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近ごろ「自己肯定感」という言葉をよく聞きます。
「承認欲求」という言葉もよく聞きますが、このふたつの言葉は表裏一体です。
自己肯定感が低い人は承認欲求が強くなるという関係です。

自己肯定感という言葉が注目されるようになったきっかけは、国際的な調査でアメリカ、中国、韓国の若者と比較して日本の若者の自己肯定感が有意に低かったことです。以来、教育界で問題にされ、教育再生実行会議は「自己肯定感を高め、自らの手で未来を切り拓く子供を育む教育」を提言したことがあります。実際、日本の子どもの自殺率はひじょうに高いので、問題になって当然です。

自己肯定感とは「ありのままの自分を肯定する感覚」などと説明されますが、もうひとつよくわからないかもしれません。
「自信」というのは、「いつも数学の成績はよいので数学には自信がある」のように、ある分野で具体的な根拠によって形成されるものです。
自己肯定感は「自分全体についての漠然とした根拠のない自信」といえます。

「自己肯定感」の反対語は「自己否定感」になるはずですが、「自己否定感」という言葉はまず使われません。
代わりに「自分に自信がない」ということがよくいわれます。
「自分に自信がない」は論理的にちょっとおかしい感じがしますが、「自分全体について漠然と自信のない感じ」を表現しています。

アメリカの「交流分析」という心理療法では、人生の基本的な立場は「幼児期における主に養育者とのふれあいの過程で形成される」とし、その立場を「私はOKである」ないし「私はOKでない」であるとします。この「私はOKである」が自己肯定感に当たると考えられます。
「私はOKである」を日本語でいうと「私は大丈夫である」ということになるでしょう。
赤塚不二夫氏は「これでいいのだ」という言葉を座右の銘にしていましたが、「これでいいのだ」も自己肯定感を表現しています。
つまり「これでいいのだ」とか「私は大丈夫だ」という認識が自己肯定感です。


こうした自己肯定感はどうして形成されるかというと、交流分析が「幼児期における主に養育者とのふれあいの過程で形成される」と指摘するように、ほとんどの場合、親によって形成されます。
学校の先生はその子どもの成績については肯定できますし、サッカーのコーチはサッカーの技量については肯定できますが、子どもを丸ごと肯定するのは、普通は親か親の代理人しかできません。

しかし、「『愛情不足』という根本問題」という記事で書きましたが、今の世の中は決定的に愛情が不足しています。とくに不足しているのが親の愛情です。


最近、親は子どもを叱りすぎているのではないかという認識が広がっていて、子どもの自己肯定感を育むためにも親は子どもをほめようということがよくいわれます。
ネットの子育て相談でも、「叱るのはよくない。子どもをほめよう」ということが盛んにいわれています。
教育評論家の親野智可等氏も「子どもをほめていると、子どもの自己肯定感だけでなく親の自己肯定感も高まります。子どもを叱っていると、子どもの自己肯定感だけでなく親の自己肯定感も下がります」とXに投稿しています。


「叱る」と「ほめる」の関係はどうなっているのでしょうか。
「ほめる」の反対語は「叱る」ではありません。
「ほめる」の反対語は「けなす」です。
もともと親は「ほめる」と「けなす」をアメとムチのように使って子どもをコントロールしてきました。
そして、よりコントロールを強化するために「けなす」をエスカレートさせて「叱る」にし、さらに体罰なども加えてきました。そのほうが子どもの行動をより直接的に支配できるからです。
アメは無視されるかもしれませんが、ムチは無視するわけにいきません。


叱りすぎるのはよくないですが、ほめればいいというものでもありません。
そもそもほめるというのは、ほめると叱る(けなす)で子どもをコントロールしようということですから、動物の調教師がやっていることと同じです。子どもを愛することとは違います。

それに、「ほめる」ということには評価が入ります。つまりいいところがあるからほめるのです。
そうすると、よいときにはほめるが、よくないときにはほめないということになります。
子どもは親の評価を気にして自分を見失うかもしれません。
たとえば絵を描くのが好きな子どもがいて、親がほめたりほめなかったりしていると、子どもは親の価値観に影響されてしまいます。
子どもの才能は、外からよけいな力を加えずに、真っ直ぐに伸ばさないといけません。


子どもを叱るのはだめですが、子どもをほめるのも同じようなものです。
では、親はどうすればいいかというと、「あなたがいるだけでうれしい」という態度で子どもに接することです。
そして、子どものすることを見守って、後ろから応援していればいいのです。それ以上のことは必要ではありません。
これが子どもを丸ごと肯定するということです。


子どもの自己肯定感が失われるのは文明の必然でもあります。
文明人のおとなは子どもの自然なふるまいを不愉快に思うので、たとえば公共の場で大声を出したり動き回ったりする子どもがいると、親に対して子どもの行動をコントロールするように圧力をかけます。そうすると、子どもは自然にふるまっているのに親に叱られることになり、自己肯定感を失います。
また、競争社会で劣等感を覚えている親は、子どもに対して優越を示し、自己回復をはかろうとしますが、ここでも子どもは自己肯定感を失います。
ちゃんと自己肯定感が持てている人は、よい親に恵まれた人だけです。


では、自己肯定感が持てなくて悩んでいる人はどうすればいいかというと、自分を愛してくれる人に出会うことです。恋愛は大きなチャンスになります。また、仕事が評価されることで承認欲求が満たされるということもあります。ただ、それらには運も必要です。

もうひとつの方法は、文明社会で自己肯定感が失われるメカニズムを理解し、親ガチャが外れた、自分の親はろくでもない親だったと思うことです。
心の中で親を徹底的に否定すれば、「親を否定することで自己を肯定する」ことができます。