村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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作家の田中慎弥氏は芥川賞受賞会見のとき、「断ったりして気の弱い委員の方が倒れたりしたら都政が混乱するので、都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる」と石原慎太郎都知事にケンカを売るような発言をし、ずいぶん骨のある人だなと感心した覚えがありますが、どうやら政治的にも石原氏と対極に位置する人のようです。「新潮」10月号に「宰相A」なる小説を発表しています。私は読んでいないのですが、なかなかおもしろい発想の小説だと思ったので、その書評を引用する形で紹介したいと思います。
 
(文芸時評)西洋への卑屈 
  ■片山杜秀(評論家)
田中慎弥の「宰相A」はパラレル・ワールド物。太平洋戦争に負ける。そこまでは現実と同じ。が、あとが違う。日本人は「背が高く太陽の光を濾過(ろか)して作られた」金髪の国民になる。黄色人種が変身したのではない。日本は米国からの白人の入植地に。白人が日本人を名乗る。黄色人種は旧日本人として居住区に囲われる。まるでガザ地区。
 ただし首相だけは旧日本人。満州国の皇帝や首相が満州人だったように。彼はAと呼ばれる。白人の犬。傀儡(かいらい)だ。Aは演説する。「最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う」
 どこぞの国の首相の「積極的平和主義」みたい。そして、この小説の日本は本当に戦争している。兵士にされるのは旧日本人。精神的にも白人の奴隷だ。身長や体格。旧日本人の白人コンプレックスの描写が張り巡らされる。
 クライマックスにもAの演説が響く。「曖昧(あいまい)や陰影、朦朧(もうろう)、余白、枯淡、物の哀れ、それに伴う未成熟な情緒、これら旧日本の病理を完全に克服」すべし。
 その演説のもと、黄色人種が拷問される。それは団鬼六もびっくりのSMショー。田中の筆は高ぶる。「女の体がそれこそ電流を通されているとしか思えない慌しさで波打つ」とか。このSM調教場面が旧日本人の白人への拝跪(はいき)の総仕上げとなる。
 『家畜人ヤプー』を思い出した。日本人が白人のペットとなる沼正三の小説。「宰相A」は黄色人種の劣等感と日本国の対米従属姿勢を重ね、「肌色の憂鬱」を極大化する。
 
SFによくある歴史改変小説です。
宰相「A」は「安倍」と理解してもいいでしょう。
田中慎弥氏の政治的憤りが書かせた小説かと思いました。
 
 
アメリカの作家フィリップ・ロスの「プロット・アゲンスト・アメリカ」という小説が翻訳されました。これも歴史改変小説です。私は未読ですが、高橋源一郎氏の書評の一部を引用します。
 
高橋源一郎が選ぶ「今週のイチ推し」
「プロット・アゲンスト・アメリカ」は直訳すると「アメリカに対する陰謀」ということになるらしい。舞台は1940年のアメリカ。ヨーロッパでは、ナチス・ドイツの進撃が続き、民主主義防衛のためにアメリカの参戦が望まれていた頃のことだ。2期にわたって大統領を勤めたフランクリン・ローズヴェルトが前人未到の3選を決め、ついに日本との戦争に突入したことは、歴史が教える通り。だが、この小説では、そうならない。なんと、ローズヴェルトに対抗し、共和党の候補に選ばれた、あの(飛行機で大西洋を横断した)リンドバーグが、選挙に勝って大統領に選ばれるのである。さよう、これは「歴史改変SF」の一種ということになるだろう……と書くと面白そうなのだが、読み進めると、ジワジワしみ通るように怖さが浮かび上がってくる。というのも、リンドバーグは筋金いりの「反ユダヤ主義者」で、そのリンドバーグが大統領になることによって、アメリカ国内のユダヤ人たちが、いつの間にか「アメリカへの陰謀」の加担者として扱われるようになってゆくからだ。そして、気がつけば、「民主主義の本家」であったはずのアメリカもナチスドイツと同じような国になっていたのである。
実は、この小説、アメリカでは10年前に発表されていて、あらすじも聞いていたのだが、正直にいって「アメリカがナチスドイツみたいな国になる、っていくらなんでも無理だよなあ」と思っていた。けれど、この小説を読んでいくうちに、「いや、こういうことって、あるかも。いや、全然あるよ」と思うようになっていたのだ。
人々の心は移ろいやすい。そこに魅力的なスローガンを持ったカリスマ政治家が現れたら、ふっと、そちらに、みんなの気持ちは流れてゆくだろう。そういう時、必ず、みんなの恨みの的になるような人々がいるのだ。怖い、怖すぎる……と思いながら、ぼくは読み終えた。でも、ほんとうに心の底から恐怖を感じたのは、その後だった。なんだか、この小説、いまの日本に状況が、ものすごくよく似ているからだ。
(「アサヒ芸能」10月2日号)
 
 
こうした歴史改変小説の古典は、フィリップ・K・ディックの「高い城の男」でしょう。
私が読んだのはずいぶん昔ですし、うまく要約することがむずかしいストーリーなので、ウィキペディアの「高い城の男」の項から引用することにします。
 
概要
第二次世界大戦が枢軸国の勝利に終わり、日本とドイツによって分割占領されているアメリカが舞台の人間群像劇。
 
歴史改変SFでは珍しくない設定だが、作品内世界で「もしも連合国が枢軸国に勝利していたら」という歴史改変小説が流行しているという点と、東洋の占術(易経)が同じく流行していて、複数の人物が易経を指針として行動するという部分が独創的である。後半になるにつれてフィリップ・K・ディック特有の形而上学・哲学的な思索やメタフィクションが展開される一方、ディック作品にありがちなプロットの破綻が生じていない。そうした点からアメリカやイギリスなど英語圏ではディック作品の代表作として挙げられる事も多い。
 
作中の枢軸国の描写に関してはそれぞれに違いがある。日本人は勝者として傲慢な部分もあるものの、人種政策でナチスと対立するなど人間的で、ある程度は話が通じる集団として描かれている。逆にドイツ人は反ナチ派が軒並み粛清されており、ナチズムの狂気に満ちた集団として描かれている。イタリア人は表面的には日独と並んで戦勝国として扱われているが、実態としてはドイツの衛星国であり、劣等感からアメリカ人に同情する描写が描かれている。また作品中に登場する歴史改変小説は現実の第二次世界大戦とも異なった形で勝利する内容になっている。
 
あらすじ
枢軸国の勝利に終わった第二次世界大戦終結から15年後、[アメリカ合衆国は大日本帝国とナチス・ドイツという二つの超大国によって分割統治されていた。敗戦国となったアメリカ人の間では謎の人物「高い城の男」によって執筆された『イナゴ身重く横たわる』という、「連合国が第二次世界大戦に勝利していたら」という仮想小説が流行していた。
 
そんな中、日本統治下のサンフランシスコにあるアメリカ美術工芸品商会に、太平洋岸連邦の通商代表部に所属する田上という男が電話を掛けてくる所から物語は始まる。
 
これは政治的な主張を持った小説というより、現実と虚構が錯綜するディック的な世界を描いた小説というべきかもしれませんが、私は若いころにこれを読んだことで、今の時代の価値観をいつも疑うようになりました。枢軸側が勝利してユダヤ人差別が当たり前となった社会も、それはそれでちゃんと成立しています。今の社会の価値観もそれと同じかもしれません。
 
こうした発想はたいせつだと思います。
たとえば、今アメリカといくつかの国が「イスラム国」を空爆しています。テロリストは一方的にやっつけてもかまわないという価値観になっているのです。
しかし、イスラム国家連合が強大になり、アメリカがそれに従属している状態になると、キリスト教徒のテロリストが「キリスト国」をつくり、イスラム国家連合がそれを空爆するということもありうるわけです。
 
日本の右翼の深層心理にあるのは、アメリカに負けないでいまだに大日本帝国であり続ける国の姿です。これもまた一種の歴史改変小説というべきでしょう。

安倍政権が解釈改憲をやろうとするのは、もとはといえば最高裁が自衛隊についてきちんと憲法判断をしなかったからであり、そのため内閣法制局が最高裁の代わりを務めてきたからです。
政治家同士が、これは合憲だ、これは違憲だと議論しても結論の出るはずはなく、時間のむだです。戦後の日本はずっとそんな時間のむだをしてきたわけです。
 
裁判所がだめなのは、数々の冤罪事件を見逃してきたり、行政訴訟で行政側に都合のよい判決ばかりを出してきたりということで、ある程度知られてきているでしょうが、裁判所の内実とか、裁判官が一般的にどんな人間かということは、ほとんど知られていません。
そうした中で、「絶望の裁判所」(瀬木比呂志著/講談社現代新書)という本が出て話題になっています。
 
著者の瀬木比呂志氏は、1954年生まれ、東大文科Ⅰ類に入学し、4年生のときに司法試験に合格します。なぜ司法試験を受けたかというと、自分が会社勤めに向いているように思えなかったことに加えて、両親の望みもあったからです。しかし、瀬木氏本人がほんとうにやりたかったのは文学部での社会・人文科学の研究だったといいます。また、文学、音楽、映画などに造詣が深く、1年間アメリカに留学したこと、その後うつ病になったこと、裁判官をしながら学術的な本を何冊も出版したことなども、裁判官の世界を客観的、批判的に見る視点の確立に役立ったと思われます。
33年間裁判官を務めたのち、現在は明治大学法科大学院専任教授です。
 
裁判官の世界についてはこれまでほとんど知られてこなかったと思うので、ここでは書評というよりも、もっぱら内容の紹介をすることにします。
 
とりあえず「はしがき」から引用します。
 
あなたが理不尽な紛争に巻き込まれ、やむをえず裁判所に訴えて正義を実現してもらおうと考えたとしよう。裁判所に行くと、何が始まるだろうか?
おそらく、ある程度審理が進んだところで、あなたは、裁判官から、強く、被告との「和解」を勧められるだろう。和解に応じないと不利な判決を受けるかもしれないとか、裁判に勝っても相手から金銭を取り立てることは難しく、したがって勝訴判決をもらっても意味はないとかいった説明、説得を、相手方もいない密室で、延々と受けるだろう。また、裁判官が相手方にどんな説明をしているか、相手方が裁判官にどんなことを言っているか、もしかしたらあなたのいない場所であなたを中傷しているかもしれないのだが、それはあなたにはわからない。あなたは不安になる。そして、「私は裁判所に非理の決着をつけてもらいにきたのに、なぜこんな『和解』の説得を何度も何度もされなければならないのだろうか? まるで判決を求めるのが悪いことであるかのように言われるなんて心外だ……」という素朴な疑問が、あなたの心にわき上がる。
また、弁護士とともに苦労して判決をもらってみても、その内容は、木で鼻をくくったようなのっぺりした官僚の作文で、あなたが一番判断してほしかった重要な点については形式的でおざなりな記述しか行われていないということも、よくあるだろう。
もちろん、裁判には原告と被告がいるのだから、あなたが勝つとは限らない。しかし、あなたとしては、たとえ敗訴する場合であっても、それなりに血の通った理屈や理由付けが判決の中に述べられているのなら、まだしも納得がいくのではないだろうか。しかし、そのような訴訟当事者(以下、本書では、この意味で、「当事者」という言葉を用いる)の気持ち、心情を汲んだ判決はあまり多くない。必要以上に長くて読みにくいが、訴訟の肝心な争点についてはそっけない形式論理だけで事務的に片付けてしまっているものが非常に多い。
こうしたことの帰結として、2000年度に実施された調査によれば、民事裁判を利用した人々が訴訟制度に対して満足していると答えた割合は、わずかに18.6%にすぎず、それが利用しやすいと答えた割合も、わずかに22.4%にすぎないというアンケート結果が出ている(佐藤岩夫ほか編『利用者からみた民事訴訟――司法制度改革審議会「民事訴訟利用者調査」の2次分析』[日本評論社]15)。日本では、以前から、訴訟を経験した人のほうがそうでない人よりも司法に対する評価がかなり低くなるといわれてきたが、右の大規模な調査によって、それが事実であることが明らかにされたのである。
 
少し前まで、日本も好むと好まざるとに関わらずアメリカのような訴訟大国になっていくだろうといわれていました。そのため、司法試験合格者を年間3000人にふやすことを目標とし、法科大学院をつくったりという制度改革を行ってきましたが、最近は若い弁護士が生活していけないなどといわれます。私はそんなことはないだろうと思っていましたが、本書を読んで納得がいきました。
というのは、裁判所の統計によると、地裁訴訟事件新受件数は、民事ではピーク時である2009年度から2012年度には74.9%に減少し、刑事ではピーク時である2004年度から67.5%に減少しているのです。訴訟大国どころか逆に訴訟小国への道をたどっており、弁護士が余るのも当然です。
 
訴訟件数がへっているということは、裁判所や司法制度が国民から見離されつつあるということでしょう。問題は憲法判断や冤罪事件という目立つことだけではなく、むしろ日常的なレベルで進行しているのです。
 
裁判所がそのようになったのは、主に裁判所の人事制度のせいだと著者はいいます。
 
裁判所の組織は、最高裁長官を頂点としたピラミッド型で、しかも相撲の番付表にも似た細かい序列があって、事務総局中心体制に基づく上命下服、上意下達のヒエラルキーを形成しているということです。事務総局の意向に反する判決や論文等を出すと、露骨ないやがらせ人事をされます。いや、「事務総局に逆らう」ということでなく、「自分の意見を述べる」ということだけで、いやがらせ、見せしめの人事がされ、そのため裁判所は「精神的な収容所群島」となっているということです。
 
しかし、裁判官は憲法でも身分保障がされています。出世しなくても自分の信念を貫く裁判官はいないのかという疑問が生じますが、これについて著者はこういいます。
 
さて、学者仲間やジャーナリストと話していると、「裁判官になった以上出世のことなど気にせず、生涯一裁判官で転勤を繰り返していてもかまわないはずじゃないですか? どうして皆そんな出世にこだわるんですか?」といった言葉を聞くことが時々ある。
「ああ、外部の人には、そういうことがわからないんだ」と思い知らされるのが、こうした発言である。おそらく、こうした発言をする人々だって、裁判官になれば、その大半が、人事に無関心ではいられなくなることは、目に見えているからだ。
なぜだろうか?
それは、第一に、裁判官の世界が閉ざされ、隔離された小世界、精神的な収容所だからであり、第二に、裁判官が、期を中心として切り分けられ、競争させられる集団、しかも相撲の番付表にも似た細かなヒエラルキーによって分断される集団の一員だからであり、第三に、全国にまたがる裁判官の転勤システムのためである。
裁判官を外の世界から隔離しておくことは、裁判所当局にとって非常に重要である。裁判所以外に世界は存在しないようにしておけば、個々の裁判官は孤立した根無し草だから、ほうっておいても人事や出世にばかりうつつを抜かすようになる。これは、当局にとってきわめて都合のいい事態である。
 
私はこれまで、裁判官というのは裁判官を辞めても弁護士になれば食べていけるものと思っていました。しかし、裁判官は基本的に営業センスがないので開業などできませんし、すでに述べたように弁護士余りの時代ですから、弁護士事務所に雇ってもらうのも容易ではなく、多くの裁判官は現職にしがみつくしかないようです。
 
そのため、行政や立法に対する司法のチェック機能が問われるような事件について、裁判官が自分の考えによった、つまり日本の裁判官としてはかなり「思い切った」判決を出せるのは、たとえば現在のポストから上にも行かないし転勤もないと事実上決まった高裁の裁判長や、なんらかの理由によりやがて退官すると決意した裁判官ぐらいだということになります。
 
もっとも、著者が若かったころには、裁判官の間にはまだ「生涯一裁判官」の気概のある人もいて、そういう人を尊敬する気風もある程度存在していたのですが、2000年以降は裁判所の全体主義化が進んで、そうした気概や気風はほぼ一掃されてしまったということです。
 
裁判所が「精神的な収容所群島」になったために、心を病む裁判官がふえ、裁判官によるさまざまな不祥事が報道されるようになっています。たとえば痴漢行為、児童買春、盗撮、ストーカー行為、女性修習生に対するセクハラなどです。裁判官の数は3000人足らずであり、しかも高度専門職集団であることを考えると、不祥事の数は多すぎると著者はいいます。
 
以上のような精神構造の病理の根にあるのは、結局、人格的な未熟さであろう。私は、子どものような部分を持っている人間は好きだが、それは、老成した人格の中に子どものような純粋さや無邪気さ、好奇心、素直な共感の力などが残っている場合のことである。
裁判官の場合は、そうではない。ただ単に人格的に幼いのであり、聞き分けのないむら気でエゴイスティックな幼児性なのである。
感情のコントロールができず、すぐに顔色を変えることが、その一つの現れである。当事者が少し感情的な言葉を使ったときに、当事者のいない席で平謝りに謝る弁護士がいる。若いころ、どうしてそんなことをするのかなとやや不思議に思っていたのだが、後に、あるヴェテラン弁護士から、「それは、ちょっとでも気に障ると激高する裁判官が結構いるからです。それも、そのときだけならかまわないのですが、後から、訴訟指揮や和解で、さまざまな意地悪をして、報復してくる場合がある。ひどいときには、ねじ曲げた理由によって敗訴させられることさえある。そういうことがあるから、気の弱い弁護士は、当事者のちょっとした言動にも気を遣って平謝りに謝るのです」と聴かれさて、なるほどと納得した記憶がある。
 
著者は、裁判所を改革するには法曹一元化をはかる、つまり弁護士として経験を積んだ人間が裁判官になる制度がいいと主張します。確かにそれしか方法はないでしょう。
しかし、今の官僚機構や自民党政権がそうしたことをするはずはありませんが。
 
最後に、日本国民にとっての裁判所がどんなものであるかについての著者の言葉を引用しておきます。
 
私は、日本の国民、市民は、裁判所が、三権分立の一翼を担って、国会や内閣のあり方を常時監視し、憲法上の問題があればすみやかにただし、また、人々の人権を守り、強者の力を抑制して弱者や社会的なマイノリティーを助けるという、司法本来のあるべき力を十分に発揮する様を、まだ、本当の意味では、一度としてみたことがないのではないかと考える。

「美味しんぼ」の鼻血問題をどうとらえるかで、その人の政治的立場がある程度わかります。
原作者の雁屋哲氏はもちろん左翼です。というか、極左です。あまりに過激な主張のため騒ぎになってしまいましたし、普通の左翼の人もついていけないかもしれません。
 
「美味しんぼ」は食を扱うマンガです。そして、どんな食べ物を選ぶかで政治思想がわかると主張するのが「フード左翼とフード右翼」(速水健朗著)という本です。
 
資本主義対社会主義という対立軸がなくなっても、右翼対左翼という概念はいまだに生きています。今の左翼は社会主義を目指しているわけでもなさそうなのに、なにをもって左翼というのでしょうか。
ここに食の選び方をもってきたのが「フード左翼とフード右翼」の着眼点の素晴らしさです。
 
たとえば2011年、「ウォール街を占拠せよ」というデモが盛り上がりました。「われわれは99パーセントだ」というのがスローガンで、アメリカでは1パーセントの富裕層がアメリカ全体の資産の3分の1を所有しているという格差社会に抗議しました。
デモ参加者はズコッティ公園にテントを張って生活していましたが、長期にわたる占拠中に彼らはなにを食べていたのでしょうか。
「ニューヨーク・ポスト」紙は、ある日のディナーはこういうものだと紹介しました。
 
「根菜、パセリ、ローズマリーの入ったオーガニックなチキンスープ。羊のミルクからつくったチーズとチミチェリー・ソースに、少しばかりのニンニクを添えたサラダ。スパゲッティ。玄米。豆類。そして、イサカの生協から寄与された、デザートのナッツとバナナ・チップス」
 
なんとも自然志向、健康志向な食べ物です。
 
占拠デモの人たちは、牧師が運営する貧困層のための無料食堂のキッチンを借りて、平日で1500人分、休日で3000人分の食料を供給したといいます。
さらに彼らは、クレジット・カードで支払いができてデリバリー・サービスに対応しているレストランのリストをネット上に公表しました。そうすると世界中からデモ隊への差し入れの注文が舞い込みました。こうしたITを駆使した闘争を展開したのは、一流大学のリベラル派の大学生たちです。
また、全米各地の小規模な有機農業農家や卸売業者など有機農法に関わる人たちから新鮮な収穫物が届きました。
 
こうした運動の展開を見ていると、「フード左翼」という概念でくくりたくなるのもわかります。
 
ただ、こうした自然志向、健康志向の食べ物を食べるのは貧困層ではありません。ウォール街占拠デモの参加者は「豊かな側の2パーセント」に入る人たちだともいわれます。
つまり「フード左翼」対「フード右翼」というのは、資本主義対社会主義でもないし、富裕層対貧困層でもないということです。
 
本書によると、「フード左翼」と「フード右翼」はこのように分類されます。
 
フード左翼=有機農業、反農薬、反化学肥料、反遺伝子組み換え作物、ベジタリアン、地産地消、スローフード運動
 
フード右翼=ファストフード、ジャンクフード、メガ盛り、B級グルメ、コンビニ弁当、農薬つきの安い野菜、冷凍食品
 
このような食べ物の選択がなぜ政治的・社会的な立場に結びつくのかは、歴史を振り返ってみるとよくわかるようです。
 
本書によると、フード左翼の起源のひとつはアメリカの有名レストラン「シェ・パニース」であり、創業者のアリス・ウォーターズは「どう食べるかは政治的なことである」と述べています。
 
アリスは1971年、カリフォルニアのバークレーという場所でシェ・パニースを開業しました。当時のバークレーは反体制運動やヒッピーであふれていました。彼女の出身校であるカリフォルニア大学バークレー校は当時も今も反体制的な学生運動が盛んに行われる大学ですが、彼女は政治運動に積極的に参加したわけではなく、フランスに長期留学し、そのときにフランス料理に魅せられ、それでレストランを開業したのです。
彼女の集めたスタッフはみな素人同然の大学生やヒッピーでしたから、開業当時のシェ・パニースの厨房ではシェフたちがマリファナを吸い、レッド・ツェッペリンがガンガン鳴っていたということです。
アリスが目指したのは、フランスの田舎町にあった、地元で採れた新鮮な食材を使った料理を出すレストランです。そのためアリスはみずから地元の農家を回り、新鮮で旬な食材を探し回りました。そして、地元の農家もしだいに彼女の求める有機栽培の農産物をつくるようになり、彼女自身も有機栽培農園を運営します。
 
当時のアメリカは、大規模農業でつくられた農産物が大工場で加工され、全国のスーパーマーケットに配送されるという、もっとも効率的なシステムになっていました。そうした中でアリスのレストランは、まったく別の価値観を提示し、アメリカ社会に対する政治的批判となったのです。
そして、こうした動きがどんどん拡大し、1990年には有機食品生産法が施行され、有機食品の表示基準が制定されます。「フード左翼」がアメリカでも一定の勢力を持つようになったといえるでしょう。
 
 
スローフード運動も「フード左翼」の代表的な運動です。
 
スローフード運動の母体となったのは、イタリアのピエモンテ州ランゲ地方の小さな町にある地元ワインの愛好協会です。彼らは左派系新聞のグルメページから生まれたグループで、スローフードというキャッチフレーズを用いて、地元の伝統的食文化を守るキャンペーンを打ち出していきますが、1986年にローマ市内のスペイン広場にマクドナルドのイタリア1号店ができたことに対する抗議運動を行って、反グローバル運動という観点からも世界の注目を集めました。
そして、彼らは「スローフード宣言」を訴えます。その中身を要約すると、
「素材とその文化を学ぶこと」
「環境破壊から農作物を守ること」
「正当な価格に見合った品質を伝える」
「食べる喜びの探求」
ということになるそうです。
 
アメリカにおいては反体制的な運動から「フード左翼」が生まれ、イタリアでは反グローバリズムから「フード左翼」が生まれたというわけです。
 
資本主義はつねに効率を追求しながら発展してきましたが、「フード左翼」が目指す自然志向、健康志向は効率第一主義とは別の価値観です。そういう意味で「フード左翼」は新しい形の反資本主義運動ということもいえるようです。
 
「フード左翼とフード右翼」の著者の速水健朗氏は「ラーメンと愛国」を書いた人で、もともとは「フード右翼」であったようですが、本書執筆のために取材する過程で“転向”して、今では「フード左翼」になったそうです。
 
昔、若いときは左翼で、年を取ると右翼になるというのがよくありましたが、速水健朗氏によると、「フード右翼」から「フード左翼」への転向はあっても、その逆はありえないということです。
年を取るとともに健康な生活に目覚める人はいますが、不健康な生活に目覚める人はいないということでしょう。
 
有機農産物は高価なので、まだ「フード左翼」の実数はそんなに多くないでしょうが、今後はさらにふえると思われます。
 
 
こういう観点から、「美味しんぼ」は極左であることがわかります。
また、「フード左翼とフード右翼」には原発のことはまったく触れられていませんが、自然志向、健康志向の「フード左翼」が反原発であるのは明らかです。
 
本書は「フード左翼とフード右翼」というタイトルに反して、内容の9割は「フード左翼」について書かれていて、「フード右翼」についての記述は1割ぐらいしかありません。
 
私の理解によると、「フード右翼」というのは、目先の欲望に駆られて生きている人たちです。ファストフード、ジャンクフードは、とりあえず食べると満足が得られます。ただ長期的な視点では不健康になります。
 
原発稼働を主張する人たちも、目先の利益のためだけを考えて主張しているようです。
 
「フード左翼」と「フード右翼」という観点から世の中を見ると、いろんなことがわかってくる気がします。

「反省だけならサルでもできる」という言葉があります。これはもちろんサル回しのサルが反省のポーズをすることからきていますが、あのサルは反省のポーズをするだけで、反省をしているわけではありません。ですから、正しくは「反省のポーズだけならサルでもできる」というべきです。
「反省だけならサルでもできる」という言葉が広く流布しているのは、「反省」と「反省のポーズ」の区別もできない人が多くいるからと考えられます。世の中の「反省」についての認識はこの程度のものです。
 
それだけに読まれるべき価値があるのが、岡本茂樹著「反省させると犯罪者になります」(新潮新書)です。
 
 
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内容(「BOOK」データベースより)
犯罪者に反省させるな―。「そんなバカな」と思うだろう。しかし、犯罪者に即時に「反省」を求めると、彼らは「世間向けの偽善」ばかりを身に付けてしまう。犯罪者を本当に反省に導くのならば、まずは「被害者の心情を考えさせない」「反省は求めない」「加害者の視点で考えさせる」方が、実はずっと効果的なのである。「厳罰主義」の視点では欠落している「不都合な真実」を、更生の現場の豊富な実例とともに語る。
 
 
 
タイトルには少しむりが感じられます。「反省させると犯罪者になりやすくなります」というふうに読み替えておけばいいでしょう。
 
著者の経歴が少し変わっています。中学・高校で英語教員として勤めたあと、大学院に行って博士課程を修了し、現在は立命館大学産業社会学部教授、臨床教育学博士です。決められたレールの上を歩む人生から、ある時点で自分の判断で歩む人生へと、路線変更したのでしょう。こういう人だから常識にとらわれない発想が出てくるのだと思います。
 
著者は中学・高校で教員をしていたとき、「生徒指導」の仕事もしていました。たとえば生徒が飲酒、喫煙、万引きなどの問題行動を起こしたとき、停学などの処分をしますが、その間に生徒に反省文を書かせます。その反省文がちゃんと書けていれば、処分を解除します。そうしたことなどが「生徒指導」です。
反省文を書かせるというやり方は、全国どこの学校でも行われているそうです。そういえば、前ワタミ会長の渡辺美樹氏が理事長を務める郁文館夢学園で生徒に原稿用紙100枚の反省文を書かせていて、そのため退学者が相次いでいるというニュースもありました。
 
反省させる方法として、ロールレタリングというものもあります。これは、架空の形で「自分から相手へ」「相手から自分へ」の手紙を書いて、往復書簡を繰り返すうちに自分自身の内面を見つめたり、他者を理解しようとしたりする心理技法で、今ではすべての少年院で行われているそうです。
これはもともと少年院で法務教官を務めていた和田英隆という人が、義母が引き受けを拒否したことがきっかけで荒れ始めた少年に対して、原稿用紙を渡して「自分の思っていることを母親に対して書いてみなさい」といったところ、少年は母親に対する不満や怒りを思い切り書いてきて、そして落ち着きを取り戻したということがあったそうです。それをきっかけに和田らが研究してつくりだした技法です。
ですから、もともとは心の中の不満や怒りを吐き出すことの要素が大きかったのですが、今はもっぱら「被害者の立場」に立って反省させることが主眼となって、形骸化してしまっていると著者はいいます。
 
企業ではなにか失敗や不祥事を起こした者が始末書を書かされることがあります。始末書は反省文と同じようなものでしょう。日本には反省文を書かせるという文化があるのかもしれません。
 
著者は現在、刑務所において受刑者の更生プログラムを実践しています。その経験からも著者は「犯罪者に反省させてはいけない」という信念を強めます。
 
私も基本的に著者の考えと同じです。ですから、私が本書の内容を紹介すると、自分の考えが入り混じってしまうおそれがあるので、本書の重要と思われる部分を書き写しておきます。
 
 
重大な犯罪が起きたとき、新聞やテレビのニュースで、「まだ容疑者は反省の言葉を述べていません」「残虐な事件を起こしておきながら、まったく反省している様子はありません」といった言葉をよく耳にします。こうした報道を聞くと「あんなひどいことをしたのに、反省していないなんて、なんてひどい奴だ」「絶対に許せない」と怒りを覚えたことのある人は多いのではないでしょうか。
しかし、これまで述べてきたように、自分が起こした問題行動が明るみに出たときに最初に思うことは、反省ではありません。事件の発覚直後に反省すること自体が、人間の心理として不自然なのです。もし、容疑者が反省の言葉を述べたとしたら、疑わないといけません。多くの場合、自分の罪を軽くしたいという意識が働いているか、ただ上辺だけの表面的な「反省の言葉」を述べているにすぎません。そのように考えると、犯罪を起こした直後に「反省の言葉」を繰り返す犯人(容疑者)は、反省の言葉を述べない犯人よりも、「より悪質」という見方ができます。
 
受刑者は、例外なく、不遇な環境のなかで育っています。親からの虐待、両親の離婚、いじめの経験、貧困など、例を挙げればキリがありません。受刑者は、親(あるいは養育者)から「大切にされた経験」がほとんどありません。そういう意味では、彼らは確かに加害者ではありますが、「被害者」の側面も有しているのです。被害者だからと言って、人を殺したり覚醒剤に手を染めたりすることはけっして許されることではありません。しかし支援する立場になれば、加害者である受刑者の、心のなかにうっ積している「被害者性」に目を向けないといけません。このことが分かれば、最初から受刑者に被害者のことを考えさせる方法は、彼らの心のなかにある否定的感情に蓋をしてさらに抑圧を強めさせることになるのは明らかです。したがって、まずは「加害者の視点」から始めればいいのです。そうすることによって、「被害者の視点」にスムーズに移行できます。受刑者が「被害者の視点」を取り入れられる条件は、「加害者の視点」から始めることと言えます。
 
自己理解が得られれば、受刑者は自分の心の奥底に否定的感情があることに気づきます。彼らが真の「反省」に向かうためには、自分の心の奥底にあった否定的感情を吐き出す必要があります。否定的感情を吐き出すことは、受刑者にとって、とても苦しい作業となります。本来ならば、今さらみたくもない過去の自分の「心の痛み」と直面するわけですから、できるのなら避けて通りたいものです。しかし、ここを乗り越えない限り、他者の「心の痛み」にまで思いが至りません。そこで支援者の支えが必要となります。自分を支えてくれる支援者がいることによって、受刑者は自分の内面の問題と向き合う勇気を持てるのです。受刑者が自分の否定的感情を吐き出して自分の心の痛みを理解すると、自分自身が殺めてしまった被害者の心の痛みを心底から感じるようになります。ここにおいて、ようやく受刑者は、真の「反省」のスタート地点に立てるのです。
 
 
著者はさらに、「しつけ」の問題を指摘します。これについては、第4章の見出しを列記することにします。
 
第4章 頑張る「しつけ」が犯罪者をつくる
りっぱなしつけが生き辛さを生む
「しつけ」がいじめの一因に
「尾木ママ方式」ではいじめを減らせない
いじめ防止教育は「いじめたくなる心理」から始める
「強い子にしよう」というしつけ
早く「大人」にしようとすると危ない
「ありのままの自分」でいてはいけないというメッセージ
「しっかりした親」の問題
 
 
私は前に、今の社会は犯罪者を刑務所に送り込む「入口政策」にばかり関心が向いて、刑務所を出た犯罪者を更生させる「出口政策」がおろそかにされているということを書いたことがあります(「少年犯罪の厳罰化を逆にすると」)
 
著者は「出口政策」において正しい認識を示しておられる数少ない人の一人です。
正しい認識というのはつまり、犯罪者はきわめて不幸な人生を歩み、多くの場合幼児虐待の被害者で、その心のケアをしなければ更生できないということです。
 
この認識を示しておられるのはほかに、多くの死刑囚との面談などをしている長谷川博一氏などがおられます。
 
神戸児童連続殺傷事件の犯人「酒鬼薔薇」を更生させるために、医療少年院において、犯人の少年は親の愛情を感じていなかったとして「育て直し」が行われたということですが、これも同じ認識によるものでしょう。
 
また、「レ・ミゼラブル」なども、犯罪者を更生させるのは厳罰ではなく寛容な心に触れることであるという認識をもとにした物語で、それゆえに感動があります。
 
とはいえ、こうした正しい認識は、天動説が信じられている世の中での地動説みたいなもので、なかなか世の中に受け入れられません。
 
そうした中で、著者の岡本茂樹氏は受刑者の更生プログラムの実践経験を通して主張しておられるので、説得力があります。
できれば、著者の更生プログラムを受けた受刑者の再犯率と、ほかの更生プログラムを受けた受刑者の再犯率と、なんの更生プログラムも受けなかった受刑者の再犯率がデータとして提示されるとより説得力があるのですが、今の段階ではそこまでいっていないようです。
 
人間は本能的に、自分に害のありそうなものは遠ざけたい、消し去りたいと思います。
ですから、不潔なゴミは遠くに捨てたり、川に流したり、土に埋めたりしてきましたし、工場のばい煙は高い煙突で遠くに飛ばしてきました。しかし、地球環境が問題になると、ゴミはできる限り捨てるのではなくリサイクルするものになりました。
 
しかし、人間はいまだ犯罪者に対しては、本能のままに遠ざけたい、消し去りたいと思って、刑期を長くし、死刑をふやそうとしています(とくに日本はそうです)
 
ゴミはリサイクルするのに、なぜ犯罪者をリサイクルしようと思わないのでしょうか。
 
犯罪者をゴミにたとえるとはけしからんといわれそうですが、ほんとうにけしからんのは犯罪者をゴミ以下の扱いにしていることです。
犯罪者も自分と同じ人間であるということが当たり前の認識になってほしいものです。
 
 
ところで、一週間余りブログの更新をしませんでしたが、これは海外旅行(マレーシア)に行っていたためです。
以前は、海外旅行に行くのでしばらく更新はしないと予告していましたが、これは空き巣に狙われる可能性があるということなので、今回は事後のお知らせとしました。ご了承ください。

意外とありそうでないのが反教育論の本です。
教育批判、学校批判の本はいっぱいありますが、それらはたいてい「よりよい教育」を実現しようという立場です。教育そのものへの懐疑や否定の立場に立つ本はめったにありません。
 
「反教育論」(講談社現代新書)の著者の泉谷閑示さんは変わった経歴の人です。東北大学医学部を卒業したあとパリ・エコールノルマル音楽院に留学し、現在は精神科医として働く一方で舞台演出や作曲家としての活動も行っているということです。
私が思うに、医者と音楽家というのは「親がむりやり子どもにやらせたい二大職業」です。本人はその気がないのに医学部に行かされている人と、才能もないのにピアノやバイオリンをやらされている子どもが日本にはいっぱいいます。そのふたつの職業をやっている人は世界でも希でしょう。
そういう立場の人だからこそ書けた本ということがあるのかもしれません。
 
泉谷さんは職業柄、うつ病や神経症患者など、人生に行き詰った人々に多く接するうちに、彼らのある傾向に気づきます。
 
彼らは、幼少時からこまごまと大人たちに世話を焼かれ、大小にかかわらず先回り的にあらゆる危機や失敗につながる障害物を除去され、「お受験」のために幼児教育の塾に通わされ、それ以外の時間も各種「習い事」で埋め尽くされ、休日でさえもレディメイドな娯楽の予定がびっしり組まれていたといった生育史を持っていることが多い。
 
このように育てられた彼らは「優秀な」大人になるが、真の思考力や即興性が育っていないので、マニュアルの存在しない状況になると機能不全になってしまうというわけです。
 
著者は古今東西の名著からさまざまな言葉を引用しながら反教育論を展開していきますが、次の言葉が教育の間違いをいちばん端的に指摘しているのではないでしょうか。
 
二十世紀の人たちは大きな勘違いをしてしまった。それは、「人間が育っていくためには学習が大切だ」というのを、「人間を育てるには教育が大切だ」と思い込んでしまったことだ。(動物行動学者日高敏隆の言葉)
 
「学習」は好奇心の発露に基づいて自発的に行われるもので、そこには知的探求の喜びがありますが、「教育」になると、砂をかむような受動的作業になってしまいます。
もし人間の「脳」だけに注目すれば、あるいは人間を機械のようなものだと見なせば、自発的に学んだことも受動的に教えられたことも同じになるかもしれません。しかし、人間は機械ではなく、「心」という野性原理を備えた存在ですから、受動的なことばかり強いられていると「心」が病んでしまうというわけです。
 
著者は音楽家でもあるだけに、音楽教育において「早期教育」や「基礎教育」がかえって深刻なダメージを生んでしまうことを警告します。パリの音楽院に来ている日本の留学生の多くは、他国からの留学生よりも高い技術水準を備えているが、その演奏には、音楽を心から愛しているとか、演奏することに喜びを感じているとかいったものがなく、音楽というよりも「音楽の死体」ともいうべき音の連なりになってしまっているといいます。
 
著者の主張は明快ですが、今の世の中にこうした考え方をする人はほとんどいません。そのため著者がこの主張を展開するにはそれなりの勇気がいったことと思います。古今東西の名著から言葉を引用するのも、権威に頼りたい気持ちが多少あったのかもしれません。
 
また、新しい考え方だけに、未熟というか、わかりにくいところもあります。
たとえばこの本には「猿の思考から超猿の思考へ」というサブタイトルがついていますが、これだけ見てもなんのことかわからないでしょう。そして、中身を読んでも、あまりよくわかるとはいえません。
 
著者は野性原理を象徴するものとして狼を持ち出し、その対極にあるものとして猿を持ってきます。ここでの猿は、動物としての猿ではなく、猿真似、猿知恵というときの猿です。これがわかりにくいといえます。動物としての狼と、文化的イメージとしての猿を対比しているからです。
そして、「超猿」という言葉を持ってきます。これはニーチェの「超人」からきた言葉です。
それらのことを踏まえると「猿の思考から超猿の思考へ」という言葉の意味がわかるはずですが、ニーチェの思想に無関心か否定的な人には、やはりよくわからないでしょう。
私自身は、反教育論を展開するのにニーチェを持ってくる必要はないのではないかと思います。
 
この本には数学者の岡潔の言葉が何度も引用されていて、私はそれを読んで感心したので、図書館から岡潔の本を借りてきました。しかし、それを読むと、岡潔の考えは決して反教育論的なものではありませんでした。
たとえば、岡潔は詰め込み教育を批判して、寺子屋式の教育がいいと言います。寺子屋式の教育とはなにかというと、論語の素読を、内容はわからなくても百回ぐらい繰り返させることだというのです。
岡潔は寺子屋の教育を誤解しています。寺子屋はあくまで実用の教育をするところですから、論語の素読などはしません(それは藩校のことでしょう)
それに、素読を百回やらせるというのも、子どもに受動的な作業をやらせることで、自発的な学習を阻害する行為です。それに、百回読めばわからないことがわかってくるというものでもないと思います。
詰め込み教育はバカバカしいものですが、論語百回の素読も同じくらいかそれ以上にバカバカしいものだと思います。
 
この本にはエーリッヒ・フロム、ヘルマン・ヘッセ、バートランド・ラッセルらの言葉も引用されていますが、これらの人も教育に根本的な懐疑を持っていたということはないと思います。教育の愚かな部分を批判しただけではないでしょうか。
 
教育の根本的な否定は、今手探りでなされている最中ですが、著者の泉谷閑示さんは大きな仕事をしたと思います。
 
今、学校教育も家庭教育も明らかに機能不全に陥っています。これは「大人の教育」が「子どもの学習」を圧倒しているからです。ですから、対策としては、「大人の教育」をゆるめ、「子どもの学習」を回復させることです。
ところが、ほとんどの人はもっと教育を強化しなければならないと考えて、事態をさらに悪化させています。
 
最近は、知識の詰め込みだけでは足りず、道徳の教科化によって道徳の詰め込みまでしようとしています。愚かさもきわまった感じです
 

なにかと話題の本を読みました。
なぜ話題かというと、ひとつにはよく売れているからですし、もうひとつは読む人によって評価がまったく違うからですし、さらには朝日新聞の書評が訂正されるという“事件”があったからでもあります。
 
朝日新聞はこの本を書評欄の「売れてる本」というコーナーで取り上げました。「売れてる本」というコーナーは、「売れているから取り上げるけど、正規の書評欄で取り上げるほどの価値はない本」を取り上げるコーナーです。つまり朝日新聞はこの本をあまり高く評価していないことになります。そして、書評を担当したのはジャーナリストの佐々木俊尚氏です。佐々木氏もこの本をどちらかというと否定的に評価するに違いない立場の人です。つまり朝日新聞はこの本を書評欄で取り上げたものの、否定的に取り上げようという意図があったのではないかと推察されます。
そして、佐々木氏の書評に対して著者の孫崎享が抗議して、朝日新聞がその書評の冒頭10行を削除すると表明しました。
 
「孫崎享著『戦後史の正体』は陰謀史観」書評の一部削除 
 
孫崎享氏による、「戦後史の正体」の朝日新聞書評への反論
 
佐々木俊尚氏という個人の書いた文章について朝日新聞が削除を表明するというのはなんだか妙なことですが、それはさておき、毀誉褒貶のある書物であるということがこのことからもわかります。
 
著者の孫崎享氏は外務省国際情報局長を務め、防衛大学校で7年間安全保障の講義をしたこともある人で、本書はアメリカからの圧力を軸に日本の戦後史を読み解いたものです。
 
はじめに」と目次と序章は次で読むことができます。
 
私自身は、この本は大いに評価します。ただ、評価したくない人もいっぱいいることでしょう。
たとえば朝日新聞もそうです。この本にかかると、朝日新聞の昔の花形記者笠信太郎もアメリカの手先のように描かれます。朝日新聞がこの本を否定的に扱おうとしたのは当然でしょう。
朝日新聞だけでなく学者や言論人の多くにとってこの本は“不都合な真実”を書いたものです。著者も「まえがき」で書いているように、「『米国の意向』について論じることは日本の言論界ではタブーだからです」。
そして、そういう人は本書を否定する理由として「陰謀論の本だ」というふうに主張します。
確かにそういうふうに読めるところもあります。この本を全部信用するわけにはいきません。また、TPPにまで言及していますが、そこまで書く必要はなかったでしょう(「戦後史」というより「今」の問題ですから)
 
とはいえ、その陰謀論的な部分もおもしろいことは事実です。
たとえば、石橋湛山は戦前ジャーナリストとして軍部をきびしく批判した気骨の人で、1956年に首相になりましたが、病気のために2カ月で辞任しました。このことは教科書にも載っていて、誰でも知っているでしょう。しかし、どんな病気で辞任したのかを知っている人はいるでしょうか。また、首相を辞任してから15年間も生きていたことを知っている人はいるでしょうか。
真相を知りたい人は今すぐ書店へ――と書くと本の宣伝になってしまいますから、ここで書きます。
アメリカは石橋首相の自主独立路線を警戒しますが、米国務省北東アジア部長のパーソンズは秘密電報内で「われわれがラッキーなら、石橋は長つづきしない」と書きます。そして、石橋首相は突如肺炎になり、主治医は「肺炎の症状は消えて回復の途上にある。肺炎以外の病気は心配ない。体重の異常な減り方が、肺炎でやせたものとしては理解できない」と述べます。石橋首相は施政方針演説と予算審議ができないということで退陣に追い込まれます。
 
教科書に石橋首相は2カ月で退陣したと書いてあっても、どんな病気で辞めたのかまで書いてないのは、そういう事情だったわけです。「肺炎で辞めた」と書くと、逆に疑問が出てきますから。
 
また、60年安保闘争のとき、全学連が右翼の田中清玄から資金提供を受けていたことがのちに発覚し、人々に大きな衝撃を与えました。なぜ右翼が全学連に資金提供したのかというと、全学連は共産党と対立していたので、共産党を弱体化させるためだと説明されていました。
しかし、この説明はあまり説得力がありません。全学連が強大になり、薩長連合みたいに共産党と手を組むという可能性もないではないからです。とにかく、右翼が左翼に資金提供するというのは不可解です。
本書によると、アメリカが岸内閣を倒したかったからだということです。なぜ岸内閣を倒したかったのかというと、岸信介首相は意外と対米自立派だったからだということです。
 
本書には真偽の定かでないことも書かれていますが、事実に基づくことと推測によることはちゃんと区別されています。だから、本書を陰謀論の本として否定するのは間違いだと思います。
 
とくに本書で重要なのは、戦争直後から1951年のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約調印までのところです。ここは全部資料に基づいて書かれていますし、説得力があります。本書を否定したい人は、陰謀論など持ち出さないでここを否定しないと意味がないと思います。
 
たとえば、講和条約が調印されたのはサンフランシスコの華麗なオペラハウスでしたが、安保条約調印の署名が行われたのはサンフランシスコ郊外の米国陸軍第六軍の基地の中で、しかも下士官クラブでした。そして、米側は4人が署名していますが、日本側は吉田首相1人でした。こうした事実を知るだけでも意味があるといえます。
 
また、本書では繰り返し、国務省顧問だったダレスの言葉「われわれ(米国)が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する、それが米国の目標である」が引用されます。この言葉を見れば、日米地位協定が聖域化していることもわかりますし、普天間基地の国外県外移設を主張した鳩山由紀夫首相が失脚したこともわかりますし、オスプレイ配備や米兵犯罪に日本政府がなにもできないこともわかります。
 
本書を読んで思い出したのですが、福田赳夫首相は「全方位外交」ということを掲げていました。今では考えられないことでしょう。今は、新しい首相が誕生するたびに「日米同盟は日本外交の基軸である」ということを、まるで踏み絵のように言わされることが儀式化しています。
日本は独立国であることをやめて占領時代に回帰しているかのようです。

ブログを始めて1年余りになりますが、ブログを書くことでだんだんと自分の頭の中が整理されてきて、表現も進化してきました。また、以前は自分の考えを表現することにためらいがあったのですが、だんだんと自信を持って表現ができるようになってきました。
 
なぜ以前は自分の考えを表現することにためらいがあったかというと、理由はいくつもあります。
ひとつは、私の考えは世の中の常識と正反対なので、なかなか理解してもらえないのではないかという懸念があったことです。
もうひとつは、私の考えというのはひじょうにスケールが大きく、一方私自身の能力はごく平凡なものなので、その落差があまりにも大きかったことです。早い話が私の能力不足です。
そしてもうひとつ挙げると、重要なことというのは、それなりの重みのある人物が言ってこそ信憑性があるのであって、どこの馬の骨ともわからない無名の作家が言ってもなかなか信じてもらえないのではないかという思いがあったことです。
今、三つ挙げましたが、これは互いに関連していて、要するに自信がないということに尽きます。
 
私がこうした認識を持つようになったのは、私が作家としてデビューするときのつまずきがトラウマになってしまったからではないかと思います。
 
私は1988年、「フェミニズムの帝国」という長編小説を出版して、実質的に作家としてデビューしました(その2年前から「SFマガジン」に短編をいくつか発表していましたが、世間的にはないも同然です)
「フェミニズムの帝国」というのは、女性が男性を支配する近未来社会を描くことで、現在の男性優位社会を風刺しようという社会派SFです。おもしろく小説を読むことで自然とむずかしいフェミニズム理論も理解できるというお得な小説でもあります。
86年から男女雇用機会均等法が施行され、男女の社会的役割についての議論が盛んになっていた時代です。「フェミニズムの帝国」を出版した直後あたりからセクシャル・ハラスメントという言葉が出てきて、これもまた大いに議論になりました。ですから、最適なタイミングの出版になるはずでした。
 
しかし、編集者はまったくそういうことを理解していませんでした。私は編集者というのは時代に敏感な人たちですから、今のタイミングに「フェミニズム」という言葉を冠した小説を出版する意味がわからないはずはないと思っていましたが、考え違いでした。
編集者はこの小説を「家畜人ヤプー」みたいなものだと理解していたのです。編集者はこの小説を「天下の奇書」だと言いました。そして、表紙に世紀末の画家、ビアズレーの耽美的で妖しい絵を持ってきたのです。
新人作家の小説をハードカバーで出そうというのですから、編集者もそれなりに評価していたと思われますが、まったく勘違いしているわけです。
 
社会的政治的な関心を持っている人に読んでもらいたいのに、耽美小説とか異端文学みたいなイメージの本づくりをされたら真逆です。耽美小説とか異端文学というのは社会に背を向けたものだからです。
 
編集者との最初の打ち合わせのときに、もう表紙のプランを示されました。デザイナーに依頼するのではなく、編集者本人がデザインもしたのです。編集者は2人いて、こちらは1人でした。編集者は2人とも男性です。
私は小説の狙いを説明し、コアな小説ファンではなく、小説よりもむしろ週刊誌をよく読むような層に読んでほしいのだと言いましたが、編集者はまったく理解しません。まるで固い岩に頭をぶつけているような感じでした。
対等の交渉をするには、こちらの言い分を聞いてくれないなら出版しなくてもいいというスタンスでなければいけませんが、ほかの出版社が無名の新人の小説を出してくれる可能性は限りなく低いです。原稿を読んでもらうことすら困難です。「SFマガジン」には新人コンテストに応募したことで短編を載せてもらえるようになったのですが、それが私にとっては唯一の出版社との回路でした。また、そのとき親から借金をしていましたし、長編の出版が決まったということを報告して、親には喜んでもらっていました。
 
結局、私はどうしてもそのときに出版したかったので、編集者に屈服しました。
 
「フェミニズムの帝国」はかなり話題になりましたが、その割に売れませんでした。小説としてまだへたなところがあり、それも売れない理由でしょうが、それ以上に装丁のせいで売れなかったと私は思っています。装丁と内容が真逆なのです。しかも帯の色は濁ったような嫌悪感をいだく青色でした。男性である担当編集者はこのフェミニズムの小説に嫌悪感をいだいていて、それが出たのです。
編集者に嫌われた本というのは悲しいものです。
 
私としては「フェミニズムの帝国」をベストセラーにして、次におとなと子どもの関係を軸にした小説を書くつもりでした。これもSF仕立てで、何百年も生き続けてきわめて深い知恵を身につけた「永遠の子ども」がいて、「永遠の子ども」が不良や登校拒否や引きこもりなどの子どもを組織し、それを子ども全体に広げて、おとな本位の社会に革命を起こそうとする物語です。おとなと子どもの関係というのは男女の関係ほど興味を持たれないので、あまり売れそうもありませんが、前作がベストセラーになれば勢いで少しは売れると考えました。そして、その読者の中の何割かは私の考えを理解してくれるはずと考えました。
 
私の考えというのは、男と女も支配的な関係だが、おとなと子どもも支配的な関係だというものです。つまり世の中には、あるいはひとつの家庭には、性差別と子ども差別のふたつの差別があると考えているのです。性差別は認識されていますが、子ども差別はほとんど認識されていません。そのため人間関係の根本が把握できないのです。
で、そのことを書いた思想書ないしは理論書を次に出版しようという考えでした。あらかじめある程度理解者をつかんでいれば、この思想ないしは理論はそこから世の中に広がっていくだろうと思いました。
 
つまり私は、「フェミニズムの帝国」、おとなと子どもの関係を軸にした小説、思想書という3段構えで、自分の考えを世の中に広めることを考えていたのです。
しかし、「フェミニズムの帝国」がベストセラーにならなかったことで第1段階で挫折し、また「フェミニズムの帝国」すら理解されなかったのだから、次に書く小説はなおのこと理解されないだろうと思い、次の小説が書けなくなりました。
書き下ろし長編の注文をいただいたので、そんなテーマ性のない単純なホラー小説でも書こうとしましたが、それも書けませんでした。短編小説は書けましたので、注文をこなしていましたが、短編だけの作家というのはなかなか成立しがたいもので、いつしか注文もこなくなり、忘れられた作家となりました。ライター稼業で生活はできていましたが、物書きとして技量を磨くことはできませんでした。
 
つまり、作家デビューのときのトラウマで私は作家として成功することはできなかったのですが、私の考えというのは世の中にとってきわめて重要なので、これはなんとしても世の中に広めなければなりません。
これから再チャレンジしていきます。
 

吉本隆明氏が亡くなりました。私の世代には特別な存在でした。60年代末には「擬制の終焉」や「情況への発言」や「共同幻想論」が本屋に積まれ、少なくとも左翼的な学生なら読まなければいけないような雰囲気でした。
しかし、私は吉本氏の難解な文章はまったく苦手なので、吉本隆明全著作集の詩篇を読んでお茶を濁していました。詩なら難解でも読むことができます。ちなみに吉本氏の詩はそれほど悪くはありませんが、たとえば私の好きな田村隆一、萩原朔太郎、三好達治などと比べると、格段に見劣りします。
 
吉本氏が思想界でカリスマとなったのは、ひとつには論争に強かったからです。とくに最初に花田清輝との論争に勝利し、これで論壇でのステータスが確立されたと思われます。
ちなみにサルトルはカミュとの「革命か反抗か」という論争で勝利し、それでカリスマ的思想家としてのステータスを確立しました。現在、橋下徹大阪市長がカリスマ的地位を確立しつつあるのも、論争に強いからでしょう。
論争に勝つというのは、誰の目にもその人が論客として凄いとわかります(正しいことを言っているとは限らないのですが)
 
なぜ吉本氏が論争に強かったかというと、すでに指摘されていることですが、左翼知識人がマルクス主義を金科玉条としていた時代に、吉本氏だけはマルクス主義を絶対視していなかったからです。その分フットワークが軽く、いわば「蝶のように舞い、蜂のように刺す」ことが可能だったのです(その上、あの難解な文章も有利に働いたでしょう)
 
60年代、70年代というのは、思想界ではマルクス主義が崩壊していく過程でした。吉本氏はその先頭を走っていたので、つねに注目され、カリスマ的思想家と見なされるまでになりました。
しかし、マルクス主義がすっかり崩壊してしまった今では、吉本氏の業績も意味のないものになってしまいました。今、若い人が吉本氏の著作を読む意味はほとんどないでしょう。
 
それにしても、吉本氏の難解な文章は一種の“芸”というべきでしょう。
普通、難解な文章というのは、内容がないことをごまかしている場合が多いものですが、吉本氏の場合は必ずしもそうではありません。たとえば、吉本氏は「観念の遠隔操作性」という言葉を使っていたことがあります。私が文脈から判断するに、人間の認識は「灯台もと暗し」になっているということを言っていたようです。たとえば、自分の人生を棚に上げて天下国家を論じるようなことです。ですから、それはそれで重要な指摘です。
ただ、それを「観念の遠隔操作性」という言葉でいうところが独特です。複雑な現実をより複雑にして説明しているようなものです。
 
思想家には複雑な現実を説明するのに自分のつくった新しい概念を用いる人がいます。これによって一見うまく説明できるようですが、結局複雑な現実をさらに複雑にしてしまっていることが多いようです。
これはベクトルが逆です。
私は複雑な現実をより単純化して説明するということをつねに心がけています。
 
吉本氏は最終的に、親鸞の思想をよりどころにしたようです。
思想家とか論客は、なんらかの思想をよりどころにしないとやっていけません。
宮崎哲弥氏は原始仏教をよりどころにしていますし、五木寛之氏は日本仏教をよりどころにしています。呉智英氏は論語です。橋下徹氏は新自由主義ないしは私がいうところの道徳原理主義です。
右派の論客は国家主義や愛国主義をよりどころにしていますが、これは思想というよりも「拡大された利己主義」というべきものです。
ちなみに私は、道徳観のコペルニクス的転回による「科学的倫理学」をよりどころとしています(これは「人間は道徳という棍棒を持ったサルである」という言葉でだいたい説明できています)
 
吉本氏の親鸞についての講演をまとめた薄い本があって、私も目を通しました(例によって難解ですが、親鸞とあれば私も一応チェックしないわけにはいきません)
その中に、「その思想の強度は、善悪についてどこまで掘り下げているかによって判断できる」という意味の記述がありました。
こういうところも吉本氏のあなどれないところです――というのは多少我田引水の評価かもしれません。
私は善悪について究極の解答を得たと自負しているので、私の思想の強度は最高だということになるからです。

呉智英さんの思想的探求が壁にぶつかり、失速してしまった理由は、呉智英さんが教育というものをうまくとらえられなかったことにあると思います。教育を正しくとらえないと人間も正しくとらえられませんし、学校制度がわからないと近代という時代もわかりません。
「健全なる精神」(双葉社)所収の「ゆとり教育はエリートの教育」にこんな文章があります。
 
教育に、ゆとりものびのびもありはしない。個性を伸ばすも創造力をつけるもへったくれもない。教育は、つめこみ以外の何ものでもない。型を押しつける以外に教育があろうはずがない。
詩人高村光太郎の父である彫刻家高村光雲の自伝『幕末維新懐古』(岩波文庫)によれば、その頃、江戸の庶民の子供は、12歳になればみな奉公に出た。手に職をつけるのである。むろん、体力のなさそうな子が大工の道を選ぶことはないし、内気で口下手な子が商家に奉公はしない。それでも、行く道の種類は限られている。のびのびも、自己実現も、カケラさえない。それで何の問題もないのである。光雲のような突出した才能も、そこから出現している。
 
これはあきれた文章です。なにがあきれたかというと、教育の話をしているのに奉公を持ち出しているからです。奉公とは言うまでもなく労働です。江戸の庶民の子供は、幕末ならほとんど寺子屋に行きました。武士の子なら藩校に行きます。教育の話をするなら、寺子屋や藩校を持ち出さなくてはなりません(12歳というのは今でいえば中学入学の年齢ですから、当然その前に寺子屋に行っているはずです)
呉智英さんはなぜこんなバカバカしい間違いをしたのでしょうか。無意識になにかから逃げているのでしょうか。
 
江戸時代の寺子屋は当然今の学校と大きく違います。
「寺子屋について」http://www.tanken.com/terakoya.html
というサイトからコピーします。
 
手本は師匠が自分で手書きして生徒に与えたから、職工の家の子供には「商売往来」ではなく「番匠往来」、百姓の子供には「百姓往来」を与えるのが普通で、まさに個人教育だったといえる。
 いわゆる山の手の武家が多い地域では、士風養成のため「千字文」「唐詩」を課すことが多く、日本橋や京橋といった下町では商家相手だから「八算(はっさん・29の割り算)」「見一(けんいち・割り算の概算)」「相場割」など牙籌(がちゅう・象牙のそろばん)のことを併せて教えた。

 これ以外には、男の希望者に「実語教(じつごきょう・道徳の教科書)」「童子教(どうじきょう・道徳の教科書)」「古状揃」「三字経」「四書五経」、ひいては「文選(もんぜん)」なども教えたが、後藤点・道春点(いずれも漢文の読解法)などに従ってただ素読するだけで、読解はいっさいしなかった。女子も同様で、「百人一首」「女今川(教訓書)」「女大学」
「女庭訓往来」などを課したが、やはり素読のみであった。
 結局のところ、寺子屋は実用本位の科目を優先的に教えるところなのであった。
 
つまり寺子屋では11人教科書が違い、さらに進み具合も違いますから、11人が別々のことをやっているのです。寺子屋を描いた絵を見ると、みんな好き勝手な姿勢をしていますし、2人で話をしたりもしています。
呉智英さんは、詰め込みや型を押しつけることが教育だと言いますが、それは近代の教育なのです。近代の学校では、みんな椅子に座り、前を向いて、体を動かすことも私語をすることも許されません。6歳の子どもにこれを強要するのは残酷であるだけでなく、発達上も問題があると思います。生理学者や発達ナントカ学の学者はちゃんと告発してほしいものです。
 
呉智英さんは封建主義者を名乗るなら、学校を寺子屋式にして、11人の個性に合った教育、のびのびとした教育をしようと主張するべきではないでしょうか。
 
ちなみに藩校は義務教育であり、武芸という軍事教練もあったので、近代学校にかなり近いものだったと言えます。
 
孔子は多くの弟子を育てましたから、教育者だったとも言えます。しかし、弟子はみな志願して弟子になった者です。ですから、教えるのは簡単だったでしょうし、やる気のない者がいれば破門すればよかったわけです。
しかし、近代学校ではやる気のない子どもにもむりやり教えなければなりません(義務教育はもちろん高校も似たようなものです)。孔子とは大違いで、先生はたいへんです。心の病で休職する先生が多いというのも当然です。
寺子屋式にすれば、先生も救われます。寺子屋はもちろん義務ではなく、行きたい子どもだけが行くのです。人間は生まれながらに好奇心も学習意欲もありますから、それで問題のあるはずがありません。
 
呉智英さんには「封建主義的教育論」の本を書いていただきたいと思います。
 
 
ところで、呉智英さんはパソコンもインターネットもやっていないということで(少なくとも数年前のエッセイではそうだった)、この文章も目にふれることがないかもしれませんが、私はもちろん呉智英さんに読まれてもいいつもりで書いています。
 

図書館でたまたま呉智英さんの「健全なる精神」(双葉社)を見つけたので、借りてきて読みました。呉智英さんの本を読むのは久しぶりです。
以前、私は呉智英さんを大いに尊敬していました。日本の思想家の中で、一時は最先端をいっていたと思います。封建主義の立場から近代主義的価値観を批判するやり方で、固定観念を大いに揺さぶられました。圧倒的に博識ですし、つねに常識にとらわれない発想のできる人です。「バカにつける薬」というベストセラーもありました。評論家の宮崎哲弥さんや「ニセ学生マニュアル」などの著書がある浅羽通明さんも呉智英さんを尊敬して私淑しています。
 
しかし、呉智英さんはどこかで壁にぶつかって、失速してしまいました。時期としては、「論語」を若い人に講義する私塾を始めたころではないかと思います。「論語」を講義するということは、自分は孔子を越えないというふうに自己規定したのでしょう。全面的に越えなくても、どこか一点でも突破してやろうという気構えがなければ、思想家としては終わりかもしれません。
 
呉智英さんはもともとサブカルチャー側に立っていた人ですが、文芸春秋や産経からお座敷がかかって、いつのまにかただの保守親父になってしまいました。
 
「健全なる精神」はおもしろく読んだのですが、呉智英さんはそこで人権主義者が差別を糾弾するのを批判しています(これは以前からです)。実際、人権主義者の多くは知的に怠慢で、人権屋とでも呼ぶべき人も多いでしょう。しかし、呉智英さんは人権屋を批判して、真の人権思想に目覚めよといっているわけではありません。人権思想そのものを否定しているのです。
これはある意味、呉智英さんの思想のラジカルなところですが、では、人権思想に代わるものはなにかというと、なにもないのです。
呉智英さんは「差別は正しい」と言い、「目指すべきは『差別もある明るい社会』である」と言っています。しかし、「差別もある明るい社会」なんてあるのでしょうか。ただの言葉の遊びとしか思えません。「明るいカースト制社会」とか「明るい奴隷制社会」とか、見てみたいものです。
いや、それどころか、呉智英さんは人権思想を否定しているのですから、現代に奴隷制復活を主張する人が現れたら、どのようにして反対するのでしょうか。経済合理性を挙げて反対することはできますが、思想的に反対できないのではないでしょうか。
 
とはいえ、呉智英さんに「差別は正しい」なんて言われると、うまく反論できない人が多いのではないかと思います。それは誰も差別主義というものを正しくとらえていないからです。
いや、私は別です。私はもしかして世界で1人かもしれませんが、差別を正しくとらえています。
私の考えでは、家庭や学校で「よい子」と「悪い子」を分け、「悪い子」を迫害することが差別の始まりです。「悪い子」を差別している限り、社会の差別をなくすこともできません(だから、へんてこな糾弾しかすることがなくなってしまうのでしょう)。
ですから、「差別もある明るい社会」を目指すのではなく、「差別も道徳もない明るい社会」を目指すべきなのです。
 
私の差別主義についての考え方は「これからの『差別』の話をしよう」というエントリーを参照してください。
 
 
「健全なる精神」には、暴力団のことも出てきます。20064月、山口組の歴代組長の法要が比叡山で行われ、新聞各紙は全部が非難めいた調子で報道したそうで、呉智英さんは山口組が法要をしてはなぜいけないのかと、その報道姿勢を批判しています。こういうところは呉智英さんもただの保守親父ではありません。
もっとも、呉智英さんが山口組の法要を擁護するのは、宗教上死者の霊は同価値だという理屈からです。これは無宗教の人には通用しない理屈です。
私なら、山口組だって人間だから、普通の人間と同じように法要していいはずだと主張します。つまり人権思想です。これは誰も否定できないはずです。

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