見において「経済成長をどこまでも追い求め、日本をもう一度世界のてっぺんに押し上げたい」と語りました。
「世界のてっぺん」とはよく言えたものです。
日本はてっぺん近くからあれよあれよというまに5位にまで転落しました。日本は2010年にGDPで中国に抜かれましたが、今では中国のGDPは日本の4倍以上になっています。

高市早苗氏は安倍晋三氏を尊敬しているので、その路線を継承するはずです。
高市政権がアベノミクスと同じようなことをするなら、経済成長も安倍政権並みにしかなりません。

小泉進次郎氏は「労働市場改革」を掲げ、さらに「解雇規制緩和」に言及しました。
これは小泉純一郎首相と同じ路線で、政策までも世襲のようです。

石破茂氏は「地方創生が日本経済の起爆剤」と語りました。
林芳正氏は「最低賃金引上げなどで格差是正」と語りました。
小林鷹之氏は「国の投資で地方に半導体や自動車などの戦略産業の集積地をつくる」と語りました。

あとは省略しますが、誰の政策にも期待が持てません。
なぜかというと、これまで日本経済がだめだった理由を分析していないからです。

なぜ日本経済は30年も成長しないのでしょうか(その期間、世界経済はだいたい年4%程度成長し続けていて、日本の成長は1%弱です)。
少子高齢化が大きな原因であることは確かですが、それだけではないはずです。もし少子高齢化だけが原因なら、当面少子化の流れは止まりそうもないので、日本経済を成長させようという努力もむだなことになります。
「失われた30年」の原因はむずかしい問題かもしれませんが、アベノミクスは成功だったか失敗だったか、失敗だとすればどこがだめだったのかといったことなら論じられるはずです。あるいは岸田政権の経済政策はどこがだめだったかということも言えるはずです。
ところが、総裁選の立候補者はそういう議論はまったくしません。
能力がないからできないということもあるでしょうが、それだけではなく、自民党の体質として当選回数や役職経験による年功序列制になっていて、出世するには「汗をかく」ことや「雑巾がけ」することが求められます。そうして出世した人間は自民党体質にすっかり染まってしまいます。
そうすると政策本位の議論などできず、上下関係や人情に縛られた議論しかできません。
安倍首相は長期政権を築いた大物政治家ですから、誰もアベノミクスを批判できないのです。
「失われた30年」も歴代自民党政権のもとで起こったことです。

これまでのやり方のなにがだめだったかを解明しないで、今後うまくやる方法がわかるわけありません。


裏金議員に適切な対処ができないのも、自民党が年功序列組織であるためです。裏金議員が先輩だったり重鎮だったりするからです。


夫婦別姓問題や改憲問題については、今後政策変更することが可能です。
しかし、体質はそう簡単には変わりません。
自民党が自己変革することはほとんど期待できないので、今の自民党議員には大量落選してもらわなければなりません。
それ以外に日本経済が復活する道はなさそうです。

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首相官邸ホームページより

11月29日、中曽根康弘元首相が亡くなりました。
101歳でしたから、大往生というべきですが、晩年はかなり屈折した思いがあったはずです。

中曽根氏が政界を引退したのも不本意なものでした。
1996年に小選挙区比例代表並立制が導入された際、中曽根氏は小選挙区から比例区に回りました。小選挙区なら場合によっては党の公認がなくても自力で当選することが可能ですが、比例区では党の決定に従うしかありません。中曽根氏は比例区に回ることに強く抵抗しましたが、最終的に自民党は中曽根氏には党の定年制を適用せず、比例北関東ブロックでの終身1位の保証をすることで説得しました。
ところが、2003年の総選挙で小泉首相は党の約束を破って中曽根氏に引退を勧告しました。そのとき、党の決定を中曽根氏に伝える役回りを演じたのが安倍晋三幹事長です。
中曽根氏としては約束を破られ、むりやり引退させられたのですから、そうとうな恨みを残したでしょう。


安倍首相の政治思想は中曽根氏とほとんど同じです。
改憲が悲願である中曽根氏は、自分の目の黒いうちに安倍首相が改憲を成し遂げてくれると期待していましたが、安倍首相が中曽根氏逝去について出した談話には、改憲のカの字もありません。

内閣総理大臣の談話(中曽根元内閣総理大臣の逝去について)

安倍首相は長期安定政権を築いておきながら改憲ができず、中曽根氏の期待を裏切ったのですから、一言あっていいはずです。


安倍首相は中曽根氏のやったことをずっと真似てきました。
中曽根首相は1985年8月15日に靖国神社を公式参拝しましたが、中国や韓国などの反発にあって、それ以降は参拝していません。
安倍首相は2013年12月26日に公私の別を言明せずに参拝しましたが、やはり中国と韓国、それにアメリカの反発にあって、それ以降は参拝していません。

中曽根首相はレーガン大統領といわゆるロン・ヤス関係を築き、アメリカ大統領と対等のつきあいをするところを国民にアピールしました。
安倍首相はトランプ大統領といっしょにゴルフをし、「日米は完全に一致しました」を口ぐせのように言っていますが、その親密さは形だけです。
レーガン大統領が中曽根首相をほんとうに信頼していたのかどうかわかりませんが、少なくともレーガン大統領は日本に対してきびしい要求をすることはありませんでした。しかし、トランプ大統領は日本に対してなんの遠慮もありません。
安倍首相はプーチン大統領を「ウラジミール」と呼びますが、プーチン大統領は安倍首相を「シンゾー」と呼ぶことはありません。安倍首相が中曽根首相の真似をしているだけです。

安倍首相のやっていることは、中曽根首相がしてきたことの劣化コピーというしかありません。
改憲についても同じです。

中曽根氏は「憲法改正の歌」というのを作詞しています。この歌は1956年に日本コロンビアから発売されました。
その歌詞の1番と5番を紹介します。

「憲法改正の歌」
1 嗚呼戦に打ち破れ
  敵の軍隊進駐す
  平和民主の名の下に
  占領憲法強制し
  祖国の解体を計りたり
  時は終戦六ヶ月

5 この憲法のある限り
  無条件権降伏続くなり
  マック憲法守れとは
  マ元帥の下僕なり
  祖国の運命拓く者
  興国の意気に挙らばや
https://ameblo.jp/hosyu9/entry-10849714430.html

要するに「敗戦の屈辱を晴らしたい」という思いを歌っています。
占領軍を追い出すのではなく、もっぱら憲法改正に傾注するところが不可解ですが、戦後の右翼の出発点はここにあります。

中曽根氏の中には、日米関係を対等なものにしたいという思いがまだあったかもしれません。
しかし、安倍首相の中には“対等のふり”をするということしかありません。
「敗戦の屈辱を晴らしたい」という改憲の根本精神が失われているのです。
いや、「敗戦の屈辱を晴らしたい」という思いがアメリカではなく中国や韓国に向けられて、外交の混乱を招いています。

中曽根氏は、アメリカの要請に応えるために“解釈改憲”をして新安保法制を成立させた安倍首相を見て、どう思っていたでしょうか。


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