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9月11日の沖縄県知事選で、米軍普天間基地の辺野古移設反対を訴えていた玉城デニー候補が当選しましたが、当選したからといって辺野古移設が止まるわけではなく、たぶん今まで通り進んでいくでしょう。

しかし、辺野古新基地建設には軟弱地盤の問題などがあり、いくら費用がかかるかわかりません。
2013年の防衛省の見積もりでは2310億円でしたが、2020年時点では9300億円かかると試算され、沖縄県は2018年の時点で総工事費2.5兆円にのぼると試算しています。
完成時期も2030年以降と見られ、米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)は2020年11月の報告書で軟弱地盤の問題から「完成する可能性は低い」と指摘しています。

米軍基地を日本の金でつくり、自然破壊をし、沖縄の基地負担軽減にはほとんどならず、最初の目的だった普天間基地の危険性除去も何年先になるかわからないというおかしなことになっています。
辺野古移設に向かって突き進む日本政府は、まるでインパール作戦に突き進む日本軍みたいです。
これは根本から考え直さなければなりません。


そもそもは普天間基地は住宅地がすぐ近くにあって、その危険性が問題になっていたところに、沖縄米兵少女暴行事件がきっかけで基地の縮小を要求する声が高まりました。
橋本龍太郎首相が基地問題の解決に乗り出し、対米交渉をしました。そして、成果を得たかに見えました。
「米軍普天間飛行場の移設問題はもう26年、なぜこんなにこじれたのか 歴代政権のキーパーソンを訪ね歩いて分かったこと」という記事にはこう書かれています。
 1996年4月12日、首相官邸で駐日米大使モンデールと共に記者会見に臨んだ首相橋本龍太郎は、満面の笑みを浮かべてこう述べた。「沖縄の皆さんの期待に可能な限り応えた」「最良の選択ができた」。日米両政府による米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)返還合意は、文字通りのサプライズ発表だった。

 しかし、あれから約26年。返還はいまだに実現せず、当時の高揚感との落差は大きい。その後の政権は同県名護市辺野古の代替施設建設を巡り、誤算と迷走を重ねた。米国の意向を優先するあまり、反対を貫く沖縄との溝は深まる一方だ。
このとき橋本首相は「満面の笑み」を浮かべていたのです。交渉を成功させたつもりだったのでしょう。
それがどうしてこじれてしまったのでしょうか。


橋本首相は通産相時代にきびしい日米通商交渉を経験して、こちらが筋の通った主張をすればある程度アメリカも理解してくれるという見通しを持っていて、それで普天間基地問題の交渉にも乗り出したのかと思われます。
しかし、通商交渉と基地問題の交渉はまったく違いました。通商交渉は通産省の管轄ですが、基地問題は外務省と防衛省(当時は防衛庁)の管轄です。
具体的なことは1995年11月に日米間で設置されたSACO(沖縄に関する特別移動行動委員会)という組織で議論されました。

モンデール大使との共同記者会見から5か月後、橋本首相は沖縄で講演した際、海上基地建設検討を表明しました。
代替基地建設は最初から決まっていたことですが、たぶん橋本首相はそれほど重大なことと思っていなくて、それで「満面の笑み」になったと思われますが、ここにきて代替基地問題の困難に直面したのかもしれません。

1996年12月にSACO最終報告がまとめられ、「海上施設の建設を追求」と明記されました。
しかし、ここからも迷走します。
海上施設は高くつくことから、埋め立てではどうかとか、陸上でいいのではないかとか、さらにはこれでは沖縄の基地負担軽減にならないので県外ではどうかとか議論されました。

もちろんこうした議論は軍事的な面を押さえておかなければなりません。しかし、軍事の専門家というのはしばしばアメリカ軍や防衛省の代弁者なので、信用できません。
私が唯一信用していたのが軍事ジャーナリストの神浦元彰氏です。神浦氏は沖縄やグアムを取材し、沖縄県民の心情に寄り添った解説はわかりやすく、新聞を読んでいるだけではわからないことがわかりました。神浦氏は、沖縄米軍の主力はグアムにシフトしているので、広大な嘉手納弾薬庫地区に弾薬はほとんどなく、ここに新基地を建設すればいいという説でした。2016年に亡くなったのは残念でなりません。


辺野古移設の議論が迷走したのは、革新の大田昌秀沖縄県知事が政府の方針に従わなかったからだというように、これを日本政府対沖縄県の問題としてとらえることが今にいたるも行われています。
しかし、これは日本政府対アメリカ政府の問題でもあります。

アメリカ政府が、広い、使い勝手のいい基地を日本につくらせようとするのは当然です。
では、日本側が、狭い、安価な基地をつくろうとして交渉したかというと、必ずしもそうではありません。広い、高価な基地をつくってもうけようという建設業者や利権政治家がいたからです。

さらに外務省や防衛省もアメリカの要求に応えようとしました。これが通産省などとまったく違うところです。
外務省や防衛省は米軍にできるだけ沖縄にいてほしいのです。
モンデール大使ものちにこのように語りました。

海兵隊の沖縄駐留「日本が要望」元駐日米大使
【平安名純代・米国特約記者】米元副大統領で、クリントン政権下で駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏が1995年当時、米軍普天間飛行場の返還交渉で、日本側が在沖縄米海兵隊の駐留継続を望んでいたと述べていたことが12日までに分かった。同年に発生した少女暴行事件の重大性を米側が認識し、海兵隊の撤退も視野に検討していたが、日本側が拒否し、県内移設を前提に交渉を進めていたことになる。

 モンデール氏の発言は米国務省付属機関が2004年4月27日にインタビューした口述記録に記載。1995年の少女暴行事件について「県民の怒りは当然で私も共有していた」と述べ、「数日のうちに、問題は事件だけではなく、米兵は沖縄から撤退すべきかどうか、少なくともプレゼンスを大幅削減すべきかどうか、米兵の起訴に関するガイドラインを変更すべきかどうかといったものにまで及んでいった」と回顧している。

 その上で「彼ら(日本政府)はわれわれ(在沖海兵隊)を沖縄から追い出したくなかった」と指摘し、沖縄の海兵隊を維持することを前提に協議し、「日本政府の希望通りの結果となった」と交渉過程を振り返った。交渉相手として橋本龍太郎首相(当時)と河野洋平外相(同)の名前を挙げているが、両氏の具体的な発言は入っていない。
(後略)
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/44046

海兵隊員は荒くれ者ぞろいでよく事件を起こすので、沖縄では「海兵隊は出ていけ」という声が高まっていましたが、日本政府は沖縄の要望と真逆のことをしていたのです。

日本人は、安保条約があるとはいえ、「アメリカはほんとうに日本を守ってくれるのか」という不安を持っています。これは日本政府も同じです。
日本に駐留米軍がいる限り、日本が外国から攻められたときアメリカも応戦せざるをえません。しかし、駐留米軍が少なくなると、短期間に撤収することが可能になりますし、場合によっては駐留米軍を見捨てる判断もあるかもしれません。
そうならないように日本政府はできるだけ多くの米軍に駐留してもらいたいので、普天間の代替基地もむしろ大きいものにしたいわけです。
沖縄は中国に近すぎるので、アメリカは沖縄米軍の主力をグアムに移転する戦略でしたが、日本は駐留米軍の経費負担を増額して、移転を最小限のものにしてもらっています。

日本の米軍駐留経費負担は、金額でも比率でも他国と比べて突出しています。

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日本政府は駐留米軍が縮小されるのを望んでいないということを理解していなかった鳩山由紀夫首相は「代替基地は国外、最低でも県外」と言って、官僚に背後から撃たれて倒れました。


辺野古に新基地建設をするのはあまりにもばかばかしいということで、日本政府が「普天間基地を返還してもらうが、代替基地はつくらない」とアメリカに表明すればどうなるでしょうか。
アメリカ軍としてはそれほど困らないはずですが、アメリカ政府は「飼い犬に手をかまれた」と思って怒り、同盟関係は破綻するかもしれません。
少なくともアメリカ政府は日本の国土に自由に基地を設置する権利を失いたくないので、なかなか日本の言い分を認めないでしょう。
ですから、日本は「同盟離脱」カード、あるいは「安保廃棄」カードを切る用意がなければ交渉できません。
もちろんブラフではだめで、実際に日米同盟を離脱する覚悟が必要です。

野党が主張する「日米地位協定の見直し」も同じことです。「同盟離脱」カードを持って交渉することです(立憲民主党の公約は「日米地位協定の改定を提起します」という後退した表現になっていました)。



ここで考えなければならないのは、日本は日米同盟なしでは生きていけないのかということです。
もちろんそんなことはありません。
日本は世界第5位の軍事力を有し、島国ですから、自衛隊の力だけで十分に国は守れます(自衛隊の意識改革と装備改革は必要です)。日本が中国軍やロシア軍に占領されるなどありえないことです。

ただ、ここでひとつの問題があります。
日本が日米同盟を離脱して、すべての国と等距離になると、どの国がいちばん脅威かというと、アメリカです。アメリカは世界最強の軍隊を持ち、世界のどの国にも侵攻する力があり、戦後になってからも数えきれないくらい他国に侵攻してきました。
もし日本がアメリカと戦争すれば、第二次大戦で回避した「本土決戦」をやることになります。
いや、その前にアメリカの核攻撃を受けるでしょう。
アメリカは日本に原爆を2発落としているので、3発目を落とすハードルはかなり低いはずです。

敗戦がトラウマになっている日本人は、アメリカをなにより恐れています。ですから、日本は「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」を期待してアメリカの懐に飛び込む作戦をとってきました。
それが長期化して、今ではアメリカの懐から出ることが考えられなくなったのです。

しかし、アメリカもそんなにひどいことはしません。これまでの戦争も、内戦に介入したとか、よほどひどい独裁体制の国に侵攻したとかです。
日本が平和、人権、民主主義をたいせつにする国として国際社会から評価されていれば、アメリカを恐れることはありません。

世界を見回しても、日本のようにアメリカに依存している国はありません。
一人一人の日本人が心理的アメリカ依存を脱することが、沖縄の基地問題解決の第一歩です。