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京都アニメーション放火殺人事件の裁判員裁判が9月5日から始まりましたが、マスコミが今までと違って、青葉真司被告の生い立ちを詳しく報道しています。
検察も冒頭陳述で青葉被告の生い立ちにかなり言及しました。
少しずつ世の中の価値観も変わってきているようです。

だいたいこうした合理的な動機のない凶悪事件の場合、犯人はほぼ確実に幼児期に親や親代わりの人間から虐待を受けています。「非人間的な環境で育ったことが原因で非人間的な人間になった」という因果関係があるだけです。
ところが、2008年の秋葉原通り魔事件の場合、犯人の加藤智大が派遣切りにあったこと、携帯電話向けの電子掲示板に依存していたところなりすましの被害にあったことなどが犯行の引き金になったという報道ばかりでした。
ただ、週刊文春と週刊新潮だけが加藤が母親に虐待されていたことを報じました。
このころから少しずつマスコミが凶悪事件の犯人の生い立ちを報じるようになったと思います。

青葉被告の生い立ちはどうだったのでしょうか。
青葉被告は1978年生まれ、埼玉県さいたま市出身で、両親と兄と妹の五人家族でしたが、小学校3年生のときに両親が離婚して母親は家を出ていきました。父親はトラック運転手、タクシー運転手をしていましたが、交通事故を起こして解雇され、それから貧困生活になります。青葉被告は父親からひどい虐待を受けます。家はゴミ屋敷になり、彼は日常的に万引きをするようになります。母親に会いにいったこともありますが、母親には会えず、母方の祖母に「離婚しているのでうちの子ではない」と言われて追い返されたそうです。女性の下着を盗んで逮捕され、コンビニ強盗をしたときは懲役3年6か月の実刑判決を受けました。父親は1999年にアパートで自殺し、その後、兄、妹も自殺しています。なんともすさまじい家庭だったようです(兄と妹の自殺は週刊文春が報じていますが、裁判には兄と妹の調書が提出されています。自殺していないのか自殺前の調書かは不明)。
ただ、彼は中学は不登校になりますが、定時制高校は皆勤だったそうで、同じコンビニに8年間勤務したこともあります。


青葉被告が父親からどのような虐待を受けたかは公判で明らかになっています。
『「体育祭なんか行くんじゃねぇ」傍聴から見えた青葉真司被告の"壮絶"家庭環境 ズボンをアイロンで乾かし父親が激高「逆らえない」絶対的服従に近い父親への忠誠心【京アニ裁判】』という記事から3か所を引用します。


ところが離婚してしばらくすると、父親は徐々に、青葉被告や兄を虐対するようになったという。


青葉被告「父から正座をさせられたり、ほうきの柄で叩かれたりしていた」
弁護人「父にベランダの外に立たされたことは?」
青葉被告「『素っ裸で立ってろ』と言われた記憶がある」
弁護人「酷い言葉をかけられたことは?」
青葉被告「日常茶飯事すぎて、わからない」


さらに、青葉被告が父親に対して、「絶対的服従」に近い忠誠心を持っていたと思える経緯が明かされた。

中学時代、青葉被告は体育祭で履くズボンをアイロンで乾かしていたところ、突然、父親に怒られたと話した。



青葉被告「中学1年生の時に体育祭でズボンをアイロンで乾かしていた。すると、『何で乾燥機を使わないんだ』と怒られた。そして『体育祭に行くんじゃねぇ』と言われ、体育祭に行けなかった」

弁護人「実際に行けなかった?」

青葉被告「そう言われたら、逆らえなかった」

弁護人「アイロンで乾かしてもいいと思うが、父から理由は言われた?」

青葉被告「理由というか、もう意味もなく理不尽にやる、そこに理由はない」


さらに、青葉被告が柔道の大会で準優勝した際、贈呈された盾を「燃やせ」と父親から言われ、「1人で燃やした」というエピソードを話した。



弁護人「父親からは、どうしてこいと言われた?」


青葉被告「燃やしてこいと言われた」


弁護人「燃やす理由は?」


青葉被告「そこに理解を求める人間ではない。ああしろ、こうしろと、それだけ。上意下達みたいな感じ。燃やすしか方法はない」


弁護人「実際に燃やした?」


青葉被告「自分で燃やした」

子どもを虐待する親にまともな論理などありません。子どもはただ不条理な世界に置かれるだけです。
彼がまともな人間に育たなかったのは当然です。
うまく人間関係がつくれないので、ひとつところに長く勤めても、信頼を得て責任ある仕事を任されるということにはなりません。
小説家になるという夢を追いかけたのは、むしろよくやったといえるでしょう。
しかし、普通の人間なら、夢が破れても平凡な人生に意味を見いだして生きていけますが、彼の場合は、夢が破れたら、悲惨な人生の延長線上を生きていくしかないわけです。


このような人間の犯罪はどう裁けばいいのでしょうか。
ここで注意しなければいけないのは、私たちは日ごろ「死ね」などという言葉は使わないようにしていますが、このような事件のときは「死刑にしろ」ということを公然と言えるので、日ごろ抑圧している処罰感情が噴き出して、過剰に罰してしまう傾向があるということです。

この事件は36人が死亡、32人が重軽傷を負うという大きな被害を出しました。
しかし、青葉被告はそういう大量殺人を意図したとは思えません。結果がそうなっただけです。
カントは、罪というのは結果ではなく動機で裁くべきだと言っています。36人死亡という結果で裁くのはカントの思想に反します。
もっとも、刑事司法の世界では、カントの説など無視して結果で裁くということが普通に行われていますが。

こういう事件の犯人に死刑も意味がありません。犯行が「拡大自殺」と同じようなものだからです。
死刑にすると、抑止力になるどころか、逆に「死刑になりたい」という動機の犯行を生みかねません。

刑事司法の論理では、こうした犯罪は犯人の「自由意志」が引き起こしたととらえます。つまり人間は自分の心を自由にコントロールすることができるので、心の中に「悪意」や「犯意」が生じれば、それは本人が悪いということになります。
「犯行をやめようと思えばやめられたのにやめなかった」という判決文の決まり文句がそれをよく表しています。

もっとも、今は文系の学者でも大っぴらに「人間には自由意志がある」と言う人はいないでしょう。
自由意志があることを前提にしているのは刑事司法の世界ぐらいです。


しかし、今回の裁判では検察の考えが少し変わったかもしれません。
検察側の冒頭陳述は、「犯意」ではなく「パーソナリティー」を強調したものになりました。
『冒頭陳述詳報(上)「京アニ監督と恋愛関係」と妄想、過度な自尊心と指摘』という記事から、「パーソナリティー」という言葉が使われたセンテンスだけ抜き出してみます。


「京アニ大賞に応募した渾身(こんしん)の力作を落選とされ、小説のアイデアまで京アニや同社所属のアニメーターである女性監督に盗用されたと一方的に思い込み、京アニ社員も連帯責任で恨んだという、被告の自己愛的で他責的なパーソナリティーから責任を転嫁して起こした事件」
「親子の適切なコミュニケーションが取れていなかったため、独りよがりで疑り深いパーソナリティーがみられる」
「うまくいかないことを人のせいにするパーソナリティーが認められる」
「不満をため込んで攻撃的になるパーソナリティーが認められる」
「ここでも不満をため込んで攻撃的になるパーソナリティーがみられる」
「こうした妄想も疑り深いパーソナリティーがみられる」

しかし、犯行を被告のパーソナリティーのせいにしても、被告がそのパーソナリティーになったのは被告のせいではありません。
人間は生まれ持った性質と育った環境というふたつの要素によってパーソナリティーを形成しますが、そのどちらも本人は選べません。ある程度成長すると環境は選べますが、子どもにはできません。
青葉被告も生まれたときはまともな人間だったでしょう。しかし、父親のひどい虐待で傷ついてしまいました。
たとえていえば、新車として納品されたときはまともだったのに、ボコボコにされてポンコツ車になったみたいなものです。青葉被告はもの心ついて自分で車を運転しようとしたときには、真っ直ぐ進もうとしても車は右や左にぶれて、ブレーキやアクセルもうまく機能せず、あちこちぶつけてばかりという人生になりました。
青葉被告は自分がポンコツ車に乗っているとは思わないので、ぶつかるのは向こうが悪いからだと思います。それを人から見ると、「逆恨みする攻撃的なパーソナリティー」となるわけです。

この「パーソナリティー」は「脳」とつながっています。
厚生労働省は「愛の鞭ゼロ作戦」というキャンペーンを展開していて、そこにおいて幼児期に虐待された人は脳が委縮・変形するということを強調しています。

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厚生労働省のホームページより

脳が委縮・変形した人を一般人と同じように裁いていいのでしょうか。

心理的な面から見ると、幼児期にひどい虐待を受けた人は複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症することが多いものです。
複雑性PTSDは適切な治療を受ければ治癒します。
ということは、虐待によって委縮・変形した脳も本来の形に戻る可能性があるということでしょう。

青葉被告のような凶悪犯には、マスコミや被害者遺族は「謝罪しろ」「反省しろ」と迫りますが、虐待によって脳やパーソナリティがゆがんでいれば、反省するわけがありません。
適切な治療で青葉被告の心を癒し、青葉被告が“真人間”になれば、自分の罪に向かい合って、反省や謝罪の言葉を口にするようになるでしょう。

こんな凶悪犯が真人間になるのかと疑問に思うかもしれませんが、周りの人間の対応次第で可能です。
青葉被告の治療にあたった医師団と青葉被告はこんな会話をしていました。『「“死に逃げ”させない」ぶれなかった主治医 “予測死亡率97.45%”だった青葉被告 4カ月の治療を記した手記 京アニ放火殺人』という記事から3か所を引用します。


上田教授の手記より:
スピーチカニューレを入れ替えすると、声が出たことに驚いていた。「こ、声が出る」「もう二度と声を出せないと思っていた」そういいながら泣き始めた


鳥取大学医学部付属病院の上田敬博教授:
で、そのあともずっとその日は泣いていたので、夕方にまた「なんで泣くんだ」って話を聞いたら、自分とまったく縁がないというか、メリットがない自分にここまで治療に関わる人間、ナースも含めて、いるっていうことに関して、そういう人間がいるんだという感じでずっと泣いていました



(Q.青葉被告と会話を交わす機会もあったと思うが?)

医療チームの一員 福田隆人医師:

何回かしゃべる機会はあったんですけど、一番心に残っているというか、克明に覚えているのは、「まわりに味方がいなかった」っていうのが一番言葉で残ってて



医療チームの一員 福田隆人医師:

どこかで彼の人生を変えるところはあったんじゃないかなっていうのを、その言葉を聞いて思って。僕たちって治療を始めたときから転院したときのことまでしか知らないですけど、40年以上の人生があって、どこかで支えとなる人がいたら、現実はもうちょっと変わったんじゃないかなっていうのは、そのとき思いました



鳥取大学医学部付属病院の上田敬博教授:


自分も全身熱傷になったことは予想外?



青葉真司被告:


全く予想していなかったです。目覚めたときは夢と現実を行ったり来たりしているのかと思いました。僕なんか、底辺の中の“低”の人間で、生きる価値がないんです。死んでも誰も悲しまないし、だからどうなってもいいやという思いでした



鳥取大学医学部付属病院の上田敬博教授:


俺らが治療して考えに変化があった?



青葉真司被告:


今までのことを考え直さないといけないと思っています



鳥取大学医学部付属病院の上田敬博教授:


もう自暴自棄になったらあかんで



青葉真司被告:


はい、分かりました。すみませんでした


私の考えでは、青葉被告のような人間を罰するのは間違っています。

今の司法制度では、心神喪失と心神耗弱の人間には刑事責任能力があまり問えないことになっていて、場合によっては無罪もあります。
心神耗弱は、精神障害や薬物・アルコールの摂取などの原因によって判断能力が低下した状態とされますが、その原因に幼児虐待によってパーソナリティーや脳にゆがみが生じたことも付け加えればいいわけです。

被虐待者である犯人の責任を問わない代わりに、虐待した親の責任を問えばいいわけです。
今は犯人にすべての責任を負わせているので、虐待した親は無罪放免になります(実際は水面下で周囲の人から陰湿な迫害があるでしょう。はっきり責任を問えばそういうこともなくなります)。
今の時代、幼児虐待の防止が大きな課題になっているので、子どもを虐待した親の責任を問う制度をつくることには大きな意味があります。

なお、「虐待されても犯罪者にならない人もいる」と言って、虐待と犯罪の関係を否定する人がいますが、虐待といっても千差万別ですから、虐待されても犯罪者にならない者がいるのは当たり前です。
少なくとも世の中から幼児虐待がなくなれば青葉被告のような犯罪者もいなくなることは確かです。