村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

タグ:教育虐待


little-girl-6804076_1280

5月7日、東京メトロの東大前駅で、男性客に刃物で切りつけて殺人未遂容疑で現行犯逮捕された戸田佳孝容疑者(43歳)は、犯行動機を「小学生の時にテストの点が悪くて親から叱られた」「教育熱心な親のせいで不登校になり苦労した」「東大を目指す教育熱心な世間の親たちに、あまりに度が過ぎると子がぐれてれて、私のように罪を犯すと示したかった」などと供述しました。
このところ「教育虐待」が話題になることが多く、容疑者は「教育虐待」の被害者であることをアピールすれば世間に受け入れられると思ったのかもしれません。

「教育虐待」という言葉は2010年代からありますが、世に広く知られるようになったきっかけは2022年に出版された齊藤彩著『母という呪縛 娘という牢獄』というノンフィクションではないかと思います。母親に医学部に入るように強要され9年も浪人した娘が母親を殺害した事件を描いた本で、10万部を越えるベストセラーになりました。
世の中には親から「よい学校」へ行けとむりやり勉強させられたり、やりたくもない習い事を強制されたりした人が多く、そういう人の共感を呼んだのでしょう。

「教育虐待」の典型的な事件としては鳥栖市両親殺害事件があります。
2023年3月、佐賀県鳥栖市で当時19歳の男子大学生が両親を殺害しました。男子大学生は小学校時代から父親に勉強を強要され、殴られたり蹴られたりし、一時間以上正座をさせられて説教され、「失敗作」や「人間として下の下」などとののしられました。佐賀県トップの公立高校に進み、九州大学に入りましたが、それでも父親の虐待はやまず、大学の成績が悪化したことを父親に責められたときナイフで父親を刺し、止めようとした母親も刺殺しました。佐賀地裁は教育虐待を認定しましたが、判決は懲役24年でした。

「東大」と「教育虐待」というキーワードから思い出されるのは、2022年 1月15日に大学入学共通テストの試験会場である東京都文京区の東京大学のキャンパス前で、17歳の男子高校生が3人を刃物で切りつけて負傷させた事件です。この高校生は名古屋市の名門私立高校に在籍し、東大医学部を目指していましたが、思うように成績が上がらず犯行に及んだものと思われます。ただし、本人は動機についてはなにも語りませんでした。ウィキペディアを見ると、「人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考えるようになった」などと言ったようです。
「教育虐待」という認識はなかったのでしょう。若いのでしかたありません。

5月9日、愛知県田原市で70代の夫婦が殺害され、孫である16歳の男子高校生が逮捕されました。今のところ男子高校生は「人を殺したくなった」と供述していると伝わるだけです。
5月11日、千葉市若葉区の路上で高橋八生さん(84)が背中を刃物で刺されて死亡した事件で、近くに住む15歳の男子中学3年生が逮捕されました。男子中学生は「複雑な家庭環境から逃げ出したかった。少年院に行きたかった」と供述しています。
どちらの容疑者も背後に幼児虐待があったと想像されますが、本人はそれについては語りません。

ここに大きな問題があります。
人間は親から虐待されても自分は虐待されているという認識が持てないのです。
ベストセラーのタイトルを借りれば、ここに人類最大の「バカの壁」があります。



親から虐待されている子どもが周囲の人に虐待を訴え出るということはまずありません。医者から「このアザはどうしたの?」と聞かれても、子どもは正直に答えないものです。
哺乳類の子どもは親から世話されないと生きていけないので、本能でそのようになっているのでしょう。
では、何歳ぐらいになると虐待を認識できるようになるかというと、何歳ともいえません。なんらかのきっかけが必要です。

幼児虐待を最初に発見したのはフロイトです。ヒステリー研究のために患者の話を真剣に聞いているうちに、どの患者も幼児期に虐待経験のあることがわかって、幼児虐待の経験がのちのヒステリーの原因になるという説を唱えました。
もっとも、フロイトは一年後にこの説を捨ててしまいます。そのため心理学界も混乱して、今にいたるまで幼児虐待に適切な対応ができているとはいえません(このことは『「性加害隠蔽」の心理学史』という記事に書きました)。

心理学界も混乱するぐらいですから、個人が自分自身の体験を認識できなくても当然です。しかし、認識するかしないかは、それによって人生が変わるぐらいの重大問題です。

虐待された人がその認識を持てないと、その影響はさまざまな形で現れます。
親子関係というのは本来愛情で結ばれているものですが、そこに暴力や強制が入り込むわけです。そうすると自分の子どもに対しても同じことをしてしまいがちですし、恋人や配偶者に対してDVの加害者になったり被害者になったりします。また、親の介護をしなければならないときに、親に対する子ども時代の恨みが思い出されて、親に怒りをぶつけたり、暴力をふるったりということもありますし、そもそも親の介護をしたくないという気持ちにもなります。
また、虐待の経験はトラウマになり、PTSD発症の原因にもなりますし、アルコール依存、ギャンブル依存などの依存症の原因にもなります。
ですから、虐待された人はその事実を認識して、トラウマの解消をはかることがたいせつです。

虐待を認識するといっても、なにもカウンセラーにかかる必要はありません。「毒親」という言葉を知っただけで自分の親は毒親だったと気づいた人がたくさんいます。「教育虐待」という言葉も同じような効果があったのでしょう。
自分で過去を回想し、抑圧していた苦痛や怒りや恨みの感情を心の中から引き出せばいいのです。

ただ、ここにはひとつの困難があります。「親から虐待された」ということを認識すると、「自分は親から愛される価値のない人間なのか」という思いが出てくるのです。
この自己否定の思いは耐えがたいものがあり、そのために虐待の事実を否定する人もいますし、「親父は俺を愛しているから殴ってくれたんだ」というように事実をゆがめる人もいます。

そこで「自分の親は子どもを愛せないろくでもない親だった」というふうに考えるという手もあります。しかし、そうすると、「自分はろくでもない親の子どもだ」ということになり、やはり自己否定につながってしまいます。

これについてはうまい解決策があります。
「虐待の世代連鎖」といって、子どもを虐待する親は自分も子どものころ親から虐待されていたことが多いものです。ですから、親に聞くなどして親の子ども時代のことを調べて、親も虐待されていたとわかれば、親が自分を虐待したのは自分のせいではなく親の過去のせいだということになり、自己否定は払拭できます。

それから、私が「虐待の社会連鎖」と名づけていることもあります。
たとえば、会社で部長から理不尽な怒られ方をした課長が自分の部下に当たる。その部下は家に帰ると妻に当たる。妻は子どもに当たるというようなことです。
あるいは母親が自分の暮らしは貧しいのに、ママ友はリッチな生活をしていて、子どもは成績優秀だと自慢され、劣等感を感じて、家に帰って子どもに当たるということもあります。
競争社会の中で弱者はどうしても敗北感や劣等感を覚えるので、社会の最弱者である自分の子どもを虐待することで自己回復をはかることになりがちです。こうしたことが「虐待の社会連鎖」です。

「虐待の世代連鎖」と「虐待の社会連鎖」を頭に入れておくと、親が自分を虐待したのは自分に原因があるのではなく、親の背後にある過去や社会に原因があるのだとわかり、自己肯定感が得られるはずです。


それから、「ほかのみんなは幸せなのに、自分だけ虐待されて不幸だ」と思って、いっそうみじめな気持ちになる人がいます。
しかし、実際は幼児虐待は広く存在します。表面からは見えないだけです。

幼児虐待が社会的な事件になると、逮捕された親は決まって「しつけのためにやった」と言います。
つまり「しつけを名目にした虐待」です。
「教育虐待」は「教育を名目にした虐待」ですから、同じようなものです。

「しつけ」のために子どもを叱ることは社会で公認され、推奨されています。
公共の場で子どもが騒いだりすると、親が子どもを叱って静かにさせるべきだと言われます。
どこの家庭でも子どもを叱ってしつけているはずです。

叱るときに体罰を使えば身体的虐待ですが、体罰なしで言葉だけで叱るのはどうかというと、心理的虐待です。きつく叱られた子どもは傷つき、脳の萎縮・変形を招く恐れがあります。

今の社会では誰もが叱られて育っているので、誰もが被虐待経験があることになります。
もちろん虐待の程度によってまったく違ってきますが、軽い虐待でも、それを認識しないと、なんとなく生きづらいという感情を引きずるかもしれません。また、結婚したくないとか、子どもがしほくないとか、子どもがかわいくないといった感情の原因にもなります。
ですから、親から虐待されたという苦しみを感じている人は、虐待の認識があるだけましともいえます。


幼児虐待というのは「文明の病」です。
赤ん坊は原始時代となんら変わらない状態で生まれてくるので、高度な文明社会に適応させるには短期間に多くのことを教えなければなりません。その過程で虐待が発生したのです。
今ようやく、虐待にならない形で子どものしつけや教育を行うべきだという考えが生まれてきたところです。
幼児虐待をこのように文明史の中に位置づけると、いっそう受け止めやすくなるでしょう。


これまで幼児虐待が認識されてこなかったのは、おとな本位の価値観が世の中を支配していたからです。
おとな本位の価値観から転換する方法については「道徳観のコペルニクス的転回」をお読みください。


31191079_m

石破茂首相は1月24日の施政方針演説において、「楽しい日本」を目指すという基本方針を述べました。
聞くだけで脱力してしまいます。
演説ではこう言っています。
 故・堺屋太一先生の著書によれば、我が国は、明治維新の中央集権国家体制において「強い日本」を目指し、戦後の復興や高度経済成長の下で「豊かな日本」を目指しました。そして、これからは「楽しい日本」を目指すべきだと述べられております。
 私はこの考え方に共感するところであり、かつて国家が主導した「強い日本」、企業が主導した「豊かな日本」、加えてこれからは一人一人が主導する「楽しい日本」を目指していきたいと考えております。

具体的になにをするかというと、石破首相は『「楽しい日本」を実現するための政策の核心は、「地方創生2.0」です』と言いました。
なぜ「地方創生」をすれば「楽しい日本」が実現するのか意味不明です。
やはり脱力するしかありません。

ただ、「豊かな日本」を目指すことから「楽しい日本」を目指すことにシフトするべきだという堺屋太一氏の説は傾聴に値します。
というか、「豊かな日本」が実現不可能なら「楽しい日本」を目指すしかないわけです。

今、経済問題で議論されているのは「103万円の壁」とか「減税」といったことで、つまり「分配」の問題です。ということは、もうすでに多くの日本人は無意識のうちに経済成長を諦めているのです。
2024年の出生数は69万人程度となる見通しで、23年の72万7277人からさらに減少しました。少子化の流れも止められません。

経済成長が不可能だとしたら、「貧しくても幸せ」ということを目指すしかありません。
貧しくても「世界一幸せな国」といわれたブータンという国もあります。
世帯収入で沖縄県は全国で最低ですが、幸福度ランキングで沖縄県はずっと全国1位です。
つまり「貧しくても幸せ」ということは十分ありうるのです。

もっとも、石破首相はそういう意味で「楽しい日本」という目標を掲げたわけではありませんし、経済成長を諦めたわけでもありません。

「成長はすべてをいやす」という言葉があって、これまでは成長至上主義でやってきました。
成長のためには労働力人口が増えないといけないので、成長政策と少子化対策の二本立てでした。
そのため「国民の幸福度向上」という肝心のことが忘れられていたのです。
経済成長が困難に直面している今、「楽しい日本」ないし「幸せな日本」を考えるのは当然です。


現在の日本人の幸福度はどうなっているのでしょうか。
世界幸福度調査(World Happiness Report)の結果に基づき国連の持続可能開発ソリューションネットワーク(SDSN)が発表する「世界幸福度ランキング」というのがあります。2024年3月発表の結果によると、143か国中で日本は51位で、前年の47位から順位を下げました。先進国にしては低いといわねばなりません。
ただ、この調査はアジアの国の幸福度が低く出る傾向があるように思えます。

そこで、国ごとの自殺率を見てみます。
日本は自殺率の高さで世界5位で、G7の中ではトップです。

スクリーンショット 2025-01-26 223938
スクリーンショット 2025-01-26 212513

平均寿命が長く、治安もよく、そこそこの福祉もある国で、自殺率が高いというのは、やはり国民の幸福度が低いからだといわねばなりません。

しかし、「国民の幸福度を上げる」というのは漠然としていて、どうすればいいかよくわからないでしょう。
そこで「子どもの幸福度」に注目してみます。
ユニセフ調査の「先進国の子どもの幸福度」によると、日本は38か国中、総合幸福度では20位ですが、分野別で見ると、身体的健康は 1 位でありながら精神的幸福度は 37 位と極端な違いがあります。つまり日本の子どもは、衣食住は十分足りて体はきわめて健康なのに、精神的にはきわめて不幸だということです。
15~24歳の自殺率は、日本が先進国でワーストワンです。
2024年の文科省調査によると、いじめの認知件数は732,568件(対前年で50,620件増)で、過去最高でした。
日本の子どもは世界で一番目か二番目ぐらいに不幸だといえるでしょう。

子どもの不幸の原因は家庭と学校にあるに決まっていますから、改善するのは容易です。
とりあえずバカげた校則を全部なくすだけでもぜんぜん違うはずです。
子どもには勉強の負担があるのですから、それ以外は好きなことをすることがたいせつです。習いごとも子どもがやりたいことをやるべきです。
また、学校の運営はすべて子どもの意見を聞きながら進めることです。
そうすれば「楽しい学校」ができます。

なお、教師の過重労働とか、心を病む教師が多いとか、教員志望者がへっているとか、教師についてさまざまな問題がありますが、根本的な問題として、教師の主な仕事が子どもの「管理」になっていることがあるのではないでしょうか。
自分の仕事が子どもの笑顔につながっているという実感があれば、教師はやりがいのある職業になります。


家庭の問題はそれぞれ違うので、学校のように簡単にはいきません。
最近は体罰はよくないという認識が広がって、身体的虐待はへってきましたが、心理的虐待はまだまだあります。
最近「教育虐待」という言葉も出てきましたが、これも心理的虐待の一種です。
心理的虐待は、やっている親が自覚していない場合がほとんどですが、国がキャンペーンを行うことなどで自覚をうながすことができます。
体罰がへってきたのも、厚労省の「愛の鞭ゼロ作戦」というキャンペーンの効果があったからでもあります。

ACジャパンは教育虐待についてのテレビCM を放映しています。



ところが、このCMについて『お受験界隈が中居正広に激怒!? ACの「教育虐待」CMに一部で批判が殺到している理由』という記事が、親から反発の声が上がっているということを伝えています。
「子どもは自分の意志で夢に向かって勉強を頑張っているのに」とか「今は中学受験のたいせつなときなのに」といった声です。
教育虐待をしている親が自分の非を認めず、逆にCMを非難するというのは十分にありうることです。
そのとき、メディアがその声に同調する形で伝えるか、批判的に伝えるかが問題です。
この記事は同調する形で伝えていますが、批判的に伝える記事が多くなれば、親の考え方も変わるでしょう。

「楽しい学校」と「楽しい家庭」ができれば、「楽しい日本」ももうすぐです。


学校のあり方は社会のあり方に直接に影響します。
ネットで横行する誹謗中傷は学校でのいじめと同じようなものです。
たとえば回転寿司店で醤油差しをペロペロとなめた少年が大バッシングを受けるということがありました。その行為の影響は微々たるものですし、そもそも過去の動画でしたから、少年を非難してもなにも得るところがありません。少年は高校を中退し、さらに寿司店が少年に損害賠償請求をしたというニュースがあると、快哉を叫ぶ人たちがいっぱいいました。学校でいじめられたことの仕返しをしている心理でしょうか。

バイト店員が悪ふざけをした動画を投稿し、それが炎上して、「バイトテロ」と呼ばれることもありました。若者が悪ふざけをするのは当たり前のことですし、無視しておいてなんの問題もありません。その行為を批判しても、また別の悪ふざけをする若者が出てくるだけです。これは「バイトテロ」ではなく「ネットリンチ」ないし「ネットいじめ」と呼ぶべきです。

最近も女性医師がグアムでの研修の際に、解剖する遺体の前でピースサインをする写真を投稿して炎上するということがありました。遺体は献体されたものであり、倫理的に問題ある行為だと指摘されましたが、これも悪ふざけで、しかもなんの実害もありません。放置しておけばいいことです。女性医師と所属クリニックを非難した人は、単に人を非難したいだけです。

このようなネット上の炎上や誹謗中傷は自殺者を生むこともあります。
炎上を避けるためにSNSに投稿する際には細心の注意を払わねばならず、心理的負担がたいへんです。


学校教育の影響とばかりはいえませんが、日本ではルール違反やマナー違反への風当たりが年々強くなっています。
それによって一見よい社会になったようですが、各人は窮屈な生き方を強いられています。
つまり「楽しい日本」とは逆方向に進んでいるのです。
「楽しい日本」を実現するには、「寛容」とか「いい加減」といった価値を見直す必要があります。


人間の幸福感には、家族や共同体の親密な人間関係が大きな要素を占めています。
貧しい途上国の幸福度が意外と高いことや、沖縄県の幸福度が高いことも、それで説明できます。
ですから、幸福度を上げるには家族や共同体の絆を回復するということも目指さなければなりませんが、これは難しい課題なので、ここではとても論じられません。

psycho-29041_1280

京アニ放火殺人の青葉真司被告は、京アニに自分の小説を盗用されたということを理由に京アニに放火しました。
「京アニに盗用された」というのは妄想というしかありません。
ということは、青葉被告は自分と無関係な、なんの罪もない人間を殺したことになり、通り魔事件と同じようなものです。

青葉被告もそのことは意識していました。
というのは、青葉被告は9月14日の被告人質問において、秋葉原通り魔事件の加藤智大(死刑執行ずみ)について「そういう事件を起こしたことについて、共感というか、類似点じゃないが、他人事には思えなかった」と語ったからです。また、加藤智大が包丁6本を持っていたことを参考に自分も包丁6本を購入して準備したということです。

秋葉原通り魔事件にしても京アニ放火殺人事件にしても、なんの落ち度もない人間が殺されたわけで、被害者遺族が加害者に対して憤りを覚えるのは当然です。

では、殺される側に落ち度のある殺人だったらどうなのでしょうか。
強者が弱者を一方的に虐待し続けて、弱者がついに怒りを爆発させて立ち上がり強者を倒す――というのはエンターテインメントの物語の定番です。
昔は任侠映画で高倉健が最後に悪いヤクザのところに斬り込むシーンでは、観客が拍手喝采したものですし、今でも半沢直樹が「やられたらやり返す。倍返しだ!」と叫ぶシーンでは、視聴者は心の中で拍手喝采しているはずです。

もちろん今は、悪いやつに個人で復讐することは禁じられていて、法の裁きに任せることになっていますが、法が裁いてくれるとは限りません。


今年3月、佐賀県鳥栖市で19歳の大学生が両親を殺害するという事件があり、9月15日、佐賀地裁は19歳の大学生に懲役24年の判決を言い渡しました。
2人殺して懲役24年なら、量刑としては普通か、むしろ軽いと思われるかもしれませんが、必ずしもそうとはいえません。
というのは、このような親族間の殺人は、長年しいたげられていた者ががまんの限界に達し、「正義の怒り」が爆発して犯行に及ぶというケースが多いからです。

この事件はどういうものだったのか、朝日新聞の『両親殺害の背景にあった「教育虐待」 大学進学後も暴力、正座、罵倒』という記事からまとめてみます。

殺された両親の長男である被告は、小学校のころから成績が悪いと父親に胸ぐらをつかまれ、蹴られてアザができたこともあります。1時間以上、正座をさせられ、説教され、「失敗作」や「人間として下の下」などとののしられ、長男は「心が壊れそうになった」と公判で述べました。
父親が決めた中学受験の勉強が始まると、さらに暴言や暴力はエスカレートしたといいます。高校は佐賀県トップの公立進学校に入り、大学は九州大学に入りましたが、それでも虐待はやみませんでした。
父親自身は大学受験に失敗し、自分の学歴を「九州大学を中退した」と周りの人に偽っていました。
出廷した心理学の専門家は、父親の行為を「教育虐待」であるとし、父親に学歴コンプレックスがあったと証言しました。
岡崎忠之裁判長は「父親による身体的、心理的、教育虐待と、それらによる精神的支配のもとで育った」と指摘し、「心理的、身体的虐待を受けるなどしたことが、殺害を決意したことに大きく影響している」と犯行の背景事情を認定しました。

ところが、判決は懲役24年でした。
これは裁判員裁判だったので、裁判長よりも裁判員の意向が大きかったのかもしれません。

被告は父親に虐待されたのに母親も殺したことについて、読売新聞の『元九州大生の19歳は「養育環境に問題あり」…鳥栖市の両親殺害事件公判で専門家』という記事によると、父親を刺したとき母親が止めに入ったために排除するために刺したと説明し、「味方でいてくれたのに、恩を仇で返すことになって申し訳ない」と述べたということです。

母親を殺した説明は説得力がありませんが、父親を殺したことについてはかなり同情できます。
長男は公判において「父親にいつか仕返ししてやると思うようになり、高校生になって殺してやると考えました」「仕返しをすることをずっと支えに生きてきて、それを放棄すれば、これまで生きてきた意味がなくなるので、放棄はできませんでした」などと語りました。
長年の虐待で思考がゆがんでいることがわかりますが、その思考のゆがみは長男のせいではなく父親のせいです。

冷静に判断しても、父親が長男を虐待した罪と、長男が父親を殺した罪は、かなり相殺されるはずです。

1968年、29歳の女性が父親を絞殺するという事件がありました。この女性は14歳のころに父親に犯され、それからずっと関係を持って、父親との子どもを5人出産しました。この関係は周囲の人間はみな知っていましたが、誰もなにもできませんでした。女性に好きな男性ができ、結婚の約束をすると、父親は激怒します。そして、女性は父親が眠っている間に首を絞めたのです。
当時は尊属殺人は特別に重罪にする規定がありましたが、最高裁は尊属殺の規定は違憲であるとし、女性に執行猶予つきの判決を下しました。

こういう例があるのですから、性的虐待と教育虐待の違いはありますが、この事件についても、もし父親殺しだけなら執行猶予つきの判決になってもおかしくありません。

それに、殺人事件の場合は被害者遺族の感情が重視され、それが重罰の根拠とされますが、この事件の場合は、加害者が被害者遺族でもあるわけです。
いや、ほかにも親族はいます。その親族は弁護士を通して書面で判決について「到底受け入れられるような内容ではなかった。長年父親からの虐待に苦しんだ末の思い詰めた結果だということを、もっと重視してもらいたかった」と述べました。


京アニ放火殺人事件の青葉真司被告や秋葉原通り魔事件の加藤智大も親からひどい虐待を受けていましたが、犯行の矛先は親ではなく罪のない他人に向けられました。
しかし、この事件は正しく親に向けられたわけで、「やられたらやり返す」を地でいく犯行でした。

おそらく控訴審があるでしょうから、そのときは虐待した父親の罪を正しく評価した判決を期待したいものです。

family-1866868_1920

去年1年間に自殺した人の数は2万1881人で、前の年から874人増え、2年ぶりに増加しました。
しかし、最多だった2003年の3万4427人からはかなり減少しています。
問題は小中高校生の自殺者数です。全体が減少傾向なのに小中高校生の自殺者数は増加傾向で、今年は512人となり、過去最多を記録しました。

自殺する子どもは氷山の一角で、水面下には死にたくなるほど不幸な子どもがたくさんいることでしょう。

ユニセフが2020年に発表した報告書によると、「子どもの幸福度」で日本は38か国中で総合順位20位でした。この総合順位は「精神的幸福度」「身体的健康」「スキル(読解力、数学力、社会的スキル)」の3分野を総合したものです。
日本は「身体的健康」は1位でしたが、「精神的幸福度」は37位と下から2番目でした(「スキル」は27位)。

つまり日本の子どもは世界的に見てもきわめて不幸で、しかもその不幸はどんどんひどくなっているようなのです。

子どもを生んでも不幸になるならと、出産をためらう親もいるでしょう。
「子どもの不幸」は少子化の隠れた原因かもしれません。


どうして日本の子どもは不幸なのでしょうか。
子どもの主な生活の場は家庭と学校です。学習塾や習い事の教室、SNSなどは割合としてはごくわずかです。
ですから、不幸の原因のほとんどは家庭と学校にあり、家庭と学校を改革すれば子どもの幸福度は向上するはずです。

学校では、ブラック校則をなくすだけでも効果があるはずです。
ところが、そういう議論はあまり起きません。
逆に「ルールに従うことはたいせつ」という声が多く、中には「社会に理不尽な規則はいっぱいあるので、ブラック校則に慣れておいたほうがいい」などという意見まであります(こういう意見の人は社会をよくしようという気持ちはまったくないのでしょう)。

ランドセルが重くてたいへんなので、引っ張って歩けるキャスターつきの「さんぽセル」という新製品を小学生が開発し、人気商品となっていますが、「筋力が鍛えられない」とか「手がふさがって危険」という反対意見があります。子どもが重いランドセルを背負うことは体の発育に悪影響があるはずですし、重いものを背負っていては機敏に動けなくて逆に危険です。

昔は子どもの負担をへらすために「ゆとり教育」が推進されましたが、どうやら今では「ゆとり教育」は間違いだったとされているようです。
そのせいか、学校教育全体が子どもに楽をさせるのではなく、子どもに負担をかける方向へといっています。

その結果かどうかはわかりませんが、学校でのいじめは増え続けています。
2021年度の小中高校などにおけるいじめの認知件数は61万5,351件と、やはり過去最多を記録しました。


では、家庭のほうはどうなっているのでしょうか。
子どもの自殺の背景には家庭での虐待があると推測されます。
幼児虐待というと、新聞記事になるような、子どもが死んだり大けがをしたりといった事件が連想されますが、それは氷山の一角で、水面下にはそれほど極端でない虐待が広がっています。

幼児虐待は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトに分類されます。
身体的虐待について、厚生労働省が2020年に全国五千人の親を対象に行った調査では、「過去6カ月以内にしつけとして子どもに体罰を与えたことがあるか」との質問に、1回でも「あった」と答えた人は33.5%、「体罰は場合により必要」などとする容認派が41.7%でした。

一昔前は体罰は当たり前に行われていましたから、身体的虐待は減少傾向だと思われますが、心理的虐待についてはもしかすると増加傾向かもしれません。

最近、「教育虐待」という言葉がよくいわれます。
「教育虐待」というのは、ウィキペディアによると「教育熱心過ぎる親や教師などが過度な期待を子どもに負わせ、思うとおりの結果が出ないと厳しく叱責してしまうこと」と説明されています。心理的虐待の一種です。
「教育熱心なのは子どもにとってよいこと」という考え方が一般的なために、教育虐待は増加しているかもしれません。

たとえば3月1日、埼玉県戸田市の中学校に17歳の少年が侵入し、男性教員にナイフで重傷を負わせるという事件がありました。逮捕された少年は「誰でもいいから人を殺したいと思った」と供述しているということです。また、近辺では猫の死骸が発見されるという事件が相次いでいて、少年はそれへの関与もほのめかしていて、酒鬼薔薇事件を連想させたことから、マスコミでもかなり騒がれました。

最近、通り魔事件などの犯人が「死刑になりたかった」とか「相手は誰でもよかった」と語るケースがよくあります。
これは「拡大自殺」といわれるものです。つまり他人を自分の自殺に巻き込む行為です。
戸田市の事件もそれだと思われます。

戸田市の17歳の少年について、デイリー新潮の『中学校襲撃の17歳「猫殺し」少年 叔母が涙ながらに明かす“暴走のきっかけ”「中学受験のプレッシャーで不登校に」』という記事から要点だけ紹介します。

少年の両親はともに東京都庁に勤める地方公務員で、有名私大に通う姉がいて、4人家族です。
少年の小学校時代の同級生は「ご両親がすごく教育熱心だったと聞いたことがあって、お姉さんがとても賢いって評判でした」と語りました。
少年は6年生のころから不登校の気が見られるようになり、地元の市立中学に入ってから本格的な不登校に陥りました。
少年の叔母は「小学6年生の時に中学受験のプレッシャーで学校に行くのが嫌になってしまったみたいで。その頃から不登校に……。自宅のトイレに『武蔵中学合格』と書かれた紙が貼られていたのを覚えています」と語りました。
少年は両親の思いを受けて、東京の名門男子進学校の武蔵中を目指しましたが、思うように学力が伸びず、やがて精神的に追い込まれ、不登校になってしまったということです。
叔母が「親から“学校に行け”と言われるのが嫌だったのか、6年生の時に、さいたま市にある私の両親(=少年の祖父母)の家まで逃げてきたこともありました」と語ったように、祖父母が少年の心のささえになっていたようです。
しかし、昨年5月には祖母が高齢者施設に入り、その家には誰もいなくなってしまいました。
なにかと酒鬼薔薇事件を連想させます。酒鬼薔薇事件の少年Aも、同居する祖母が心のよりどころでしたが、祖母が亡くなってからおかしくなったとされます。

親が教育熱心なあまり子どもに強いプレッシャーを加え、子どもがおかしくなってしまったのでしょう。
最近、こうした事件が多い気がします。

昨年の1月15日、大学入学共通テストが行われた日に、試験会場となった東京大学前の路上で2人の受験生と72歳の男性が刃物で切りつけられる傷害事件が起きました。殺人未遂容疑で逮捕されたのは高校2年の男子生徒(17歳)で、犯行時に「俺は東大を受験するんだ」などと叫びました。この生徒は愛知県の有名進学校の生徒で、 取り調べにおいて「医者になるため東大を目指していたが、1年くらい前から成績があがらず自信をなくした。人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと思った」と供述しました。
週刊誌などの報道で、やはり教育熱心な親のいたことが明らかになっています。

子どもの自殺と拡大自殺の背後には、家庭におけるなんらかの虐待があります。
虐待をなくせば、子どもの自殺もへりますし、子どもの幸福度もアップすることは確実です。


ともかく、子どもの幸福度をアップさせようとすれば、家庭と学校を改革するしかありません。
ところが、学校を改革する議論はほとんどありませんし、家庭を改革する議論はそれよりもっとありません。
いや、むしろ逆行する動きがあります。
それは家庭教育支援法と青少年健全育成基本法の制定を目指す動きです。

安倍政権は両法案の成立を目指し、2014年に青少年健全育成基本法案を国会に提出しましたが、審議されないまま廃案となり、家庭教育支援法案は2017年に提出が断念されました。
しかし、いくつかの自治体で家庭教育支援条例が制定され、いくつかの地方議会で家庭教育支援法の制定を求める意見書が可決されています。
こうした動きの背後に日本会議、統一教会の存在のあることがわかっています。

両法案は成立していませんが、その法案の精神は自民党や文科省を通して日本の教育を方向づけているといえます。


家庭教育支援法と青少年健全育成基本法の問題点は、単純にいえば、子どもの権利や主体性を無視して、子どもを教育の客体と見なしていることです。

統一教会は勝共連合のホームページにおいて、子ども政策についてこのように書いています。
子供の成育における父母や家庭の役割を軽視する左翼系の活動家が、武器として用いるのが「子どもの権利条約」だ。活動家らは同条約によって子供が「保護される対象」から「権利の主体」に変わったと主張する。

実は、この条約には当初から拡大解釈を懸念する声が上がっていた。西独(当時)は批准議定書に「子どもを成人と同等の地位に置こうというものではない」と明記し、米国に至っては「自然法上の家族の権利を侵害するもの」として批准しなかった。

日本では、増え続ける虐待や子供の貧困をひきあいに「子どもの権利」を法律に書き込んでいないことが問題だと短絡的に考えられている。

しかし、虐待が起こるのは子供の権利が法律に書き込まれていないからではない。夫婦や三世代が一体となって子供を愛情で包み込む家庭や共同体が壊れているからだ。

 子供政策は、家庭再建とセットで考えるべきである。
https://www.ifvoc.org/news/sekaishiso202201/
完全に子どもの人権を無視している組織が政権の中枢に入り込み、教育行政に影響を与えていたかもしれないというのは恐ろしいことです。

「健全な子どもになりたい」とか「健全な子どもに教育してほしい」などと思う子どもはいません。
「子どもを健全にしたい」と思うおとながいるだけです。
そして、おとなの思う「健全」は子どもの望むものとは必ずしも一致しないので、「青少年健全育成」は子どもの自由や裁量を制限することになってしまいます。

家庭教育支援法も原理は同じです。親が子どもを思う通りの人間にしようとすることを支援するものですから、「教育虐待」がさらに進みかねません。

家庭教育支援法について、「家庭教育に国家が介入するのはよくない」として反対する意見がありますが、これでは子どもの教育権を巡って国家と家庭(親)が争っていることになり、子どもの主体性を無視していることではどちらも同じです。


これまでの日本では、子どもを「権利の主体」や「学習する主体」と見なすのではなく、「教育の客体」と見なしてきました。
それこそが子どもの幸福度が低い根本原因です。
家庭教育も学校教育も「子どもの人権」「子どもの主体性」を尊重するものに再編しなければなりません。

classroom-2093744_1920

「教育虐待」という言葉があります。
ウィキペディアによると「教育熱心過ぎる親が、過度な期待を子どもに背負わせてしまい、思うとおりの結果が出ないと厳しく叱責してしまうこと」とされます。2011年に日本子ども虐待防止学会で初めて発表され、最近広まった言葉です。

「指導死」という言葉もあります。
これは「学校において教師の指導により肉体的、精神的に追い詰められた生徒が自殺に追い込まれること」とされます。
「大貫隆志による造語」となっていて、大貫隆志著「指導死」という本が2013年に出ているので、やはり最近広まった言葉です。

「学校ハラスメント」という言葉もあります。
これはウィキペディアの項目にないので、まだそんなに広まっていないかもしれません。学校での巨大組体操の危険性などを指摘してきた教育社会学者の内田良氏に『学校ハラスメント 暴力・セクハラ・部活動ーなぜ教育は「行き過ぎる」か』という著作があり、それ由来のようです。

こうした言葉が使われるようになってきたのは、教育のマイナス面に目が向いてきたからでしょう。
私もこれまでこのブログで教育のマイナス面を訴えてきましたが、教育のマイナス面を一言で表すのが困難でした。私は「過剰教育」という言葉を使ってきましたが、あまり意味がはっきりせず、インパクトもありません。「教育虐待」や「指導死」という言葉はインパクトがあります。

このブログで人気の記事も、たいてい教育のマイナス面について書いたものです。
しかし、このブログは、ヤフーブログから6月初めにここライブドアブログに引っ越してきたのですが、引っ越したためにグーグル検索にほとんど引っかからなくなりました。ヤフーブログには12月まで記事が残ることになっていますが、こちらも検索に引っかかりにくくなっているようです。
このまま埋もれてしまうのはもったいないので、検索の順位を上げるためにも、これまでアクセス数が多かった人気記事を紹介したいと思います。



「かぼちゃのつる」の正しい指導法

小学校のすべての道徳教科書に載っているのが「かぼちゃのつる」という話です。どんな話かという紹介と、教師の指導方法への批判を書きました。このブログのいちばん人気の記事かもしれません。おそらく小学校の教師が教える参考にと検索して見にくるのだと思われます。果たして私の批判を受け止めてくれているでしょうか。



今井メロさんが書いた「泣いて、病んで、でも笑って」というタレント本の紹介です。
今井メロさんというのは、昔は成田夢露という名前で、スノボー選手としてトリノオリンピックにも出場した美人アスリートです。この父親というのがものすごい人で、むちゃくちゃなスパルタ教育をしました。おかげで兄の成田童夢さんとともに有名なスノボー選手となりますが、スパルタ教育を受けたためにさまざまな不幸に見舞われます。
父親や成田童夢さんがメディアに出るたびにこの記事のアクセス数がふえます。



1999年に起きた光市母子殺害事件の犯人である大月(旧姓福田)孝行死刑囚について、主に「殺人者はいかに誕生したか」(長谷川博一著)に基いて書いた記事です。凶悪犯といえども私たちと同じ人間だということがわかるはずです。



乃木希典将軍も不幸な少年時代を送った人です。乃木少年はニンジンが嫌いだったために、母親は毎日ニンジンを出して食べさせました。これは今では虐待ですが、この話が国定教科書に載ったために、日本の親はみな子どもの好き嫌いを直さなければならないと思いました。しかし、食べ物の好き嫌いを直す方法はありません。



寺子屋は子どものために読み書きソロバンを教えました。
近代学校は「富国強兵」のために子どもを教育するので、目的が百八十度違います。


戦後になってもまだ「富国強兵」の教育を引きずっているので、「教育虐待」や「指導死」が生じるのです。

幼児虐待事件も絶えることがありませんが、犯人は判で押したように「しつけのためにやった」と言います。
しつけはよいこととされているので、こう言われると誰も反論できません。
教育にマイナス面があるように、しつけにもマイナス面があると認識する必要があります。

そのために「教育虐待」に習って「しつけ虐待」という言葉をつくって広めていけばいいのではないかと思います。

このページのトップヘ