村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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2024年でいちばん大きな出来事は、トランプ氏の米大統領再選だったでしょう。
トランプ氏はタイム誌の「今年の人」にも選ばれています。

トランプ氏については、戦争を止めて世界を平和にしてくれると期待する向きもありますが、「アメリカ・ファースト」はアメリカの利己主義ですから、必然的に世界は利己主義と利己主義のぶつかり合いになります。現にトランプ氏は大統領就任前からもうすでにカナダ、メキシコ、パナマ、グリーンランドと軋轢を生んでいます。

トランプ氏のような政治家が人気になる現象は世界中で見られます。
いちばん最初はフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ元大統領です。トランプ氏が一期目の当選をした2016年にドゥテルテ氏もフィリピンの大統領選に立候補し、その主張がトランプ氏に似ていることから「フィリピンのトランプ」と呼ばれました。ドゥテルテ氏が主に訴えたのは犯罪対策ですが、そのやり方は人権上問題があると指摘されると、「人権に関する法律など忘れてしまえ。私が大統領になった暁には市長時代と同じようにやる。麻薬密売人や強盗、それから怠け者共、お前らは逃げた方がいい。市長として私はお前らのような連中を殺してきたんだ」と言いました。
2019年にイギリス首相に就任したボリス・ジョンソン氏も暴言を連発する人なので、「イギリスのトランプ」と呼ばれました。
チェコのアンドレイ・バビシュ前首相も反移民政策を掲げて「チェコのトランプ」と呼ばれましたし、
ブラジルのジャイル・ボルソナロ前大統領は「ブラジルのトランプ」と呼ばれ、アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領は「アルゼンチンのトランプ」と呼ばれています。

彼らは要するにポピュリズムが生んだポピュリスト政治家です。
その主張には移民排斥、強硬な犯罪対策、人権軽視、環境問題軽視といった傾向があり、暴言、差別発言を平気でするという特徴があります。
こうしたポピュリスト政治家が表に出てきたのは、インターネットあるいはSNSのおかげです。いわゆるオールドメディアは差別発言をする政治家を排除してきました。

去年、兵庫県知事選で再選された斎藤元彦知事や都知事選で旋風を巻き起こした石丸伸二氏は、きわめて攻撃的な言動をする政治家で、SNSによって人気になったということでは「ミニ・トランプ」ともいえるポピュリスト政治家です。


日本ではこうした政治家の人気をきっかけに「オールドメディアの敗北」ということがいわれました。
しかし、ニューメディアによって形成された民意はひどいものでした。
兵庫県知事選の場合、立花孝志氏の根拠の定かでない主張を信じる人が大勢いて、それが斎藤知事当選の原動力になりました。
新聞、テレビ局の情報はある程度信用できますが、SNS、掲示板の情報は基本的に信用できないので、必ずソースを確かめないといけないという常識すらない人が大勢いたのです。

匿名で情報発信のできるインターネットの世界はもともと差別、デマ、誹謗中傷の吹き荒れる世界でしたが、昔の人はそのことを前提として参加していました。それに、PCを持ってネットに書き込みのできる人は少数派でしたから、学歴もある程度高かったといえます。
しかし、スマホの普及でネット人口が爆発的に増えて、今ではネット民は国民平均とほとんど同じです。
では、SNSで形成される民意は国民の平均的な民意と見なしていいかというと、そんなことはありません。

オールドメディアは、事実の報道には裏付けを求めますし、差別語は排除し、個人のプライバシーも尊重します。つまり情報の質の低下に一定の歯止めがあります。
しかし、SNSにそうした歯止めはほとんどないので、虚実入り混じった情報があふれています。
そうした情報に触れると、人は真偽を見きわめるという厄介な作業をするよりも、心地よい情報を選択したくなります。
そして、一度ある種の情報を選択すると、SNSのプラットフォームはそれに類似する情報を提供するように仕組まれているので、いっそう深くその種の心地よい情報にはまっていくことになります。


人間が心地よく思う情報には一定の傾向があります。
ひとつは「単純化された情報」です。
『サピエンス全史』を書いた歴史家のユヴァル・ノア・ハラリは、人類は複雑な現実を単純に説明する「物語」をつくって、集団で共有することで文明を発展させてきたといいます。
ネットでもそういう「物語」を語れる人がネットの世論をリードします。専門家は複雑な現実を複雑なまま語ろうとするので、ほとんど無視されます。

それから、人に好まれるのは「不満のはけ口を教えてくれる情報」です。
人々は日常生活の中で不満をため込んで生きているので、どこかでそれを吐き出したいと思っています。そこに悪徳政治家とか、不倫芸能人とか、車内のマナーが悪い乗客とか、家事育児を手伝わない夫とかの情報が与えられると、ネットで書き込みをして攻撃するか、書き込みはしなくても心の中で彼らをバカにして、溜飲を下げることができます。

「単純化された情報」と「不満のはけ口を教えてくれる情報」の組み合わせは最強です。
複雑な政治の世界を既得権益層対改革派の対立というふうに単純化し、既得権益層を悪者として攻撃すると多くの人を引きつけることができます。

陰謀論というのも基本的に「単純化された情報」と「不満のはけ口を教えてくれる情報」から成っています。
世の中に解決困難なさまざまな問題があるのはディープステートが陰で政府を支配しているからだという説は、きわめて単純ですし、攻撃すべき対象も示されます。
コロナワクチンを打つべきかどうかというのもむずかしい問題ですが、ワクチンに関する陰謀論は単純に説明してくれ、製薬会社などの悪者も示してくれます。

それから好まれるのは「利己主義を肯定してくれる情報」です。
人間は誰でも利己主義者ですが、他人と協調するためにつねに自分の利己主義を抑えて生活しています。
ナショナリズム、つまり「自国ファースト」の考え方は、国家規模の利己主義ですが、国内で主張する分には声高に主張しても許されるので、日ごろ抑えつけた利己主義をナショナリズムとして吐き出すと気持ちがすっきりします。
また、地球環境のために温室効果ガス排出削減をしなければならないとされていますが、経済のことを考えれば削減なんかしたくない。そこで、地球温暖化だの気候変動などはフェイクだという情報に飛びつきます。ポピュリスト政治家はおしなべて地球環境問題を軽視します。

SNS内の論調はナショナリズムが優勢で、ポピュリスト政治家はみな右派、保守派です。
これは実は深刻な問題です。
ナショナリズム、自国ファーストは最終的に戦争につながるからです。
ですから、SNSにはびこるナショナリズム、自国ファーストはきびしく批判されなければなりません。


ところが、日本では兵庫県知事選で斎藤知事が再選されたとき、テレビのキャスターなどは反省の態度を示していました。
反応があべこべです。
民主主義においては「民意」は絶対だという誤解があるのでしょうか。
しかし、民意は間違うことがありますし、とりわけいい加減な情報があふれるSNSではおかしな民意が形勢されがちです。
ニューメディアを批判することはオールドメディアの重要な役割です。


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パリ五輪大会は「誹謗中傷」と「誤審」がやたらと話題になった大会でした。
あと、女子ボクシング選手の性別を巡る問題も大きな話題となりました。
これらが話題になったのはSNSの発達のせいでしょう。SNSで議論が盛り上がるとマスコミも取り上げるという図式です。

パリ大会は東京大会と比べて誤審が多いといわれましたが、審判は各国際競技団体が用意するので、東京よりパリのほうが審判の質が落ちたということはないはずです。
「誤審」が増えたのではなく、「誤審の話題」が増えたと見るべきでしょう。

日本人選手が不利な判定を受けたとき、その判定にちょっと疑問を感じたとしても、普通は現場で一流の審判が見ているのだし、テレビで見ている素人の自分の判断が正しいという自信は持てません。しかし、SNSでちょっと疑問を発信すると、同じ考えの人がけっこういます。お互いに自分たちの考えが正しい、あの審判は間違っていると言い合うと、エコーチェンバー効果で疑問が確信に変わって、大きな声となって社会に発信されます。
そのため誤審の話題が増えたのでしょう。

日本人選手が有利な判定をされて、ちょっとおかしいなと思うこともありますが、そういうときに疑問を発する人はまずいません。
そのため、誤審が話題になるのは日本人選手が不利になったときだけです。
これは当たり前のことで、スポーツの観客は基本的に身びいきです。
サッカー、野球、ボクシングなどたいていの試合にはホームとアウェイがあって、審判がホームのチームや選手に不利な判定をすると、正当な判定であっても、観客は審判にブーイングを浴びせます。

誤審とは違いますが、柔道の男女混合団体戦で日本は決勝でフランスと対戦、3対3となったとき、電子ルーレットによって代表選は日本に不利な90キロ超級となり、斎藤立選手がテディ・リネール選手に負けて、日本は銀メダルとなりました。
電子ルーレットだと不正が仕組まれていてもわかりません。そのため、疑問の声がずいぶんと上がりました。
しかし、電子ルーレットを仕切っているのは開催国のフランスではなく国際柔道連盟のはずですから、不正をするとは思えません。
ちなみに東京大会でも同じ電子ルーレット方式が採用されていましたが、そのときはルーレットの回転は観客に見えませんでした。フランス大会で観客に見える形になって、少し進歩しました。
要するに日本に不利な結果が出たから文句を言っているだけです。

スポーツにおいては、選手も観客も審判に不満を持つことは多々ありますが、判定がくつがえらないとなると、不満があってもその判定を受け入れるのがマナーです。
パリ大会で誤審が話題になったのは、日本人のスポーツ愛好者としてのマナーがなっていないということにほかなりません。
たとえば柔道男子60キロ級の永山竜樹選手がスペインのガリゴス選手と対戦したとき、審判の「マテ」がかかったあとも永山選手は数秒間締め技をかけられ、失神し、試合に負けるということがありました。これは誤審だという声が上がると、審判団は「マテ」をかけたのが間違いだったとして、勝負の結果はそのままとしました。
納得がいかなくても判定が決まったら、それに従うのがスポーツマンシップですし、これは観客も同じです。
ところが、SNSではガリゴス選手への誹謗中傷が殺到したようです。


ここでメジャーなメディア、つまりマスコミの対応が問題になります。
日本のSNSは日本語ですから、どうしても自国中心主義になります。
マスコミは誤審の相手国の反応や世界の反応を伝える必要があります。そうすれば人々は自然と自国中心主義から脱することができます。

こうしたマスコミの対応はたいせつです。戦争の根本原因は自国中心主義だからです。



パリ大会は「誹謗中傷」の話題も多く、IOCのアスリート委員会は8月18日、パリ五輪期間中に選手、関係者に対してSNSで8500件を越す誹謗中傷の投稿が確認されたと発表しました。
日本でも女子柔道の阿部詩選手が敗戦後に泣き崩れたことに非難が殺到しましたし、バレーボール男子もイタリア戦で逆転負けすると、敗戦の責任を追及する投稿が相次ぎ、中でも第5セットでサーブミスをした小野寺太志選手が非難されました。

SNSに限らずインターネットでは昔から個人への攻撃が盛んに行われていました。それが世界的にエスカレートしているわけです。
なぜそうなるかというと、善、悪、正義、「べき」などの概念をひっくるめて「道徳」というと、道徳の基本構造が人を非難するものになっているからです。
「嘘をついてはいけない」という道徳があるために「嘘つき」という非難が生じ、「努力するべき」という道徳があるために「努力が足りない」という非難が生じます。
道徳は高いハードルなので、誰もが非難されることになります。

道徳のハードルが高いために、世の中には悪い人間がいっぱいいることになります。
「悪いやつをやっつければ世の中はよくなる」という考え方を正義といいます。
そのため誰かに「悪いやつ」というレッテル張りをして、攻撃するということが行われます。
しかし、このやり方はうまくいきません。

イスラエルは「ハマスを殲滅すれば世の中はよくなる」と思っていますし、アメリカは「テロリストをやっつければ世の中はよくなる」と思ってやってきましたが、そうはなりません。
親は子どもが「悪いこと」をすると叱ってやめさせようとしますが、そんなことをしても「よい子」にはならず、逆に親が幼児虐待をすることになってしまいます。
学校のいじめも、空気が読めない、成績が悪い、先生に嫌われているなどの子どもに「悪いやつ」というレッテル張りをしていじめるわけです。
善、悪、正義には定義がないため、誰でも適当に「悪いやつ」のレッテル張りができるのです。

したがって、道徳で社会をよくすることはできませんし、社会の秩序を維持することもできません(道徳教育でよい人間をつくることもできません)。
では、どうしているかというと、「法の支配」によって社会の秩序を維持しています。
法律は「悪いやつ」を具体的に定義づけるものです。
「法の支配」によって結果的に「悪いやつ」をやっつけることができます。
人類の歴史は、役に立たない道徳をお払い箱にし、法の支配を広げる歴史だったともいえます。

しかし、法の支配がまだ及ばない分野があります。
ひとつは国際社会です。国際法というのはありますが名ばかりで、実質的に無法状態です。互いに「悪いやつ」のレッテル張りをするので、戦争が絶えません。
もうひとつは家庭内です。愛情で結ばれた家族関係に法律は持ち込むべきでないと考えられているので、ここもほとんど無法状態です。そのため「悪妻」や「悪い子」のレッテル張りが行われ、暴力が絶えません。

あと、あえていえばテレビのワイドショーも法の支配よりも道徳の支配が行われている世界です。コメンテーターは犯罪者に対しては法定刑以上の厳罰を要求するのが常で、芸能人の不倫などもきびしく糾弾します。


そうしたところにインターネットが登場しました。
インターネットの世界も、法の支配よりも道徳の支配が行われています。悪いやつ、怠けるやつ、無責任なやつ、迷惑なやつ、マナーの悪いやつがつねに攻撃されています。
そうした攻撃がどんどんエスカレートして現在に至ります。

人を攻撃する人は「悪いやつをやっつければ世の中はよくなる」と思っているので、自分は「正義」だと思っています。
「誹謗中傷」という言葉がありますが、これは攻撃する人を外から見た言葉です。攻撃している本人は「誹謗中傷」と思っておらず、「正義」と思っています。

「誹謗中傷」という言葉が使われだしたのは、女子プロレスラーの木村花さんが自殺したころからではないかと思います。
木村花さんは「テラスハウス」という男女が共同生活する番組に出演しましたが、花さんはだいじなコスチュームを洗濯機の中に入れたまま外出し、その間にほかのメンバーが自分の服といっしょに洗濯機を回し、さらに乾燥機にかけたために、コスチュームが着られないぐらいに縮んでしまいました。
花さんは激怒しますが、「お前も悪い」という投稿が殺到し、それに対して花さんは「100対0で向こうが悪い」と言うなどしたために大炎上しました。
そして、花さんは自殺し、花さんの母親が誹謗中傷した人間を相手に損害賠償の訴訟を起こし、勝訴したことで、「誹謗中傷はよくない」という流れができました。

しかし、誹謗中傷する人間は誹謗中傷とは思っていないので、根本的な解決にはなりません。
たとえばオリンピックと並行して起きていた出来事ですが、フワちゃんがやす子さんに「死んでくださーい」と投稿したことがきっかけでフワちゃんが大炎上しました。フワちゃんがすぐに投稿を削除して謝罪したのに誹謗中傷が殺到し、ネットメディアもほとんどが誹謗中傷側に加担しました。フワちゃんのメンタルが強くなければ自殺してもおかしくありません。花さんのときからさらに事態は悪化しています。花さんのときは誹謗中傷はよくないと言っていた人間が、フワちゃんに対しては誹謗中傷をしているに違いありません。


自分を正義と思っている人に「それは正義じゃないよ」と言っても、説得できないと思われます。正義の定義がないからです。

では、どうすればいいかというと、自分中心の考え方を脱することです。
「誤審」について述べたときに、自国中心主義を脱することがだいじだといいましたが、それとまったく同じです。
商売人は誰でも「客の立場に立って考える」ということができますが、「悪いやつ」というレッテル張りをした人間は、相手の立場に立って考えることができなくなります。これこそが「諸悪の根源」です。
「悪いやつ」の立場から自分を見ると、「正義の自分」も「悪いやつ」も同じ人間だということがわかります。
こういう発想になれば、誹謗中傷はもちろんあらゆる争いごとを解決する可能性が見えてきます。



法の支配によって駆逐されてきた、まったく役に立たない道徳を私は「天動説的倫理学」と呼んでいます。
「地動説的倫理学」への転換が必要です。

詳しくは「道徳観のコペルニクス的転回」を読んでください。

木村
ツイッター「木村花HanaKimura」より

テレビのリアリティショー「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラー木村花(22歳)さんが、SNS上で誹謗中傷され自殺した事件を受けて、SNSでの誹謗中傷を規制しようという動きが加速しています。
一方で、「テラスハウス」が木村さんを悪役に見せる過剰な演出をしたから誹謗中傷が生じたので、悪いのはテレビの演出だという意見もあります。

悪いのはどちらか――という問題の立て方が間違っています。
悪いのは両方です。
自殺の理由はひとつではなく、複合的であるからです。


私は「テラスハウス」がフジテレビで放送が始まったころ、一度見たことがあります。
シェアハウスの中に定点カメラが何か所か設置されていて、ハウス内のリアルな人間模様を描く番組だと思っていたら、2人が会話するシーンは、それぞれの顔がアップで映っていて、つまりドラマのようにカメラマンが映しているわけで、これではリアルな人間の姿が描けるわけがないと思って、それ以降はまったく見なくなりました。
しかし、演出だとは思わず、リアルな姿だと思って見ていた人もいるでしょう。


木村花さんは死の直前にツイッターに「毎日100件近く率直な意見。傷付いたのは否定できなかったから。死ね、気持ち悪い、消えろ、今までずっと私が1番私に思ってました。お母さん産んでくれてありがとう。愛されたかった人生でした」という遺書のような言葉を投稿していました。
私はこの中の「愛されたかった人生でした」という言葉が気になりました。
花さんの人生はどんなものだったのでしょう。


ウィキペディアの「木村花」の項目によると、木村花さんの母親は木村響子といって、やはり女子プロレスラーです(父親はインドネシア人で、どうやら離婚したようです)。
つまり母親と同じ道を歩むことになったのです。
これはリスク管理の上からは好ましくありません。

普通は、会社でいやなことがあっても、家に帰るといやされるということがあります。
逆に、家庭が不幸であっても、会社の人間関係に救われるということもあります。
ところが、親が仕事上の上司や師匠であるとなると、だめになるときは家庭も仕事もいっしょにだめになります。

木村花さんは、幼いころはダンサーを目指していたようですが、それは諦めて、高校を中退して女子プロレスの道に入りました。
ほんとうに自分の意志で入ったか気になります。

それに、高校を中退しているので、女子プロレスをやめてほかの道に行くのが困難です。
木村花さんが「テラスハウス」に出演できたのも、あくまで女子プロレスラーであるからです。
昔の武士は領地に生活のすべてがかかっていたので、それを「一所懸命」といいますが、木村花さんは女子プロレスラーという職業に「一所懸命」でした。
SNSで「女子プロレスラーとしての自分」を否定されると、すべてが否定されることになります。

「自殺」ではなく「過労死」の問題ですが、電通勤務の高橋まつりさんは上司のパワハラを受けて過労死しました。まつりさんは貧しい母子家庭で育ち、東大から電通に入り、母親のためにも電通を辞めるという選択肢がなく、「一所懸命」であったために起きた悲劇です。


最初のほうで、「自殺の理由は複合的である」と述べましたが、「自殺の理由は総合的である」と言ったほうがより正確です。
人間が自殺するか否かを判断するときは、すべてのことを総合して判断します。
SNSで誹謗中傷され、人格を否定されても、一方で家族や友人などのささえが十分にあれば、自殺にはいたりません。
また、現在はひどく不幸であっても、過去がずっと幸福であれば、いずれまた幸福な時がやってくるだろうと思って、現在の不幸に耐えることができます。

木村花さんの場合、家族や友人、過去の人生などのささえる力が十分ではなかったと考えられます。
中でも重要なのが母親の木村響子さんです。

木村響子さんは木村花さんの葬儀が終わった直後にこのようにツイートしました。

木村響子
@kimurarock
皆さんに お願いがあります

どうか 花のことで
ご自分を責めないでください

他の誰かを 責めないでください

なにかを 恨まないでください

ヘイトのスパイラルを
止めてください

もうこれ以上 
こんなことが起こらないように

花が望んだやさしい世界に
少しでも近づけるように
「どうか花のことでご自分を責めないでください」というのは、SNSで木村花さんを誹謗中傷した人たちに向けたものでしょう。
これはヘイトのスパイラルを止めるための、教科書に載せたいような完璧なメッセージです。
しかし、娘を亡くした母親のものとは思えません。

木村響子さんは、花さんが亡くなった翌日の24日にはこうツイートしています。

木村響子
@kimurarock

木村花 を

応援してくれたかた
仲良くしてくれたかた
愛してくれたかた

守ってあげれなくて ごめんなさい
辛い想いをさせて ごめんなさい

あなたが辛いと 花も辛いから
どうか楽しく元気な花を
心に置いてあげてください

花が伝えたかったことを
カタチにするために
もっと 強くなります

これは花さんのファンへのメッセージです。
娘を亡くした翌日に、ファンに配慮したメッセージを出すのは、社会的には称賛される行為です。
こういうことに文句をつけるのは、もしかすると私ぐらいのものかもしれません。

普通の母親なら娘を亡くして取り乱すところですが、木村響子さんは「社会的に完璧な母親」の姿を見せました。
そうした姿をずっと見ていた木村花さんは、母親の愛情を感じることができませんでした。
響子さんは花さんに向き合って、愛情を示すことが少なかったのではないでしょうか。
そうして花さんは「愛されたかった人生でした」との言葉を残して自殺したのです。

「社会的に完璧な母親」だから「家庭的にだめな母親」だとは限りませんが、少なくとも花さんは愛情を感じることが少なくて、誹謗中傷に負けない強さを身につけることができなかったのです。


SNSで匿名で誹謗中傷することを規制する議論が進んでいます。
「発言を規制する」というと問題がありますが、「発言に責任を持たせる」ということで、匿名の発信者を特定しやすくするのはいいことだと思います。

ただ、自殺予防という観点からは、それはあまり効果がないのではないかと思います。
リアルの世界でも誹謗中傷はあります。
問題は、そうしたことに耐える力を養うことです。

22歳という若い人の自殺の場合、家族のささえが重要だという当たり前のことを指摘しました。

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