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自民党と統一教会は、昔は反共主義でつながっていましたが、今は家族観でつながっています。

では、自民党の家族観はどういうものかというと、少なくとも自民党保守派においては、要するに家父長制を理想とする家族観です。
家父長制というのは、家長が権力を持って家族を統率する制度とされますが、家庭内に身分制があると考えるとわかりやすいでしょう。夫が妻より上で、男の子が女の子より上で、同じ男の子でも年長者が上というように、まるで軍隊のように上下関係が定められた家族です。
ですから、父親は家の中でふんぞり返って、妻には一方的に命令し、子どもにはげんこつを食らわして、わがままのし放題でした。
実際、昔は今よりもDVが横行していました。

自民党の男たちは今でもそういう家父長制がいいと思っているのですが、「家父長制」という言葉は使わずに、「昔は家族の深い絆があった」というふうに言います。
しかし、だんだんと説得力がなくなってきました。

そこで登場したのが、科学的な装いで家父長制を正当化しようという「親学(おやがく)」です。


親学を創始したのは高橋史朗麗澤大学客員教授です。2001年に「親学会」を発足させました。
高橋氏は、オックスフォード大学のジェフェリー・トーマス学長が「学校でも大学でも教えていないのは、親になる方法だ」と発言したことに触発されたと言っています。
もっとも私は、トマス・ゴードン著『親業』という本に触発されたのではないかと疑っています。
この本が日本で1980年に出版されたときは、「親業(おやぎょう)」という言葉にひじょうなインパクトがありました。
「親業」というのは、子育てに悩む親のためのトレーニング法で、傾聴と受容というカウンセリングの技法を学ぶことで子どもとよいコミュニケーションをとれるようにしようというものです。
親業は親学とは真逆のものなので、混同してはいけません。

2006年には親学推進協会が設立され、2009年には一般財団法人として登記されます。講演会や研修会を通しての親学の普及、親学アドバイザーという資格の認定などの活動を行ってきました。

ところが、改めて親学推進協会のホームページを見ると、協会の解散が告知されていました。今年解散したということです。
告知には「当協会は、一般財団法人に関する法律に定めるところの財団法人維持の為の諸条件を満たすことが叶わず、解散手続きに入らざるを得なくなりました。これは理事会の力不足が招いたことと深く反省しております」とあります。
調べると、「2期連続で純資産の額が300万円未満となった一般財団法人は解散」という法的規定があるので、それが解散事由のようです。
講演活動などの収入のほかに協賛企業からの寄付などもあるはずなので、不可解なことではあります。
ただ、今後のことについては『一般財団法人としては解散を致しますが、新たにNPO法人を設立し、「親学」を推進する予定です』とあります。


親学関連本はいろいろありますが、おそらくもっとも重要なのは2004年出版の『親学のすすめ』(親学会編・高橋史朗監修)と思われるので、この本に基づいて親学について論じたいと思います。

この本は7人の筆者が分担執筆していますが、「まえがき」と最後の第8章、第9章は高橋氏が執筆していて、高橋氏がまとめ役であることがわかります。
高橋氏以外の執筆者の書くことは、子どもの発達の科学的研究についてや、子育てについてのアドバイスなどで、そこにはそんなにおかしなことは書かれていませんし、むしろ共感できることが多々ありました。
おそらくほかの親学関連本にもそうした評価すべき部分はあると思われます。
しかし、親学は高橋氏が中心になって推進する政治運動、社会運動なので、その中にいるとその色がついて見られるでしょう。まともな専門家、学者は親学に関わることを考え直したほうがいいと思われます。

では、高橋氏の思想はどういうものかというと、第8章の冒頭はこうなっています。
現在、「家庭教育はいかにあるべきか」という社会的なコンセンサスが失われており、家庭での教育力が著しく低下しています。
私は家庭教育の話をするときに、「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」と必ず話すのですが、三十代以下の学校の先生も親も、その言葉自体を知らないのが現状です。
日本人には日本人独特の「文化の遺伝子」があり、それが綿々と受け継がれているはずです。その「文化の遺伝子」が現在はうまく継承されておらず、スウィッチ・オフの状態になっていることが子供たちの心の荒廃、アイデンティティーの危機の根因であり、家庭の教育力の低下、家族の機能不全の要因になっているのではないかと思っています。

現在は家庭の教育力が低下している――というのはよく言われることですが、根拠がなく、「昔はよかった」と同じです。
それから、日本人独特の文化について述べていますが、幼児の発達に国や民族の違いはありません。正しい子育ては万国共通のはずです。現にアメリカの『スポック博士の育児書』は日本でもベストセラーになりました。
高橋氏は保守思想の持ち主なので、日本独自の文化にこだわって、むりやり子育てにも持ち込もうとしているのです。

ともかく、高橋氏は自分の思想の正当性を主張したいがために、平気で論理をねじ曲げます。

「桃から生まれた桃子」(神奈川県・市町村女性行政連絡会発行)という話があるそうです。桃太郎の話を男女逆転させて、おじいさんは川へ洗濯に、おばあさんは山へ柴刈りに、という話です。もとの話を知っている子どもたちにこの話をして、感想を求めたところ、「おじいさんはずるい」と書いた子がいたそうです。その子どもになぜずるいと思うのかと聞くと、柴刈りは楽な仕事で、おじいさんはおばあさんに今までたいへんな洗濯ばかりやらせていたからだと答えたそうです。
高橋氏はこのことから「洗濯はいやな仕事で、柴刈りは楽な仕事だと思わせてしまう教育が存在するということが分かります」と書いています。
こうしたジェンダーフリーの教育はけしからんというのが高橋氏の主張です。

しかし、この部分をよく読むと、「おじいさんはずるい」と書いた子は一人だけのようです。
たった一人、ちょっと変わった感想を書いた子がいただけで、それを根拠にジェンダーフリー教育をすべて否定するという論法になっています。

高橋氏は性教育についても同じ論法を使用します。
例えば国立市の小学校一年生の三クラスでは、児童に両性具有の性器について教えましたが、子供は混乱しました。まず基礎を教えて、例外を教えるのが順序のはずですが、一年生がいきなり両性具有と聞いたら、なんのことであるのか分からないはずです。
(中略)いきなり特殊な例を教えるのはなぜかというと、男でもない女でもない人間がいるということを刷り込もうというねらいがあるわけです。男でもない女でもない存在を知らせることによって、男と女という固定的な役割分担意識を解消していこうというねらいです。急進的性教育とジェンダーフリー教育の目的はこの点で一致しているのです。
両性具有の性器について教えたり、性交人形で性交指導をすることが、どのような影響を与えるかを十分に検討することなく、いわば見切り発車してしまっているのです。子供に悪影響が出た場合にいったい誰が責任を取るつもりなのでしょうか。
実際、いくつかの県で小学校六年生の女の子が「性交ごっこ」で妊娠するという事件も起きています。四年生で妊娠したという例もあるのです。性交教育の授業が実践されて、妊娠という事態が起きてしまったのです。

児童に両性具有の性器について教えたといいますが、これも「国立市の小学校一年生の三クラス」だけのことです。
小学生が妊娠したのも数例のようです。それらの例と性教育との因果関係がわかっているのでしょうか。おそらくわかっていないはずです。今は性の情報があふれているので、そちらとの因果関係が否定できません。

高橋氏は自分の主張を押し通すために論理をねじ曲げますが、それだけではありません。「脳科学」を利用します。
高橋氏は「私の問題意識のポイントの一つは、『脳科学』から『親学』をどのようにとらえていくかということです」と書いています。
ところが、脳科学界の定説や最近の趨勢から親学を論じるのではなくて、脳科学者の説の都合のいい部分だけを利用します。

たとえばこんな具合です。

澤口俊之教授は、五百万年のヒト進化の歴史から「父親の役割」を研究すると、家庭の安定化を図り、子供に社会的規範を植え付けることであったと述べています。脳科学によって明らかにされた父親と母親の役割を否定するジェンダーフリーの主張はまったく根拠のないものです。

澤口俊之教授は「ホンマでっか!?TV」によく出演している脳科学者ですが、最近は教育についての本をよく書いていて、『発達障害を予防する子どもの育て方』という本は「発達障害は予防できるのか」と物議をかもしました。
この短い文章からはどうやって「父親の役割」を研究したのかわかりませんが、いずれにしても、一人の脳科学者の説を科学的真実と見なすという論法を使っています。

ほかにも「脳トレ」シリーズで有名な川島隆太教授や、『ゲーム脳の恐怖』という著書のある森昭雄教授の説などが引用されますが、自説の箔づけに使っているという感じです。

しかも、微妙に意味を変えています。とくに「母親」という言葉には注意が必要です。

「脳科学と教育研究」ワーキンググループの小泉英明氏((株)日立製作所)は、平成十四年七月十一日に開催された自民党文部科学専任部会において、「フランスとの共同研究では、胎児が母親のおなかの中で、言葉の学習を始めたり、生後五日以内の新生児も言葉を認識することが分かっている。教育は幼いころから始めることが重要である」と指摘しています。
   ※
ユニセフ(国連児童基金)の二〇〇一年『世界子供白書』には、次のように明記されています。
(中略)
母親が手のひらで隠していた顔を突然のぞかせたとき、強い期待をもって見つめていた赤ちゃんが喜びの声をあげるのを見たことがあるだろうか。この簡単に見える動作が繰り返されるとき、発達中の子どもの脳のなかの数千の細胞が数秒のうちにそれに反応して、大いに劇的に何かが起こる。脳細胞の一部が「興奮」し、細胞同士をつなぐ接合部が強化され、新たな接合が生まれる。
   ※
脳科学の専門家で、日本大学の森昭雄教授の『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)によれば、赤ちゃんの脳発達は母親の接し方によって非常に大きく左右され、三歳ごろまでにニューロン(神経細胞)の樹の枝のように伸びている樹状突起がさまざまなニューロンと連絡するようになり、脳内の神経細胞と神経細胞の接点(シナプス)がこの時期の母親からの刺激によって次から次へと形成されて、脳全体が急激に増殖し、八歳ごろまでに九〇%の成長を遂げるといいます。
胎児と母親の関係は変えるわけにはいきませんが、「いないいないばあ」をするのは母親でも父親でもいいはずですし、赤ちゃんの脳発達も母親と接するのでなければならないということはないはずです。

ところが、高橋氏はこれらのことから「つまり、脳科学の最新の研究成果から『三歳児神話』は決して根拠のない『神話』ではなく、母親による家庭保育の重要性は多くの科学的研究によって証明されているのです」と書きます。
「母親による家庭保育の重要性」と書くと、「父親による家庭保育」は重要でないということになるでしょう。
高橋氏の主張では、父親が母親に代わって子どもの世話をすると、脳の発達が遅れることになりそうです。

家父長制のもとでは、父親と母親の役割や立場は明確に区別されていたので、父性と母性の違いも明確でした。しかし、男女平等になり、父親の育児参加が行われるようになると、父性と母性の区別は無意味になりました。
しかし、高橋氏は家父長制の立場なので、どうしても父性と母性を区別しなければならず、むりやり脳科学に根拠を求めたのです。

家父長制では親と子も上下関係になります。子どもは一方的に親に従うだけです。
そうした考えも高橋氏は書いています。

私は家庭教育、例えば三歳児まではやはり親のしつけが絶対に必要だと思います。つまりそれは他律です。子供の興味関心に従ってしつけをするわけではありません。とりわけ三歳ぐらいまではいわば強制です。この他律や強制ということから家庭教育がスタートして、だんだん自律に導いていくのが教育です。

馬脚を現すとはこのことでしょうか。この考え方はそのまま幼児虐待につながります。
親学は子どもをたいせつにするものでもなんでもなく、おとなが勝手な主張を並べ立てるだけのものだったのです。
親学の運動に参加している人の多くは子どものためという気持ちがあるでしょうが、親学の内実はそうではないということを知らねばなりません。

親学といえば、「発達障害は予防できる」という主張で炎上したことがあります。脳科学を都合よく利用してきた報いです。

一方で、高橋氏は宗教も利用しています。
「神さまが男と女を創ったということは、『男』であること、『女』であることを含み込んだ個性に意味があるからなのです」などと書いています。
また、人間は膨大な数の遺伝子の調和によって生きており、その背後には人知を超えた「サムシング・グレート」があるとも言っています。「サムシング・グレート」というのは、アメリカの保守派が神の代わりに持ち出す「インテリジェント・デザイン」みたいなものです。

自民党の保守派、アメリカの保守派、統一教会、親学――みな家父長制、宗教、非科学でつながっています。